乖離
暗くなった空を見上げ、深いため息を付いた。
おそらくハテノの家へ帰っただろうリンクと同じく家に戻るわけにも行かず、宛もなくカカリコ村を出てしまったが。流石に日も落ちると途端にもの寂しさが襲う。
いつも、リンクと一緒にいたから。何かあった時にすぐに剣が取れるよう手を握って歩くようなことはあまりなかったが、すぐに触れられるくらい近くに並んでいた。
「ワウッ」
「ひゃっ。……ウルフ?」
ぼんやりと歩いていれば、いつの間にやらウルフが側にいた。ウルフはリンクが目覚めて少しした頃からどこからともなく現れるオオカミだ。人の言葉がわかるのか、こちらの頼みをよく聞いてくれる賢い子。
「来てくれたの?ふふ、ありがとう」
しゃがんで頭を撫でると、ウルフはべろりと私の頬を撫でる。そのままウルフに促され、近くの野営場へと移動し、火を起こし落ち着くと、またウルフを撫でた。
「……わだかまりが解けてから…かつての記憶も、それまで鮮明だった百年前の記憶も…日に日に薄まっていくの」
「ワフ…」
「忘れたりは、しないけど。でも、時が経つ度、アルバムに仕舞われていくような…」
ウルフの毛に顔をうずめながら一人ごちる。
「だから…みんなの言っていることは、理解できるんだけど…私だけ置いてけぼりにされているようで」
「ワン」
「……リンクも、こんな気持ちだったんだね」
百年前の私が、リンクを通してかつての勇者を見ていたのを、リンクは無意識ながら腹が立ったと言っていた。今の私を通して、百年前の巫女を見られている。…とても切なくて、悔しくて。
今までの一年ほど、リンクと紆余曲折関わってきて、改めて愛おしいと思う。力強く守ってくれて、楽しませてくれて、優しくて。けれど今の私には、百年前の苦しみがしっかりと理解できなくなってしまった。
「……忘却の呪詛が解かれて…私に巫女の記憶が還元されて…馴染んだ、のかな。巫女としてやれることとかを理解して…それでかつての記憶は必要なくなった」
「ワゥ」
「……『前を向きなさい』……かぁ…」
記憶が戻ったばかりで悩んでいた頃に、カッシーワさんから言われた言葉。
同じものを見る必要はない、と。それでも恐れずに、前を向きなさい、と。
「ワン!」
「? ウルフ…?」
ぐずぐずとしていると、ウルフが一鳴きして駆け出した。後を追うも、追いつくより先に何かをくわえて戻ってきた。
私の足元に落とされたのは、旅人の剣だ。威力が低くすぐ壊れるからとリンクはすぐ投げ捨ててしまうやつ。地面に転がる剣を前におすわりをしてしっぽを振っているウルフに、恐る恐るそれを手にとった。
「剣を、教えてくれるの?」
「ワウッ」
日中にラサムに教えてもらった型で剣を構える。そこからどうするのかと思えば、ウルフは器用に木の枝を拾って投げてきた。
「えっ、あ、えっ…!」
「ワフゥ…」
やれやれ、とばかりにウルフが首を振った。軽く投げられた木の枝は、私が慌てて振り回した剣にかすりもせず頭にぶつかり地面に落ちている。
呆然としている脇で、ウルフはまた木の枝を投げ、飛んでいくそれを高く跳躍して噛み砕いた。どうだと言わんばかりにこちらを見て得意げにしている。
「……ふ、あはは。やっぱり向いてないね。わかってたけど」
「ワウ」
「剣が駄目なら、弓とか…それでもリンクみたいに正確な射撃は出来ないか。逆に敵に気づかれて狙われちゃいそうだね」
「ワン」
「なら─…」
思考を巡らせる。他にできそうなことといえば魔法だけれど、記憶の中では百年前でもそれらしい力を使いこなしていたが、今の私には使い方がわからないのだ。リンクの助けになりたいと思い始めた頃、当然最初に考え色々試したが、念じたりしても魔法らしい力には目覚めない。
「…ゼルダみたいに、泉に行ったほうがいいのかな…」
例えば巫女の歌は、これまでにもこっそり歌っていたりするのだ、実は。けれど時が悪いのかなんなのか、リンクに加護が宿ったような感じはしなかった。彼が寝ている時に、起こさないようにと小さな声でこっそり歌ったからなのかもしれないけど。
百年前の記憶では、ゼルダのやっていたようなことはしていなかったが、各地の泉には足を運んでいた。記憶が戻るまでは普通に旅をして、いうなれば観光していただけだったし、魔物の跋扈する中を一人で進む程の度胸はなかったから、遠くから眺めた程度だ。
「………リンクに謝って、泉に連れて行ってもらおう」
リンクの言う通り、剣を扱うのは無理でした、ごめんなさい、って。
「グルルルル………」
「ウルフ?」
自分の尻尾を追いかけていたウルフが、ふと木々に向けて威嚇を始めた。どうしたのかと視線を向ければ、その先から気配がする。思わず身構えれば、不気味な笑い声がする木々の奥へ、ウルフは単身入り込んでいった。
追おうとして動きを止める。ウルフは心配だが、かといって何も出来ない。視界の悪い中、複数いるかもしれない敵だけを相手にするのと、複数の気配のうちどれが味方かを判断しなければいけないのとでは、難しさも違うだろう。リンクがよく言っていたのは、多分そういうことだ。
ぐっとこらえて、自分の手を握った。祈るように頭に擦りつけ、ただ無事を願う。無意識のうちに唇からは歌が溢れていく。
数秒にも数時間にも感じる時の後、草木の揺れる音が静まった。がさがさとこちらへ近づく音に一瞬身を強張らせるが、一緒に聞こえる鎖の音に胸をなでおろした。ウルフの腕についた、壊れた枷の鎖の音だ。
「………ウルフ?」
「─俺は見守ることしか出来ないけど。君が戦えても、戦えなくても、《リンク》は必ずを守る。
記憶があろうとなかろうと、巫女であろうとなかろうと、君が《リンク》を想ってくれる限り…いや、多分想ってくれてなくても、意地でも振り向かせるんだろうけど。俺ならそうする」
知っているような、知らない声。そんな言葉を、誰ともしれぬ襲撃者が吐くはずもなく、かといって─ウルフが喋ったりなんて、しないはず。
思考停止しているうちに、草木をかき分けて出てきたのは間違いなくウルフで。目を丸くしている私に、ウルフは不思議そうにして頬を舐めた。
じっとウルフを見つめる。自分の尻尾を追いかけていたり、りんごに跳ねて喜んでいたりするウルフが、まさかそんな。
「………今日は、寝よう、か」
「ワウ」
困惑を苦笑でごまかして、私は焚き火の火を落とし、ウルフに抱きついて眠りについた。
「巫女の杖を授けましょう、って。なんかもらった」
「ええ…?」
「巫女の、って名がつくくらいだから、十中八九のだろ」
獣の試練から戻ってきたリンクとミドナにミルクを渡せば、質素な装飾の杖を渡された。
「、勇者の弓を俺に渡してから手持ち無沙汰で不安そうにしてたろ。どんな効果があるのかわかんねえけど、鈍器くらいにはなると思ってとりあえず受け取っておいた」
「仮にも神聖なものである可能性が高い《巫女の杖》なんて名の付くものを、鈍器ってお前な」
背の丈を超える長さの杖に驚きながら手に持ってみる。見目ほど重くはなく、むしろ柄部分は羽のように軽い。重量があるのは先端のきれいな宝石とその周りだけではないだろうか。柄部分も金属に見えるのだが、特殊なものなのかもしれない。
「時の勇者の文献にはなにか書いてなかったのか?」
「うーん…時の勇者について、ばかりで、巫女については特に…ちょっと使ってみるね、なんかえいってやれば出来…」
「うおああ!?」
えい、と杖を振るうと。視線の先にいたリンクを取り巻くように炎が発生した。幸いリンクの衣服は特別製で、燃えることはなかったけれど。
「ひぇ…」
「もっ、もうちょっと準備してから使ってくれ!」
「ごめん」
でも、慌てるリンクが面白くて笑いを堪えていれば、ミドナが先に大笑いをはじめて、つられて笑ってしまった。