祈紗たちが連れ帰って来た新しい仲間もとい、カルナやマルタが出会い道しるべを指し示してくれたという少女。その顔を知っている者からすれば、確かに間違いようなく彼の名を口にするだろう。目の前で俯く少女は、ラジェルからの突き刺す視線に居心地悪そうにしている。
「…なるほど。であればカルナやマルタが欺かれるのは致し方ないですね」
その頭を撫でつつラジェルが溢す。肉体は確かにドゥムヤであるが、中身は別人だと説明を受けたものの、その仕草を確認してようやく納得したらしい。
「ふむ。…ふむ…」
「ドゥムヤ…可愛いな…」
そして逆にこちらが連れて戻って来たのがかつてドゥムヤの暗殺を試みた少年、レーヴェ。同じ年頃のドゥムヤに、少し頬を赤らめては首を振っている。祈紗と再遭遇した際は青ざめていたが、それよりも男らしさを憧れていたドゥムヤの今の姿が気になるらしい。王と成ったあとの姿しか知らないトルヴェールも、感銘を受けたようにその姿の儚さを唄にしていた。
「なんだか平均年齢が下がった気がするけど…まぁいいわ。で、どうするの?」
「…待っている間に、多少変化がありました。外にいた貴方たちも気付いているとは思いますが、あからさまに夜の時間が伸びています」
息をつく。神殿跡へ赴いた面々が拠点へ戻るころ、同じくしてトルヴェールも戻ってきていた。食客という立場をもってしても、王宮に入れなかったらしい。むしろトルヴェールだからこそ許可が得られなかったと帰って来たのが時間にして昨日の夕方。
それからマルタたちが港町から戻るのに半日。その間、レーヴェの知識を軸に王宮へ忍び込む手段を詰めていたのだが、まだ夜が明けていない。カルデアで観測出来ている経過時間では太陽が真上に合るはずなのに、こうしてマルタたちが拠点へ帰って未だ暗い夜が続いている。
「地球の回転角度がどうとか、そういった理由ではありません。例の閃光から少しずつ、日照時間が狭まってはいましたが…こんなにも分かりやすく変化が訪れるということは、聖杯を持つ者がいよいよ何かしでかすつもりということでしょう。わけもわからぬまま進むのは愚策ですが、かといって手をこまねいていては取り返しのつかないことになる。一時間後、侵入経路の最終確認の後、王宮へ向かいます。各自準備をなさってください」
そうまとめて、ラジェルは改めてレーヴェを向いて、机上の紙面へ視線を移した。
「……」
「どうかした?」
「…ううん。何も」
最終局面へ近付いている。考えなくてもいい、と言われたことが脳裏を過って首を振る。それを横目にラジェルには「マスターは特にしっかり休みなさいね」と釘を刺されてしまった。
「…うん、うん。やらなきゃ」
「…思い詰めるのもよくありません。……そう、いずれこの国は滅ぶ運命にある。けれど私が思うに、実際は滅びではなく救い。王ドゥムヤの手によって光へ還ることが、この国の末期。であればそうなるように、我々は進まなくてはいけません」
震えそうな手をマルタが優しく包む。
「きっと分かる時が来ます。この戦いが終わってすぐではなくとも、いつか分かる時が。立場や境遇によって救いかそうでないかは変わりますから、同じこころは持てないかもしれません。けれどそのカルデアとやらでドゥムヤという王と話す機会があるのならば。貴方のようなヒトならば、きっと理解したり、寄り添うことは出来ます。今は辛くても、きっと」
「………うん。ありがとう、マルタ」
微笑みに、下手くそな微笑みを返す。心が少し、楽になった。
それから一時間。装備や物資を確認し、経路の最終確認を行う。
「まずわたくしが認識阻害魔術をかけ、レーヴェに従って王宮外周の綻んだ孔から侵入します。これはレーヴェを先頭にわたくしとマスター、トルヴェール。中の状況を見て、合図があったら第二陣、祈紗とカルナ、マルタが続いてください。合図までにわたくしで対応できない敵があれば、マスターの令呪でカルナを強制招集します」
「心得た」
「アサシンとの戦闘は避けられないでしょう。出来るだけ気を張りマスターを守りますが、マスターも勝手な行動はなさらないように」
「はい」
「あの、私は…」
おずおずと問う小さなドゥムヤに、ラジェルはちらりと一瞥した後「貴方は貴方の目的を果たしなさい」と短く答えた。
「何らかの理由、目的があって貴方はそんな姿でいるのでしょう。ならばこちらは気にせず行動なさい。貴方が味方であることは分かりましたし、状況的に見て貴方の一手が鍵になる。任せます」
「…はい!」
大まかな確認を終えて、居残るミルファークの作ったハーブティーを飲み干し、一行は計画通りに神殿を出発した。
§
息を潜めてレーヴェに続く。隠密行動には慣れているらしい彼は、幼いながらたくましい背中でラジェルたちを率いていた。昼を過ぎた時間なのに日が登っていないからなのか、深夜のように静かだ。誰もいない。普段なら控えている筈の兵士もいないという。
渡された通信機で合図を送った。これでカルナたちも王宮内に入ってくるだろう。
どこへ向かうべきかは定まっていないため、レーヴェが迷いなく進むのはドゥムヤの寝室だ。昼ならば王としての執務にあたっているはずだが、この異常事態ではわからない。
「あまりに静か過ぎます。レーヴェ、警戒を怠らぬよう」
「わかってるよ。…ん、よし。この先もしばらく人はいねぇ。行くぞ、こっちだ」
廊下の角からちらりと覗いては静かに進む。レーヴェは中々慣れた足取りで進むため、一般人である立香にはついていくだけで精一杯だ。
ふと、背後を振り向く。
「どうしました、マスター」
「いや…」
「じゃあ私?なんかした?」
首を振る。古傷で戦えないながらも協力してくれているトルヴェールも、元剣士だからかさほど苦労はしていない。
「鋭く、疾速く。首魁を絶ち伐る…『妄想斬空』…!」
「…え、」
『先輩!』
「っマスター!」
衝撃。咄嗟に目を瞑る。痛みに構えるが、冷たい風が一瞬感じられただけで身を切られることはなかった。おそるおそる瞼を上げれば、最後尾にいたトルヴェールの向こうの暗闇に、髑髏の面が浮かんでいる。
「宝具ですか。また難儀なものを…っ」
『ラジェルさん!ラジェルさんのバイタルが…っ』
「気になさらないで。マスターの命には変えられません。間に合ってよかった、皆さんは無事ですか」
どうやら咄嗟にラジェルが魔術防壁を展開してくれたらしい。辺りの壁が一文字に抉れているが、一行に怪我はない。
『さすがだラジェル、レーヴェも立香ちゃんもトルヴェールも皆無傷だよ』
「ならば良し。レーヴェ、トルヴェールは下がって、マスターを…」
また一迅の風が通り抜ける。ラジェルが狂騎士を召喚し、アサシンに視線を向けた頃はもうそこに暗殺者はいなかった。誰が構える間もなく、マスターたる藤丸立香の首にその刃が迫っていた。
息を飲む間もない。アサシンはつまらないとでも言うようにゆるやかな動きで、その短剣を薙ぐ。
「っく、そ…」
「…、…?…トルヴェール…!?」
「身体中軋んでるなこれ」
「マスター!早くカルナを…っ」
右手の令呪に魔力を込める。しかし念じるより先に、トルヴェールから逃れたアサシンが立香を狙い体勢が崩れ、狂騎士かトルヴェール、あるいはレーヴェがどうにかアサシンの凶刃を弾くことの繰り返しだ。避けるので精神的にも精一杯で、令呪にカルナの強制転移を念じる暇がない。
「お前たちの始末を命じられている。まずはそこの人間を殺すのが最優先…邪魔、だ!」
「っぐ…!」
アサシンを中心に風が巻き起こり、全員が方々へ吹き飛ばされる。実体のないラジェルの狂騎士がすぐさま立香を守るように展開されるが、果たしてアサシンの攻撃をどこまで防げるだろう。
そろそろ祈紗たち第二陣がこちらへ出発していてもいい頃合いだ。強制転移の隙を伺いつつも、このままアサシンをいなし続けてカルナたちが合流するのを待つ方が得策だろうか。
アサシンが刃を大きく薙ぐ度、鋭い斬撃が辺りを破壊している。必ず当たるという概念でないことが救いだが、その動きに見合わない大きさと速さの攻撃は、反撃の猶予を与えない。
『アサシンの宝具…威力的にはランクCと言ったところか。しかし一撃一撃全てに旋風が乗るなんて、マスターの魔力が無尽蔵なのか…いや、アサシンのマスターが聖杯を持つなら当然か』
空気を切り裂くような斬撃で、ラジェルの狂騎士は毎度霧散してしまい、都度形成し直している。アサシンはこちらを今度こそ始末するつもりのようで、使用魔力に糸目をつけない気らしい。
神殿では素早い動きに比例して攻撃力はさほどでもなかったが、今相対しているアサシンはひとつひとつの攻撃が一帯を破壊する威力を伴っている。とても当たるわけにはいかず、カルナの強制転移に意識を向けていられない。ダヴィンチが立香の物理障壁を組み上げるが、即席のものである障壁はいとも簡単に破壊されてしまう。ラジェルも先ほど宝具を防いだところから、狂騎士の再形成にも時間がかかり、本人が簡易な魔術を飛ばす弱攻撃が増えている。トルヴェールは予想より動いてくれているとは言え手負いの上人間で、レーヴェも然りだ。早くカルナを喚ばなくては、と手に汗を握る。
「っ─………、なに…?」
突如としてアサシンが間合いをとり、どこかへと意識を向ける。今だ、と令呪に魔力を込めようとするもアサシンの睨みで身体が硬直した。
「……、そうか。わかった。いや、殺していない。そもそも暗殺者に白兵戦をさせるな。
─お前たち。マスターから…いや、王様とやらからの命令だ。お前たちを連れてこいと」
刃を下ろし、アサシンは構える立香たちの隙間を縫って廊下進む。立ち止まったままの一行に半歩振り返り視線を向けてくるのを、ラジェルは溜息とともに狂騎士を消し、先頭に後を追った。
『い、いいのですか?罠の可能性は』
「なんにせよこのまま続けても我々の負けです。マスター、令呪は一度仕舞って結構、レオナルドからカルナたちに急ぐように」
『あー、それなんだがラジェル。とりあえずカルナだけはなんとか先行させたが、祈紗とマルタは外に留まるというか、街に向かった』
はぁ?と全員が瞠目する。
『祈紗はなにか呟いて制止も聞かず。マルタは護衛のつもりなのか、意図を知ってなのかは分からないがそれについていった。カルナには急いでもらってるが…警戒はしたまま、今はラジェルの判断に頼ろう。王ドゥムヤが、我々の知るような話を聞いてくれる男であるのを祈るしかない』
はぁあ…。と、ラジェルの溜息が妙に響いた。アサシンは不審そうに立ち止まりこちらを見ている。
「仕方ありません。彼女もこんな状況下で決して無駄なことはしないでしょう。王と謁見するのはカルナと合流してからだとしても、今は我々だけで行くしかありません」
「…話は済んだか。早くしろ」
痺れを切らしたらしいアサシンに振り向いて、一行は足を進めた。
王宮の外で待機していたのは、祈紗とカルナ、マルタの三名だ。祈紗経由での連絡ないし合図を待ちながら、気配を殺して静かに外壁の小さな穴を見つめている。しかし唯一祈紗だけは、空を仰ぎながら眉間に皺を寄せて、何やら考え込んでいた。
「祈紗、先ほどからどうかしたのですか」
「んー…もう少し」
答える気のない応えに、マルタは肩を竦めた。
そんな様子など一切気にせず、祈紗は思案にふける。思い起こすのは、神殿のある森が業火に包まれていた白昼夢のことだ。
祈紗が時折見る予知にも近いこの夢は、元々祈紗自身が持っていた、極近い未来を盗み見るものだ。それは夢だろうと映像で認識出来るほど強いものではなく、せいぜい勘が良いという程度の、千里眼にも満たない─言ってしまえば全ての人間が持ち得ているだろう、ただの願望じみた予想。…それが、瞳を受け継いだことで、あまりにも大きな記憶と経験によって、より明確な予測と化したものだ。
魔力の動きや天候などから、知覚すらしていない情報までを見て、この後こういうことが起きるかもしれない、起きているかもしれない、が映像として頭に流れる。故に簡単な行動でその未来は変わることが多いのだが、変えられない大きな何かがあったこともなくはない。
この土地に来てすぐに見たのは、森が赤く燃える様子だった。つくづく燃え盛る情景しか見ないな、と思いつつ、日を重ねるごとにその断片的な映像が様相を変えて増えていくことに頭を悩ませていた。
ただ燃えているだけだった森は、何か黒いものが蔓延した。そして炎が勢いを増す。光に包まれる。最後に、あの男が笑みを溢す。…そんな様子。
それらから、とある経験と知識を踏まえて、果たして自身がこのまま王宮に行くべきか、とずっと悩んでいたのだ。そもそもこの特異点に着いてきたのは、カルデアで行われる魔術協会の査問から逃げるためで、サーヴァント紛いとしてマスターを守る、ないし戦闘の補助以外で積極的に手伝いをするつもりもなかったので、ダヴィンチやラジェルといった司令塔の指示に従うだけの予定だったのだが。ここまで鮮明な夢を見せられてはそうもいかない。
ダヴィンチから出発してくれと通信が入る。カルナとマルタがそれを聞いて頷くのを視界に入れて、はぁ、と息をついた。
「…マルタ。貴女は私と来て」
「はい?」
「カルナはそのまま、急いであの子たちを追って」
「言われるまでもない、が…祈紗はどうするというんだ」
行き先へ体を向けながら、カルナは怪訝そうに眉を寄せた。
「…。ラジェルたちでアサシンを倒せるか、も問題だけど、どちらにせよ貴方は王宮に行った方がいい。でも聖女であるマルタには、今から私についてきてほしい」
今度はマルタが首を傾げる。
この王宮に入り込み戦うとすれば、神殿に侵入したアサシンだけでなく、確実にドゥムヤとも一度は刃を交えることになるだろう。いつかどこかでドゥムヤというサーヴァントと手を取り合ったことがある祈紗は、彼という男がどのような強みを持っているか知っていた。聖杯によって変容しているかもしれないとはいえ、知っているそれから大幅に弱体化しているようなことはないはずだ。
ドゥムヤ・アンビシオン。サーヴァントとして彼の持つものを十全に扱うとなれば、並みの魔術師一人ではとても賄いきれない魔力を必要とするが、この地にいるのはサーヴァントの彼ではない。彼自身がなんらかによって持ち得る魔力で、それらを行使しているだろう。戦神宿るが如し、と物語では戦場に立つ彼へ畏怖を込めて描かれているが、実際は、戦神としての側面を持つ国神の寵愛と加護を受けている。
故に彼は倒れない。どれ程の攻撃を受けようと、彼はまず生き延びる。
そして本人の天賦の才とも言える戦いにおいての勘、肉体的強さ。
無論、そんな彼を簡単に叩き潰してしまえるサーヴァントはごまんといるだろうが、今この地にいる中で彼に敵いそうなのはカルナだけだ。
それでもドゥムヤには、唯一弱点がある。─神性を貫く、神秘性の高い武器を所持していないことだ。サーヴァント同士であれば、高いものは低く、低いものも平均へと均されるため通じることもあるが、ただの人間がただの鉄塊で神に傷をつけることは出来ない。当人によれば、どうにも国にあった宝剣の類いは奪われ売り払われてしまったらしく。とにかくカルナと戦わせるのが、一番手っ取り早い。
「祈りというか、浄化の力?とりあえずマルタの力がきっと必要になる」
「…わかりました。カルナ、頼みます」
「心得た。お前たちも無理はするな」
頷いて、カルナは外壁の穴から王宮へと向かっていった。それを見送り、祈紗はくるりと踵をひるがえして街へ歩き出した。慌ててマルタもそれを追った。
「…物語でこの国を襲った"死の軍団"。森の魔女が、そうなるような薬をばらまいたとされる…けど、ずっと思ってたのよ、私」
ポケットに手を入れて、彼女にしては早足で進む中ふと溢された言葉に、マルタは首を傾げた。
「民が全てそうなれば、国を続けることもできないわけだから、淘汰するのは分かる。けどドゥムヤの宝具や、彼自身の能力を知っている私からすれば、国ごと消すなんてあまりにもやり過ぎなのよ」
「どういうことですか?」
「死の軍団とやらが、現代にあるゾンビ映画みたいに感染するものだったとして。一瞬でこの広大な土地に住まう者全てをゾンビにするのは不可能でしょ。それこそ国土全体を納めた魔術儀式でもない限り。まぁ物語にあることが全てではないし、ドゥムヤはそこら辺語らないし、なんとも言えないけど」
「…ならこの国の滅亡は、誰かによる魔術儀式だと?」
「可能性のひとつではあるわ。先王が魔女に命じた、敵国の攻撃、あるいは国神による裏切り─とにかく物語にあるような"森の魔女が死の薬をばらまいた"わけではないことは確実よね。森の魔女ことミルファークはドゥムヤを愛しているようだし、国神は力を失っていて、先王も手綱を握られている」
異様なほど静まった街を横目に、祈紗は森へと進む。
「切り立った山と広大な海に挟まれた大陸の端っこ。西暦300年前後という時代にしては枯れた大地。
…国土全体を生け贄に何か召喚するようなものならまだしも、ただゾンビ化させるだけに大層な魔術儀式を行うような場所じゃない。そもそも魔術儀式の気配は感じられないわ」
「…確かに、国土全体に影響を及ぼす魔術儀式なら、長い年月をかけた準備が必要になります」
「話を聞く限りでは、実際に民がゾンビになって蠢いていたことは確か。でもそれが遅効性なら、あの男がのうのうとそれを見守るはずはないし、確認せずに国を消し飛ばすわけもない。そもそもサーヴァントとなったアイツの宝具は、物体にはさほど影響せず、死霊の類いだけを浄化させられるものよ。国を消滅させる理由がない」
「…けれど事実として、王ドゥムヤは国を消滅させた。例え民が全て死に絶えてしまっていても、王さえいれば復興できるかもしれないのに、と?」
マルタの言葉に頷く。
「つまり国ごと消し飛ばさなきゃいけないようなものがこの国にあった。それが国民をゾンビに変えたんじゃないか、と思う」
「国ごと消し飛ばさなきゃいけないもの…?」
「それはわからないわ。たとえ人類悪が現れようと、別に国土を消す必要はないもの。…だからそれを知っていそうな人に、問題のあるだろう箇所に戻ってきたわけだけど」
たどり着いたのは、ラジェルによって建てられた神殿。ミルファークが留守番をしている、カルデア一行の拠点だ。
「この先。ラジェルが言っていた、死者が這い出てくる洞窟。そこに、何かが潜んでいる」
瞼を持ち上げる。意識は微睡み、おぼつかない。身体は軽い。記憶を掘り起こす。辺りに視線を向けて状況を把握しようと探る。己の寝室ではない。我が国、王宮の、謁見の間だ。己はその最奥、王の座に座っている。いくらか視線の下がる位置には、忠臣たちが頭を垂れていた。
「ご報告致します、王よ。
星見台の者たちが攻めて参ります。奴等が準備を整える前に始末する予定でしたが、我が愚臣では星見台の戦闘兵器に敵わず。
然らばここでこそ、国の一憂たる星見台を滅するため、今こそ王が、その威光を轟かせるべきかと。
すでに半分以上の夜を掌握しておいでです。この地において、王に敵うものなどいない」
黒いモヤを背負う男が恍惚とした感情を抑え込みながら語った。それだけで大体の事情が察せられる。小さく小さく溜息を溢した。
「俺はどうすればいい」
「! …、王は、この場に構えていただければ。先の戦のようにわざわざ向かう必要はありません。相手はこちらに来ていますから。
我が愚臣にて敵を疲弊させつつ、減らして参ります。生き残るのは兵器だけ。王にはそれを」
「俺に後始末をさせようと?腑抜けたかロイ」
口を閉じ、男は身を強張らせる。
「全員ここへ連れてこい。五体満足、疲弊もさせずに」
「し、かし…それは…」
「外敵は全て手ずから始末する。他の兵も控えろ、元の業務に戻れ」
「しかし相手はサーヴァント!神性を持つ霊格の高いサーヴァントばかりなのです!私は王に…っ」
「俺が負けると?では、この地において敵うものなどいないというお前の言は虚構か」
「それはっ……。承知、しました。アサシン─愚臣に、手を出さぬよう言い含めます」
それでいい。と座に背を預ける。並んでいた兵たちも、おそるおそるながら謁見の間を出て行った。
さてどうしたものかとドゥムヤは目を細める。自分の状態、臣下の状態、王宮内の状況はなんとなく理解出来た。自分の中にどういうわけか国神の力が宿ったためだろうか、国土内のおおよその状況がわかる。そのせいで改めて、国に巣食う悪の芽が、どれ程のものか理解した。
─どうしたものか。
かつてからずっと頭を悩ませていたもの。その孔の中からやって来たミルファークに門番をやらせることで誤魔化せてはいるが、己がこうなった上、国神が消えた以上は、やがてミルファークによる抑止も意味を無くす。
あの大孔が空いてどれほどか。ドゥムヤが生まれるより前に空いたというそれは、国の終わりを示すものだった。孔の影響でドゥムヤの父は正気を失い、成人する頃にはすでに滅びは目前だった。民は疲弊し、他国に食い荒らされ、孤児が増え、餓える者が弱者を襲う。
『お前の役目は贄となりこの国を栄えさせること。この国の神は、天に愛されたお前を所望している。さすれば国は栄え、世界をも征服出来るという。私は覇王となり、あの方の力を受け継ぐのだ』
『アナタは私の人形。私の手足としてこの世界に根付き、血を絶やさないこと。それがアナタの役目よ』
そういうものかと納得した。納得したが従わなかった。贄となることも、神の人形となることにも。
贄となっていれば、きっと国どころか世界が滅んでいた。であれば、やはり神に従うのが最善だったのだろうか。神殿を破壊され守護する力が弱まっていた国神の信仰を集めていれば。
…けれどこの目には、力が戻ったところで国神があの孔を処理する未来が見えなかった。あの神は、自身の力にしか興味がなかったから。国神が国を守るのではなく、国が私を守るのだとでも言いたげな顔をしていた。国が、民が滅びようと、己が権能を再び奮えるようになればそれでいいと。すでに侵食された末端の土地などどうでもいいと。神子である最後の血族がどこかへ逃げれば、そこでまたやり直せると。
…そんなことは、許せなかった。疲弊していく民を見捨てることは出来なかった。乳が飲めず何も分からぬまま死んでいく赤子の泣き声が辛かった。食うものがなく泥水をすすり、病を悪化させて苦しむ姿はもう見たくなかった。
自分だって腹が減っているのに誰よりも前に立って強者に逆らう勇気ある彼女を、見捨てることはしたくなかった。
それでも、あの孔をどうにかする力などない。
どれだけ終わりを先へ伸ばそうと。
どれだけ民の腹が膨れようと。
どれだけ子供たちが笑おうと。
いくつ侵略者の首を捧げようと。
己に命を捧げた女を贄にしようと。
物理的なものではない孔を塞ぐ手段などなかったのだ。唯一やれる力を持つはずの者にその力は残っておらず、そのつもりさえ無く。
ただ緩慢に、終末を忘れさせただけだった。
×
アサシンが入って行った大きな扉。どうにか追い付いたカルナが先頭に立ち、その扉を押し開けた。天井の高い広い部屋だ。奥の階段の上には王座らしい大きな椅子があり、見覚えはあるもののどこか雰囲気の違う男が座っている。その横にはまた別の男が佇み、アサシンは離れた場所で壁に背を預けている。
「…君たちがカルデアか」
「王よ、このような者どもと話す義理はありません、すぐさま…」
「ロイ、少し黙れ」
ロイと呼ばれた傍らの男はぐっと口をつぐんでこちらを睨み付けた。通信越しにこそりと、マシュが王座の周辺に聖杯反応があると告げる。
「…今回このように面会の場を頂きありがたく思います。我々の知る姿とは違いますが、貴方がこの国の王、ドゥムヤですか」
「ああ。君がサーヴァント?」
「はい。この時代よりいくつか先に名が浮かぶ者ですが。…王ドゥムヤ。今この場所は特異点…通常起こりうるはずのないものになっている。その原因は貴方がたがお持ちの聖杯です。それを回収できれば、我々は何もせずに立ち去りましょう。貴方が生きているのなら、我々が余計な手出しをする必要もない」
冷静に話すラジェルの言葉に、ドゥムヤはこてりと肘をついた。そして彼が何を話すよりも先に言葉を返すのはロイだ。
「私が王命にて得た聖杯を寄越せなどと!この者らはやはり侵略者です、王よ!この国の礎となる聖杯を寄越せと!はやく、王よ!この者たちを殺すのです!」
「……、」
「王よ!王がやらないのであれば、アサシン!はやくこいつらを私のっ、王の御前から…!」
「黙れ、と言ったはずだが」
睨むでもなく静かに落とされた言葉に、ロイは再び閉口する。
「君たちの言うように、この場所はおかしいんだろう。だがそれは元からこの国にあった問題だ。だからこそ、ロイはどういうわけか聖杯を入手し俺に託した。こちらとしてはそんなもの必要ないから、欲しいというなら、王として寛大な心で君たちに授けるのはやぶさかじゃない」
「…!」
「けどまぁ、だからと言って。君たちにその寛大さを披露する謂われもない」
表情を変えるでもなく、ドゥムヤは平坦な声で告げる。
「そうなれば、君たちは力づくで奪うしかないわけだけど。どうする?」
ちらりと視線を向けたのは、ラジェルたちの側に立つ、困り顔のトルヴェールと、戸惑いと恐怖を隠せないレーヴェだ。
「国賓はもてなす主義だが、外敵は手ずから裁くのも俺のやり方だ。トルヴェール…は、まぁ元々外様だし好きにするといい。けれどレーヴェ、君はどうしたい?僕に挑むのか、それとも逃げるのか」
「…っ。ドゥムヤ、どうしちゃったんだよ…!いつも笑ってたのに、なんでそんな…!」
意を決して思いを吐き出す。脳裏に浮かぶのは、柔らかな笑みを浮かべて己に生きる術を教えてくれた彼の姿。国民に理解されず、それでも己が慕ってくれるならそれだけでいいと笑む男。あんなにも無感情に淡々と物事を見るひとではなかった。
「…こういう場に子供を連れてくるのは感心しないな。言葉を重ねようと理解はしても納得しない。面倒の塊だ」
「ドゥムヤ…っ、お前はこんな状況でも…俺をお前の兵にはしてくれないん、だな」
涙をこらえながらのレーヴェの言葉に、ドゥムヤはフゥと息をつく。
「ひとつの甘言で善悪も通せなくなるなら、僕の兵に必要ない」
ぐっ、と口を引き結んで、少年はうなだれていた腕に力を込める。彼からもらったのだと自慢げにしていた短剣を構え、強い意思を込めてドゥムヤを見上げた。─ごく僅かに、彼の口角が上がっているように見えた。そのまま視線を流し、今度はラジェルを一瞥する。
「そこの、本を持った君。先ほどこの時代より後に名を馳せた者と言ったが、それは間違いだろう。…君が本来の姿であれば、今ここで何が起きているか一目瞭然だったろうに」
「…ええ、確かに、無念の気持ちで一杯です。この国のことはわたくしでも知らないことが多いので。しかしそれでも、おおよそのことは把握出来ています。…出来ていても、今のわたくしには何をすることも出来ないのが口惜しい」
「うん。例え君たちに何か出来うるとしても、頼るつもりはないけれど。…さて」
肘をついていた姿勢を正して、ドゥムヤは玉座の背にもたれかかる。
「君たちは今俺が持つ聖杯が欲しい。こちらはそれを渡すわけには行かない。
そちらは交渉の手札を持たず、こちらも譲歩する義理はない。
それでも聖杯を欲するのなら、俺は君たちを排除する。さて、君たちの判断を聞こうか」
声は優しげでも、その表情は無に等しい。カルデアで知る彼は、どんな時も笑みを絶やさない人だった。それが今は、怒りも慈しみもなくただこちらを見下ろしている。皆をかばうようにカルナは槍を握っているが、戦いの開幕はマスターである立香の指示を待っている。隅にいるアサシンは特に動く気配は無いが、アサシン一人に手こずっていたカルデアの戦力で、いつ助勢するか分からないのに下手に戦いを始める踏ん切りもつかない。令呪のある右手をぎゅっと握りしめた。
神殿の中。あの洞窟に続く場所はものものしい扉が設えられている。褐色肌の女は、それにそっと手を触れた。瞼の裏に浮かべるのは、かつての記憶。幼い少年と出会った時のこと。
この国は、すでに侵略されていた。この洞窟の奥、かくりよと名付けた、女の故郷。通じる道が出来たのは、ただの偶然だった。テクスチャが弱まって、大きな孔が空いた。これ幸いとばかりにこの孔から這い出た、"わるいもの"たち。
女─ミルファークも、ある意味ではそのひとつだった。いいものでもわるいものでもない、それらと同じ場所に生まれただけの何か。地上に上がったそこにあったのは、そこそこ豊かな大地、国。
悪の役職を関する者たちが、国の王に取り憑いた。有能ではなかったが、周りの者に支えられてなんとか保っていた国王は、次第に暴君と化した。臣下の言葉は聞き入れず、外敵の甘言を疑わず受け入れ、やがて山向こうの国々に食い荒らされていった。民は理不尽に殺され、餓え、死していく。
そんな時世に、王妃が懐妊した。国王の子かは分からない。けれど王妃が言うには、国神が遣わせた神の子だと。
愛らしい男の子が生まれた。国王にも王妃にも似ない、綺麗な黒紫髪の男の子。歩けるようになった頃から、その才は止めどなく発揮された。知らされることのない国の実情を自ら調べ、それを憂いた少年。
少年を森へ招いた。なにかを感じたと言ってミルファークのもとを訪れた少年に、全てを伝えた。
この孔を塞ぐ方法はない。緩やかに食い潰されるのを待つことしかできない。けれど僅かな夢を見ることは出来る。今嘆き苦しんでいる民を、一時でも救い上げることは出来る。
悩むそぶりもなく、少年は頷いた。子供らしからぬ強い意志を持った瞳で、ミルファークの話を信じたのだ。
「僕は国王の子だ。ならば、国を救うのは僕の役目だ」
それから少年は剣を握った。その慧眼で優秀な兵士を引き抜き、滅びかけた国をみるみるうちに蘇らせた。なにものでもないミルファークに名を与え、役目を与え、地位を与え。
それでもこの国は、滅ぶ運命にあった。
+
「…………。そういうこと」
ミルファークの話を聞き、祈紗はまた深く息をついた。
「一番やっかいなのはいないわね?」
「ええ。この地にいるのは、かの兼属たち。本体は封印されているようなものですから、さらに分霊といったところでしょうか。…彼らが復活の足掛けであるこの地を見逃すはずはない。国も消え、対抗する神もいないこの地を、彼らは瞬く間に蹂躙するでしょう」
ちら、と扉を見やる。今は静かなその扉の向こうのものは、いつ溢れ出るか分からない。孔をより広げ、この土地どころか世界を滅ぼすために今、"何か"があの王宮に巣喰っている。それは聖杯が及んだから成ったわけではなく、元からあった世界の癌。聖杯のせいで最後の楔であったドゥムヤが斃され、洞窟の向こうに潜む者たちは勢い付いた。
「…ここは、弊職が留めます。問題は王宮。潜んでいた悪神たちは、きっとあそこで王の命を狙っています」
弊職は、この森から出ることは叶いません。眉尻を下げ、ミルファークは手指を組んで祈りを捧げた。
§
いくつかの光の刃が、縦横無尽に辺りを巡る。自動で動いているのか、彼が操っているのかは分からない。小さく機敏な動きはカルナの大槍では捌き難いようで、トルヴェールとレーヴェも危機迫った顔ながらどうにか弾いている。しかし地に落ちるでもなく浮遊し、また誰かの肉を狙った。
「…っ、あの小さい刃はラジェルたちでどうにかしのいで!カルナはドゥムヤ狙って…!」
先ほど使えなかった令呪でカルナを強化する。全員が頷き、ラジェルの狂騎士とレーヴェたちが背を合わせ、カルナは黄金の鎧を加味してドゥムヤへと槍の切っ先を向けた。
大槍を横から払いのけ、同時に凄まじい応酬が繰り広げられる。ひとつ刃が交わるごとに、鉄が擦れる音が響き、耳を痛める。
ドゥムヤの剣が弾かれた。大槍がその僅かな隙を見逃さず、即座に空いた胴体を袈裟斬りにした。鮮血が舞い、無表情にして動きを緩慢にさせている間に、更に二撃。ドゥムヤが数歩後退する。その様子に、カルナは目を細めた。
この土地に召喚されたカルナは、無論ドゥムヤとは初対面だ。しかしマスターとなった立香やラジェル、祈紗から、ドゥムヤという男が戦闘においてどのような特性を持った者かは、軽くだが聞いていた。
曰く、"死なない"。不死性を持つということではなく、─サーヴァントとして供給される魔力の量や状況によって精度は異なるものの─凄まじい回復力を始めとした、圧倒的なまでの継戦能力。致命傷を負おうとも止まらない精神に、一人だけで戦うのに困らない完結した構成のスキルを持つ。
『ただしあいつは、神秘性の高い武器宝具を有してないわ』
そんな彼の弱点を上げたのは祈紗だ。立香はそれを聞いて目から鱗の様子だった。
『だけどあいつの持ち物で一番神秘性が高いのはあいつ自身。カルナレベルの武器でも、易々とはいかないでしょうね』
前評判だけで油断をするわけはないが、故にこそ警戒していた。
優れた武人であるカルナとはいえ。まだ相手の戦闘パターンを探っている段階で、そう簡単に攻撃が入るものだろうか。…否、入ることはあるだろう。けれど─それで後退などする男なのだろうか。
しかしドゥムヤはこの二撃で膝をついた。たとえば聖杯に馴染んでいなかったとか、力の使い方がよくわかっていないとか、そういう理由があったとしても。それで下がる男ではないだろう。短い間でも、そのような男ではないと、カルナは感じていた。
なにやら異質なものを背負い、冷静そうな表情をころころと激情へ変える、あのロイという側近が、おそらく此度の事件の犯人だ。ロイの、王や国を思う気持ちはきっと本物で、どうしてそんな異質なものを背にしているのかはカルナにはわからないが、なんにせよドゥムヤがそれに操られているようには見えない。何か別のものを見据えて、そのために今、カルナと刃を交えたかのような。
「王よっ…!王よ、王よ!ああ、そんな!我が王がその程度!ああ…っあ、あ…っ?」
「何…!?」
目の前で警戒解かないカルナなど視界にも入らぬといったように、ロイはドゥムヤに駆け寄った。ぼろぼろと涙を溢して、必死に声をかけている。しかし次第に様子を変えた。呆然と息を止め、硬直する。
「…、なる、ほど。まだ、まだミサカリスの精神を殺すには足りないのですね。では、では…はい、承知しました…」
「…?」
何事か呟いたのを聞き取れたのは、カルナだけだった。そして瞬間に感じた気配に、即座に床を蹴りその場を離れる。凄まじい轟音と共にどこからか─崩れた壁から察するにそこから─現れた、異形のなにか。全員が息を飲んだ。
「ア…ァア゛…」
下卑た視線の大きなひとつ目に、大きな口から吐き出される腐臭。蜘蛛のような細長い手足が、全部で五本。動物のような形のまとまりはない、しかし見て分かるような魔物だった。
「…まさか、異形にされたという先王…?」
「なんだよアレなんだアレ気持ち悪い何あれ!!」
「喧しいですよ、レーヴェ。落ち着きなさいな。…管制室、聖杯の反応は?」
『あの異形から聖杯の魔力は感知されません…!しかし僅かながら神性のような、別の高度な魔力反応があります!』
マシュの答えにラジェルは眉を寄せた。
一方で、いち早く危険性を察知したカルナが異形に攻撃を繰り出した。動きは遅い、だが不思議なことに、カルナの大槍は異形を避けて振り下ろされた。回避されたのかと再度攻撃を繰り返すが、そのどれもが当たらない。
「無駄だ。それに意思ある攻撃など当たらない。正しい判断こそ、それには効かない」
哀れむようにロイが呟く。
「…!!──そういう…!」
その言葉に、ラジェルは瞠目して唇を噛んだ。珍しく焦った表情で、何がわかったのかと異形から目を離さないながらもラジェルをちらりと見やる。
「この国に巣喰うかくりよの者…!滅びの国、死の蔓延…!なんてことです!
─そんなもの、我々に対抗策なんてありません!他の誰にも倒し得ない!ドゥムヤ王しか倒す術は得られない…!」
どういうことだ、と会話する暇もなく。次いでロイは、二画欠けた令呪の右手を掲げた。
「我がサーヴァントよ。我が同胞の依り代と成れ…!」
それまで不気味なほど静観していたアサシンに、突如として魔力が集まる。いけません、とラジェルが狂騎士をアサシンに向けるが、物理的距離が令呪による執行の速さを上回れるはずもなく。アサシンが大きな魔力の渦に飲み込まれるのを見送った。
「アコーマン、サルワ。彼らを飲み込めば、王の体に巣喰うミサの残滓も破れましょう。そうすレば、お王も、我らが目的を、世界に死を──あ、ぁあ!この時を待っていたぞ!正しき世界では弱き分霊しか上らせられなかったが、人理が崩壊し特異点となったならば、蓋はより脆くなる!ああ、待っていたぞ、憎き男!貴様が惨たらしく我らにすがるこの時を!」
冷静を勤めていたロイの声色が変わる。その発言全てが、何か別のものに差し変わる。ゲラゲラという表現がぴったり嵌まるような笑い方で、ロイはうずくまるドゥムヤを見下げた。
「貴様はよくやってくれたなァ。さっさとミサの言うとおり一人でよそへ逃げていればよかったのに。そうすれば我らは世界へ死を振り撒けたというのに!貴様はすでに滅んでいたこの国を建て直した。あの女の身を削らせながら、我らに奪われるのを妨害した。あぁあ、面倒だった、迷惑だった!お前は殺しても死なないし、あの女は孔の前に居座るし。あの女を殺してようやく進んだと思えば、結局お前はこの地を我らごと滅ぼした。ああ、本当に面倒だった!」
ロイ─ロイの姿をした何者かは、愉しそうにドゥムヤを罵倒する。
「何でもかんでも先読みして防いでしまう貴様は、本当に本当に憎かった!どれ程唆しても傾かない貴様は本当に本当に鬱陶しかった!」
「なんなの…、なに、あれ…」
思わずこぼれた立香の声に、ロイはぐるりと首を回して振り向いた。にぃ、と気味の悪い笑みは絶やさず、けたけたと肩を揺らす。
「…悪魔、あるいは悪神。とにかく"この世の悪いもの"です。この国の滅亡の原因、この国を国土ごと消滅させなければいけなかったもの」
『アコーマン、サルワ…ゾロアスター教に伝わる悪魔だね。アンラ・マンユの配下で、世界に死と災難を振り撒くとされる』
「敵対する善神によって打ち倒されたはずです。…しかし世界の下に封じ込められていただけということでしょう。…世界から、悪を消すことは出来ない。それが、どういうわけか偶然にも空いた孔から、這い出て来た」
異形に攻撃が当たらず解決策も見当たらず、カルナは仕方なく距離を取り立香の側へ戻った。ドゥムヤは未だに、片膝をついてうずくまっているため、表情は分からない。
彼ら─悪神は、敵対する善神がいる。必ずしも倒すのに必要ということではないが、それでもそういった要素がなければ、簡単に倒すことなど叶わないだろう。ラジェルは唇を噛む。あそこにいるのは、多少衰えているとはいえ悪神そのものだ。本物、ないし本体ではないにしても、そのものだ。サーヴァントのような枠に収められたものではない。
故に、対抗策はない。彼らが振り撒く"死"は、聖人の祈りでどうにか出来るものではない。
「…レオナルド。マスターを帰還出来るようにしておいてください」
『…なんとかしておくよ』
「ラジェル!?どういうこと…!?」
「言ったでしょう、対抗策はない。わたくしは、マスターを死なせないようにすることで手一杯です」
膠着状態。蠢く魔力のかたまりたちは、ロイの指示を待っている。
対抗策はない。ドゥムヤでさえも、死の間際に手にいれた"世界の力"がなければ、あれらに打つ手はない。
対抗策はない。─ここに、サーヴァントなるものが存在して、いなければ。
王を心から愛していた。臣下としても、人間としても。だからこそ、王が日陰者であることが、許せなかった。幾度『好きでそうしている』と言われても。
私が王に反旗を翻した時。逆賊を討ち取ることで、王が民に認められればと考えた。けれど王はそれさえも、静かに静かに治めてしまった。
『僕がこんな風にしているのは、本当に、表に立つのが好きじゃないからなんだよ。そういうのは先王の方が好きだし得意だからそうさせてるんだ』
『それは君の願いなんだよ。…うん、君の願いを叶えてやれなくて、申し訳なく思う。こんなにも、心を砕いてくれているのに』
そんなことはないのです。貴方が立ち続けてくれるのであれば、私はそれでよかったのです。けれど私は、貴方に後悔があることを知っていた。貴方が初めて心奪われた少女を喪ったことを、後悔しているのを知っていたのです。あれから貴方が影に潜んだのだということを知っているのです。
私では貴方の唯一になれなかった。貴方は唯一を喪って、数多を愛するようになった。
あまりにも幼い頃だから、愛ですらなかったのかも知れない。けれど貴方の心に、一人の少女がいたことを、私だけは知っているのです。
§
ぎゅるる、と魔力が迸る。令呪によってロイ─に取り憑く何か─の、同胞の依り代にされたというアサシンだ。ロイは口角を吊り上げて、仲間の到着を待っている。
「アコーマン、サルワ。そして我ドゥルナス。三体もの悪魔をその身に宿せば、元々消えかかっていたミサ如きたち消える。そうすればようやく、一番邪魔だったお前を殺せる!速くしろサルワ、ああ──ガッ!?」
どこからか、風の一閃がロイの首を断った。異形も巻き込んで分断されたが、触手が伸びて再生している。
『─なにか、大きな、魔力反応が…これは一体…?』
「私がそんなものに呑まれるものか。とうに体は、よく分からないものに占拠されている」
悪魔に飲み込まれたはずのアサシンは、五体満足でそこに立っていた。髑髏の仮面とマスクを外し、その中性的な素顔を晒している。体から燐光のような魔力を放出させ、短剣を持った手をぐるりと回した。
その真名は、どこの誰というものではない。まだ正気を保っていたロイが喚んだサーヴァント。アサシンというクラスのために、その功績が似ていたために、暗殺教団ハサン・サッバーハの名を被せられた名も無き誰か。
この無名のハサンは奴隷だった。奴隷の子供に生まれた、生まれながらにしての奴隷。しかしてその運命を呪い、他者を贄にしてでも生き残り、這い上がり。奴隷という身分を許したその国の王を殺した。それからは世界を転々として、同じように国家転覆を狙う民に力を貸してきた義賊だった。
魔術などといったものとは程遠い生きざまだったが─とある時、深淵の獣が体に棲み着いた。それは無名のハサンの魔力を喰らうだけのよく分からないもの。生前は結局、特別何かの役に立つようなものでもなかった。
しかしそれこそ、この場において、悪を退ける力を持つひとつ目の対抗策。
サーヴァントと成ったことで、この地に喚ばれたことで。ハサンの内に宿ったものは、一時、この場に限り。"善なるもの"となっていた。
「令呪の拘束も切れた。これで好きに出来る」
「な…っ、その力は…!?くそ、くそ!」
ロイの体は再生することなく倒れた。そしてぼんやりと、黒い靄が何かを象る。ひとしきり悪態をついたあと、靄は異形へと溶ける─呆然と見守っているうちに、異形は脈動し。体を膨らませた。
「何故だ!貴様は王殺しだ!何故味方をする!」
「私は支配者というものを厭う。王であるかは関係ない。彼らの味方になった覚えも、貴様の奴隷になった覚えもない。しかし私を喚んだマスターは、一時主に据えるに相応しかった」
この地に召喚された際の記憶を思い出す。己の命を贄に、途絶えかけた意識の中奇跡を喚んだ、この国で誰よりも王を想っていた男。巣喰う者の指示で愚かな王を殺すサーヴァントを召喚するのではなく、悲しき王を救うための切り札に変えて。
「そこの白髪。当てようとするな、空間を攻撃しろ」
「…!」
アサシンは再度短剣を薙ぐ。カルナが何度もその攻撃を空振らせた異形を、みるみるうちに刻んでいく。理解はせずともそういうものらしいと納得する。異形ではなくその空間を切り裂いたカルナの槍は、今度は間違わず異形を分断した。
しかしそれ以上の膨張を阻止している程度に過ぎず。アサシンを依り代にしようとしたサルワは、アサシンがその身に敵対するものを宿していたからこそ消滅したのだろう。その"善"属性は、確かにあれら悪神に影響を与える。しかしそれだけ。決定打にはならない。現に異形はドゥルナスと名乗った悪を交え、再生を繰り返し、それでも徐々に形を変えている。
「王よ…王よ、我が王よ!我らの夢を!我らの悲願を!我らの永遠を!──叶えてください!」
融合を繰り返す中聞こえるしゃがれた声に、それまで沈黙していたドゥムヤがゆるりと立ち上がった。カルナがつけた傷は跡形もなくなり、背に戻った光輪が揺らめき回る。黒から紅に変貌した瞳は、静かに異形を見下ろした。そして天井を見上げ目を瞑る。
一瞬の閃光。背の光輪が収束し放たれた光線は、まっすぐ立香へと放たれた。
×
例えるならば、天使と悪魔が頭の両側に立って囁いている、というのが近い。
国を滅ぼせ、という己の声。
国を続けよ、という悪魔の声。
通常よりも耐性があるとは言っても、ドゥムヤの善性は、種類が違う二つの悪性に飲み込まれ、聖杯という器に逃げ道を塞がれ、すでに雀の涙となっていた。─前提として。何よりも民の幸福を願い、それを紡いでいくことは、自分が唯一望んだこと。己が逝った後にそれを繋ぐことはしてやれないから、自らが生きる短い間だけでも最大限の幸福を与え、自らの手で終わらせることを、選びはしたけれど。
ドゥムヤ・アンビシオンという王は聖杯に望みを抱かない。けれど─その夢を実現する具体的な方法があるのなら、すがっていたのも事実だろう。
ここに聖杯が在る。それは全く別の思惑でもたらされた望みの器。
望みのひとつは、王に幸あれ。
望みのひとつは、世界に死を。
望みのひとつは、この国の永遠。
器の中でぐるぐる巡り、やがて混ざり。
導き出してしまった答えは、ひとつ。
─"世界に死を撒き散らし、全てを我が国としよう"。
…混濁した意識は、塗り替えられた。
+
ラジェルは顔をしかめて吐血した。咄嗟に展開したらしい魔術障壁も、疲弊した彼女の魔力では防ぎきれず、胸元から鮮血を流している。カルナやアサシンは融合しながらも攻撃を差し向ける異形を相手にしており咄嗟の動きが出来ない中、立香に向けられた攻撃は、どうにかラジェルが立香を押し出しかわしたようだ。
「ぐ…。さすがに抱いて逃げる程の力はありませんでした…」
「ラジェル!大丈夫!?」
「数値的には瀕死ですが問題はありません。レオナルド、ドゥムヤ王の様子はどうです」
問われ、レオナルドは視界に入っている観測結果をどのように伝えたものかと一瞬躊躇った。…しかしラジェルの方は大方感付いてはいるのだろう、隠す意味はないかとウィンドウ越しのラジェルへ視線を戻した。
カルナと戦う前よりも、魔力数値が上昇している。それも現在進行形だ。何か宝具などの術を行使する予兆ということではなく、彼という存在の数値が、ただの人間、そしてサーヴァントさえも上回っていく。
『女神ロンゴミニアドと同じような状況だな。元々常人より一線を画していただろう存在値が膨れ上がっている。神性を得たどころか神そのものだなこれは』
『…っ皆さん!特異点全体の魔力数値も、何か異変が…!』
「おい、危ないぞ!」
今度はレーヴェが叫んだ。直ぐ様視線を直せば、ドゥムヤは何やら目を伏せてはいるものの、両手を広げて空を仰いでいる。どういう原理か宙に浮かび、背の刃はぐるぐると同じ軌道を巡る。
そして、衝撃。足が一瞬地面から浮く程の大きな振動。建物も揺れているが破損が見られず、全員が身構えた。
「これで、そのうち死に絶える。次は…そうだな、サーヴァントとかいう、邪魔ものを消してしまおう。お前たちは、元の仕事に向かえ」
「させると思うのか…!」
何度も刻まれた異形は、ドゥムヤの言葉にもぞりと動く。肉片になっては塊に戻り、それでもロイの死体を目指して移動を始めた。
「…部外者では足止めにもならない」
「…っ」
「いけません、カルナ…!」
異形を追うアサシンと、ドゥムヤに向かうカルナ。立香が肩を支えていたラジェルが制止の声をかけるも、カルナは再び大槍を振り上げる。しかし小さな刃に軌道を反らされ、ドゥムヤの手が静かにカルナの体に触れた。ぞわ、と悪寒を感じ直ぐ様距離を取るが、ドゥムヤは無表情のまま、また少し手を広げ光輪を巡らせた。
「カルナ!避けなさい!」
ラジェルが叫ぶ。言われるより先に地面を蹴るが、逃がさないとばかりにいくつもの光線がカルナを追った。しかし動けないラジェルやトルヴェールたちがいる空間では、そこまで自由に動くこともできず。ついにはカルナの胴体を撃ち抜いた。その事実に、彼というサーヴァントを知る立香が驚きに声を失う。
「何で、カルナは…!?」
「…アコーマン、サルワ、ドゥルナス。これはゾロアスター教の七大魔王と呼ばれる者たちの名です。それを総括する悪神の名─ダエーワ。これが別の神話に至った際の名は、インドラ」
カルナはその言葉を聞き取りなるほどと納得した。─つまり、"奪った"のだ。カルナから、黄金の鎧を。理解した途端体に痛みが走り、鮮血がこぼれだす。
「神話にて、インドラはカルナの誓いを利用し、本来引き剥がすことが出来ないその黄金の鎧を奪い去った。そちらの叙事詩では、代わりに必殺の槍を授けますが…あれは"悪"。カルナに感銘を受けるような心は持っていないでしょう」
「そんな…」
「問題はない。元々俺の手元に戻っていたものでもなし、体が動くなら鎧がなくとも立ち回れる」
槍を握り直し、再度駆ける。そしてまた、大きな衝撃が王宮を襲った。
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