わだかまり


 傷だらけになってうなだれる緑衣の男の前に、白き女が現れた。神々しい身姿で、男を尊そうに見下げている。

「……貴方はこれからもきっと…、ハイラルを守ってくれるのでしょう」
「そう、させてくれるのなら」
「何か、求むるものはありますか。私に出来ることならば、どんなものでも与えましょう」

 白き女の言葉に、男はちらりと視線を上げた。

「ならば。巫女を寄越せ」
「…!」
「おまえが大事に囲っていた、あの巫女を」

 男は脳裏に思い浮かべる。ついぞ結ばれることはなかったものの、確かに想いを通じ合わせることが出来た一人の女の顔を。

「傷ついていた。おまえと話せなくなったことを」
「それは私が、御座から離れていたせいです。彼女は神と対話する力を、失ってなどいない」
「彼女は気高く尊い。しかし強くはない。神からの声を疑われ…、心無い言葉に怯えていた」
「彼女は、優しい人間です。此度こそ、力尽き…相対することは叶いませんでしたが…」

 白き女は嘆くように息をついた。

「だから、巫女を寄越せと言う。おまえは彼女を守りはしない」
「……まったく。それでは褒美になりませんよ。巫女はすでに、貴方に心奪われているのだから。
 ですが─よいでしょう。貴方がこれからもハイラルを救ってくれるのならば、同じように、巫女も必要なものとして共に生まれ変わるでしょう」

 両手を広げ、瞼を下ろす。

「ただし…、その彼女が貴方を覚えているのか。そうであってもなくとも、貴方に再び心惹かれるかは、貴方次第です。愛しき代弁者たるあの子の心を、操りたくなどありません」
「フ…。それでいい。その方が、いい」

 男は肩を竦め、ようやく気が抜けたのか背の岩に身を預けた。

§


 はたり、と目の前の風景が視界に戻る。顔を上げれば、船を漕いで今覚醒したと言わんばかりの不自然な体勢のが呆然としている。
 かくいう俺も、よだれをたらした情けない状態だった。手で拭って誤魔化した。

「…今変な夢…」
「…リンク、も?………、」

 彼女が意図的に見せたというわけではなさそうだが、が垣間見る記憶というのが、俺にも白昼夢として視れたらしい。
 口元を抑え瞬きをしながら、は何事か考え込んでいる。その最中、結果として─は、ほろりと涙を零した。

「私、知っていたわ」
「…?」
「ハイリア様が…トライフォースを扱うために……、ぁあ、ぁ…!」

 ─白昼夢を回想する。
 がずっと気にしていた─女神と対話する力を失ってなどいない、と白い女が口にしていた。…これに関しては正直のところ、俺とゼルダ姫をガーディアンから庇った時のことや、そもそも予知の力を持つことを考えればそんなものだろうとは思ったが。
 そして”勇者”の求めた褒美通り、時が来た際に”ゼルダ”、”勇者”と共に生まれ変わること。けれどそれぞれの”勇者”と巡り合うか、愛し合うかは俺たち自身の意思。互いの心を操ったわけではないこと。
 身を屈めて涙するの背を撫でる。時間が経つごとにその白昼夢の内容はおぼろげになっていくが、その事実はしっかり記憶した。忘れはしない。

「…
「……ごめんなさい」
「えっ」

 耳を赤くしながら、涙を拭って顔を上げる。突然の謝罪に首を傾げれば、は視線を泳がせた。

「………私が気にしていたこと…全部、勘違い…で。リンクを振り回しちゃった…」
「苦悩するほど俺が好きってことで、気にしてないよ」
「そんな簡単に、」
「だってどちらにせよ俺は目の前の君しかしらないし、君が記憶を持っていたからこうして昔話が出来る。過去の勇者が情けなく怪我をしてが悲しんだのも事実。それでも俺はが好きだし、も俺が好きなんだろ。魂的なものが俺を何度も求めるように」

 一息で返せば、は目を丸くしたあと、はにかむように笑った。それから俯いて、もじもじと手を弄って視線を泳がせる。

「あの…、リンク」
「ん?」
「…側に寄ってもいい?」

 ここはちょっとした道端の脇にある焚き火の前だ。雨が降ったので昼中ながら休んでいた。しかし白昼夢を見ているうちに日が落ちたようで、辺りは暗い。
 となりに並んでの外套を二人で肩にかけていたのだが、その状態でさらに側に寄る、とは。少し考えて、彼女を抱き寄せた。

「わざわざ言わなくていいよ。おいで」
「ん、うん…」

 ぱちぱちと音をたてて燃える焚き火を見ながら沈黙する。どちらともなく手を絡め、存在を確かめるようにゆるく握り締めた。

は…」
「なぁに?」
「百年前の俺と、今の俺と、どっちが好き?」

 話題に困ったから、というのもあった。大した意味はなくそう問えば、はしばらく考えこむ。

「百年前と今は、他の記憶と違ってしっかりと連続して覚えてるわ」
「うん?」
「百年前のリンクは…その、少し怖かった。イメージと違うというか…知ってるのは、明るくて、皆に信頼されているような性格だったから」
「……へぇ」
「何考えているかわからなくて、私のことをどう思っているかわからなくて。どうして私を構おうとするのか、わからなかった」

 …思えば、ひと目で惹かれていたのかもしれない。温泉に半身を浸からせて、憂いげに振り向いた女の子。

「視線が合わなくて…俺の知らない俺の話をしているは、とてもきれいで─腹立たしかったんだ。当時はわからなかったけど、今思うと、多分」
「…怒ってたの?」
「まぁ、そう。ゼルダ様は明確に俺を嫌う理由がわかってたから気にならなかったけど、は俺の…”リンク”の話をしているのに、俺を見てくれなかった。俺が見てないところでは、俺を痛いくらい見つめてくるくせに」

 愚痴のように零せば、はまた顔を赤く染めた。

「…気付いてたの?」
「仕事柄、周りの視線や殺気なんてものには敏感だったもので」
「…、……っ」
「だから余計に気になって、君を見るようになったんだ」

 拗ねるように口を尖らせるの頭を撫でる。彼女はよく表情に出るから、分かりやすくてかわいい。

「…は頑張って感情を隠そうとしてたけど、考えてみるとさ、君はそういうの苦手だよね。好ましい感情を持ってるはずなのにそっぽ向くから、わけわかんなくてムカついたんだよな」
「…ごめんなさい」
「いや、謝ることではないけど。俺自身そういう感情あったんだなーと思うし」

 はふと顔を上げて、じっと俺を見つめた。

「……今も昔も、一緒よ」
「はい?」
「昔のリンクは今のリンクじゃないけど、今のリンクは昔のリンクと一緒。…サラブレッド…じゃなくて…」
「……、ハイブリッド?」
「それ!…昔のリンクはね、かっこよかった。少し怖かったけど。今のリンクは……ん、えっと…」
「待ってなんで口籠るの」

 くすくすと楽しそうに笑う様は見ていて心地良い。

「今のあなたは、とても素敵」
「……、」
「寡黙なのもかっこいいけど、親しみやすさ?があったほうが、安心する」
「………」
「でも魔物とかと戦う時、昔みたいな真面目な顔になるのも好き」
「……………」
「…突然半裸で走り回ったり、意味もなく女装するのは…どうかと思うけど…」
「つまり俺が好きってことでいい?」

 恥ずかしそうに頷くを腕に閉じ込めて、強く強く抱きしめた。





back next





過保護



「リンク、ちょっとゾーラの里へ行ってくるね。ウルフを連れて行ってもいい?」
「わかった、いいよ」

 いつものハイラル行脚の途中。山麓の馬宿へ宿泊する予定で、商人のテリーと話している際がそう声をかけた。傍らのウルフは俺を一瞥した後、馬を引く彼女の真横にぴったりとついて歩いていった。俺と歩くときは数歩前歩くのだが、どうしてだかとは初対面でもしっかりと隣に並び立ったのは不思議だ。
 未だ魔物もうろついてはいるが、厄災が渦巻いていた頃と比べればそれほど活発ではないから、が戦えずとも大丈夫だろう。俺はといえば、すぐさまテリーとの交渉を終えての後を追った。ぴったりと3メートル間を空け、できるだけ気配を感じさせないようにしながら、無言で彼女の後ろを歩く。時折ウルフが怪訝にこちらを振り向いてくるが、特に気にはならない。

「…あの…リンク」
「うん?」
「一人で…行けるから」
「うん、俺のことは気にしないで」

 気になるよ、と足を止めたが困惑した様子で振り向いた。そして俺の顔を見て、ぎょっとしてたじろぐ。首を傾げれば、はうつむきながら口を開いた。

「…百年前、ゼルダがあなたがついてくることを嫌がった理由、ちょっと分かった気がする…」
「えっ?」
「とにかく!一人で行きたいから!ウルフもいるし、こっそり行くのは得意だから大丈夫だよ」
「いや、危険とかそういうことじゃ」
「いいから!ついてこないで!」
「えっ…」

 ぴしりと指をさされて強く言われてしまい、驚いて呆然としてしまう。そのうちには馬に乗ってウルフと共に走り去ってしまった。我を取り戻した頃にはは豆粒ほどに小さくなっており、追えばすぐに追いつけるだろうが、今更そうするには気まずい。行き場を失った手を力なく落として、すごすごと馬宿に戻った。
 果たしてゾーラの里に一人で何をしにいくのか。あそこのウォーターベッドは俺も気に入っているが、わざわざ一人で行くことはないだろうに。というかいつ戻ってくる予定なのだろうか。ここからゾーラの里は確かに近いが、行き帰りだけでそれなりに時間がかかる。もう日は落ちかけているから今日は山麓の馬宿で休もうという話になったはずなのだが。

「オーゥ、フラれた?」
「違う」

 途中で無造作に交渉を切り上げたテリーの前に座ると、テリーは半笑いでそう言った。「怖いネー、笑顔笑顔」と誤魔化しているが、テリーが決して口調通りの性格でないことは知っている。少し睨みつけてやればテリーは口角を引きつらせながら、先程まで渋っていた買取価格を大幅に引き上げて提示してきたので、仕方なく応じた。

§


 その後、結局が戻ってきたのは夜中だった。彼女が戻ってくるまで正直心配で眠れなかったし、当のはどこか嬉しそうにふわふわしているし。聞いてもにこにこしながらはぐらかすし。一体なんだと言うのか。

「過保護…ですね」
「まぁ、わからなくもないけどねー」

 あれから数日、今日はプルアのいる古代研究所に来ていた。は何か俺に言えない用事があるとかで、ついてこないようになどと言ってここへ押し込められたのだ。ゼルダとプルアはお茶と菓子をたしなみながら世間話に花を咲かせ、俺は研究所内の掃除をさせられ、ラサムは村中へ買い出しに行かされている。

「…ゼルダ様。百年前、俺が後ろをついてきて…どう思ってました?」
「─そう、ですねぇ…。後ろを誰かがついてくる事自体には慣れていましたが…単純に私があなたに一方的にコンプレックスを感じて忌避していたことを抜いても。気配もなく仏頂面で、一定の距離を保ってついてくることには、少し恐怖を覚えていました」
「きょうふ」
「はい。それも私があなたを拒否していたからこそで、リンク自身も関わり方に悩んでいたと思うので、リンクが悪いわけではないですよ?実際、あなたに窮地を救われ少しずつ私が向き合うようになってからは、距離も縮まりましたしそれほど恐怖を感じることはありませんでした」

 慌ててフォローするゼルダをよそに、俺は手にしていた書物の山を机に置き頭を抱えた。
 恐怖。ゼルダの護衛時ほど気を張っていたつもりはないが、怖かったのか。そうか…。

「今回は巫女様がサプラ…リンクと別行動したかったからそうなっただけで、普段はどうせ近すぎるくらい隣歩いてんでしょ?別に気にすることはないんじゃないの?」
「は?サプラ?何?」
「なんか聞こえた?それよりその本あっちお願いね!チェッキー!」

 あからさまにはぐらかされたが、整理を急かされたのであれば仕方ない。ぐっと口をつぐんで再び本を持ち上げた。
 そうして過ごしているうちに、買い出し内容の中にはそこらへんで売ってないものも項目に入っていたらしいラサムが随分泥だらけになって帰ってきた。…も連れて。
 相変わらずは妙に機嫌がよく、ふわふわにこにこしているのはかわいいが何を考えているのかわからず苛立ってしまう。後でちょっと近くのライネルでも叩きに行こう。そうしよう。

「あのね、リンク。ちょっといい?」
「…何?」
「えっ」

 そわそわしながら話しかけてくるにそっけなく相槌を返すと、はびくりと肩を揺らした。思わず俺も目を丸くしてしまう。

「…怒ってる…?」
「そいつ拗ねてるだけだよ巫女様」
「プルアっ! …ごめん、大丈夫だから。どうしたの?」
「えっと…ごめんなさい…」

 怒ってはいないのに眉を下げて謝るは、先程までのふわふわした雰囲気とは一点気落ちしてしまったようだ。慌てて向き合いこちらから謝れば、心配そうに俺を伺いながら少しずつ話し始めた。
 曰く、お疲れ様会を開きたい、のだと。

「きっかけはいろいろあるけど…。プルアたち百年前を知る人達と、今回厄災を倒すときに協力してくれた人たち皆に集まってもらうの」
「……もしかして皆知ってる?」
「う、うん。ごめんなさい、驚かせたくて、本当は当日まで黙ってるつもりだったんだけど。その、お、怒って…」
「ない。怒ってないから」

 落ち込むの頭を撫でれば、ようやく言葉を信じてくれたようで肩の力を抜いた。
 しかしお疲れ様会とは。一体どういうもののつもりだろうか。やることはただの宴会らしいが。

「…前に、英傑の皆と写ったウツシエを見てた時、あったでしょ」
「ん?うん…?」
「やっぱり、寂しいのかな、って。…だから、今は私やゼルダやプルアたち…百年前を知る人たち以外にも、シドくんやサクラダさんたちとか、リンクを知る人いっぱいいるよって、言いたくて…」

 …─正直俺は、がいれば後は顔見知り程度でもさほど問題はないけれど。俺のことを心配してくれるのが嬉しくて。そっか、と返せば、も照れくさそうに笑った。

「…人の住処に来ていちゃつかれるの、なんか腹立つわ」
「あいつら所構わずいちゃついてますよ。男の方に倫理観がないから」
「ふふ、でもあのリンクがああしているのを見るのはとても微笑ましいですね」
「とりあえずラサム、あとで鍛錬にでも付き合ってくれよ」


back next





懺悔


 とある、回想。
 ハイラル城にが来てしばらく経った頃。は相変わらずそれらしい話をすることもないままだった。プルアも頑張って話しかけたりしているようだが、逃げてしまうとか。そんな中でやっぱり、時々遭遇すると俺には二三話してくれる。
 彼女を振り向かせたくて、俺なりに彼女を楽しませようと四苦八苦した覚えがある。

「ゼルダ様も大概だ。いつまでもしがみついていないで、別の方法を考えればよいものを」

 渡り廊下を歩いていると、そんな下卑た声が聞こえた。いつもいつも何かを批判している貴族の男だ。贅沢して肥え太って、前線で戦う兵士のことさえ顧みず、少し失敗しただけで激怒する、そういう男。ハイラル王も何度か諌めてはいるが、彼の外交能力がひときわ秀でているためか効果は少ない。

「なぁ、巫女殿よ。そうは思わんか?」
「…ゼルダ様のお力は、必ず目覚めます。それに、今から別の方法など…」
「厄災についてお詳しいと見える巫女殿さえ、現状を変える方法が思いつかぬとは!ははは、冗談を申すな。何かしら知っているのであろう?それとも城内で主流となっている、巫女殿が姫の力を封じているという噂は真かな」

 巫女殿─は、ぐっと唇を噛む。肩を震わせながら、一歩一歩近づく男に対し後退り、随分壁際まで追い込まれていた。

「…っ、力の…」
「うん?」
「封印の力は、誰であろうと持て余す…誰にでも使えるものでは、ありません。一人で使うものでもない。あなたたちが、そうやって…嘲笑うから。だからゼルダ様も、力の使い方がわからなくなってしまった。ゼルダ様のせいじゃ、ない!
 何も知らないくせに、あの恐怖を知らないくせに!私を…っゼルダ様を、貶さないで…!」
「…この小娘が…!」

 男の手が伸びる。は声を張り上げて叫んだ直後、失言だと顔を青ざめさせた。
 背の剣に手を伸ばす。さすがの俺でも、柱の影から割り込むのは不可能だ。けれど。

「きゃっ…!?」
「むうっ!?」

 剣を振りかぶり、その剣気を飛ばす。青白い刃が円を描きながら、二人の合間に突き刺さった。これは剣そのものではなく、退魔の剣に宿る力の結晶が形となって飛んだものだ。

「失礼、卿の言うとおりこの剣はじゃじゃ馬でして。─ダギアニス卿、巫女になにか?」
「ぬっ…これはこれは、近衛騎士殿。いえ、少しゼルダ様について聞いていただけのこと。貴殿こそこんなところで何を?姫様の護衛はよろしいのか」
「今日はもうお休みになられるそうで、侍女に引き継いでおります。ええ、私としても、貴方のような方がいなければ、城内でさえ姫の安否を気遣う必要も無くなるのですがね」

 俺の弱みを知っているプルアやウルボザには勝てないが、こういう手合には苦手と言えど口喧嘩で負けるつもりはない。こういった時、忠義の騎士はそうするはずだから。
 怯えているを庇うように、ダギアニスの前に出る。眉根を寄せて睨みつければ、男は口角を引つらせて笑みを作った。

「…ふっ。貴殿も女には弱いと見える。巫女は貴殿にしか滅多に口をきかぬと言うではないか、しかもこうして庇って…。あのお硬いことで名高いリンク殿を籠絡するのが巫女の仕事か?楽なものだ」

 下卑た視線をやめるつもりはないらしい。は震えた手を俺に伸ばそうとして、ダギアニスの言葉に手を下ろす。

「卿こそ、下世話な妄想ばかりして人を不快にさせるのが大層お上手なようだ。さすがはダギアニス卿、かつては浮世を流していたというのも現実味がある。しかし今一度、贅沢ばかりで肥えたご自身を鏡で見直してはどうでしょうか。この俺が苦労している巫女の加護を、卿のような方が受けられるはずもありませんから」
「…っこの…!」
「では、失礼致します。私は巫女の加護を頂くため仲を深めねばなりませんので」

 一礼して、の手を引いて足早にその場を去る。沈黙のまましばらく歩いて別棟まで来たところで、思い出したように振り返った。
 頬を赤く染め、ぽー…っとした、心ここにあらずという表情で、は俺を見つめていた。

「……、大丈夫?」
「……」
?おーい」
「─………」
「………、」
「……きゃっ!」

 目の前で手を振ってもぼんやりしたままで、仕方なく肩を叩けばようやく我に返ったらしい。隠すように頬を抑え俯く彼女に、それ以上どう言葉をかけていいか分からず。
 慌てて踵を返して駆け出したははっと立ち止まって、視線は合わないながらも振り向き「ありがとう、リンク」と上擦った声で告げて、また走っていってしまった。

§

 ……なんてことが、あったわけだけど。
 あの頃とは全然事情が違うよな、などと思う。
 厄災を倒してそれなりに経つ。ゼルダ様や俺が直接それを報告出来た国民も増えてきた。
 そんな中で、辺境なところに住んでいる一人のとある老婆は、百年前のことを知る生き証人だった。
 百年前はまだ子供だったらしいが、当時城下町に住み、父は城仕えの兵士だったという。
 厄災復活の日、本当にたまたま、田舎の祖母の家へ来ていたために難を逃れたが、両親共にあの日厄災に殺され─…、ずっと、ゼルダ様を、俺を、英傑たちを。
 恨んで生きてきたという。

「あなたがちゃんと封印の力をすぐさま使えるようになっていれば…!英傑などと呼ばれて浮かれていないで、ちゃんと厄災を倒せていれば!
 今更、百年も経ってから倒しましたなんて言っても、もう父も母も誰も彼も死んでしまった!姫として、あの時役目を、果たしていれば!!」

 寝たきりに近い状態だと聞いていたが、老婆はゼルダにすがりついて声を荒げている。時折咳き込んでいるのにそれでも続けるので、よほど腹に据え兼ねていたのだろう。
 ゼルダはといえば、悲痛な表情を隠すように、真摯に老婆に向き合っていた。

「落ち着いて、お婆さま」

 反論もなく言葉を受けていたゼルダを庇うように、が横から声を挟む。ゼルダの服を握りしめていた老婆の手を優しく覆うように掴み、ふわりと微笑んだ。

「確かに百年前、私たちは厄災によってたくさんのものを失ってしまった。でもそれは、ゼルダ様のせいじゃない。もちろん英傑たちでも、他の誰のせいでもないわ」
「……」
「…ガノン…厄災は、復活の度、目的を忘れ、ただハイラルを滅ぼすためだけの怨念と成り果てて…抜け目のない、狡猾な魔獣になっていく。
 厄災はゼルダ様や勇者だけでどうにかするものじゃない。誰のせいでもない、誰も悪くないけれど…でも、皆が力を合わせなければいけなかった。
 百年前、皆が力不足だった」

 老婆の手を撫で、涙を拭う。

「百年かかってしまったけれど、勇者は無事厄災を打ち果たし、その闇を切り払いました。
 王家の姫も、勇者が目覚めるまでの間、確かに厄災を繋ぎ止めました。
 囚われていた百年前の犠牲者たちも、無事鎮魂し、ハイラルの礎となりました。
 許しなさい、とは言いません。許さなくていい。けれど憎むのはやめましょう?そんなふうに誰かを憎んでばかりいたら、人一倍疲れてしまうわ」

 拭った涙が、再びあふれる。老婆はしゃくりを上げながら、にすがって泣き出した。


………
……



「ありがとう…ございます、
「……?」
「私を責めないでくれて」

 老婆は謝罪を言葉にするほどの気力はなかったようだが、スッキリした表情で、泣き疲れて眠ってしまった。家を後にして、無言の帰路のなかでゼルダはふとそう口にする。

「……百年…意識を保ったまま厄災と対峙し続けるのは、きっと私にもできない。
 厄災が目覚めるまでに力を使えたとしても…厄災は他の手を打ってくる。それはもしかしたら、あの百年前よりも酷い結果だったかもしれない」
「……」
「……なんて、ただの慰めだけど。
 仕方なかったの。仕方ない。あなたの責を問い始めたら、私の方がもっと罪深いことになっちゃう。
 ゼルダがやるべきそれは、本来私の役目だったはずのものだから」

 目を丸くする。どういうことか、と誰も言葉にしないながら訴えた。
 は背を向けて空へと手を伸ばした。

「私は元々、神託を受ける巫女だと、いったでしょう」
が力を失ったわけじゃ、」
「…うん。だけど、保たなかったのは、事実。だから『ゼルダ』が、代わってくれたの。最初から『ゼルダ』は、そのつもりだったらしいけど」
「そのつもりだった…?」

 今度は振り向いて、儚げに微笑む。

「……最初の私は、幼いころからずっと神殿に仕えていた。恋とか、家族とか、そういうのも無くて…女神様の言うとおり、民の言うとおりにしてきたの。天候の予言とかもそうだけど…一番は魔物の鎮静だった。
 今は魔物って言われている者たちも、元々はそんなに悪いものじゃなかったの。友好的な子もいたし。
 そもそも魔王なるものが現れないようにするのが、役目だった」

 目を伏せて、それから、俺を見る。

「……けど。これは推測だけど…私は、恋をしてしまった。だから魔王が現れたんじゃないかって、今は思う」
「………民を、ハイラルを守るために注いでいたものが、途切れたからだ、と?」
「そう。もちろん、そうじゃなくてもいずれ現れただろうと思うけど。
 ………次に目覚めた時─私を知る人は皆、もう解放されるべきだと、言ってくれた。ハイリア様でさえも。自由に、好きにしていいんだって。
 役目から…逃げたんじゃなくて、終えたんだって。だから…一緒に、…いても、いいっ、て」

 思わず駆け寄る。彼女の涙を、自分の胸に吸わせるために。
 その言葉はきっと、かつての勇者からもらった言葉だろう。それは少し妬けるけれど。
 厄災が復活しては、否応なしに勇者が傷つく事を、はとても恐れていた。そもそもが自分の責だと、思っても仕方ない経緯だ。けれど。

「だから…ずっと言いたかった。
 ゼルダはちゃんと役目を終えた。失くしたものが多くても、それでも─ちゃんと、やれることをやったんだよ、って」
…っ」

 彼女を抱きしめる俺を押し退けて、ゼルダはを抱きしめた。手持ち無沙汰になってしまったが、二人が仲良くするのはよいことだ。
 苦笑しながら、二人を眺めていた。



back next