あれだ、とモージが杖で指し示す。
 その先には、大きな水泡に包まれた─

「…女の子…?」
『我々の知るところでいう、疑似サーヴァントだな。あの少女の中に、莫大な魔力反応がある』

 苦々しげなダヴィンチの声を聞いて、水泡の中の少女を観察した。身を丸めて、やすらかな表情で眠っているようにも見える。その少女以外の、水泡を満たすのは、鱗のようなものが連なる尾を咥えた─あれは蛇だろうか?

「あれがミドガルズオルム。不始末をつけるためにわざわざボクが喚び出された原因だ」
「…あれ、を…倒すの?」
「そうだよ。ボクに託された天雷の使用回数は三回。逸話からしても、その三回で確実に仕留めなくてはいけない。君たちには、その援護をお願いするつもり」

 だったんだけど、どうにも不服そうだね。
 モージの言葉に、ごくりと喉を鳴らした。

「待て。まず疑似サーヴァントとはなんだ?」
『本来サーヴァントとして召喚し得ない存在─神霊などを、生きた人間を依代にサーヴァントとしたものだ』
「ほう?シャーマンのようなものか。なら早く倒せばよい。すればあの少女も意識を取り戻すだろう」

 そんなァ千代の言葉に拳を握る。

『…今まで本格的に疑似サーヴァントと対峙したことはないはずだからね。戦っているうちに降伏したり、逃げたりするかもしれない。だが─基本的に疑似サーヴァントは、ダメージによる消滅は依代の死に直結する』
「…、……………それは、つまり…この特異点を解消するためにあのミドガルズオルムを打ち倒せば、あの少女も死ぬということか?」
『一概には言えない。先ほども言ったように、相手が降伏したり逃げ出したりするかもしれない。けれど神をも打ち砕くミョルニルの天雷は、神話上の相性の問題でも、確実にミドガルズオルムを討ち果たせるだろう。その天雷に、果たして人間の体がどれ程保つかは、考えるまでもないことだね』
「こうしてうだうだやってる内に、ミドガルズオルムは微睡みから目覚めるよ。ボクは天雷でさっさとあれを殺して、妖精郷に帰りたいんだ。君たちがやらなくてもボクがやるだけの話だし」

 やれやれとばかりに肩をすくめるモージに視線を向けるが、言葉は発せられなかった。杖を掲げその先に雷を集め始めたモージを、止めることは出来ない。

「…今のところは俺もモージに賛成だ。ミドガルズオルムを懐柔する方法もなければ、そのままにして万一暴走した時に打ち倒す手段もモージしか持っていない」
『確かに心苦しい。だがあの少女がどうしてミドガルズオルムの依代になったのかを考えると、ここでもたついている余裕もないだろう。
 今まで遭遇した疑似サーヴァントといえば、女神イシュタルやパールヴァティー、アストライア…それほどの力を要する何者かが疑似サーヴァントを作り出したも同然だ。つまり我々にとって、ミドガルズオルムは黒幕じゃない。そんなことが出来る魔術師、あるいは魔術師サーヴァントを連れた人間。まだ、戦わなくてはいけない者がいるんだよ。…聖杯も見つかっていないしね』

 ぐっと歯を食い縛る。あの水泡の中で眠る少女は、望んで依代になったのだろうか?偶然、策略─そんな理由で、望まずそうなったのだとしたら。その命を奪うのは、余りにも─

「今さら悩むようなこと?君たちカルデアは起こりからして一を切り捨てて大勢を救って来たはずだ。今は馴染んでいないのか制御出来ないのかミドガルズオルムは微睡んでいるけれど、放置すれば必ず人理に害を及ぼす。何しろ北欧神話の主神オーディン直々に『厄災になる』と予言された存在だよ」
「モージ、少し言い方を」
「答えの分かりきったことをうだうだ悩む奴嫌いなんだよね。君たちがどう悩もうと、ミドガルズオルムを打ち砕く術を持つのはボクだ。そして君たちがボクにやめろと命令する権利はないし、ボクは君たちの願いを受け入れる義理もない。ボクは君たちのサーヴァントじゃないからね。つまりこの淘汰はボクの、しいてはボクにやらせている神々の意志だ。
 だから君たちに出来るのは、ただあの子の悲運を嘆くことだけだよ─!」

 杖先の雷が激しく明滅する。迎合するように杖へ雷が落ち、水泡へ向けて魔術師はそれを振りかぶった。
     
「──" 悉く打ち砕く雷神の鎚 ミョルニル "!」

 雷が空気を裂く。大きな落雷の音が耳を割る。バリバリ、となにかを食らうような強烈な振動。
 ─水泡の中の少女が瞠目して。目が合ったような、気がした。








 


 国主とあらば、未来を見据え、全なる民のために切り捨てなくてはいけないものがある。
 俺はそうして、見逃してきたものがいくつもある。
 西国最優一と謳われようと、己の手に抱えきれないものはたくさんあった。
 だが俺は、決して一人で立っていたわけではない。
 臣下が、民が。何より─ァ千代が。支えてくれた皆がいた。俺が溢したものは、全てァ千代が拾い上げてくれていた。
 城を、背を。守っているはずのものたちに、守られていたのだ。
 だからこそ俺は、結局。
 この人には、勝てないのだろう。

×


「見損なったぞ宗茂ェ!」
「な…っ!?」

 叫んだのはァ千代だ。雷鳴の眩しさに閉じていた目を薄く開けば、水泡へ振り下ろされた雷を受け止め庇うように、ァ千代が立ちはだかっていた。
 稲妻は確かにァ千代を取り巻いているのに、まるでダメージを受けている様子はない。黒髪の毛先はいつの間にか、夜闇を裂く雷のような黄色に染まり。やがて天雷は収まってきたはずなのに、彼女は雷を纏ったままだった。

「神風万雷何するものぞ!哀れな子一人、手をさしのべることも出来ぬなら、神などと名乗るなかれ!」
「ァ千代…さん?」

 呆然としている私の横で、宗茂はやれやれとばかりに肩を竦め、モージは目を丸くしてドン引きしていた。

「マスタァー!」
「はいっ!?」
「問うぞ!貴様はあの娘を救いたいのか、否か!」
「─それは─」

 もちろん、救いたい。彼女にこの手が届くのならば。

「ならば良し!来いモージ、三度の雷、撃って見よ!我が雷切が断ち穿ってやろうぞ…!」
「え…。は?いや…ちょっと待って?今そういう流れだった?話聞いてた?あの子を救うって、どうやって?」

 慌てた─というよりは失笑気味の面持ちで、モージは困惑の声を返す。

『…やれやれ。こうなってしまってはしょうがない。こちらも総出で方法を考えるとしよう。そしてまずは、モージがあの子を殺そうとするのを止めることからだね』
「ええ…?なんでボクが一方的に悪いみたいな話になってんの…?君もなんで当然のように剣向けてるの?さっきボクに賛成してたよね?」
「そりゃ、俺の経験からした個人的な意見はな。だがマスターがそうしたいなら従うのがサーヴァントだ」

 刀の濃口を切り、宗茂は笑顔でモージに向かっている。ァ千代は少し怪訝にしていたが、味方であるならば問題はないと判断したのかその背に並びモージに刀の切っ先を向けた。

『ァ千代の霊基がかなり向上しているな。…ふむ、雷との親和性があり、先ほど天雷を身に受けたことでパワーアップしたのか』
「…なるほどな。雷切が見たことない形になってるから驚いたわ」
「いやいや。いやいやいや。それでボクを倒したところでどうするつもり?君たち世界を滅ぼしたいの?せっかくボクが、興味もない人間世界のために重い腰を上げて来たのに?それでミドガルズオルムをどうにも出来なかったらどうするの?」
「その時はその時、宗茂がなんとかするさ!さあ来いモージ!」

 いや無理だわと首を振る宗茂をよそに、ァ千代は来いと言いつつモージに斬りかかる。

「っ…ああもう!ボク知らないからね!」

 刀を受け止め、杖でいくつか打ち合った後、モージはしびれを切らして一歩下がった。そして杖の石突きを地面に打ち付けると、溶けるように姿を消す。幻術か、それとも境界へと移動したか。相対者を見失い、ァ千代は辺りを見渡した後、ほうと息をついて納刀した。

『さて。どうしたものかな。ミドガルズオルムの霊基パターンはバーサーカー。意義ある会話は出来ないと仮定して、一番可能性のある方法は直接契約を交わして令呪で命令を聞かせることだ』
「令呪は─三画、あります!」
『こちらでも出来る限りのバックアップを約束しよう。しかしそこでの問題は、ミドガルズオルムのマスターがどう出てくるか、どうやって一方的に契約を結ぶかだ。ミドガルズオルムに魔力供給されている様子はないが、逸話から考えると存在そのものが聖杯であっても可笑しくはないからね』
「我々であの娘を弱らせよう。心が痛いが死なぬならばいくらでも治療出来よう」

 今打てる手はそんなものだ。全員が頷いた。
 神性に対して威力の上がる雷切を持つァ千代をアタッカーに、宗茂がフォローし、隙を突いて立香が契約をするため少女に接近する。そんな簡素な作戦を立て、皆が水泡の少女に視線を向けた。
 少女─ミドガルズオルムは瞼を持ち上げ、ぼんやりとこちらを見下ろしている。口元からは空気が漏れ、赤い瞳は蛇らしい糸のような瞳孔を納めていた。
 脇で宗茂が弓を取り出した。普段使う質素なものではなく、光沢があり設えも豪華なものだ。彼は普段、弘法筆を選ばずと評される戦いをするが、決めるべき戦いの時は刀も弓も上等なものを持ち出してくる。飄々としたいつもの表情とはうってかわって、真剣な面持ちで矢をつがえ、弦を引き絞った。
 剛弓から放たれた矢が、真っ直ぐ水泡の端を穿つ。その質量に見合った海水が溢れ、少女は空気に触れた。最前列でァ千代がいつでも抜刀できる体勢で構え、少女の動きを観察する。
 ゆっくり顔を上げた彼女と視線が絡み合う。どくりと心臓が鼓動した。








 


 よく分からない生き物は、ただ私の家族を喰らっていた。喰われながらも母は逃げろとうわごとのように繰り返していて、それでも私の体は硬直して動かなかった。
 そうしていたら、綺麗な人が助けてくれた。精霊なのだと、言っていた。
 私だけが救われた。私だけが生き延びてしまった。
 ならばこの命は、あの精霊様のように誰かのために使おう。
 ─使わせてください。
 ─そしてどうか、家族に会わせてください。

「お義母様の願いは何ですか?」
「願い?」
「はい。わたくしはお義母様のためにこの生命を消費します。お義母様は、何を願うのですか?」

 家族、とは程遠いけれど。私を拾いあげてくれた白い女の人は、少し悩んでから空を見上げた。

「─私の願いは。永遠に生き続けること」
「生き続ける…?何故ですか?」
「…犯した罪を、誰に託すことなく。この身が滅ぶまで、永遠に背負い続けること。それが私の真の望み。
…どうか貴女は覚えていてね、巳祈。私はもう、心に懐いた大事な思い出も、覚えていることが出来ないの」

 悲しげに微笑んだ姿は、あまりにも儚げで、まるで絵画に出てくる聖女のようだった。そんな人が罪を背負うだなんてあまりにも不似合いで。けれどきっと本当なのだろう。お義母様は嘘をつかない。
 だから私は、お義母様のために生命を消費する。
 お義母様が永遠に生き続け、その願いを叶えられるように。
 それがきっと、私が救われた意義なのです。

×


「マスター!」

 声と共に意識が戻る。明滅のあと辺りを見渡すが、特に景色が変わっている様子はない。ァ千代は少女と相対したまま、宗茂は私の肩を掴んで心配そうにしている。
 大丈夫、と苦笑すれば、宗茂は難しい顔で視線をずらす。少女はこちらに攻撃するでもなく、ただぼんやりとしていた。

『精神干渉かな。邪視や魔眼を持っていても不思議ではないか』
「攻撃の意思がないなら…試そう」

 令呪の浮かんだ右手を握り、一歩前へ出た。
 ─すると。

「だめですよ。人のものを勝手に奪ってはいけません」

 聞いたことのある声だ。とても心が安らいで、子守唄のようにずっと聞いていたくなる。
 少女の少し後ろに。いつの間にか、一人の女性が立っていた。美しく微笑み、目が合うと、スカートの裾を少し持ち上げて一礼する。プラチナのような白い髪と、パーティードレスのような華やかな印象を持たせるワンピース。
 私は、彼女を見たことがある。

「……シーナ、さん…?」

 シーナ・コーンウェル。人理修復後、聖堂教会よりカルデアに派遣された調査員でありカウンセリングを行うシスターだ。1/fゆらぎという、人をリラックスさせる声質の持ち主。
 ─そして、語るに長いが、未来の聖女。

「あらあら。私の名前を知っているなんて、奇特な方もいたものね。けれどはじめまして。私はシーナ─シーナ・シヴェール、というものです」

 そう名乗った彼女に目を剥いた。知っている彼女の名はシーナ・コーンウェルだ。シヴェール、という名は知らない。…いや、どこかで聞いたこともあるような、気はするが。その名の意味も因縁も、聞き及んではいなかった。

『…。ミス・シーナ。はじめまして、私は希代の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ。いろいろと聞きたいことはあるが、そうだな。あまり聞いてばかりも品がない。─どうして彼女を、疑似サーヴァントに?』
「ふふ。そうですねぇ…身寄りのないこの子を縁あって私の後継者として育てているのですが、素養があまり。なのでその資質を埋めるために、サーヴァントを召喚しました。
 ごめんなさいね?まさかこんな怪物が召喚されるとは思っていなくて。でも感謝しているんです、生まれたてのこの子の命を脅かす天雷を退けてくれて」

 にこり。不思議な光彩の瞳を細めて、シーナ・シヴェールはうっそりと微笑んだ。
 目覚めてすぐ話を聞いた、ァ千代が山の上に置かれた鎚を指し示した白い女─というのは、彼女のことだろう。であれば、シーナ・シヴェールは敵ではない。
 …そう考えていると、宗茂は静かに足を進め、ァ千代より前に身を乗り出した。目配せで─おそらくは下がれと指示する。不満そうに瞠目するも、いつにない宗茂の様子に黙って私の元まで後退した。「宗茂?」どうしたのか。小さく口にすれば、視線を彼女たちから外さぬまま、彼は刀の鯉口を切った。

「マスター、駄目だ。勘で申し訳ないが、あの女は生かしておかない方がいい」
「えっ…?どうして?」
『─…疑似サーヴァントを故意に作る。聖杯があれば、ウルクの巫女のようなリバウンドもなく行えるだろう。だが』

 後継者としての資質を補うために疑似サーヴァントとする、という時点で意味不明だ。ダ・ヴィンチの言葉に首を捻った。

「─ふふ。興味が尽きないみたいですね。でも天雷を処理していただいたので、これ以上あなた方とお話する意味はありません。
 なので。…巳祈。アレ食べちゃっていいわ」

 冷たい視線に悪寒が走る。頷きもなく、巳祈と呼ばれた少女は両手を上げ、取り付くように渦巻いていた蛇が動き出した。








 

 シーナの声に、巳祈が─ミドガルズオルムが両手を上げる。蛇は円を描き、巨大な車輪のように回転した。まばたきの間に彼女は動作もなく宗茂の眼前に迫り、廻る蛇を叩きつける。それを鞘で弾き、わずかに揺らめいたところに、勢いのまま斬りつけた。
 相手が神話の生物だろうと、今は疑似サーヴァント。ある程度は、一定に均される。だからか、神秘が足りないと宗茂が心配していた刀であっても、その刃は確かにミドガルズオルムを袈裟斬った。
 どこか驚いた表情のミドガルズオルムをよそに、次の攻撃を繰り出した。蛇の合間を抜くように地面を蹴り、直接彼女を。
 ─しかし、シーナの表情は揺るがない。美しく微笑んだまま、どこを見ているかもわからない。
 一方で宗茂の表情は険しかった。確かに攻撃は通っている。バーサーカーの霊基を象っているのなら、ミドガルズオルムの痛覚が鈍く動きが変わらなくても不思議はない。それでも彼は圧倒的な不利を感じ取っていた。

「怪物殺しに一家言あるならまだしも。一介の剣士が倒せる存在ではありません。…バーサーカーですから、まぁ戦闘方法は幼稚ですが。殺せないなら、意味はないわ」
「…っ!」

 まだ一度もミドガルズオルムからの攻撃を受けてはいない。けれど、彼女が圧されている様子もなかった。宗茂は舌打ちとともに刀を納め、ミドガルズオルムを蹴り飛ばすと、私たちの前で一度構えを解いた。

「宗茂、ァ千代と二人で…っ」
「それはまだ駄目だな。だが今の打ち合いでひとまずアレの動き方は分かった。これから慣れていこうと対応出来る」

 でも、と食い下がる。しかし宗茂は少しこちらに視線をやると、いつもの余裕の笑みを溢した。
 それから深呼吸。長い息を吐きながら、宗茂は再びゆっくりと構えた。
 魔力が流れるのが分かる。宝具を展開するのだろうか?しかし神性にも届く雷切の刀はァ千代が持ったままだ。彼に、他にそのような武具があっただろうか。
 廻る蛇は、気が付いた頃にはいつの間にか、水泡にうずくまっていた時よりずいぶん大きくなっている。鱗のように重なった外皮は毛羽立つように膨らみ、ギシギシと金属が擦れ合うような音が滲んでいた。
 軋みながら、蛇はミドガルズオルムの周りを廻る。
 ミドガルズオルムが転移するようにして、再び宗茂の前へ迫った。
 ぱちりと何かが弾ける、静電気のような音が耳に届いた。ァ千代が纏う雷だろうか?
 ─刹那。
 襲い来る蛇は、切断されていた。私たちの前方でこちらに背を向けていた宗茂の姿はすでにそこになく、驚いているように見えるミドガルズオルムだけが視界に陣取っていた。

「─雷鳴を帯びて三度切ってみたが、再生するか?」
「っぁ…」

 小さく少女の声が漏れた。蛇はミドガルズオルムを廻り続けながらも、確かにその身は分断されている。
 刀の柄をミドガルズオルムの後頭部に叩き込んだ。案外重い音がして、地面から浮遊していた体は力なく倒れ込む。

「…あら。あら、あら、あら。まぁ……」
「カルデアではご本尊みたいな奴もいるし使う場面もないと思っていたんだがな」

 ミドガルズオルムの背後に回っていた宗茂は、いつの間にやら衣服が─再臨段階が変わっており。その刀はァ千代が持つ雷切のように稲光が覆っていた。驚きと混乱に目を瞬いていれば、宗茂は踵を返してシーナに向き直した。

『なるほど。立花道雪は雷を切った逸話から、雷神であるとも語り継がれている。その子である宗茂もまた、雷神の眷属ということか』
「………」

 ダ・ヴィンチの言葉にシーナはため息を吐き出した。宗茂が警戒して抜き身の刀を持っているのも意に介さず歩きだし、優雅な足取りでこちらへ近付いた。それでも宗茂の─全く動かなかった場合の─間合いの外で立ち止まり、悲しそうに眉を下げた。

「まったく……この子は……。
 …魔術の素養もない、あるのは教科書を暗記しただけのような知識。せめてあなたが私の記憶に残るような活躍をしてくれれば、と思っていたのに……─本当に、役立たずね」

 安らぎを与える声が、冷たく冷たく。
 笑みもなく。かといって厭う感情もなく。ただ事実を告げただけとでも言うように。

「空っぽなあなたのために、美味しい中身を用意してあげたのに。それすら使いこなせないなんて。ああ、まったく駄目な子だわ」
「そんな言い方…っ!疑似サーヴァントなんて、普通じゃないのに…!」
「でもいいわ。大方望みのものは召喚出来たもの。さぁ巳祈、こちらへいらっしゃい。今度こそ役目を果たしてね」

 私の声をまるで無視して、シーナはミドガルズオルムにだけ視線を向けている。当の本人は意識を失ってはいないものの、すぐに動けず震えていた。

「─こちらに来なさい、と言ったのよ。聞けないの?」

 びくん、と顔を上げて、少女はその場から姿を消す。まばたきのあとにはシーナの横で、膝からくずおれたまま女を見上げていた。









 


 ─特異点にいる立香との通信が回復する少し前。
 カルデアは焦燥に包まれつつも、必死に状況の打開に臨んでいた。
 唯一のマスターである藤丸立香が眠りにつき数日。彼女が昏倒して直ぐ様、今までにもあった事例と同じであると見当が付き、対策としてサーヴァントを送ることは出来た─確認出来ていないので、希望的観測ではあるが─のはいいが、立香は変わらず眠るだけだ。
 聖人と名の付くサーヴァントが無事を祈ったり、治療や魔術に詳しい者が検査を行ったりしてはいるが、前回と同じく変化はない。

「…まだそこにいるつもり?」

 そんな中で声をかけて来たのは、苦々しい思いのある人物だ。─玄冬 祈紗。類い希なる魔術師で、色々あってサーヴァント紛いのことをしている人間。
 白い髪を揺らし、眼鏡の向こうの不思議な色彩の瞳を泳がせた。

「あなたこそ何の用です」
「私も魔術師だから一応見てみようかと思って。あなたこそ、いつまでも何の用?」

 貴方が私を避けるから、私も貴方が出ていくのを待っていたんだけど。そう暗に告げ、腰に手をやりため息をついた。
 視線をマスターへと戻し、いえ、と言葉を濁す。

「……マスターとは、さほど関係のないことですが、ひとつ聞いてもいいでしょうか」
「ま、いいけど」
「シスター…シーナが、あなたたちの秘術を受け継いただら、どんな人間になるのでしょう」

 そんな問いに、祈紗は眉をひそめた。しばらくその意図をつかもうとして、またため息を吐き出す。

「…貴方がどこまで、うちの秘術について知ってるのかは知らないけど。
 本来合致する素質でない人間がうちの秘術を継承しようもんなら、まずその魔術刻印だとか色々なものに押し負けて、性格がどうこうなる前に死ぬわ」
「……でしょうね」
「だけどあのシスターは特別よ。シヴェールの秘術に必要な特性は持っていないけれど、シスターはそれさえも飲み込んでしまえる起源を持ってる。前はそれを錬成と言葉にしたけど、融合…吸収…とにかくとんでもないものよ。さすがは未来の聖女様だわ」

 鼻で笑い肩を揺らす。

「私であれば、今までの先祖の願望だのなんだのは、あくまでもただの情報として刻まれる。だけど彼女の場合、それを身のうちに住まわせる。常に誰かの感情が耳元で囁いているようなものでしょうね。普通ならすぐに発狂するんじゃないかしら」
「………」
「でも彼女はそれを受け入れるだけの器がある。そして狂うかどうかは─…元々の、聖女足らんとする『シーナ・コーンウェル』が、どれほどまで残っているか。少しでも残っていれば元のままでしょうけど…」

 外的要因ででも、『シーナ・コーンウェル』が死んでいれば。その時は─

「想像も出来ないくらい。私よりも今までの先祖よりも、悪辣で残虐な人間になるでしょうね」

 何処か愉しそうな表情で、玄冬 祈紗は微笑んだ。

×


 シーナが屈み、ミドガルズオルムに手を伸ばす。何をしようとしているのか誰にも分からないまま、優雅にさえ思えてくる動きを注視していた。
 少女は力なく俯いている。白魚の指が髪に触れ、頭を撫でる。

「きっと貴女は不味いでしょうけど、美味しく食べてあげるわ─、」

 その腕を斬り落とさんと容赦なく刃が降りた。しかしどう回避したのかシーナの手は傷もなく、彼女の唇へと寄せられている。「怖い怖い」と口ずさむが、表情は相変わらず笑んだままだ。

「どうして邪魔をするのかしら。私はただ、この子の身に余る怪物を取り除いてあげようとしているだけなのに」
「………」
『─それは、駄目だ。それは阻止してくれ、立香ちゃん』

 焦りを抑えたようなダ・ヴィンチの声に懐疑する。

『一言では説明出来ないわ。とにかく彼女にミドガルズオルムを渡しては駄目』
「祈紗さん!?どういう…っ」
『どうもこうもないわ。ミドガルズオルム─あるいはウロボロス。"死と再生"、"不老不死"、"全知全能"─色々な象徴にされてる生き物よ。それをわざわざ疑似サーヴァントにするなんて、目的はひとつしかない。それを吸収し、融合して─彼女自身が、それらの力を持つ存在になること』
「そんなこと…!」
『実際出来るかは知らないわよ。けど私の知ってる通りなら、出来ても可笑しくないしやろうと思っても不思議はない。とにかくそこの女を殺しなさい』

 モニター映像越しに、祈紗は眼鏡に指を触れながら言い切り、私が言葉を失っている間に宗茂は「応」と頷き、屈んでいるシーナに再び刀を振り下ろした。
 まるで予知でもしているかのように、剣豪たる宗茂の攻撃を容易く避けている。時折黒鍵で弾き、間合いが空くとそれを投げ。

「今の声は、同じシヴェールの方かしら。何十年と生きて来たけど、先代以外と会えることもあるのね。長生きはすべきだわ」
『…。そう、やっぱり思う限り最悪の存在ね』

 攻撃をかわしながら、優雅な口振りでモニター越しに会話をする。そんな状況に、冷や汗が伝うばかりだ。
 そんな中で何か気付いたのか、宗茂は刀を鞘へ納め、別の太刀に手を伸ばす。「─…っ」悉くをかわすシーナに宗茂が対応を始めたのか、次第にシーナの表情が苦く歪みだした。袖の先や髪に刃が届き、後退を強いていく。

『それだけの動き─シーナ・シヴェール、貴女今までどれ程"喰った"?』
「…そうねぇ。もう覚えてないわ」

 宗茂の攻撃を蛇が防いだ。雷を帯びた刃は容易くそれを砕いて行くが、細かくなっていくまま何度も刃を受け止める。脇ではミドガルズオルムが苦痛に表情を歪め、操るため上げた手は少しずつ降下していた。

「ありがとう、巳祈」

 僅かでも手隙を見逃すはずもなく、シーナはそう言いいながら数歩下がり、何か魔術の展開を始めた。

             
「もういいわ、巳祈。─" 魔女の夜宴 サバト・ヴァルプルギス・ナイトメア "。楽しく、美味しく、あなたたちを頂くわね」
『─魔力収束確認!逃げて下さい…!』

 警告音声が届く。
 シーナが術の名を口にすると、彼女の足元から黒が広がった。







 


 足元が沼のように変わって前後不覚になる。お義母様が魔術を使ったようだ。
 はじめに聞かされていたとおり、私は彼の人の贄になる。私では宿す以外に扱いきれないミドガルズオルムの不死性と永続性を取り入れて、お義母様は永遠の人となる。永遠となってこの世のすべてを手に入れる。
 …。……?
 お義母様の願いはそんなものだっただろうか。もっと別のものではなかったか。
 お義母様は─…お義母様とは、どんな人だった?
 白い綺麗な髪をした、聖女のような─聖女の、ような?
 ふと、後ろを振り返る。
 そこにあったのは美しく微笑む人。けれどどこかいびつで。

「…っあ」
 
 ─何かがだれかを食べている。誰かが何かを食べている。私が何かを食べている。私が家族を─…
 否。違う、違う、違う!私はそんなことしていない!
 記憶が混濁する。
 そうだ、何かが誰かを食べていた。それをお義母様が助けて─違う。違う! そんな人は知らない!私はこの人に救われてなどいない!

 意識が浮上する。先程まで相対していた人たちが、困惑した様子でこちらを見ていた。刀を持った男はスカートの女の子を引き止めていて、和装の女性は抜刀して私達を睨みつけている。
 私の手足にはたくさんの黒い糸が絡まって、身動きが取れなくなっていた。混濁していた記憶がみるみる鮮明になっていく。
 あの人は私がいた孤児院にやってきて。他のみんなをどこかへ連れて行ったのだ。最後に私を連れ出して、旅に出た。
 そして今、私を食べようとしている。糸は肉に食い込んで赤い血が滴り、四肢が千切れそうに痛みが走る。

§



「…や、だ。やだ、やだ、やだ…!」

 それまで何一つ言葉を発さなかった少女が明確な意志を口にした。ハッと視線を向けて少女を見る。駆け寄ろうとしても宗茂がそれを止め、かばうようにァ千代が前に立った。目の色を変え糸から逃げようと必死にもがき、千切れミドガルズオルムの力で再生した血まみれの手をこちらへ伸ばす。

「やだ、やだ!あんな化け物になんてなりたくない!たす…っ、……、」

 たすけて、と。そう口にしようとして、少女は息を呑んだ。まるでそんなことを言う資格が無いことに気づいたかのように。
 この特異点に来て見た夢を思い出す。
 彼女はずっと、助けを求めていた。口に出来なくとも、何に助けを求めればいいかわからないまま。

「…宗茂!私は、最初の意向は変えない!」
「─承知。どうせそう来るとは思ってた」
「良い!上手く我らを使ってみせよ、藤丸立香!」

 右手の令呪に力を込める。

「戦略は任せた。─あの子を、助ける!」

 ァ千代とはこの特異点で初めて会ったけれど、きっと私があれこれいうよりも宗茂と二人のほうが圧倒的にコンビネーションはいいだろう。私はバックアップに専念し、当初の作戦通りミドガルズオルムと契約を結ぶ。シーナ・シヴェールの手に令呪はない。
 目にも留まらぬ速さで宗茂がミドガルズオルムに接近すると、雷を伴った刃で彼女を絡め取る糸を両断した。それでもミドガルズオルムへ伸び続ける糸を都度断ちながら、少女に手を差し伸べた。

「化け物なんて酷いわ。せめて魔女と呼んでほしいわね」
「いくつもの無辜の魂を食い長く生きる、そんなもの真性の化け物で十分だ。貴様は神ではないが、この一刀にて断ち斬ってやろう!」

 千鳥が疾駆する。雲の合間を青い稲妻が迸り、ァ千代の姿がそれに融けるように揺らめいた。次いで、シーナに向けて落雷する。
 同時につんざくような悲鳴が響いた。宗茂がミドガルズオルムを庇うように抱き込み転がって来るのをみて慌てて駆け寄る。令呪に魔力を込めて、少女を抱き締めた。

「ぁ…ああぁああっ!!何をするの!痛いわ、熱いわ!!」
「神をも斬ったその武勇、ここに奉る。雷切丸よ、ここに神殺しを再現せん!─ 千鳥よ、雷鳴を穿ちて ベヨネッタ・サンダーバード …!!」

 閃光の如く凄まじい速さと轟音。ァ千代はその雷を持ってして、シーナを貫いた。
 二度雷霆を身に受けたァ千代は、出自─雷神殺し立花道雪の子として、霊基が崩れるどころかその天雷を操れるほどに強く再生していた。ァ千代の意志のまま神の雷を落とされた魔女は悲鳴をあげて身を捩る。恨みがましい目付きでこちらを睨み付け、最後には灰となって消滅した。

「お…義母…さま……」
「……大丈夫?」

 肩の向こうで慕っていたはずの人が消え、ミドガルズオルム─巳祈は呆然と声を漏らした。先ほど自身が拒否したことを含め、思うところはたくさんあるだろう。宗茂もァ千代も刀を鞘にしまい、私たちの様子を伺っている。

『検査結果出ました。この特異点を形作る聖杯は、やはりミドガルズオルムさんの中にあるようです。おそらく、聖杯の性質とミドガルズオルムの性質を関連付けて再現していたのかと思われます』
「つまりこの子を保護すればオーケーってことだな」
「む…」

 そう認識をしたせいか、あたりの風景が崩れ始めた。どこか覚えのある光景─人理の修復。通信の向こうでもレイシフト帰還の用意完了を告げられ、頷いたあと、同じく金の粒子となって帰還が始まるァ千代に視線を向けた。精一杯の礼を尽くし、縁があればまたカルデアにも協力してくれと勧誘しつつ。

「うむ。私もよく働いた。そちらには宗茂がいれば大概どうにかなる気もするが、私がサーヴァントをやる機会もそうないからな。ここでの縁で、カルデアにも赴くとしよう」

 笑顔で退去したァ千代を見送ると、一方で宗茂がぽそりと呟いた。

「雷切、持ち逃げされたな…」
『…そういえば宗茂。雷切は君の宝具の中でも最高峰の神秘であり、雷神たる父道雪との縁の証明のようなものだ。カルデアでも、時折雷切でそれらしい攻撃をしているの知っていたが…それを無しに、疑似サーヴァントとは言えミドガルズオルムを斬れる程の力はどうやって?』
「ん?そりゃあ雷神だからな」

 首を傾げる。そんな皆の反応につられるように宗茂も不思議そうに瞬いた。

『義父道雪が雷神として崇められてるから、サーヴァントになってその属性を入手したということかい?』
「いや、俺が元々雷神で、義父上殿はあくまで神殺しだ」
『……カルデアの登録にない情報が出てきたな。帰還してからじっくり聞き取りをするとしよう』

 未だ不思議そうにしている宗茂に苦笑して、レイシフト帰還開始という通信越しのマシュの声を耳に、目を閉じた。








 

 カルデアに戻り、バイタルチェックを終え、宗茂のサーヴァント情報を更新し、新たな疑似サーヴァント・ミドガルズオルムを登録・紹介し。そんな怒涛の出来事がありながらも一日も経っていない。マイルームに戻って一息つこうと扉を開けると、部屋にあった気配に硬直した。こちらに気づいたらしい気配の主は、にっこりと笑んで軽く手を振った。

「ヤッホーカルデアのマスターくん。とっても可愛いモージちゃんだよぉ」
「……!な、なんで…っ?」
「なんでって、リナルドに会いたくて?あとはまぁ、状況的に仕方ないからサーヴァント─人理の守護者としての仕事をしに来たんだよ」

 よっこらせとばかりにベッドから腰を上げ、モージは笑顔から一転真面目な顔で足を進めた。困惑の目で追っていると、どうやらついて来いと言いたいらしく、素直に後に続いた。
 やってきたのは未だダ・ヴィンチやマシュたちが業務や片付けを行っている管制室。休息するためマイルームに戻っていったはずの立香と、何より見知らぬ人物の登場に騒然としていた。

「君はあの特異点にいた…」
「モージちゃんでーす。わーここがカルデア管制室かぁ」
「…我々の知らないうちに、立香ちゃんが召喚でもしたのかい?」

 慌てて首を振ると、ダ・ヴィンチは息をついてモージに向き直した。

「ボクを召喚出来るわけないでしょ?生身だよ生身」
「─なんだって?」
「シャルルマーニュが瓦解した頃からずっと妖精郷にいたからね。アヴァロンに幽閉された魔術師マーリンと同じだよ。…と、ボクのことはいいんだ」

 咳払いをしてモージは大きく手を広げた。いつの間にか立香の前で庇うように立つマシュと見比べながら、言葉の続きを待った。

「シーナ・シヴェールとか言ったかな。アレについて。本当はリナルドのためじゃない預言とかしたくないんだけど。
 ─すでに彼女は亡霊だ。まだ今のところワイルドハントだとか言うほどの脅威はないが、完全に放置すればカルデアが対処するような案件になるだろう。
 故に君たちは、彼女の行方を追うべきだ。ここにはアレについてよく知る者がいるだろう、任せたよ」

 ひとつ深呼吸して、それまでの緊張した空気を取り払い、モージはまたにっかりと笑った。それはどこか、こちらを─人間を、嘲笑っているかのような、微笑みだった。