王は、もし伝説に語られる聖杯―願望器がここにあったら、何を願いますか。
 私がそう口にすると、王は細めていた目をゆっくりと開き、僅かに驚きを見せた。

「驚いたな、君がそんな夢物語の話をするなんて」
「いえ、少し…気を張り詰めていたようなので」
「ふぅん。そうだね、何でも願いが叶う…か。…特に思い付かないな」

 目を瞠る。
 国の安寧を願うでもなく、国を潤わせる財宝でもなく、戦に常勝する力でもなく。王はただ、苦笑した。

「なんだいその顔」
「…王の置かれている状況は、心苦しいものです。聖杯に願ってでも、私は王の威光を皆に知らしめたいと…思うことがあります」
「何それ。僕を見誤ってるな?出来ないんじゃなくてしないだけだよ」

 ぺち、と威力のない手刀に、謝罪の会釈をする。
 そうだ。王ならば、民に敬われることも、もっともっと民を潤わせることも出来る。王ならば。
 ……なぜそれをしないのだろうか。何か、今の状況に甘んじる理由があるのか。
 ならば。ならば、それを排除するのはどうか。そうすれば、王はきっと、輝かしく尊ばしい、後世に至っても語り継がれる人になる。
 そうしなければ。私は王の側近だ。王を支える者だ。私がやらなくてどうする。
 ―ここに、聖杯があるのだから。

×


 王宮とのコンタクトは取れず、ミルファークへは待機の命令のみ。トルヴェールは街中での聞き込みを頼んでいるが、まだ戻っていない。

「…ねぇちょっと、確認したいのだけどさ」

 そんなところに、今にも頭を抱えそうな面持ちのトルヴェールがようやく帰ってきた。何かありましたか、とすぐさま切り返すラジェルに、空いた椅子に腰掛けながら言葉を出し惜しんでいる。

「事実はどうあれ、ドゥムヤは暗殺されたと周知されていた…よね?」
「……何が言いたいの?もう一度説明してほしいの?」
「いやいやそうじゃなくて。街にいたらなんかぼんやりしてしまって…でもやっぱりここへ来たら意識がはっきりした。うーんしかし」
「いいから話してくださいな」

 苦笑すると、トルヴェールは自分の楽器を持ち上げた。形は一応剣だが、弦が伸びたヴァイオリンのようなそれ。どこか狂いを表現したような旋律に周りが口をつぐんだ頃、綺麗な歌声が混ざる。

「聡明叡哲な月の王。神をその身に大地を統べる。
 月の夜に目覚めれば、月明映せし銀盤のもと、民を邪悪から守護せり。
 ああいと気高き月の王、やがて世界を支配せよ。
 ああ聖賢なりし月の王、やがて冥府を支配せよ―」

 旋律が止まる。余韻の中、祈紗は訝しげに眉を寄せているが、ラジェルはすでに考え込んでいる。ミルファークは不思議そうに首を傾げていた。

「歌う必要があったかはまぁ、置いといて。何かと不穏な詞だったけどどういうこと?」
「聞いた話を総括したのさ。そのまま話すと長くなりそうだったからね」
「……ということは、王が復活したってこと?」
「そう思うだろう?でも少し違う。彼らは"最初から暗殺なんて起きていなかった"口ぶりだった」

 それまで朗らかに笑んでいた表情が真剣なものにすげ変わる。

「民から疎まれていたはずの王は、国の象徴、守護神とばかりに讃えられていた。こないだ暗殺されたはずじゃ、なんて言おうものなら精神異常者を見る顔で『王が死ぬはずないだろう』ってさ」
『昨日の光が儀式の完了を示していたとすれば、その手の意識の塗り替えは容易だろう。
 さて、どうしたものか。ここにいる者はラジェルが拵えた神殿にいたからか、あるいは部外者だからかレジスト出来たようだが、これじゃあ閉ざされた王宮に忍び込むも何もあったもんじゃない。強制的にスタート地点に戻されたようなものだ。なんせ追いかけていた謎の前提が覆されたわけだからね』
「……その月の王を倒すことが特異点の解消に直結しないとしても、戦う事は確実です。そうなるとほぼ頭打ちでしょう。祈紗は戦力外、戦えるのはわたくししかいませんし、神となるとダメージすらまともに入らないかもしれません。おまけに、……いえ、これはまあいいです」

 何事か言いかけたのを咳払いで誤魔化したあと、ラジェルは祈紗を見やった。

「この地に召喚されたサーヴァントを期待して探す一手もありかもしれませんね。王宮に侵入する手段を模索する傍ら、こちらの戦力の増強も大変重要です」
「でもここまで出会わないのもなんだか不思議だね」
「私たちこの森と街しか行き来してないし、この土地に来てまだ二日目よ。今までのレイシフトではどれくらいの確率で遭遇したのか知らないけど」
「…とにかく。未確定の不安要素ばかりで気も萎えますが、早く解決できることは解決した方がよいでしょう。祈紗、貴女はトルヴェールと街を確認した後別の街へ様子を見に行ってください。一夜で起きた異変が、王宮に程近い街だけなのか、そうでないのか。魔術なのかなんなのか、それくらいの判断は出来ますね」
「…わかったわよ」
「当然ですが道中サーヴァントがいれば連れてくること。そしてマスターは、カルデアの観測数値にしたがって近辺でわたくしとサーヴァントの捜索をしつつ、王宮への侵入経路を考えます。件の少年とまた遭遇出来ればよいですが」

 面倒そうに息をつく祈紗をよそに各自が頷く。ミルファークがそわそわとしていたが、「貴女はこの拠点の番、及び食事などの補助を願います」と言われすこし嬉しそうに森へ出掛けて行った。王からの差し入れ食料以外は、森で調達するらしい。
 それはそうと。

「なんか不安そうだね、ラジェル」
「…いいえ、不安ではなく。少し…ええ、調子が悪いのです。レオナルド女史には相談してありますし、大事はありません」

 やんわりと誤魔化された気もするが、かといってダヴィンチが何かしらの警告を出すほどでないのなら、まぁ当面は大丈夫なのだろう。
 とにかく今はラジェルの言うとおり戦力の増強と王宮への侵入経路だ。何が起こったのか、こちらから確認しなくては何もわからないまま手遅れになってしまう。
 カルデアで今は行方不明だというドゥムヤのことを思い出す。いつも飄々として、優しくて何でも聞いてくれるけれど、彼の本心をほとんど知れていない。後世に語られる物語が何度も編纂されたせいで、自分のことが本人にもわからないのだろうか。
 祈紗は―詳しく聞こうとするとはぐらかされるけれど、どこかでドゥムヤを召喚して一緒に戦った事があるらしい。だからなのか、旧知の腐れ縁のような親しさがある。そんな祈紗が言った『大丈夫』という言葉。彼女は嘘はつかない人だ。きっと、きっとまた、どうにかなる。信じよう。

×


 どこかも分からぬ森の中、男が一人、立っていた。空を見上げ、森を見渡し、どうしたものかと思い悩む。それでも己が何者で、何をするためにこの地にいるのかは、把握している。しているが、木々しかないこの場で、まず最初にどうするべきか。右も左も分からぬまま力を解放したところで意味はないだろう。

「お兄さん、お兄さん」
「…?」
「お兄さん。こっちこっち」

 木の上、少女が一人。それなりの武人でありながら程近い気配に気付かなかったことに驚くも、姿を見て感じたことで納得する。少女は慣れた様子で降りてきて、ひとつの方角を指した。

「この先に神殿がある。そこにいる人達と合流すれば、きっと貴方がやるべきことを分かりやすく教えてくれる」
「…そうか。感謝する」
「こちらこそ。よろしくね、この国を…救って」

 にこりと笑う。頷きを返せば、少女は満足そうに踵を返して去っていった。

×


 近くにサーヴァントの魔力が観測されました、と告げたのはマシュだった。ミルファークがうろ覚えで描いた王宮の見取り図を中央に、ダヴィンチとラジェルと共に侵入経路方法を模索している最中のこと。 ラジェルはすぐに立ち上がり、ならば見て参ります、と神殿を出ようとするのを慌てて追いかける。

『この感じですとこちらに向かっている様子です。外で待つ程度の方が、素直に合流できそうですが』
「入れ違いは避けたいですね、わかりました」

 と、入り口で森を見渡す。すると少し遠くから、確かに人影があった。
 白い髪に痩躯、見覚えのある見姿。彼を見て思わず手を振った。

「…マスター。彼はカルデアのサーヴァントでは…まぁいいでしょう。よほど初対面でも印象のよい人ですし」
「いや、つい…」

 あちらも気付いたのか足を速めた。よく覚えのあるそのサーヴァントは、施しの英雄カルナ。カルデアでも長くお世話になっているサーヴァントの一人だ。

「…お前たちが、例の…」
「例の?」
「いや。俺はこの地に召喚された槍兵のサーヴァント。ここへ来れば役に立てると言われて来た」
「言われて、とは?」
「黒紫髪の少女に言われて。森の中に召喚されたはいいが、マスターもおらず人もおらずで難儀していたところ出会った」
「…その少女は今いないのですか?」

 その時の様子を聞けば、どうやらここへ向かうよう言ってすぐ消えたらしい。サーヴァントだろうかと首を捻るが、カルナは否定した。

「サーヴァントではない。…いや、俺の個人的な印象だが」
「剣を携えていて、貴方程の武人が気配に気付かなかったのに?子供の姿でも手練れというサーヴァントは結構いますよ」
「む。…そうだな、でも、あれは気配を察知できなかったというより、なかった、と言った方がいいだろうか。目の前に姿を見ても、存在を感じ取れなかった」
「…まぁ、いいでしょう。何にせよ英霊カルナ、貴方程の武人を味方に迎えられるのは僥倖というものです」

 話を区切り神殿へ迎え入れる。カルナならば戦力不足も一人で補って余りあるだろう。そこへラジェルと祈紗がサポートを入れれば、油断は出来ないとしても十分過ぎると予想できる。ラジェルも―先ほどからどこか疲れが見えるが、嬉しそうだ。

「さて、今日はこのまま祈紗たちが戻るのを待つことになりそうですね」
「王宮へ入る方法見つかったの?」
「わたくしとしても失念していたところはありますが…王の暗殺がなかったことになっているなら、正面から入れるはずです。トルヴェールの名を使うかはその時にならないとわかりませんが」

 言われて気付く。トルヴェールの言っていた通りになっているのなら、王との謁見も叶うかもしれない。勿論、どう見ても怪しい自分たちが簡単に謁見出来るかはともかく門扉は開いているはず。そうであれば、推奨出来なくてもあとは力押しでもなんとかなるかもしれない。

「下手に隠密するよりは、堂々と行った方が争いは少なくなるはず。あくまでも王と戦いにいくのではなく、事情を聞きに行くだけですから」







 


 時折足の疲労を訴える祈紗に苦笑しながら、トルヴェールは二人で王都を出て別の都市へと赴いていた。旅人であるトルヴェールの足ならば一両日で森の神殿まで往復出来るだろう程度の距離。それを知って、祈紗は道中文句を垂れ流していた。もちろん本人にも直接文句は言ったのだが―

『あのね、一応言うけど、私、生身よ?その上で常人より運動能力ないのよ?それで私に遠出させるの?』
『森の神殿に至った時、わたくしはこの森の中程度ならマスターに何かあっても対応できると判断した上で別行動しました。しかしあれ以上に離れるとなるとマスターのサーヴァントであるわたくしには難しい。ですが貴女は違うでしょう』
『……、』
『サーヴァントに影響を与えられるだけの攻撃の術を持っているからこそサーヴァントの真似事をしているようですが、貴女はどうあっても生身の人間。であれば、実際はサーヴァントではなくマスターの扱いを受けているはずです』
『…知ってたの?』
『ある程度考えれば誰にでもわかることです。だからどうだと言う話なので誰も藪を突かないだけで。…であるからして、貴女は直接カルデアと通信できる。マスターから離れることに関して基礎的な問題は生じない。ならば適切な判断でしょう』
『むぅ…。私はそういうことじゃなくて、生身の私に体力の使う…まぁいいわ。言われたことやる方が楽だし』

 …と、文句のつけようもなく返されたために、致し方なく広大な土地を歩いている。ただトルヴェールの唄も、耳触りは良く心は癒やされても肉体的な疲労は癒やされない。何より、そこまで頑張るほどの度胸がなかった。
 出発してもはや太陽も半ば。何度めかの休憩に、ふと空を見上げた。

「―………」
「どうかしたのかい?」
「……いえ。私、そんなに長く休んでいたかしら」
「ん、まぁ…回数はかなり多いけれど、一息つくだけだからそれほどでもないと思う。確かに僕が一人で進むより到着は遠そうだけれど」
「…そ、う。……そろそろ行きましょうか。急いだほうがいいわ」

 すっくと立ち上がり、それまで訴えていた疲労などなかったかのように、祈紗は大股で歩き出した。トルヴェールは肩を竦めて、BGMに再びその楽器を奏でた。

§


 ラジェルは国や王宮の地図を見ながら、時折自身の本を確認して、なにやら考え込んでいた。調子が悪いと言っていたのだし、束の間の休息はしっかり取って欲しいのだけれど、言っても聞かないだろう。

「ラジェルのその本は剣やマントと違って自前のなんだよね。私には文字見えないけど、どういう本なの?」
『それは私も気になっていました。いつ横から覗いても、私にはまっさらのページにしか見えなくて、不思議だったのです』

 何も書かれていないはずのまっしろなページを、いつも読む時はまるで細かい文章を追うように指でなぞっているのを見ている。ラジェルは困ったように視線を泳がせて、ページを捲った。

「            」
「へ?」
『…セファ、なんと?』
「いえ。これはわたくしが作った文字を魔力によって刻んでいるだけで、厳密には描かれているのとは違います。わたくし以外の者には読めませんし読んでもいけません」
『随分重要なワードを溢したねラジェル。記録からは消しとくが、私の記憶には残しとくからね』
「まぁいいでしょう、少しは。わたくしがこの霊基でこの本を真に開くことも出来ませんし」

 さて、と本を閉じ、こちらを向く。

「マスター。体に異変は?」
『バイタル、存在証明、他すべてオールグリーン。異常はありません』
「よろしい。…確かマスターは、かつての特異点バビロニアにて、冥界へと降りたとか」
「うん」
「そして冥界の主、女神エレシュキガルの加護を受けたと。今でも女神エレシュキガルとの縁、しかと繋がっておりますか?」
「…?きっと、ううん、絶対」

 力強く頷けば、ラジェルはまた微笑んで、頷き返した。

「ならばよし。しばらくは大丈夫でしょう」

 それからラジェルは、手持ち無沙汰にしているカルナに森の様子を見に行くよう頼んだ。快く了承し神殿を出たのを見送り、また本を開く。…何か探しているのだろうか。

「…ええ。この国について、基この国の神について。カルデアでのドゥムヤの言葉とミルファークから、月に由縁があることは知れていますが、それ以外は…」
『君でも知らないのかい?』
「ええ。まぁ…理由には察しがついていますからいいのですけれど。どちらにせよ、その権能は把握したいと思って」

 ですが駄目です、と不甲斐なさそうに目をつぶる。ミルファークに聞いたらどうかと提案するも、巫という役職にいるというだけで神に仕えているわけでもなく、ラジェルの知りたい情報は知り得なかったらしい。

「どうしても知っといた方がいいものなのかな、やっぱり」
「いいえ。確かに知っていれば、先の仮説が当たっていた時にある程度対策を立てることは出来ますから、優位になるかもしれませんが、神の権能を前にいちサーヴァントが出来ることは大してありません。半分は純粋な知識欲ではあります」
「そっかー。まぁでも、ドゥムヤのこともっと知れたら、カルデアで驚く顔も見れるかな」
「…ふふ。そうですね。帰ったら、貴方の国が大変なときに何をやっていたのだと叱ってやりなさいな」
「そうだね!」


×

 日も傾いた頃、ようやく一番近い街へとたどり着いた。何を思ったのかあれから祈紗が休むことはなく、これでも当初見積もった予定より大幅に早く到着している。
 問題はその街。湖に竜が出たと騒ぎになっているのだ。様子を見に行けば、何か大きな魔物が湖から頭を出していた。

「……アンタドラゴンスレイヤーでしょ、なんとかしなさいよ」
「ええっ?どうして知っているんだい」
「どうしてって、…貴方がドゥムヤに竜殺しの剣を教えたんでしょう?」
「いや、それはそれこそドゥムヤしか…ああ、知っているのも不思議はないか。未来から来たのだものね。でもならばこそ、今の私が剣を奮えないことも知っているんじゃないかな?」

 苦笑しつつも肩を竦めるトルヴェールに舌打ちとため息を溢す。竜との戦いで怪我を負い、剣を握れないという話はドゥムヤ自身から聞いていた。しかしその楽器は剣ではないかと苦し紛れに返せば、トルヴェールは自前げに弦を弾く。

「確かにこれは竜殺しの剣だけれども。刃こぼれどころか完全に折れた剣を叩き直して、持ち歩けるようドゥムヤが楽器にしてくれたんだ」
「貴方この国に来た時点で吟遊詩人じゃなかったの?」
「あははは。それまではソラで歌ったり、指や手足で音をかき鳴らしたのさ。なんにせよ、野獣や盗賊くらいならともかく、竜相手に刃は効かないよ」

 申し訳ない、と湖へ視線を向ける。それこそサーヴァントであるなら、竜殺しの概念が付与され魔力によって竜相手でも攻撃が通るだろうが、彼は現地の人間だ。魔術の存在を知っていても使えるのは唄にのせるまじない程度。ならばこそ、彼に湖の中を泳いでいる竜を倒すことは不可能だろう。

「…にしても、泳いでいるだけで何をしてくるでもないわね」
「そうだねぇ、有難いことだが。こっちにも気付いているだろうに、攻撃さえしなければ無害なのかな?」

 街の住人に話を聞けば、今朝未明に湖の中で泳いでいる竜を発見し、王都に討伐依頼を持っていったばかりとのことだが、被害は竜の重さによって道がひび割れていたくらいで生き死にはないのだとか。

「…。この国に竜がでた、なんて話があれば、ドゥムヤはわざわざ貴方に技を教わらなくてもよかったはずよね。となると…」

 少なくとも、特異点化したことによる影響だろう。カルデアのマスターならば我こそはと討伐して然るべきだろうが、生憎祈紗にそれほどの使命感がなければ戦力もない。ダヴィンチたちに報告して、その上でマスター自身が動くかどうかだ。

「…どうしたものかしら」
『祈紗。近くにサーヴァント反応有りだ。探してくれ』

 帰りたい、と思考の中で言葉を作るより先に小さく声が届く?ダヴィンチだ。隠している訳ではないが、できれば公にはしたくないためか、それだけ言って通信は途絶えてしまった。人使いが荒い、と眉根を寄せて、仕方なしに足を動かす。
 トルヴェールは見知った住人に様子を聞きに行かせ別行動を取る。一人ふらふらと探索していた路地近くで、泣きわめく子供がいた。だからどうということもなく過ぎ去ろうとすれば、一人の女性が膝を折って子供に声をかけた。泣いてはいけません、と優しい笑顔で子供を泣き止ませたと思えば、親のように抱き締める。そして手を組んで祈りを捧げた。

「奇跡を」
「あっ…?痛くなくなった!」
「ふふ、もう大丈夫」

 子供は元気に礼を言って走り出す。女性はそれを見送り、周りで様子をうかがっていた住人に笑顔を向けて立ち上がった。

「………誰だったかしら」

 記憶を巡る。データとしては覚えていても、祈紗は人の顔を記憶するのは苦手だ。頭を巡らせて、ようやく思い出す。

「聖女マルタ!」
「はい、どうされましたか?」

 声をあげれば、聞き逃すことなく振り向いた。そして祈紗のあからさまな現代服を見て目を丸くする。周りの目を気にしてかきょろきょろと首を振って、勢い良く祈紗の腕を引っ張り路地裏に連れ込んだ。

「その姿。貴方が噂に聞くカルデアのマスター?」
「違うけど」
「…違うのですか」
「カルデアのマスターではないけど、カルデアから来た者よ」

 重要だとばかりに細かく答えた祈紗に一瞬面倒そうにしたマルタは取り繕うように咳払いをして微笑んだ。

「私はマルタ。聖女などというのはおこがましいですが、この地の異常を正すため喚ばれたサーヴァントです」
「そう。湖の竜ってタラスク?」
「そ、……はい。多少目立つようにすれば、こうして他サーヴァントと早く合流できるかと」

 ふぅん、と興味なさげに息を漏らす祈紗に僅かに口角をひきつらせながらもマルタは祈紗の名を問う。隠すことでもないので素直に答えれば、今度はこの国やこちらの状況について質問を続けた。

「ああ、いた!そんな隅っこで何して、おや新顔かい?カルデアの彼女たちが言っていた目的のサーヴァントってやつ?」

 そこへ顔を出したのは、住人への聞き込みが終わったのかこちらを探していたらしいトルヴェールだ。マルタとお互いに自己紹介を済ませ、湖で遊泳していたタラスクを馬に一度拠点へ戻ろうと判断した。通信を繋いでいなくとも、祈紗が竜種と共に行動していることくらいは把握しているだろう。であれば、突然行ってもまぁ大丈夫、と楽観視して、来た道を楽に帰れることに胸を撫で下ろした。

「崩れた神殿、ですか。おそらく王がこの地に神殿を作られる前までの、国神ミサ=カリスを祀る神殿でしょう」

 カルナが森の探索を終え報告したのは、この場所よりさらに奥地にある朽ちた神殿のことだった。僅かに魔力の残滓はあれど、何もない瓦礫の山であったらしい。それに心当たりがあるかとミルファークに聞けば、得られた答えはそんなものだった。

「先王はその、晩年そういったものにさえ嫉妬なされていたので」
『先王の無能っぷりに関しては、後世想像される通りの、ということか。神と別たれた西暦以降とはいえ未だに色濃く神秘が残るというのに、自ら貶めていくとは』
「その時点で、この国の滅びは決まっていたのでしょう」
「…当時の時点で信仰は衰えていた…。ふむ」

 考え込むラジェルに視線を向けるも、それが交わってすぐに彼女は顔を逸らした。

「--っ!」
『先輩!サーヴァントです!』

 そんな様子にどうしたものかとしょんぼりしていれば、カルナが突如としてその槍を薙いだ。驚く間もなく刃が弾かれる音がして、舌打ちと布擦れが聞こえる。自身を覆うように靄-ラジェルの狂騎士が現れ、ミルファークも杖を握る。
 彼らの背から覗いて見てみれば、そこにはマントと骸骨面の少年が臨戦態勢で構えていた。

「わたくしの陣地で膝を折らないとなれば、勇士と呼べない英霊…アサシンか!」
「く…っ」
「俺が相手になろう。ラジェル、その騎士も消していい」

 逃げようと闇に溶けかけたアサシンを追撃する。仮面で表情は分からないが、防戦一方なところを見ると隙をついてこちらを狙う余裕もなさそうだ。

『霊基パターンを計測。…ハサン・サッバーハのものに似ているが随分可笑しい。少なくとも我々がまだ遭遇したことのない英霊だ!』
「あっ、逃げる!」
「深追いは結構です、カルナ!」

 大槍に突き穿たれ、アサシンは勢いのまま出口へと吹き飛んだ。しかしこれ幸いとそのまま外へ翻して行き、カルナがそれを追う。ラジェルと立香も続くが、森に出たところでカルナはこちらに引き返していた。ラジェルの制止もあり、離れたことを確認して追うのはやめたようだ。

「……」
「ラジェル?」
「カルナ、素早い対応感謝します。自分の陣地でありながら敵の侵入に気付けず申し訳ありません」
「契約した以上マスターを守るのは俺の仕事だ」
『相手はアサシン、高度な気配遮断を有していたんだろう。ラジェルも今回自分の陣地として城を生成したわけではないし、多少疎かでも仕方ないさ』
「…わたくしは結界の強化をしてまいります」
「それには及ばない、すでに充分な結界だ」
「しかし、このような不手際、わたくしのプライドが許しません」

 忌々しげに溢すラジェルに眉を下げる。どうにもここしばらく異様なほど気を張っているように見えて、幼い姿も相まって痛々しい。

『ラジェル、君のその霊基でこれ以上無理をするのはいただけないな』
「…ですが」
『君の矜持も理解できるし、だからこそ侵入者が現れたことに責任を感じるのもわかる。だが少なくとも此度の件は、我々にも責任が生じる問題だ。むしろ他のことで手一杯になっている現状、周囲の警戒までこなすのは難題だろう』
「……。わかりました。ではカルナ、貴方にマスターの護衛を頼んでもよろしいですか」
「言われずとも」
「ありがとう、感謝します。わたくしは一度結界の修繕だけして参ります」
『無理は、』
「これは無理ではなく当然のことです。強化ではなく修繕ですし、綻びがあれば次なる襲撃を受けるかもしれない」

 それ以上説得しても無駄だと判断したのか、ダヴィンチの小さなため息を聞いてラジェルは苦笑して部屋を出た。

「しかし、俺も気付けないとは、情けない」
『こちらも当然きちんと観測していたが、カルナが反応するまで全く異常はなかった。おそらく攻撃行動に移ったから気配遮断が薄れたんだろう。唯一の欠点ではあるが、敵に回すとさほど意味のない欠点だね。厄介なことに変わりない』
「…気配遮断のスキル、というものがどういうものかはよくわかりませんが、今の方は少し違うように感じました」

 考え考え口にしたのはミルファークだ。どういうことだい、と返され、彼女は僅かに瞼を上げる。

「…加護がありました。自らを覆う、かなり高度な風の加護です」
『ハサン・サッバーハは砂漠の民。風避けの加護はあっても不思議ではないか』
「いいえ、風避けではなく風の加護。もっと言えば風を"操っていた"。あの方、カルナさんと戦う間も足音は一切なく、物が動く際に生じる空気の動きも少なかった」
『…つまりアサシンとしての気配遮断に加え、知覚する手がかりになるものを完全に断てると言うことか。下手をすれば身に風を纏うことで計器類をも誤魔化してたかもしれない…魔力の少ない場所ならばまだしも、ここがラジェルの陣地である以上魔力は多く、そもそも時代的に大気中の魔力だって濃い』
「…ミルファークさん、そこまで見てたの?」
「目が良いのは王にも誉められたことです」

 ふふ、と照れ臭そうに笑うミルファークにつられて頬を緩ませていれば、ラジェルが戻って来た。特に結界の綻びはなかったらしい。先ほどのアサシンについてを説明すれば、なるほどと多少悔しげに眉を下げた。

「ともあれ我々に敵対するアサシン…ですか。様子見だけなら気付かれずに帰れたでしょうに、わざわざマスターを狙ったとなると」
『カルデアの存在に気付いている、知っていると言うことだね。と--皆、外へ。とんでもない魔力反応が接近しているんだが、一緒に祈紗たちの反応もある』
「彼女の?いくらなんでも速いのでは」

 うーんこれは、と難しい顔をするダヴィンチに怪訝にしながら神殿を出る。がさがさと大きく木々が揺れ、何か大きな咆哮が轟く。武器を構え警戒する各々をよそに、やがて姿を見せたのは、見知った人物数名を背に乗せた竜だった。

「…あの亀のような体躯は…」
「た、タラスクだー!!」
「貴方方が、カルデアの?」

 攻撃するかしまいか武器を構えつつこちらを伺うカルナに首を振って、目の前まで進んで止まった竜、基タラスクの上から、トルヴェールと祈紗、そして竜の主たるマルタが顔を出した。
 タラスクは神殿の外で門番がわりに待機とし、マルタたちを中へと案内する。ミルファークがいそいそと薬草を煮たハーブティーを出し、ひとまず状況の確認を行った。

『聖女マルタはカルデアについてもう知ってるんだね。祈紗が説明してくれたのかい?』
「私がそんな殊勝なことすると思うの?私が話しかける前から知ってたみたいよ、ついに聖杯が与える基礎知識にカルデアについても追加されたんじゃない」
『いや、そういうことはまずないと思うけど』
「カルデアについては聖杯からの知識ではありません。ある少女に教えてもらいました」

 少女、という単語にラジェルが反応を示す。

「…確かカルナも、とある少女に言われてここまで来たのでしたね。マルタ、その少女はどのような?」
「ええと…剣を持った黒紫髪の少女です、肌はこの地特有の浅黒い色でした」
「俺の会った少女にも似ているな」
「似ているというより同一人物と仮定するべきでしょう。カルデアについて知っている子供がそう多くいてもたまりません。…祈紗、どうしました?」
「ねぇそれ、本当に少"女"?」

 怪訝にしている祈紗に視線を集めれば、疑わしそうに眉根を寄せたままそう問うた。カルナとマルタが顔を見合わせ、頷く。

「ふーん…そう。カルナの洞察力を考えれば間違いってことはないか」
「その少女に思い当たることがあるの?」
「いえ、ちょっと…。でも女なら関係ないわ」

 肩をすくめて壁際の椅子に腰を下ろし目を閉じる。特に意見はない、ということだろう。

「…まったく。とにかく、もう日も落ちました。今日は休みましょう。明日、トルヴェールは王と会えるか確認をしに行ってください。マスターはわたくしと共に崩落した神殿へ調査を。カルナ、同行してくださいませ」
「構わない」
「ありがとう。マルタはタラスクと港方面の調査を願います」
「それはいいけど…貴方大丈夫なの?」

 頷くマルタを確認し、ラジェルは開いていた本を閉じる。問いには苦笑を返し、「お言葉に甘えて休みます」と奥の部屋へと入って行った。

「…ラジェル、どうかしたの…?」
『あー…うん、本人のいないところで話すのは気が引けるが、仕方ない。いいかい、これから話すことは内緒だよ。
 ラジェルの伝説、基"ガウェインの婚姻"では、彼女は呪いをかけられているだろう?そして現状、"呪いがあった"伝承と、"それを解いた"伝承が相反していて不安定なんだ。故にラジェル自身が、今の幼い姿の霊基を維持するのに、半分以上の魔力を消費している』
「…そんな状況で戦ってたの?」
『とは言えカルデアのバックアップがあるから、彼女自身それほど苦行というわけではないと言っていたよ。ただ…まだ原因不明だが、この地で夜になると、どうにも抑え込んでいる老化の呪いがさらけ出されそうになるらしい。特に彼女の言い分では、呪いは解除できていないらしいからね』
「…なるほど。では私は彼女に祈りの補助をしてきます。多少楽になるでしょう」
『彼女の呪いは伝説に纏わるものだ。解呪は出来ずとも聖女の祈りならある程度意味があるだろう』

 ラジェルが休みに行った部屋へ向かうマルタを見送ると、通信越しに他の皆も休むよう指令が下された。マスターである自分が休むこともラジェルの楽へ繋がると言われれば維持でも眠るしかあるまい。ミルファークやトルヴェール、カルナも、各々休息の姿勢に入る。ミルファークが用意したハーブティーは、ちゃんと効果があったみたいだ。







 

 働き者だね私、と苦笑しながらも、朝の演奏を終えたトルヴェールは王宮へと赴いて行った。
 朝ご飯はタラスクとミルファークが森で狩ってきた野鹿の肉を薬草香草で味を整え焼いたものだった。調味料は王宮から定期的に貰っていたらしいが、ラジェルが直せたのは外装のみ。毛布等は拾えたようだが、神殿が一度崩壊した時点で割れ物はなくなってしまったという。

「ではマスター、カルナ。参りましょうか。ミルファーク、番を頼みます」
「じゃああたしたちも行くわよ祈紗、タラスク」

 昨日の計画通り、ミルファーク以外はそれぞれ神殿を出立した。
 ダヴィンチから話を聞いたことで、ラジェルの様子が気になりはしたが、そんな視線に彼女はすぐに気付くのでその度に誤魔化しながら、同じ森の中でも端にあるという崩れた神殿跡へと向かう。道中の獣はカルナが易々と切り払い、別段問題なく進んでいた。
 やがてたどり着いたのは、少なくとも一度カルナが確認してから風景の変わりがないというひらけた場所。周囲を警戒しつつ、カルデアにて魔力やらなんやらの観測が行われた。

『うーん、本当に僅かな残滓があるくらいで、地下に空洞とか仕掛けがあるような感じもないね。ラジェルはどうだい』
「同様です。…ただ、なにか文献とか、石板とか、そういうのがないかは確認したいところです」
『それはそっちの判断に任せるよ。…ところで、カルナは気付いていると思うんだけど』

 名指しされ、カルナはいずこかを一瞥すると頷いた。

『先ほどから何者かがついてきてるんだ。程よく距離を取って、攻撃してくるでもなくこちらを気にしているという感じ』
「…カルナがなにもしないということは、昨日のアサシンではないのでしょうね」
「殺気などは感じられないし、追跡の仕方も獣を追うそれだ。アサシンのような洗練された動きではない。ひとまず害はないと判断した」
「下手にマスターに伝えて、警戒されないために知らないふりをしろと言っても無理でしょうから」

 どこか皮肉にも感じるラジェルの言葉に唾を飲めば、どうする、とカルナがまたどこかを一瞥する。

「…話が出来そうなら…するべきだと思う」
「まだ知れぬ敵の手の者ならば、あのアサシンのような手練れがいながら容易に気づかれる者を監視にはつけないでしょう」
「では、連れてこよう」

 と、カルナが姿を消す。少しして、どこか聞き覚えのある子供の騒ぐ声が聞こえ、やがて近付いてきた。カルナが連れて来たのは、先日例の光が立ち上る直前に遭遇した少年だった。カルナに抱き上げられ、激しく抵抗していたが、燃料切れかぐったりとうなだれる。
 あの時に祈紗が話しかけた、暗殺未遂の子だと話せば少年は怪訝にしてこちらを見上げる。

「なるほど、例の。その時の会話記録は聞かせて頂きましたが…」
「あの魔女の仲間なのか?」
「ええ、あの魔女の仲間です。我々に何か用ですか?」

 ラジェルがや微笑み問えば、少年は唇を噛んで視線を逸らした。しかし悔い悩むように目を泳がせ、恐る恐るこちらへ顔を向けた。

「…ドゥムヤが、おかしいんだ」
「ほう?」
「いや…おかしいのは俺なのかもしれない。皆、街の奴ら皆、ドゥムヤを嫌っていたのに、突然アイツを奉り上げ始めて…なぁ!お前らは、ドゥムヤが暗殺されたこと覚えてるよな!?」

 叫ぶような少年の言葉に、然りと頷きを返す。

「その犯人を捕まえようって…今でも思ってるか…?」
「勿論…!」

 すでに泣きそうになっている。こちらも叫ぶように拳を握った。少年はほっとうなだれ浮かんだ涙を腕で拭うと、カルナを向いて下ろすよう頼んだ。カルナからの視線に頷き、少年がようやく地に足をつけると、数歩進こちらに近付いた。

「俺はレーヴェ。王宮仕えの孤児奴隷だ。確か王宮に忍び込むとか言ってたよな」
「ええ…ひとまずはトルヴェールが謁見出来るかを確認してもらってはいますが」
「…多分出来ないと思う。あの楽士がお前らと同じようにこの異変を認知しているなら余計に。…いやでも街の奴らと同じようにするためにあえて…」

 考え込み始めたレーヴェを一瞥し、ラジェルは王宮の方へと視線を仰ぐ。

「…そういえば、貴方は何故洗脳にかかっていないのです?」
「え?あ、ああ…、ん、多分」

 ふとした問いに、レーヴェははたりと思考を止め、間を置いて腰の短剣に手をやった。

「これ、ドゥムヤにもらったものなんだ。狩った獣を捌く用の短剣なんだけど、アイツが言うにはなんかすごい剣で…前にその、魔術?を跳ね除けるって」
「…少し見せて頂いても?」

 多少惜しみながらも見せるだけならと差し出された短剣を受け取り眺める。鞘から引き抜き刀身に光を当て、次いで柄や鞘の装飾をじっくりと観察したラジェルは、息をついて剣を返した。

「よく研がれていて鋭利ではありますが殺傷能力は低く、刀身は純度の高い魔力が籠められ。そして装飾…この宝石は小さいですが希少なものです、少なくともこの地方では産出されないはず。それを狩猟用にしているというのはなんというか…狂気にしか思えませんが、…これならば多少の魔術は打ち消せるでしょう」
「じゃあ、それがレーヴェくんを護ったんだね」

 そんな言葉に、少年は少し嬉しそうするのを誤魔化すように口元を引き締めた。

「…ふむ。では一度あの崩落した神殿を探査し、その後拠点に戻りましょう」
「わかった。レーヴェくんはあの神殿のこと詳しい?」
「え、いや。この神殿はもう何もないって、ドゥムヤが言ってたくらいしか」

 そうして神殿を調査するも、ラジェルが希望したような石板等の痕跡すら発見できず、完全な徒労になってしまった。日も傾き始め、早々に拠点へ戻ることとなる。その道中、どうやら武人であるカルナがお気に召したのか、レーヴェはやけに彼にあれやこれやと剣の使い方について聞いていたのだが、カルナの少ない欠点でもある言葉少なのせいで、どうにもレーヴェが機嫌を損ねた感が否めない。

「お前も俺には無理だって言うんだな!」
「いや、違う。まだ若いと」
「同じだろ!」
「いや…」
「レーヴェ。カルナはこう言いたいのです、騎士たるもの幼いながらの研鑽も必要ですが、それ以前に基礎の組み上げが重要だと。要は筋肉だの体力だの持久力だのといったもの。そして精神、武人たる心持ちを学ぶべきだと」
「そういうことだ」

 焦ったように頷くカルナに苦笑していれば、レーヴェは唇を噛んで押し黙った。

「…俺、前に…ドゥムヤに仕える戦士になりたいから、獣相手じゃない戦う方法を教えてくれって頼んだことがあったんだ。そうしたら、ダメだって。あと一年…12で成人すれば国兵徴用出来るから、そこで習えって。俺は国じゃなくてアイツに仕えたいのに」
「……、」
「…彼という王の在り方でしょう。ならば貴方にも貴方なりに仕え方があるというものです」

 ですからまずは騎士としての心意気を学びなさい、というラジェルの言葉を最後に、拠点へ戻るまでの間、一行には沈黙が続いた。

§


 最初マルタは当然のように徒歩で移動するつもりだったが、あまりにも体たらくな祈紗を見かねて結局は自身の宝具でもあるタラスクを馬にして、ラジェルの指示通り港方面へ南下していた。

「…は、いいけど、港へ出て何を調べるのかしら。貴方がいるのならと思って私は聞かなかったけど」
「港と言うより港町ね。町人が洗脳にかかっているかの確認。あと灯台を見てこいって言われたわ」
「灯台…ここからも頭が見えるあの建物。あれに何が?」
「さぁ?」

 肩を竦める祈紗に呆れの息をもらしながら次第に目的地へと近付いていく。港町へ到着し、目的通りに住民に話を聞いて洗脳の有無を確認した。ほどほどに離れたこの場所でも、王万歳の洗脳は効いているらしい。

「浮かない顔ね」
「…そう?」

 灯台の階段を登る最中、マルタは前を歩きながらふと溢した。自分のことか、と祈紗は肩をすくめる。

「なんというか…ちょっと感慨深いのよね。アイツとはなんやかんや付き合い長いけど、生前の話は一切しなかったから」
「へぇ?」
「どうしても知りたい、ってほど興味があったわけでもないけど…魔術師の中で実在非実在を問われてきた英雄の過去だもの、聞けるものなら聞きたかったわ」

 まぶたの裏に過去を思い出す。鮮やかで強烈な思い出―。

「どこでどうやって、とは聞きませんが、かの王と、あなたは何を?」
「…私と彼、いえ、彼は。世界を一つ、救ったわ」

 会ってからこの方も仏頂面しかしなかった祈紗が、僅かに微笑みそう答えた。

「世界を?」
「ええ。…特異点のような大きな異変じゃなかった。けれどそれでも、ドゥムヤという男は、私の頼み通りに世界を救ってくれた。
最初召喚したすぐは、かなり大変だったけどね」

 祈紗は語る。
 とあるツテで指名召喚の手筈を整えた祈紗は、目的のためかの聖王を無事召喚した。物語で得ていた暗君というイメージから、先王の命令に背けない気弱な男だと思っていたのだが、実際はそうではなく。ただ人の前に立つような、注目を浴びることが嫌いでそうしていなかった、という言を信じられる程度には、サーヴァントとして有能な男だった。正面戦闘も隠密も使用人としても、その言動や秘密主義を除けば、本当に扱い易い男だったのだ。

「英雄として求めるのは、せいぜい戦うことを楽しみたい、くらいで。聖杯にかける望みもなく、私の一般的な感性とはかけはなれた思想も肯定して、その生い立ちから歪んでしまった感覚を持つとある子供を諭して、導いた。そして最後には、その聖剣で闇を斬り払い―。なんて、ちょっとロマンチックすぎる言い方かしら」
「いいえ、そんなこと。…私、ドゥムヤ王とは生前が同じ頃なので、この国の噂は耳に届いていました。けれど私の故郷はここから遠く…それでも一度、とある旅人から、この国の話を聞いたのです。なんでも、王が国に帰る際に護衛をしたのだとか」

 旅人と聞いて、トルヴェールのことかと聞けばマルタは首を振る。

「名はわかりません。ですが腕の立つ冒険者だったと思います。…その方は、王は確かにひねくれものだが、それでも彼なりに別け隔てなく国を民を愛している、と。それから直後でした、この国が土地ごと消滅したと聞いたのは。山を挟んだ敵国に攻め滅ぼされたでも、疫病が流行ったでもなく、とある日に忽然と、まるで何もなかったかのように海が広がっていたと」
「……」
「…冒険者は、きっと国の終焉を見たのでしょう。その上で、王は民を愛している、と。何があったのか、なんて聞いても教えてはもらえませんでしたが、きっとドゥムヤ王は、民を救ったのでしょう」

 話が終わる頃には、階段を登り終わり町を一望できる高さに出ていた。視力自体がよくはないのでなんとも言いがたいが、王宮の方で特別な魔術を展開している様子は見られない。それは聖女であるマルタも同意見だった。

「…あら?彼女は」

 ふとマルタが声を溢す。

「あそこ。町の外の森付近。小さくて分かりづらいから確信はないけど、あの子多分、私が会った黒紫髪の」

 ばっと視線を向けて目を凝らすと、マルタの指す方は魔物と相対している子供がいた。マフラーのように黒い布を首周りに巻き、他の子供をかばっている少女。

「…〜っマルタ!この高さで着地できる!?」
「は、え、ええ、まぁサーヴァントなので」
「じゃあよろしく!」
「えっちょっと」

 返事も聞かず祈紗は灯台の上から飛び降りた。マルタが考える間もなく慌ててそれを追い、重力に従って急降下する体を掴みそれなりの地響きとともに大地に着陸する。祈紗は礼も言わずすぐさま駆け出し、件の少女たちのもとへと向かった。
 背後タラスクも追い付いてきたせいか、魔物はマルタたちを見ると大慌てで森へ逃げ込んでいく。

「あの、ありがとうございます。助かりま―」
「ドゥムヤ!あんたこんなとこで何をして…!」

 ドゥムヤと呼ばれた少女も含めて全員がきょとんと目を丸くした。沈黙のあと少女は慌てながらも庇っていた子供たちを町へ向かわせ、二度めの邂逅であるマルタに頭を下げると気まずげに祈紗を向いた。

「…ドゥムヤを知る人なんですね」
「なにその言い方。気持ち悪いわね」
「ち、ちょっと祈紗?ドゥムヤ王は男なんでしょう?」
「だから私もまさかと思いながら違うと考えたわ。けど見てみれば…どっから見てもドゥムヤよ、こいつ!」
 
 マルタも少女も困惑している。腕を組んで憤りを露にしている祈紗は、少女の正体を確信した上で、カルデアと合流せず油を売っていたドゥムヤに対して不満を持ったのだろう。

「あ、あの、待ってください。私はドゥムヤじゃありません」
「はぁ?髪の長さと体の大きさくらいしか違わないわ」
「いえ、その。…ええと、確かに、この体はドゥムヤのものです。でもその、中身というか…この私の意思は、ドゥムヤではないのです」

 はぁあ?―と、祈紗の女性とは思えない声が、野原に響いた。








 


 王宮の夜。男は日の沈みと共にぼんやりと空を眺めていた。

「王!王よ!」

 王宮に住む臣下の一人が騒ぎながら男に近付いている。

「騒がしいな。君は門番だろ、こんなとこまで何しに来た」
「すっ、すみません!あの、王と謁見したいという男が!」
「こんな時間に?トルヴェールかい」
「いっ、いえ!」

 とにかく来てくれと踵を返す門番に、やれやれと息をつきながら後を追う。そうしてやって来た大広間にぼろ布を纏った誰かを見つけると肩をすくめた。「僕に確認とる前に通したのか」元々予定があった者ならともかく、知らぬ者は門の外で待たせる決まりのはずだ。
 しかし。

「側近殿です!側近殿が、戻られました…!」
「…--」

 何をわけのわからないことを、と口にするのは憚られた。古くから仕え事情に詳しいはずの門番が、ひどく嬉しそうに表情を輝かせていたから。

「王よ。命を達し無事ここに戻りました」
「…君は誰だ」

 他の誰もが、歓喜に身を震わせている。何事か。何が起きた。困惑を表にだすことはなく、それでも冷や汗を背筋に這わしながらそう口にした。

「何をおっしゃるのです。王が幼少のころよりお仕えして参りました、ロイ・グスターヴァスです。王命により国を離れ、無事聖杯を得て戻って来たのです」

 ぼろ布を外し、確かに見覚えのある見姿の男は笑みを見せる。
 聖杯を得ろ、なんて命令、したことも考えたこともない。どこかにあるなどという噂を聞いたこともない。それ以前に--…。
 ぎりぎりと頭が痛む。これは外部から、何らかの精神的な攻撃をされた時に起こるものだ。自身の加護と忍耐が、何らかに抵抗している。
 ロイを名乗る男は悲しげに顔を伏せ、ゆっくり立ち上がった。
 その時。ロイがいたはずのその場所には、ドゥムヤによく似た人物―いや、髪の長さや衣服装飾を除けばまるきり同じ顔の男が立っていた。その大きな剣を振りかぶり、ロイの首を狙う。

「アナタ、そんなに動けたかしら」

 参謀側近…つまり頭脳担当であるロイは、帯剣していてもなんとか自衛出来る程度の力しか持っていない。"突然"現れ言葉もなく断頭しようとした謎の人物の素早さに、対応出来るはずはなかった。
 見事攻撃を避けたロイは、地面に這わせた手をそのままに体重を傾け、逆立ちする要領で男に蹴りをいれた。油断なのか、直撃を受けた男はよろめき数歩たたらを踏む。

「国王ドゥムヤ。貴様を殺す」
「…っ」

 ロイは--ロイだったはずの男は、僅かに目を離した間に別人へと成っていた。稀有な形の短剣を握り直し、一足でドゥムヤと間合いを詰める。
 いつもならば、その程度対応できる。しかし相対する二人には、大きな差があった。
 加護を受け、戦で鬼神の如く働くドゥムヤも、今はただの人間だ。そしてその首を狙うのは、知らぬとはいえ人よりも高次の存在--サーヴァント。暗殺を得手とし、過去か未来か"王殺し"を担う者。
 何より。直前に見たロイという男の姿は、ドゥムヤの思考を停止させるには、十分過ぎる要素だった。

「っっ--!」
「…ふっ!」

 刃が喉元に触れ、薄皮一枚破れる瞬間に、ドゥムヤは一歩退いた。結果として刃は空を斬る--かに思えた。衝撃に咳き込む。斬れてはいないのに、首には痛みがあった。そして極々僅かな間の後、背後の壁が裂けた。

「(今のは完全にやられていた…!)」

 壁についた傷は、横目で確認した限りでも先ほどの暗殺者の刃の軌道線上にある。確かにその剣を避けたはずなのに、じくじくと止まない首の痛み。自身の加護がなければ、今の一撃で見事に首を落とされていただろう、とドゥムヤは確信する。
 何が起きているのか、などと考える余裕はない。とにかく今は目の前の暗殺者を捕縛しなければ。腰に携えた剣はこの国の王が持つものだが見目だけのもの。戦闘においては強度に欠ける武器だ。先ほどのわけのわからない斬撃相手に、つばぜり合いさえ出来るか怪しい。周りでたじろいでいる兵士に相手をさせるのは不可能だろう。油断していたとは言えドゥムヤの首に一太刀入れるほどの相手だ。
 暗殺者は刃の勢いのまま身を翻し、地面に手をついて蹴りを入れる。その衝撃は強く、思わず歯を噛み締める。

「やはり戦得意の王に一撃では無理か。しかし他に気をとられているようでは、私の攻撃はかわせまい」

 他の兵士に一切攻撃が向かわないのはありがたいことだった。暗殺者はただドゥムヤだけを狙い攻撃を繰り返している。握った剣は暗殺者のそれを弾いて軌道を反らせるものの、隙をついて貫こうにもマントによる目眩ましやその素早さ、身軽さをふんだんに使う暗殺者の身のこなしは、正直なところドゥムヤを苛立たせる手合だった。基本的に体の位置が低く、ドゥムヤの腰より下。その上で壁を裂いた斬撃や拳よりも威力があるだろう蹴りを駆使している。ひとつひとつのダメージは少なくとも、とにかく手数が多く、速い。そしてこちらの攻撃は、効いていない。これはサーヴァント故の、ドゥムヤが所持する武器の神秘性の薄さからなる圧倒的な差。しかし困惑から抜けきれていないドゥムヤに、そのような考えは思い付かない。

「令呪をもって命じる。サーヴァントアサシンよ。国王ドゥムヤの首を獲れ」

 どこからか、声が聞こえる。反射的にそちらへ視線を向ける。そこにいた男の姿に、今度こそドゥムヤは、それまでなんとかいなし続けていた暗殺者からの攻撃を、まともにその身に受けた。

「ぐ…っ」
「…令呪を受けても首への攻撃を避けられるとは。使えないサーヴァントだ」
「すまない」

 首を狙った攻撃を、咄嗟に身を捻ることで胸に深く致命傷を刻むに留めた。肺に血が入ったのか、それとも胃腸から逆流したのか咳き込み吐血する。

「それでも、ようやく王が膝をついた。さしもの王も、サーヴァント相手には敵わな--!」

 男が息を止める。

「サーヴァント…!なるほどね、生身のドゥムヤの加護を無視して殺せるはずだわ」

 その後ろに迫っていたのは、先ほどロイの姿をしていた暗殺者を不意討ちしようとした、ドゥムヤと同じ見目をした男だった。

「…貴様は?」
「貴様なんて不敬ね。アタシはミサ=カリス。この国の主神、王に加護を与える者。…だというのに」

 男--ロイを一瞥し視線を下げる。ミサが大きく振りかぶった大剣を、暗殺者が防ぎ弾いていたのだ。

「マスター。私に神に対する力はない。次は防げない」
「…アサシン。奴を捕らえろ」

 その命令に、暗殺者は困惑を見せる。神に対する力は、とミサ=カリスを見据えながら言うが、殺す必要はない。

「"捕らえろ"」
「…っ!」

 手の甲の紋章が熱くなる。暗殺者は地面を蹴り、風のような速さでミサ=カリスの懐に入ると下から顎を蹴り上げた。しかし僅かに掠める程度、間一髪で避けたらしい。戦神の名は伊達ではない。
 姿勢の崩れた国神を追撃し、脚で首を挟むと地面に叩きつけた。ロイは王の間であまり暴れてほしくないとは思いながらも、致し方ないと口をつぐむ。

「よくやった、アサシン」
「早さ重視でハリボテの身体にしたのが運の尽きね…何が目的?さすがに貴方がこんなことをするとは思ってなかったわ。というか-貴方、どうして生きているの?」

 不思議なことを言う。首を傾げれば、ミサ=カリスは驚いた顔をして、それから眉根を寄せた。

「…貴方は一度、ドゥムヤに謀反を起こして-ドゥムヤに殺されたはずでしょ?」

 ぐ、とロイの目が細められる。

「私は王の手を煩わせてなどいない…!アサシン!いるのはそいつの血だ!そいつを殺せ!」

 興奮冷めやらぬロイの命令に、効くかはわからないものの最大の一手ならばと暗殺者は刃に風を纏わせた。
 そこへ、何かが飛来する。風はミサではなく、その飛来したものを振り払うために霧散した。視線を向ければ、未だ止めどなく血を流しながらも立ち上がろうとするドゥムヤの姿がある。今飛来したのは、先ほどまで握っていた彼の剣。動けないからといって、敵に対して諦めるわけもない。震える手で額あてを外し、外套を放る。少しずつだが、その傷は治癒しているようだった。

「ああ…王よ!もうそんな風に気負う必要はない!手にいれたのです!王の願いを叶える聖杯を!」
「そん、…なもの…、命じた覚えは、ない」
「王が口に出来ずとも、私には分かる。王は威光を浴びるべき方だ。貴方は、民から羨望を受けるべき存在だ!」
「それは…、僕の、」

 僕の願いではない。血を吐き出しながら溢された言葉に、ロイは硬直した。

「…そんなはずはありません。貴方は言ったはずだ。私に…聖杯があれば、この現状を変えると…」
「どこで誰に、何を言われたのかは知らないが。そんなことを一度も思ったことはないし、君に話したこともない。僕は好んで暗君でいる」
「…。そんな、はずは…。私…いや…う、ぐぐ…っ」

 頭を抱えて苦しみ出すロイに眉根を寄せる。駆け寄ろうにも、まだ片足を起き上がらせる程度しか回復出来ていない。

「ロイ。今度はきちんと、俺が殺してやる」
「ぅ、あ…-っ私は、わたし…あ、あああ…っ違う!違う違う…!確かにそう言ったのだ!王は、王が…皆に尊ばれる王になると!こうすれば、王が…心から笑えるようになると!」

 叫ぶ。もはや誰の言葉も届いていない。

「………アサシン。そいつの血をとれ」
「…ああ」
「ちょっとなにするつもり?力強っ、ちょっと…!」

 改められた命令に、暗殺者は素直に従う。杯に注がれた血をロイに渡すと、受け取ったロイはゆっくりとドゥムヤへと歩み寄る。

「王よ。私は、王が悩んでいると聞いていてもたってもいられず冥府より這い戻って来たのです。どうか、どうか…」
「気色悪いな…。それで何をするつもりかな」
「…王よ。王よ…どうか、どうか…っ私の話を聞いてください。私の願いを聞いてください…!」


 杯が、傾けられる。





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