☆intro


 むしゃむしゃ。ばりばり。もぐもぐ。
 それはとても美味しそうに、私のたからものを食べています。
 たからものたちは悲鳴をあげています。断末魔というものでしょうか。私に向かって何かを言っていましたが、何を言っていたかはわかりません。咀嚼音が大きくて、わかりませんでした。
 一緒に震えていた誰かが、はっと目を開いて、私をどんと押しました。驚いて振り向いたら、そこには誰もいませんでした。誰がいたのでしょう。本当に誰かいたのでしょうか。歪に私を見据えたそれが、私を押し倒しただけかもしれません。
 頭に声が響きます。
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
 頭に声が響きます。
 苦しい苦しい苦しい苦しい。
 耳に音が響きます。
 ぎゃあ。ぎゃあ。ぎゃあ。
 声は出ません。体は動きません。心はもう、どこかへ行ってしまいました。
 歪なそれが、大きな口をあけました。

※§※


 ハッと目を開く。同時に感じるのは重力と浮遊感だ。これは、まさか。ぐっと歯を噛み締める。
 叫び声を上げたいのを我慢して、思考を巡らせる。原因の解明など後だ。どうする─どうやって、この絶対絶命の状態を脱するか。
 右手の甲に令呪は─ある。ならば、ならば。

「誰でもいい!着地任せたーー!!」

 祈るように掲げて叫ぶ。右手の紋章が熱くなって、近付く地面を見ないようにぎゅっと目を閉じた。
 衝撃。しかしそれは固い地面にぶち当たったものではなく、出来る限り丁寧に抱き留められた感触。風や浮遊感を脱しておそるおそる目を開ければ、己を受け止めたサーヴァントと視線が絡み、にっかりと笑みを溢した。

「ようマスター。呼び声に応じて駆け付けたぞ。サーヴァント・アーチャー、立花宗茂、ここに参上だ…っとと、落ち着け、大丈夫だ、カルデアから来てる」

 泣き出しそうになって思わず抱きついたら、苦笑しながらも背中を優しく叩かれ、ゆっくりと降ろされた。

「にしても大変だな、マスターも。これで二度目か三度目かってくらいなんだろ?」
「カルデアから来てくれたってことは、マシュたちも把握してるの?」

 ここは、どういう訳か繋がってしまった夢の世界の向こうだ。カルデアにいる私は、きっと眠りに落ちていることだろう。

「マスターのバイタル?に異常が出て、マシュたちが駆け付けた頃にはあんたは眠っていて…もう何度目かだから皆対応も早くてな。俺はたまたま近くにいただけだが、寝てるマスターの令呪に魔力が流れたと思ったら、俺が強制召喚されていたってわけだ」
「じゃあ、下総とかよりは緩いのかな…?」
「…見た限り、俺がこの場所の何かと縁があって、それで応じれたってことだと思うが」

 そう言って宗茂が辺りを見回す。背景は如何にもな日本の田舎という感じで、下総を思わせる。しかし決定的に違うことがひとつ。

「しかしまぁこの落雷は…。あまり野外にいるもんじゃねえな。移動するぞ」

 そう、常に稲妻が空を走り、耳を割くような落雷の音が鳴り響いている。宗茂に連れられて移動する最中も、時々焼け焦げた木々や家屋を発見したほどだ。

「雷か…。………ん?」
「どうかしたの?」
「…………いや。あー、そうか、成る程な…」

 住んでいた人は落雷の届かないところへ避難したのか、打ち捨てられた家屋に失敬して一休みすると、武具のチェックをしていた宗茂が怪訝な声を上げた。

「なにか不具合でもあった?異常事態だし、出来るだけ把握しておきたい」
「んん…。いや、心配するようなことじゃないんだが…俺の宝具のひとつ、一番霊験あらたかな刀は知っているだろう?」
「雷切だっけ。雷様を切ったっていう」

 宗茂が頷く。

「アレが一番強い剣なんだが…今、出せない」
「…どうして?」
「俺の宝具は鞘に戻せば新品同様に戻るが、バビロニアの王様みたいに自動回収はされない。で、出せないってことはこの地の何処かにあるってことだ。と言っても、もしこの地が俺の生前だったとしても、それは関係なく俺の宝具としては使える」
「盗まれたってこと!?」

 気難しげに唸り、宗茂は頬を掻いた。

「俺の刀剣…しかもピンポイントに雷切だけ持ち出す奴は一人しかいない。俺が真に雷切を使いこなせるセイバーでの召喚…に、必ず割り込んで枠を奪う、御方の奴…俺の生前の妻、ァ千代だ」
「奥さん…が、何処かにいるってこと?」
「そう。この地が特異点だとして、この異常な落雷も特異点を作ってる奴が起こしてるのかもしれないな。そうするとカウンターに、雷を切ったあの刀を宝具として使える俺が召喚され─それを横取りしてあいつが現界した…。うん、有りうるな」

 やれやれとばかりに息をついた宗茂は、ひとまずとばかりに宝具の料理道具を広げ始めた。俵藤太と反対に食材はついてこないため、手を合わせて家屋に残っていた食材を失敬して料理を始める。その表情はどこか、疲れたサラリーマンのようであった。
 簡単な食事を平らげて落ち着いた後、カルデアとの通信を試みるも叶わなかった。他にサーヴァントが喚べないかとも思ったが、どうやら宗茂をここへ喚ぶのに令呪を三画とも使いきってしまったらしく、あまり無理も出来ない。

「この家にもいつ雷が落ちるかわからん。風景を見るに日本だが、さすがに地名がわからなきゃどこを目指すも出来ない。俺には魔力を辿るような力もない。さて、どうしたもんか」
「…ダヴィンチちゃんたちが、そのうち通信は繋げてくれると思う。それを待つとしても、何も行動しないのは…。とにかく人を探してみる?」
「まぁ、それが一番だな。雷切がない状況で落雷をかわさなきゃならんのも厄介だが、致し方ない。安心してくれ、マスターには傷をつけさせないよ」

 ありがとう、とひとつ礼を言って。
 雨は無く、空は雲に覆われているものの、轟く雷光が常に辺りを照らして明るい。
 何故また夢に巻き込まれたのか、この異常な落雷はなんなのか。…あの恐ろしい夢は、誰のものか。
 僅かな不安を抑え込んで、私は宗茂の後を追った。






 

 落雷の大人しい場所を縫うように、移動を続ける。この異常事態に住民はほとんど避難しているらしく、動物さえ見当たらない。あっても雷に打たれて亡くなっていた。

「いつの時代でも雷の直撃を受ければ死にはするだろうが。かといってここまで黒焦げになるか?これじゃ雷ってより炎に焼かれたといった方が正しいな」
「…雷と炎って紙一重だけどね」

 マスターはあっち向いてろ、と突然上衣を被せられたからどうしたのかと思えば、草むらに横たわっていた遺体を検分しているようだ。不思議に思って覗いてしまったために足先だけちらりと見えてしまったが、それだけでも人だったとは思えないほどの状態になっている。

「まぁな。カルデアに至って色々書物は読んだが、雷も炎も一緒くただ。…さてマスター」

 人っこ一人会わないために、倒れている人々からなにか情報を得られないかと思って検分したようだが、元の人相もわからない程では持ち物も跡形なく焼けてしまっているらしく、大したことはわからなかったという。

「わかりきったことではあるが、この落雷はただの異常気象じゃない。人間があそこまで丸焦げになるってことは、誰かの…特異点を作ってる奴の宝具とかだろうな」
「…。…とにかく、原住民でもサーヴァントでも、事情が分かる人を探そう」

 顔を上げる。─と、突然宗茂に抱き寄せられ、驚きながらも彼が向ける視線の先を見やった。そこには、雷を纏う犬のような生き物が、何かの肉を咥えながらこちらを見据えていた。

「マスター。静かに」
「…。倒せる…?」
「生前ならともかく、今はサーヴァントだからな。雷切は無くとも攻撃は通るだろう。…しかし、雷を纏う獣…近接で戦うのは不味い。俺はともかく、マスターが危ない」

 宗茂はその魔物と視線を合わせたまま、ゆっくりと後退する。背後に同じものがいないかと確認するよう言われ、そっと脇から顔を出す─

「…だめだ、宗茂。背後にもいつのまにか…囲まれてる」
「ちぃ…」

 …こういう時、己の無力を感じてしまう。マスターとサーヴァントという関係上、サーヴァントが私を守ることは大前提だ。しかし通常とは違い、私が魔術師として未熟なせいで、出来る限り近くにいなくてはならない。私がいなければ、サーヴァントは─宗茂は難なくこの場を切り抜けられるだろうに。
 空からは落雷、周りには雷獣。…逃げ場がない。

「数の甘いところを一点突破して、距離を取るしかないな。マスター、走れるか?」
「大丈夫!」
「よし。じゃああっちだ。俺が合図をしたら走れ」

 強く頷く。宗茂は矢を番え、狙いを定めた。
 射出された矢が雷獣を撃ち抜く。すると纏っていた雷が放電し、周りの雷獣へと吸収されるように散った。「やっぱりな」と苦々しい声が聞こえる。しかしその場の雷獣が消え去り放電も収まったところで、宗茂の合図と共に走り出した。
 雷を纏う相手に金属である刀は使えない。故に普段使わない弓矢で攻撃している宗茂だが、弓は両手でなくては扱えないため、私を抱き上げて走ることが出来なかった。
 何メートルも先の雷獣を射って同じ事を繰り返しながら、どうにか雷獣の群れを切り抜ける。しばらく走って距離を取って、魔術礼装の強化を行いながら、宗茂の矢が幾多の雷獣を撃ち抜いていく。

「ずいぶんでかくなったな…!」
「宗茂、宝具を!"瞬間強化"─ッ」

 撃ち抜かれては放電し、周りの雷獣に吸収される─それを繰り返していれば、最後の一匹が巨大な魔物と化すのも当然だ。咆哮する巨大な雷獣を前に、私の声を待ってましたとばかりに宗茂は弦を強く引き絞った。

「一矢に示す。我が武勇、我が立花の名を。ここに無双の人刺し、一太刀を魅せん!─西国無双、鎮西一!」

 雷獣の断末魔を背に、先ほどまでの雷獣たちとは比べ物にならないほどの放電と、稲妻が空気を割く音が響く。眩しさに目を閉じ、宗茂に庇われながら収まるのを待った。しばらくすれば閃光も立ち消え、ひとまず危機を脱することが出来たようだ。

「とにかくなんとかなってよかった。あれは一体…?」
「恐らくは、この落雷によって魔力が飽和して、あんな形を取ったってところだろう。厄介な相手だ、増々雷切がないのが悔やまれる」
「…この地の何処かにァ千代さんがいるんだよね?だったらァ千代さんを…雷切を探そう」
「ああ。つっても…どこをどう探したもんか」

 弓を仕舞いながら肩を竦める。

「…ならまずは安全な拠点を探そう。龍脈だとかいう奴か、雷を避けられる建物。魔力が豊富にあれば、頑張れば城を出せるだろう。日本だしな」
「全部あるんだっけ。規格外だな…。わかった」

 頷いて、文字どおり拠点を探すために移動を始めた。雷獣とも相対しながらしばらく散策し、危険ではあるが森─基山の中、洞窟の方が安全かとそちらへ向いた時、突如として宗茂が刀を抜き、何かを叩き落とした。

「…短剣…?」
「何者か。我が主に刃を向けるならば、相応の覚悟はあろうな!」
「わぁあ、ちょっと試しただけで敵意はないよぉ!武器を降ろして!」

 少女の声だ。宗茂はちらりと私に視線をやり指示を仰ぐ。頷けば、宗茂はため息と共に刀を鞘に納めた。

「…言っておくが、納刀しててもおかしな行動をすれば直ぐ様首を落とす。覚悟して出てこいよ」
「ええ、おっかな…日本人て皆こうなの…?」

 恐々としながらに呆れる声と共に、何もなかったはずの空間が揺らぎ一人の少女が現れる。白を基調にした体のラインが出る衣服に、王冠を模した先のついた大きな杖を持っている。少女はピースを作ってウインクすると、口上を述べた。

「ボクこそは、シャルルマーニュ伝説に名高い世界有数の魔術師であり騎士!とっても可愛いモージちゃんだよ☆」
「………モージ……」
「……ちゃん…?」

 困惑と拒絶を抑えながら、聞いた真名に記憶を探る。その名に聞き覚えはあった。シャルルマーニュ伝説の─

「…あ、リナルドの親戚…の…。………あれ?男って聞いたけどな」
「えっウソ〜!リナルドを知ってるの?なんだ、じゃあ君を疑う必要ないね!」

 さっきは突然攻撃してごめんね!と少女然とした仕草で謝罪されるが、次第に首を傾げていく。
魔術師モージといえば、シャルルマーニュ伝説において、聖騎士リナルドを何度も導いた魔術師だ。円卓物語で言うならばマーリンと同じような立ち位置で、妖精に育てられたという。リナルドやアストルフォから、その存在について話は聞いている。常に厄介事を持ち込み、平気で身内を見捨て、ひょっこり戻ってくる男─だと。

「リナルドがボクの話をしてくれてるんだ!嬉しいな〜」
「リナルドっていうよりアストルフォからだけど…」
「…信用していいのか?」
「敵意はないったら!今の攻撃を叩き落とすようなサーヴァントに、近接でボクが勝てるはずないもの。それに君たちにもいい話でしょ?少しはこの場所について、分かることもあるよ」

 ウインクしながら腰をくねらせ媚びるような視線を向けるモージに、宗茂は視線をそらし息をついた。彼がこの特異点について分からぬことが多くとも、高名な魔術師だからこそ判明することもあるだろう。宗茂が鯉口を鳴らそうとするのをなだめながら、モージの案に乗った。








 

 息が、出来ない。呼吸をして、胸の中に入るのはたくさんの水。けれど心臓が止まることはありませんでした。どくどくと脈打つ度に、その音が大きくなっているような気さえします。
 水面の向こう、大空には、幾多の雷が落ちています。それはきっと、私を殺すための槍。大きな海に雷は溶けて、私のもとには届きませんが、何故か、あれらが私を殺そうとしているものだということは、よくわかりました。
 雷。つまりはきっと、神の御意志。神によって、私は殺されようとしているのです。何故でしょう。私はそんなにも、悪いことをしたのでしょうか。

「これが貴女に捧げられたお役目です。十分に果たしなさい」

 真っ白い女性がうっそりと微笑みました。この人は、きっと私の知っている人です。初めて会った人だけれど、直感するように理解しました。この方は、いつか何処かで出会うはずの、私の二つ目の転機だと。この人についていけば、きっと私は正しい使命を得て、この命の意味を知れるのだと。
 …ああ、であれば。何かのために、私の命が消費されるのも当然でした。
 ですから。私がこの苦しみから逃れたい、などと思うのは。何よりも、烏滸がましいことなのです。

§


「…大丈夫か?」
「……う、ん」

 モージに連れられて向かった先で、私は話をするよりも先に寝入ってしまった。落雷の音が聞こえなくなって極度の緊張が解けたのだろう、と宗茂は笑う。
 ここは何処にでもある田舎家屋の中だ。魔術師であるモージが結界を張った場所であるから、落雷も気にしなくていい、という言葉に安心してしまったらしい。

「しかし、本当にこの陣地は大丈夫なのか?確かに落雷の音があからさまに聞こえなくなったが、あの雷は…」
「むー。ボクの腕を疑うのぉ?でも大丈夫!この結界は、外とは少し違う場所なんだ。ボクと一緒に出入りしないといけないけれど、何処よりも安全だよ」

 にこにこと笑うモージにくすりと笑みをこぼした。

「じゃ、情報共有しようか。君たちがわかっていることは?」
「ほとんどない。あの雷が誰かの宝具で、とても高圧だとか、魔力を帯びてて放っておくと魔物が出現するとか」
「ふむ。ならまず答えるのはアレだな。…この落雷、これはまさしく『天雷』─…神の雷だ」

 上方を指差し唱えた言葉に眉根を寄せる。

「何を目的としているのかは、正確には分からない。ただの異常気象で起こる雷より、とても強い魔力が込められている。…そして頻度は、前はもっと多かった。ボクが特殊な結界を張れる魔術師じゃなかったら、とっくに座に戻っていただろう程度には」
「モージが現界したときは、もっと…。じゃあ、次第に落ち着くのかな…」
「鳴り止むことはないだろう。これで最大限抑えて言いる方なんだ」

 やれやれ、と肩を竦めるモージに、どういうことかと首を傾げた。

「先に言っておくと、ボクにここまでの雷を操ったような逸話はない。頑張ればそれくらい出来る使い魔を喚べるかもしれないけど、それはそれ。今回は関与していない。けれど─…
 何故か、この天雷の操作権限が、ボクにあるんだ」
「……はい?」
「で、その操作権限を最大限活用した結果が今の空。
操作出来ると言っても、強弱とか、ある程度の範囲とか、そのくらいしか弄れなかった。どうやっても、雷を止めることは出来なかった」
「…お前に雷操る逸話はないんだろう?何故お前にその権限があるのか、理由は分からないのか?」

 モージは首を振る。

「ボクが高名な魔術師だからなのか、たまたま偶然なのか、それともまた別の由縁があるのか…それはさっぱり分からない。この天雷が誰の持ち物なのかも、なーんにもわかんないんだぁ」
「…ま、まぁでも、こうして安全な拠点に来れたことだし、モージとの出会いはプラスだよ。雷を弱めてくれてありがとう」
「んふふ。成る程、リナルドがボクのことを話すわけだぁ」
「他に分かることはないのか?」

 あまりモージのテンションが得意でないのか、宗茂は控えめに問うた。

「んー。これはボクの類い稀なる女の勘なんだけど」
「女…?」
「この天雷は、何かを…誰かを探している。ってことくらいかな」

 モージの言葉に考え込む。
 誰かを探している。それは果たして友人なのか、敵なのか─

「…まぁ、分かっても行動に移せることはないな。じゃあ、雷切…刀を持った日本人の女は見なかったか?」
「刀かどうかはわからないけど、女の日本人剣士なら見たよ」

 その返答に飛び付いて、詳しく聞くと。楽しそうに雷獣と戦って、残る住民の避難を手伝っていた女剣士がいたという。魔術を知らない住民たちの手前姿を現すこともできず、様子を見つつ見送ったそうだ。

「なら、その人を追おう。ァ千代さんかはわからないけど、サーヴァントだろうし」
「そうだな。モージ、お前も来るか?」
「勿論行く行く〜!」

 きゃっきゃと手を挙げるモージに辟易とした表情を隠しつつ。再び彼の後に続いて、あの落雷轟く空の下へと繰り出した。








 

 モージが女剣士と遭遇した場所まで赴き、そこからしばらく辺りを探索したものの、件の人物は見当たらなかった。途中何度か雷獣と出会すものの、モージの後援もあり難なく切り抜けていた。

「…そういえば、ずっと気になってたんだけど、モージは結局女の子なの?男…?」
「ボク?ボクは身も心も男だよ☆」
「じゃあその格好はアストルフォと同じで可愛いから…?」
「ああ、これはね」

 モージは一瞬躊躇ったあと、にこりと笑ってピースをを作り、口上を述べたときのようなポーズをとった。

「パっと見で合法的にリナルドにセクハラするためかな」
「…合法…的…?」
「そもそもリナルドが、あんまりそういう性癖に理解がないっていうかぁ。持ってること自体は否定しないけど、シャルルマーニュの騎士がそういうのをオープンにしてるのを嫌がるっていうか。
 だからボクの心は女の子だよってことにしてれば、リナルドはボクがセクハラをしても怒らないんだよ。あ、リナルドには内緒だからねっ」

 てへっ、とでも聞こえそうな雰囲気でウインクするモージに、宗茂は頭を抱えている。内緒と言われても、これを聞いたらリナルドは混乱のあまり卒倒するのではないだろうか。そっと胸のうちに仕舞っておくことにした。

「…ところで、場所が高いと落雷を受ける危険性が高いから避けていたが、山も登ってみるか。広いとはいえ限られた範囲の特異点を回って見つからないとなれば、疲れてどこぞで休んでいるかもしれん」
「そ、それもそうだね。モージの天雷操作で、ある程度楽になれるかもしれないし」
「おっけー!」

 微妙な味になった空気を誤魔化すように提案され迎合するように頷けば、宗茂を先頭に足の行き先を変えた。一番近くにあった山へ向かって歩き出す。
 移動だけで日は変わっており、この特異点に投げ出されて既に数日経っていた。もぬけの殻になった住居にモージが結界を張り、余った食材を失敬して宗茂が食事を作ってくれるので、体調は万全だ。早く、カルデアとの通信が回復しないものか。

×


 日ノ本、九州筑後立花山城城督。それが若干七歳にして、立花ァ千代に与えられた役職だった。
 しかしその役目にあったのは僅か六年。男子に恵まれなかった父は、高橋という友人の家から、それは優秀な男子を養嗣子として迎えた。
 いくら優秀だとて、己をただの女と侮るならば、いつでもその座を奪い返してやろうと思っていた。けれど父が見初めた男が、そのような狭量であるはずもなく。ァ千代の実力を見計った上で、男女であることは関係なく城の守りに就かせた。
 己の得手不得手など当然理解している。だからこそ、腹が立った。さりとてひとつしかない命を、そんな苛立ちのために使うつもりは毛頭なかった。
 だがもし、第二の生があるならば。
 その時は必ずや、彼の男にように、先陣切って戦うのだと、決めていた。
 父から譲り受けた雷切だけは、ァ千代が勝手に持ち出してもなにも言わなかった。だからこの刀の真の力を必要とされた時、私は召喚に応じる。

§


 雷鳴轟く田園地。誇り高き雷切で、絶え間なく落ちる雷を斬っては、逃げ惑う民を導いた。ァ千代だと名は明かせずとも、察する者は多くいた。異常事態に神が遣わしたのだろうと、小さく拝んでいく民に笑みを向け、踵を返す。
 目指すは天辺、一番高い山。白い女から聞いた話では、あそこにこの落雷の原因があるのだとか。
 そうしてたどり着いた山の上には、覚えの無い石像があった。鎚だろうか。それにしてはずいぶん歪だが。これを斬ればいいのか、と刀を構える。
 ─しかしそれは、結局斬れなかった。何度打ち付けても弾かれ、そもそも届いてすらいない。
 やめろ、と。頭のうちに声が響く。辺りを見渡すも誰もいない。

「それは破壊出来ません。破壊してはいけません。今この地に眠る者を討ち滅ぼすために必要なものだ」
「何者か!」
「我が名は■■■。この天雷の管理者です。去りなさい、人間」
「管理者と?ならば問う!何故関係のない民草がその天雷にて命を奪われている!」

 声は黙り込む。

「…我は管理者ではありますが、所有者でない。神の雷、完全なる掌握は出来ない」
「ならば去れ!所有者を連れて来てみろ!神とは救いを成す者だ、徒に人の命を奪うならば、この地に不要なり!」

 自らの脳天へ落ちる雷を、力のままに斬り割いた。
 すると。目の前にあった鎚の石像も同時にヒビが入り、二つに割れた。どういうことか、と思っているうちに─溢れんばかりの雷霆が、私の身を焼き滅ぼした。

×


 山を登っては探索していると、ついに。ついに、怪しげなものを発見した。それは普通の目では見えない、モージの視界を借りてようやくおぼろげに分かるものだ。
 二つに割れた何かのオブジェ。雷を纏っており、触れるのはあからさまに危険だと分かる。

「何これ?」
「岩…?」
「石像…?」

 触れないよう気を使いながら、モージと宗茂がそれを観察する。そしてモージはあっと驚いたように声を挙げた。

「ここ霊山だったりするのかな。龍脈のなんて言うか、吹き溜まり?その魔力を吸い上げてる。莫大な大地の魔力が、高圧な天雷になってるんだね」
「操作は出来ない?」
「無理だね!ボクが権限を持たされてても弄れない理由が分かったよ。発生装置であるこれがぶっ壊れてるんだ。ただ魔力を吸って天雷を起こす機能だけが作動してる状態だもん!」

 再び手詰まりだ。そんな脇で、宗茂が割れた石像をじっくりと注視していた。次第に首を傾げたと思えば、辺りに視線を向ける。

「どうしたの?」
「この割れ方は自然に割れた切れ口じゃない。誰かが故意に割ったんだ。それで天雷が無くなると思ったのか、暴走させるためかはわからんが。モージ、近くに人…サーヴァントの気配はないか?」
「ん、ん〜〜…ん〜?…あ!あるよ!」

言われて、モージがピースした指を目元へやりぐるりと見回すと、一点を指した。

「何もないよ?」
「少し"こちら"側─いや、サーヴァントだし霊体化してるのかな。ぼろぼろだけど、ボクが見た女剣士だ」
「連れてこれるか?」
「意識ないみたいだし、引っ張り出してくるよ」

 姿を消したモージは、少しして和服の武将然とした女性を肩に担いで現れた。それを見た宗茂がまた頭を抱えてため息を溢す。モージから女性を受け取って背負うと、苦々しい表情でこちらを向いた。

「ァ千代だ。…すまんが拠点に戻ろう。モージ、治療は出来るか?」
「技術は持ってるけど。その状態をどうにか出来るかは見てみないとわかんないよ?」

 それでいい、と宗茂は疲労のため息を溢れさせた。








 


 どくり。どくり。どくり。
 心臓の音がうるさいのです。
 身を包むねっとりとした水は、少し少なくなっていて。ちょっとだけ、空が近くなりました。

§


「えー、結論から言うと。なんでまだ現界出来てるのかわかんないくらいぼろぼろ。霊核も破壊こそしてないがヒビが入ってる感じ。これで崩れないのが不思議」
「治療は出来るの?」
「うーん。保護することくらいなら出来ると思うけど」
「…ひとまず話を聞きたい。今後戦わせる必要もないから、喋れるようにはならないか」

 困ったように髪を指に巻きながら、モージはなにやら魔術を行使する。

「あっちでしばらく休んでいるからね。意識くらいは、なんとか出来そうかな。そのためにはまず、マスターちゃんと契約するのが一番だけど」
「…。大丈夫かな?」

 宗茂を呼び出すのに使用した令呪は、カルデアと連絡は取れないながらも復活している。しかし勝手に契約をして、当人は怒らないだろうか。そう思い身内である宗茂に視線やれば、「まぁ…大丈夫だろう」と曖昧に返された。もし憤慨するようなら、己が説き伏せるから案ずるな、とも付け足して。
 ならばと右手を構える。なんとか覚えた再契約の詠唱を呟いて、まだ返事が出来ないァ千代の代わりにモージが仲介して。
 微弱な魔力の糸が、眠るァ千代と確かに繋がった感覚を得ると、ほっと力を抜いた。
 ─と。緩やかで一定だったァ千代の呼吸が乱れる。どきどきと経過を見ていれば、やがてゆっくりと、ァ千代が目を覚ました。

「…ここは…、…っ宗茂!何故貴様がここに!」
「かくかくしかじかだ」
「誤魔化すな!」
「俺よりもお前がここにいることの方が可笑しいだろう」

 放っておけば口喧嘩になりそうな気配を察知して、慌てて話に割り込む。カルデアのこと、特異点のこと、落雷のこと、負傷していたァ千代を助けるため契約した事などをかいつまみながら丁寧に説明すれば、ァ千代は渋々ながらも納得してくれたようで、しかし腕を組み宗茂からはそっぽを向いた。

「事情は理解した。私を移動させたということは…、あの山の石像を見たのだな?」
「うん。二つに割れてて、何を象ったものかはよくわからなかったけど。モージが言うには、それがこの落雷の発生装置だって」
「ふむ。…アレが何の石像なのか、は私にもわからん。謂れのあるものかも詳しくない。金槌のようだとは思ったが」

 金槌、という単語に反応を示したのはモージだ。何か分かったのかと問うも、モージは慌てて首を振った。
 それからァ千代がこの特異点に召喚されてからのあらましを聞いた。民の避難を優先し、その後─

「白い女に、あの山にこの落雷を起こしている悪いものがある、と聞いてな。あらかたの避難が済んだので、説明された通り山に向かい、問題の物と思われるアレを…、結果的にだが、破壊した」

 しかし石像の含んでいた雷が放出され、それによって負傷した。それでも落雷は収まっておらず、むしろ現在暴走状態に近いと知り、ァ千代は悔しげに俯いた。

「………」
「…む。なんだ、宗茂。言いたいことがあるなら言え」
「別に。お前怒るからな」
「言え!」
「はぁ。…情報の整合性も考えず、よかれとした結果が逆効果。直せよ、そういうとこ」

 呆れ顔で告げられ、ァ千代はぶわりと怒りを露にした。それが正論であるからかすぐに収まったものの、どこか気まずい空気が流れている。苦笑で誤魔化しながら、話の続きを促した。

「…そういえば、落雷は神のもので…聞こえた声の主は管理者であって所持者でなく、故に掌握出来ぬと言っていた。あとはそうだ、この地に眠る者を討ち滅ぼすため云々と、訳の分からんことを言っていた」
「この地に眠る…なんだろう…?」
「特異点を作った奴がなんかやべえものを召喚したんじゃないか?雷の方が後から来たんなら」

 うーん、と皆で頭を抱える。モージだけは何かを察したのか若干居心地悪そうにしていたが、考えに集中していて気付かなかった。

「その白い女の人っていうのはどういう人?サーヴァントかな」
「いや、…………いや、サーヴァントでは…ないはずだ。普通の人間とも違う気がしたが、魔術師だからだろう」

 白い髪に白い瞳、黒いドレスのような洋服。微笑みを絶やさず、憂いを帯びた顔付き。胸には十字架を下げていた。
 聞いても誰も心当たりはなく、さらに首を捻るだけとなった。

「なら次は、その白い女の人を探そう。一番何か知ってそうだし」
「そう…だな。………ふむ」
「どうかした?」
「…いや。ひとまず白い女を探すのには賛成だ。だが警戒は怠るなよ、マスター」

 頷き返すと、宗茂は右側に置いていた刀を左手に持って立ち上がる。続いて私やモージ、そしてァ千代が立ち上がると、宗茂はァ千代に厳しい視線を向けた。

「お前はまだ休んでいろ」
「なっ、何故!私はもう大丈夫だ!」
「かろうじて立っていられるだけだ。マスターも俺も、手負いのお前を庇えるほど余裕はない」
「庇われる必要はないと言っているんだ」
「必要はないと言ってもお前が一番弱っているのは事実だ。そうである以上、皆がお前を気にする。分かるだろう」

 ァ千代はぐっと言葉に詰まって、私を見やる。

「ま…まぁまぁ。かといってここに一人で残るのも微妙だし、宗茂とモージが前衛、ァ千代さんは私の護衛ってことで」
「…マスターがそう言うなら。ァ千代、命令は守れよ」
「むっ…。致し方ない、従おう」

 不承不承ながらァ千代も納得したようで、不機嫌そうに立ち上がった。
 普段見る朗らかな宗茂の性格にしては、どうにもァ千代への態度に厳しさを感じる。ァ千代もどこか居心地悪そうにしており、空気の気まずさが苦い。珍しいこともあるものだ。身内だから厳しいのか、他に理由があるのか。新しい一面を知ったような、知らなくて良かったような複雑な気持ちになりながら、一行は再び外へと赴いた。








 


 は?と誰とも知れない低い声が轟いた。振り向けば、モージがあんぐりと口を開けている。猫かなにかを被ったような浮かれた態度は消え、どこか顔色は青い。どうしたの、と声をかければ、ぼそぼそと何か独り言をしていて、こちらに返答はない。うそだろ、んでそんなもんが─などと、見知った口調とは程遠い。

「どうかした…?」
「した…んだけど……いや。まださすがにおおっぴらにするにはあやふやな情報だな」
「…情報?何か分かることあったかな」
「ああ、ボクははね」

 シャルルマーニュ伝説に語られる魔術師・モージは、オリアンドという妖精に育てられた。その際にか生まれつきか、彼は妖精と話をする術─境界を跨いで人ならざるモノを認識する妖精眼を有しているという。雷鳴の届かない安全な結界も、正しくは境界の向こうと重ね合わせているのだとか─閑話休題。
 モージはそうして妖精らと交信し、広い範囲・視点の情報収集を行っていた。故に、この落雷ばかりの特異点では気付けない事も、先ほどから度々目を向けている。…そんな中でもたらされた情報に、モージは口をつぐんだ。

「何か不測の事態だというなら、むしろ俺たちも早々に把握しておきたい。カルデアとも通信出来ない今、お前の感覚が一番のセンサーだ」
「…んん、それは分かるけどぉ…。だってあまりにも途方もないよ?知ったところでどうしようもないもん」
「…モージの判断に任せるよ。宗茂に話して、その上で私やァ千代さんにも言うか決めるのでもいい」

 そんな意見にモージは困った顔で眉を下げた。

「もうちょっと情報を検めさせて。妖精たちの言葉はなんていうかポエミーで、ボクの勘違いかもしれない」
「わかった。よろしく、モージ」
「任されたよ」

 やれやれとばかりに笑い、モージはすぐに視線を逸らす。瞳の色が変わっているので、何か調査をしているのだろう。
 一方宗茂は、モージから視線を外し空を見上げる。

「そういえば、何かあったかと言えば。ここ数日休み休み特異点を索敵しているが、結局見つかったのはァ千代とあの石像だけだったな」
「確かにそうだね。落雷にも変化は見られないし…」
「落雷…いや、落雷はずいぶん弱まっているな?」

 首を傾げたァ千代に、モージが何故か落雷の操作権限を持っていること、そして権限を得て極力範囲威力を抑えているのだと説明すれば、なるほどと頷いた。

「…いや。言われてみれば、俺たちがここへ来てからも縮小しているかもしれん」
「どういうこと?」
「石像を発見した山を中心に落雷が広がっているのかと思ったが、あれから数日経って…、あっちの方だな、あの田園に落雷が起きてない」

 遠く指し示された方へ視線を向ける。アーチャー故かサーヴァントだからそれが確認出来ているのか、立香にはまるで見えないが、宗茂は手を下ろして考察を続けた。

「俺たちはあの田園の向こうの、家があるところにレイシフトしたんだ。もう黒焦げになってるが、それでも今はあそこに落雷が起きている様子はない。
 モージはこの天雷が何かを探しているって言ってただろう。移動か範囲の縮小かは俯瞰して見れないから何とも言えんが」
「操作権限のあるモージについて回っているのではないのか?」
「その可能性もある。だが俺とマスターがモージと出会う前から、あの辺りには落雷があったことを考えるとな」

 頭を悩ませる。答えが分かるのはモージ次第だ。

「…全然関係ないんだけどさ、モージ」
「んー?なぁにー?」
「マシュに教えてもらったんだけど…シャルルマーニュ伝説にはイタリア版とフランス版があるんだよね」
「ああ、そうだね。イタリア版とフランス版というか、ボクたちにとっては伝説か史実かの違いみたいなものだけど
「で、リナルドはイタリア読みでフランス語だとルノーなんだよね」
「そうだね」
「確かモージってフランス読みだよね?イタリア読みだとマラジジだっけ」
「そうだけど…意味が同じならさほど真名の違いに意味はないよ?…いや、なくもないけど、日本語のカタカナは実際の発音ともまた違うし」
「……そ、っか。何か意味があるのかなって」
「マラジジよりモージの方が可愛いからそっち名乗ってるだけで」
「でも魔術師にとって名前って重要なものなんじゃないの?」

 問うと、モージはきょとんと目を丸くした。

「そりゃ魔術師に限らず名前は重要だよ、根源のラベルだからね。でもボクは神秘の存在たる妖精に育てられた至高の魔術師モージちゃんだよ?君の思うような使い方をするためなら、人間の発する音での名前になんの意味も価値もないのさ、ボクにとってはね」
「ええ…?」
「モージもマラジジも人間の言語。真に意味の込められたボクの名は、人間には発音出来ないのさ」

 ウインクと共に微笑まれ、未熟な知識を恥じつつ納得した。
─と、その時。

「…?今、何か音がしなかったか?」
「え?」
「割れるような─」

 ァ千代が遠くへ視線を向ける。
 何もない、そう返答しようとして─

「あ。…やば…」
「モージ、なにか」

 一言の呟きと同時に、空がひび割れた。
 つんざくような雷の音。眼も眩む閃光に、地響きと揺れ。雷鳴が収まったかと思えば、ごうごうと何かが轟いた。私も宗茂もァ千代も、何が起こったのかわからないまま音のする方へ視線を向けるが、状況を理解できるようなことはなかった。
 ただそこに。稲妻が切り裂いた空から、バケツをひっくり返したような雨が─否。
 まさしく海のような水が、溢れだしていた。








 

 鉄鎚がガラスを割るように空間を叩いている。
 がん。がん。がん。
 ぴしりとヒビが入って。
 稲妻が、私を襲う。

§


 やば。という情けないモージの声なんて気にかけている余裕はなかった。遠くの方ではあるけれど、それでも確実に。ヒビ割れた空からあふれでた大水は、私たちに迫って来ていた。
 思考が目まぐるしく回っているのはきっと走馬灯に近い。ただ漠然と、あの大水は"海"だと理解しただけ。
 全員が息を飲む。現状、あの容量の大水から我々を守れる術を持つものはいないだろう。それほどの逸話の有無も、カルデアからのバックアップがないということからしても。

「む…宗茂、何か宝具で…」
「─無理だな」

 空を凝視しながら、宗茂は苦々しく答えた。私とァ千代を背にやりながら、それでも出来ることはなく手をこまねいている。

「そうだねぇ。あれは神代の洪水だ。人類必滅のものではなくとも、方舟でもないと全員死ぬよ」
「そんな…っ」
「…。……仕方ないかぁ。リナルドのマスターだもんね」
「モージ、どうにか出来…モージ?」

 呟かれた声に視線を向けた先には、知らない男がいた。しかしその服装はどこか見覚えがあって、戸惑いと混乱の目で彼を見やった。

「今回だけだよ?こんな早さで本当の姿をひけらかすの。リナルドに言ったら怒るからね?」
 
 何度も念を押しつつ、モージは腰に携えていた分厚い書物を手に取り開いた。左手に持つ杖の上部にはいつの間にか数本の剣が飾られて、随分ものものしい。
 ぺらぺらと頁が捲られ、モージは聞き取れない言語で何かを口にしている。
 ─そうしている間にも、あの大海はこちらに迫りつつある。宗茂は冷静な表情で、手元は何やらしつつもこの場はモージに託すつもりのようだった。

「─レースィル。クレィプ…アシュタ、スプリット─
 ─さあおいでませ、境界の向こうに住まう者。そのカタチで我が前へ。来たれ、古今遣えし神々よ─!」

 知覚出来るほどの強い魔力が迸り、モージを取り巻くように駆け巡る。
 ─そして。杖の上部、剣の先が煌めき、光が円となって上空に浮かび上がる。見たこともない四芒星と波の魔方陣の、そのまた上に重なるように神々しい対の翼がはためき、肌に痛みを生じる程の濃い魔力が辺りを蹂躙した。

「スプリット、シャムス、ノウブル─ファンタズム。─『 古今遣えし神々の書 フィニス・デウス・アルス・マグナ・アルカヌム 』─!」

 魔方陣から生まれた翼が折り重なり、杖先はまるで巨大な剣となっていた。
 モージはそれを、詠唱の最後と共に振り下ろす。ついに眼前まで迫っていた大海は─その巨刃によって、見事に両断されていた。無形であり斬ったところで本来ならば再び大地を覆っていたであろう水は、しかし広がりを見せた先から蒸発し、大地も抉れていた。
 バキン、と何かが砕ける音がして、呆然と大地を見ていた頭を反らす。モージの杖先の剣が、文字通り砕けて散っていった。

「…よし。さてこれで─」
「動くな」

 ありがとう、とモージに礼を言おうと足を向けると、宗茂がそれを片手で制止し、モージを睨み付けた。

「モージ、ここで確認しておきたい。お前は俺たちの─いや、我が主の味方か?」
「─……。どういう意味かな?警戒されてるなとは思ってたけど。今の危機的状況を助けたことで信じてほしかったんだけどぉ」
「それについては心の底から感謝してるさ。俺たちだけでは、何とかマスターの命だけ助けられたかどうかで、確実にその先がなかった。だがそれはそれ、これはこれだ」

 殺気はない。だがそれは冷徹に抑えられただけのもので、そのままでも確実に、宗茂はモージの首を狙えるだろう緊迫した空気だった。

「宗茂、確かにモージはちょっとこう…軽薄な感じだけど、そんな」
「マスター。言っておくが、俺はこれでも趣味に生きた方の人間でな。趣味嗜好や見目で人となりを判断したりはしない。ただ言動や視線、行動で判断するんだ。
…何が言いたいのか、というとだ。お前、この特異点で何が起きているか。天雷や今の洪水の正体やら。もっと知ってることがあるだろう?このまま俺たちの元から去ろうなんて、そうはさせんぞ」

 宗茂の言葉にモージは目を丸くして、大きく脱力した。しゅるしゅると魔力を編み身に纏わせ、最初に見た少女のような姿に戻ると、両手を上げて降参を示した。

「わかったよ。さっきの剣も連発出来るもんじゃないし、今のボクじゃ君らから逃げられない。ただ移動しながらでいいかな?出来れば急ぎたい。─これはこの特異点を解消するためだ」
「…わかった」

 頷けば、あのひび割れた空へと向かって移動を始める。気付けば、天雷は鳴り止んでいた。

§


「あの割れた空。本来ならボクが持つ妖精眼のようなものがなければ知覚できない境界の向こうだ。
 天雷が探していたものは向こうにあったわけだね。ようやく特定して、その神秘の雷で境界を叩き割りこちらへ引き釣りだした。あとはボクたちに任せるぞってことだ」

 幾分、割れた空が近付いている。

「で、何を探していたのか。天雷の主は誰か。それは─」
『神秘を帯びた天の雷。モージという名に、迫る大海。偶然か必然か、それだけあれば連想は可能だよ』

 そこに、数日聞いていなかった声が届いた。

『ハロー立香ちゃん、宗茂。無事で何よりだ。大海が溢れた…、境界が割れたからかな、そこでようやく通信が繋がった。慌てて調整して、こうしていつもの通信画面を用意出来て嬉しい限りのダヴィンチちゃんさ』
「な、なんだ…!?これが言っていたかるであの者か…!」
『おっと、挨拶したいが先に謎解きだね』

 安堵と歓喜を堪えながら。通信の向こうの聞き慣れたマシュたちの声を耳にしながら、ダヴィンチの言葉の続きを待った。

『北欧神話にモージという名の神がいる。兄弟にマグニ。彼らはかの有名な雷神トールの息子だ。ラグナロクを生き延び、トールの持っていた鉄鎚ミョルニルを兄弟二人で管理したという。
 ミョルニルは知っているかな?英語名でトールハンマー。柄がとても短い鉄鎚だ』

 柄の短い鉄鎚。そう言われて、直感的に"あの石像"だと思い当たった。

『ミョルニルは神々を悉く打ち砕いた、北欧神話最強の武器と言える。しかし三度振り下ろされてようやく相討ちとなった怪物がいてね。
 海の底で世界を三周して尚尾を咥えている、なんて途方もないスケールの蛇の化け物。これをミドガルズオルム、あるいはヨルムンガンドという。
 ラグナロクが到達するとき、ミドガルズオルムは海から陸に上がるが、その際大量の海水が陸を洗った』

 ─つまり。
 あの大海は、ミドガルズオルムが上陸する際の証左。
 あの大海が─モージが両断してしまったが─あったということは、ミドガルズオルムという怪物が、陸に現れたということ。

『…その先の魔力反応が莫大過ぎて聖杯らしいものが見えないのが心残りだが。ひとまずその洪水の元凶─仮説ミドガルズオルムを倒さなければならないだろう。バックアップは万全だが、いささか戦力が怪しいな。こんなこと言いたくはないが、宗茂では、神話の怪物を相手にするのは難しいだろう?』
「気を使わなくて結構だ。俺は言う通り神秘から離れた時代の人間だからな」

 肩をすくめて苦笑する。

「ァ千代の雷切が頼みの綱だが」
「わ、渡さんぞ。これは私のものだ」
「…だとさ」
『オーケー、いろんなことを把握した。一応、追加でサーヴァントを送れないか試してはいるが。…どうにか、切り抜けてくれたまえ』

 ダヴィンチの言葉に、強く頷いた。





>>