01
「去年の竜巻の被害がここまでとは…」
首都レディレイクから離れた僻地で、アリーシャは馬の上で辺りを見回しそう呟いた。頑丈なはずのレンガ作りの家々は見る影もない。
アリーシャの部下であるは、重厚な鎧を鳴らしながら馬から降り、その残骸を見やる。すさまじい被害に彼も心を痛めているのだろう、とアリーシャは思った。
別の部下であるポルタたちが周辺を軽く調査していたのから戻って来て、小さな集落があったと報告する。頼めば一夜泊めてくれるところもあるだろうが、と口にするが当のアリーシャは首を振る。迷惑になるから野宿で良い、と苦笑すれば部下たちは何も言えない。
沈みかけだった太陽も完全に地平線の向こうに隠れてしまった。川辺で馬を休憩させ、が目敏く見つけてきた地下空洞で野宿の準備をすすめる。ある程度の力仕事を終えると、声を発することが出来ないが身振り手振りで外の見張りをしてくると言って制止も聞かず外へ出て行ってしまった。
「さんは相変わらずですね」
「本当に。彼にはいつも迷惑をかけているから、休めるときに休んでほしいんだが」
肩をすくめて苦笑する。辺りを見て、壁の砂埃を払いじっと眺める。
「どうしました、姫様」
「ボルタ、ここは遺跡のようだ!」
「アスカード時代のものでしょうか…」
「どうだろう…任務でなければ、に聞けばいろいろわかるだろうに」
がこの近辺ならば危険はないと言っていたのだが、逆に奥には絶対に行くなと視線で釘を差されている。しかし休憩ポイントから目の鼻の先で鑑賞するくらいならいいだろうとアリーシャは興味深い壁の模様を食い入るように見つめていた。
―いつからだったかは分からないが、幼いころから一緒にいたのことを、アリーシャはとても信頼していた。兄のような、父のような、…恋人のような。そんなことを考えてポッと頬に熱が灯るが、そんな彼の声はおろか素顔さえ、誰も見たことがない。そんな男を相手に好きもなにもあったものではないだろう、とすぐに眉尻を下げた。オレンジ色のカンテラの明かりのおかげで、アリーシャの百面相は誰にも気づかれずに済んだ。
眠るまでの僅かな間、全員がその壁を見て想像を膨らませた。
§
会議室をでて廊下を少し歩いてから溜息をつく。戦争や疫病など問題続きの今、民の楽しみを作ろうと伝統ある聖剣祭を開催することになり、それについての会議だった。事情のある王女のアリーシャを敵視する枢機卿たちがアリーシャの考えに賛同してくれて喜んでいれば、その思惑は首都外から来た若者を徴兵することだったのだ。その思惑を見抜けなかったことも、完全にそれをやめさせることも確約出来ない自分の不甲斐なさに、重い息が溢れた。
「っ、…ありがとう」
「……」
付き人として傍らに居てくれたが、ぽんぽんと手袋越しに頭を撫でた。ふっと力を抜いて、次の目的のため廊下を進む。
「建物の中なんだ、フルフェイスヘルムくらい外したらどうだ?」
「……」
「…やっぱり、素顔を見せてはくれないか」
努めて明るく声をかけるアリーシャに、当のは首を振る。戦争中でもなんでもないのに、一年中常に、彼は鎧や厚着を欠かさない。スマートなフルフェイスヘルムに、首まである鎖帷子。フル装備の時とは違う薄めの肩当てに、一般の兵装とは違う軍事服。肘から先と手の甲を覆うガントレット、それから動きやすいシンプルな模様のグリーブ、ソールレット。見事に肌を一切見せない今の格好は、それでも何度か忠言してようやくマシになった方である。
それからは沈黙しながら、次の目的であったドレイク教授の元へ向かった。先日に報告を受けた、都市グリエルの上空にかぶさる不審な雲について聞くためだ。
天文台に着くと望遠鏡を覗きながらドレイクの話を聞く。前報告したよりも霧が濃くなっているという。何か不吉な予感がすると語るドレイクに、アリーシャは先日グリエルへ調査に向かわれたクレムを追ってグリエルへ行くよう頼んだ。
「…なにかわかるか?」
あの黒い雲を思い出しながらそう声をかける。は少しだけ俯き、首を振った。
§
信頼する部下の一人であるクレムにグリエルへ向かわせて数週間。移動に多少手間取ったと考えても、あれから何の連絡もないのはいささか謎である。
そんな時、前方を歩いていたタオが馬を止める。最後尾のは理由を聞く前に馬を降り、何かを構えながらアリーシャに駆け寄った。次の瞬間ナイフらしきものがアリーシャに向かって投擲された。すぐさまが見えない武器でそれを弾き飛ばし、全員が馬から降りて武器を握る。
現れたのは数名の黒服たち。いかにも暗殺者風の彼らにタオたちもすぐさま応戦する。軽い身のこなしでアリーシャを狙うが、はそれを守ろうと一歩足を動かすも、すぐに別の場所からの攻撃に向かった。
―の信条は彼女を守ることだが、タオたちが充分に渡り合える程度の実力なら、アリーシャが丸腰でない限りよほど平気だ。用心をしないわけではないが、たとえ離れてしまっても奥の手がある。
案の定アリーシャは無事一人の攻撃をいなしその仮面を叩き切った。後ずさる男に強い瞳で正体を尋ねる。
「そこまでだ、引け」
「頭領っ。俺はまだ」
「お前の敵う相手ではない。万に一つ傷をつけられても、そちらの鎧がお前を塵にするだろう」
冷淡な言葉に男は肩をすくめてハッと笑った。「やるねぇ、お姫さん」と似合わない賛美の後、引きつるように笑い出す。そしてざわりざわりと何かが彼の元へ集まり、男の姿を変貌させた。それまで何処にでもいそうだった顔は目が鋭く細まり口角が気味悪いほど釣り上がる。暗い色だった髪も金色に変わり、毛先は白く―まるでキツネのようだ。口の端の赤い差し色が、男の気味悪さを引き立たせている。
「……ッ!」
「、」
危険を感じ取ったのか、が殺気をまとわせてアリーシャをかばうように男の前に踊りでた。ヘルムで表情は分からないが、それでも怒りのような者はその場にいる全員に感じられた。
男はまた高笑うと、先ほどとは違う俊敏さで姿を消した。
「何故トドメを刺さなかった?充分にその隙はあったはず…それは偽りの正義か?それとも…」
「何の話だ?答えろ!」
しかし答えは帰ってこない。どこかで木々の揺れる音がして、そちらを向くも誰も見当たらなかった。
+
グリエルの地に入ると、噂とはまるで違う風景にアリーシャは言葉を失った。緑の房が宝石のように美しいと聞いていた田園は、まるで生気を失ったように力なくうなだれている。近付いたあたりから口布をしているが、それも効果があるのかわかったものではない。
田園の管理者と思われる老爺と幼子に、あの黒い雲に関して近況を尋ねた。あの雲はいつからか、いつのまにかあったもので、何もわからないようだ。
騎士の駐屯所でクレムの行方と合わせて問うも、クレムの足跡以外詳しいことはわからずじまいだった。
情報通りにクレムを追い、黒い雲の近くで野営地を見つけると馬の速度を上げる。―あの雲が、竜巻が、迫っていたからだ。ドレイクに関しては地下へ調査に向かっているようで、アリーシャはためらうものの助けに行っている余裕はない。目に見えるほど近くに、竜巻が来ていたからだ。
頑強なはずの大地をえぐり、瓦礫を巻き上げ巨大化しながらアリーシャたちを追っていた。
「このままだと街に…どうしたら…」
「教授が言ってました…世界は地脈でつながっている。自然の力が地脈となって循環することで、世界の均衡が保たれている…今は、その均衡が崩れていると」
『人はかつてこの地を司る、目には見えないモノをあがめ、共に歩んできた。人は人のみで存続してきたわけではない。
―それを忘れた驕りが、この時代に降り注いでいる。…そう、私は考えている。
もし地脈を見つけることができれば、その秘密がわかるかもしれない―』
背後で巻き上がるばかりだった大地が、ついにアリーシャたちを越え地割れを起こし始めた。風も強まる一方で、後ろのほうを走っていたボルタとガネットが風に浮き上がり飛ばされていってしまった。名を叫ぶが、―届くことはないだろう。
「…っアリーシャ様、私をおろしてください!このままでは…!」
「できない!」
竜巻を監視しながら後ろを走っていたが、バッと勢い良く前方を向き直した。そのずっと前になにかが現れたのだ。それの姿を認識すると、ぐっと唇を噛んで口の中で何かを呟いた。
「お前で混沌の扉を開こう…」
突如として現れた少女は爆風の中呟いた。しかしアリーシャはそれに気づかずすり抜けるように通り過ぎていった。少女は笑うと、人技ではないスピードで駆けアリーシャを再び追い抜き、鞭のようなものを振り上げてアリーシャの征く先々に炎柱を発生させていく。
上手くよけていくも、馬の稼働領域範囲には収まらないほどの大きな、いくつかの炎柱が立ちはだかる。今度こそアリーシャは青ざめた。
「…そんな…、」
「……ッ」
「っ!?そんな、無理だ!」
馬の速度を上げ前方に飛び出たが、馬上で見えない武器を構えていた。いくら彼が強いと言ってもこのような自然災害―アリーシャにとっては―を相手に何が出来るわけもない。しかし誰にも見えない雲の中で、チリリと紫電が走る。
それでも何かをしようとしたの前にまた別の誰かが現れる。キツネのような容姿に気味の悪い高笑い―名は知らないが、いつぞやの暗殺者だった。少女を相手取って手のひらの蒼い炎で応戦している。しかし「奴は俺のメインデッシュなんでね!」という言葉からして、獲物を取られたくないだけの助太刀でアリーシャを救うためではないだろう。きっとあの少女を倒した後、あの炎はアリーシャに向かう。
少女の攻撃が散らばり大地を割る。衝撃で落馬したアリーシャはすぐに立ち上がるが、後ろに乗っていたはずのクレムの姿がない事に気づくとまた顔を青ざめさせ、大地の大きな割れ目に向かって走りだす。キツネの男―ルナールは肩をすくめ、少女は変わらない無表情のまま「冷めたわ」と呟いて姿を消した。
「何故…クレム…ボルタ…ガネット…っ!」
「……、」
武器を収めたらしいが、アリーシャの肩に触れる。ぽん、と優しく叩くと、アリーシャは唇を噛み締めながら彼の胸に抱きついた。
「お前…さっきあの小娘になにをしようとしたんだァ?ただの攻撃じゃあ、太刀打ちできるわけもないアレに」
「―
お前に答える義理はない」
「!…へぇ…なるほど」
アリーシャの耳には、一人で喋るルナールの声しか聞こえない。なぜならは喋ることが出来ないのだから。だというのにまるで答えを聞いたかのように笑い、ルナールも去っていった。どういうことだ、と聞こうにも、今のアリーシャにそんな余裕はなかった。
+
「…ん…」
眠っていたらしい。アリーシャは頭痛と脱水に顔をしかめながら起き上がり辺りを見回すと、小さな焚き火と見覚えのある―のヘルム、いくつかの荷物が視界に入った。自分の身にはこれものだろう上着がかけられている。
「…?」
つぶやくが辺りにはなにもない。木々も障害物もなにもないのだ。荒野のど真ん中、一人で途方に暮れていると背後に気配が現れる。本当に突然だった。
しかしそれは覚えのあるもので、だと安心して振り向こうとした。
「……?」
「………、」
振り向くよりも早く、彼の手がアリーシャの視界を覆った。大きな、感触でわかる骨ばった手。反対側の手はおずおずと遠慮げに肩に触れ、ゆっくりとアリーシャを抱きしめた。
「………」
「………」
ほっとする。最初は思わず力んだ身体から力を抜けば、抱きしめる力が強くなった。
「…すまない、もう大丈夫だ。ありがとう…」
「…………っ、………」
必死に笑顔を作るも、は離してくれそうにない。抱きしめられた手に自分の手を添え口を噤む。
耳元で吐息がする。喋っているような、間隔や長さの違うブレスだ。けれどの声は、アリーシャには届かなかった。
「ありがとう…ありがとう、…ありがとう…っ」
また涙をためるアリーシャに、は。
―その頬に、そっと唇を寄せた。アリーシャは驚いて今度こそ離れようとするが、男の力に容易に勝てず何も体勢を変えることができない。
視界を覆われたまま、抱きしめていた手が離れ近くにあったヘルムに伸びた。カチャカチャと金属音がしで、少し経つとようやくの手が離れた。
咄嗟に振り向くが、そこにはいつもの完全装備のしかいない。もう少し眠った方がいいとジェスチャーするを無視して、すぐに状況を確認したいと焚き火を消して立ち上がった。
「………、」
「わかっているさ…それでも、この目で見て置かなければ」
首を振るに苦笑して、有無を言わせない強い瞳を返す。しばらく見つめ合っているとが折れ、ぽんぽんと頭を撫でられた後、歩き出した。
しばらく進んで見えたのは、見るも無残な姿になったグリエルの街だった。
ここへ来た時に出会った少女が泣きそうな顔で駆け寄ってくる。アリーシャは思わず笑顔になって手を伸ばすが、少女の背後にまたあの竜巻が近付いた。手を取ろうとするアリーシャを掴み見えない武器を地面に指して強風に耐えるの腕のなかで必死に暴れた。けれどもう、あの少女は遥か彼方竜巻の中だ。
「っ――…!」
竜巻の中で炎が蠢く。それは翼を型取り、凶悪な爪と牙を有していた。
アリーシャは知っていた。あれは、導師の伝承にもある―ドラゴンだと。
02
あれからあてもなく歩き続け、一つの遺跡にたどり着いた。相変わらずはアリーシャに過保護にしているが、ここまで来て怖いものはないと話半分にその警告を聞いていた。
雨も降り始めており、ひとまずその遺跡で休むことになった。辺りが白んで来た頃、外の僅かな光で遺跡の壁が見え、アリーシャはそれを目にして表情を明るくさせた。導師の伝承、それに関する壁画のようだ。
「聖剣を掲げる英雄…」
「……」
アリーシャが肌身離さず持っていた導師の本を読み上げる後ろで、は何やら視線を足元へ向けていた。そこにいる"者"に、アリーシャは気づいていないようだ。
そして何かを境に勢い良く振り返る。―多くの、数多の蠢く何か。わかりやすく表現するなら地を這う黒い蟲。鎧の音でアリーシャも振り向きそれらを視認すると、息を呑んで後ずさった。
「、あれは一体…!」
守るように手で制しながら、は大剣を床へ突き立てる。向かってくる蟲は弾かれるように散り散りになり、足元の生き物も必至に彼らを守ってくれていた。しかしあまりにも多い蟲は収まらず、後ずさったアリーシャの背が着いた壁のヒビ割れた隙間からもあふれるように現れだした。アリーシャは悲鳴を上げて逃げ始める。
足元の生き物が起こした小さな爆発が、蟲を焼くとともに壁へ亀裂を走らせる。壁との間で逃げ回っていたアリーシャは、一度壁へ手をつくと―その壁が崩れた。
「―ッっ、」
「っ、― !」
壁の向こうは空洞になっており、咄嗟にが手を伸ばすものの間に合わず―アリーシャを、遺跡の奥へと飲み込んでいった。
+
「ッ―だから!壁を不用意に爆破するな!」
「せやかてー!壁から蟲出てきたの見てたやろー!?兄さんあの子の前では術使わんみたいやったから、慌ててもうてー!」
足元の生き物―ノルミンはに掴みかかられるものの必至に弁解する。自身も意味のないやつあたりとわかっているのか、荒々しく舌打ちしてノルミンを離した。
「とにかく…俺はアリーシャを追う。案内してくれ」
「構わんけど…なぁ兄さん、あの子うちのこと見えてへんかったよな?なんで…」
―と、ノルミンが聞こうとして、男の静かな視線に気付き口をつぐんだ。”見えない”身体を一切隠す鎧。あえてその格好をしているのだろうから、何も言えることはない。話題を切り替えるように足を早め、アリーシャが落ちた場所へ回り込むため遺跡内部へ向かった。
§
身を揺さぶられる。崩れた壁の奥へ転がり落ちともはぐれ、仕方なく進んだ先にあった神殿らしき場所で、アリーシャへ向かって稲妻が光り―足元までもが崩れ、そのまま転落したアリーシャはついぞ気を失っていたのだ。次第に意識を浮上させ、慌てて飛び起きる。こちらを覗き込んでいた少年はアリーシャを見ると優しく笑って、後ろを振り返り「大丈夫そうだ」と口にした。
手を差し出されるものの、ここが何処かわからない上相手が何者かもわからない。アリーシャは警戒を隠しながら一人で立ち上がり、少年に礼を述べた。
スレイと名乗った少年に、アリーシャは意を決して、思い立ったことを聞いた。
「スレイ、貴方は導師か?」
そんな問いにスレイは困った顔で頭を掻く。
「俺はただの人間だよ。君も人間、だよね?ここに人間が訪れるなんて初めてだよ」
「!―なら、ここは天の都と呼ばれる神殿なのだろう?ならば導師が…導師がいるのではないか?」
「いや…誰もいなかった。でも壁画は見つけたよ、聖剣を掲げる導師の」
困り顔ながらもスレイは彼女の言葉にきちんと返事をした。しかしその内容に、アリーシャは「伝承にすぎないのか」と落胆しながらうつむく。
「もはや世界は…救えない」
意味深なことを呟いて沈黙する。場の空気に気まずくなりながら、スレイは近くにいる誰かと目配せすると「村に来ないか」と提案した。大きな傷はないようだが、先程揺り起こした時触った限りでは衣服も湿っており、見える肌はかすり傷が多くあった。状況から考えるに落盤したのは確かなので、捻挫などをしている可能性があるためだ。
そう説明すると、アリーシャは伏せていた瞳をスレイへ向ける。
「それはありがたい、のだが…一緒に来ていた人とはぐれてしまって。先に探さなくては」
「そっか、じゃあ俺達も一緒に探すよ。どんな人?」
一緒に来ていた人―の特徴を告げ、三人は彼を探すため奥へと向かう。
しばらく歩いていると、ふとスレイが脚を止めた。首を傾げて、後ろを歩くアリーシャを振り向き、そっと剣を構えてまた正面を見据えた。
「…スレイ?」
「憑魔だ。アリーシャ、静かに…憑魔は俺達じゃ倒せないから、やり過ごそう」
先程遭遇した時は高いところから叩き落として事なきを得たスレイだが、本来憑魔は人間では容易に倒すことは出来ない魔物だ。アリーシャをかばうように正面の曲がり角を見ていると、ガラガラと崩落の音が聞こえた。憑魔が、もしや件のを襲っているのでは―そう考えてスレイは走り出そうと一歩足を踏み出した。
その時、通路の奥から爆風が吹き荒ぶ。何事かと呆然と見ていると、今度はガチャガチャと金属のこすれる足音が聞こえた。耳に覚えのあるものなのか、アリーシャはぱっと表情を明るくさせた。
×
「ここに一番近い村は?加護天族はいないのか?」
「一番近いのはイズチやなぁ。確かゼンライじいさんがいはったと思うけど」
「ゼンライか…ならこの少なさと凶悪さには頷ける。アリーシャが食われてなければいいが」
足元を歩くノルミンと会話をしながら、立ちふさがる大きな蜘蛛を両断する。とは言えの大剣を持ってしても簡単に絶命する相手ではなく、は顔に似合わず舌打ちをすると刀身に蒼い炎を宿らせてまた大蜘蛛を攻撃する。すると大蜘蛛はそれまでの凶暴性が嘘だったかのようにおとなしくなり、―小さな蜘蛛になって散り散りに逃げていった。
「…もうそろそろこの世界も潮時だな」
「そんな怖いこと言わんでや兄さん!兄さんが本気出せば地球一個浄化するくらいわけないやろ?」
「千年前ならともかく今の俺にそこまでの力はない」
―天族の力の源は、人々の祈りと信仰だ。正体を隠している状態でも衰えずそれなりの力を維持するだけでも通常の天族ならば難しい事であり、更に今のは本来の名を捨てている。ノルミンの言う”本気の力”を発揮するには、かつての名を取り戻す必要がある。たとえ世界が終わろうと、そうするだけの義理はないとは思っているのだ。
「……!人の声がする」
目の前のリザード型憑魔を蒼い炎で切り飛ばした後、は目を細めた。ちょうど見えるT字路の曲がり角だ。剣を構え警戒しながら足を進める。
「!」
「………」
「この人が?」
「そうだ。よかった、無事だったんだな」
角の向こうから顔を見せたのは、先程からずっと探していたアリーシャだ。はそれまで饒舌にしていた口を閉じ、構えを解いてスレイ達を指差す。視線に気づいたアリーシャがスレイを紹介するも、の視線はもうひとりの少年に向いていた。
「………」
「?」
「……こいつ、僕が見えているのか?」
「え?本当に!?」
どうやらもう一人の少年は、アリーシャには見えていないらしい。元々気配で感じてはいたもののやはりかと納得して、は首を振る。
スレイはこの遺跡を探検しに来ていたらしく、道に迷ったも同然なアリーシャたちをひとまず村に案内してくれるようで、無事合流できた後は知った足取りで遺跡の中を移動し始めた。
「おい、あんた」
「……」
「僕が見えているんだろう。なんで無視するんだ」
スレイとアリーシャが前を歩く後ろで、少年が疑った顔でに声をかける。スレイは二人を気にしていたが、その声はアリーシャには届かないので聞こえない素振りで案内を続けている。
はため息を着いて、兜の下で視線だけを少年に向ける。青をメインにした全体的に白系統の姿をしている少年は、やはり間違いなく天族であるようだ。
「……名前も知らない奴によろしくするつもりはない」
「なっ。…僕はミクリオだ。水の天族!」
「そうか」
15、6だろうスレイと仲良くしているだけはあるのか、ミクリオ自身も天族としてはかなり幼いらしく、子供らしい受け答えをする少年に涼しい顔で短く返した。気に食わない様子だが、にとっては興味のないことだ。問題はスレイの方―今のの声は、あの少年にも聞こえている。それをアリーシャに話してしまえば、今の関係を続けられるかも怪しいものだ。
遺跡を抜け村へ向かう道中、”天遺見聞録”の読者であるスレイとアリーシャは少し打ち解けたようではあるものの、見える者と見えない者ではやはり決定的な溝がある。不安を色濃くしていくアリーシャを心配しながら眺めていた。
やがて村へたどり着くと、の視界には幾人かの天族がいるのが見えた。スレイが紹介しようと手を振った時、アリーシャが声を張り上げる。今世界に広がる闇を打ち払うには、天族の力が必要だと―必死に懇願するが、天族達は難しい顔で見ているだけだった。「スレイ、災いを呼ぶ前に早く帰ってもらうんだ」と言い残して去っていく始末。今までの人と天族の暮らしや関係を知っているは悲しげに目を細めた。
日も落ちるとスレイの用意した食事をとりアリーシャは早々に眠りについた。別段休息を必要としないは、この地は安全であることを確認してから宿として貸してくれているスレイの家を出た。
「……ミクリオ、だったか」
「……ジイジからの伝言。出立の準備ができ次第早々に村を出ていくように、だって」
「了解した」
「それから…ジイジがあんたと話したいってさ。高位天族のジイジがそんな扱いするあんたは一体何者だ?」
闇夜の下、ミクリオはやはり警戒したままの目でを見上げた。
「……ただの騎士だよ」
皆が寝静まった中でも甲冑を脱がないはそう零して、静かに草の絨毯を踏みしめて歩き出した。準備でき次第、というのはアリーシャにもすぐに伝わるだろう。知った人物が加護するこの村が現状他のどこかよりも一等安全であることは間違いない―この場所で、身も心も休んで欲しいと思うは準備を進めることはしないつもりでいる。それよりも今は不穏な予感を払拭することが重要だ。
03
「あの人間嫌いの貴様が一介の騎士などとは、笑わせる」
「……随分縮んだな、ゼンライ」
「やかましい。しかも名を変えて…格が落ちているではないか」
何をするつもりだ、とゼンライは丘の上で遠く都の方を眺めるの後ろで問う。視線を向けるだけで振り向くこともなければ返事もしない。かなりの永くを生きているゼンライは、の古い友人の一人である。
「かつての災厄のときも貴様ほどの者が現れもせず息を潜めていたと思えば、都で騎士だと?」
「あの時を境に人々は天族の存在を忘れた。元々人間に期待などしていなかったんだ、この世界が滅びようと興味はなかった」
「…その貴様が、だから…」
「そう。その俺が、力を貸したいと思う人間を見つけた。笑えるだろう?」
兜の下で自嘲気味に嗤う。標高の高い村特有の冷たい風を受けながら、二人は沈黙する。
「……。あの人間と出会ったことで外に興味を持ったスレイは世界へ旅に出るだろう。その時は―」
「俺はただの騎士だ。俺一人が力を使うだけならまだ何とかなるが、奴を主神として闇を払うほどの力はもうないし何よりあの少年に付き従うつもりは毛頭ない。―俺はアリーシャを守るだけだ」
「なら何故あの人間を導師にしない?どれほど取り憑いているのかは知らんが、永く共にいればスレイのようにもなったろう」
その言葉に、かつて彼女が幼い頃の姿が脳裏に浮かぶ。―そんな頃から、は彼女と共にいたのだ。天族の祝福があれば、生まれつき霊応力が無くともそれなりに培われるというもの。しかしはそれをしなかったのだ。
「……俺は人間を見くびっていたんだよ、ゼンライ。アリーシャがそんなことを考えるようになるなんて思ってもいなかったんだ。俺はあの子に闇を見せないでいようと思っていた。霊応力が身についてしまえばこの穢れた世界が見える。あの子がそれに耐えられるか…考えたくもなかった」
「人と離れて生活していた弊害、か。貴様がそこまで惚れ込む者なら心配はいらんじゃろうが…あれの周りとなれば話は別。しばらく監視させてもらうぞ」
「致し方ないだろう。もう夜も明ける―」
山間から覗き始めた朝日に、は目を細めた。
+
準備を初めて数日、スレイとアリーシャは随分親しくなったようだ。何やら歯がゆい気持ちを振り払いながら、は遠目に二人を見守っていた。やがて食料の調達や荷物を持ち運ぶための麻袋制作が終わり準備も万端になると、アリーシャは名残惜しい顔をしながらも出発の意志をスレイに伝えた。
結界の一つである村の入口のアーチまで見送りを受ける。来たときとは違い、この関わりで他の天族たちの顔は幾分柔らかくなっていた。
「アリーシャ…アリーシャ・ディフダ。これが私の名前だ。君は何も言わずに、何者ともしれぬ私達を…私を助けてくれた。それに引き換え私は…騎士として恥ずべきことであった。どうか、許していただきたい」
「そっ、そんなこと…」
「それともう一つ…イズチには天族がいると思う。ずっと、姿なき者の気配を感じていた。私の声には応えてもらえなかったが…今も、そこにいるような気がしている」
スレイの後方、の視界には見える数名の天族のあたりを見ながらアリーシャが笑った。
「レディレイクでは、間もなく聖剣祭が執り行われる。導師の伝承をなぞらえた、剣の試練を行うつもりだ。…スレイ、剣の試練に挑んでは見ないか?」
「え…」
「…それと、やはりこれは返しておく」
遺跡を見に行っている時にスレイが渡したという、導師の壁画の近くにあったという導師の紋章の描かれた指抜きグローブを手渡した。スレイはこれをアリーシャに渡した時、天族と人間が共生する未来を夢見ていることを語っていた。「それならば、導師に鳴るような人間はきっと君のような人間だと思うから」と強く告げた。
「…では。行こう、」
踵を返すアリーシャを追って少し遅れても村に背を向けた。迷いなく進むアリーシャの後ろで、ふと足を止めてスレイを振り返る。
「……天族と暮らす少年」
「…?」
「聖剣の乙女と出会った時が唯一の分岐点となるだろう。君が剣を抜いてしまえば、もう君は逃げることはできなくなる。だが君が剣を抜かなかった時、災厄が世界を覆う…かと言って、君一人がその業を背負う必要はまったくない。それは人間と天族、生ける者全ての過ちだからだ」
「それはどういう―ッ!」
問い返しには応えず、はアリーシャの後に続いた。
§
王城を囲う水路を観察しながら街の様子を眺める。都は穢れに満ちているが、今のところ人々にはまだ影響はないようで、聖剣祭を前に活気に満ちていた。
アリーシャは今、槍の師であるマルトランと共に殉職した部下たちの墓参りに行っている。都に戻ってこのグリエルへの調査の報告を行った時、彼女はイズチで過ごしたことで心を休めることが出来たようで揺るぎない瞳で仔細を語っていた。甚大な竜巻やらドラゴンやらについてはどういった説明をした所でバルトロたちは信じないだろうが、それを踏まえた上で再度戦争反対の意志を伝えることが出来た。…そうしたところで目立って彼らの意識が変わることもないだろうが。
「五日間に及ぶ聖剣祭も、いよいよ最終日となった。これより戦士の部へと入っていく。…ここ数年は聖剣祭も、世相を省み控えてきた。だが今年は、アリーシャ殿下の全面的な支持の下、開催することが出来た」
聖剣祭の目玉である聖剣の儀に我こそはと意気込む市民たちが大聖堂に溢れていた。マルトランの声でさらに歓声が湧き、儀式が始まるのを今か今かと待っている。聖堂に祀られている、この儀式に使われる台座に突き刺さった剣―その足元に眠る一人の女性を見下げ、は一つ息をこぼした。
あの女性は、周りの人間達には誰にも見えていない。つまり―あの聖剣を依代とする天族であるということ。普段は眠っているしもここには近づかないのでここへ来てからは言葉を交わしたことはないが―さて、今回の儀式はどうなることやら。
「は参加しないのか?ほどの者なら、あの剣も応えてくれそうなものだが」
「……」
「ふふ。にはあの大剣があるものな」
参加者全員が聖剣に挑み終えたのを見て、アリーシャは一礼して聖剣の前―観衆の前へと歩み出た。まずは参加者に拍手を、と言った後、努めて明るい声で言葉を続ける。はその姿の邪魔にならぬ位置で、聖堂の中に潜む僅かな殺気たちから守れる場所でその様子を見守っていた。
「今回は終ぞ導師になるものは現れなかったが…伝承によれば、導師は天族の力を借り、この世の穢れを祓う救世主であるという。だが私は、伝承を鵜呑みにしてこの聖剣祭を開いたわけではない。
今、我らハイランドと隣国ローランスは緊迫した状態にある。この聖剣祭を、戦の前の宴と位置づけるものもいるようだが、私はそうは考えていない。伝承にはこうも記されている…人は天族を知覚し共に暮らしていたと。これは戦で争い合うのではなく、他者とともに生きよと示しているのではないだろうか?
私は思う!この災厄の今だからこそ、―仮にローランスが攻めてきたとしても、攻撃を受けるまで我々から攻撃をしない…その勇気を持ちたいと思っている!」
アリーシャが堂々と国民に語りかける傍ら、は眉をひそめた。目を覚ましている聖剣の天族―湖の乙女や、想像通り村を出て都へやってきた例の少年たちも、異変に気づき顔色を変えている。
観衆達は少女の言葉にひそひそと噂をしている。詳しくは聞こえないが、聖堂の様子を見る限りいい噂でないことは確かだ。マルトランがアリーシャを止めに近くへ寄った時、窓辺の燭台の炎が大きく揺らぎ―破裂した。
「ッ―…」
「何が起きて…っ!?」
”穢れ”が寄り集まって竜のような形を成し、聖堂内を飛び回ってアリーシャへと襲う。おそらくは観衆の不平不満がアリーシャへ向けられていたためだろう、は舌打ちをしてアリーシャの元へ走ると、抱き寄せて己の大剣を地面に突き刺した。剣を軸に憑魔の爪は弾かれ、また聖堂内を漂う。
湖の乙女と聖剣も同じように憑魔を弾いていた。
「…一体何が起きているんだ?」
「………」
不平不満が穢れとなり憑魔となっている、と伝えたくても伝えられない現状だ。憑魔を睨みつけながら無言を返す。
「やはり…、お前ならこの状態をどうにかできるんじゃないのか?今の衝撃も…何かしたんだろう?」
わからない者にとっては、のそれは人間離れした―天族のような特別な力にしか見えないだろう。その評価も決して間違ってはいない。だが実際この大きさにまで成長した憑魔は、でさえ倒すのは容易ではないのだ。先の遺跡にいたような小さな穢れが小動物や蟲に影響を出したという程度のものならばまだしも、一番強力な『人間の生み出した穢れ』による憑魔は―少なくとも今のには、浄化することは叶わない。
だからこそ。今の希望は―あの少年だけ。もちろん、がある事をすることでアリーシャとともに穢れを祓うこともできなくはないだろう。しかし―
「……」
「…。ここは大丈夫だ。君は市民の避難を」
「っ…」
「大丈夫だ。マルトラン師匠もいる」
何も告げることは出来ない。たとえ誰かに何を言われても、には―アリーシャにその業を背負わせるだけの覚悟はない。それは間違いなく、自身の問題だ。
憎々しげにアリーシャの回りにいる人間たちを睨みつけながら、は観衆の元へ向かった。
+
「俺は―”導師になる”!!」
そう叫んで、少年は剣を引き抜いた。爆発的な力の脈動には手を止め、聖剣の方を見上げた。襲い来る憑魔を前に、純白の衣を身にまとい大きな炎の剣を携えた者が宙を蹴った。少年―スレイは握った剣を見つめ、「フォエス・メイマ…」そうつぶやくと、剣から炎を噴出させ、その炎で憑魔を灼き斬った。憑魔は強大な炎に包まれ、やがて聖堂を覆っていた汚れの闇を晴らした。
「………これは」
は見た炎の大きさに、珍しく口角を上げた。