キムラスカ王国、皇位継承権を持つファブレ公爵家の息子、ルーク・フォン・ファブレ。皇位継承のため日々勉学に励んでは、剣術を学び自身の研鑽に努めている。そんなある日、新しい出会いがあった。
「本日からルーク様付きの使用人となります、アリーセです」
自分より数歳年上の少女。明るい朱色の髪で、どこか大人びた表情の人だ。同じ使用人でも何か別の理由でよそよそしいガイとは違い、気さくで親しみやすい。他のメイドのように過度に持ち上げることもないので、アリーセとはそれなりの付き合いが出来ている。
「ルーク様、休憩のお時間です」
「いや、まだ、もう少しできる」
「…ノルマは終わってるみたいだし、無理に進めてもいいことないよ」
無理やりノートを閉じて棚に仕舞うアリーセに息をついて渋々頷く。机の上には代わりとばかりに持ってきた紅茶を置いて、彼女は一礼してから退室するため踵を返し―ふと、立ち止まった。
「そうだ、私明日から一週間ほど休暇を取ります。引き継ぎはガイにしてあります」
「…そうか」
特別こちらに踏み込んでくることもない。ならば、こちらも特に彼女を知る必要もない。自分は決められた預言に従って、キムラスカの王になるため生きていかなくてはいかないのだから。
×
それからきっかり一週間してアリーセが帰ってきた。前の空元気な雰囲気から一転、どこか悩んでいるような表情で室内の掃除をしている。何かあったのかなどと聞く間柄でもないが、あまりにも雰囲気が落ち込むので痺れを切らして問い詰めるも、苦笑してごまかすだけで。
屋敷内の廊下を歩いていれば、聞き覚えのある旋律が耳に届いた。確か、時折アリーセが口ずさんでいた鼻歌だ。アリーセは今の時間厨房にいるはずだったが―そう思いながら声のする方へ行けば、廊下の隅でアリーセがうずくまっていた。
「おい、どうかしたのか」
「ぅ…?」
「体調が悪いのか?まったく…」
運悪く周りに他の使用人はおらず、わざわざ呼びに行って往復するくらいならばとアリーセに肩を貸して立ち上がらせると、使用人たちの居住スペースへと歩き出す。うろ覚えではあったが、大体の方向が合えばどうとでもなるだろう。
「おい、こいつの部屋はどこだ」
「ルーク坊ちゃん!?そんなことは我々が…!」
「ここまでくれば同じだ。お前は医者を呼べ」
困惑している使用人をよそに目的地を聞き出し足を進める。女性の部屋なので一応ノックしてからアリーセの部屋に入り、当人をベッドに転がす。廊下でうずくまるほど体調が悪いにしては顔色はそれほどにも見えなかったが、ぼんやりと空中を見やっては落ち着かない子供のように視線を動かしていた。
どこが様子が変だ。熱があるようでもない。どうしたものかと思っていれば、勢いよく部屋の扉が開く。医者かと振り向けば―入ってきたのは、部屋の主でもあるアリーセだった。
「ルーク様!…っこれは…、」
「……どういう、ことだ?」
ベッドを見る。もう一度扉の方を見る。今部屋に入ってきたアリーセは気まずい顔をして視線をそらしていて、ベッドにいるアリーセはきょとんと目を瞬かせていた。
どういうことだ、と再び口にする。
「それは、その…えっと…」
「双子の妹か何かか?」
「妹じゃ…血縁ではないんです。…私にも、どういうことなのか、よくわかっていなくて」
「わからない?これだけ同じ顔でわからないはずはないだろう。きちんと説明しろ、そもそも父上たちは知っているのか?」
首を振るアリーセに舌打ちを零して苛立ちを顕にした。屋敷の主であり雇い主でもあるファブレ公爵も知らないのであれば、何かと厄介なことになる。正体も知れない者を屋敷に置くわけにもいかない。言えば、アリーセはただ表情を沈ませた。どういう理由でベッドで寝ている少女をこの屋敷に連れてきたのか、そもそも身分は―答え淀むのに苛立ちを積みながら問うも、アリーセはやはり答えない。
「いい加減にしろ、わからないばかりで…とにかくこいつは警備兵に引き渡す」
「待ってください!この子は、」
「お前にも正体がわからないんならどうしようもないだろ!」
お互いに語気が強くなる。両者が武器でも持ち合わせていようものなら即座に喧嘩でも始まりそうな険悪な雰囲気になった頃、言葉にもならないような声が聞こえた。―そして、あの音律が部屋に響く。
「トゥエ 、レイ、ズェ、クロア、リュオ、トゥエ、ズェ…」
「なっ…?」
「これ、は…っ」
ベッドで呆然と二人を眺めていただけだったはずの少女が口ずさんだ歌。それが耳に入る当時に激しい眠気に襲われる。唇を噛んでどうにか持ちこたえたルークの眼の前で、アリーセは足元をふらつかせて膝から崩れ落ちる。慌てて呼吸を確認するが、眠っているだけらしくひとまず胸を撫で下ろしたあと、視線をベッドへと向けた。
座っていた少女はおぼつかない様子で床に立つと、眉を下げてじっとルークを見下ろしていた。彼女の思うことがわからずしばらく見つめ合っていれば、少女は悲しげな表情のまま首を振る。
「…喧嘩するな、とでも言いたいのか」
「ぅ!」
怪訝にしながら思いついたことを口にすれば、少女は一転顔を明るくして頷く。わからないことばかりだというのに渦中の張本人である少女がそこまで無邪気にしてていいものだろうか。ため息をついて頭を抱えてから、アリーセが寝てしまった以上話も進められないため、ひとまず今度はアリーセをベッドに寝かせ、歩けるようになったらしい少女を仕方ないので自分の部屋につれていくことにした。
ついてこいとだけ言って扉に向かうも、少女は両腕を広げてバランスを取りながら一歩一歩進む速度はとてもじゃないが待っていられない。痛む頭を抑えながら、少女の手を掴んだ。
人目を避けながら自室に帰り、一応部屋の鍵をかけてからベッドに座らせる。
「名前は?」
「ぁー?」
「…歳は」
「ぅ」
赤子のような舌足らずな返答しかできず、こちらの言葉を理解しているかも怪しい。そもそも流暢にしゃべることができるのならアリーセも苦労していないだろう。アリーセが起きてこの部屋へ来るまで今日の宿題でもするかと机に向かった。
「…」
「ん―…」
「……」
「ぅーっ!」
「うるさい!」
ベッドの上でおとなしくはしていたものの、 何やらもぞもぞと動き小さく声を漏らしていた。いつも自分が走らせるペンの音と窓の外の喧騒を背に勉強しているため、僅かな布切れの音がどうにも耳障りで。怒鳴りながら振り返れば、首の後ろに手を伸ばしながら間の抜けた顔で少女がこちらを見ていた。
「…何してるんだ」
「ぁ、ぅー…い!」
「…………」
首の後ろを掻きながら顔を歪ませる少女の動きに眉をひそめ、ひとつひらめく。「痒いのか」寝巻きのような薄手のワンピース以外は特に何も身に着けているようには見えないが、着ている物の生地は公爵家らしく上等なもので、よほどの敏感肌でなければ肌荒れを起こすものでもないはず。見てみればどうにも、アリーセと比べて長さは同じだろうに髪が細いのか毛先がところどころ丸まりちくちくと肌を刺しているようだ。ルーク自身も髪を背ほどまで伸ばしているが、結う場面はあまりないので髪留めは近くにない。しばし思い悩んだ後、ルークは衣装棚を開けて仕舞ってある衣服の中からリボンタイを引っ張り出した。男であっても幼いうちは襟締めにリボンを充てがわれることが多かったのだが、やけに大ぶりで気に入っていなかったものだ。さらに机の引き出しから櫛を取り出すと、少女の手を止めさせて髪を解き、後ろ髪を前に持ってこさせてリボンで結ぶ。不思議そうに見ていたが、首の後ろがすっきりするとぱっと顔を輝かせて微笑んだ。
「あぃ!とー!」
「…ありがとう、か?」
「ぅ!」
リボンが気に入ったのか解けない程度にいじりながら、楽しそうに笑んでいる。
…日々勉強勉強と気を張っている自分が馬鹿らしくなってきて、そっと少女の頭を撫でた。
二
腹が減ったのか今度はお腹を擦りながらもぞもぞと動く少女にため息を付いて、勝手に外へ出たりしないように言いつけてから厨房へ食事を頼みに行った。少しして用意されたスープを渡せば、スプーンをつまんでじっと見つめるだけで食事を始めないので首を傾げた。
「スプーンの使い方もわからないのか」
「んー…」
不格好な握り方でスプーンのつぼを逆さにしてスープを掬う。…もちろん一滴も掬えず、少女は困ったように眉を下げた。それでも再度チャレンジしている姿が段々もどかしくなって、少女からスプーンとスープ皿をひったくった。
「ほら、口を開けろ」
「ぁ?」
「もう少し大きく」
「ぁー!」
素直に開けられた口にスープを突っ込めば、少女は私服そうに嚥下してまたすぐに口を開ける。仕方なく二杯目三杯目とスープを掬って飲ませてやれば、やがて満足したのかぺろりと口元を舐めて息をついた。
食器はあとでアリーセが来たら下げさせればいいかと机の端に置き、当のアリーセが来るまでは何もわからないままで、さらにはいつ起きるかもわからないので、この想定外な一連の出来事によって遅れている今日の宿題を再開ことにする。少女は外を見たりリボンを弄りながらおとなしくしていた。
更に少しして外からバタバタと荒々しい足音が聞こえて、間を空けて扉がノックされる。「ルーク様、アリーセです」と告げられた声は苦々しげで。鍵を開けて部屋へ招けば、困った顔のままのアリーセがおずおずと入ってきた。
改めて少女について問うも、やはりわからないばかりでなんの進展もない。
「わかることだけでいい、全て話せ。そうじゃなきゃ身元不明の孤児として警備に突き出す」
「…。何から、話せばいいのか…」
アリーセは少しためらった後ぽつぽつと話しだした。
いつだったかルークの剣術指南を行っている師であるヴァンと会い、何を思ってかはわからないがアリーセの故郷について聞かれたこと。アリーセは隣国マルクトの使用人を務める一家であったが母親に当たる人物がキムラスカ国籍の要人と一夜の過ちを起こし生まれたのがアリーセだ。認知はされず、母親も育児を放棄したとかで、その先でファブレ公爵家に拾われたという。
「お母さんに、会わせてくれるって…でも屋敷を出て少ししてからまた帰ってくるまでの記憶がないんです。気付いたら、この子が私の服を掴んでて」
「…本当に何もわからないんだな。それで、自分の顔と同じだから捕らえずにこっそり連れ込んだわけか」
頷くアリーセから視線を外し、何故か不安そうに見ている少女に向ける。痛む頭を我慢しながら思案して、また息をついた。
「とりあえずヴァン師匠が絡んでいるなら、次来るときに聞くしかない。…とりあえず不便だから名前を決めるか。それから近くの空き部屋を片付けて事情がわかるまで住まわせる。その後の処遇はまた考える」
「この子の名前…」
「お前が決めろ」
「ええ!?」
唐突にそう言えば少女とルークとを交互に見ながら唸りだすアリーセをよそに少女を眺める。話していることを理解していないのかなんなのか、鼻歌を歌いながらにこにこと脳天気に笑っている。
「…アリーセの妹みたいなものだろうし、でいいだろ」
「えっ…妹、じゃ」
「これだけ顔が同じなんじゃ、誰だってそう思うだろう。お前が最初に保護した責任もあるんだ、少なくとも事情がわかるまではそういうことにしておけ」
渋々納得して頷くのを見届けて少女―を見やる。
「お前は今日からだ」
「あ、ぃー…」
「」
「…、!」
「そうだ」
言語や知識の無さは、記憶喪失というよりはまるで赤子のようではあったが、体が普通に成長しているからか多少練習すればすぐにしゃべることができるらしい。スプーンの使い方も、あの後正しい持ち方が出来ていたので教えればできるというならば、ルーク自身が普段使っている教材でも読まれば一般教養くらいは身につくだろうか。着替えなどの身の回りは本業のアリーセに任せるとして、問題はヴァンが次にいつファブレ公爵邸に来るかだが、ヴァンもルークの剣術指南だけが仕事なわけではないためいつ来るかはヴァンの予定次第だ。
やることがいっぱいだ、とまた頭を抱える。自分のことなのにいつまでもにこにこと笑うだけのにも何故か苛立ってしまい落ち着かない。
―ルークがこうやって気にかけてやる必要は本来少しもないのだが。どうしてこんなに悩んでいるのか、その理由については、気づかないふりをした。
×
謎の少女―を、ルークの部屋の近くの部屋に住まわせ始めてしばらく。最初に軽く文字を教えただけで、後は使い古した教材や書庫から持ってきた本を与えただけでみるみるうちに様々な知識を覚えていった。一月もすれば手指を使わずに簡単な計算ならできる程度には。赤子のようだと思っていたが、見た目通り赤子ではないからなのか、それとも失っていた記憶を徐々に思い出しているのか。ルークは思考を向ける度に首を傾げるが、当のも同じように首を傾げるだけで答える様子はない。
「ルーク。アリーセ、。ファブレ、キムラスカ、マルクト。預言…」
「ずいぶん喋られるようになったな」
「うん!ルークがいろいろ教えてくれた、から。ちょっと、舌がおっつかないけど、発音はなんとなくわかるようになったよ」
寝る時こそ用意した隣室に戻るが、それ以外は基本的にルークの部屋で過ごしている。食事を誰も使っていない部屋に運ばせるよりも、少し多めに頼んでおいて分けたほうが、育ち盛りなのだとごまかせるし実際運ぶアリーセも楽だろう。何より勉強をさせるのなら、忙しいアリーセに任せるよりも一日の予定に自室で勉強する時間が組み込まれている自分のほうが面倒を見やすい。
それでも不思議なのは、時折口ずさむ歌だ。初めて会った時にアリーセを眠らせた音律。何故自分は眠らなかったのかも気になるところだが、例えばアリーセがアレを歌っても何の効果もなく。何も知らないくせに、ルークたちも知らないことを知っていることが、何よりも不思議だった。
「久しぶりだな、ルーク」
「お久しぶりです、ヴァン師匠。あの、稽古の前にお聞きしたいことが」
待ちに待った、ヴァンの剣術稽古の日。つい数日前に連絡が入り、以来どのように問うか考えていた。いつも稽古を行う中庭に来ると、周りの警備兵に聞こえない程度に声を抑えながらヴァンにアリーセとのことについて口にした。
「ああ、あの時はアリーセを連れてマルクトにいるというあの子の母親を訪ねたんだ。…よかれと思ったんだが、余計なおせっかいだったようでな。あの子の母親は、他の男と結婚して家庭を持っていた。…あの子の父親的にも、家業的にも…隠しておきたいことだったんだろう。よほどショックだったらしくてな、戻ってきてすぐ気を失ってしまったんだよ」
「気を…失った?」
「泣き疲れたのかもしれないな。そのまま寝かせてやって、直接部屋まで運んだんだが…珍しいな、ルークがアリーセのことを気にするなんて」
「いえ、えっと…アリーセに、妹とかは」
「父親の違う、というものでなら、弟や妹はいたようだが」
うつむいて考え込む。という名前はルークがつけたものだから、その名前を出したところでヴァンは首を傾げるだけだろう。意図的に隠しているのか、それとも本当にしらないのか。
「…アリーセに、よく似た…女の子を、見たんです」
「アリーセに似た…?」
「はい。彼女だと思うには、少し表情が幼くて」
ルークの言葉にヴァンは一瞬だけ視線を外して、すぐに苦笑した。「きっと幽霊でも見たのだろう」いつも勉強や稽古を頑張っているから、疲れたのだと。そう言いながら頭を撫でて、数日滞在するから今日の稽古は休みにしようと決め、ヴァンは広げようとしていた稽古用の人形や竹刀を片付け始めた。
「本当に。本当に、知りませんか?」
「そんなに気になるのか?アリーセのことが」
「いや、僕は、アリーセじゃなくて―」
のことが。そう零しかけて口をつぐんだ。同じ顔をしているアリーセ自身も、誰も彼女のことを知らないから。
いつの間にか居座った、自分の中のすこしの隙間に顔を覗かせるあの子のことが、ただ知りたかったのだ。
得も言われぬ僅かな予兆に、きっと。あの子が必要な気がして。
あの子のことを、知らなければいけない、気がして。
「――…その幽霊は、何か悪さをしたのか?」
「え? …いえ、何も。ただ、したと言えば、よく歌を歌うんです」
「ほお。どのような」
「…歌詞らしい歌詞はなくて、眠たくなるような」
その言葉を聞いて、ヴァンがわずかに口元を引きつらせた。しかしそれは記憶を反芻していたルークに気づかれないままヴァンは微笑んだ。
「悪さをしないのなら、放っておいても問題ない」
「…はい」
「それじゃあ、部屋に戻りなさい。十分休むことだ」
なだめるように頭を撫でられ、背を押される。
ヴァンがのことを知っていても、これ以上何かを聞くことは出来ないだろう。例え、すべてを包み隠さず話したとしても。部屋に戻る最中ぎゅうと拳を握った。
「ルーク?おなかいたいの?」
「…違う」
「なら、笑おう。いたい顔してると、ほんとうにいたくなっちゃうよ」
部屋で本を読んでいたらしいはルークが帰ってきたのを認めると、複雑に表情を歪めていたルークの頬をつまんで伸ばし、へらりと笑った。
「いたいのとんでく、歌をうたうね」
「いたいのとんでく…」
「―リュオ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ ズェ レィ」
雰囲気を変えて、祈るように。少女が音を口にすると、本当に体が楽になったような気がして。
「変なやつだな、お前は」
「、だよ。ルークが、そう言った」
「……ああ、うん。そうだな」
気が抜けて、こんなにも考えているのが馬鹿らしくなって。少女に釣られるように口元をほころばせた。