04



 スレイが導師となり聖剣を抜いたことであの騒ぎは無事収束したものの、当のスレイは即座に気を失い眠りについた。わずかながら熱も出て、アリーシャは仕事の合間に訪れてはスレイの様子を心配していた。

「あなた、まさか―」
「黙っていろ、ライラ。今の俺はだ」
…そう、なんですのね。ずっと見知った気配があるとは思っていましたが、まさか人間と暮らしていたなんて」

 沈んだ表情で眠るスレイを見下ろすアリーシャの後ろで、スレイの主神となったライラ、そして共に村を出たミクリオに会話を持ちかけられた。天族の声が聞こえるスレイが眠っているため、アリーシャに勘ぐられる心配もないだろう。

「ライラ、そいつは一体何者なんだ?」
「―そうですわね、ミクリオさんはまだお若いから、彼のことを知らなくてもおかしくありませんわ。えっと…」
「言わなくていい。そいつからスレイに漏れてアリーシャに知られても面倒だ。そもそもその口止めのためにわざわざ来たんだ、俺は」
「まあ。…どうしてですか?あの場だって、さんなら…さんほどの方なら、この都ごと加護領域にしてしまうことも可能でしょう?」

 ミクリオの疑問には答えがないまま、知っているライラとだけで話が進む。そう言われてはわずかに首を動かしてアリーシャへ視線を向けた。視線に気づき振り向いて苦笑したアリーシャは、「そろそろ戻ろうか」と息をつく。

「昔は俺が語るまでもなかったんだがな。わざわざ俺に言わせようと?」
「だって、さんが一人の女性にお熱だなんて貴重でしょう?」
「…アリーシャは容易に都の外へ出る。加護領域にしてしまえば俺はここを離れられなくなる…俺が守りたいのは人間じゃない」

 椅子から立ち上がり部屋を出ようとしていたアリーシャに従い踵を返しながら、そう言い残して出ていった。二人を見送り、ライラは頬に手をやりながら意外そうに首を傾げている。

「ライラ!」
「…一応口止めされていますから、スレイさんには秘密ですわよ?」

 意味深な会話をするライラにしびれを切らしたミクリオが強く言うと、ライラは苦く笑い口元に人差し指を立てた。

さんは過去主神を務めたこともある、とても力の強い高位天族です。ある代を境に人間から離れ、姿を消していましたが…今はああやって、アリーシャ殿下直属の騎士をやっているようですわ。でも…今でもとても強い力を持っているのは確かですが、あの頃とは比べようもないくらい弱って見えます」
「あの頃?」
「…彼の昔の名は、さすがに私からはお教えできません。けれど…世界の起こりにも関係があるほど古く、とても厳かな方です」

 そこまで語りライラは口をつぐんだ。

§


 スレイが目を覚ますとアリーシャは彼を自邸へと招いた。かねてから用意していた導師用のマントを渡すためだ。満足げに笑いながら中庭のテラスにやってきたスレイにライラたちは各々の賞賛の言葉を述べた。

「素直に羨ましいって言えば?」
「…もしや、そこに天族の方が?」
「あ、うん。いるよ!こいつがミクリオ、そしてここにいるのが湖の乙女って呼ばれてたライラ!」

 嬉しそうに紹介するスレイを見て、アリーシャは呆然とした後俯いた。

「―君は本当に、導師になるべくしてなったんだな。我々はこれほど近くに天族の方々がいるのにどうすることも出来ない」
「それは違いますわ!」

 嘆く言葉にライラが慌てて否定するが、天族であるライラの声は届かない。それを指摘されて頬を膨らませた後、ライラはスレイを見て彼女と手をつなぐように言った。導師となったスレイを媒介にして声を届けることができるのではないか、ということだ。
 しかし手を取っただけでは聞こえず、段階を上げてスレイは目を閉じ鼻もつまみ、更にはライラが耳を塞いだ。

「―聞こえますか、アリーシャさん」
「…!聞こえる!女性の声が!」
「本当に?」
「今の声がミクリオ様ですか?―天族ミクリオ様、今までの無礼、お許し下さい…!」

 姿は見えないままながらも歓喜して会話をするアリーシャは、ミクリオに対し深々と頭を下げた。

「アリーシャさん。私たち天族は、あなた達の心を見ています。決して天族をないがしろにはしないでください。その心が穢れを生み、災厄を生むのです」
「大丈夫さ、アリーシャ。君の感謝は、ちゃんと届いて―」
「っっっぶはあっ!!」
私はもう、
 言葉の途中ながらもスレイの息が保たなくなり会話が中断される。もう一度、と懇願するも「もっといい方法ない!?」と荒い呼吸をしながら他の案を探る。しかしまだ導師になったばかりのスレイでは、あそこまでの知覚遮断をしなければ方法はないらしい。

「じゃあ、俺がもっと頑張れば、皆が天族の声を聴くことが…!?」
「いいえ。元々アリーシャさんはさんと共に過ごしていたこともあり才能があったのでしょう」
「そっか…そんな単純じゃないみたい」

 アリーシャだけならともかく、夢見るような世界はまだ遠い。スレイは苦笑した。

「だが、それでも言葉を交わせた。天族は間違いなく、私たちと共にあることがわかった。それだけで…!」

 嬉しそうに胸を抑えるアリーシャに微笑む。スレイも同じように、嬉しそうに笑った。
 そしてふと気付いたようにを見る。

「でも、俺がもっと力をつければ、の声もアリーシャに聞こえるようになるんだな!」
「っ―」
「……え?」

 微笑ましい様子に和みかけていたが、咄嗟にスレイの口をふさぐ。しかし時はすでに遅く、アリーシャは目を開いて首を傾げていた。ミクリオたちもやれやれと首を振っていて、状況が飲み込めないスレイは目を瞬かせた。

「何を…スレイ、彼は昔から、先天的に喋ることが出来ないんだ。それに顔には大きな傷があって、だから常に…鎧を…」
「え?でも、前に普通に」
「頼むから黙ってくれないか」

 行動だけでは伝わらないこともあるらしい。ついに口を開くも―やはりアリーシャにだけは、その音は届いていないのだ。
 しかし当のアリーシャは口元に手をやりながら考え込んでいる。事ここへ至って、思い当たる節があるらしい。

「…そういえば…あの時…あの者とはまるで会話しているような…それにあの超常的な能力…まさかとは思っていたが、、君は…まさか…!」
「………、」
さん。スレイさんが周りを考えずに物を言ったことは代わりに謝ります。けれどこんな時代で彼女と共にいるというなら、正体が露見する可能性はいつでもあったはずですわ。他に人がいない今、真実を告げたほうがよろしいと思います」

 スレイから手を離し、真剣な目で見据えるアリーシャに視線を返す。ライラの言葉は最もなことで、最近特に―アリーシャへ危険が多く迫っていた事で、危機を逃れるために普通の人間なら出来ないこともやって見せてしまった。天族は姿が見えない、という先入観から、長く一緒にいたはそうではないと思い込ませたままでいることが出来たがここらが潮時なのだろう。
 少しの間をおいた後、観念したのかため息を付いた。

「よし、じゃあもう一回だけ知覚遮断して―」
「それは必要ない。俺はアリーシャと直接会話することはできない」
「え?どうして」
「……どうしても、だ。だから今回だけ、お前に通訳を頼む」

 目を細めてその理由は語らないに頭を掻きながら了承した。アリーシャは不安そうな顔でを見つめている。は言葉を伝えると、聞いたスレイは一喜一憂して少しだけ俯いた。

「スレイ、は…本当に」
「…うん。は間違いなく天族だ。理由は教えてくれないけど、自分の肉体に触れているものを不可視にできるのをそうしないことで、アリーシャたちにも認識できるようにしているみたい」
「そんなことが…」

 総じて姿は見えないものと思っていたからか、こうしてアリーシャの視界に映っていることがやはり何処か信じられない様子だ。それを見て、更には言葉を続ける。

「それで、えっと…もしアリーシャが気持ち悪がるなら、今後姿を見せないから…って」
「そんなことはない!天族だろうと人間だろうと、は私の…!」

 叫ぶように否定したアリーシャは何かをいいかけ唇を噛んだ。取り繕うように小さく咳払いをすると、感情を切り替えてへ返答した。

「君の気持ちはわかった。どうして天族である君が、私と一緒にいてくれるのかは…きっと私が聞いても答えてくれないんだろう。それでも、私は君を…私の騎士として信頼している。今の関係を維持したい…いけないだろうか?」
「―…大丈夫だ、って。ずっと黙っててごめんってさ」

 しんみりとした空気になる傍らで、にこにことその様子を眺めているライラにじとりとした視線を送る。それでもめげずに「ファイト!です」とへ言葉を向けるあたり、図られていた感は否めない。
 その後ハウスメイドが予定がある時間が近づいていることを知らせたことで、アリーシャは王宮へ赴くため歓談はお開きとなった。中心街までスレイ達を馬車で送り、アリーシャとは王宮―バルトロ他政官達との会議へと向かった。
 会議室で待ち構えていたバルトロはアリーシャが席に着くと早々に話を切り出した。曰く、アリーシャが屋敷に匿っている導師を引き渡せ―ということだ。聖堂で見せた超常的な力を指して、あれほどの者は我々が”管理”しなければならないと、バルトロは暗に言っているのだ。

「断る」
「―…評議会の総意であっても?」
「導師を、そなたたちに渡す気はない」

 睨み合うアリーシャの傍らで、はピクリと視線を動かした。足元―この場そのものではない、少し遠くの地下。甲冑の下でしばしそちらを眺めた後、苛立たしげに舌打ちした。アリーシャの隣に歩み寄り、肩に手を置き外を指す。言葉が交わせない以上は直接その意を汲む事はできないが、それでも長年付き添った仲であるからか、の言いたいことを察して頷いた。

「失礼、急用ができた。 そちらが何を言おうとも導師を引き渡すつもりもないし、そもそも匿っているというのは勘違いだ。私の屋敷にいたのは、気を失った彼を、そもそも招いた私が責任を持って寝泊まりする場所の提供をしただけのこと。導師はその使命がために世界を回る―私やそなた達に、その行動を制限する権利はない」

 一口にそう告げてアリーシャは強かな表情で席を立った。

 街には強く風が吹き荒れていた。人々はそれぞれ建物の中に逃げ込んでいる。アリーシャが王城の中の執務室へ入ると、はすぐに踵を返した。それを追おうとするのを手で止めて、窓に吹き付ける風を睨みつけながら廊下を走り外へ向かった。

!」
さん!あの竜巻…」

 強風の根本、竜巻―そこには、災いの使徒とも言われるドラゴンがいた。この事態に導師となったスレイたちもどうにかできないかと立ち向かっており、必然にも合流する。ちらりと視線を向けるも、は足早に竜巻がよく見える場所へと走る。

「何か策はあるのか?」
「………」

 手を掲げ、力を込める。いつかに展開されたような結界が一帯を風から撥ね退けるが、竜巻は衰えず王宮を目指していた。

「チッ…」
さん、いくら貴方でも一人では…」
「ならライラ、お前に俺を陪神にするだけの力はあるのか?」

 冷たく言い放たれた言葉にライラは息を飲む。「どういうこと?」スレイが問うが、ライラもも答えない。
 ―やがて王宮を前にして、竜巻とドラゴンは不思議なことに何処かへと飛び立った。スレイたちが直接何かする事ができたというわけではないが、偶然にもそれ以上の被害を出す前に竜巻は収束した。その事実に、様子を窺っていた市民たちは羨望の目でスレイを見ていた。

「あ、―…」

 呼び止める前に、当の本人は王宮へ消えてしまった。彼についてはわからないことだらけだが、アリーシャに対する想いだけは信じられる要素だ。スレイは苦笑した。











05



 竜巻を鎮めた導師の成果、という口実で、アリーシャと対立する政務官であるバルトロに食事に誘われた。何かしら陰謀があったようだが、それを素直に聞き入れる―基、察せられるスレイではない。そう言ったことに関して詳しいライラもいることなので、大した心配はいらないだろう。
 一方でアリーシャは国王直々の勅命によって、疫病が蔓延しているマーリンドの地へと向かうことになった。噂に聞いている情報だけでも、その疫病の原因が穢れであることはにとって明白だ。天族である自身がその地へ向かうことは、正直な所身体に無理を言わせることになるが―だからといってアリーシャから離れるわけにはいかない。
 世界を見るためレディレイクを発つというスレイたちは、アリーシャの頼みでアリーシャ率いる部隊の護衛として道中重なるところまで同行することになった。彼らはあの竜巻の原因と考えられるドラゴンを追うつもりらしく、アリーシャは古くからドラゴンが住むと噂される霊峰・レイフォルクのことを伝えた。横でその話を聞きながら、遠い記憶を脳裏に浮かべて視線を外し、やはり無言を貫いた。

「なぁ、!頼みがあるんだけど」
「断る」
「剣を教えてほしい!」

 野営中、腹ごしらえも終えた頃。少し離れた所で遠くを見ていたに近寄ったスレイは取り付く島もない彼にめげずに頼み事を口にするが、はやはり視線を向けることもないままもう一度「断る」と返した。

「なんで!」
「俺にメリットがない」
「そんなこと言わずに!ライラの神依の時の武器って大剣だから、基礎でも扱い方が分かればもっと安全に戦えると思うんだ!」
「…神依化すれば考えなくとも勝手に身体が動く。無意味だ」
「う〜…。じゃあ正直に言うよ。って高位天族だろ?生きた年数を重ねれば重ねるほど高位になるってジイジが言ってたんだ、ってどれくらい生きてるんだ?」

 突如切り替わった話題に漸く視線を向ける。どうやら剣の指導は口実らしい。真剣な表情―少し煌めいた、興味津々な顔から視線を戻し、は少し考え込む。

「…16年」
「……は?いや、いやいやそんなはずないだろ!」
「アリーシャに出会って、…16年だ。今の俺はアリーシャと出会ったことで生まれた」

 大した抑揚もなく無感情に、それでもどこか懐かしむような声ではこぼした。それを聞いて、スレイは少しだけ驚いた後彼に並びその視線の先を見た。

「…どうして、はアリーシャと一緒にいるの?」
「さぁ…どうしてだろうな。あの頃…俺は昔みたいに一人で放浪していた。穢れを広げる人々を見ては失望し、希望を掲げる人間を見ては小さな加護を与えていた」

 かちゃり、と鎧をこすらせてうつむくと、自分の手のひらを見下げる。

「元々アリーシャは愛人の子だ。正妻である王妃が倒れたことで王宮へ召し上げられたが…あの王城の中にある確執は、ローランスよりレディレイクのほうがより醜い」
「ローランスより…?」
「ローランスはまだ、それぞれにそれぞれの正義がある場合が多かった…今は知らんが。お前もあの地下の遺跡を見たんだろう?」

 レディレイクの街でアリーシャたちと別れた後、たまたま見つけた例の地下。穢れを放つその最奥には、政治の闇に葬られた者たちがいた。それを思い出して奥歯を噛みしめる。

「……元々アリーシャは天族が見えていたんだ。清らかな心があった。物心がつく前のことだから、本人は覚えていないだろうが」
「え…!」
「本当に偶然だった。街中で親とはぐれ、泣いていた所をたまたま俺が見つけた。街の作りに詳しい天族がいたから、そいつに聞いてアリーシャを家まで送ってやったんだ」

 見えない誰かと手を繋いで歩く姿は、周りから見ればおかしなものだったろう。隣りにいる誰かに笑いかけ、きゃっきゃと喜ぶ幼いアリーシャを思い浮かべ自嘲気味に嗤う。

「今の時代の人間も、物心が付く前…せいぜい立てるか立てないかくらいの歳までは、わりと天族が見える可能性は高い。その後天族に信仰を掲げたり関わったりするかどうかで、お前のように恒常的に天族を視界に入れられるかが変わる。あるいは―」
「あるいは?」
「…天族が見えるということは穢れも見える。幼心に見た穢れに恐怖を感じ拒否してしまえば、同時に天族も見えなくなるだろう」

 レディレイクは例の地下遺跡を始め元から穢れの色は濃い。故に今、アリーシャは天族を見ることが出来ないのだろう―そうは結論付けた。

「導師が穢れを祓うという事が日常なら、穢れに対し皆そこまでの恐怖を抱かなかっただろう。そういう時代だったら多くの者が天族を知覚できていたはずだ」
「…けど、導師は…」
「そうだ。…千年くらい昔なら、俺や…―を主神に導師となることができる者がそれなりにいた。時代とともに天族は驕り、人々は感謝を忘れた。今の時代に、俺を主神にする事ができるやつはいない」
「それは…俺でも?」

 素朴な疑問なのだろう、その言葉にスレイへ視線を向けしばらく見定めると、肩をすくめながら首を振る。

「お前も才能としては力の強い方だ。が、まだ圧倒的に経験と覚悟が足りない。…俺が主神をやってたような頃は導師がいるのは普通のことで、育成機関もあったから…ついこないだ実際の導師について聞いたばかりのスレイでは無理だよ」
「…なら、俺が導師としてもっと力をつければ…」
「出来ないこともないだろう。残念なことに俺を主神にするならライラとの契約を切らないといけないがな」
「どうして!?」
「ライラより俺のほうが強い。陪神として契約するというのは主神が倍陪神の力を制御するということだ。…いや、実のところ陪神のほうが力が強くても、その関係に納得すれば契約自体は可能だよ。だが主神になれるレベルの天族で…特に俺みたいに浄化の炎を使うことができる奴が陪神になろうとすれば、主神であるライラを喰っちまう可能性がある」

 饒舌に語るもスレイは目を瞬かせて難しい顔をしている。はため息をついた。

「一人の導師に、天族一人分の力の流れ・形を備えることで、導師は万全な状態で力を使うことができる。陪神契約することで、形の違う力でも主神の力として変換し導師の力となる」
「でも主神が制御しきれないほど強い天族が陪神になれば、形の違う力を変換しきれず主導権を奪われてしまう…ってこと?」
「そういうことだ。俺を主神にするなんて考えないことだな」

 話に飽きたのか、は踵を返して兵士たちの休む中心へ歩き出した。我ながら長く語ってしまったものだ、と鎧越しに口元を覆う。アリーシャはすでに休んでいるようで、その寝顔を眺めながら身体だけ休む体勢をとった。
 を見送ったスレイは、空へ視線を戻して思考に耽った。昔のこと。天族と人間が共生していた時代を生きてきたに聞きたいことはもっとたくさんあったが、それでもここまで話をする事ができれば上々だろう。
 夢、現状―考えなければならないことは山ほどある。イズチを出る時は「剣を抜けばもう逃げることは出来なくなる」と言った。けれどそれは願ってもいないことだ。夢を叶えるため、目の前のものを救うため、逃げるつもりは毛頭ないのだから。











5.5



 マーリンドへ向かうアリーシャ達と別れたスレイとライラは、教えてもらったドラゴンの手がかり、霊峰・レイフォルクへ向かった。ちなみにミクリオは、スレイがレディレイクを出るより前に何かをするために別行動を取っている。その行方はライラが知っているので、ひとまず信じるしかないだろう。
 強くなる穢れに息苦しさを感じながら山へ向かう。次第に視界を覆っていくモヤは標高によるものなのか、穢れと関係があるのかはわからない。

「あら…?」
「どうしたの、ライラ」

 単純な山登りというものにも体力を削られながら足を動かしていると、ふとライラが声を上げた。指を向けた方へ視線をやると、そこには一人の少女が横たわっている。慌てて駆け寄り抱き起こせば、意識はなくぐったりとしていた。

「穢れにあてられたようですわ。スレイさん、浄化の炎を」
「わかった」

 言われたとおりに儀礼剣を抜き炎をまとわせて足元に突き刺せば、広がった蒼い炎が少女にまとわりついていたものが消え去った。これは彼女を休ませるために一度山を降りるべきかとライラを見上げた時、少女は小さく身じろぎしてまぶたを持ち上げた。

「起きた!大丈夫?」
「……私…」

 辺りを見回して頭を抑えた後、不思議そうな顔でスレイを見上げる。「私が…天族が見えるの?」驚いた様子で首を傾げるも、近くのライラに気付くと「もしかして導師?」と納得して頷いた。

「君はどうしてここに?」
「えっと…私…探している人がいて…」
「人を探してなんでこんなところに…」

 衣服についた砂埃を払いながら立ち上がると、少女はと名乗った。水の天族であるとまで口にすると、ふと瞠目して硬直した。どうしたのかとスレイが問えば、困った顔で口元を手で覆う。

「…思い出せない…」
「え?」
「探している人が誰なのか、どうして探しているのか…思い出せない…」

 の言葉に絶句する。その原因を考えれば、穢れにあてられたことによるのか、憑魔に襲われでもしたからなのかはわからない。本人はただ焦った表情でうつむき頭を抑えている。
 ―と、その時、何か大きな破裂音が響くとともに、坂の上から可愛らしい桃色の傘が転がってきた。全員の視線がそこに集まる。そして次の瞬間には何か―誰かが吹き飛ばされてきた。呆然としていたスレイに直撃するも、位置がよかったのかどうにかバランスを取り落としも倒れもせずに受け止めきり安堵の息をこぼした。

「…で、いつまでそうしているつもりかしら」
「エドナさん!」

 ライラが傘を拾ってスレイたちへ駆け寄る。状況が飲み込めない様子のもそれに続いた。

「あらライラ、久しぶりね。―それと貴方、そこにいると死ぬわよ」

 薄暗い中でも影がかかったと思えば、今度は魔物―憑魔が、高く跳躍しスレイめがけて棍棒を叩きつけた。忠告のおかげかどうにか避けると、憑魔は隆起する地面に弾き飛ばされる。しかしまだ倒れてはおらず、スレイは剣を構えて憑魔へ立ち向かう。炎で大きく斬りつけるも憑魔にはかすり傷で、浄化は容易ではないようだ。
 その時何処かから銃弾が飛来する。命中した憑魔は青い炎に包まれ―やがて粒子となって消えた。

「……死んだ…?」
「まったく見てらんねぇぜ、ボウヤ」

 上半身は裸で長髪の、シンプルな銃を持った男の天族。ザビーダと呼ばれた彼は興味深げにスレイに近付きまじまじと見据えた。浄化の炎で救えた筈の憑魔を問答無用に殺した事に納得がいかない様子のスレイの視線にもどこ吹く風で「憑魔は地獄へ、だ」と口角を上げた。
 ライラの説明では、ザビーダは憑魔を葬ることのできる特殊な銃と弾丸を所持しているという。

「だからって…救えたかもしれないのに!」
「―…ハッハ!いつの時代も導師様はお優しいことで。だがよ導師様。…殺すことで救えるやつもいるかも知れねぇぜ?」
「ザビーダ」

 今にも言い争いが勃発しそうな雰囲気を止めたのは、少し離れた所で岩に腰掛けていたエドナだった。「もうここには来ないでと言ったはずよ」と立ち上がるもこちらを振り向かないままに告げる。しかしザビーダにも何か譲れないものがあるらしく、「俺はあいつを殺すまで何度でも来る」とそれまでの軽薄な雰囲気を捨てて低く言葉を返した。

「私たちのことはもう…放っておいて」
「…………っ!」

 彼らの会話を呆然と見ていたがふと空を見上げた。「そう言えばその嬢ちゃん…」と気付いたように何か言おうとするザビーダだったが、その瞬間なにかおぞましい悪寒が走る。息苦しい感覚―何者かによる穢れの領域が辺りを覆ったのだ。どうやらザビーダとエドナはこれが何者による領域なのか知っているらしい。
 レイフォルクの山々を縦横無尽に飛び抜ける何かを視界に捕らえる。恐ろしい咆哮とともに彼らの目前に着地したのは、今まで目にしたものとは違う―別のドラゴンだった。

「お兄ちゃん…」
「…―まさか!」
「そうだ。このドラゴンがエドナの兄…アイゼンだ。お前ら!食われたくなかったらさっさと逃げろ!」

 ドラゴンを見上げながら銃を構えるザビーダの横で、スレイはライラに神依化を提案した。しかし―ドラゴンは、浄化できない。襲い来るドラゴンの攻撃をとっさにザビーダが庇うものの、その事実を聞いてスレイは瞠目した。「それなら、エドナのお兄さんは!」信じたくないとばかりに叫ぶも、ライラは「一生…このままです」と悔しげに答えた。
 その横では怯えるでもなく呆然とドラゴンを見上げていた。信じられないものでもみるように何度もまばたきをして、次第に眉根を寄せる。

さん、貴方も早く逃げ―」
「…アイゼン?…アイ、ゼン…」
さん?」

 頭を抑え、苦しそうにかがみながらもドラゴンを見上げる。ドラゴンの相手をしながらさっさと逃げろと声を張り上げるザビーダが、苛立ったようにを動かすようライラを叫ぶ。引っ張られてようやくその場を離れたは何か気付いたのか弾かれるように再びドラゴンへ視線をむけると、「………アイゼン、さん?」と呟いた。

「っ――お前、まさか…」
「アイゼンさん…?どうして、ドラゴンに…」


×


 特殊な例の銃弾でアイゼンを穿とうとしたサビーダだったが、浄化を試みるスレイの妨害、ドラゴンの抵抗、という天族の意味深な言動―様々な理由によってそれを一時断念することとなった。何よりも、繰り出そうとしていたアイゼンの目の前に飛び出たエドナを見て攻撃をやめた事―偶然だとしても、理性あるいは自我が残っている可能性。それを見てはスレイの「浄化できるかもしれない」という望みを否応に否定するわけにもいかなくなったのだ。探すなら待ってやる、ただし諦めたならこの銃ですぐに殺しに行く。スレイとザビーダはそう約束を交わした。

「…ところで、あー…、だったか」
「ザビーダさん、……」
「お知り合いなんですか?」

 ずっと静かに涙をこぼしていたウィスカに視線が集まる。ザビーダが歩み寄り、気まずげに何かを話そうとしているのを見てライラが首を傾げた。

「お前、まさかとは思うが…」
「……はい。はい…ザビーダさん、私…」
「………エノエノって…お兄ちゃんの…っ」

 はらはらと泣き続け言葉が紡げないの後ろで、ザビーダが口にした名前を聞いて驚いて見せたのはエドナだった。蚊帳の外におかれたライラとスレイはお互いの顔を見やって首を傾げた。「あの…」と声をかけると、ようやく二人にも視線が言ったものの三人とも難しい顔で顔を顰めていた。

「エノ、って?彼女は…なんだよね?」
「………どこから説明したもんかな。今の人間はほとんど無理だろうが、適正のある一部の人間は死後せいれ―いや、天族になることがある。エノってのは…」
「大昔、お兄ちゃんの恋人だった人間よ」

 端的に告げられた言葉にスレイもライラも驚いて目を開く。そしてザビーダの発言を繋げ「その恋人が死んでから天族になったってこと?」と興味深げに聞き返した。

「そういうことだと思うわ。名前を知っていたくらいで、私も会ったことはなかったけど」
「どうして、アイゼンさんがドラゴンに…」
「…あいつ、お前にも話してなかったんだな」

 手で顔を覆いまた涙するに、周りは気まずく沈黙する。「…記憶を忘れていたけど、本能みたいなものでここまでたどり着いたってことだよね?」それを破ったのはスレイだった。顔を隠したまま頷くに、ふむと考え込んだ。

「今思うと、アイゼンはライラ―のいる方には攻撃しなかった。さっきのエドナのことといい…うーん、頭の中が整理できない」
「……ドラゴンの浄化、か。……なにか手がかりがあるとすりゃ、あいつがなにか知ってるはずなんだが」
「あいつ?」
「今は姿を消した、かつての導師の主神だよ」

 思い出すように語られたことに、スレイは一拍の間を置いてから「あっ!」と大声をあげた。

「それっての事!?」
?」
「…彼の方の今のお名前ですわ。今はレディレイクのアリーシャ殿下直属の騎士をやっています」

 知らぬ名前のようであったが、ライラの説明に納得がいったように「なるほどね」と頷いた後、今度は気にくわなさそうに眉根を寄せた。それもそうだろう、長年連絡の取れなかった知己が騎士をしていると聞けばへそも曲がりかねない。しかし今度は何かに気付くといたずらを思いついた子供のようににんまりと笑った。どうにも表情豊かな男である。

「へーん、ふーん、なるほどねぇ。あの男が正体を隠して騎士を…。ほー…」
「何か悪い顔してる、ザビーダ」
「よし、しばらくの暇つぶしは決まったな。さて…」

 ザビーダは手を叩くと、ようやく泣き止んだもののぼんやりと地面を見つめていたに視線を向ける。安全とは言い切れないが、導師と行動を共にするよりは―と言うことで、彼女のことはしばらくザビーダが面倒をみるらしい。知り合いでもあるようなのでその方が気も使わないだろうとスレイも頷いた。