野良狐
「最近ね、狐を飼ってるんです」
幼い頃の記憶。
小さないざこざはあったものの高杉や桂が日常的に松下村塾へ通ってくるようになった頃のこと。教室へやってくる松陽が、にこにこと楽しそうにしていることが増えた。いや普段から何が面白いのか松陽の口元は笑んでいるが、そうではなく。腹を抱えて笑った余韻がまだ残っている、という感じ。気味が悪かったので問えば、そんな答えが帰ってきた。狐ってなんだ、と訝しげにすれば「狐っていうのはイヌ科の肉食獣ですよ」と今重要でないことを教えられるので歯噛みした覚えがある。
「あ、そういえば今日おやつがあるんですが」
「マジかよ!狐とかどうでもいいわそれを早く言えよ!」
「狐さんにあげちゃいました」
「テメー松陽ー!」
平屋建ての村塾の縁側。楽しそうに笑う松陽に、拳を握る銀時。桂たちは家へ帰っていて、実質ここへ住んでいるのは二人だけなので授業が終われば人はいなかった。
「銀時にも紹介しようと思いましてね。結構可愛いんですよ」
「野良犬に興味ねぇ」
「結構由緒正しい生まれなんですよ。ホラ隠れてないで出てきなさい」
と、縁の下へ声をかけるが返事はない。まったくと息をついて、松陽はどこからか取り出した饅頭をぽいと投げた。重力に従って地面へ落ちていく饅頭に思わず手を伸ばし視線を下げると、そこには包帯でぐるぐるに巻かれた何かが左目を覗かせていて、銀時は意に反して悲鳴を上げた。暗くなる時刻とはいえ、まだお化けがでるほどではない。
「なんっ、なんだコレ!」
「狐さんです」
「狐さんってコレただのバケモンじゃねえか!」
包帯を巻いた何かは饅頭をキャッチしてからもぞもぞと縁の下から出てきた。だが銀時たちに近付くこともなく饅頭を口にする。
「なんなんだよコイツ…」
「狐さんです」
「それはもういいよ!どう見ても二足歩行の人間に準ずる生き物だろうが!百歩譲ってもバケモンだよ!」
「まだ名前を教えてもらってないんです。大丈夫ですよ狐さん、アナタのそれはもう治っている筈ですから伝染ることはありません」
そんな言葉に肩を揺らし、食べかけの饅頭を持った手を下げて俯き項垂れる。松陽は仕方ないですねと立ち上がり包帯マンに近付くが、当の包帯マンはすぐさま逃げようと走り出した。
が、そう簡単に逃がすわけもなく、瞬きの後には捕まっていた。もがく包帯マンをものともせず、松陽はその頭を押さえつけて二人を知り合わせた。
§
天然痘という病は感染する。幼い頃それに罹ったは、高熱を出し魘されている中一人放置され、家族は皆何処かへ逃げていった。それまでは寺子屋へ通わせてもらえるほど裕福な暮らしだったのが、死線をさ迷い生還した頃には一転、金も何もない孤児になっていた。
生還しても治ったわけではない。病によって出来た体中の膿疱は見る者を震え上がらせるほど醜かったし、微熱が続き意識も覚束無い。しかし布団で寝込んでいた頃からゆうに一週間以上飲まず食わずで、栄養失調も水分不足も限界が来ていた。
何か備蓄があったかもしれない家は、感染を防ぐためと燃やしてしまった。家の子供が天然痘になったというのはすでに噂が広まっていたようで、取り残されているかもしれないを探しに来る者もいない。
空腹による諸症状はもう手足の感覚さえ奪い、それでも無我夢中に歩き続けた。物乞いをしようにも姿を見ただけで物を投げられ戸を閉められ、泥水を啜って体調を悪化させる始末。
「ずいぶん弱った野良狐がいますね」
草むらで丸まって、せめてもう苦しくないようにとしていたところを日の下に引っ張り出した者がいた。薄く目を開けて姿を確認しようにも、栄養失調か病か原因はわからないがとにかくぼやけて何も見えない。
「天然痘ですか…可哀想に、看病もしてもらえなかったんですね」
「松陽ー何やってんだー?」
「ああ銀時、ちょっと道草を食うので先に行っていてください」
「はぁ?松陽が?つーかそんなとこに野草あったっけ」
「道草くらい私だって食べます。野草って美味しいのもあるんですよ」
「だからそこに生い茂ってんの野草じゃなくて雑草だろ」
わけわかんねえ、と先を歩く少年はそのまま去っていく。松陽と呼ばれた男は息をついて、うずくまるに手を伸ばした。
「さ、わ…らな」
「確かに天然痘は死に至る病。でも一番辛い時期は乗り越えたようです。それで生き延びたのだから、アナタはこれからも生きるべきだ。…あぁ大丈夫、私は不死身なので伝染っても問題ありません、安心してください」
傷を労るように優しく抱き上げられる。抵抗する力もなく、ただその暖かさに安堵してしまって。弱々しく松陽の着物を握り締めて、意識を失った。
目覚めた頃には、それまでが嘘のように体が楽になっていて、巻かれた包帯の下も水ぶくれひとつない綺麗な肌だった。唯一右目の視力が失われていることだけが、夢で無かったことの証拠だった。
「目が覚めまし…アレ」
気配を感じて思わず押し入れに身を隠す。自分に何が起きたのか、ここはどこで男は誰なのか、どうして今ここに至っているのか何もわからない。
松陽はすぐ押し入れの向こうに気付き、小さく笑みを溢して押し入れの戸を叩く。ご飯ですよ、と言う言葉と僅かに届く匂いに腹が鳴って、は観念しておずおずと暗闇から出た。
雑炊を平らげた後逃げようとすれば、笑顔のままながら有無を言わせない松陽に従って診察を受けることとなる。
「声は出ますか?」
「…ん」
「異常はなくともしばらく喋れなかったことで話し方を忘れている感じですかね。まぁこれから慣れていけば問題ないでしょう。
他は…すみません。肌は綺麗に治せましたが、一番重篤だった右目だけは元に戻らなかったようです」
「あな、たは…お医者様?」
絞り出した掠れた声に、松陽は紙と筆を用意しながら首を振る。感染力の強い天然痘に平然としているだけではなく、右目以外の後遺症までもを治してしまったというのに医者ではないらしい。
「とっておきの万能薬を持っているんです。秘密ですよ」
「……お礼、できない」
「構いませんよ。出世払いにしときます」
いらないというわけではないのだな、と頭の隅で思っていれば、あれやこれやと松陽に寝かしつけられる。「まだ体力は赤ゲージですから休んでください」と訳のわからないことを言われ、素直に布団に収まるものの、それで立ち去ろうとする松陽の後ろ姿に今更恐怖が沸いてきて。しかし歯を食い縛り言葉を飲み込めば、松陽は襖にかけた手を止めて振り返る。
「……」
「……?」
「寂しいなら寂しいと言いなさい。いえ、確かに今は無理に声を出してはいけませんが。…大丈夫、食器を洗い場に置きに行くだけです。すぐ戻りますから、もう少しだけの辛抱です。そしたらずっと、一緒にいてあげますから」
頭を撫でて、おでこに口付けて、松陽は優しく微笑む。食器を持って今度こそ出ていった襖をずっと見つめていれば、さすがに疲れがあったのか、次第に眠りに落ちていた。
女のスッピンも化粧した女も大体バケモノ
アナタの名前は、と聞かれ黙り込む。松陽は困ったように笑い、私を狐さんと呼んだ。
右目の視力以外はほぼ完治したと言われても、膿疱によって醜く爛れた肌を見て化け物と呼ばれた恐怖は中々拭えなかった。おかげで松下村塾では包帯で身を隠したおばけが出ると一時噂になるが、最初にその包帯おばけと銀時が松陽によって出会って以降は噂もたち消え、包帯姿のままながら時折剣術道場へ顔を出すようになり、やがて竹刀を握り共に稽古することも増えた。
ある時、一度帰って行ったはずの桂が道場を覗いた。そこで銀時らと立ち会う包帯のおばけに驚き言葉を失っていれば、松陽が手招きして紹介する。高杉とも同じ出会いをした。そうして人数も増えて共に剣を交えていれば、その包帯の下が気になってくるもの。松陽に問うても肩をすくめて、当の包帯マンも拒否する。しかしそれでも気になるのが子供の好奇心だ。
汗をかいて疲れただろうと、包帯をとり松陽は直々に背中を拭いてやるらしい。その時を狙って部屋を覗いた時、隠れていた事も忘れて驚きに声を張り上げたのは桂だった。
「お前、斗南!生きていたのか!」
「んだヅラ、知ってんのか」
「ヅラじゃない桂だ。俺たちの通っていた寺子屋に通っていた子供で、………一月程前から来なくなった。噂では伝染病で死に、家族は他所へ逃げたと」
姿を見られたは即座に松陽の懐に隠れ、やれやれと苦笑しながら松陽は羽織を脱ぎに被せる。それから頭を撫でて、銀時にしたのと同じように『狐さん』を紹介した。
「時々おやつが減るのは狐にやっているからと先生は…そういうことか」
「え?コイツそんな頻繁におやつ食ってんの?」
「銀時はいつも甘いもの食べ過ぎなんです」
諌められ眉根を寄せてを睨めば、松陽に見えないところでべっと舌を出した。反射的に拳を握り振りかぶるも松陽に止められてしまい憤慨するが、やはり松陽に諌められた。
§
「アナタの名前、まだ教えてもらえませんか」
「桂が…」
「アナタの口から直接聞いてません。そもそもアナタの身元は始めから知っていますよ、天然痘に罹った子供なんて、ちょっと聞けばすぐに分かる」
伝染病を恐れて家族はを見捨てて逃げていった、そんな噂があちこちに出回っているだろうことは想像に易い。俯き口ごもれば、松陽は小さくため息を溢し、の肌を撫でる。
「右目こそ治してやれませんでしたが、それでもこんなに綺麗になったんです。胸を張りなさい」
「………私は…」
化け物だ、と。小さく小さく呟いた。
「化け物は私です。この国に化け物はそういくつもいりません」
「そういう話じゃ」
「そういう話にします」
「いや、」
「そういう話なんです。化け物は私。アナタは化け物を倒せるかもしれない狐」
首を傾げれば、松陽は"野狐"について教えてくれた。野狐とは人を化かす狐。キツネと違って信仰の対象と比較されるモノであって、善狐はよいもの、野狐はわるいものとされる。
「でもね、野狐は妖狐ほど悪くもない化け物のなりそこない。善い徳を積めば、天狐―神の遣いとなるんです。まぁ私が適当に考えてこじつけた話なんですけど
ね、半分くらい」
「、……」
「なんにせよ。アナタは化け物のなりそこないなんです。一歩踏み間違うだけで、再び化け物になるかもしれないし、善いものになるかもしれない。私はアナタに、善いものになってほしい」
ぽん、と頭を撫でて、松陽は笑う。
「だからまずは、アナタの名前を教えて下さい。化け物でもなりそこないでもない、ヒトであるアナタの名前を」
「……」
「。、アナタも今日から私の弟子です」
そう言って松陽は改めて、私を松下村塾の一員として、弟子として、私の名を口にした。
×
焦った声で銀時に名を叫ばれ、咄嗟に振り返る。気を失ったはずの男が起き上がり、刀を振り上げていた。銀時が駆け木刀で殴打するも、男は意にも介さずに斬りかかった。右目を目的にして顔を傷つけ、は息を飲んで膝をつく。
「…狂い野狐が、化け物と呼ばれた一番の理由。その強さだけじゃない、右目の視力を失っていたこと。それ以外の傷は、一夜でなくなる回復力」
「……」
「なぁ、俺にもくれよ。その力をさぁ!」
どうやら薬かなにかキメているらしい。による切り傷も、銀時による打撲傷も、血をだらだら流したまま男は無我夢中に剣を振り回している。
戦争中のことを思い出す。時折背中合わせになったとき、死角だと見てとれる右側を中心に多く怪我をしていたはずのは、言われて見れば夜の休息時間になって皆が手当てしていても、衛生兵の厄介になっていることは少なかった。斬り結んでいる最中他の者をかばって深く傷を負うところも目の当たりにしているのに、そんな日でも夜にはケロッとして酒を飲んでいたりする。当時こそ、女であることを隠すために、手当てのため着物を脱ぐのを避けていたのかなと片隅で思っていたが、それほど深い傷ではないからと、彼女の性別を知る者が手当てを申し出ても拒んでいた。その上無理に着物を脱がせても、傷はほとんど塞がっていることが多かった。古傷だと、そう誤魔化されて。
敵の天人が、確かに致命傷を与えた筈なのにと恐れおののく。確かに心の臓を貫いた筈なのにとたじろぐ。脚を斬られながら、腹を抉られながらそれでも敵を斬りまくっていたが得た異名が、化け物。狂った狐。
闇夜の中、が動く。腰を落として、素早い動きで男の足の腱を斬りつけた。それでようやく男は刀を手放し、呻きながら地面を這いずる。
遠くから、たくさんの足音が聞こえる。帯刀している者独特の音も聞こえるので、先ほど電話していた真選組の連中がこちらへ向かっているのだろう。
「なぁ銀時」
「…あ?」
「私、そんなに化け物に見えるかな」
滴っていた頬の血は止まっている。痛がる様子もない。銀時は頭を掻いて息をつくと、地面に横たわっている男の襟を掴んで引っ張り上げた。
「俺にとっちゃ皆バケモンだよ。スッピンの女なんてな」
「………、」
「だから気にすることねぇよ、包帯おばけ」
懐かしい異名を出されて意表を突かれる。間をおいて、思わずといった風に笑い出したは刀の血を払って鞘に仕舞い、真選組の面々がこちらへ来ているのなら今の姿を見られるのはあまり良くないと踵を返していった。
一人でダブルサイズは広すぎる
少し久々にも感じるを交えた朝食も終え、テレビを見ながらゆったりと過ごしていた。ニュースの内容を見て雑談していたところ、巷で流行している話題として、パジャマパーティーなるものが紹介された。そこでふと、思い立ったようにお妙がを見やり、にこりと微笑む。
「ちゃんも、どう?」
「どう…とは?」
「パジャマパーティーよ。一度うちに泊まってみない?ちゃんもいずれこの家に住むかもしれないし」
「姉上!?」
「ああ、でもそうなるといろいろ買い出ししないといけないわね。来客用の布団や寝間着もあるにはあるけどほとんど男物だし、というか父上とか銀さんとか使った奴だし…」
「父上は故人なので縁起が悪いのだとしてもその言い方はどうなんですか姉上」
「新八さんの布団でいいです」
「それどういう意味?僕が布団を清潔に使っている人間だと判断されたということなのかそもそも僕は布団で寝るなということなのか、喜べばいいのか悲しめばいいのかわかんないんだけど」
「私は新八さんの匂いに包まれて眠りたいということです」
顔色を変えずに返すの言葉に喉が詰まり、言いにくそうに歯噛みして顔を背ければ、お妙はくすくすと笑って話題を戻す。新八が何も言えなくなったのを良いことに、せっかくなので用の物を揃えていこうという結論が出た。朝食の際にも使う食器類を始め、歯ブラシやら布団、枕等を準備し、今後本当に同棲や結婚となったときに慌てなくても済むようにしようというのはお妙の提案だ。
さすがに新八も話が早いのではと口を出そうとするが華麗に無視され、今日は大して急ぎの仕事がないというと三人で出掛けることと相成った。
「キャー!これ江戸西山の布団!ふかふか!」
「はしゃがないでくださいよ姉上!こんなブランドもの買えるわけないでしょ!」
「平気ですよ」
「いや平気とかそういうことじゃなくてさん、うちの貧乏な家には合わないって」
「でも嫁入り道具と考えればブランドものは必定では?」
「よっ、よ嫁入り道具じゃねーじゃん」
新八の動揺の言葉に、もお妙も、案内にやって来たらしい店員もきょとんとしている。「まだ早いって何度言わせんだ!」と訂正を求めるも、相変わらず新八のそんな言葉は無視され、商談は進められていく。
しかし値段の方も、江戸一番と名高いブランドでありながら買い手は敏腕女社長。店員も正体を知るわけではないながら、絶妙に値引きさせられていた。やがて枕とセットで二組の布団の購入を終える。
「……二組?」
「お妙義姉様のシングルサイズ一組と、私用のキングダブルサイズ一組です」
「……一応聞くけど、僕…」
「フフ」
「やっぱいいです」
入ってこいと、そういう意味の微笑みだと察し首を振る。というか認めてはいないが嫁入り道具であるなら、が自身の分を自分で払うのはともかくなぜお妙の分も買っているのだと言えば、「私がこれを使うならお妙義姉様もそれくらいのレベルになって当然です」と胸を張るのでまた青ざめる。当のお妙は「お言葉に甘えて」とテヘッとばかりに肩をすくめているので言葉も出ない。
「さん、あまり無駄遣いは」
「これからお世話になるんですから、その前金です。あまりプライベートで使う事もないので、贈らせてください」
「でも…」
「それに使える人が使って経済を回すのは基本です。大丈夫です、その分はあの手この手で新八さんに返してもらうんで」
「何それ怖いんだけど」
百貨店を見て回り、日用雑貨を始め寝間着や普段着も数着購入した。さすがに最初の布団以外はお妙もすべてをに払わせるということもなく、女子二人はずいぶん買い物を楽しんでいるようだった。
布団も含め、荷物はすべて新八が持っている。漫画でよくあるお嬢様の荷物持ちをさせられている男の図だ。持てないということはないしそこまでの負担ではないが、割合として自分の買ったものはごく僅かなので多少の不満が蟠る。
しばらくするとが時計を気にし始め、やがて申し訳なさそうに仕事に戻ると言った。今日中のものを片付けて、着替えや寝間着だけ持ってまたすぐ恒道館に来ると手を振って去っていった。大きな荷物はテキパキと配送手続きが行われ、新八の手には帰ってすぐ仕舞えるものばかりが残っていた。
§
「それでは何卒、様をよろしくお願いします」
「こちらこそ、お預かりいたします」
文句のつけようがないほど丁寧な所作でお妙に挨拶しているのは藤丸だ。今回が初対面であるお妙はともかく、新八にとっては目を疑う光景に瞬きを繰り返す。誰ですかアレ、と思わず確認をとってしまった。
が言うには、藤丸はボディーガードでも秘書でもなく、ただのドライバーなのだそうだ。どこかの宇宙人に改造されたアレではなく、車の運転手。そして社長でありながら未成年であるの、代理保護者。
故に、普段ふざけた行動をとる鬱陶しい藤丸を、仕方なく側においているらしい。
「お祖父様からお預かりしている大事な大事なおもちゃ……部下なんです」
「おもちゃっつった今」
「うふふ」
笑ってごまかすに呆れながらも、二枚目な対応で挨拶し終えた藤丸へ新八も軽く礼をする。―と、藤丸はにっこりと微笑みその三白眼をカッと開く。
「お嬢に変なことしたら許さねぇからな眼鏡ぇ…」
「なんなんだよこの人!ぼっ、ぼぼ僕が変なことなんてするわけないででょうが!」
「お前みたいなもっさり童貞はな、漫画のネタを鵜呑みにして故意にラッキースケベを起こそうとすんだよ!全裸のお嬢と風呂場でバッタリ、寝惚けて寝室及び布団に入り込む、転けてスカートの中に頭を突っ込む!隙のないお嬢がそんなことさせるわけねぇかんな!期待したりしてんじゃねーぞ!バーカバーカ!」
「藤丸はさっさと戻って仕事して。あ新八さん、風呂場にも布団にも故意に入ってきていいですからね」
「入らねぇよ!?」
鋭い手刀に沈んだ藤丸をそのまま門の外へ放置して、と姉弟の三人は家へと入る。
勝手知ったる様子で空いた部屋に荷物を置き、先に帰って仕舞っていた食器やらを新八らと共に確認する。今日は腕を奮うわと張り切るお妙をなんとか諌めて、夕食作りは新八が担当した。
いつもが作る見た目が凝った食事とは比べものにならないが、長年身を守るため習得した技術による夕食は、豪勢ではなかったが自分でもそれなりの味だと自負している。銀時神楽もこと食事に関しては文句を言わず任せてくるので、―単に面倒だから押し付けているだけかもしれないが、それでも食べられるものではある。冷蔵庫の中身の問題と好みの問題で、少し茶色いのだが。
「……」
「どうしましたさん」
「いえ。美味しいです」
「美味しいって顔じゃなかったですけど」
「美味しい…美味しいです…本当です…」
「そりゃ見た目も悪いしプロじゃないから、味付け片寄ってるとこもあるかもしれないし、口に合わなかったら残していいですからね。僕自分で食べますから」
「違うんです…美味しいです…」
箸を止める様子もなくは無心に野菜炒めを食している。いままでの朝食事情からして野菜嫌いということもないはずだが、どうにも不満の色が見える。そこまで言うのならと新八も気にしないことにしたが、時折視線がかち合うので背筋が痒い。
「皿洗いは私やりますね」
「大丈夫です、僕やりますから」
「でも」
「さんはゆっくりお風呂入ってきてください」
食事を終えて立ち上がるを止めて、慣れた手付きで皿を重ねて持っていく新八を唖然と見やる。そんなに昼購入した寝間着やバスタオルを渡して浴室へ押し込んだあと、お妙はそそくさとすまいるへ出勤していった。
使った食器とつけおきしていたフライパン諸々を片付けてシンクやコンロ周りを綺麗に拭き取った後、新八はふぅと息をつき、茶を準備して居間に戻る。はちゃんと風呂に行ったらしく、ほぼ意味の成さない動かし方で髪を拭いていた。
「もうダメですよさん、綺麗な髪なんだからちゃんと拭かないと」
「へ、あ……すみません、いつも藤丸がドライヤーしてくれるから」
「…へぇー、ソウナンダ…」
視線をそらす。湯に浸かって温まった身体は当然ながら火照っていて、自分にそんな度胸があるかはさておき変な気を起こしかねない。
というかいつも藤丸が髪のケアをしているというのはどういうことだ。同じビル、会社の上階が住居で、藤丸が代理保護者だとはいえそんなことまでする間柄なのか。の髪はとてもさらさらで、一見して枝毛なんかも見当たらない。お妙のシャンプーを使っただろうに、何故か良い香りがする。
そこまで思考して勢いよく立ち上がった。風呂に行くと宣言し返事も聞かないまま部屋を出るが、背には「背中流しますかー?」などと聞こえてきたので全力で拒否した。
そういえばお妙は翌早朝まで仕事で帰ってこない。これは…これはまさか脱童貞のイベントなのか。
+
二人きりで一つ屋根の下。来るべくして来た脱童貞イベント―
なんてことはなく。
実際が夜這いしにくることもなければ、自分がしにいく度胸も芽生えない。昼間買い物で大荷物を持たされそれなりに酷使した身体はしかし変に期待したせいかギンギンに起きていて、目も冴えている。
しばらく布団の中で寝返りを繰り返ししていた新八だったが、やがて心の隅で八つ当たりのように、誰へともなく悪態をついてから起き上がった。
眼鏡は外したままを泊めた部屋へと向かう。その部屋は襖の間からわずかに光が漏れていて、怪訝にしながら1センチほど襖をずらし中を覗いた。そこでは、ぼんやりとした表情ながらも絶え間なくノートパソコンのキーボードを叩くの姿があった。文机の上でひたすらに何か文字を書き連ねている。キリがいい頃に声を掛けようかと迷うものの、一向に指が止まる気配はない。時折携帯のバイブレーションが震え、電話しながらもパソコンを弄り続ける。機械が苦手で基礎の基礎くらいしか使いこなせない新八でも、の何か鬼気迫るような異様な雰囲気を感じ取った。
「まだ寝てないんですか」
「!…新八さん」
そんな様子を見守る頃にはもう、散々期待していたようなことは頭から抜け落ちていた。装備していないのに眼鏡を直す動作をしながら、ため息とともに部屋に入る。
「夜這いですか?」
「ちっちちちげーし!夜になってもカタカタカタカタうるさいから見に来たの!」
「ああ〜…それはすみません」
「夜更かしはお肌の大敵って、姉上の神楽ちゃんもさんも言ってたでしょう」
は苦笑しながらも、もう少し、とパソコンへ向く。深いため息を吐き出して、「ホットミルクを作ってきます」と踵を返した。できれば戻って来る時には終わっていることを期待して。
「ありがとうございます」
「ちゃんとフーフーしてから飲んでくださいよ」
言えば、両手で抱えるように持ったカップの中身にふうふうと息を飛ばす。は希望通りパソコンを閉じていたが、果たしてこの後きちんと眠るのかは定かではない。
「…さんは、いつもどんな生活を送っているんですか」
「うーん。どんな?」
首を傾げて困ったように眉を下げている。
「基本的に、週二回。丸一日寝てます」
「へっ…ええ…?」
「ソレ以外は…ほぼ徹夜ですね。時間が空いたときに仮眠を取ります」
「………そんなに忙しいの?」
だとすれば、今日出掛けたりこうして泊まったりさせているのは、彼女をさらに忙しくさせることになるのではないか。そう問えば、は首を振って少し俯いた。
「今は、本当に。忙しくないです。ただ私が社長になる前が、ずっとそんな生活だったので、癖で」
「癖って…忙しくないんならこんな時間まで仕事しなくてもいいでしょ」
「……眠れなくて。何かしていないと不安なんです」
不安、と口にしたの口元には珍しく、笑みがなかった。それに気付いて視線を泳がせる。
「さん。僕は馬鹿なので、教えてもらわないとわかりません」
「! ………ふふ。新八さん」
「はい?」
「好きです」
突拍子もない切り返しに、飲もうとしたホットミルクを飲み損ねてむせてしまう。かああと耳を赤くしながら、突然何を、と照れ隠しにを睨み付けた。 …本当に、幸せそうに、嬉しそうに。顔をほころばせていて。文句を言うこともできないまま、目を閉じて誤魔化す。
「……僕も、好き、です」
「はい」
「………け、けっこんとかは、もうちょっとまって」
「はい」
瞼の中でも泳ぎまくる視線を、おそるおそる覗かせた。
「きっと、私と結婚してくださいね」
「う、ん、んん…」
「あ、でも、他にちゃんと好きな子が出来たら言ってくださいね。私もそうします」
「やめて」
「冗談です。今さら新八さん以外の人、眼中にありませんもん」
「あなたはまたそういう……」
「ふふ」
(そのあとなんやかんや一緒には寝た)