男を落とすならまず胃袋から
依頼しようとしていた件はどうしたのか、あれ以来しばらく少女は特に姿を見せなかった。
だがとある日のこと。新八がいつもどおりに起床し、姉のお妙がダークマターを作り出す前に朝食を作ろうと台所へ向かうと、すでに厨は働いていた。廊下でその気配に気がつくと、まさか姉がもうダークマター製造に取り掛かっているのかと新八は顔を青ざめさせた。
慌てて駆けて台所に滑り込むと、しかしそこにいたのは姉でもダークマター製造工場でもなかった。
「…さん!?こんなとこで何やって、というかなんでここに!」
「おはようございます新八さん。昨晩のうちにお妙義姉さまにお話をして、許可を頂きお朝ごはんを作りに参りました」
「色々ツッコミ所多すぎてさすがの僕でもツッコミきれないんだけど、朝ごはん…朝ごはんってこれ?え?」
ダークマターではないので真っ先に目が行かなかったが、指されて改めて視線を向けると、そこにあったのは志村家の備蓄にはなかったはずの量の食事が幾名分。袖でごしごしと目をこすって、もう一度見る。志村家の財政状況ではそうそう入手できないような大量の、高級食材。それらを認識して新八は悲鳴を上げた。
「お口に合いませんでしたか…」
「お口に合うかどうかもわからないこんな高級食材どこから持ってきたの」
「新八さんのために精のつくものを食べてもらわなくてはと家の冷蔵庫持ってきたんです」
「見知らねえデカイ冷蔵庫があると思ったらさんが持ってきたのか!どうやってだ!どうやって持ってきた!」
「背負って」
「見た目に反して力持ちですね!?」
あらかた出来上がった食事を捨てるわけにも行かず居間まで運べば、すでにお妙が皿を広げていた。違和感なくの料理を取り分けている。
「ありがとうございますお妙義姉さま」
「義姉さまなんて他人行儀な呼び方よして。気軽に姉上でいいのよ」
「アレ?すごい馴染んでるように見えるんだけど…おかしいと思うのは僕だけなのかな」
新八を差し置いて親睦を深める空気に冷や汗を流しながらも、食事を促され床に座った。
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「それでは今日はこれで失礼します。あ、道場の方の入門代はさっきの食事に消えました」
「入門代は振り込みでもいいのよ」
「それ改めて払えってことですか姉上!?」
「新ちゃんもいってらっしゃい!ちゃんをしっかり家まで送ってあげるのよ」
意気揚々と手を振り早々に引っ込んでいく妙にため息を付き、仕方なしに万事屋への道を歩く。しばらく無言だったが、新八は意を決してへと言葉を向けた。それでも迷いに迷って「どうしてこんなことをしたのか」なんて要領を得ない問いになってしまった。当のも答えに躊躇い、視線を泳がせている。
「……実は、私も恋愛とかしたことなくて……」
「へ」
「今までは…その、ちょっといいなって思っても、お金とか…高給職へのコネとか…そういう話ばかりで…何をしたらいいのかわからなくって」
「へ、へぇー…ソウナンダ…」
俯くに言葉を失う。彼女が最初ここぞとばかりに新八へ提示してきたようなことが、今までの人付き合いだったのだろう。……そしてそれが効かなくて、困惑している。自分に好意を向けてくれている少女が、自分との付き合い方に四苦八苦しているのは、なんだか…嬉しい、と言えば良いのか。何分新八自身も、アイドルや寺子屋の女の子に鼻の下を伸ばすような好意を持ったことはあっても、地味で特別自慢できることも見当たらない自分に、そんな実直な好意を向けられるのは初めてだ。どうにも困惑してしまう。
「迷惑だったならすみません。次は普通に、道場の方へ行きます」
「ああ、いや…今は他に門下生もいなくて、僕も出稼ぎとして一日中万事屋にいるようなもんだから、突然来られても…ごめんね、何も教えられない」
その言葉にぽかんと目を丸くして、また俯いた。そうだったんですね、とだけ呟いて、静かに道を進む。
「…重ね重ねすみません。なら、…えっと…」
「……そんな風にさ、何かと理由つけなくてもいいよ。そりゃ今朝は本当に突然だったから驚いたけど、予め教えてくれれば、理由なんてなくてもいつでも会いに来ていい……か、ら」
不思議なことに、流れるように舌が動きそんな事を口走っていたが、語末で妙に恥ずかしくなって尻すぼみになってしまった。一気にてっぺんまで熱が籠り口ごもる。銀時たちが今の二人を見れば、「童貞かよ。いや童貞だったわ」と罵りに近い困惑の混じった感想を溢していただろう。
話を変えよう、と咳払いをして意識を切り替える。
「その、僕のどこがいいの?自分で言うのもアレだけど、パッとしないし眼鏡だし、知っての通り強くもないし」
「助けてくれました」
考えるでもなく平然と、は迷いなく即答した。その速さに今度は新八が目を丸くする。
「私の正体を知ってるわけでもないのに、確実に勝てるわけでもなかったのに、それでも。新八さんは、助けてくれました。
私の正体を知っても態度を変えず、諭してくれました。自分にはメリットばかりのはずなのに、それを比べもしないで私の気持ちを案じてくれました。
ただかっこいいだけじゃなくて―かっこいいですけど。優しくて、思いやりがあって。
お妙義姉様にもたくさんお話を聞いたんです。そしたら、もっと好きになりました。だから結婚してください」
「いやいや展開が早すぎるって言ってんの。結婚できる年齢とか収入とかも問題あるでしょ」
「年齢が法的に大丈夫になるまでは婚約者ですが、別に私は新八さんがこのまま万事屋で低収入でもかまいませんよ。夫の夢は応援するタイプなんです」
「それでよく今まで悪い男にひっかからなかったね?」
そんな言葉は苦笑で誤魔化して、は「私こっちなので」と一礼してから交差点へと消えていった。呼び止めることもこちらから別れの挨拶も言う間もなく、人混みに紛れていく。江戸の町はもうとっくに朝を迎えて、職場へ向かう者が溢れ帰っていた。
歴史は古いって言っても結局今生きてる奴はその一割も歴史がない
永倉家。この江戸に天人が襲来するより以前からある武家である。先代当主である永倉兵馬は、若い頃から将軍に仕え、幕府が天人に屈するその時までの間前線で天人と切り結んでいたという。さらに現在は将軍から厚い信頼のもと、護衛隊長を勤め上げている。
現代当主永倉兵吉は、江戸一の豪商と謳われていた那谷屋の長女を嫁にとり、商売方面で才能を発揮している。
その娘が、永倉。娘を一人産んでから、母は体調悪化で寝込んでしまっている。故には女性でありながら、幼い頃から跡継ぎになるため日々修練を積んでいた。祖父から剣術を習い、寺子屋の傍らで雇った者から経営学やらなにから学んでいた。おかげで同じ年頃の友達もおらず、人付き合いといえば、今やこの国一番の富と力を持つ永倉家の嫡子という立場を狙う者ばかり。
「厭うなら厭やぁいいが。くだらん意地や偏見で世界を阻めるのはとんでもねえ。かといって不用意に人を信じすぎるのもよくねえ。これは俺の私見じゃああるが、人っていうのはー」
軽く人間不信に陥っていた私を、私の思う限り正しい道に導いてくれたのは、祖父のそんな言葉だった。それからというもの、私は胸を張って堂々と生きることができている。
だからこそ認められないことがある。父が度々私に薦める婚約者のことだ。どう見ても商売に関する得しかないような年上、人間とあまりにも美醜の感覚が違う天人。今まで並みの人付き合いさえできなかったのだから、それくらい自分の好みで決めたい。
決して見目麗しい王子様とかそういうのに憧れたわけではない。というかどういう男がいいかも特に思いつかない。というかどういう男がいるのかもわからない。
そういう思いから、私は時間の合間を見つけては町を散歩していた。それで分かったのは、ー祖父の言うような男が、そうそういないということだ。16歳になって婚約話も真面目に進まなくては行けない雰囲気になってきた頃、父は改めていくつもの紹介状を持ってきた。すべてに首をふろうとしたところ、「ならばお前の納得する者を連れてきてくれ」と。ひどく困った、焦った顔だった。
「あぁ…まぁなァ…」
「何か知っているのですか、お祖父様」
「いんや、倅がなにか追い込まれているんじゃねぇかってなァ、俺の勝手な推測だよ。だが面倒なのは確かでも、一個の家を傾かせねえには横のつながりだのと必要なモンがあるのは仕方ねぇよ。だからってお前が心を押し殺す必要はねぇ。あの馬鹿黙らせられるいい男を探してこい。俺みたいな」
「お祖父様みたいな」
「そうだ。俺みてぇな、馬鹿な侍を」
§
と言っても、日常に余裕が出てきてほぼ毎日訪れる町に、祖父の言うような馬鹿な侍どころか侍自体あまりいなかった。それもそのはず、廃刀令の出たこの時世で刀を持って侍を名乗るものなどそういるはずもない。腕の立つ者といえば、口が悪ければ癖も悪い、いわゆるチンピラばかりだ。 私の身なりを見て金を持っていると判断する妙に効く鼻で私の前に立ちふさがった男たちは、見事なチームワークで逃げ場を潰し、にじり寄ってくるせいで少しずつ路地裏へと引き込まれている。小娘一人に数人の男で寄ってたかって、恥ずかしくないのだろうか。
「おい、やめろよ」
「あぁ?んだこの眼鏡。関係ねえだろ」
「関係はないけど、あんたたちみたいなガラの悪い男たちに絡まれてる女の子を放っておけないでしょう」
「ハッ、ちょうどいいむしゃくしゃしてたんだ、小娘の前に相手してやらぁ!」
男たちはそう言って、割り入って来た眼鏡の少年に向き直した。少年も腰に携えた木刀に手をかける。
…だが、その柄を握る手に迷いがある。たとえ相手が流派もなにもないチンピラでも、その分容赦というものがない。一瞬の迷いが勝負を分ける。構えは整ったものだがーそんな観察をしているうちに、少年は一瞬でチンピラたちにこぞって足蹴にされていた。
展開の速さに目を白黒させる。…けど、でも。
私は背負っていた竹刀を包からださないままに構えて男たちを伸した。祖父から習った剣術は、すでに免許皆伝まで至っている。対多数の実戦経験はそうないとはいえ、意識を他に向けているのを後ろから一気に昏倒させるのは容易い。チンピラたちが倒れ攻撃が止んだことで少年は唖然としていた。
「大丈夫ですか!?ありがとうございます、助けてくれて…」
「助けてくれてっていうか、これ完全に僕が助けられてますよね」
差し出した手に素直に従って立ち上がった少年は、視線を下げて一瞬暗い顔をした。
ーこの人は、まさか。自分が敵わないことをわかっていて、それでいて助けてくれたのか。周りの町民は通りすがりながら横目で見て気まずそうに目をそらすだけだ。そんな人達ばかりなのに、自分が男たちを倒せる自信があるわけでもないのに。
『俺みてぇな、馬鹿な侍を見つけてみろ』
祖父は将軍の護衛隊長なんて任を預かっておきながら奔放な人だ。趣味じゃないからと博打や煙草はやらないが、自分の息子が商売をやっているとは思えないほどいろいろと適当なところがあるし、仕事中もサボりが多いとの噂だ。けれど祖父は昔と変わらず周りからの尊敬も将軍様からの信頼も得ている不思議な人。ー私も、自由気ままな祖父に呆れながらも、敬っている一人だ。
「あの、私と結婚してください」
「は?」
そりゃそうだ。そりゃ「は?」だ。私が顔をよく見ようと整えた眼鏡がまたずれる。考えるより先に口が動いて吐き出された言葉にぽっと耳を染めて誤魔化して、用があるからとその場を去った。
しまった名前を聞き忘れた。ちらりと振り向けば少年は唖然としたままだったが、今更踵を返して名前を聞きに行くわけにもいかない。確かこの先のかぶき町というところには、なんでも屋がいたはずだ。彼を探してーいやその前に、今日の見合いをどうにか片付けることが先決か。
§
父に恋人ではないが好きな人ができたと告げれば、心底複雑な顔をしてはいたがそれでひとまず納得してくれた。だけど問題はそれで終わりではない。好きな人―新八さんの身元を調査せねば。本人がどれだけ素敵な人でも、父を黙らせるにはそれなりのものが必要だ。修行の一環として私自身に与えられた部下を使って調べた結果、彼は江戸にある天堂無心流を教える恒道館道場の長男、若いながらも早くに両親が亡くなっているために現当主を継いでいる。廃刀令のあおりをもろに受け現在門下生はおらず休業中で、父が作った借金に苦労している。特に借金は質の悪い取り立て屋に脅されたこともあるというので、とりあえず借金を変わりに返済しておこうと思う。ただしそんなことをするとまた新八さんに怒られてしまいそうなので、あくまでも金融屋が利権をどうこうして返済先が変わっただけということにしておく。振り込まれた借金分は、将来への積立にしておこう。
道場復興が夢と言っていたから、永倉の家名を使うか、お祖父様に助言をいただければ希望につながるだろう。いろんな計画を予定立てて、私は次の作戦に挑む。
恒道館道場のある同じ敷地に住まいもあるらしい。住所を特定し、思いつく限りの高級食材を持って志村邸に訪れる。門前で戸を叩けば声をかけてきたのは女の人。きょとんとした顔で私を見て、「うちに何か用ですか?」と首をかしげる。この方が情報にあった新八さんの姉君だろう。借金返済のために高時給のキャバクラで働いているという。
「あの、私永倉と言います。先日新八さんに助けていただいて、お礼に伺いました」
「あら新ちゃんが?」
聞いてないけど、という姉君に簡単に説明すると驚いたようで、「わざわざどうも」と屋敷に入れてくれた。彼と本当に結婚するならば、姉君の懐柔は必要だと思われる。日も昇りきっていない早朝、仕事帰りだと言うのにお茶を出してくれて、優しい姉君だとすぐにわかった。多少の世間話のあと違和感なく彼と婚約を結びたいという話をすれば、それまでの温和な雰囲気を切り捨てて即座に神剣な顔になった。おや?
「私、あの、永倉家の跡取り娘で…」
「有名だもの、貴方が名乗ったときからわかってはいます。でも新ちゃんに助けられたって、本当にそれだけ?ただ交際をしたいという程度ならまだしも、結婚だなんて…しかも永倉家なんて大きな家に、昨日今日出会っただけの弟を婿入りなんてさせられません」
「…でも、結婚していただければ…道場だって支援するつもりで…」
「どういう気持ちかは知らないけれど、何かと引き換えにするようなやり方で道場を復興しようなんて思っていません」
少し憤ったような口調できっぱりと返され言葉が萎む。本人がなびかないなら周りを固めてしまえと思ったのだが、どうにもうまくいかない。次の句を考えるうちに、いつの間にかうつむいてしまう。こういう場合どうすべきか。女性の友達もおらず色恋沙汰にも関わったことがないため対処の方法がわからない。
「……貴方が本当に新ちゃんを好きで、それでただ、どんな手を使ってでも手に入れたいのだとすればーそういう子は、嫌いじゃないわ」
「! …姉君様」
「だからまず、簡単にじゃなくて、貴方が新ちゃんのどこを好きになったのか教えてくれないかしら。まだふたりとも若いし、すぐに結婚とはいかないでしょうけど、ふたりの恋路の応援くらいはしたいわ」
そういって彼女は、この話を始めてからようやく微笑んでくれた。ほっと胸をなでおろしながら、照れにより多少口ごもりながらも、心の内を話し始めた。
動乱篇
「おかえりなさい、鴨太郎兄様」
「ただいまくん。だが前から言うようだが兄様はやめてくれ。結果的に僕と君にはなんの縁もないのだから」
「今はもう縁がなくとも、鴨太郎兄様は兄弟子ですから」
場所は真選組屯所内一室。真選組参謀伊東鴨太郎帰参の宴の最中である。男のみが隊士として所属できる真選組で一人伊東に酌をしている少女は、真選組の金銭的援助―戦闘中に破壊したものの修理代やボーナスを出してくれるパトロン、をしてくれている永倉家のご息女様だ。祖父は将軍様の直属護衛隊長、父は一大商人。本人も女でありながら、そこらの浪人よりは腕が立つ。
あの伊東とは、同じ北斗一刀流の妹弟子という関係だけではなく、彼女の母親の妹が伊東の婚約者であったという。病弱だったかなにかしら事件事故に巻き込まれたかで入籍する前に亡くなったらしく、伊東が自身で言ったように戸籍上の縁は何もないのだが、は異様な程鴨太郎を慕っていた。まぁそもそも真選組の援助を始めたのは伊東の口添えがあったためであり、短気で汗臭くむさ苦しい他の連中と比べれば、常に冷静を失わない伊東は浮いて見えるだろう。
焦燥にも似たイラつきを抑えながら、土方は煙草の紫煙を吐き出す。どうにも相性の悪い伊東の帰参に加え、付随するようにが屯所へ来ることで浮つく隊士たち。…それからもう一つ、悩みのタネがある。
「土方さんも飲んでくださいね。マヨネーズも用意してありますよ」
「ああ、すまねぇ」
「…それにしてもさっきはどうかしたんですか?確かに私が時々、あまり暴力ばかりせずに穏便に済ますことはできないかとは言っていましたけど、でも多勢相手にあんなプライド捨てるようなやり方をする人ではなかったでしょう?」
さっき。…土方が刀の打ち直しを頼みに行った帰りに遭遇した攘夷浪士を相手に切り結ぼうとしたところ、流れるような動作で地面に額を擦り付けた案件。刀を抜こうにも体が言うことを聞かず、幾名の攘夷浪士に足蹴にされていたのを、屯所へ向かっていたと伊東に救われてしまったのだ。伊東は呆れも通り越して哀しいものを見る目で土方を見ていたが、はあの様子が普段とはあまりにも違うと気づきこうして声をかけてきたのだろう。だが鍛冶屋の言う通りに妖刀のせいでああなったとも、妖刀が抜けなくてああするしかなかったとも、説明しても信じられないだろう。この際自分の名誉やプライドを二の次にしたとしても、現実味のないことを話したところで目の前の小娘は苦笑して小首をかしげること必至だ。現にそれらしい返答をしない土方に苦笑を漏らしている。
「そういえば土方さん、刀新調したんですか?」
「ああいや、今は鍛冶屋に出しててな。これは代理だ」
「綺麗な設えの鞘ですね。見せてもらってもいいですか?」
無邪気な会話のつもりだろうか。それとも何かしらの勘ぐりがあってのことなのか―煙草の灰を落としながら、「宴の最中に刀を抜くなんざ野暮だろう」と肩をすくめて誤魔化せば、はそれもそうだと素直に引き下がった。
宴といえば、土方たちがそんな会話をする一方で伊東の演説が盛り上がっている。おつむの弱い連中には、口も頭も回る伊東は素晴らしい人間に見える。伊東の口添えや交渉がなければ、真選組が取り潰しになっていただろう場面はいくつもあるのだから、あの男に感謝し尊敬している隊士もまた多い―局長である近藤もその一人だ。
土方は新しいタバコに火をつける。「そんな連続して吸ってると体に悪いですよ」とが苦言を向けるが構わず臭い煙を大量に吸い込んだ。
「お前も伊東のところで話に加わったらどうだ。お前、伊東を気に入っているんだろう」
「そりゃあ、兄弟子ですし、叔母の婚約者でしたからね。剣の強さや頭の良さを抜いても、素敵な人だと思ってます。でも男の人達が盛り上がっているところに割り込んでいくのも野暮ですよ」
マヨネーズを乗せたおちょこに酒を垂らして、土方の前に差し出す。半分ちょっとを吸いきった煙草を灰皿に押しつぶして、酒を一口で煽りマヨネーズをすすって置いた。酔いつぶれた者も出始めた頃合い、手をついて立ち上がると最後にを見下ろす。
「テメーはまだ若くてわからねえだろうから一つ教えておく。慕う相手は選んだほうがいいぜ」
返事を聞くこともなく宴会部屋を出る。
力を入れて演説していた伊東の姿を思い出す。入隊から日が浅いながらにもパトロンを用意したり関係先を増やしたりと政治面で貢献しており、近藤にすら先生と呼ばれ慕われている現状は、土方にとってあまりいいものとは思えなかった。自分の地位が脅かされるかもしれないとか、そういった心配ではない。戦場を生きる者の勘でしかなく、なんの証拠も理屈もないが―ただあの男は危険だと、自分の直感が告げていた。
§
真選組での騒動を終えた新八は、家へ帰る際土方を引き連れていた。たった今まで起きたことをに報告しなければいけないと零した土方に、今の明け方の時間ならば朝食を作りに来ている事を話したためだ。土方は騒動の最中かなりの傷を負っているが、どうしても出来るだけ早く伝えたいのだと強く言ったためだ。
こんな時間まで遅くなることはあまりない。門の外で沈んだ表情で待っていたらしいは、新八らをに気づくとはっと顔を上げ駆け寄った。いろいろなことを言おうとして、言葉がまとまらないのか悲痛な表情で新八の服の裾を握る。
「…それで。土方さんは、どうしてここに、どうしてそんな…怪我を」
「アンタには、いの一番に報告しておきたくてな」
借りていた新八の肩から離れ、ポケットから煙草を取り出し火をつけた。
「伊東鴨太郎が、殉死した」
「、………そう、ですか」
「…驚かないんだな」
「驚いてますよ、かなり。…ただ、少し…予想できたことではありますから」
そんな返答に、土方は僅かに眉を上げる。どうして亡くなったのか、土方たちがどうしてこのような怪我を負っているのか、何があったかは一切話していない。伊東はいままで見聞きしてきた人となりからすれば、攘夷浪士と戦いになっても簡単に敗れるとは思えないだろうし、今までは誰かをかばったりするような男でもなかった。その上で予想できたということは―
「お前、伊東が何かしてたこと、気づいてたんじゃねえのか」
「―勘付いていた、という程度です。最近は、私じゃなく父とよく話していましたから。…わかりました、わざわざこんなところまで報告しに来てくれてありがとうございました。家の者に連絡して迎えと医者を」
「いや、そういうのはいらねえ。眼鏡くんに肩貸してもらってだいぶマシになったしな」
そう言って手を振り踵を返していく土方を、は深く頭を下げて見送った。
真選組との関係は、この騒動の際に新八も聞き及んでいた。伊東との関係も。土方の姿が見えなくなっても頭を下げ続けているの背中にそっと触れれば、びくりと体を震わせた後姿勢を直した。唇を噛み締めて、必死に涙をこらえている。
「…さん。さんもこんな時間まで待ってて疲れたでしょう。一度家に入りましょう」
「っ…あ、そうですね、怪我の手当しないと。骨折とか火傷とか酷い怪我はありませんか?」
「大丈夫です、見た目以上に大した怪我はしてません」
いつも感情を見せないまま微笑んでいる彼女の慌てた様子に笑みを零しながら、珍しくどこか頼りないの手を引いて屋敷へと帰った。