前を向きなさい


『───……』

 リンクに連れられてハイラル城を訪れてしばらく。ふと、声が聞こえた。眠れずにいた真夜中、声に導かれるまま足を進めた先は、英傑となったリンクの個室だ。ノックをしても返事はなく、声だけが耳に響く。自ら彼と関わりたくはなかったが、静かに扉を開けると、そこには厄災に対するための退魔の剣が、鞘に収められベッドに立てかけられていた。

「……剣の……、まさか……」
『──…、────…』

 困惑の呟きに応えるように剣が瞬く。簡潔に語られる声に、私は意を決して、ベッドのシーツをひったくって剣をくるむと、それを持ち出した。
 …剣の精霊とは、他にもいくつか話をした。城の者に馴染めず正確な事を知れないままだった私に、ゼルダ姫の状況や、厄災復活までの猶予を教えてくれた。

「占術師が、怪しい」
『──────…』

 剣の精霊に教えてもらったことから推察できたのは、ゼルダ姫が力を発現出来ない理由だった。正しい手順もなにも、必要になれば現れるはずのものが現れないのは、誰かが阻害しているせいだろう。剣の精霊も予測がついていたようだが、彼女だけでは何も出来ない。かといって、厄災復活を予言し遺物を発見させた功績からそれなりの地位がある占術師を、証拠もないままリンクに手出しさせることもできない。
 英傑たちと顔を合わせ、ウルボザに力を貸してほしいと言われて。逃げるわけにはいかないと自覚した。
 今の私にだって、出来ることはある。
 …そうして、退魔の剣の力を借りて、占術師を斃した。当然抵抗されて、魂だけの存在となってしまったけれど。
 すべて、遅かった。今までの重圧により、ゼルダ姫は力の使い方がわからなくなってしまっていた。占術師を斃したことで、逆に厄災復活が早まってしまった。
 ─間に合わなかった。
 リンクはまた、ハイラルを守るために傷ついてしまった。どころか、遺物である回生の祠がなければ死んでいたも同然だ。
 後悔して、自分に失望して。
 せめて少しでも償おうと、魂のまま百年待った。
 百年経って、リンクが目覚めてからも、出来るだけ負担が少ないように助言した。…思うように伝わらなくて、結局怪我をさせてしまうことも多かった。
 何度も守ってもらいながら、私は彼を癒やすことが出来ない。
 いつも私を見つけてくれるのに、私は彼を助けることが出来ない。

「…………──」
「みこサマっ、だいじょうぶ?」

 コログの子が、心配そうに小さな手で頭を撫でてくれた。
 はらはらと涙が溢れる。
 ああ、それでも、私は彼と共にいたかった。癒やすことが出来なくても、守ることが出来なくても、それで彼が倒れてしまっても。
 それでも、最期まで、私は彼のそばにいたかった。
 逃げてしまえばいいのに、それをしないで、かつての私が愛したハイラルを、命をかけて守ってくれる彼が、こんなにも愛おしくて。だからこそ、何も返すことが出来ない自分がもどかしくて。

「…リンク…」

 俺は、例え生まれ変わっても、君のそばに。
 記憶の中の彼の言葉が蘇る。
 わたしだって。私だって、何度生まれ変わってもあなたを愛している。姿形が変わっても、人となりが違っても、同じ青い瞳を持つあなたを。
 でもそれは、記憶の中の感情だ。今の、この私が、今を生きている勇者に抱いていい感情じゃない。私は彼に何もできなかった。なんの役にもたてなかった。愛してほしいなどと、言える立場ではない。

「始祖の巫女よ。…少しばかり外に出てみるのはどうかね」
「…え」
「何、ちょっとした外出だ。気分が悪くなればすぐ戻ってくればいい。ポックリンによれば、きれいな音色を響かせるリト族の吟遊詩人がいるそうだ。一人で考え込んでいれば、気が滅入ってしまう」

 そんな提案に、素直に頷いた。
 森で自由にしていたエポナを連れてきてもらって、慣れた足取りで迷いの森を出る。吟遊詩人を尋ねると言ってもどこにいるのかわからず、宛もないまま放浪した。
 何も考えずに、エポナの歩くままに任せていた。そうしてたどり着いたのは、私にとっては懐かしいデスマウンテン登山口の温泉だった。今は燃えない凍えない魔法の外套を所持していないので、ギリギリ燃えず薬もいらない場所までしか行けないけれど。
 下着だけを残して服を脱ぎ、腰まで浸かった。じんわりと暖かくて気持ちいい。
 何も考えずに空を眺めていれば、どこからかきれいな音が聞こえる。知らないメロディだが、のんびりとしていて気持ちが安らぐ。

「…─女神の目覚めは 大地 光射す─…眠りの巫女へと響く 願う声─…若人 ふたつの大いなる羽を光の塔に導く 彼の者の前に道はひらけ 詩の響きを聴く」

 厳密には違うけれど、どこか旋律が似通っていて、なんの気無しに口ずさんだ。記憶に残る女神の詩。
 数節口にしたところではたりと音が止んだ。不快だったかと肩を揺らせば、岩の向こうから嘴が見えた。

「おや、これは失礼。女性が入浴中でしたか」
「…いえ、ほぼ足湯なのでお気になさらず…」
「なるほど。ですがまぁ、このまま岩越しでなら、お話させていただいても?」
「ええ…。もしかして、リト族の吟遊詩人さんですか?」
「僭越ながら。カッシーワと申します。…先程の歌はあなたが?とても美しい歌声でした」

 褒められて思わず頬を赤らめる。肯定すれば、彼はまた音色を響かせた。

「さしずめ、戦いに出る愛しき人へ贈る歌、と見ましたが。いかがでしょう」
「─…ええ、はい。…正解、です」

 巫女が、戦士へ祝福を与えるときに口にした歌。彼へ歌うときは、きっと無意識でもたくさんの想いを込めたのだろう。

「とても素晴らしい歌でした。伴奏に預かれたのが光栄です」
「そんな、ことは…」
「深い愛を感じた。贈られた者は幸福でしょう」
「…そう…でしょう、か。…いらないもの、かも」

 カッシーワは一瞬手を止めて、なにか悩む素振りのあと、別の曲を奏で始めた。

「贈られた戦士がどう思ったか。それは私にはわかりません。けれどそれだけの想いを込められれば、嬉しいものだと想います」
「…でも…」
「聞いてみるのが一番でしょう。一度はその歌を贈られたのなら、きっと返答を懐いているはずです。
 ……あなたはきっと……いえ、私が何かいうことではありませんか。」

 音が止まり、がちゃがちゃと音がする。楽器を片付けているのだろうか。

「同じものを見る必要はありません。それでも、恐れずに前を向きなさい」
「─……、」
「では、私はこれで。お邪魔してしまい申し訳ありません」

 そう言って、カッシーワは羽ばたき飛んでどこかへ行ってしまった。空へと小さくなっていくのを見送りながら、言葉の意味を考える。
 ずるずると身を滑らせ肩まで湯に沈む。カッシーワの言う通りだ。彼の心を知るのを恐れて逃げている。
 百年前の彼は寡黙で、騎士の模範のような人だった。誰よりも若く騎士になり、ゼルダ姫直近の護衛騎士になった。私のことを気にかけてはくれたけど、…でもそれは私が中途半端な言葉を告げていたからで。

「………私は、…でも」

 怖い。
 それでもし、彼が私を拒絶しても。
 …彼が私を、受け入れても。
 果たしてそれは、本当に、彼が懐いた思いなのか。
 私が無意識のうちに、あの呪いと共に何かしたかもしれない。
 一番はじめの勇者の言葉を信じて、彼と巡り合う道を勝手に作ったかもしれない。
 もしそうなら、それは。
 …そう考えると、まだ、彼に会う決心はつかなかった。





back next





思い出

 アレだけの大きな戦いとなれば、国の端でも何があったかわかったのだろう。厄災を倒してゼルダが封印をしたあと、すぐにシーカー族の者が来て、気丈にも一人で立っていたゼルダをカカリコ村へと連れて行った。俺はといえば、さほどたいした傷もなく、ゼルダの導きのまま時の神殿跡へと飛んでいった。そこで幽霊となっていたに別れを告げられ、退魔の剣の精霊の声により、彼女がまた現代にも生まれてきている可能性を知った。インパたちに確認すれば、たしかに彼女と思われる子は、数年前までカカリコ村にいたと教えてくれた。

「…あの、ゼルダ様」
「はい」
「…─を、探しに行かせてください。厄災討伐の報告、ハイラルの復興…先にやるべきことがあるとはわかっています。それでも」
「当然です。あなたがそうしたいと言うなら、自由にして構いません。私はもう姫ではなく、あなたは近衛騎士ではないのですから」

 穏やかに微笑みながらうなずくゼルダに言葉を失う。裏もトゲも感じられないが、どこか皮肉に聞こえてしまう。

「それに、私も…巫女様に会いたい。会って、謝って…話したいこと、いっぱいあるんです。だから、どうか、巫女様を見つけて来てください」
「…、」
「私もさすがに、まずはゆっくりしたいですしね。気に負うことはありません、近衛騎士でなくなってもあなたは退魔の剣の主、力を貸してもらわなければならないことがたくさんあります。こちらでもについて情報を集めますから、時々戻ってきてくださいね」

 インパが連日泣いて疲れて眠っての繰り返しなんです、と苦笑するゼルダは、百年前のように気の沈んだ姫様ではなくなっていた。ほっと胸をなでおろし、深く頭を下げる。
 ひとまずハテノ村の自宅まで戻ったが、を探す手がかりはひとつもない。…各地を旅するカンギスやカッシーワに聞くのが可能性は高いだろうか。あるいは馬宿で、そのような少女が利用していないか聞くとか。…不審者扱いされるだろうか。この際退魔の剣をチラつかせるのも致し方なかろう。

「…ウツシエに…」

 ウツシエに、彼女の姿は残っていないだろうか。この旅でひっそり彼女を撮ったことはあったが、案の定誰もいない風景画しか残らなかった。
 それか、プルアに頼んで姿絵を生成してもらおう。
 を見つける。必ず見つけて、それで─…。
 そこまで予定を立てて、はたりと気付く。見つけてどうしたいのだろう、俺は。恋人同士なわけでもない、言葉なく想いを交わしたわけでもない。何か重要な役職についていたわけでもない。前世の勇者たちや厄災の記憶というのは有用だが、それが今後何の役に立つのかと言われると閉口する。
 …むしろ、百年前から今まで、文献にあったからと王命により無理矢理城に連れてこられただけのか弱い少女だ。
 俺は、どうしてそこまで、彼女に会いたいと願うのか。頭を抱えた。

「百年前、彼女はリンクとしか喋らなかったから、必然的に一番関わりがあったのはリンクだとおもうけど。
 それに百年前のアンタは朴念仁だったからね、お互いに愛も恋もなさそうだよね」
「…、」
「巫女様は、失われた伝承の一節を教えてくれた。そして勇者に、何度も守られて来たって。巫女様が好きなのはあくまで過去の勇者で、別に今のリンクが好きなわけじゃないんじゃない?」

 プルアの容赦ない考察に、ドスリと心臓を直接獣神の槍にでも突かれた気持ちになった。

「力を貸したのも勇者に加護を与える巫女だからで」
「………そうかも…しれない……」
「…なら、あとはリンク次第。今はまだ、ゼルダ様に会わせるため、でいいけど。巫女様とどうしたいのか、ハッキリさせないと巫女様は振り向いてくれないよ」

 姿絵は用意しておくね、と研究所を追い出されてしまう。頭を抱えながら坂を降り、自宅への道を歩いた。
 彼女との少ない思い出を回想しよう。過去の俺では気付きもしなかったものが、今の俺にならわかるはずだ。

×××


 今日はいわゆる休日だ。ゼルダは昨日からウルボザのもとへ行っており、それを送り届けてからは手持ち無沙汰になっている。騎士の模範たれと心がけているせいか、休日に何をしたらいいかがぱっと思いつかなかった
 故に訓練場で無心に剣を振り回していた。気付いた頃には周りは騎士たちで人だかりになっており、何が楽しいのか皆俺の姿を凝視している。
 前は手合わせを願って来る者も多かったが、英傑となったくらいからは遠巻きに見られるばかりになっていた。
 その中でひとつの視線に気付く。訓練場の入り口で、ぼんやりとこちらを見つめているがいた。ぱちりと目が合うと、彼女は慌てたように顔をそらし足早に踵を返していく。それを見て、俺も剣を鞘にしまい駆け足でを追った。



 聞こえなかったのか、は無視して足を進める。隣に並んでもう一度名を呼べば、気まずそうに視線を泳がせたままこちらを一瞥した。

「…訓練はもういいの」
「本来今日は休みだし、やることなかったからやってただけで…。何か用だった?」
「何も!」

 少しだけ歩調を早めるけれど、俺が歩幅を広げれば急ぐこともない程度だった。並んだまま歩いていれば、やがてに充てがわれた個室へと辿り着く。そそくさと部屋へ逃げようとするを目で追いながら、考えるより先に、閉じられる扉を片手で止めた。困惑にちょっと怯えが混じった表情のを見て、慌てて言葉を捻り出そうと思考を巡らせた。

は普段何してるんだ?」
「何も」
「…何も?」

 聞けば、俺やゼルダに付き添う巫女としての仕事以外では、部屋に閉じこもって瞑想しているのだという。そういえば、元々痩せ気味ではあったけれど出会った頃よりさらに痩せたように思える。
 扉を掴んでいたの手を握れば、驚いて飛び退こうとするものの、細い腕に振りほどかれるほどヤワな鍛え方はしていない。

「一緒に城下へ行かない?」
「……は?」
「ね、いいだろ。少し変装して。じゃあ俺も着替えてくるから、も着替えておいて」
「えっ、え?ちょっと…」

 困惑の声を無視して駆け足で部屋に戻ると、いつだったかウルボザにもらった衣服とゲルドの剣に替えて再びの部屋に向かう。ノックの後扉を開ければ、精進服ではない簡素な服一つを前にして、躊躇うように首を傾げていた。

§


 怪訝な視線がから突き刺されるが屁でもない。
 は結局出会った頃に着ていた服しか私服を持っていなかったらしく、俺がウルボザからもらった衣服の予備を渡した。肌の出る格好に愕然としていたが、上から自身の外套をかぶることで納得したようだ。暑くないのかと問えば、その外套は特別な品らしく寒いところも暑いところも平気なんだそうだ。
 普段から滅多に使わない給金で、いろいろなものをに買い与えた。新しい服やアクセサリー。断られてもとにかく買っていれば、やがて物申すのは諦めた。

「……とても元気ね」
「へ?」
「普段は無表情なのに」
「ああ?…」

 このショッピングで俺のテンションが若干高いことに疑問を持ったのだろう。小さい頃から親の立場の関係で注目され、やがて退魔の剣の主となり英傑にもなったことで、騎士の模範たれと心がけて生きてきた。そのせいか感情を出すのが難しくなったが、今の格好を見て俺をリンクだと思う者はいないだろう。顔も隠しているし、何よりウルボザからもらった、男子禁制のゲルドの町に入るための服だ。ゲルドの女性は鍛えている人も多く、腹筋が目立っても違和感はない。
 説明すれば、は胡乱な目でこちらを見ていた。

「バレたらとか考えないの?」
「任務のためゲルドの町に入る予行演習だから」

 答えると、は目を丸くしたあと俯いて、くすくすと笑い始めた。

「どこか可笑しかった?」
「ふふ、そうね。可笑しいかと言えば全部可笑しいけど。…なんか、気が抜けただけ」

 息をついて笑いを治めると、は振り返って歩き始めた。
 俺はといえば。呑気にこんな格好をしていたのを少し後悔する程度に、の笑顔に見惚れていた。





back next





感情


 ぐっと一人頭を抱える。よりによって思い出す記憶が女装して買い物したこととか、もうちょっと何かあったろう。
 …いや、立場や時期的にも、それくらいしか気を抜いて話をする機会なんてなかったのもあるだろうけれど。

「…かわいい」

 やけにはっきりと脳裏に残るあの子の微笑み。いつも泣きそうな、悲痛な表情ばかりだったから、とても新鮮で。
 確かあの時は、胸に懐いたその感情に首を傾げたはずだ。色恋というものが存在して、自身がそういう目で周りの女性に見られていることが多々あったのも知っている。だけどずっと表に出すことを禁じてきて、やがて心躍る感情というものがわからなくなった当時の俺は、それが自身にも宿るなど思いもしなかった。
 掴んだ腕は細くて、柔らかくて、剣なんて持ったら倒れてしまいそうな。…彼女は退魔の剣を抱えていたけど。
 どこか遠くを見つめて、俺に誰かを重ねていた。目が合わないのに、彼女からの視線はよく感じた。
 が俺のことを意図的に避けていたのは確かだ。だからこそ間際に忘却の呪いをかけたのだろう。でも視界の端で俺を見る目は、たしかに熱を帯びていた。…たぶん。希望的観測。

「ああ、でもそれは俺じゃなくて」

 俺じゃなくて、彼女の記憶にある過去の勇者へのものかもしれない。

「…ああー、そうか…」

 腹立たしかったのだ。表情に出していたつもりはないが、それでも心のどこかに苛立ちが募っていた。だから余計に感情に気付かなくて。なのに使命感のように、今にも消えてしまいそうな彼女を守りたかった。それが恋や愛かなのかは、どれだけ思い返してもさすがにわからなかった。単純に彼女との関わりがあまりにも少ない。
 …そもそも、そもそもだ。彼女が俺のこと見ていなくたって関係ないじゃないか。俺が、彼女に会いたいのだ。彼女に触れて、抱きしめて、俺を見てほしいと思っている。
 なら、やはり会って確かめないと。彼女に会って、その想いがたしかなものかどうか確認すれば、この感情が愛なのかどうか分かるはずだ。

§


 あの子を探し始めてしばらく経った。
 剣の精霊は何も言わないし、彼女が今何処にいるのか何も手がかりもない。彼女を追って、俺は再び各地を巡っている。当然、ゼルダと分担した約再討伐の報告やらなんやらもこなしながら。
 ゴロン族の皆に聞いても知らないと言うし、他の種族もそうだ。100年前から生きているインパもプルアも、現在の彼女については噂も聞かないという。シーカー族の者の協力を得ても、大した収穫はなかった。
 そんな中ようやく得られた情報といえば、リト族の吟遊詩人カッシーワからだ。温泉に浸かっている儚げな少女の話。永く各地を渡りほとんどの人々の顔を覚えている彼が見たこともないという人物。

「とても美しい歌を聞かせてもらいました。─そう、こんな歌でした」

 ─女神の目覚めは 大地 光射す─…眠りの巫女へと響く 願う声─…若人 ふたつの大いなる羽を光の塔に導く 彼の者の前に道はひらけ 詩の響きを聴く─

 一度聞いただけなのでおぼろげですが、と苦笑するカッシーワを凝視していれば、当のカッシーワは珍しくびくりと肩を揺らした。

「それは、退魔の剣の、洗礼の時に、聞いた…!」
「おお。やはりあなたに贈られた歌でしたか。戦いに出る愛しき人へ贈る歌。深い愛を込められた、素晴らしい歌でしたよ」
「どこで!いつ!」
「おお…オルディン火山登山口の、温泉ですが…あ、服は着ていらっしゃいました」

 カッシーワに礼を言いながら走りだす。シーカーストーンはゼルダが持っているので転移は出来ないが、ここからさほど遠くない。全力で走りながら馬を呼び出し、追いついた愛馬に飛び乗って大地を駆けた。
 …とはいっても。それは昨日今日の話ではないから、当然その山奥の温泉地に彼女がいるわけもなく。情けなく温泉の前でうなだれた。

『…一つ、助言いたします、マイマスター』
「っは?」
『こうまで見つからないとなると、只人の近寄らない場所、あるいは侵入できない場所に潜んでいる可能性が65パーセント』
「近寄らない…侵入出来ない…オルディン火山の火口とか…?」
『…。巫女はマスターと違いか弱い女性ですので、安全な場所である可能性99パーセント』

 安全で、かつ普通の人が近寄らない侵入できない場所。どこだ。考えを巡らせるが、自分にとって危険な場所と彼女にとって危険な場所の違いがよくわからないし、ハイラルは大体踏破したので侵入できるか否かもよくわからない。

『巫女は、人でないものと親しい』
「人じゃない…?龍のいるところとか…コログの森?」
『コログの森であれば食料も豊富。コログたちの機嫌を損ねれば、マスターでさえ迷いの森を突破できる可能性は極端に下がります』

 大慌てでコログの森へ向かい、迷いの森を走り抜ける。それでもどうにか冷静に森を抜ける手順を踏んでいるはずなのに、何故か何度も入り口に戻されてしまう。「ゆうしゃサマ、ダメ!」なんて笑い声に混じって聞こえるので、これは剣の精霊の言う通りかなり可能性が高い。

『巫女がコログに頼みマスターの侵入を拒ませているのなら、侵入は─…』
「……そんなの知るか!シーカーストーン使ってやる!」

 馬の方向を変えてカカリコ村へ急がせた。日も落ちた頃にカカリコ村へ到着し、全速力でゼルダを訪ね、預けたシーカーストーンを強奪する。目を丸くして驚いているゼルダたちをよそに、シーカーストーンを開いてマップを確認した。

「なにかの手がかりが?」
「何度やっても入れない!ダメって言われる!」
「あー、それは拒否られてますねぇ」
「ダメなら直接入る…!」

 そうしてシーカーストーンの転移機能で直接迷いの森を抜けた先にあるコログの森の祠へ移動する。
 ざかざかと湿地の草むらを抜けてデクの樹様の御前に滑り込めば、愉快な笑い声が降り掛かった。

「間に合ったか」
「どういう…こと、ですか」
「いや、何。こちらの話よ。何用かな」
がここに来ませんでしたか」
「ああ、来ていたとも」
「今どこに…!」
「さぁ、それはわしにもわからん。行く先は聞いていない」

 歯噛みする。おそらく俺が来る直前まではここにいたのだろう。迷いの森で迷っている間に、俺が向かっていると知れてはまた逃げたのだ。

「ああ、しかし。ついさっき出たばかりだから、急げば追いつかれてしまうかもしれんな。巫女はそれほど足が早くない」
「…!」

 即座にシーカーストーンを起動させて別の祠へ転移する。そこから走り回って、走りまわって、転移して、また走り回って─…。

「…何処にいるんだろう…

 苛立ちをボコブリンの拠点を爆発四散させて晴らしたところで、意気消沈しながらどこかの湖にたどり着いた。長く走らせてしまった愛馬を休ませるため、浅瀬へと足を運ぶ。奥の方でぱしゃりと水が跳ねる音がする。水を汲むためかがんでいた体を起こし、何の気なしにそちらへ視線を向けた。

「…………行こう、エポナ」

 見覚えのある姿。ずっと待ちわびた声。情報を処理しきれずに硬直しているうちに、水浴びをしていた少女は目を伏せ、反対側で休んでいた馬のもとへ近づいていく。
 ─エポナ。俺の100年前の愛馬の名前。会ったらはじめに言おうと思っていたことなんて全部吹っ飛んで、とにかくまた目の前から消えようとする彼女に手を伸ばした。

「…待ってっ、!」

 少女は立ち止まりも振り返りもしない。けれど、わずかに肩が震えた。じゃぶじゃぶと泉の中を突っ切って、先へ進む少女の手を掴んだ。ぐいと引っ張って腕の中に閉じ込めると、意外にも抵抗はなく大人しくしていた。
 を抱き上げて泉から出ると、改めて正面から強く抱きしめた。だよね、と自分でも情けなく思う声で問えば、彼女は。

「違うと言えば、貴方は私を諦めてくれる?」
「…やっぱり、 、なんだ」

×


 勇者が来る、とコログの子たちが教えてくれて、大慌てでコログの森を出た。最初は迷いの森を抜けられないようにしているとコログたちは胸を張ってくれていたが、彼にはシーカーストーンがある。当然、迷いの森の先にあるコログの森に立つ祠はすでに開かれ攻略されており、であればそこへ直接転移してくることだって考えられるのだ。説明すれば、コログは途端にさめざめと泣き始め、私を手早く送り出してくれた。
 前にカッシーワと遭遇した後また森に戻って過ごしていたが、そのたった数日で、随分と国中に厄災討伐の知らせがはっきりと伝わったようだ。どころか、勇者がという少女を探している、などとまで。馬宿の宿主にじっくりと顔を見つめられ、屋内の壁にはられた手配書のようなものと見比べられては、どうすることも出来ない。
 とりあえず人気の少ない方へ向かって、ほとぼりが冷めた頃にコログの森に戻るしかない。呆れにも似た疲労の息をこぼして、一度休息を入れようと近場の水場へと赴いた。
 まさか、そんなところで、彼と出会うなんて考えても見なかった。

「どうして私を探すの。もう、終わったんだよ」
「…?」
「もう厄災は倒した。だからもう、貴方が私を護る理由なんてない」

 あれから随分と悩んだ。本当は会いたくてたまらないけれど、私が彼を求めるわけにはいかない。この巡り合わせはもう終わらせようと、そう決断したのだ。だから。

「………は、僕の…俺のこと、嫌い?」
「……私は」
「俺には君みたいに、何度もハイラルを─君を守ったっていう記憶は、ない。だからこそ」
「言わないで」
「…
「その先は、言わないで。私には、貴方に護ってもらう価値なんて無いの。もう自由にしていいんだよ」
、聞いて。俺は、を護りたいわけじゃない」

 離れようとしても、掴まれた腕を放してくれる様子はない。痛いくらいに強く握られて、逃げることは叶わなかった。

×


「ただ、君と一緒にいたいんだ。100年前は聞けなかった君のことをもっと聞きたい。知りたい。だから、探していたんだ」
「…っ私は、」
がどうしても嫌なら、諦めるよ。でもそうじゃないなら、どうか」

 姫に騎士が誓いを立てるように、下ろしたの小さな手に額をこすりつける。
 百年前、ずっとは目を伏せていた。ゼルダの力が目覚めないのはのせいだと言われても、なぜ宮廷占術師を殺したのかと言われても、何を言われようと。まるで本当にすべての原因が自分にあるかのように、何の言い訳もせずに俯いていた。
 あの頃はそんな表情の理由なんて見当もつかなくて、いつも困惑することしかできなかったけど。今は、寂しいのを、泣きたいのを我慢していたのだと分かる。前世の俺達に何度も守られながら、それでも国が滅びて、何度も別れを味わって。何度も恐怖を思い出して。それでも勇者のために頑張ろうとして、出来なかったりして。

「一緒にいたい。君の笑った顔がみたい。それだけなんだよ。ねぇ、

 ようやく分かった。護りたいわけじゃないとは言ったけど、護る護らないなんて議論する意味さえないことで。ただこうして側にいて、俺を見てほしい。どうしようもなく彼女が欲しい。
 こらえていた涙を溢れさせる。苦笑しながら親指で雫を拭っておずおずと抱き寄せると、今度は力を抜いて身を預けてくれた。
 ああ、良かった。ずっと渇望していたものを、ようやく手に入れることができた。百年前に失ったものはもうこれ以上戻らないだろうけど、何よりも彼女が─がこの腕に戻ってきたのなら、いい。寂しさも、きっと彼女で埋められる。
 ─これで間違いないのだろう、かつての俺達よ。





back next