聖なる乙女は愛する人の夢をみるか?


「サーヴァント・ランサー。―救いの呼び声に応じ参りました」

 透き通るような白い髪の女がそう静かに告げた後、目の前で主と仰ぐべき男は口角を歓喜に引きつらせた。





 準備は整った。後は始まるのを待つばかり―だったのだが、何事も素直には行かないらしい。この地ルーマニアで大規模な聖杯戦争が控えていると言うのに、また別のしょぼくれた聖杯戦争の監督に派遣されることになってしまった。元祖とも言える冬木の聖杯に及ぶものは未だ現れたりはしないが、それを参考にしてサーヴァントを呼び出し賞品を奪い合う聖杯戦争…のようなもの、は世界各地で勃発していた。聖杯戦争の存在自体は魔術師ならば知る人ぞ知るだろうが、その構造については通常ならば簡単に知ることなど出来ないのだが、なにせ当の冬木の聖杯は第三次聖杯戦争にてナチス軍により強奪されている。となれば、その首謀者が関わっているだろうことは想像に難くないが―そこら辺を考えるのは自分の役目ではない。

「重要な任が待ち受けているというのに、そんな細々とした仕事も受けるのか」
「今の私が人並に生活出来るのは、何よりも彼らが仕事とお給金を恵んでくれるからですよ」
「…まぁ、いい。我はこのままこの場所で宝具の準備に勤しむ。マスターはしっかり責を果たすがよい」

 尖った耳に身長ほどある長い黒髪、妖艶な相貌―人離れしたその女は、不満そうに息を付きながら粒子となって目の前から消えた。―人ではない。サーヴァントだ。来る聖杯戦争のために召喚した、自分の目的を遂行するための無二のパートナー。
 荷造りを終えたシロウは小さく礼をつぶやくと、教会を出発した。―まさかその先で、出会ってはいけないモノと出会うとも知らずに。

§


 この聖杯戦争モドキは、何か異常だ。先に現場入り本来監督役としていた聖堂教会の神父は、シロウと会うなりそう零した。

「異常、とは」
「元々成功など目論めないの聖杯戦争ではあったが、召喚された三騎のうちすでに二騎倒されているのに聖杯の器に何の変化も見られない。どころか、生き残っているマスターとそのサーヴァントは行方をくらまし、しかしこの街で魂喰いを繰り返している」

 続けられた言葉に眉をひそめる。なるほどそれで、捜索のために自分が派遣されることになったのかと理解しながら、そのマスターとサーヴァントの行動の理由について思考を巡らせる。考えられるのでは、マスターとサーヴァントが何かしら結託する理由が生まれ魂喰いを行っているか、あるいはただの趣味嗜好で魂喰いを行っているか、またサーヴァントを召喚するなりの目的のためにマスターの方が魂喰いを行っているか―などだろうか。考えるだけならいくらでも思いつく。

「今日の夜、二人体制でこのサーヴァント達を探し出し、マスターを排除する。よろしく頼んだ」
「ええ、承知しました」

 特異な経歴を持つ自分も含め、代行者であっても通常サーヴァントを斃すことなど出来ない。故にマスターを排除することで、魂食いと進展しない聖杯戦争を終結させるといったところか。シロウな頷き、仕事の始まる夜へ備えて準備を始めた。

××


 拙い刃が臓腑を抉る。滴る赤い液体はフラスコに注がれ、それを見て男はにんまりと笑った。

「令呪があるとはいえ随分抵抗がないな。ロンギヌスの槍の欠片でどんなサーヴァントが来るかと思っていたが、まさかこんな手弱女とは」
「……」
「君の血は果たして、私の魔術回路を癒やすのだろうか?今のところは、何も変化が見られないが」

 フラスコを揺らしながら男は踵を返した。壁に磔にされ無抵抗のままそれを視界の隅で捉えた。ああ、これは一体どんな状況だっただろうか。そう、確か女はランサーのクラスを冠するサーヴァントで、今はこの亜種聖杯戦争の最後の生き残りだ。召喚された他の二騎は、早々に戦い相打ちとなったためだ。
 本来の聖杯戦争でない以上、万能の願望機を望めないことなど男には考えるまでもないことで、それでもこの戦いに参加したのは”手段を目的とした”からだ。自らの家系が織り継ぐ魔術刻印が代を重ねるごとに弱まっていることを教えられた男は、落ちぶれた家名の―基自分の富と名誉のために、”サーヴァントを使って自らの魔術回路、刻印を癒やす”ことを目論んだ。そのために聖堂教会から聖槍を盗み出し、サーヴァントを召喚するに至った。
 召喚できたことに歓喜したものの、サーヴァントの真名を聞けば耳にしたこともない無名の女。落ちぶれた魔術回路ではサーヴァントの召喚、維持さえ困難なので街で孤児をさらい魂食いによって保ちながら、男はランサーから搾取することに決めた。聖槍の使い手であるならば、何かしら癒やしを使えるはずだと、そう考えて。
 しかしランサーには、特別自己治癒の能力は保たない。サーヴァントという特性上、潤沢な魔力があれば治癒も可能だが―男の用意した魂食いによって得た魔力で、それをするつもりは毛頭ない。痛みを思考から切り離して、ただ嘆くように息を漏らした。

「…―?」

 一瞬の悲鳴。同時にぷつりと切れたマスターとの縁に顔をあげる。バタバタと荒立たしい足音に首を傾げていれば、開け放たれる部屋の扉からの光に目を細めた。

「―……ッ、」

 白髪のカソックを来た男はランサーを見るなり瞠目し息を呑んだ。ゆらりと身体から力を抜き、腰を抜きかけるところで壁に当たりどうにか倒れずに、ゆっくりと近づく。

「…あな、たは」
「……」
「…サーヴァント…?どういう、ことだ」

 ランサーの前に立ち、血に塗れる女を見るその目は混乱に満ちていた。

×


 魂食いの被害者であろう子供の死骸に祈りを捧げながら建物を進む。足音は立てずに、暗殺者のごとく。件の問題を起こしているマスターは、元々異常行動が多かった人物だ。魔術協会としても鼻つまみだったのだろう、聖堂教会から申し立てが来てすぐに討伐許可が降りたらしい。 廊下の向こうから近づく気配に息を潜め、角から様子を見て現れた男の容姿を確認した後、姿を見せるでもなく黒鍵を投擲した。避けることもなく、小さな断末魔と共に喉を切り貫かれ絶命する。一緒にこの場を訪れたもう一人の神父が生死を確認した後、彼は頷き私に次の行動を促すと血の足跡を頼りに一つの部屋に向かった。
 中の気配を探る。微弱だがサーヴァントの気配がする。動く気配はない。そろりと扉を開けば、壁に鎖でつながれた血まみれの女が不思議そうにこちらを見上げていた。その姿を見て思考が停止する。なぜ貴女が。何故君が。今にも力が抜けそうな脚に発破をかけて女に近づいた。

「…マスターは…」
「…っマスターの魔術師は殺しました。…何故貴女は、こんな…ことを、受け入れているのです」

 言っている意味がわからない、とばかりに女は眉をひそめる。つながれた鎖を破壊し彼女を開放しながら答えを待った。

「例え私の意に反することでも、サーヴァントである以上逆らうことはありえません」
「それは…そうかも、しれませんが。でも、こんなこと…人間が請け負う範疇じゃない」
「私はサーヴァントです。人間が背負いきれないことも背負うために、サーヴァントになったのです」

 それは強い意志のこもった言葉だった。…何故、彼女の―シスターの姿で、そんなことをいうんだ。

「貴女はただの人間でしょう…今でこそサーヴァントであっても。元々は…たっだの人間のはずだ」
「…。貴方は、私を知っているのですか?」

 唇を噛んで視線をそらす。彼女の姿は知っている。…けれどこんなことになった彼女のことは知らない。治癒術を施そうと手を差し向ければ、緊縛痕の残る腕でそれを制止された。首を傾げていれば、彼女は悲しげに微笑む。

「必要ありません。魔力は足りていますから、…直に治ります。私に施しはいりません」
「私がそうしたいのだと、言っても?」
「この姿を見れば、確かに治してしまいたいかもしれませんが…」
「私が。…私が、傷ついている貴女を見たくないのです。どうか、治させてください」

 血まみれの手を握って懇願すれば、困った顔ながらも彼女は頷いた。「それが貴方の望みならば」と呟いて。

「監督官として、訪ねます。…何が、あったのですか」
「マスターは魔力が少ない方だったようです。故に魂食いで魔力を供給させたのかと」
「そんなことはどうでもいい。貴女のことです」
「…私は無名のサーヴァントですから。死の間際こそ、私を慕ってくれる方はたくさんいらっしゃいましたが―今はそれよりも前。私の存在など誰も知らないでしょう」

 貴方を除いて、と捕捉する。

「そもマスターは、聖杯戦争やその報奨には興味なく。…サーヴァントという存在を使って、なにか研究をしようとしていたようですよ」
「…概ね理解しました。彼の詳細はこちらで追々調べましょう。…貴女は、どうしますか」
「―魂食いによって、数日現界出来るだけの魔力はありますが…特に何かをするつもりはありません。おとなしくしています」

 そうですか、と零して息をつく。どうしたものか。サーヴァントであるならば、利用するために契約したいところだが―彼女を、利用したくはない。…彼女はこの手で殺したのだ。あの美しい人は、もういないのだ。ああ、これが聖杯戦争、英霊召喚。彼女が魔術師でなかった以上、どうあっても巡り合うことなどないと思っていたのに。二度と会うことは無いだろうと思っていたのに。二度と会わなければ、ただの白昼夢のような想いだったと片付けられたのに。

「…意に反することをさせられて、怒りはしないのですか」
「怒り…怒りですか。そうですねぇ、しません。たまたま私だったというだけのことに、何を憤る必要がありましょうか」
「魂喰い。…無垢な命を、無理矢理奪ったのですよ」
「それは、確かに罰を受けるべきことでしょう。でも。悪とわるいことは必ずしも同じではありません」

 はたり、と彼女の顔を見上げる。血は拭えていないが色良くなった彼女の表情は、凛々しく何の疑問も抱いていない。

「善と悪をどうやって判断するのでしょう。彼は救いを求めていた。だから私は応じました。やり方は確かに、一般的な倫理観からすれば悪逆非道かもしれません。でもマスターには必要なことだった。それをどうして悪と断じれましょうか。
 …世界に悪とは必要なものなのです。なのに、人は罪を持つと主の元へ帰ることは出来ない。…そんなのってあんまりでしょう?だから私は、救いを求めるすべての人々の罪を背負い、受け入れ、私のものとする。そして罪を洗われた人々は、心安らかに主の元へ向かう。それが私の成そうとしている救済です」

 救済。…救済。なんてことを言うのだろうか。私の求めるカタチと全く違うのはこの際どうでもいい。彼女もまた、世界の平和を願う人だったのだ。…それは知っていた。けれどなぜ、彼女は。こんなにも―人の心がないのだろう。

「―そんなもの。全ての罪を背負おうだなんて貴女の傲慢だ。そんなこと、貴女に出来るはずがない」
「…ええ、傲慢です。でもそれでもいい。私はこの道を歩むと決めました。人々がソレを私に求めたのです。世に嘆き救いを求めた人々は、きっと私でなくても良かったのでしょう。それでも、偶然でも、私は求められたのなら応じます。どんなことでも。呵責に苛み天がそれを許さないのなら私が許します。その罪は、私が背負うのです。そうすればその人は許されて然るべきでしょう?」
「…誰かが、そんな貴女を嘆かなかったのですか」

 言うと、彼女はきょとんと呆けた顔をした。そして記憶をめぐり、「いなかったですね」と苦笑する。

「私が聞いたのは全て救いを求めるもの。…私自身のことを嘆く人は、いませんでした」
「貴女を愛そうとする人はいなかったのですか。貴女をただ一人、愛する人は」
「…いませんでしたね。ええ、ただの一人も。私を、何の力ももたないただのしがない女だと―思う人は、いなかった」

 沈黙する。こんなにも美しい人を、愛しいと想う人間がいなかった。彼女が思う救済を、同じように掲げる人はいなかった。…それはなんて、孤独の道だろう。私でさえ、最初立ち上がった時は仲間がいた。彼らを背負ってこそ今の私がいて、今の道を踏みしめる私がいる。だというのに彼女は一人だ。こんなにも細い腕で、体で、世界の全ての罪を背負おうだなんて。

「そんなことを言われたのは始めてです。私を心配する言葉なんて。……そんな目で見ないでください。今の私では、悲しいことに貴方を救うことはできません」
「…私を、救う?」
「はい。貴方が生前の私と出会っていれば―お互いに、きっと救えたと思うのです」
「なにを、」

 彼女は立ち上がり、美しく笑う。

「私をひとりの女として評価したあなた。…なら、ほら。こうしている私の願いをすべて捨てて、あなたに捧げれば、きっと。その燃え盛る情景も、癒すことができる」
「……――ッ」
「また、傲慢だって言われてしまいますね。私がまだこの道に至る前に、貴方に会っていれば…私は、今の私にはならなかったのかもしれません。―ありがとう、シロウ・コトミネ。貴方の夢に希望を。貴方の道に祝福を。貴方の憂いに憐れみを。私を一人の女として扱った貴方を、…いつか私に、救わせてくださいね」

 そう囁いて、彼女は粒子となって消えていった。…霊体化して去ったのだろう。追うことも出来るが、そうすると一緒に来ている神父にも怪しまれるので行動には移せない。
 やはり白昼夢なのだ。…一時の迷いなのだ。私は私の救いなど求めていない。

「…けれど、でも―ああ、貴女が私によって救われるのを、求めている」

 第三魔法の救いではなく。私が勝手に抱いたような形で彼女が幸せにになることを、求めている。彼女が世界の人々ではなく、私一人を愛し慈しんでくれる形を。
 床に広がった血を手のひらで拭う。血まみれた手を眺めて、私はその部屋を去った。





巡り会い、



 縁あって。めったにサーヴァントとしてなど呼ばれないというのに、人理継続保障機関カルデアという所にルーラーとして呼び出された。『あの頃』のことは、当時受肉していたからなのか昨日のことのようによく覚えている。それでも聖杯に願う志は消えないけれども、人理の継続を願うマスターのサーヴァントである今は、ひとまずその願いには蓋をしている。
 マスターが7つの特異点とやらを修復し、無事カルデアの外の世界がもとに戻ってからは、カルデアの職員は誰もがバタバタと慌ただしかった。本来なら様々な場所からの許可がいるレイシフトを状況的に不可能だったとは言え無許可で行ったことやら、多数のマスター候補が仮死状態にあることやらと報告しなければならないことが大量にあるらしい。全く現場を知らない上層部というのはルールに固執しすぎるものだ。
 戦いが終わって、座に帰る英霊も多少はいた。だがマスターが心配だという言葉を建前に、封鎖された空間であっても現世の生活を楽しむためにカルデアに残った英霊も数多くいた。天草四郎も、その一人だ。願望を全面に出していくつもりはさすがにないが、僅かな望みを狙っている。
 そんな中で天草は、目を疑う再会を果たす。『あの頃』殺した少女と、再び相見える事となったのだ。

「はじめまして。聖堂教会、第八秘蹟会所属のといいます。神秘の一つであるあなた方サーヴァントについての調査を行うため参りました」

 ある程度マスター側の指示に従順なサーヴァントがコフィンの前に集められた。所長代行の代行であるダ・ヴィンチ女史、今いるほぼ全てのサーヴァントのマスター藤丸立香、デミ・サーヴァントだというマシュ・キリエライト、そして数名の職員と並んで、そう発言して頭を下げたのは、天草にとってよく知る少女だった。

「前任は先の事故で亡くなってしまいましたので、私はその代理となります。ご協力いただけると幸いです」
「そういうわけで、彼女は言葉通り我々サーヴァントの仕様について等の調査に来た。彼女の所属である聖堂教会っていうのはカルデアのパトロンだから、あまり失礼が無いように頼むぜ。あとはシスターだから、簡単な治癒魔術やカウンセリングもやってくれるそうだ。立香くんやマシュ、他職員たち、それにサーヴァントたちも、もし悩み事があったら彼女を訪れるといい」

 それから今日一日の予定や朝昼夜食の献立、トレーニングルームやシミュレート戦闘のシフトなどを発表された後、朝会は解散となった。数多の英霊たちが一般人じみた行為に従っているのはどこか滑稽だが、各々楽しんでいるらしいのでいいんだろう。
 同じルーラーであるジャンヌ・ダルクを始め、人好きのサーヴァントが幾名かあのシスターに歩み寄った。挨拶を交わし、サーヴァントに対する調査の先達を自ら名乗り出ているようだ。

「では、私からということでいいですか?」
「ありがたいです。一日に五名程度を上限に、順にインタビューしていくつもりでしたけど、やっぱり初対面の方にこちらから突然お邪魔するのは気が引けちゃいますね。準備もありますので、また後でお部屋に伺います」
「いえ、私が出向きますよ。こんな場所ですから、ぜひ仲良くしたいですし」

 にこやかに友好を深めようとするジャンヌに、シスターは照れながら微笑んだ。
 あの笑みは穢されていない、純粋な『彼女』のものだ。開きかけた唇を閉じ、天草は踵を返しホールを出た。

×


 救いを求める声というのは、いつでも私に付き纏っていた。

 そもそもわたしが代行者になったのは何故だったか。今でこそ聖堂教会に属しているが、元々は普通の教会で暮らす子供だった。親はいた。経済難で里子に出したというがこまめに顔を見せてくれたものだ。
 …ああ、でもたしか、そう。私が迎え入れた、とあるおとこのひと。ボロ布で身を隠していたそのヒトは、後に知ったものの死徒というものだった。…だった、けれど、そのヒトはひどく憂いていた。いままでに殺してしまったひとのこと、そうなるまでに見捨ててきたもの。いろんなことに、後悔をしていた。

「人として死にたい」

 おとこはそう言った。私に何が出来るだろう、そう思って、

「…―憂う魂に祝福を」

 両手を握りしめて祈りを捧げた。すると男は数瞬驚いた顔をして、あおい炎に包まれて燃え果てた。呆然とする私とその灰を見た神父様が、私を聖堂教会へとやったのだ。それからはひたすらに戦闘訓練。血反吐を吐くような日々だったが、不思議と辛くはなかった。きっとこの道の先に、まだ象れていない私の願いがあるのだとわかったから。
 ―それでも私に救世主のような力はない。私はただの小娘に過ぎない。だというのに、偶然が重なって手を差し伸べただけのヒトは、私に救いと慈悲を求めた。それを求めるべきは私ではなくて、天上の主だろうに。そうは思っても見捨てることはできなかった。そこで私は考え方を変えた。私は神の代行者である。ならばそもこの淘汰は神の手による救いである。…ならば私の手で神の元へ送ることこそ、救いになるのではないかと―確か、そう思ったのだ。
 …けれど結局、救うことはできなかった。なぜなら私は救世主ではない。秘蹟を守る代行者に過ぎない。ただの人間なのだ。でも、それでも、目の前でこぼれていく命があるのに、耐えられなかった。割り切ることが出来ず日々心は擦り切れていく。…そんな姿を見られたのか、私は代行者の任を解かれた。それでも私の能力は評価してくれていたので休業という形で。その間、私は第八秘蹟会の仕事を手伝うことになった。聖堂教会が出資している研究団体へ、研究進行の調査と職員のカウンセリングに。ある程度自衛の戦闘力が必要な任だと言う。
 雪山の上へたどり着いてから始めて仕事内容の詳細が書かれた書類を読んだ。サーヴァント。…聞いたことはある。聖杯戦争だとか、そういうもの。日本を根城にしている魔術の大家が作り上げた願望器を奪い合う戦い。
 願望器にさしたる興味はないが、名立たる英雄がいるのならば、私の願いもわかるだろうか。

×


「ええと、天草四郎時貞、さん」
「はい。間違いありません」

 二人目の面談の時間だ。直前には同じルーラーのクラスだというかの救国の聖女ジャンヌ・ダルクと話をしていた。ルーラーというクラスの特性や他のクラスに対する権利、そしてジャンヌ自身の能力。そういったことをを聞き取り、今後行われるかもしれない聖杯戦争にて聖堂教会が秘蹟を守る立場として活用するための調査である。カルデアには100を超える英霊がいるので、この調査だけで潤沢な情報が得られそうだ。
 そして二人目の天草四郎は、名前からして日本児であるはずなのにどうにも見目が日本人離れしている。当時の日本人はこんなものだったのだろうか。

「宝具には物体そのものが宝具の場合と概念結晶の場合があります。物体そのもので有名なのはそうですね、騎士王の聖剣エクスカリバーなどでしょうか。概念結晶は、私の両腕がまさにそうです。生前はちょっと便利な魔術回路の腕って程度だったのですが、死後に私を信仰してくださった方々のお陰で、もっと便利なものになっています」
「なるほど…。あの、見せていただいても?」
「―構いませんよ」

 彼が私を見る目には、何か含みがある。見透かしているような、私の知らないことも知っていると言わんばかりの、慈しみに満ちた瞳。視線が合う度にぞくりと背筋が冷えてしまう。
 …彼の両腕を覗くが、その褐色の手には何かそれらしいものは見えない。そうこぼせば「そうでしょうねぇ」と彼はなごやかに苦笑していた。その間もずっと、私から目を逸らさない。今まで感じたことのない意味を込められた視線。…どこか、恐ろしい。私の今までの全てが、崩されてしまいそうだ。

「…天草さんは日本人ですよね?その髪と肌の色は元からですか?」
「以前、ある聖杯戦争に喚ばれた事がありまして。その時、勝利はしませんでしたが聖杯に触れたのです。その時に数年ほど受肉しましてね。髪は受肉で少し無理を通した結果です」
「では、肌は?」
「色々やんちゃしたんですよ」

 そう笑う姿はどうにも達観していてる。見目が大きく変わるなど大層なことだろうにまるでなんでもないかのように。なるほどとつられて笑むが、続いて何を問えばいいかわからない。

「シロウ・コトミネという人物を知っていますか?」

 僅かな沈黙を破って、天草四郎はそう口にした。記憶を探って首を振れば、彼はにこりと笑ってまた別の質問を投げる。それは今までの会話とは何の関係も無いことだ。「恋人はいらっしゃるんですか?」などと。

「シスターのような綺麗な女性なら引く手数多でしょうに」
「……そう言われたのは初めてです」
「ええ。ですから私が言おうと思いまして」

 また首をかしげる。

「そういえば、シスターは何故カルデアに?代行者をやっていたのでしょう、どこか体調を崩されたのですか?」
「いえ、ただ自衛としての戦闘能力を―…」

 言葉を止める。…私はこの地に来てから代行者をやっていたことなど誰にも話していない。何故知っているのか怪訝に問うが、どこ吹く風で「元から知っていただけです」と飄々として答えた。

「カルデアに召喚される前から知っているんです、俺は、貴女のことを」
「…どういう、意味ですか」
「言葉通りの意味ですよ。先程も言ったでしょう、俺はある場所で召喚され、聖杯に触れ受肉した。そこで君と出会った」
「―それは、私ではありません」

 机の上で立てた腕、両指を絡めて握った手で口元を隠しながら彼はにこりと笑う。

「ええ。今こうして俺の目の前にいる貴女ではない。なにせ私が殺しましたから」
「…な、んで…」
「さぁ、なんででしょうねぇ。どうして私に殺させたのかはわかりませんが」

 表情を崩さず返す彼に恐ろしさを覚えて、私は椅子を離れて踵を返した。

「二度ならず、三度までも」
「…え…?」
「白昼夢だと思ったんです。一時の夢だと。二回目までは、それで片付けようとした。でもまた貴女に会いました。二度とも逃げられましたが、今度は逃しません」

 彼も椅子から立ち上がり、顔つきは優しい笑顔のままそう告げた。二度?…殺したと言っていたのに、二度会った?…彼の言っている意味がわからない。


「命をとるわけではないので、そんな怖い顔をしないでください。ただ俺は、貴女がほしい」
「…は、」
「…今日はここまでにしておきましょうか。では、また」

 ゆるりと手を振って、彼は霊体と変わって目の前から掻き消えた。
 ―彼は私に何を求めているのだ。初めて向けられるものばかりで頭が混乱してしまう。こんな言葉は、きいたことがない。





物語はかくも!



 All the world's a stage And all the men and women merely players. ―この世は舞台であり、人はすべからく役者である。

 この私を召喚した者ではなくとも、物語に惹かれマスターと仰ぐこの少年も、例にもれず役者の一人。しかもこれ以上ない喜劇悲劇のタネである、恋の物語の主人公も兼ねているのだから、私が眠気をおしてでも鑑賞したくなるのは仕方がないというものだろう。なにせ願いを叶える冒険物語ならば、主人公の協力者である”私”も呼び出してもらえるのだが、あの恋物語は逐一彼を観察して言葉の端々にある恋のページをかき集めなければ、読むことは叶わないのだから。
 恋する相手を知っているのは、その権限を持って舞台である聖杯戦争のかなり前のうちに召喚されていた女帝だけだろう。しかしそれとなく話を振っても当の女帝は怪訝に美しい顔を歪ませるだけ、より詳しい詳細を知ることは難しい。主人公たる神父に聞こうものなら、あの屈託のないように見える笑みではぐらかされることだろう。
 The barge she sat in, like a burnish'd throne, Burn'd on the water. For her own person,It beggar'd all description. ―女王の乗った船は磨き上げられた玉座のごとく、湖の上で燃えるように輝いていた。女はというと、筆舌に尽くしがたく―。
 今までに読み取った断片だけで推測するなら、その女性は大層美しく、故にこそ魔女の呪いにかかり命を落とした、というところ。それだけならばどこにでもありそうな三文芝居、つまらない茶番劇だ。しかし私がこの恋物語に期待する理由はただ一つ、主人公が”あの”神父だからに他ならない。願いを叶えるため、それに至るために人として大切なものを捨てた男。喜び、怒り、哀しみ。それらを殺した男が抱いた感情に、背景に、興味を持つなという方が無理なものだ。

「―おや?」

 マスターたる神父は、多少構成要素におかしなところはあったとしても人間であるゆえに、ただ生きるために栄養の摂取、つまるところ食事が必要である。そんな必要最低限のことにさえあまり興味を持たず、質素も質素な食事を摂る神父は珍しく、今朝には昨日買ってきていたバゲットを焼いてジャムを塗って食べていた。簡素に過ぎない食事で間違いないだろう、しかし神父にしては珍しいのだ。どこがというと、ジャムなどという嗜好品、彼の出自からすれば高級品の可能性すらあるものをつけているあたりである。

「…何か?」
「いえいえ、お気になさらず」

 にこやかに返すが、ここで言葉を止める私ではない。"マスターがジャムを付けて食べているなど珍しい"とそのまま言えば、神父は目を瞠って動きを止めた。そんな彼の正面の席に腰掛けると、ほころぶ顔を隠しもせず神父を観察し、恋物語の断片をかき集める。

「いけませんか?」
「悪いとは少しも思ってはおりません。しかしですなぁ、やはり普段の貴方を見ていれば、"珍しい"と思っても仕方がないでしょう?」
「……」

 私が恋物語を所望していることに感づいたのだろう、どこか面倒そうに眉根を寄せて、食べかけのパンを一口頬張る。

「貴方に、私のことをあまり詮索するな、と命令できたら楽なのですが」
「詮索などとはとんでもない。命令されても効きませんぞ、私はただ物語を読もうとしているだけですからな」
「…はぁ。貴方がこちら側なのは感謝していますが、そういうところが面倒です」

 他人にとって私の特性が迷惑なのは重々承知である。だれだって自分の過去を知られるのが好きな者はそういないだろう。自己主張の激しい者でも、知られたくない秘密くらいあるものだ。それでも控えようと思わないのは、物語を愛する私だからこそ。たとえそれで今生が終わろうとも、最後まで観劇するだろう。

「The course of true love never did run smooth.―真実の恋ほど、成就に苦難が邪魔するもの。
 だからこそ、さもありなん。貴方しか知らない真実の恋、私に話してみる気は―」
「ありません」

 ため息とともに、食事を終えた神父が立ち上がる。皿を持ち、数歩歩いた先にあるシンクへと運ぶ。
 しかし甘いですぞマスター。それらしくいうならば、『かかったな』。

「ほう、ほう。真実の恋であることは否定しないのですな」
「――キャスター」
「おっと怒らないで頂きたい。そうも触れられたくないことなのはわかっています」

 あの神父が!怒ることなど早々ないだろうが、確かにごく僅かな怒り、あるいは憎悪が見えた。悲しきかな、それこそ恋の断片である。

「マスターが焦がれた女性はどれほど美しかったのでしょうなぁ。そしてマスターの手でどれほど恥辱にまみれ、どれほどの悲運に見舞われたのか、今これほど興味が惹かれるものはありますまい!」
「私は何もしていません。殺しただけです。もういいですかキャスター」

 そう言って神父は私の返事も聞かないまま、皿を洗って濡れた手をハンカチで拭きながらダイニングキッチンを出ていった。どれほど年を経ても成長しない精神性というのは、彼の特性なのかそれともーーーーーーゆえのことなのか。
 事情はどうあれ愛しく思う女を手ずから殺す男が、一体この世にどれほどいただろう。そしてそれが面白くない劇であることがどれほど稀か。期待に胸が躍る。

§



 How should I your true love know. From another one.―貴方の本当の恋人かどうか、どうして分かるというのだろう。

 このカルデアという場所に召喚されても、悔しくも最後まで読み切れなかった物語の記憶はよく覚えている。かの恋物語もそうだ。あの時触れてから彼は頑なにその断片を隠してしまったものだから、もう一つの物語が佳境に入ったこともあってその後を追うことも出来ず仕舞い。これほどやる気を無くすことは無いだろう。
 しかしこの場所は特異なもので、たった一人のマスターが何人ものサーヴァントを従えているような場所だ。しかも全員が味方である。本来は裁定者を入れても八騎、知っている最多でも十六騎だったというのに総勢一〇〇以上。人理修復という崇高な目的があったとしても、この数は異常に見える。それを可能にしている施設もマスターも、目が回るほど壮大な物語を抱えている。
 そして新たに胸躍ったのは、ひとまずの人理修復を終えてんてこ舞いの中やってきた、我々サーヴァントについて記録するためにやってきたという一人の女性。身なりと所属からして聖職者、シスターというやつだ。濁っても見えるロードクロサイト。薔薇の名を関する別名を持ったあの宝石のような女性だ。
 彼女を見たときのかつてのマスターの顔と言ったらこれ以上無いほど。『これから物語を紡ぎます』と言わんばかりのものだった。なるほど彼女が、あの頃の私にとってのクレオパトラ。言葉に出来ない美しさを誇った謎の女性と、願いを掲げる裁定者のサーヴァントの恋物語。期待せずにはいられまい。
 Now is the winter of our discontent Made glorious summer by this sun of York; ―今や不満の冬も終え、ヨークの太陽が輝かしき夏をもたらした。
 それは私にとってなのか、かの裁定者にとってなのかは、濁したほうがそれらしく見えるというものだろう。