出会いは奇なり


 人の命というものは儚いものだ。いともたやすく絶えてしまう。短い命をどう満足して終えるかを考えて過ごすのが、人間の醍醐味なのだろう。しかしそんなあたり前のことさえ、考えることも出来ずに死にゆく命がある。私はそれが我慢ならない。人と人の間に生まれた命も、造られた命もだ。だから私は××××を願う。平和ではない。人が人である限り、このシステムは連綿に続くのだから。



「明日新しくシスターがこの教会に配属されることになった。―仲良く、とは言わないが、まぁ、よくしてやってくれ」
「分かりました。空き部屋掃除しておきますね」

 よろしく頼む、義父である璃正は微笑んだ。
 新しくシスターが配属されるという話は、前々から璃正が希望していたことだ。田舎と言うほどでもないが郊外に建つ冬木教会は、二人の神父が配属されている。そしてここ十数年は璃正の息子が見習いのような形でその仕事を手伝っていたのだが、彼が聖堂教会の本部へ研修の意味で一時的に冬木教会を空けることになり、その穴埋め要員かと思われる。璃正ももう大分老成し、鍛え上げた身体があるとしても辛いところがあるのだろう。私はそう結論付けて、宣言通りにシスター用の空き部屋を掃除するため掃除道具庫へと足を向けた。
 この冬木教会は郊外に建っているというのに、ある理由からそれなりに規模の大きな作りをしている。あれは何年前のことだったか、正確な数字さえあやふやなところはあるが忘れもしない第三次聖杯戦争、そう名付けられるものが開催される地であるからだ。箒を握りあの光景を思い出す―いや、そんなことをしている場合ではない。早々に掃除を済ませて、夕刻の祈りに向かわなくては。

§


 翌日。早朝のミサを終え、璃正と共に朝食を摂る。今日は塗油の予定があったのだが、新しいシスターが来る日なので私は教会に居残り出迎える事になった。シスターが到着してからやること、やってもらうことなど一日の予定を確認し、璃正は信者の元へと出かけていく。自分の生い立ちがまるで夢かのような、なんでもない平穏な一日が始まった。
 シスターが到着する予定の時間までまだ余裕がある。礼拝堂の掃除でもしようと思い立ち掃除道具を引っさげて行けば、見知らぬ女性が 掲げられたシンボルへ祈りを捧げていた。衣服はそのまま修道服で、私はああと息をつく。

「…―あ、すみません、勝手に」
「いいえ。好きなように祈っていただいて結構ですよ。ところで、もしや貴女が?」
「はい。今日からこの冬木教会へ配属されました。といいます」

 手を握り合わせ祈るように一礼する。

「やはりそうですか。私は言峰シロウです。責任者である璃正は今外していまして」
「そうなんですか。…ええと、それじゃあ私は…」
「大丈夫です、今日貴女がいらっしゃるのは聞いていますので」

 何をするかはおおよそ決めてある。そう伝えればシスターは少し安心したような顔で胸を撫で下ろした。
 掃除道具をひとまず脇に置き、踵を返して扉を開けた。彼女がついてきているのを確認して、まずは昨日清掃した部屋へ向かい荷物を置いてもらうと、次いで教会内を案内する。説明する言葉以外に特に会話はなく、淡々と時間は流れた。

「ッ―…、」
「どうかしました?顔色が悪いようですが」
「…ああ、いえ。なんでも、ありません。はい、大丈夫ですよ」

 一歩後ろを歩いていたシスターが不意に息を呑んだ。何事かとちらりと視線を向ければ、眉間にシワを寄せてこめかみを押さえていて。元から白い肌や顔以外を隠すヴェールのせいで一見わかりにくいのだが、随分顔色が悪いのではないだろうか。ポケットに仕舞っていた懐中時計を取り出し時刻を確認すればシスターの来訪からすでに1時間ほど経っていた。そこまで広いわけではないのだが、一通り周ればそれくらいかかるものだろう。

「…もうほぼ建物の中は周りましたので、休憩にしましょうか」
「いえ、大丈夫ですよ」
「私も璃正も飲まない、信者の方から頂いた紅茶葉があるのですが。いかがですか」

 少し砕けたような雰囲気で言えば、シスターは戸惑いを見せながらも小さく頷いた。
 キッチンへ趣きこれまた信者からお歳暮だのの余りだからともらったアンティークな茶器を取り出すが、さて紅茶は日本茶と違って高温で淹れるものだったか。シスターにやらせたほうが早いのだろうが、体調を悪くしているらしい彼女にやらせる訳にはいかない。先程から青い顔で、ふぅふぅと辛そうに呼吸している。

「紅茶には明るくないのですが、確か高温で間違いなかったですよね?」
「―はい。ポットやカップを、温めておくと、尚よしかと」
「わかりました。では、少々お待ちくださいね」

 やかんを火にかけお湯をつくる。その間に茶請けでもと棚を物色し、客人用のクッキーを取り出した。昼前だがまぁいいだろう、シスターへのもてなしだ。

「シスターは、前はどこの教会に?」
「私は、元々は教会には配属されていないのです。代行者を、やっていました」

 クッキーを皿に載せ、湯が沸くまでの間の暇つぶしに話を持ちかける。返ってきた意外な言葉にほんの少し眉を持ち上げた。
 ―代行者。聖堂教会の異端審問官。教義に存在しない異端を力づくで排除するモノたち。おおよそ神に祈るだけで血なまぐさいものなど知らなさそうな、彼女が。女性だからと軽視しているわけではないが、白い肌に黒い髪、儚げな瞳に袖から覗く細い腕を見れば、相手が何であれ戦っているようには見えない。

「…異端審問官が…なぜ冬木へ?どこか、怪我でも…」
「―色々、ありまして。ええ、まぁ、…怪我、とは違いますが。少し、戦うのに…疲れた、というか」

 視線を逸らして言いにくそうに話すので、話題の選択を間違ったなと歯噛みする。少なくとも出会って初日で言えるような事ではないのだろう。
 沈黙している間に湯が沸き、コンロへ身体を向ける。あやふやな知識を思い出しながらどうにか見た目と匂いは立派な出来のものをシスターへ差し出せば、謝礼のあとゆっくりカップに口をつけた。

「温まりますね」
「ひとまずは、文句の言われない程度の出来に仕上げられてよかったです」
「お上手でしたよ。クッキーも、美味しいです」
「貰い物ばかりですがね」
「…午後の、予定は?時間、大丈夫ですか?」
「今日は貴女の出迎え程度しかやることはないので、そう気にしなくて大丈夫ですよ。この後はまぁ、礼拝堂の掃除と庭の剪定くらいでしょうか。元々一人でやる予定のものですので、シスターは今日は休んでいてください」

 そんなわけにはいかない、と落ち込み気味だった顔を上げて首を振るが、顔色の悪い女性に無理をさせるわけにもいかない。そう説明するも、シスターは頑なにうなずかなかった。

「本当に、何もないのです。ですからどうか、私を病人のように扱わないでください」
「―…そこまでいうなら、分かりました。では礼拝堂の掃除を手伝って下さい。二人でぱっぱと終わらせて一緒に休みましょう」

 そう言えばシスターは納得はしきれない様子ながらも頷き、食べかけのクッキーに手を伸ばした。





魔女の呪い



 翌日からは改めて、礼拝や行事の日程や一日のスケジュール、教会の運営についてをシスターに伝え聞かせる。年季の入った万年筆で一冊の小さなノートへ書き込んでいくのを見て律儀だなと片隅で思う。本当に代行者なのだろうか。代行者が使う浄化の言葉は、璃正に教えてもらったが―代行者ならば、やはり高い戦闘能力が必要だろう。彼女の細い手脚からは、やはり戦いなど感じ取れなかった。

「シスターは、どんなふうに戦っていたのですか?」
「え?…―そう、ですね…私は武術にはさほど秀でていないので、二人以上のチームを組んで任に当たることが多かったです。戦いはほとんど、パートナー任せで。大したものではないですが、わずかに魔術が使えますので、それで武器を強化したり、ですかね」

 なるほど、と相槌を打つ。私は璃正のコネで聖堂教会の者としていられるようなものなので、あまり他部署には詳しくない。チームを組むこともあるのかと一人納得していた。それならばこんな、私の腕の半分しかないようにさえ見える腕でも代行者でいられるだろう。

「ならば何故、代行者に?異端審問官―一般的に知られる悪魔祓いと違うとは言え、死徒だとかそういうものと戦うのでしょう?」
「―…ええ、なんで…でしょうね。私は…私はただ、救いたかったのです」

 ノートを閉じ、机の上に置いて、両手を組んで姿勢を正してシスターは語る。表情は優しく笑んでいるが、その真意は汲み取れない。

「救う、ですか」
「はい。目の前で絶えていく命があることが、私はただただ悲しかったのです。人ならざるものに変化して、自我を失い、心優しい少女が人を喰らう。そんな恐ろしいことが、私は嫌でした」
「…ならばこそ、」
「ええ。でも逃げたくなかった。だってあの子は、私に救いを求めたのだから」

 ぐ、と閉口する。何を思うわけでもないが、言葉を返すことができなかった。

「代行者の任を離れたのは。自分の信念が、わからなくなったからです。…前のように、上手くいかなくなった」
「…?」
「―いえ。なんでもありません。もう頃合いの時間ですね、夕刻のミサの準備を始めなくては」

 立ち上がり、本当に何でもなかったかのように微笑む。先程垣間見た憂いはもう、消え去っていた。



 食事を作るのは基本的に璃正の役割だ。好きだから、振る舞いたいから、ボケ防止に―いろんなことを理由に、不在や体調不良の時以外は璃正が食事を作る。
 ミサが終わり時刻は二十時に近づいていた。いつもと変化のない夕食の予定時間。ミサまでに終えられなかった仕事を片付けてリビングへ顔を出せば、璃正は心配そうに鍋と時計を交互に見やっていた。

「ああ、シロウ。―すまないが、シスターを探してきてはくれまいか。ミサの片付けを申し出てくれたのだが、さすがに遅い」
「部屋を見てくればいいですか?」
「いや、部屋は先程行ったんだがいなくてな」

 なるほど、だから探してこい、なのか。一人納得し踵を返す。今は部屋に返ってきている可能性を考えてシスターの私室を覗くがさすがにおらず。ほかにいそうな場所と言えば、風呂場やトイレ―いや、ミサの片付けが終わっていない可能性も十二分にある。礼拝堂へと向かう方向を変えた。
 ―案の定、並んだ椅子に座り俯いているシスターの姿があった。しかし歩み寄り声をかけても反応はない。寝ているのか、としゃがんで顔を覗き込めば、具合の悪そうな顔で汗を浮かべながら意識を失っているようだった。呼吸も荒く、やはり何かしら不調があるのは確かなのだろう。こちらとしても彼女に用があったというのに面倒なことになった、と悪態をつきながらシスターを椅子に横たわらせ、ヴェールを外してハンカチで額の汗を拭う。璃正神父の元へ連れて行くか、それとも呼んでくるべきか。何にせよその前にすることがあった。
 右手に魔力を通し、魔術を発動する。その状態で彼女へ触れ、それほど発達していないだろう魔術回路を探った。―随分と、魔力量が少ない。最大量ではなく、現在の総量が。

「…しかも、今も減り続けている」

 体外にこぼれ出ているわけではない。そんなことがあろうなら、この地にいる魔術師が気づくだろう。ならば何故。探る場所を切り替えていくと、彼女に魔術刻印が有ることに気付く。まさか魔術師ではない彼女に刻印があるとは思っていなかった。―いや、これは。

「―ッ…」

 勢い良く手を離し、ごくりと唾を飲み込む。今のは。

「魔術刻印が、二つ…?」

 通常そんなことはありえない。普通の魔術師でさえ、一人に一つの刻印のみだ。そもそも魔術師でないシスターに、か弱いものとはいえ魔術刻印が一つあるだけでもとんでもないことだと言うのに、それが二つ。眉根を寄せて考え込んだ。
 ―私には、やるべきことがある。そのためには入念な準備が必要だ。これも、その一環。
 すでに幾つかの、物の準備は出来てはいるが―かの地で出会った女を脳裏に浮かべる。

×


 シスターが冬木教会に来るよりも前。私自身もまた、冬木教会にはいなかった。璃正親子二代で冬木教会にいたが、息子の方が代行者になるだとかで出奔することになり私が呼び戻されたのだ。そして老成している璃正の補佐にと、この間シスターがやってきた。
 おおよそ半年ほど前のことだろうか。璃正が冬木教会に配属されるまでは、他に行けるところもなく冬木で過ごしてはいたが―十年ほどだったろうか、それ以上前だったかもしれない。璃正が息子と共に冬木へ配属され、入れ替わるように私は冬木を出た。血の繋がった親子の邪魔はしたくないという気持ちもあり、私は目的のため中東へと赴いていた。日本人らしい色の肌を、目立たぬようにとわざわざ変えて―何年も。その先で、本当に偶然。―偶然、だった。
 魔術協会や聖堂教会の中では、ある魔女についての噂があった。元々魔術協会に所属していた、魔法を扱う魔女の事ではない。どれほど昔から存在しているのかも、どれくらいの規模なのかも、どんな術を持つのかも定かではない、本当に存在しているのかさえあやふやな存在。不老不死の術を知ったとされる魔女―ギリオン・シヴェール。魔術協会から執行者が討伐に向かい、何度も、何人もが返り討ちにあったとか、全て死んでいるだとか、そんな物々しい噂の絶えない伝説のような人物だ。聖堂教会の武闘派である代行者の中でも、協力要請を受けて魔女狩りに参加した者もいるという。噂の内、結果として何人もの執行者が向かい殺すことも捕らえることも出来ていないという事実を除いては、どこまでが本当なのかわからない眉唾ものばかりではあるが―しかし偶然にも遭遇することが出来たならば。私が私の願いを叶えるために、何か有益な情報を持っているのでは無いかと思ったことがある。けれど存在自体怪しい人物だ。積極的に探すつもりはなかった。…だからこれはきっと、天啓なのだろう。
 予定を終えて一泊してから翌日移動しようと宿泊している宿へ足を向けた時、さほど多くは無い人混みの中で目立つ髪色が視界に入った。フラフラとおぼつかない足取りで歩く、前髪で目元を隠した女性。何の気無しに視界の中央に据えれば、何か嫌な予感が背筋を走った。そして歓喜にも似た焦燥。
 禁忌のような扱いになっているギリオン・シヴェールの姿は誰も知らない。噂や空想が入り混じってしまっている上に、対峙した者は生き残っていても記憶を消されているという。なればこそ、私もその特徴的な人物に、今生では全く見覚えがない。―自分が少し、特殊な属性を持っているから、だろうか。考えを巡らせながら、彼女が緩やかなスピードでこちらへ歩いてくるのを待っていた。
 当の彼女は道歩く人々の中で誰と話すでもなく立ち止まっている私に気付いたのか、重なる前髪の隙間から瞳を動かして僅かに視線を上げた。虹のような、ダイアモンドのような、おおよそ目だと思えない不思議な虹彩。
 それを見て。雷に撃たれたように、確信した。

「…あなたがギリオン・シヴェールですか?」
「………」
「ああ、警戒しないでください。確かに私は聖堂教会の神父ではありますが、貴女を捕らえたりするつもりはありません」

 怪訝に眉を寄せ、私の視線よりも少し高い位置にある二つの瞳で見定めるように眺めた。そして律儀にも話を聞いてくれるようで、重心を片足に偏らせて立ち止まった。

「お噂は予々。単刀直入に言いますと、貴女の秘術について興味があるのです」
「…秘術は後継者にみに与えられる。それを君に教えてやる義理も借りも無い」

 やっぱり、とでも言うように面倒そうな息を漏らして女―ギリオンは肩をすくめた。簡単に目的が達成できるとは端から思ってはいなかったが、それならばこちらにもやりようがある。

「では、例えばここで貴女を見逃す代わりに―と言ったら?」
「何の準備もしていないのなら、早々に捕まることは無いと思う。弱点といえば肉弾戦だけど」
「それはそれは。これでも多少、覚えはありますが」
「…君が人間ではない限り、無理だね」

 嘲笑うように目を細めて吐き出された言葉に息を呑む。まさか私の特異な事情を見破ったと言うのか?「どういう意味です?」問うも、ギリオンは口を噤んだ。

「別に、知りたいと言うなら知ればいい。後継者でない限り扱うことは出来ない以上、別に知られて困ることでもないから」
「…―ほう?」
「たださすがに、知りもしない今日たまたま出会った君に話す義理もなければ、時間も言葉もない。ほんの数時間や一日で知れるものでもない」

 頭を掻きけだるげに紡がれる言葉は、仮にも一子相伝の魔術について話しているようには見えない。ギリオンはうーんと唸り、何か考え込み沈黙した。

「君に後継者の資質はないから、私がこの前定めた後継者候補を探すといい。まだ若い子だから、今からなら恩を売っておくこともできるんじゃない」
「…何故」
「私達シヴェールはもはや根源に興味はない。それでもただ、私はこの世の果てが見たい」

 だから我々は存在する。ギリオンはそう打ち切って私の横を通り過ぎた。
 秘術を抱え魔術協会から逃げ回る魔女は、どれほど悪徳な人物かとおもっていたが、随分と―よくわからない人間だった。まるで何百年何千年と生きてきたかのような老成感は、こちらのすべてを見透かされているようだ。
 きっとこちらが早々に武力を持ち出せば、彼女は全ての力を使って排除しただろう。彼女にとって害があるものだけを。ただうして快く彼女の秘術について知る機会を得ることが出来たのは、その違い。
 知れるきっかけが出来たのなら、片手間に追おうではないかと決心したのだ。さほど私の願いに関係がありそうにか感じられなくなったが、彼女の願いは、私にとってまた新たな考えをもたらすのではないかと。

×


 二つの魔術刻印。一つは喰らわれ、一つは喰らっている。まさか、こんな出会い方が出来るとは。いや、まだあくまでも可能性に過ぎない。ギリオンは後継者候補の特徴などは何一つ言っていなかった。けれどこの特異な状況はそうそう生まれるものではないだろう。でも。…それでもきっと、彼女がそうなのだろう。彼女は代行者をやっていた。なんらかの理由で代行者をやめ教会所属をすることになった。その理由が、ギリオンの後継者になったから、だとすれば?
 触れていた手を握りしめ、一息ついたあとシスターを抱き上げた。部屋で寝かせてから璃正に伝えよう。彼も、彼女の顔色が悪いことくらい気付いているだろう。

「…神は未だ、俺の行いを罰しない」

 ならばこれは、正しい行いなのだ。
 シヴェールという魔女を知っていますか。疲労の末の眠りから覚めながらも起き上がれないでいたシスターを甲斐甲斐しく世話した後、ひっそりとそう問いかけた。シスターはあからさまに硬直し、忌々しげに顔をしかめていた。

「…私が…最後に戦ったのが、シヴェールです」

 半年ほど前、居所を掴んだとして協力要請を受けて出向いたのが、かの魔女のもとだったという。―戦った?継承するのに、彼女が納得したのではないのか。

「…追い詰めたの、ですが。―彼女は、ただの人間でした。その魔術はともかく…一瞬、躊躇ってしまったんです。そうしたら…シヴェールは…」
「―無理に話さなくてもいい。こんな話題を振ってすみません」
「…いえ、」

 ベッドの上で今にも倒れそうに顔色を悪くしていくシスターにあわてて制止をかける。…思っていたことと差異があるようだ。魔術刻印と言えば一子相伝が常、後継者と言うのだから、少なからず繋がりがあるのだと―どうやらそうではないらしい。どういうことだろう、そのカラクリこそが、シヴェールを魔女と言わしめる要因なのか。

「…でも、最近…冬木の地に来てからは、これでも随分調子がいいんですよ」
「そうは思えませんが」
「ふふ。…実は、ここへ来るまでは、かなり無理をしました」
「原因はわからないのですか?」

 また、顔に陰りをつくる。

「…おそらくは、魔女の呪い、かと。解呪を試みても浄化を試みても、なにも効かないのです。こんなではもう戦う余裕もなく…でもどうにか、今の暮らし程度の日常生活なら、過ごせるので」
「…。困ったら、なんでも言ってくださいね。出来る限り協力します。私も義父も多少なら魔術の心得がありますので、取り去ることは出来ずとも、もっと快い毎日を送れるようにはできるかもしれません」
「ありがとう、ございます」

 疲れを隠しながら、シスターはふわりと微笑む。…そんな、彼女が、魔女になるのか。





美しい雫


 義父であるこの冬木教会の神父、言峰璃正が死去した。突然死でも病気でもなんでもない、老衰の上での大往生だ。イースターの催しを過ぎてから徐々に体が言うことをきかなくなり、数日ベッドで過ごしてそのまま亡くなった。シスターと、璃正の実息子である綺礼と三人祈りを捧げ、ささやかに執り行われた葬式では璃正を慕っていた信者が多く訪れた。義息子として神父の一人として、式の主催を務める以上は感情を吐露して泣くわけにはいかなかった。―もともと泣くほど悲しいという感情が生まれているかは、さておいて。

「……、あまり泣きすぎると、目元が腫れますよ」

 神父の補佐として、式の最中はこそ気丈に振る舞っていたシスターは、全てが終わり信者たちも帰っていった後、堰を切ったように泣き出した。声は上げず、ただ静かに。
 彼女はここへ来て初めて璃正と会ったはずだ。そして同じ教会で過ごすようになって一年も経っていない。だというのに、どうしてそんなにも涙することが出来るのかと、私には不思議でしかなかった。息子である私も綺礼も、全く涙を流さないのに。

「シスター」
「…もう少し。涙が、止まるまで」

 声をかけてようやく顔を上げたかと思えば、力ない笑みでそう呟いて、また両手を握って祈りを捧げるように俯いた。ぽろぽろと、涙はとめどなくその袖に滲んだ。
きっとこれは、という一人のシスターが心から璃正の死を嘆いているからなのだろう。そういえば前に執り行われた信者の告別式でも、こうして深く涙していた。ただのモーション、世辞のようなものだと思っていたが、どうやら違うらしい。

「…そんなに泣かないで。義父はまさしく天寿を全うし、神の元へ参られたのだから」
「ええ。それは嘆くべきではなく、とても喜ばしきこと。…けれどこの世界の何処かに、こうして最期の姿を見ること無く、二度と会えなくなってしまった人がいる。私は、璃正神父の死を嘆く人と、璃正神父の一抹の心残りを代弁しているのです」
「………、」

 静かに涙するシスターの傍らにしゃがみ込み、何かを言葉にすることも出来ず優しくその肩を抱いた。
 どんな言葉が並ぼうと、行為そのものではなくここまで長く涙を流せるのかは、終ぞ私には理解出来ない。ただ、それでも、彼女の目元から溢れる雫に視線を向ける。

「(綺麗だ)」

はらはらと流れる涙の粒は、これまでに見たどんなものよりも、美しかった。




「…わからんな」
「どうしました、綺礼」
「私は彼女を知っているが…彼女は父と特別親しいわけではないだろう。彼女が私と入れ替わりにここへ配属されて、半年も経っていない」

 棺の前で泣くシスターを眺めていた綺礼がぼそりとつぶやく。その内容は、私が思っていたことと概ね一致していた。

という女は、代行者の中ではそれなりに有名だ。戦闘力はさしたるほどでもないが、ただその洗礼詠唱―浄化の力は、誰よりも強いと」
「…そう、なんですか」
「彼女はそもそも、他の代行者と在り方が違う。通常我々代行者という者は、一般的に知られるキリスト教の”悪魔祓い”ではなく”悪魔殺し”だ。だが奴は…言葉通り、殺すのではなく”浄化”する」

 綺礼は語る。あくまでも私が璃正に教わったのは、ただ魔性のモノを躱す術としての洗礼詠唱。代行者は本来、悪魔を追い払い犠牲者の魂を救うのではなく悪魔を消し去るのが目的だ。…彼女は、そうではないという。

「魔女と戦い呪われたとかで代行者をやめたと聞いたが…彼女なら、呪いくらいディスペルできそうだというのに」
「それほど力の強い魔女だったんですか」
「私は相対していないからわからんが。あのシスターがひれ伏すほどなら、そうなのではないか」

 興味を失ったように綺礼は礼拝堂を出ていった。もう夕方だ、日本の土地柄火葬しなくてはならないため、遺体は安置され翌日再び信者一同が集まり出棺する。火葬場も準備が必要らしい。

「―すみません。情けないところを、見せました」
「いえ。目はちゃんと冷やしてくださいね」
「…ありがとうございます」

 濡らしたタオルを差し出せば。少し怯えたような、様子をうかがう表情でシスターはこちらを見やった。どうかしたのかと首を傾げていれば、彼女は慌てて恥ずかしそうに首を振る。

「いつも、神を信じる者が亡くなった時は、自分でも不思議なくらいに涙が溢れるんです。神の元へ行くのだからそんなに泣くことはないって怒られてしまうんですけど」
「…実は、貴女があんなにも泣いてくれて、私も心が晴れたんです。私は義理でも息子だと言うのに、終ぞ涙は出なかった。式の進行をする必要もありますから、仕方ないとは思っていたんですが。…人との別れに、慣れてしまったのでしょうか」

 はるか昔の記憶を脳裏に浮かべ、視線を外す。するとシスターは数瞬言いよどんだ後、薄く笑った。

「なら、きっとシロウ神父の分も、私は涙を流していたのです。涙を流すだけが、別れを惜しむ形ではありませんよ。神父という立場が無くとも、義息子ならばこそ、独りで立てるのだと、そう璃正神父に見せてやることも大切な事です」
「…なるほど。それもそうですね。…ありがとう、シスター。随分と…心が軽くなりました」
「今日は休んでください。シロウ神父こそ、色々と疲れていると思います。私は泣いていただけなので、今日の雑事は私がやりますよ」

 断ろうと顔を上げるも、シスターは制止を聞かず礼拝堂を出ていった。
 一人、残される。
 支えるため触れた彼女の肩は、布越しなのに随分と冷えているように感じた。慈愛を持って柔らかく微笑む彼女が、あんなにもつめたいのか。