☆intro
綺麗な羽を、拾い集める。ひとつひとつ、大切に。
誰に頼まれたことでもなく、むしろ怪訝に顔を歪ませてしまうかもしれないが。
それでも、これはやるべきこと。
せっせと集めて、集めて、集めて。やがて魔力の器になるほどに集めても、姿は現さない。何かが足りていない。
─ああ、困った。私は貴女を見つけることが出来ない。
どうしたものか。そうしているうちに身は崩れ始めてしまった。嫌がるでしょうが、申し訳ない。鎧を少し、借りましょう。
「貴女はそんな顔をしていたのですね」
美しい女性の形になっても、動くことはなく。ただ城の最奥で眠っている。
足りないものを取りに行かねば。娘一人で足りるだろうか。
「…どうすれば目覚めるのです」
まぁ、目覚めなくとも。貴女が何処へ去ろうとも、必要ないと言われても、一度くらいは。
貴女を守るのが、貴女の騎士の役目でしょう。
貴女が天上のひとだというのはなんとなく分かっていましたから。矮小な人間の護りなど不要かもしれませんが。
それでもこんな時くらいは、私が出張っても問題ないでしょう。
貸しにしてもいいですが、さすがにしません。安心してください。
「ですので、いつ目覚めても大丈夫。この■■■■■、最後まで貴女をまもりますとも」
次元の外。あるいは超時空。
過去から未来まで存在する場所。神秘の隠れたヴェールの向こう。そこには、この世のすべてを見聞きし、その瞳であらゆることを知り尽くし、記録する者がいる。
神々でもその者以外に立ち入ることは許されず、誰が代わることなく、過去から未来に至るまで、すべてを監視する天司の御座。
─その場所に、一人の侵略者が現れた。
本来ならばあり得ない事件の理由、原因はひとつではない。回避されたとはいえ人理が焼却されるほどの危機。漂白され、織物と楔の概念が弱まったこと。
そして何より、座する者が少しよそ見をしていたこと。侵略者が持てる手を持って天へ昇ったこと。
「この席は別にいらないのだけど、ここなら効率的に世界を監視できるということでしょう?ずっとずっと狙っていたの」
「………」
「あなたは神様。だからただの人間である私には何の手出しも出来ない。ふふ、皮肉なことね。世界のすべてを知っても、あなたは何も出来ない」
「…ただの人間、だなんて。どの口が言うのでしょう」
「あなたが手を出せないなら、人間でしょう?あなたが権能を行使出来るのは、その役目通り神を取り締まる時だけ。あとはそうだわ、終末の笛を鳴らすとき、かしら?どちらにしても、今あなたは私に何も出来ない。…いただくわね、大天司様。あなたは私の主ではないから嘆きもないわ」
女は笑い、糸を絡め捕らえた天司に手を伸ばす。至高の秘密を携えた、その虹のような瞳に向かって。
──落ちる。
宙から地上へ向けて。風に刻まれながら吸い寄せられるのではなく、さながら無重力のように。天の御使いの証たる翼は少しずつ抜け落ちて、方々に散って。それによって己の力がみるみるうちに消えていた。何千年と存在した体は魔力が抜けて朽ちていく。老婆のように醜くしわがれ、肉は溶けて骨のよう。重力に逆らい神さながら降臨するような力も何もかも抜け落ちて、─これがいつまで続くのかと、面倒になって。一度、意識を閉じた。
×
「失礼、マスター。ラジェルを見ませんでしたか? 今日の厨房当番だというのに来ないからと、ブーディカ殿に頼まれまして」
マイルームにやってきたガウェインが口にしたのはそんなことだった。知らない、と首を振れば、太陽の騎士は困ったように頬を掻いた。「ダヴィンチちゃんたちに聞いてみようか」真面目なラジェルが約束事をすっぽかして行方不明、というのはなかなかない状況だ。提案し早速管制室へ向かうと、当のダヴィンチは奇妙な表情でこちらを見遣った。管制室にはマシュや他のスタッフもおり、どうにも何か調査─対応をしているようだ。
「丁度いい、立香ちゃん。─特異点反応があったんだ。が…少しやっかいでね」
「この地点は我がブリテンですか。問題とは?」
「場所の特定までは良かったんだが、なんというか。時代観測が出来ない。このカルデアの外が漂白されていて、そういう意味でも安定していないというのもあるが、観測して調べる度に違う時代の結果を出す。そこでサーヴァントご意見番ラジェルにも確認したいことがあるんだが、ガウェイン卿、彼女を知らないかい?」
ちょうど探しているところだと話せば、またダヴィンチはやれやれとばかりに肩をすくめた。
「まぁそりゃそうだよね。カルデアで管理している霊器一覧から、ラジェルが消滅している」
「………は?どういうこと?」
「そのままの意味さ。なんの予兆もなく、ふと気づいたら。ホームズが言うには、この特異点となにか関連があるらしいが。…やっぱりホームズの言葉を信じてとりあえずこの地点にレイシフトするしかないかな」
難しい顔のまま、咳払いをして切り替えると、ダヴィンチはこの特異点へのレイシフト開始を宣言した。
慣れた手順で皆が準備を始め、立香も疑問符を浮かべつつ準備を進める。
向かう先は現代のイギリス、ブリテン島。ここに一体何が待ち受けるのか、どんな苦難が待ち構えているのか─緊張を胸にしまいながら、目を閉じた。
§
『レイシフト完了。様子はどうかな』
「通信状態その他良好。場所は─近くに町、城が見えます。予定通りの地点に到着しました」
「これは間違いなく、我が懐かしきブリテンですね」
『マスター藤丸立香、サーヴァントシールダーマシュ、それから同行サーヴァントガウェイン。ちゃんと揃っているね」
問題ない、と皆がうなずく。
『さて、周辺の観測結果だが─至って普通の様子に見えるね。だがやはり全体的に魔力数値が高い。ガウェイン卿、これについては?』
「風景こそ見覚えはそのままなのですが、環境については少なくとも私の生前の時代とは違いますね」
『ふぅむ。…町から少し離れたところにある森に、その中でも異様な魔力反応がある。聖杯レベルのものだ、様子を見つつこれを目指してほしい』
ダヴィンチの指示に、ガウェインの案内で移動を開始した。
騎士然とした格好のガウェインを見ても、住まう人々は特に何を思うでもでもなく平然と通りすがる。出ている店や歩く人々を観察し、すぐさま分かった異常は、『人々の衣服や文化が入り乱れているように見える』ということだった。現代から近世に見られる背広を来た紳士、中世にありそうな膨らんだドレス、布を巻いただけのようない服を着る者に、騎士や戦士らしい服装など。あまりにも異様な光景に眼を丸くした。観測時点で時代特定が定まらないと言っていたのは、そのままこういうことだったのだろうか。入り乱れている当の住民たちは、それを特に異常にも感じていないらしい。背広の紳士と騎士風の男が言い争いをしていたり、ドレスの女性と粗末な服装の者が仲良さそうに話していたり。
「なるほど、特異点らしい」
「とりあえず、魔力反応のある地点を目指しましょう」
「…ちょっと待って」
立香がその住民の話に耳を傾ける。
「最近また、若い娘が連れ去られたそうよ」
「助け出そうと向かった騎士や警察も、半分も戻ってこれてないらしいわ。怖いわねぇ、私もさらわれてしまうかも」
「貴女は若い娘じゃないでしょう?」
「まぁ、失礼ね!」
うふふ、と笑う姿はとても華美で、話している内容はまるで壁向こうの噂と言わんばかりの軽薄さだ。しかしそれ以上詳しい話はされず、ひとまず一行は目的地に向かって再び歩き出す。その噂を認識してから、全員が他の住民の世間話に耳を傾けつつ進むものの、なにか怪しさの決定打になる情報はなかった。
町を通過して獣道を踏みしめる。ガウェインが何か感じ取ったのか、それとも森に住む獣を警戒してか、それまで仕舞っていた剣を手に先陣を切る。時折現れる獣は難なく切り捨てていたが、その獣も時代入り乱れており、時折魔獣も混じっていた。
濃い魔力数値にダヴィンチが適宜対応を加えつつ、やがてたどり着いた先にあったのは、森の外からは僅かも伺い知れなかった堅牢な城。そこだけ切り取ったように生気の失せた、太陽も凛々と輝いているはずなのにどこか薄暗い、ホラー映画にでも出てきそうな古城だった。
『その城だね。町にいたときにはそんなものがあるなんて観測出来なかったんだが。まぁいい、気をつけて進んでくれ。聖杯があると仮定しなくとも、あからさまに怪しい城だ』
「お任せください。太陽も登っていますのでなんの心配もいりません」
「とても心強いですね…!」
味方に強い騎士がいるというのは、マシュの言う通り心強い、これが敵に回ったりしたら─そこまで考えて首を振り、心を入れ替えて門をくぐる。
「─何者か」
「……え」
まだ、門をくぐっただけだ。城の扉までたどり着いていない。けれど一歩足を踏み入れたその瞬間、周りはステンドグラスの窓のある城の中で、目の前には黒いモヤをまとった騎士が直立していた。即座にガウェインが剣を構えるが、ヘルムとマントを身につけた騎士は微動だにしないままだ。
「…この城は主以外踏み入ることを許されません。私はこの城を守る騎士。主のいない今、私がこの城のすべての権限を担います。"勇ある者よ、跪きなさい"」
感情の感じられないどこかくぐもった声で、騎士は静かに告げた。
その瞬間、先頭にいたガウェインが、腰を抜かしたかのように膝をついた。驚いている内にマシュ、そして立香も同じように地面に伏す。腕を立て騎士を見上げることは出来たが、みるみる脱力し、ガウェインでさえも脂汗を流しながら騎士を睨みつけている。高熱を出したときのような倦怠感さえ出てきて、今にも胃の中が逆流しそうだった。ダヴィンチが通信越しに呼びかけているが、気が遠くなってそれもよく聞こえない。
「……その剣。その鎧。………そうですか。あなた方は外の騎士や警官ではありませんね」
「…!」
「太陽の騎士よ。貴様が命をかけるのならば、この城を明け渡そう」
重圧が突然軽くなったと思えば、騎士はそう口にした。大きく呼吸しているうちに、太陽の騎士─ガウェインがゆっくりと立ち上がり騎士を見据える。
「これは城をより強く在らせるために必要なやりとりです。答えを提示出来なければ、こちらはあなたのすべてを頂きましょう。期限は一年─もっともこの乱れた場所では、次に足を踏み入れた時こそ契約の最期でしょうが」
「何を…、その、文言は…!」
騎士は杖のように床に突き立てていた剣を掲げ、祈るように声を漏らした。
「では問いましょう。『我が妻が真に求むることとは何か?』 ─それでは、あなた方にはこの城から去る勇気を返しましょう」
その言葉と共に体が軽くなる。危険だ、と思いながらも騎士を見ると、予想以上の恐怖が胸を支配した。目を合わせようとしただけで心臓が縮む思いだ。
「…勇気を返したのです。それ以上、この城を踏み荒らさないでいただきたい」
「こんなもの、っ」
『駄目だガウェイン、ここは撤退してくれ』
冷静な指示に、苦々しい顔でガウェインが踵を返した。足元がおぼつかない立香やマシュの手を引いて、通った覚えのない城の扉を開けた。
一歩外へ出れば、今度は森の外。振り返っても城は見えず、再び目指す気も起きない。そこでやっと気が抜けて、地面に全身を投げ出して大きく呼吸した。さっきまで停滞していた呼吸が一気に進んだように荒く乱す。
「い、いったい…あれは?あの問答、この現象は…!」
『どういうわけかはわからないが。あの城はアーサー王伝説、ガウェインの婚姻に出てくる”狂騎士の城”だな。狂騎士自体に聖杯反応はなかったが、あの城全体がこの特異点を形作っている』
「つまり、あの狂騎士が守る城の最奥に、聖杯がある…ということですか」
『そう考えて間違いないろう』
「…しかし、あの問答の答え。逸話のものとは違いますし、狂騎士の妻…というのは?」
通信越しにダヴィンチが逸話を語る。
ある日アーサー王の元に若い女が駆け込んでくる。心の捻れた騎士が彼女の愛人を捕虜にし、土地を奪ってしまったという。悪しき心の騎士を誅伐せんとその騎士の城へ立ち入ったアーサー王は、たちまちに力が抜け大声を出す僅かな力さえなくなってしまった。そこへ現れた大きな体の騎士が、「婦人が一番に望むものは何か」という問いを出し、一年後に答えを携えて戻ってくることを約束され、アーサー王は問の答えを探す旅に出た。民たちにその問をしても、ありふれた答えばかりで狂騎士の思う答えではないと直感する。答えが得られないままやがて一年が過ぎよう頃になると、醜い老婆と出会い、『美しく礼儀をわきまえた騎士を夫とする』約束を交わし、正しい答えを教えてもらう。無事狂騎士との問答に答えたアーサー王は─問答と城については、このようなものである。
『ラジェルの話も加味すると、この城はラジェルが建てたもので、狂騎士はラジェルの兄だとか。兄─狂騎士の名はグロマー卿といい、物語によっては円卓の騎士だったり、この話の後にそうなったり様々だが…何にせよ、妻についての記述はない』
「私の記憶では、たしかにグロマー卿は円卓の…というか、ブリテンの騎士に加わっています。しかしこう言ってはなんですが、一般の兵卒より多少頑健で打たれ強いくらいで、サーヴァントになるほどの霊格は持ち合わせていないはずです。その後の活躍も特に聞き及んでいません」
『それはラジェルも言っていたな。ラジェルが攻撃の際召喚する狂騎士が当人で、サーヴァント一騎ほどの霊格はないと。だがそうなると…ううん。なんにせよ、答えはさっぱり、検討もつかない。どうかな、ホームズ』
謎解き、といえば。近くにいたのだろうホームズに視線を投げる。当のホームズはいつものような怪訝な顔をして、ふっと笑んだ。
『ラジェルのここぞという謎解きは、私に答えを出せるものではない。そういうものだ』
「どういうこと?」
『例えばここで、私が全身全霊を持って、その問の答えが『夫からの愛情』だと提示したとしよう。それが当たっていたとしても、絶対に不正解となる。何故か?この問答には、『ある女性が答えをもたらす』というファクターが必要なんだ』
「…なるほど。答えを得るには、騎士王のように特定の人物から答えを得る必要があるのですね」
「なら次は……ラジェルを探す?」
あの城が同じようにラジェルのものであり、あの狂騎士がラジェルの兄であるならば、答えかさらなる手がかりを示せるのは彼女だけだ。しかしカルデアにおいて突然消滅している。そもそもとしてラジェルというサーヴァントはイレギュラーだ。どうイレギュラーなのかは立香には知らされていないが、過去の旅路で縁を結んだからこそカルデアに協力してくれており、そうでなければ一切召喚になど応じない、と宣言されている。よほど相性のいい問題解決策として呼ばれても、絶対に応じたりしないのだと聞いた。
つまりカルデアのラジェルから話を聞くことは現状不可能で、この地のどこかに彼女がいる可能性も低い。…手詰まりだ。
「………。いえ、まだ、可能性はあります。あの城があるのならば、必ずラジェルがいるはずです。一年かかる場合も考えられますが、それでも」
『まぁ確かにそうだな。狂騎士にサーヴァント足る霊格がないなら、狂騎士はラジェルに付随して現界しているはずだ。 まぁ兎にも角にも一度休息を入れて、それからラジェルを探そう。町に戻って城についての情報を集めるのも必要かな』
そんな提案通り、一行は町に向かった。
皿洗いで簡素な部屋を貸してもらい休息をとると、心機一転情報収集に勤めた。娘が浚われている事件、それを救いに行き帰って来ない件。先に聞いたことはまさしく狂騎士に関わることだったが、だからといって解決策は見当たらない。ラジェルの─老婆の噂はないし、狂騎士に答えを返すアーサー王もいない。
「ガウェインは何か思い付く?」
「気付くことはいくつかあっても、目の前の問題解決に繋がるようなことは」
『何か気付いた?』
「問題は城と狂騎士であって、関連することは何もわかりませんね。せいぜい、その狂騎士の鎧に見覚えがあり、確かに見知った騎士のものであるな、というだけです」
どこか神妙な面持ちで語るガウェインに閉口する。有益な情報もなく八方塞がり─というとき、ふわりと花の匂いが鼻腔を擽った。
「やあやあ、お困りのようだね、カルデアのマスターくんたち」
「…マ」
「ーリンさん!?」
立香とマシュの間、二人の肩に手を置きながら、現れたのは花の魔術師マーリンだった。驚き飛び退けば、いたずらに成功した子供のようににんまりと笑う。
「ああ、先に説明しておくと、ここは時間軸が入り乱れた特異点だからね。私がいてもおかしくないので顕現しているよ」
『それはそうだろうが。だからと言ってどうして君が?』
「理由は色々あるけれどね。やっぱりラジェルに貸しを作っておきたいというのが一番かな。彼女の生前も含めてここまで困っていることはないだろうから」
こちらにわからない話をするマーリンに怪訝な目を向ければ、気付いたのかごほんと咳払いして話題を切り替えた。
「魔術師マーリンが道を示そう。まず君たちが探す老婆─ラジェルだが、あの森を365周ランニングすれば出会えるよ」
「待ってとんでもないことさらりと言わないで」
「本来なら騎士が一人森を歩けば遭遇出来るはずなんだが、訳あってガウェインではラジェルを見つけることは出来ないからね。仕方ない。
そして問答の答えを知るのにラジェルと遭遇するのは必須だが、かといって恐らくラジェルでは答えられない」
ガウェインではラジェルを見つけることが出来ない、というのも聞き捨てならないが、それよりも後半の言葉の方が捨て置けない。何故ラジェルでは答えられないのか?問えば、マーリンは目を泳がせてうーんと唸る。
「これが他の問であれば、例えば現代で証明されていない数式みたいな学問のことだろうが、答えの出ない宗教論の話だろうが、必ずラジェルは知り得るだろう。というか、ラジェルが知り得ることしか狂騎士は問を出せないからね。とどのつまり、あの狂騎士は逸話通りのラジェルの兄ではないのさ」
『グロマー卿ではない?』
「そう。狂騎士のガワを着た別の誰か。ガウェインはもう検討がついているだろうがね」
視線が集まり苦々しい顔をするガウェインに期待を向けるも、「確定ではありませんから」とにこやかにかわされる。
「さて、では森の外周ランニング行ってみようか、ぐはっ!?」
「─わけのわからないことをほざくものではありません、マーリン」
きっと観客になるつもりだったのだろう、とんでもない体力消費工程を笑顔で推し進めようとしていたマーリンが突如視界から消える。地面に倒れ「ひどいな」と唇を尖らせて、マーリンを転ばせた人物を見上げた。
ローブで顔を隠した長身。聞こえた声はしわがれ、僅かに見える肌は潤いなく。まさか、と初めに感づいたのはマシュだった。
ブリテンの領地の一端を陣取り、民を人質に取って、立ち向かうものを退けて来た狂騎士の城。騎士王さえも圧倒し撤退させるほどの強力な力を持った騎士は、膝をついた騎士王に問いを投げた。
【―世の女性が、真に求めることとはなにか?】
答えられれば、狂騎士は消える。答えられなければ国を頂く。猶予は一年。
一年かけて答えを探したが、ピンと来る答えは得られず―そんな時、道端にうずくまっていた醜い老婆が、ある願いを叶えてくれるのならその答えを差し出そう、そう言った。
老婆のおかげで狂騎士の問答は事なきを得たが、次に浮かんだ問題はその老婆との約束。
「わたくしの、保護を」
そんな曖昧な願いに、騎士王は首を振った。できない、という意味ではない。そんな簡単な願いでは、騎士王が得られた結果の代償に見合わない、と。
「ならば、わたくしが仕えるに相応しい、清廉で勇敢な騎士を。夫として」
「…!わかった。これ以上難度の高いものを求めても、貴方は思いつかないと言うだろう。承知した、貴方が差し出してくれた答えに見合う、我らが誇れる騎士に貴方を娶らせると約束しよう」
そんな会話を経たはいいものの。
いくら国の危機を救ったに等しい人物とはいえ、ただ老け込んだどころか不快感を持ってしまいそうなほど醜い姿の老婆を娶れとなると、誇れる円卓の騎士も二の足を踏んだ。そんな中で唯一挙手した騎士がいた。太陽の騎士、ガウェイン。
「王を、この国を救ってくれた女性の願いを叶えることに、何を臆する必要がありましょうか」
そうして、晴れて婚姻を結んだ―は、いいものの。
「これが貴方の家ですか。まぁ、住処に装飾は必要ありませんが、あまりにも汚い。ほら、掃除道具を持ってきなさい、貴方が掃除をするのですよ?自分の家でしょう」
「ここまで来るのに疲れました。少し肩を揉んで頂けますか」
「この家具、わたくしの趣味ではありません。買い替えてください」
「なんですかこの食事。こんなもの食事とは言えません」
鬼姑か、と頭を抱えたくなる、婚儀後の様子にガウェインは唇を噛んだ。今や聖者の数字も眠りにつく夜、妻となった老婆はすでに寝室にいる。行きたくない、と口から漏れた。しかしそろそろ休まねば明日の仕事に影響が出る。
意を決して寝室へ赴くと、何やら妙な匂いがした。見てみれば、買わされた鏡台の前で何やら茹でている。その蒸気による匂いのようだ。
「…気にすることはありません。心身ともにしっかり休めるようになる香草です」
「………」
「さて、ガウェイン卿。不満が溢れた顔をしていますね。少しお話をしましょうか」
鏡台の前に座る老婆に言われるまま、ベッドに腰掛ける。しばらく彼女の紅い瞳を見つめた後、気まずくなって視線をそらした。
「安心してください。わたくしが求めたのは、然る時までの間の身の安全。騎士王がそれだけでは恐れ多いと言うので、清廉な騎士を、いうなれば専用護衛として扱えるよう、夫としてください、とそう願いました」
「然る時、とは」
「いつになるかはわかりません。ただその時が来れば、わたくしは静かにこの地を去ります。それまでの間、わたくしの夫としてあってください」
昼間の横柄な態度とは裏腹、落ち着いた様子で語りかける彼女に、ガウェインはほうと息をついた。
「ひどく困った表情ですね。そんなにも、わたくしとの婚姻が嫌になりましたか」
「……ええ」
「あら、繕わないのですね」
「貴方に嘘は効かぬでしょう。…この会話で多少考え直しはしましたが、横柄で年上で口やかましい女性は苦手です」
「正直でよろしい。…そうですね、せっかく夫になり、わたくしの騎士となったのだから、少しわたくしの話をしましょう。安心してください、この香草の香りで、さしたる運動をしなければある程度体は休まります」
顔を隠していた薄布を取る。現れた皺の肌に思わず目を泳がせた。
それから老婆は話を始めた。自らにかけられた呪いのこと。難関な願いを誰かに叶えてもらうことで、その呪いが解けること。
「呪い……ですか」
「はい。呪いのせいで重ねた歳通りの見目になっています」
「…、…!?待…って下さい、貴方おいくつですか」
「女性に歳を尋ねるなんて騎士の風上にもおけませんが、まぁいいです。歳は…500を越えた辺りで数えるのを止めました。それよりも」
「ごひゃ、はい、え、なんですか、それよりも?」
さらりと出される情報に困惑しているのも気にせず話を続ける。
「それよりも、今後のことです。呪いの解析が終われば、わたくしはこの地を去ります。それまでの間は誠心誠意、妻として貴方に尽くす所存です。が」
「…が?」
「安心なさいな。衣食住さえ整っていれば、それ以外…閨ですとか、そういうのを要求するつもりはありません。逆に貴方が求めるのならば、幻術使いの協力を得てお相手しますし、浮気なども構いません。但し、騎士らしい行いを心掛けてください」
なんだそれは。ふざけているのか。…そう思った。
×
「君が言ったんじゃないか、『ガウェインが探しに来たなら森を365周したら顔をだしてやる』って」
「まぁ、確かに言いましたが。本当にやらせるバカがありますか。ガウェイン卿だけならまだしも、カルデアのマスターに」
「そこはほら、そうしたら楽しいかなって。痛い痛い、わかったよ君はカルデアが大好きだなまったく!」
「わたくしの弟子とも言える人物の大切な組織ですから当然です」
マーリンを足蹴にするローブの女性、という目の前で繰り広げられた光景に目を丸める。「えっと…あの、ラジェル…さん?」マシュがどうにか会話に割り込めば、ローブの女性がようやく足を止めて振り向いた。
「ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう…。ええと、間違いなくラジェルさんなのですか?私たちのことを知っている…のですか?」
「ええ、まぁ。姿かたちはあなた方が知るものではないでしょうが。あなた方がラジェルと呼ぶキャスターのサーヴァントの意識はわたくしが持っています」
『色々な理由で幼い姿を取っていると聞いてはいたが、それが本来の姿ということかな?』
「その通りです。騎士王たちにお世話になった頃の」
「私が幻術とか諸々手助けしているんだよ〜」
へらへらと手を振るマーリンに、ローブの下から睨みを利かせる。黙っていろ、という合図なのだろう。
「…確かに、出歩くことすらままならないものですから、マーリンに魔力を分けてもらっています。当然感謝していますが、かといって過度にそれを持ち出されるのは鼻につきます。不要です」
「だって…ねぇ?あのラジェルが、私に助けを求めるなんて、ねぇ?ふふ、しばらくネタに困らない」
「うっとおしい…!それよりも!」
苦虫を噛み潰した顔で、ラジェルは話についていけてない立香たちにぐるりと視線を向け直した。
「城に行ったのでしょう!狂騎士の問いは何でした?わたくしが答えをもたらせば、わたくしは無事力を取り戻しこの特異点も万事解決と相成ります。さぁ!」
「は、はい!えっと─」
「『我が妻が真に求めることとはなにか?』」
ガウェインが神妙に告げた"狂騎士の問い"に、ラジェルはぱちりと目瞬いた。
「……なんですかそれは。そんな問いはありえない。それを本当に城の狂騎士がしたのですか?」
「ええ、間違いなく。そうですね、マスター、マシュ」
頷くと、ラジェルはうつむき考え込んだ。マーリンの言っていた通り、正規の城の狂騎士でないからか、本当にラジェルの知り得ない問いであるらしい。
「………。………むう。致し方ありません、計画変更です。我がお兄さまでないなら因縁は弱い」
「え、え?」
「わたくしの城ですから簡単にはいかないでしょうが、マーリン、出来ますね?」
「待って待って、説明してほしい」
「あら。…まあいいでしょう。何を説明しましょうか」
マーリンと二人で話を進めるラジェルたちに待ったをかければ、驚きを見せつつ振り向いてくれた。
聞きたいことはたくさんある。─あの果ての特異点と、創世と滅亡を繰り返したインドの地にて、彼女と思わしき人物と出会っている。名乗りはされず、既視感を持ってもカルデアの彼女とは姿かたちがまるで違い、悠長にそれについて考える時間もなかったので放置していたが、確かに彼女だった。
マシュと共にどうにか聞きたいこと思ったことを整理しながら言葉にするも、まとまらず支離滅裂な問いになっている。
「…言ってるのはまるで要領を得ませんが、つまるところわたくしの正体が何かと問いたいのでしょう?」
「は、はい!…逸話では、ラジェルさん…ラグネルは、呪いをかけられただけの女性です」
それが現代まで語られたことでサーヴァントとなり、キャスターのクラスで、兄である狂騎士を召喚して戦う─というのは、連想できなくはない。しかし実際カルデアではラジェルと名乗り、高い魔術陣地作成スキルや知識を持ち、マーリンやギルガメッシュ王などともどこか知己のような親しさで接している。物語の主人公が円卓の騎士である以上は多く語られていなくとも不思議ではないが、それにしたって齟齬が大きい。
「何より、ラジェルさんが言うには、ガウェインさんとは和解をしておらず呪いが解けていないと」
「ああ、そうですね。呪いは解けていないので、そこな騎士にはわたくしがひどく醜い老婆に見えているでしょう」
「え…」
視線を向ければ、ガウェインは静かにうなずいた。立香やマシュには、顔は見えず、僅かに覗ける肌は確かに若いとは言い難いが、それでも元の美しさを感じられる気迫が分かる。だというのにガウェインだけは、彼女が腰の折れた醜い老婆に見えている。何故、と首を傾げれば、そういうものだとマーリンが肩をすくめた。
「どちらが先かはわからないが、逸話にある初夜の問答が行われなかったのさ。だからラジェルは呪いを解けなかった。どんな神霊にだって物怖じしない彼女も人間には弱い」
「人間に弱い…?」
ごほん、と咳払い。じろりとまた怪訝な視線がマーリンを突き刺した。
「嬉々として人の弱味を公開するのはおやめなさいな」
「はは、それはすまない。さて、ええと、何の話だったかな。ラジェルの正体?─ラグエル、ラツィエル、アクラシエル、サラクエル─呼び名は数あれど、真の名はひとつ。彼女は秘密の領域と至高の神秘を知る大天司ラジエル様さ」
さらりと判明した事実に沈黙が襲う。通信向こうのダヴィンチも、マシュやガウェインさえも呆然としていた。
「なんか思った反応と違うな」
『…さすがに上位存在過ぎて反応に困る。その大天司様がサーヴァントになってカルデアに協力している?…様々な情報がなければ、冗談をと笑い飛ばしていたところだ』
「……ただの人間ではないだろうとは、勘づいていましたが」
「待って待って、その…ラジエル?は…有名な神様なの?」
おずおずと申し出れば、ガウェインが答えた。
「旧約聖書に語られる天使です。秘密の領域と至高の神秘─この地上と天界全ての秘密を知り尽くしているとか」
「その秘密の領域と…、…そんな知識を書にしたものを"セファー・ラジエール"と言うんだが、まぁ世の魔術師が知りたがる根源と同義、あるいはそれそのものと考えていい代物だ。だからこそ彼女は私以上の魔術を扱えるし、私以上の千里眼を持つし、世界の神秘について知らないことはない」
「……。この状況でわざわざあなた以上に、などと。皮肉ですか?」
「事実だろう?本来の神霊としての君ならば、私なんて遠く及ばない、この世どころか"全ての世界"をも監視出来るほどの現在視を有している。そう、本来ならね。はは、今は眼鏡がないと目の前も見えないんだっけ?あはは」
また笑いだすマーリンに舌打ちして、ラジェルはそっぽを向いてしまった。
「……そんなあなたが、どうして…」
「はい?なんですか?はっきりおっしゃいなさい」
「、神霊のあなたが、どうして私の妻に?…正しく言うなら、何故地上に」
「それはまぁ、落とされたからですね。理由は色々ありますが。
さて、わたくしのことなどもういいでしょう。城の攻略について作戦を進めなければ」
ぱんと手を叩き話題を戻した。
「それのことなんだが、君の城の権限を私が奪う作戦は不可能だよ」
「は?」
「無理に決まってるじゃない」
「それは嫌がらせではなく?」
「さすがに。一応私も円卓に連なる者だからね、ちょっかいかけようとした時点でアウトだ」
真顔で告げるマーリンに、今度は頭を抱えた。
作戦では、マーリンが城の権限を奪い、こちらのスキル封印を解消した上であの狂騎士を倒せば、目的である最奥の聖杯を入手できる─というものだったらしい。だがあの城は狂騎士を侵そうとする善なる騎士から徹底的に力を奪う魔術陣地であり、それの施工者は最高峰の魔術を知るラジエル。現在はその手を離れているとはいえ、聖杯を有しているため綻びもない。
「いやぁ、力を失ったとはいえ大天司様が作った城の権限を奪うなんて、さすがに難しい。君の魔術は地上のそれとはルールが違うし、おまけに円卓の騎士特攻だからね」
「となると…また手詰まり?」
「そこはマーリンお兄さんに任せなさい。ラジェルに頼られる事態なんてそうないからね、ちゃんととっておきの準備をしてあるよ」
にんまりと自慢げに笑うマーリンに全員が首を傾げる。花の魔術師は手を叩き、「ひとまず町へ向かおうか!」と声をあげた。
ガヤガヤと賑やかな町の中は、相変わらず時代が入り乱れて不思議な様相をなしていた。マーリンのとっておきとはなんだろう、そう辺りを観察しつつ彼の歩みについて行けば、花の魔術師はふと立ち止まり指を差した。その先にいたのは、立香たちカルデアの面々も見覚えのある人物。先の亜種特異点にて出会い、カルデアのサーヴァントとなった─ピュテアスだ。時代様々な町人たちの中、楽しそうに風景を見て回っている。その最中にこちらに気付いたらしく、途端に眉根を寄せそっぽを向いた。逃げられる前にと駆け足で近付き腕を掴めば、ピュテアスは面倒そうに振り返る。
「ピュテアスがとっておきなの?」
「なんじゃなんじゃ、説明もなしに」
不愉快そうなピュテアスに、一行は事情を説明した。特異点であること、その原因の狂騎士と城のこと。話せば、ピュテアスはまた面倒そうにため息をついた。
「珍しく魔術師どもがわしの散歩を後押ししたと思えばそういうことか」
「君は果てにたどり着く因果を持ち、敵の魔術陣地を奪える宝具を持っているだろう?」
「そのような効果を持ってはおるが。わしがおぬしらに力を貸すメリットは?」
カルデアのサーヴァントである以上、その行動目的である特異点の解消のためならば惜しみなく力を貸すべきだろう─そう発言しようとしたガウェインを押し退けるように、ラジエルが頭を下げた。
「この特異点は全てわたくしに原因があります。協力していただければ、そうですね、後払いになってしまいますが、あなたの航海記を返却しましょう」
「…?あれは後世紛失したのではなかったか」
「いいえ。果て─"こちら側"へ足を踏み入れる手順の載った書物を、人の世に残すわけには参りませんでした。ですのでこちらで回収していた、というのが真実。…それをお返しします」
ですのでどうかお力をお貸しください。そう改めて頭を下げるラジェルに、ピュテアスは顔を歪めて手のひらを振った。
「まこと格式張った女じゃ。航海記なぞ、わしの記憶に残っているものを渡されても手荷物が増えるだけ。いらぬわ」
「では、他に何を対価にお求めでしょう?」
「だからそういう、誰にも借りを作りたくないとでもいう態度が気に食わん。素直に『カルデア所属ならば力を貸せ』と言えばよかろうに」
「このわたくしはカルデアに身を置くサーヴァントではありません。故にカルデアに協力するサーヴァントであることを理由に強制することは不義理でしょう」
そう疑いなく語るラジェルにまたため息をついて、「もうよい、話にならん」とそっぽを向いてしまったピュテアスに、慌てて立香とマーリンが説得を試みた。それこそ、『カルデアに協力するサーヴァント』であれば、カルデアの代表でもある立香の筋の通った頼みを聞かないわけにはいかないだろう。言葉通り、ピュテアスは不服そうながらもようやく頷いた。再度頭を下げるラジェルに、またピュテアスは小さく舌打ちした。
……
…
「では手順を確認しよう。狂騎士の城に赴き、即座にピュテアスの宝具で主導権を奪い、狂騎士の力を削ぐ。それからガウェインと私、藤丸くんで狂騎士を打破、あるいは気を引いているうちにラジエルがその奥へ行き、狂騎士が守っているものを取り返す、と」
「でも、問答の答えを得なくていいの?」
「彼が真の狂騎士でない上、わたくしにわからない問いなど無効です」
『そうは言っても、本来戦う必要がないのならそちらを取るべきだ。答えの心当たりは本当にないのかい?』
「…。わたくしには、あの狂騎士が誰なのか見当もつきません。その『妻の願うこと』など、取り尽く島もなく」
『しかし狂騎士の城の問答は、必ず森の老婆が答えを知っているはずだ。それでも?』
ホームズの言葉に、ラジェルは一瞬目をそらしたあと口を開いた。
「あの城は確かにわたくしが造り出した城ですが、わたくしが現在城を占拠しているあの騎士のために造り出した城ではありません。言うならば、"役目を終えて打ち捨てられたものに、勝手に居座っている"ようなもの。あの騎士がお兄さまでないならばこそ、本来狂騎士としての力を得るはずもない。
そして城の主としての権限は狂騎士ではなくわたくしにあるはずのものです。他の誰にも─狂騎士にすら、それを操る権限はない」
但し今はラジエルに城をどうこうするだけの力が無く、狂騎士はラジエルを主と分からない。故にこちらで城の権限を正式に移譲する計画がたてられたのだ。
「わたくしが答えの分からない問いなど意味を成さないのです。わたくしが城の騎士と認めていないのですから。つまりあの騎士は城の魔術機構を勝手に利用しているだけの略奪者。そうであれば問答など不要です、城の主としての権限を持って、狂騎士を排除すればいい。お分かり頂けましたか」
『理解も納得もしている。だが何か見逃していることがあるはずだ』
名探偵は食い下がる。
『─本当に、君は問いの答えが分からないのかな?』
「ええ。 叡知の中のものであれば、わたくしは全てを知っている。心を知る方法はありますが、特定も出来ない一個人の考えなど、存じません」
『ふむ。…本来の逸話にある問答は、"世の女性が真に求めることとはなにか?"だったな。そしてその答えは─』
「─"自分の意思を持つこと"」
『そうだ。18世紀以前の女性に文化はなく、言い方は悪くなるが男たちの政略の道具、或いは象徴などとしてあるのが大多数だった。そんな中で、女性が一個人として意思を持ち、行動発言する自由を得たい─そういった願いの感じられる話だね。
さて、今回の問いと比べてどうだろう?"我が妻が真に求めることはなにか"。私には、さほど違いのある問いに思えないんだが、どうかな』
そんな議題に、ホームズファンでもあるマシュがあっと声をあげた。
「どちらも"こころ"─意思についての問いです」
『その通り。そして逸話に語られる問いも、今回の問いも、その実一人の女性の心について問われている。それは誰か?』
「ラジェル……?」
『おそらくそうだろう。どういった経緯かは知るところではないが、そもそもグロマー卿は妹ラジェルのために狂騎士となった。そして今いる狂騎士がグロマー卿でなくとも、魔術機構を操れているのなら"資格"を持っている。ラジェルを守ろうとする騎士としての資格を。
ではガウェイン卿。貴殿は先程、あの騎士の鎧に見覚えがあると言った。それはグロマー卿の鎧ということでいいのかな?』
「……ええ」
『それはおかしい。君がアーサー王であったならまだしも、君はグロマー卿とさほど深い関わりはなかったと証言した。であればグロマー卿の鎧について、あの状況で断言出来るほど知っているはずはない』
「─憶測でしかありませんね。確かにグロマー卿の鎧について、例えば細かい意匠ですとかマントの正確な長さですとか、そういったものは存じませんが、大まかな形やどの部位を重点的に守っているかくらいは間違いなく記憶しています。その上で、しかし断言するのもどうかと思い『見知った騎士である』と発言しました。それが何か?」
どこか過ぎるほど冷静に、ガウェインは言葉を返していく。ホームズはそれでもにこりと笑んだまま、手に持つキセルをぷかりと吸った。
煙を吐き出して、ホームズは謎解きを続ける。
『しかしあの騎士はグロマー卿ではない。元より魔術師マーリンが、グロマー卿のガワを被った別人であると言っている。その時君はなんと答えていたかな?』
「…確か『確定ではありませんから』って…」
「………」
『では次の証拠を出そう。少し話を戻すが、あの狂騎士は城の権限をある程度得ていた。例えラジエル本人が狂騎士を認めていなくても、特定の条件が合致すれば担えるということになる。これについてはどうかな、ラジエル』
「……試したこともありませんのでなんとも言えませんが、そうですね。何かしらの条件を満たせば、わたくしの意思がなくとも城の騎士として活動出来るのでしょう」
『そう仮定すると、ではどんな条件のもと、あの狂騎士Xは城の騎士となったのか?ミスマシュ、どんな条件があると思う?』
聞き入っていたマシュはハッとして、少し考えるとおずおずと答えた。
「城の主…ラジエルさんを守ること、でしょうか?城の最奥に、ラジエルさんから奪われた力が聖杯を象り安置され、それを守っているのだとすれば」
『いい考えだ。それはつまり城の狂騎士となる以前から、Xはラジエルと縁のあるの騎士である必要があるということだ。なら、ラジエルと縁のある騎士とは?』
「円卓の騎士…!」
『アーサー王、ランスロット、ベディヴィエール、トリスタン、モードレット、そしてガウェイン。当然未だカルデアに召喚されていない円卓の騎士もいるが─どちらにせよこの中で、最もラジエルと縁深い騎士は、誰だ?』
全員の─正確にはマシュと立香の─視線がガウェインに集まる。当人は難しい顔で通信越しのホームズを見つめていた。
複数いる円卓の騎士たちと、ラジエルは勿論交流していた。それが醜い老婆であるガウェインの妻としてなのか、半分だけでも呪いが解けた美しい女としてなのかはさておいて、だ。事実カルデアにて、ラジェルはアーサー王基アルトリアを始めとして、ガウェインを除いた全員と親しくしている。何故かガウェインに対してだけあまり会話しようとしないが、それでも─ラジェルと一番縁が深いのは、ガウェインだ。
「……つまり、あの狂騎士Xは…サー・ガウェインだと?」
『私が導けるのはここまでだ。最初に言ったように、私では問答の答えを明かすことは出来ない』
「とんだ茶番ですね、シャーロック・ホームズ。全てが推測ではありませんか」
『探偵とはそういうものさ』
「ガウェイン卿がわたくしを守る?ありえない話です。生前ならまだしも、彼がそうする義理は微塵もない。初夜の日に、わたくしは彼に『来る日までの守護を』と契約を交わしはしましたが、だからこそ。ガウェイン卿は義理堅い騎士ですが、わたくしがブリテンを去った時点でその契約も終了しています。そうでしょう?ガウェイン卿。貴方がそうまでしてわたくしを守る理由は、ありませんね?」
やれやれとばかりに言葉を積み、視線を向ける。ガウェインはラジエルを一瞥したあと、右手を胸にしながら瞼を下ろした。
「私からは何も。あると言っても貴女は信じませんし、ないと言うのも騎士として不義理です」
「わたくし以外であれば、喚ばれれば誠心誠意仕えるでしょう。貴方はそういう人です。ですが今回のこれは話になりませんね。あの狂騎士はおそらく、お兄さまの残滓。それが聖杯によって力を得たと考えるのが妥当でしょう。どちらにせよ主たるわたくしが認めていない非正規の騎士と言わざるを得ません。であればやはり問答など無効。予定通りに計画を進行してください」
言い切ったラジエルに一同は沈黙する。マーリンやダヴィンチ、ホームズは呆れたように肩を竦めているし、ピュテアスは不愉快といわんばかりに眉をひそめている。
ホームズの話は、立香やマシュには否応なく納得出来た。説明は難しいが、それでも。あの狂騎士を真正面から観察したわけではないので、根拠を持って『狂騎士Xはガウェインである』などとはとても言えないが、名探偵の推理は筋が通っている。だが何故か、ラジエルだけは頑なにそれを認めようとはしなかった。
カルデアのラジェルは普段とても博識で人当たりも良く、以前の特異点でも大いに頼りにしてきたサーヴァントだ。しかし故意にガウェインと関わるのを避けている。生前何も言わずブリテンを去ったことを気まずく思っているのかと思えば、他の円卓の騎士たちとは親しくしていることからそういうわけでもないらしい。かといってガウェインを嫌っているわけではなく、むしろ清廉潔白な忠義の騎士であることを誇りに思っていると、本人のいないところでは語っていた。
考えて見れば、この特異点で出会うまで、ラジエルのことは多く知らない。だからこそ、立香たちには。ラジエルがどうしてそこまで頑ななのか、など知るよしもない。それは当然、夫であったガウェインにもだ。そしてガウェインの考えも、ラジエルが知るよしもない。例え彼女が世界を見通す眼を持つ大天司、女神であっても─否、女神だからこそ。
人とは、神をも容易く裁ける存在だ。
人々からの信仰がなければ、神は存在出来ない。信仰がなければ人の前に現れて言葉を預けるようなことも不可能である。 しかしそれでも星に根付く神であれば、人々の信仰など不要という者もいる。大天司ラジエルは、そのうちの一柱でもあった。
星が在って、神々が在って。人々が生まれる前から存在し、神々の規律を監視していた。人が生まれ、その営みを見守り、時に起こる奇跡を微笑ましく思いながら、大天司はヴェールの向こうで世界を監視する。
ただ識るだけの天司は、やがて人々によって悪魔の烙印を捺された。信仰を不要としても、信仰によってかたちに影響はある。
ラジエルは翼をもがれ大地に落とされた。天上の御座に時間の概念はない。故に、遠い遠い空から落ちるうちに、時は遡り。そして女神の証を奪われた彼女は、ただ識るだけの人間となった。
ラジエルはようやく落ちきった大地の上で、これはこれで役に立つだろう、と人々に混じって生活をした。ヴェールの向こうから眺めるだけでは分からないことを経験した。自らの書を読むことが出来る稀有な存在とも出会った。その生活は、機構でしかなかった彼女にとっては、きっと楽しいものだった。
けれどそれも長くは続かない。違和感を持たれる前に場所を移り変わっても、数百年数千年もあれば、世界中全てを渡れる。そうすると、王でも英雄でもないのに人にない知識を持つ魔女として、いつしか恐れられるようになった。噂が集合し、何年も同じ姿を持つ魔女が誕生する。人を害したことはなくとも、神と別たれた時代になれば、人々がそれを恐れるのは当然のことだろう。
獣が多く生息し、誰も足を踏み入れないような森の奥に、城を作って静かに暮らすようになった。そろそろお遊びも終えて御座へ戻らねばな、と思い始めた頃、城へ来客があった。年若い騎士だ。騎士は頭を垂れて魔女に懇願する。どうか類い稀なる知識で我々を救ってほしい。ほんの最後の奇跡だと頷いた。騎士の言うとおりその知識で救ってやれば、人々はいたく喜んだ。よければ家族になってくれ、と言われるほど。
家族の情愛というものがどんなものか、それは今まで経験することがなかった。感謝し尽くされ貢がれても、彼女を一人の人間として見る者はいない。あくまでも奇跡を成す魔術師として崇拝されるだけ。だから、彼女はその申し出を受け入れた。
騎士らとの暮らしはそれなりに楽しかった。見返りのない献身、取り繕う必要のない関係。
─しかしやはり、それも長くは続かない。何年経っても衰えず姿の変わらない女に、再び誰もが恐れを成す。変わらずに彼女の味方をしたのは、兄と慕った最初の騎士だけだった。その地を去ろうとして、騎士は同伴を名乗り出た。本人が望むなら、と受諾する。けれど望んだのは本人だけで、周りの者は人々の代表たる騎士が忌まわしき魔女に奪われることを拒んだ。
故に、魔女を呪った。騎士を連れていこうなどという、お前の望みは叶わない。騎士をたらしこむ、その美貌を許さない。
そうして彼女の永く美しかった姿は醜い老婆に変じた。
老婆になっても騎士の意思は変わらず彼女を守ろうとした。しかし次第に、その醜さ故にか、騎士は彼女を認識出来なくなった。小さな歪みはやがて大きくなり、騎士は正気を失った。
正気を失うまでに至った騎士の心に、ようやくそれが、人間の持つ愛情というものなのだと知る。そこまで心を割いてくれた人間の末路が、悪魔として討伐されるとは何事か。彼女はかつて建てた城を狂騎士に明け渡し、誰にも破れない結界を張った。
「ラジェル、私の愛しい妹。お前に何を与えればよかったのか。お前は何を欲したのか。私の心を、受け取ってはくれないのか」
「わたくしはただ、人としてのこころを持つべきだった。そしてそれは、お兄さま、あなたのこころではなく、わたくし自身のものであるべきだった」
狂騎士が眠るとき、僅かに交わした言葉。騎士は悔しげに、瞼を下ろした。
ただ世界を監視するだけの機構に、人の心などあるはずもない。けれどその時、確かに─大切ななにかを、受け取っていた。人としての、自分の意志。誰かを愛するこころを。
×
鬱蒼とした森を歩く。先頭にガウェイン、続いてマシュ、立香、ピュテアス、ラジエル、マーリン。先程から一行には沈黙が被り、時折現れる魔獣を斬り伏せながら、静かに城を目指していた。
「お伺いしてもよろしいでしょうか」
「どうしました?」
「その…ラジエルさんはどうしてそこまで……狂騎士Xが、ガウェインさんではないと断言出来るのですか?ミスターホームズの言うとおり、条件的には有り得そうなものですが」
途中、それまで何か考え込んでいる様子だったマシュが問う。
「例え…例え、その…呪いを解けなかったことで、もしガウェインさんとラジエルさんがお互いを快く思っていなかったとしても、ラジエルさんはガウェインさんが、義を重んじる騎士だと言うことは知っている。であれば、ガウェインさんが狂騎士Xだったとしても、可笑しくはありません」
同意を求めるようにガウェインへ視線を向けるが、当のガウェインは静かに瞼を下ろした。
「そう……ですね。確かにシャーロックの言うとおり、城の魔術陣地の条件だけを鑑みれば可能性はあります」
「なら」
「しかし条件が合っても前提としてありえないのです。ちょっとわたくしに困ったことがあったとして、彼がどうやってそれを認知するのです?マーリンのような目があるわけでもなしに、枠外で起きたことを、そもそもわたくしを正しく視認出来ない彼が」
ちょっとではないだろう、とマーリンが横で茶々を入れた。
「この特異点は時間軸が歪んでいますから、正確なことは言えませんが。マーリンの話では、特異点として確立し時代を離れるまで、それなりの時がかかったようです。おそらく狂騎士Xがわたくしの力を集め城へまとめたことで、聖杯と化し特異点と成った。つまり─特異点として確立する前、体感として最低でも数十年数百年は、狂騎士Xは世界中をさ迷っている」
「え…?それはどういうことですか?」
「わたくしが御座より落とされた際、翼が─わたくしの魔力の欠片が世界中に散布された。それを拾い集めているのです。当然世界中を探すのに移動だけでも時間がかかるし、わたくしが大地にたどり着いた刻と同じであるとも限らないし、羽根全てが同じ時代にあったとも限らない。感知出来るわたくしでさえ、かなりの刻を要したのですから」
言葉を失い、黙り込んだ。
「いくらサーヴァントに時間等が関係なく、ガウェイン卿が義理堅い騎士であっても、それほどまでの多大な労力と精神力を割くというのは…、英霊になっていてそれが分霊であっても、数百年単位の放浪など、人間の心で耐えられるものではなく、場合によっては本霊にさえ影響を及ぼすでしょう。それこそ銀腕の騎士のような事情があれば話は別ですが、彼がわたくしにそこまでする強い因縁はありません。
…そちらの知らない事情ではありますが、以上二つが否定する理由です」
「………そう…ですか…。……、……。……わかりました」
─何処か、ズレがある。マシュもそれを感じたのか、しかし上手く追及する言葉が思い付かず渋い表情で引き下がった。
マシュはカルデアにガウェインとラジェルがいた頃から、二人がどこか壁のある関係と気付き、どうにかならないかとずっと考えていた。逸話と違って呪いが解けていないということは、何か誤解があるのでは、と勘ぐっていたからだ。お互い嫌っているわけではないのに、面と向かって話そうとしない。ラジェルはガウェインのことを正しく評価していて、ガウェインはラジェルのことをよく観察しているのに。そんな彼らを見ていたマシュは、ラジエルの言葉を聞いて尚、"ガウェインならばそれくらいやっても不思議はないのではないか"─そう感じていた。
二人の間には確かに壁か溝がある。物語のような甘い愛情があるのかは定かではなく、確かに銀腕の騎士のような強い後悔や因縁などないのかもしれないが、それでも。
きっとガウェインは、一人の妻を護り救うため、何百年だろうと、世界を巡るのではないだろうか。
…漠然と、そう思った。
>>