The fast step is allways the herdest.

After a storm comes a calm.



 ため息を堪えながら帰路を歩く。昨日は家に帰れていないので家で待つ家族がとても恋しい。
 クランスピア社の社長となってからそれなりに経ち仕事にも慣れてきたが、ヴェルからの提案や他社からの提携希望、情勢に応じた新展開諸々に時間を取られていたためにかなり忙しい毎日を送っていた。分史世界関連の業務に従事するために古くからあったというクランスピア社は、それでもビズリーがその手腕で先代から見違えるように大きくしたらしい。それまで秘密結社として裏での活動ばかりだったのが、ビズリーの代から表社会にも有名な会社に成長したのだ。
 いくら事情を知ったヴェルが残っていると言っても、まともな引き継ぎもなく社長に任命されてはわかるものもわからず、最初の一年は今よりも右往左往していた事を思えば、数日帰れないことくらいどうってことはない。
 …どうってことはない、が、やはり単純に疲れる。
 四人で暮らすマンションに帰り着けば、敷地の庭先でプランターに水をやっていたユリウスが軽く手を上げて迎えてくれた。一緒に部屋へ向かうと、丁度食事を準備していたらしいも優しく微笑んだ。風呂にも入りたいがひとまず栄養を、と出来たてのトマトリゾットを食べる。ピューレだけでなく、アルヴィンから安く仕入れたというトマトも入っていてとても美味い。

「そういえばエルは?もう学校終わってる時間だろ」
「エルは今日に勉強を教えてもらうって」

 へえ、と納得し食事を再開する。丁寧に作られた副菜に心を和ませていると、ユリウスが思い出したようにテレビの電源を入れた。映し出された映像はよく見るニュース番組で、ここ数日で俺が済ませたクランスピア社と他社の業務提携のことだとか、新規開拓事業のこと、リーゼ・マクシアの情勢や共和条約のこと。それから―

『源霊匣研究の第一人者マティス博士が、ついに源霊匣を完成させたとの速報が入りました。現段階では試作の状態であり、試用の後順次一般公開へ向けて準備をしていくとのことです。
 つきまして、リーゼ・マクシアとエレンピオス両国において試用者の募集を行う予定があることも発表されました。条件などの詳細は未だ不明ですが、出来る限り迅速に対応していくと―』

 源霊匣完成の速報。最後の一口をスプーンに載せたまま呆けていれば、同時に俺のGHSがけたたましく鳴り響く。相手はヴェルだ。今の速報を聞いて、源霊匣研究に一番資金援助をしているクランスピア社宛に試用者募集に関しての問い合わせが殺到しているという。
 完成が近いという話は聞いていたし、その時はクランスピア社が先導する形で商品化していくという口約束はしていたが、あくまでも友人同士の語らいに近く詳細は何も決めていない。

「とりあえず全員リストにしてくれ。俺は俺でジュードと連絡を取るから、それに関してはジュードたちに任せるしかない」

ひとまずの対処を頼み通話を切ると、とユリウスが嬉しそうに、けれどどこか複雑そうに苦笑していた。首を傾げれば、二人は顔を合わせ困り顔で俺を見る。

「いや、ルドガーが家に仕事を持ち込むことは滅多になかったからな…」
「ちょっと前まではどうしようどうしようって泣きそうにしてたのに…なんだか新鮮」
「……いろいろ言いたいことはあるけど。とりあえず、俺別に泣きそうにしてない」

 そうだったかしらと笑う二人にため息を付いて、ようやくトマトリゾットの最後の一口を口へ放り込んだ。
 しっかり休息をとった翌日、本当なら働き詰めだった分を休まなくてはいけないのだが、昨日の源霊匣に関する一件で出勤しなくてはいけなくなった。朝になってが作ってくれたおにぎりを食べながら、ユリウスと共にマンションを出る。
 エルたちと共にカナンの地へたどり着いたあの後、ユリウスはクランスピア社エージェントを引退し隠居していたのだが、『流石にルドガーに養われるのは兄としてのプライドが…』とのことで、現在は技術職特別顧問として再びクランスピアで働いている。元々GHSの小型化やらで技術系統には詳しかったのと、エージェントとしての仕事がなくなったことでここ数年のクランスピア製の黒匣アイテムの高性能化は著しく進んでいた。最近では源霊匣のデザインを考えているなどと言っていたか。
 社ビルに到着すると、受付で待っていたヴェルが俺に続き報告を聞きながら社長室へ向かう。

「昨日の件で女史が社長とお話したいと。会議等の先約がありましたが、急を要すると判断し予定を調整しました。すでに社長室でお待ちです」

社長室へ辿り着くと、応接ソファに座っている見覚えのある女性―が、少し疲れ気味の顔でこちらを見やった。資本会社の社長への挨拶という形式的な一礼も程々に俺が苦笑を投げれば、は両手で顔のマッサージをしながら長い溜息をついた。

「完成間近って話は聞いてたけど…」
「レイアがうっかり漏らしたみたい。本当に昨日一昨日の話で…私もジュードもしっかり休んでから、改めて試用者募集の件とかについて考えるつもりだったんだけど」

 お茶請けを出しながら大変だなぁと彼女を労えば、は「ルドガーもね」と肩を竦める。

「正式に研究所からの発表と合わせて試用者募集の件と、量産化に向けて…その…」
「昨日からずっとうちに問い合わせの電話があって、応募者はもう名簿にしてもらってる。

 それから資金は別口で確保してるから、遠慮なく言ってくれ」

「ありがと〜…!」

 手を合わせながら深く頭を下げるに困惑しながら、社内用GHSでヴェルに応募者名簿を持って来るよう頼み、待っている間に雑談を交わす。レイアに頼んでジュードとが結婚するという事を発表してからかなり時間が経っているが、あの話はどうなったのか?問えば、複雑な顔で唸った。

「私もジュードも研究研究でそれどころじゃないっていうか…」
「昔からそんな感じだったよな」
「…でも、源霊匣が一般公開できるようになったら、とは考えてるよ。私のことよりルドガーは?さんの怪我、大丈夫なの?」
「日常生活には元々問題ないよ。激しい運動とか戦闘はよくないってくらいで…旅の時は、無理して戦っていたみたいだけど」
「そっか…。ねぇ、前から思ってたんだけど、さんに源霊匣の試用を頼めないかな?」
「…がいいって言えば、俺は…いいけど…」

 全く良さそうじゃないけど、とが苦笑する。現時点では戦うことが出来ないからと専業主婦をしてもらっているが、それが解消されてしまえば、ユリウスのように俺に養われるのは―と働きたがるかもしれない。危険のない仕事ならばいいが、それでもあまり外出が多くなればどうしても不安が残る。それを正直に話せば、も難しい顔で考え込んだ。

「そういう気持ちもわからなくはないけど…あんまり束縛しすぎると嫌われちゃうよ」
「わ、わかってるけど」
「まぁ無理にとは言わないよ。さんの気持ちも重要だけど、ルドガーの精神安寧もね」
「…ああ」

 どこか雰囲気が落ち込んでしまい沈黙したところでヴェルが到着し、は書類を受け取って社ビルを出た。
 一人になった社長室での事を考える。結婚した今でもわからないことばかりで、俺を見る目も男としてというより弟としてというのが抜けていない気がする。もやもやとする感情に歯噛みしながら、元々の休日に戻るため俺もマンションへと戻った。
 部屋に戻り、待っているはずのに源霊匣試用の件を話そうかと思えば、買い出しにでも行っているのか誰もいなかった。書き置きもなく、どうしてか漠然と不安になる。

「ルドガー?帰っていたのね、おかえりなさい」
…!」

 思わず抱きついてしまいそうになるのを押し留め、ただいまと返す。不思議そうに肩を竦めるを椅子に座らせて、先程から打診された件について話せば、は少し考えた後顔を上げた。

「ルドガーがいいと言うなら、私は構わないわ」
「…なんで俺」
「だって、ルドガー嫌そうだから。…嫌がる理由も、わからないでもないしね」

 気まずくなって、眉を下げるから視線を外す。道を踏み外した―あえてそう表現する―未来の姿を思えば、俺が考えていることなんてお見通しなのだろう。

「俺は…その。日常生活に問題はないと言っても、鍋や洗濯カゴ持つのにも苦労しているのはわかってるから、それを思うと源霊匣を使ってほしいとは思う。でも…怪我がなくなれば、やっぱり…俺に養われたくないとか、働きたいとか、思うだろ」
「奥さんになったのだし、養われたくないなんて思ってないけど。…でも、そこまで心配することかしら。信用ない?」
「信用、っていうか。…ただ俺が不安なだけ、だけどさ」
信用していないとかではない。は二度も俺の目の前から消えた。あの光景を思い出すとどうしてもそれを恐れてしまうのだ。沈黙で返せば、は一つ息をこぼして。
「わかった。ルドガーがそういう風に思っているなら、私は怪我が完治しても働きに出たりはしない」
「怒らないのか」
「どうして?心配してくれているんでしょう?エージェントの特殊任務がないって言っても、私だっていつもルドガーがちゃんと無事でいるかって心配してるもの。同じことでしょ」

 それじゃあ食事の準備をしなくちゃね、と手を叩いて立ち上がるに手伝いを申し出れば、疲れてるのだからと再びソファに座らされる。

、」
「大丈夫。何の心配もいらないから」

唇に指をあててウインクする彼女は、やはり俺を弟のように思うのが抜けないのだろうか。





雨降って地固まる
 





The fast step is allways the herdest.

Second thoughts are best.



 ニュースで源霊匣の完成や試用者の募集が正式に発表され、クランスピア社が窓口となったおかげでコールセンターは大忙しだそうだ。そんな中、社長室で書類に判子を推し続けていると、窓を開けていない部屋の中が僅かにそよいだ。

「精が出るなルドガー。忙しそうで何よりだ」
「…クレミア!?どうしてこんなところに」

 突如現れデスクに腰掛けているクレミアは、軽く手を振ると腕を組んだ。彼女はまた一言では説明出来ない人物だが、過去の旅で力を貸してくれた相手だ。 今は気軽に会うことの出来ないミラという友人に手紙を届けてくれるのだが、逆に言えばそれくらいでしかここへは滅多に姿を見せないのだが。なにか嫌な予感がする。

「クランスピア社社長でありトップエージェント、ヴィクトルの名を冠するルドガーに協力を願いたくてな。それでわざわざここまで来たのだ」
「クレミアが…俺に?やアーストじゃダメなのか」
「あの二人でもさすがに戦力不足―というか、単純に人手と役割だ。クルスニク一族から骸殻を回収したが、あの能力を受けられる体質は残っているからな」
「本当に不穏だな」
「まぁそう言うな。できればすぐに来てほしい、場所はマクスバードだ」

 それだけ言ってまたそよ風と共に姿を消す。残る仕事に思わずため息をついた。
 ヴェルに断りを入れてマクスバードへ向かう。帰りがいつになるかわからないのでに連絡をしようと思えば繋がらず、仕方なくショートメールで伝えてGHSを仕舞った。

「早かったな」
「急ぎだなんて言うからだろ」

マクスバードには既にアーストとアルヴィン、レイア、エリーゼ、ユリウス、そしてクレミアという面々が揃っていた。とジュードはさすがに忙しく抜けられないとのことだ。

「まず貴様らに報告だ。―オリジンによる分史世界の消去がほぼ完了した」
「…!」
「待て、ほぼ、という事はまだ―」
「ああ。残す所あとひとつ」

 腕を組み肩をすくめながら、クレミアは説明を続ける。
 そもそもオリジンは魂の浄化を行っており、その傍らで分史世界を消去していた。この正史世界ではクレミアがクルスニク一族からすべての骸殻能力を回収したが、分史世界はそうもいかない。
 現れぬカナンの地を求め、数多のエージェントたちがその力を使い果たし時歪の因子と化し、分史世界は増え続けていたのだという。おまけに世界が消滅し輪廻の流れに戻った魂を浄化し本来の大きさに戻すということもしていたために、一年以上の時間がかかったらしい。

「それでもようやく終りが見えた。で、この最後の分史世界―…これが厄介でな。僅差も震度もかなり違いはあるのだが…作り出した骸殻能力者が問題だ」
「作り出した?」
「ああ。この分史世界は、貴様らもよく知る…が最初に作り出した分史世界だ」

 話を聞けば。
 クルスニクの鍵の力で分史世界を破壊せずに渡り歩いていたは、かといってその代償から逃れることは出来ず。…いつのときか、時歪の因子と成ったらしい。…けれど、そこからも逃げて、逃げて―。

「だったらも一緒に来たほうが良かったんじゃ?」
「いや、むしろ今のが分史世界に赴けばどうなるかわからん。最悪即座に時歪の因子がに戻って来る場合もある」

 そうなればさしもの私でもどうにもできん、と視線を逸し、クレミアは一度押し黙った。…クレミアは、クルスニク一族の骸殻能力の回収と共に、俺がを迎えに行った後、からもその能力を回収した。本来俺よりも歳上なはずなのに、一般的に考えられる成長度合いよりが幼いのは、時歪の因子と化して―それから逃げ回っている頃は、死人も同然。故に成長していなかったのだとか。
 どうあっても、今のは骸殻能力も鍵の能力も持たないただの人間だ。…それはだけじゃない、俺もだ。

「どうやって分史世界の破壊を?俺たちクルスニク一族は…」
「うむ、次はそこの話だ」

 そう言って取り出したのは、どこか見覚えのある歯車。確かアレは、旅の間が持っていたものではないだろうか。問えばクレミアは頷いた。

に渡していたのは、分史世界への進入及び破壊のみを可能にするミニチュアの槍だったが、これはクルスニクの時計そのものだ。ただ違うのは、時歪の因子化しないこと」
「…本当になんの代償もなく、あれだけの力が使えると?」

 淡々と告げるクレミアに、ユリウスが訝しげな視線を向ける。彼女は肩をすくめて小さく笑うとちらりと俺を見やった。「もちろん、代償はあるとも」―当然だろう、と皮肉るように返し、それからクレミアは目を細めた。

「代償―それは、使用者の命だ」
「そんなもの…!」
「とは言っても、時歪の因子化するように目に見えて命が削られるわけではないよ。体にかかる負荷、その見極めさえ間違えなければ、どう短く見積もってもヴィクトルよりは遥かに長生きする」

 ―つまりは、人間が日々行っているような運動と同じだけの代謝が行われ、その分の寿命が比例して削られる。そう言えば聞こえは悪いが、ほぼノーリスクと同義だ。骸殻能力が人間を毛嫌いしているクロノス由縁の能力であることを考えればどうにも不安が残るが、クレミアによれば滔々と説教してどうにかもぎ取ったものらしいので、ここはクレミアを信用するべきだろう。

「ただし過信や油断、使いすぎは禁物だ。本当に必要なときだけ使うようにしろ」
「わかった」
「よし。…では、任せたぞ。分史世界へ―」

 歯車の付いた槍を受け取ると、それは俺と同化するように身に消えた。違和感もなく変化もわからないが、ぎゅっと拳を握りしめて目的の分史世界へと進入した。





念には念を入れよ
 





The fast step is allways the herdest.

Fact is stranger than fiction.



 が最初に作り出した分史世界。そこは緑が生い茂った豊かな世界だった。俺が彼女を迎えに行った時の世界と同じような、沢山の人が笑っている幸せに満ちた場所。
 ただそこには、がいなかった。―当然だろう、時歪の因子であるが別の分史世界へ移動してしまったのだから。だけど、そうじゃなくて。俺も、いなかった。ユリウスもいなかった。何かしらの事故や事件に巻き込まれて命を落としたのではなく、最初からその世界に俺やユリウスは存在しなかったのだ。そんな中で、ルルによく似た野良猫に時歪の因子反応があって。心を痛めながらも、俺達は無事正史世界に帰還した。
 クレミアの労いもそこそこに、俺は自宅へと帰る。迎えてくれたは、沈んだ表情の俺に心配そうに眉を下げていた。話さないほうがいいだろうとは思ったがどうしてもモヤモヤが晴れず、ぼそぼそと事の次第を話せば、は悲痛な顔をしてから俯いてしまった。

「……ずっと、思ってたことがあるんだけどさ」
「なぁに?」
は、その。…俺のこと、嫌いなのか」

 そんな言葉に、は丸く目を見開いて唖然とした。どうしてそんなこと、と震える唇で零す。

「今まで思い返してみると、……俺が存在しない分史世界があったんだ。そして俺がいても、がいない。…俺とが、普通に一緒に成長する世界を見たことがない」
「それはっ!それは…、私とルドガーが、本来…一緒にいられないはず、だったから」

 顔を上げて首を傾げれば、は泣きそうな声で、手で顔を隠しながら少しずつこぼしていく。

「自分が夢見た理想のはずの世界でさえ…っ、私とルドガーが、こうやって…!私が、こんな大きくなったルドガーを見ることはできないの…っ!」
「…そんな」
「私は本来、本当なら、あの時間違いなく死ぬ運命だった。…きっと、そうじゃないと、エルというクルスニクの鍵が存在できないから。…だから…っ」

 私は今でも、死人も同然なのだと、は叫ぶように紡ぐ。小さな肩が震えていて、俺は慌ててその身を抱き寄せる。
 …強がっていても、正しい年齢が俺より年上でも、今のは俺よりも年下だ。一度時歪の因子になってから、それこそ死人のように肉体の成長が止まってしまった。きっと時間という感覚がなくなって、精神の成長も停滞してしまっていたのだろう。
 昔はあんなに立派に見えた彼女が、こんなにも。俺の腕の中にすっぽりと収まる程小さい。

「…俺が変なこと言った。ごめん」
「……いいえ」
「……でも俺には、の気持ちが伝わってこない」

 するりと頬を撫でて涙を拭う。先ほどとは違いきょとんとしているに微笑みかけて、もう一度優しく抱き締めた。

「だから、ちゃんと教えて。俺とが一緒にいられない現実なんて、もう過去のことだ。こうやって、今、一緒にいるんだから」
「…ル…ドガー…?」
「夫婦には、なったけど。恋人同士には、まだなってない。だから」

 耳元に口を寄せて、どこか熱をもった肌に触れて―

「ただいま〜!!…あれ?ルドガーももなにしてるの?」
「…っ、っいや、なんでも…ないよ」
「?」

 自分の中の一線を踏み越えそうになった瞬間、エルが帰ってきた。の肩を掴んで身を離し、慌ててごまかす。首を傾げながらも自室に入っていったエルを見送り、深く息を吐き出した。

「ごめん、。びっくりさせ…?」
「…っあ、う、ううん、なんでもないの。大丈夫よ。え、エルも帰ってきたし、ご飯、作らないとね」

 それまで黙り込んでいたは、顔を真赤に染め上げて硬直していた。声をかけたことでハッとして背を向けてしまったが、伝播するように俺の顔も熱くなって。

「…何してるんだ、ルドガー」
「……なんでも、ない…っ!」

 エルに遅れてほぼ一緒に帰ってきていたらしいユリウスが、怪訝な顔で俺を見下ろした。





(事実は小説より奇なり)
 





The fast step is allways the herdest.

Good fortune and happiness will come to the home of those who smile.


 そろそろ自立しようと思うんだ。ユリウスはまるで明日の天気は雨だぞとでも言うようにそう口にした。間抜けた声とともに、箸の先から摘まんだトマトがべちゃりと皿の上に落ちた。

「あの旅から一年経って、俺もお前のお陰で仕事に戻れた。いつまでも弟の脛をかじって過ごすのはな」
「だから兄さんにはちゃんと食費いれてもらってるだろ」
「そうだけど、そうじゃなくて。ほら、と結婚してからも、色々バタバタしてゆっくり出来なかっただろ。本当はもう少し前に言うつもりだったんだがな」

 苦笑しながらの作ったリゾットを口に運ぶユリウスは、どこか恥ずかしげだ。

「エルとも相談して、このマンションの下の階に、俺とエルは転居するよ」
「なん…で、そんな勝手に」
「勝手にじゃないさ。エルとも、とも相談してたことなんだよ」

 隣で肩を竦めているに視線を向け、もくもくと食事をするエルに視線を向け。俺は眉根を寄せる。

「勘違いしないでねルドガー。ないがしろにしたとかじゃなくて、皆忙しかったから」
「…わかったよ。というか、ここから出ていくのは…別にそこまで気にしてないよ。ただ兄さんは、家事できないだろ。エルにやらせるってのか」
「それなんだが、仕事を定時で終えた時や休日は、夕食をここで摂ることにしたよ。そうすれば、昔ほどハウスキーパーを毎日のように呼ばなくていいし、ルドガーやが心配して俺の部屋に掃除しに来ることもない。それ以外のときは、無理をさせない範囲で、エルが花嫁修行としていくらか受け持ってくれる」

 そんな、とエルを向けば、エルは自慢げに胸を張って頷いていた。…なるほど、大人になりたい年頃なのだな。

「そうすればルドガーも、いままではなればなれだったといっぱいイチャイチャできるでしょ。エル、今からお姉ちゃんになる準備する!」
「お姉ちゃん…になる、って…ぇ、ええ!?」
「そう驚くことでもないだろう。…エルも、自分のことでお前たちが戸籍上だけの繋がりを持つのは嫌だって言ってたよな?」
「うん!エルひとりっこだし、イモウトかオトウトほしー!」

 スプーンを握って大層な笑顔のエルに言葉を失う。顔が、というか頭がどんどん熱を持っていくのが分かる。いや、なんというかいろいろ想像しかけてしまった。…いやらしいことじゃなくて。子供を抱くの姿とか、子供の名前どうしようとか、そういう。
 そんな俺を見てユリウスが肩を揺らして笑っていた。も困ったように眉を下げている。

「………わかった。でもしばらくは心配だから、俺も見に行くからな」
「なんやかんやこの中で一番主婦力が高いのルドガーだからな、頑張れよエル」
「エルもパパに負けないくらい美味しいスープ作れるようになる!」
「花嫁修業、基、家事ってのは料理だけじゃないぞエル。掃除洗濯、チラシをチェックして適度に安く質のいい品を選ぶ目利き。それらを学業や仕事をこなしながらやるんだ。生半可じゃ立派なお嫁さんには、というか嫁には簡単には」
「……ごめんなさいルドガー、私その目利きないわ…」
「俺がやるからいい!」

 また、ユリウスが笑い出す。今度は腹を抱えて。失礼な、と思うがどうにもこちらにそれが伝播して、しばらく笑い声が続いた。





(笑う門には福来る)
 
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