最近ファブレ公爵邸では幽霊が出るという噂が流行っていた。夜になるとどこからともなく歌声が聞こえて、後を追ううちにひとりの少女に遭遇すると、いつの間にか眠っている―というものだ。
その噂を耳にするようになって、すぐにその正体がだとわかった。最低限読むようにと指定した歴史本や教科書等をすべて読み終わったらしい彼女は、多くの人が起きている日中は自室がルークの部屋で過ごし、夜になってルークも寝入った頃にこっそり部屋を抜け出し散歩しているのだとか。
諌めはしたが、いつまでも部屋に閉じ込められていては息も詰まるかと黙認することにした。幸い自分が隠されている存在だという自覚はあるらしく、見つかりそうになればあの不思議な歌で眠らせているというから。
「その幽霊騒ぎを確かめに参りましたのよ、私」
「……危ないかもしれないのに」
「もしまぼろしであれば、悪さをしないのであればそれで。でももしまぼろしではなく実在していたら?その少女というものが、もしこのキムラスカ王国の大切な国民であれば?人知れず、親のもとにも帰れず屋敷に迷い込んでしまったのかもしれませんわ。だとしたら、救い出してお家に返してやらねばなりません。…お父様たちは、憶測に兵は動かせないと言いますから。ならば私が自ら調べますわ。でもほら、この屋敷のことならルークのほうが詳しいでしょう?ですからルークも一緒に、夜の見回りをいたしましょう」
ぐいと顔を近づけて力説する婚約者―ナタリアに、ルークは冷や汗を流しながら了承した。
調べるも何も正体はわかっているわけだが、かといってのことをナタリアに話すわけにはいかない。言ったところで悪いようにはされないだろうが、ナタリアに話せばどうあってもファブレ公爵やナタリアの父にも話が行くかもしれない。それに身元不明の人間を屋敷に置いていることがバレれば、それだけで叱られるだろう。
わずかに疲労を覚えながらも、その日の夜に部屋を抜け出し屋敷を歩き回った。とは言っても今日は出歩かないように言い聞かせていたので、噂の幽霊が出るはずはないのだが。
「今日は機嫌が悪いのかもしれませんわね。また明日見回りましょう」
「こういうのは、自分から行くと出てこないんじゃないか」
「まぁ、そうなんですの?」
「元々噂に過ぎないんだ。見たっていう兵士も寝てたわけだから、幻覚か夢の可能性のほうが高い」
なだめれば、ナタリアは不満そうに唇を尖らせた。今後時々ルークが確かめて、何かわかれば伝えるからと言えば不承不承納得したようで、おとなしく客室に戻っていった。
部屋に入るのをしっかり見届けてから、ルークも自室に戻る―前に、隣のの部屋の扉をノックした。寝ているかもしれないので控えめに、返事はないが少し待ってから室内に入る。ベッドで上半身だけ起こしたが、窓の外の月を見ながら小さく小さくいつもの鼻歌を歌っていた。
「ちゃんとおとなしくしてたよ」
「そうみたいだな」
「私はお昼寝しちゃうから平気だけど、ルークはこんな時間まで起きてて平気なの?」
不安そうに首を傾げる少女に言葉を飲む。…とても眠い。特に今日は、昼のうちからナタリアの行動に付き合っていたからいつもより疲れている。
そのこころのうちがわかったのか、はくすくすと笑ってぽんぽんとベッドを叩いた。
「一緒に寝よう。私もね、一日じっとしてたからか、中々寝れなくて」
「なっ、なん…!」
「ね、いいでしょ?子守唄もあるよ」
脳天気に笑っている彼女に息をついて頭を抱えた。無駄に考えを巡らせた自分が恥ずかしい。
一人唸っているルークに、はわざわざベッドから降りて手をひいた。逃がす気はないらしい。
「真夜中に女の子の部屋に来たんだから、拒否しちゃいけないんだよ」
「どこで知ったんだ、そんなこと」
「細かい字の難しい本」
どれのことだ、と考える間もなくベッドに引きづられて、その日は眠りについた。
四
本来キムラスカ王の娘―一国の姫であるナタリアが、幽霊騒ぎごときに城を出られるはずはない。そもそもとして彼女は国中の巡察を行うついでに、噂を聞きつけてファブレ邸に駆けつけたらしい。つまりはこの滞在は予定外のもので、すぐ次の日には元々の予定に沿って出発しなくてはならない。…とはいってもナタリアはまだ幼い。自分の身を守れるほどに成長すれば、やがて本当に各地へ出向くだろうが、今はまだその練習のようなもの。毎回行く場所を遠くしていくらしいが、今回はベルケンド港方面に足を向け、長旅というものに慣れる目的らしい。
それほど長い拘束日数ではないのでルークも一緒に来ないか、と打診されたのは実は初日だ。それほど食指は動かなかったが、いずれ必要になる経験だ。父に許可を取り、昼のうちに準備を進めていた。
「ルーク。行っちゃだめ」
「…?」
「…だめ」
外行きの準備をしているルークを見て、は泣きそうにしながら「だめだよ」と口にして服の裾を掴んでいた。理由を聞いても何も答えず首を振る。
「もう決めたことだ。いまさら行かないなんて言えないから」
「なら私も一緒に行く」
「それこそダメに決まってるだろう。明日の朝に出立して、夜には帰ってくるから…部屋でおとなしくしてろ」
ついにはぼろぼろと泣き出して、慌ててなだめる。危険なんてない、心配することはないと説明しても、涙を拭いながら首を振るだけで。最終的には泣きつかれて眠るまで、落ち着かせるのに時間がかかった。
翌日の早朝、が来る前に部屋を出る。一体何をあそこまで心配していたのかはわからないままだが、出会ってから長く―一日程度とはいえ離れるのははじめてのことだ。彼女にはルークとアリーセしか頼れる人物がいないのだから、不安にもなるだろう。
―そう軽く考えられていたのは、道中何者かに襲われるまでだった。
半日もしていないのに、ナタリアとルークというキムラスカの要人を載せた移動用音機関は轟音を響かせて止まった。外では兵士たちが戦う音と悲鳴がこだましていて、焦った表情の側近兵士は二人に部屋から出ないよう言いつけると剣を握って喧騒の中へ飛び込んでいった。
何が起きているのか―ただ危険の最中にいるということ以外は、何もわからなかった。
「ルーク…喧騒が、どんどん近づいていますわ」
「…大丈夫だ」
稽古でも使うことは稀な剣を握り、扉に向いて構える。バタバタと慌ただしい足音が止まったかと思えば、ガタンと大きな音がして、同時に木の扉に穴が空いた。剣を持つ手に力を入れる。
やがて扉が破壊され、誰かの手が内側から鍵を開ける。壊れた扉が開き、知らぬ顔がルークたちを認めると外へ声を張り上げた。先程まで扉を壊すのに使っていた剣を持ち直し、下卑た笑みで口角を釣り上げた。
きっと、はこれを心配していたのだろう。理由や経緯はわからないが、この騒動を予見して。
入ってきた男が振り上げた剣を受け止めるが、いくら普段稽古していると言っても実戦は始めてた。なんとか防ぐことが出来ても攻撃して敵を退けることは出来ないし、いつまで防ぐ事ができるかもわからない。
こんなことなら―とは思わない。きっと自分がの言葉を聞き入れて同行を断ったとしても、それでナタリアが怪我を負ったならばルークは後悔するだろう。せめて自分がいれば、そうはならなかったかも知れない、と。
そんなことを考えたところで、敵を退ける一手にはならない。男は今の所ルークをいたぶろうとしているのか攻撃も生温いのだろうが、男の油断がいつまで続くかもわからない。
「―『堅固たる守り手の調べ』クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レィ ネゥ リュオ ズェ―」
聞き慣れた声の、でも知らない旋律が耳に届く。すると自分の剣とつばぜり合いしていた男の剣が弾かれ部屋の壁に突き刺さった。全員が目を白黒させている。
「『深淵へと誘う旋律』トゥエ レイ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ―」
男が剣を取ろうと踵を返した時、また別の音が聞こえた。男は足元をふらつかせ、何やら口汚いことを零しながら床に倒れた。―眠っているらしい。
「一体何が…」
わからないはずはない。あの旋律は、この歌声は間違いなくだ。ついてくるなと言ったはずなのに、どういうわけかこの移動用音機関に隠れ潜んで、ルークたちを守ってくれたのだ。
ルークはナタリアも同じように眠っていることを確認すると、男を拘束してから音機関を降りた。ベルケンド港は程遠い草原の只中だ。キムラスカの兵も、今回襲ってきた者と思われる人間たちも皆倒れていて、―一部は剣が突き刺さり、生きているかもわからない状態だ。
そんな中でぽつりと、見知った少女がひとりだけ立っていた。普段屋敷の中では聞けないような声量で歌っている。血を流していた兵士の呼吸が整っていき、次第に安らかな寝息に変わる。
「―ルーク!…無事で良かった」
「どうして来た!ついてくるなと言っただろ!」
こちらに気付いて駆け寄ってくるに怒声を飛ばす。びくりと肩を震わせて、立ち止まって視線を下げ「ごめんなさい」と零した。ぐしゃりとスカートの裾を握りしめたのを見て、違う、と頭を抱える。言いたかったのは、そうではない。
「こういう危険があることが、わかっていたんだろ。なのに、なんで来たんだ」
「ごめんなさい」
「いや、だから、…違うな。まずは、ありがとう…」
頬に手を添えて顔を上げさせる。泣いてはいなかったが、悲痛そうに眉を下げていた。
「…も、無事で良かった」
「私は、大丈夫…ルークは平気?痛いところない?」
「ああ。の歌が守ってくれた」
よかった、と。今まで泣いてなかったのに、顔をほころばせて涙を零す。どうして泣くのかと慌てれば、安心したのだと雫を拭ってまた笑う。
そっと抱き寄せて背中を撫でながらあやしていれば、遠くから今度は駆動音が聞こえて。目を向ければ、今までルークたちが乗っていたものと同じ型の移動用音機関が近づいてきていた。
「迎えか…?こんな早く」
「あ、たぶんね、私が置き手紙してきたから、それで」
それならばアリーセが何かしら察したのだろう。胸を撫で下ろしながら、しかしの存在は隠さねばと慌てる。そんなルークをよそに、は明るい様子で襲撃された移動用音機関へと駆けていった。
五
襲撃事件からしばらく、ルークもナタリアもそれぞれ外出が禁止された。ナタリアのほうが具体的にどのようになっているかはわからないが、ルークは部屋から出ることさえ禁じられるほどだ。信頼の置ける兵士が護衛に付き、そもそも部屋の場所さえトイレなどが完備されたものへ移動している。
それはつまり、自室の横においたの部屋へも早々いけなくなったということであり、自身も気軽にルークのもとへ来られなくなったということ。放って置いてもアリーセが世話するだろうが、何をしているか―勉強の進み具合、とか―を知れるのは、決まった時間に食事を届けるアリーセかこそりと教えてくれなければ知ることが出来ない。そのアリーセの顔ならば毎日見ているが、彼女とは違う。アリーセはそうへらへらとは笑わなくなったし、前のように気さくに話しかけてくることもなくなった。
「ルーク様!」
そんな中、アリーセが動転した様子で部屋に入ってきた。何事かと聞けば。
「あの子、がいないの!」
「…―何?」
「さっき食事を運びに行ったら、いなくて。また抜け出したのかと思ったんだけど、あの子いつも抜け出すときは置き手紙をするのにそれがなくて。屋敷の中も探したんだけどいないの!」
聞いて、ルークはアリーセを押しのけて部屋を出た。当然兵士たちに呼び止められるが耳から流して屋敷の廊下を走る。そもそも昼だというのに出歩くなんておかしい。いつもちゃんと、人気の少ない時間にしか出歩いたりはしなかったから。
最初に前まで使っていた本来のルークの自室を覗くがはいなかった。次いでアリーセの部屋。よく隠れていた空き部屋なんかも探したが、言う通りどこにもいなかった。兵士を動員すればもっと正確に探せるのだろうがそういうわけにも行かない。彼女は身元不明なのだから。
拳を握りしめる。どうして、どこへ行ったのか。灼けるように熱い胸を抑えて、唇を噛んだ。―もう、二度と会えないのだろうか。
§
歌声がする。聞き覚えのある、焦がれた声。寝付きが悪くなって慢性的な睡眠不足の中ようやく眠れたというのに。そう思いながらも部屋から抜け出し誘われるがまま足を動かした。庭師が綺麗に整えた草花が咲き誇る中庭にたどり着くと、そこには―もう、会えないと思っていたあの子がいた。
「―!」
「…ルーク」
「無事だったんだな。よかった、本当に」
姿を認めた瞬間に駆け寄って強く抱きしめる。「いたいよ」とくぐもった声が聞こえて慌てて腕を離し、赤くなった頬を隠すように背を向けた。どうして突然いなくなったのか、今までどうしていたのか、聞きたいことは山程あるが、今はそんなことよりも無事を確認するので精一杯だった。は庭の花に視線を落としながら、黙って髪を風に流している。
「…私ね、ルークのこと大好きだよ」
「…?」
ボソリと、周りが奇妙なほど静かでなければ聞き逃してしまいそうなほど小さく、少女は零した。
「だから、私は…」
「どうしたんだ、突然」
「―ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街とともに消滅す」
声色を変えてが口にした言葉に首を傾げる。
「それは…まさか、預言…?どうしてそんなもの」
「これは、"ルーク"のこと。ルークは、このままじゃ死ぬ運命にある」
まさか、と失笑するもは悲痛な表情のままで。その預言らしきものの真偽はともかく、がそれを信じていることを理解する。
「…私はルークに死んでほしくない。でも、ユリアが詠んだ預言には、逆らえないから」
「何、を。そんな…そんなもの、」
鉱山に行かなければいいじゃないか。そう言おうとして口を噤む。が口にしたものが本当にユリアの預言なら、多少の差異が生まれようと必ずそうなる。そういうものだからだ。が屋敷に来てから二年以上経って、それ以外に覚えるべき事があったからユリアの預言なんてものについては直接教えていなかったが、だからこそ―先の襲撃事件。何かを感じ取って引き止めていた姿を思うと、無碍にすることも出来ない。
振り向いて言葉を続けるにゆっくりと近づいた。
「けど、こんな事したら、ルークがとてもつらい思いをする。私、どうしたらいいのかわからない…っ」
「…大丈夫だから、泣くな」
「でも、でもね、私は、――っ」
「お前が…が何であっても、俺がどうなろうと、俺は、お前が泣くのは見たくない」
ぽかんと目を開いて、の涙が止まる。すぐに「そういうことじゃないよ」と苦笑して、目尻にとどまっていた雫がこぼれるのを袖で拭ってやった。
今彼女が何を知っていて、何を思って泣いているのか、それはルークには何一つわからない。ただ自分を心配してくれていることは確かで。拭っても乾かないの頬を見て、わずかに苦笑を返した。
「…ごめんなさい、ルーク。ごめんなさい」
「もういい。謝らなくていいから」
「ルークは、逃げて。私頑張るから…だから、」
どういうことだ、と眉をひそめると同時には涙も忘れて目を瞠り顔を青くさせた。ぐい、とルークの腕を引くも間に合わず―ルークの口元を何かが覆う。
ルークの意識は、そこで途切れた。
「やめて…!私が、私が行くから、預言でもなんでも詠むから!」
「君一人来たところで意味はない。目論見通りに出来上がったユリアの生まれ変わりにも等しい君と、ローレライとの完全同位体であるルークが共に手に入ることでようやく私の計画が進む。―ルークを死なせたくないのだろう?私に従えば、このルークは死なないぞ」
「そんなことしたら他のすべてが滅んでしまう!そんなこと、ルークは求めてない…!」
「…ああ、君は他の預言も詠めたのだな。でもどうかな?ルークは、自分が英雄になることを望むかも知れない。死ぬよりもいいと思うかもしれない」
「そんな、」
「君よりも、私のほうがルークをよく知っている。生まれたばかりの君が、どれほどルークの心情を察せられるというのか」
息を呑む。彼がもっと幼い頃を知っているこの男と、自分のことで精一杯だった私とで、この男よりもルークのことをわかっているなどとどうして言い切れようか。
「…来なさい。何、悪いようにはしないさ」
ずっと前から計画をしていたのだ。それを覆せるものが、とっさに思いつけるはずもない。数日前にこの男に連れ去られてから、たくさんの離しを嘯かれた。それをきちんと理解する、時間もなくて。
(…きっと、私は)
詳しい名称なんかはわからなくても、自分はが普通の人間ではないことはよくわかっている。私はレプリカなのだと、男に言われたから。
レプリカという存在ならばこそ、ルークを救えるのか。
それともレプリカという存在を持ってして、オリジナルがルークを救うのか。
そんなことを悩んでも、私には答えが出ない。
ただ私を認めてくれた彼の側にいたくて。
私は、男の手を取った。