渇いた唇を潤す雨

★多少特殊な設定の幼馴染系夢主。原作の傍らで。


 鼓動が、呼吸が、少しずつ聞こえなくなっていく。どうして私はこの場に横たわっているのだろう。確か―そう、追い剥ぎだっただろうか、街まで花を売りに行った帰りに見知らぬ男たちに囲まれたのだ。服を裂かれ花の売上を奪われ、必死に逃げても竦んだ足ではすぐに追いつかれてしまい、足の腱を切られ散々な目にあったのだ。動かなくなった私に飽いた男たちは、そのまま私を捨て置いた。
 日も落ちて気温が下がるなか、地面を見つめて痛みに耐えることしかできないでいた。視界も霞んでいる。このまま私は召されるのだろうと、素直に運命を受け入れて眠りにつこうとした。

「うーん…これは、酷いことをする」

 不意に聞こえた人の声。視線を上げることも出来ないが下ろそうとしていたまぶたを持ち上げて辺りを見る。背後にいるのか、見える所に人影はなかった。

「お嬢さん、…ああ…。すまない、君一人を助けることはできない…」

 悔恨の含んだ夜のような声でつぶやく。せめて人のいる所に、とその人―男はコートらしきものを私にかぶせ、するりと頭を撫でた。どうやら救世主というわけではないらしい。温かい手は今は亡き愛しき父のようで、枯れた筈の涙が一粒こぼれ落ちた。

「お…、とう、さん…」
「………」

 今からそちらに行きます。そんな決心の思いで吐き出した言葉に、男は深く呼吸をした。
 そこで―私の意識は途切れている。

「……いいのか、イスカリオット。そう…そうか、お前にも、ちょうどこれくらいの…。いや、いいんだ。イスカリオット、お前がこの子の力になりたいと言うなら…止めることは出来ないさ」

 深い眠りに着いた少女の傍で、男は悲しげに目を細めながら何者かと語り合う。僅かに口角をあげるとその手を懐に差し入れ、取り出した不可思議な小さな紅い石―を少女の傷口におしあてた。するとそれはまるで生き物のように鳴動し、吸収されるように少女の体内に入り込む。
 呼吸を止めていた少女が咳き込むと、深く傷ついていた足首からはじまり体中の傷がみるみるうちに快癒していった。しかし反するように少女は何度も咳き込み、苦しそうに胸を抑えている。

「―……」

 それがわかっていたかのように男は驚くこともせずただ少女を見下ろしていた。やがて少女が痙攣を収める―男はまぶたをおろした。

「う…」
「!……まさか、賢者の石を注入されて生きているのか?」

 咳と荒い呼吸から一転して落ち着いた様子を見せる少女に、男は目を開いて驚いた。
 ―本来、少女を死の淵から救うには、ただ男が”力”を使うだけでよかったこと。しかし少女の足はそれだけでは治らないものであった。だからこそ一か八か”この”方法を試したのだが―力の源たる者の想いが勝ったのだろうか。男は自嘲でもするように薄く笑った。





 目を覚ましたとき、私は二人の少年と一人の少女、小さなおばあさんと綺麗な女の人、それから大きな犬がいた。心配そうに私を覗き込んでいた少年は私が起きたのに気付くと興奮した様子で周りの動き回っていた人々を呼び止めた。状況が飲み込めないでいる私に、おばあさんが忙しなく何事か聞いてきている。

「…まだ起き抜けで意識がハッキリしていないかね。もう少し休むといい」

 ぼんやりしているままでいるとおばあさんはそう告げて、優しく私の頭を撫でた。―しかしその後ろで、少年少女たちが目を輝かせてこちらを覗いている。視線を向ければ、ぱっと笑顔になって三人ではしゃいでいた。おばあさんが呆れているけれど、子供はそんなことお構いなしだ。
 少年たちは、真ん中分けの子がエドワード、もう一人がアルフォンス、そして少女がウィンリィ。そう自己紹介した後私の名を聞いた。

「…なまえ、」
「ふふ、驚かせちゃってごめんなさいね。突然こんなところに居て驚いているでしょう、まずはそこから説明しなきゃね」

 その女性―トリシャさんの言う話では。彼の夫であるホーエンハイムさんが偶然、倒れている私を見つけ、オートメイル技師であり医者の知識もあるおばあさん、ピナコさんのもとへ連れてきたのだとか。それが一週間ほど前のことで、彼は今また少し遠出しているためここにはいないらしいが―身体の何処にも異常がないのに目を覚まさない私にピナコさんはほとほと困り果てていたようで、エドワードたちも私の看病に奔走してくれたという。今日私が目を覚まし、皆喜んでくれていた。

「貴方、名前は?」
「…名前…は」

 私が喋るべき時になって初めて違和感に気付く。彼女たちの説明を黙って聞いていたが―その記憶が、さっぱりとなかったのだ。私は今まで何処に住んでいたのか。自分の名前。どうして倒れていたのか。何も思い出せず、トリシャさんの質問にも俯いてしまった。その反応で事に気づいたのか、ピナコさんたちは何とも言えない息を漏らして気まずげに沈黙した。

「僕、君の名前しってるよ!」
「え…?」
「こないだ兄さんと読んだ本に、君とおんなじみための子がいたよ。白い髪で、白い肌で、とっても可愛い女の子なんだ。皆からってよばれてる」
「アルフォンス、それは…」

 困ったように言葉を止めるトリシャさんに、アルフォンスは首を傾げた。、という名前が私の名かはわからない―けれどなぜか、すとんと胸に収まった。

「…なら、思い出すまではと呼ぼうか。それでいいかい?」
「あ、…はい。ありがとうございます」

 にこにこと笑う少年に困惑を隠せないまま、しかしピナコさんの提案に素直に頷いた。
 。それが、これから彼らと過ごしていく少女―私の名前だ。






 ある時、ホーエンハイムさんは悲しい顔で私の頭を撫でた。「トリシャと、エドと、アルを頼む」そう呟いた夜、その次の日から彼は家に帰らなかった。夫と会えなくなって寂しいはずのトリシャさんは何処か微笑ましそうにしていて、何故か満足そうだった。
 それからトリシャさんの体調が思わしくなくなっていって、ついに倒れた。ホーエンハイムさんが居ない時にそうなることにはやっぱり悲しそうだったけれど、それでもトリシャさんはまたホーエンハイムさんにどこかで会えることを信じているらしい。そんな誇りに満ちた顔で亡くなった。
 エドとアル、それから幼馴染のウィンリィは、歳上であるはずの私と並ぶくらいにすくすくと育っていた。精確な年齢はわからなくても彼らより数歳年上であるはずなのに、彼らの成長が早いのか、私が遅いのか。もう少しで追い抜かれてしまいそうなほどだ。
 そんな彼らはトリシャさんが亡くなってから随分熱心にホーエンハイムさんの研究書を読み漁っていた。悲しみにくれること無く前向きに生きてくれるのは嬉しいことだ。
 ―けれどエドとアルは、昔私が目覚めた時に見せたようなきらきらと輝いた瞳で学校から帰ってくると、私をウィンリィたちの家へ押し込めた。ご飯を作らないといけないのにどうしたものかと思いながらロックベル家の夕食の準備を手伝っていると、突如感じた身体の痛みに体を震わせた。
 まるで全身の血が逆流したような、そんな薄ら寒い感覚だ。何か嫌な予感がして、何の根拠もなくエルリックの家へ走る。いつもと何も変わらない日の沈んだだけの家であるはずなのに、胸騒ぎがやまない。
 家へ駆け込んだ私が見たのは、片手片足を亡くしたエドワードと、アルフォンスの声が聞こえるがらんどうの鎧、そして―ヒトとも言えない蠢く何か、だった。


 ―それから。オートメイルの腕と脚を装着したエドと、身体を失ったアルフォンスは、失ったものを取り戻すために賢者の石というものを探す旅に出た。エドは錬成陣無しに錬成する術をもって国家錬金術師となり、かのホーエンハイムさんのようにあまり故郷であるリゼンブールに立ち寄らなくなった。私たちの育ったエルリックの家は燃やしてしまって、私はウィンリィとピナコさんと暮らすことになる。
 得体の知れない不安を募らせる私は、けれど何も言うことはできなかった。

§

 一度二人がオートメイルの調整のためリゼンブールへ帰ってきた時、心配の言葉を贈る私にエドは難しい視線を向けた。怒りのような、憎しみのようなものだ。アルフォンスは慌ててフォローをしてくれたけど、その後続いたエドの言葉に私は黙り込むことしかできなかった。

「そんなやつ放っておけ、アル。は家族じゃないんだから」
「兄さん!そんな言い方ないだろ!」
はホーエンハイムが拾ってきただけだろ!あれから何年も経つけど、一向に記憶を思い出さないどころか記憶を取り戻そうとすらしてないじゃないか!」
「だからって…!」

 舌打ちをして部屋を出ていったエドを呆然と見送る。アルは気まずそうに「兄さんも悪気があったわけじゃないんだよ…たぶん」と俯いてしまう。

「…二人が錬金術を本格的に学ぶようになってから、私のこと、なんていうか…仲間はずれにされてたのはわかってたんだよ」
「そんなこと…」
「本当はね、時々思い出しそうになることがあるの。…痛くて、痛くて、怖くて、怖くて…っ」

 ぎゅう、と胸元の服を握りしめる。脳裏に古い記憶がうごめいて、鼓動が早まるのがわかった。奥歯がかちかちと合わさって背筋に冷や汗が流れる。がしゃりという音でアルが動いたのがわかったが、顔をあげる余裕もなく言葉を止めて息を整えることしかできない。

「ごめん。ごめんね。思い出さなくていいよ、ごめんね」
「……ううん。エドの言うとおり…私は、早く元の記憶を思い出して、元の家に戻るべきなの」
「そんなことない!僕は…僕たちは、ウィンリィと、ピナコばっちゃんと、…のいるここが、帰る場所なんだよ」

 大きな手が無骨に、それでも優しく私の肩に触れる。腫れ物を扱うような手つきは、姿が変わっても彼がアルフォンスであることを証明するようだ。
 かつてホーエンハイムさんが旅立った時に言われた言葉を思い出す。トリシャさんと、エドとアルを頼まれていた。けれど―錬金術も何も使えない私では、結局何もできなかった。

「ごめんなさいアルフォンス。私、ホーエンハイムさんに皆を任されていたのに…何もできなかった。何の恩も返せてない。私、私はっ」
「謝らないで。この罪は僕たちが勝手にしたことなんだ。たとえ止められていても当時の僕達は止まらなかった。母さんだって元々身体が強くないのに流行り病にかかってしまっただけ。はなにも悪くない」
「私は―あなたに名前を与えてもらったのに、何も与えられなかった!」

 アルの手がこわばって、息を呑んだ。「僕は、」といいかけてまた黙り込む。

「…僕は、にいろんなものをもらったよ」

 しばらくして吐き出された言葉に、それでも私は首を振った。

「………兄さんのせいで、を傷つけた。代わりに僕が謝るよ、本当にごめん」
「…二人は、何も悪くないわ」
「ちゃんと兄さんにも謝らせるから、ごめんね

 また首を振る。二人は何も悪くない。エドの言うことは正論だし、アルにも迷惑ばかりかけている。ウィンリィたちのように二人の力になることも出来ない。ホーエンハイムさんは、どうして私を救ったのだろう。どうして私を生かしたのだろう。何故私に彼らを託していったのだろう。
 エドたちは自分の身体を取り戻すために旅をして成長しているというのに、私は―あの頃から何一つ、変わっていなかった。






 エドとアルが身体を取り戻すための旅に出てしばらく。ウィンリィがエドのオートメイルの整備のために彼らのいるセントラルに向かい、その道中で憧れのオートメイルの街ラッシュバレーへ修行のために滞在することが決まって、このリゼンブールの家にいるのはピナコさんと私だけになってしまった。ピナコさんの手伝いをしていく中である程度医療やオートメイルに関する知識は得たものの、幼いころから学んできたウィンリィに勝てることはない。ロックベルの家でただ三人の帰りを待つことしか出来ずにいる。
 ―その日、ピナコさんは街まで往診に行っていた。電話番をしながら夕食の準備や掃除をしていると、家のチャイムが鳴る。だれだろう、と思いながら玄関扉を開けた。

「―こんにちは、
「……こん、にちは」

 立っていた壮年の男性は、間違いなく初対面で―正しく言うならば、この地に来てからある記憶上は、見たことのない顔だった。男は私が返事をすると難しい顔を崩し微笑んだ。わけも分からず首を傾げる。

「ずっと君を探していたんだ、
「あの…どちら様で…」
「私はエングヴィーストと言う。君の兄だ」

 その言葉に私は目を見開いた。この人に見覚えはない。ないのだが、この地に来る前の知己と言うならば話は別だ。瀕死であった所をエドとアルの父であるホーエンハイムに救われこの地にやってきたのが数年前。エルリック家で目覚めた時、私はそれまでの記憶を失っていた。瀕死になった理由も自分の名前すら思い出せず、わかるのは一般知識など生きていく上で必要な事だけ。行く宛もない私を暖かく受け入れてくれた―エルリック家は今は燃えてなくなってしまったが、この地でそのまま暮らしていた。そんな私を訪ねてきたという彼に、私は戸惑いながらも家へあげようとした。エングヴィーストさんは時間が少ないと首を振り苦笑する。

「本当に偶然、君らしき噂を聞いて軽い気持ちで立ち寄ったんだ。すぐに帰らなくては」
「え、でも…その、」
「―だから、君も一緒に来て欲しい。父がずっと君を待ちわびていてね。会えばきっと喜ぶと思う」
「…父、が…」

 ずきり、と頭が痛む。かつての私を知っている彼を信じてついていきたいところだが、ピナコさんが帰ってきていないままこの家を空けるわけにもいかない。口惜しいが、私は少し考えてから頭を下げた。それから連絡先だけでも聞いて、後日訪ねる事を提案する。

「………」
「…?あの、エングヴィーストさん…?」
「あーもうじれったいなぁ。こういうの向いてないんだって」

 聞いた先程までの彼のものとは違う声が聞こえて、勢い良く顔を上げた。そこにいるのは変わらずエングヴィーストさんであったが、でも―どこか、表情が違った。面倒くさそうに首を鳴らして、浅いため息をつく。呆然としている私に対しにやりと口角を上げると、ゆるりとその大きな手を細い青年のものに変えて私へ手を伸ばした。一歩後ずさるが、意味のない抵抗だった。エングヴィーストから姿を変えた誰かは、細長い指を私の首へ巻きつけた。

§

 痛みが体中を蝕んでいる。痛みで気絶しても痛みで意識が戻ってしまう最悪の状況だ。指先が震えるのを我慢してまぶたを押し上げれば、見えたのはたくさんの管につながれた椅子に座るよく知った顔の男と、黒のイメージがつきまとう青年。窓は見当たらず、人工的な光しかなかった。
 エンヴィーと呼ばれた青年が私に気付くとにやりと笑って歩み寄ってきた。こちらの目を覗き込み、また笑みを深くして後方の男に視線を向けた。「起きたみたいだよ」と言われ、男はゆるりとこちらに視線を降ろす。

「ホーエンハイムが賢者の石を与えた人間だと言うから連れてこさせたが…」
「鋼のチビもこいつ本人も、そこらへんの事理解してないみたいだしねぇ」
「貴方は…ホーエンハイムさん、じゃあ…」

 ホーエンハイムさんによく似た男はゆるりと首を振る。本人も表情豊かというほどではなかったが、彼は本人以上に感情の起伏が薄いようで、憂鬱げに目を細めていた。

「まぁ、いざという時のストックにはなるか」
「こんなやつに賢者の石をやるの?」

 私の理解の追いつかないまま話は進んでいるようで、男は椅子から立ち上がると床に横たわる私に近づいた。後ずさろうにも手足は縛られており身を縮こませることしかできなかった。
 男は手のひらを私の上にかざす。ぼこりと手のひらに穴が空いて、そこから真っ赤な血が私に降り注いだ。肌に触れた血は随分とーなんというか、見た目に反する重量が合った。確かに血である筈なのに、どこか水分らしくない。そんな気味の悪いものは、ここへ連れてこられるうちについたのだろう小さな擦り傷から吸い込まれるように皮膚の下へ溶けていった。
 その様子が見えて息を飲む。次の瞬間にはどこかで味わったことのある激痛が全身を襲った。体内の全ての血が激しく動き回り、忙しなく何かに抵抗している。男は無感情なまま私を見下ろし、エンヴィーは愉しそうに覗いていた。
 声にならない悲鳴が喉からはじき出されるが何の足しにもならない。ひたすらに痛みと熱が全身を駆け巡っていた。



「…ふむ。肉体は適合するが、精神は保たない…というところか。まぁ、ホーエンハイムが目をつける程度の小娘ならそんなものか」
「どーなるんです、これ」
「私の”憂鬱”として賢者の石の一部を生み落とした。お前たちのように働きまわることはできんだろうが、賢者の石の備蓄とでも考えればそれなりだろう」
「ふぅーん…気絶してますけど?」
「何処かに放り込んでおけ。目が覚めたら家に返せばいい」
「またあんな田舎に行けって!?」