譲れないこと
その日、勇者と巫女様はインパ様に顔を出しに来ていた。ゼルダ様はパーヤとともに村を散策し、勇者はその荷物持ち。普段なら巫女様も同行するところを、なにか予定があるとかでインパ様の屋敷に居残っていた。勇者は最初怪訝にしていたが、先日巫女様が勇者のためのサプライズパーティーを計画したときのいざこざもあって、深くは意見せずに出かけていった。
そうして勇者たちが屋敷を出たあと、こそりと俺を見上げる。
「あの、ラサム。剣を、教えてほしいの」
インパ様くらいしか他にいないのにひそひそ話をするように巫女様はそう言った。
「リンクに教えてもらった方が良いのでは?」
「それは一度頼んだんだけど。…抱き心地がどうとか言って、駄目の一点張りで話も聞いてもらえなかったの」
「…、……そうッスか。なら、うーん。やめたほうがいいんじゃないですかね」
いうと、巫女様はムッとした表情になって珍しく眉を吊り上げた。
抱き心地がどうってのは、男として気持ちはわからなくもない。守りたい女が剣を握るために筋肉をつければ、それだけ抱き心地は悪くなるだろう。しかし勇者は普段どれだけ素っ頓狂な言動をしていても、本心ではあろうがそれ以外に何も考えていないわけではない。何かしら思うところがあって、はぐらかして否定したのだと予想できる。
その思うところが何なのかは、さすがにわからない。巫女の日記にある勇者たちと巫女の関係と、俺の知る勇者と巫女は随分事情が違う。…何しろ、百年だ。
「真面目に言わせてもらいますと、剣を持つと言っても、一朝一夕に剣を振れるようになるわけではありませんよ。自覚はあるでしょうけど、巫女様は戦う身体してませんから」
「それは…そうだけど。でも、少しでも自分で戦えるようになりたいの。お願いします」
頭を下げる巫女様に、困り顔でインパ様を見やる。当のインパ様は肩をすくめた。
「学ぶだけならよかろう」
「…そうですね。あくまで試しにやってみるだけで、実践してみようとしない約束で、なら」
「…!わかっ、た。ありがとう、ラサム、インパ」
喜ぶ巫女様は可愛らしいが、どうにも不安が拭えない。口を酸っぱくして言っておけば、何よりあの勇者が一緒にいればそうそう危険なことはないだろうが。
普段使用する風切り刀より小さい残心の太刀と小刀を手に、屋敷の裏の広まった土手に移動した。試しに太刀をもたせてみるが、浮かせて持つことすら出来ず、それはそれで納得していた。
小刀の方はなんとか扱えるらしく、恐る恐る鞘から引き抜いて空に掲げ眺めている。
「…まず基本的なところですけど──」
武器の持ち方、敵との間合い、近づき方。順序立てて例を見せながら教えていく。巫女様は至極真面目に話を聞いていた。
「…まぁ、せいぜいフェイントかけて相手を驚かせているうちに逃げる、が最適解だと思いますけどね。やっぱり、巫女様は瞬発力が足りてませんから、継続して向かっていく、相手を倒すのはおおよそ無理です」
「…うん」
「……そもそも最初からそんな事にならない、っていうのが一番ですけど」
うん、と巫女様は切なげに苦笑した。
「私も別に─…」
「何してんの?」
気配に、気づいてはいた。
普段の飄々としたものよりも幾段低い声が、日の傾いた野原に落ちる。視線を向ければ、いやに表情を削ぎ落とした勇者がこちらに近づいている。
「ねぇ、何してんの。剣はやるなって言ったよな、俺」
「これは、その…」
「駄目って言ったよな。よりにもよって、剣は、やるなって」
俺には目もくれず、勇者は巫女様の手首を掴んで無表情のまま見下ろしている。
…よりにもよって剣は、か。インパ様によれば百年前、厄災と通じていた占術師を、巫女様が退魔の剣で斃したのだったか。なるほどなぁ、と太刀を仕舞いながら気配を消し聞き耳を立てた。
「俺が君を守りきれないって、信用ならない?」
「そういうわけじゃ」
「じゃあなんで戦おうとするんだよ。それは俺がやるから君は待っていればいいって言ってるのに」
ピリピリと怒りの感情が肌を刺す。巫女様も勇者が怒っているのに気づいたのか、みるみる青ざめていた。
「私も、リンクと一緒に戦いたくて、」
「戦わなくていいって何度も言ってるのに?」
言い訳なのか、それとも過程の説明が抜けた本心なのか、巫女様の言葉に勇者の眉間のシワはどんどん深くなっていく。
こうなると思ったんだよなぁ、と肩をすくめた。
「もういい、帰ろう」
「えっ、今日はインパの屋敷に…」
「ああ、なんかゼルダ様が新しい服がどうとか言ってたけどどうでもいい。しばらく家から出さない」
巫女様が手に持っていた小刀をひったくり、掴んだ手を引っ張って踵を返そうとする勇者に、巫女様はぐっと踏ん張ってそれを振り払った。うつむいたまま、唇を噛んでいる。
「…リンクはいつも、私のしたいこと、させてくれたのに」
「……──は?」
バキリ、と勇者の手に握られた小刀が音を立てて破壊される。小さくこぼれた言葉は、それでも確かに耳に届いた。
巫女様はさすがにまずいと思ったのか口元を抑えて視線を泳がせ、勇者といえばそれまでの無表情がついに崩れており、不愉快げに歪んだ表情をして、握りしめた拳からは血が垂れている。
この言い方は、巫女の日記の─記憶の中の、かつての勇者たちのことを指しているのだろう。それはさすがに目の前の勇者の逆鱗だ。ただでさえ機嫌が悪くなっているこの状況でその発言は、寝た獅子を起こしても不思議はない。
「何それ。どういう意味。何が言いたいの」
「……、」
「俺、わりと君のやることなすこと許容してきたつもりだけど。逆に君は、俺の少しの頼みも聞いてくれないの?」
「そ、……っ」
「─…もう勝手にしろ」
盛大に舌打ちをして、勇者は一人村へと戻っていった。この様子じゃあ宿泊せずにハテノへ帰るのだろう。
それにしても。随分怒っていた。俺はその理由にも大体察しがついたけれど、巫女様はわかっていないだろう。そして巫女様の目的もなんとなく予想がついているが、それを勇者は理解していないだろう。
ああ困った、これは俺一人ではどうにも出来ない。
「別に、私…だって、リンクと肩を並べて戦うつもりなんてないのに」
「………」
「大変さを少しでも知っておきたくて、それで…」
俺に話しているのか、独り言なのかはわからないが。巫女様は強く掴まれて少し赤くなった手首を撫でながら、泣くのを我慢しているようだ。
「甘え過ぎてたのは…確かで…」
「……」
「だから…せめてリンクが戦っている間、安全なところに隠れておくために、そのために…」
「………、」
「……他の、ことで…どんなふうに手伝えるだろうって…いろいろ、模索したくて…」
それを本人に伝えたらいいんじゃないですかね。そうは思うが、巫女様は怒っている相手が勇者だと萎縮してしまう。というか、あの怒り方は俺でも怖い。それでビビリはしないとはいえ、仮にも国一の剣士、聖剣に選ばれた勇者が怒り狂えば止める手段などない。ああいや、ゼルダ様がいれば止めることはできるだろうが。
風が吹く野原で沈黙する。小刀は無残に握り潰され塵と化したのもあり、心持ち的にも稽古を続けることは出来ないだろう。戻りますか、と告げれば、こくりと頷いた。