前を向きなさい
『───……』
リンクに連れられてハイラル城を訪れてしばらく。ふと、声が聞こえた。眠れずにいた真夜中、声に導かれるまま足を進めた先は、英傑となったリンクの個室だ。ノックをしても返事はなく、声だけが耳に響く。自ら彼と関わりたくはなかったが、静かに扉を開けると、そこには厄災に対するための退魔の剣が、鞘に収められベッドに立てかけられていた。
「……剣の……、まさか……」
『──…、────…』
困惑の呟きに応えるように剣が瞬く。簡潔に語られる声に、私は意を決して、ベッドのシーツをひったくって剣をくるむと、それを持ち出した。
…剣の精霊とは、他にもいくつか話をした。城の者に馴染めず正確な事を知れないままだった私に、ゼルダ姫の状況や、厄災復活までの猶予を教えてくれた。
「占術師が、怪しい」
『──────…』
剣の精霊に教えてもらったことから推察できたのは、ゼルダ姫が力を発現出来ない理由だった。正しい手順もなにも、必要になれば現れるはずのものが現れないのは、誰かが阻害しているせいだろう。剣の精霊も予測がついていたようだが、彼女だけでは何も出来ない。かといって、厄災復活を予言し遺物を発見させた功績からそれなりの地位がある占術師を、証拠もないままリンクに手出しさせることもできない。
英傑たちと顔を合わせ、ウルボザに力を貸してほしいと言われて。逃げるわけにはいかないと自覚した。
今の私にだって、出来ることはある。
…そうして、退魔の剣の力を借りて、占術師を斃した。当然抵抗されて、魂だけの存在となってしまったけれど。
すべて、遅かった。今までの重圧により、ゼルダ姫は力の使い方がわからなくなってしまっていた。占術師を斃したことで、逆に厄災復活が早まってしまった。
─間に合わなかった。
リンクはまた、ハイラルを守るために傷ついてしまった。どころか、遺物である回生の祠がなければ死んでいたも同然だ。
後悔して、自分に失望して。
せめて少しでも償おうと、魂のまま百年待った。
百年経って、リンクが目覚めてからも、出来るだけ負担が少ないように助言した。…思うように伝わらなくて、結局怪我をさせてしまうことも多かった。
何度も守ってもらいながら、私は彼を癒やすことが出来ない。
いつも私を見つけてくれるのに、私は彼を助けることが出来ない。
「…………──」
「みこサマっ、だいじょうぶ?」
コログの子が、心配そうに小さな手で頭を撫でてくれた。
はらはらと涙が溢れる。
ああ、それでも、私は彼と共にいたかった。癒やすことが出来なくても、守ることが出来なくても、それで彼が倒れてしまっても。
それでも、最期まで、私は彼のそばにいたかった。
逃げてしまえばいいのに、それをしないで、かつての私が愛したハイラルを、命をかけて守ってくれる彼が、こんなにも愛おしくて。だからこそ、何も返すことが出来ない自分がもどかしくて。
「…リンク…」
俺は、例え生まれ変わっても、君のそばに。
記憶の中の彼の言葉が蘇る。
わたしだって。私だって、何度生まれ変わってもあなたを愛している。姿形が変わっても、人となりが違っても、同じ青い瞳を持つあなたを。
でもそれは、記憶の中の感情だ。今の、この私が、今を生きている勇者に抱いていい感情じゃない。私は彼に何もできなかった。なんの役にもたてなかった。愛してほしいなどと、言える立場ではない。
「始祖の巫女よ。…少しばかり外に出てみるのはどうかね」
「…え」
「何、ちょっとした外出だ。気分が悪くなればすぐ戻ってくればいい。ポックリンによれば、きれいな音色を響かせるリト族の吟遊詩人がいるそうだ。一人で考え込んでいれば、気が滅入ってしまう」
そんな提案に、素直に頷いた。
森で自由にしていたエポナを連れてきてもらって、慣れた足取りで迷いの森を出る。吟遊詩人を尋ねると言ってもどこにいるのかわからず、宛もないまま放浪した。
何も考えずに、エポナの歩くままに任せていた。そうしてたどり着いたのは、私にとっては懐かしいデスマウンテン登山口の温泉だった。今は燃えない凍えない魔法の外套を所持していないので、ギリギリ燃えず薬もいらない場所までしか行けないけれど。
下着だけを残して服を脱ぎ、腰まで浸かった。じんわりと暖かくて気持ちいい。
何も考えずに空を眺めていれば、どこからかきれいな音が聞こえる。知らないメロディだが、のんびりとしていて気持ちが安らぐ。
「…─女神の目覚めは 大地 光射す─…眠りの巫女へと響く 願う声─…若人 ふたつの大いなる羽を光の塔に導く 彼の者の前に道はひらけ 詩の響きを聴く」
厳密には違うけれど、どこか旋律が似通っていて、なんの気無しに口ずさんだ。記憶に残る女神の詩。
数節口にしたところではたりと音が止んだ。不快だったかと肩を揺らせば、岩の向こうから嘴が見えた。
「おや、これは失礼。女性が入浴中でしたか」
「…いえ、ほぼ足湯なのでお気になさらず…」
「なるほど。ですがまぁ、このまま岩越しでなら、お話させていただいても?」
「ええ…。もしかして、リト族の吟遊詩人さんですか?」
「僭越ながら。カッシーワと申します。…先程の歌はあなたが?とても美しい歌声でした」
褒められて思わず頬を赤らめる。肯定すれば、彼はまた音色を響かせた。
「さしずめ、戦いに出る愛しき人へ贈る歌、と見ましたが。いかがでしょう」
「─…ええ、はい。…正解、です」
巫女が、戦士へ祝福を与えるときに口にした歌。彼へ歌うときは、きっと無意識でもたくさんの想いを込めたのだろう。
「とても素晴らしい歌でした。伴奏に預かれたのが光栄です」
「そんな、ことは…」
「深い愛を感じた。贈られた者は幸福でしょう」
「…そう…でしょう、か。…いらないもの、かも」
カッシーワは一瞬手を止めて、なにか悩む素振りのあと、別の曲を奏で始めた。
「贈られた戦士がどう思ったか。それは私にはわかりません。けれどそれだけの想いを込められれば、嬉しいものだと想います」
「…でも…」
「聞いてみるのが一番でしょう。一度はその歌を贈られたのなら、きっと返答を懐いているはずです。
……あなたはきっと……いえ、私が何かいうことではありませんか。」
音が止まり、がちゃがちゃと音がする。楽器を片付けているのだろうか。
「同じものを見る必要はありません。それでも、恐れずに前を向きなさい」
「─……、」
「では、私はこれで。お邪魔してしまい申し訳ありません」
そう言って、カッシーワは羽ばたき飛んでどこかへ行ってしまった。空へと小さくなっていくのを見送りながら、言葉の意味を考える。
ずるずると身を滑らせ肩まで湯に沈む。カッシーワの言う通りだ。彼の心を知るのを恐れて逃げている。
百年前の彼は寡黙で、騎士の模範のような人だった。誰よりも若く騎士になり、ゼルダ姫直近の護衛騎士になった。私のことを気にかけてはくれたけど、…でもそれは私が中途半端な言葉を告げていたからで。
「………私は、…でも」
怖い。
それでもし、彼が私を拒絶しても。
…彼が私を、受け入れても。
果たしてそれは、本当に、彼が懐いた思いなのか。
私が無意識のうちに、あの呪いと共に何かしたかもしれない。
一番はじめの勇者の言葉を信じて、彼と巡り合う道を勝手に作ったかもしれない。
もしそうなら、それは。
…そう考えると、まだ、彼に会う決心はつかなかった。