01
目の前の化物に腰を抜かして、ただ震えていた。
もとはと言えば、親を失い困り果てていたところを拾ってくれた商人である養父の役に立つため、頼み通りに首都から離れた辺境の漁村へ行商に来ていた。
そこでは最近増えた業魔病が蔓延しており、たくさんの化物が獲物を狙うように私に狂った視線を向けていた。持ってきた林檎も薬も全て地面に散らかって、私は恐怖で今にも漏らしそうだった。化物の鋭い爪が振り上げられ、勢い良く私に向かう。
こんなところで死ぬのか、と涙しながら目をつぶる。
―しかし、痛みは来なかった。まさか痛みを感じる暇もなく絶命したのだろうか。でも身体は動く。
「お前、なにしてるんだ」
「………?」
恐る恐るまぶたを持ち上げれば、そこにはオレンジ色の髪をしたお兄さんがいた。拳を構え、襲い来る化物を順に殴り飛ばしている。
「街全体が業魔化したのか…キリがないな。ベンヴィック!引き上げるぞ!」
「うーっす!副長の呪いも大概っすねー!」
「お前は…この村の人間じゃないのか。仕方ない、放っておくのも癪だしな…一緒に来い」
お兄さんは港に停まっていた船へ大声を向けると、またこちらを振り向いて手を差し出す。手先さえ動かすことが出来ないまま呆然とする私に眉根を寄せて溜息をつき、私の腕を引っ張って抱き上げた。
それが、後にアイゼンと名乗る彼と、彼の乗るバンエルティア号とアイフリード海賊団との出会いである。
バンなんとか号に乗せてもらって、私は養父たちと過ごしていた村へ向かった。アイゼンという私を助けてくれた聖隷さんが港から離れている村まで送ってくれて、途中の野良業魔から守ってくれた。
養父や村の人達は、無事戻った私を歓迎してくれた―最初だけは。
「…行った街が業魔病で…?」
そして襲われかけたところを助けられたのだと話をすると、村の人々は一斉に遠ざかる。怯えるような、忌まわしい物を見る目だ。
業魔病は伝染病だとされている。…だからだろう、今私が発症していなくても、いずれそうなる可能性がある。けれど何も言わずただ困った顔で視線を泳がせる彼らに。
「…すみません、お養父さん。私、この人と結婚することになったんです」
「は?」
「だから、この村から…出ていきます」
「、」
養父は泣きそうにしながら、でも一歩しかこちらに近づかない。涙をぐっとこらえて、笑顔を作る。
「今まで育ててくれてありがとう、お養父さん」
アイゼンさんの腕を引っ張って無理やり村の外へ向かう。さっきは困惑ぎみの顔で辺りを睨んでいたのに、今は哀れみの目で私を見ていた。いいのか、と港が見えた頃問われる。いつの間にかこぼれていた涙を乱暴に拭いながら、また必死に笑顔を向けた。
「変なこと言っちゃってすみません、アイゼンさん。ここまで連れて来てくれてありがとうございました。また、どこかで…」
「………」
謝罪とお礼を言って頭を下げるも、彼は静かに見下ろしてくるだけだった。沈黙が気まずくなって、また港へ向かって歩き出す。
「…いいのか」
「いいんです。恩のある人たちだからこそ、怖がらせたくないしこれ以上無理も言えませんから」
「本当に、いいのか、それで」
港町の門の前で立ち止まる。本当ならまた養父達と、商売のことを教えてもらいながら平穏に暮らしたい。けれど今の私はその平穏を崩す存在なのだ。じわりと涙が浮かぶ。
「…も、それ以上言わないで、ください…」
「お前は…。いや、いい。お前がそう決めたんならな。それでどうする?」
「どう、とは」
「あの村から目と鼻の先のこの港町で暮らす気か?」
そんな問いにどうにか別の港に連れて行ってくれる船を探すと答えれば、アイゼンさんは呆れ気味に溜息をついた。
「聖寮が一隻一隻管理するご時世に、小娘を乗せてくれる船なんて早々ないと思うがな」
「…けど」
「まぁ、俺の知っている中でそんなコネがきく船をひとつだけ知っているが、…来るか?」
ぽけ、と泣いていたのも忘れて目の前の聖隷を見上げる。そしてゆっくり言葉の意味を理解すると、驚いて、それから青ざめた。これ以上迷惑をかけるワケには―そう言えば、アイゼンさんは楽しげに笑う。
「バンエルティアはすでに一番やっかいなものを抱えている、小娘一人くらい迷惑になんてならない」
「でも、」
「別に海賊になれと言う訳じゃない。お前が暮らしていけそうな気に入る町が見つかれば、そこで降りればいい。…そろそろ日も落ちる、来るなら早く行くぞ」
と、アイゼンさんは私の答えを聞く前に脇に手を突っ込んで私を持ち上げると、スタスタと歩き町の門を開けた。
02
にしてもその服はイモ臭いな、とアイフリード船長が言った。そんなことを言われても、荷物もまとめずに来ているのでこれしか持っていないし所持金もない。「船には女物はほとんど乗せてないからな…」と私の世話係に任命されてしまったアイゼンさんは頭を掻く。それが朝の会話である。
昼ごろになって近くの港に停泊すると、食料などの調達係たちがわらわらと町へ降りていった。私はあてがわれた部屋でおとなしく本を読んでいることしかできず、ぼんやりと文字の羅列を眺めている。しばらくすると部屋の扉がノックされる。返事をしてから部屋に入ってきたのはアイゼンさんだった。普段から適当な時間に甲板へ連れて行ってくれるかご飯や本を差し入れてくれる以外に訪ねて来ない彼の来訪に首をかしげると、畳まれたなにかを差し出された。
「服だ。アイフリードに文句を言われていただろう。安心しろ、センスは店屋だ」
「はぁ…えっと…でもお金」
「そんなものはいらん。…ま、そのうち船で食事を作るなり雑用なりして働くんだな」
服らしいそれをひらいてみる。淡い色を中心にした可愛らしい服や靴一式は、私に似合うかはわからないが随分とお洒落なものだった。今まで着ていたワンピースは捨てないなら寝間着にでもしろと言ってアイゼンさんは部屋を出て行った。
「…なかなか似合っているんじゃないか」
「えへへ、ありがとうございます」
「副船長が悪い目つきをさらに鋭くして選んでたんだから、大事に着ろよ!」
「ベンヴィック!」
きょとんとしているとベンウィックさんはアイゼンさんに殴り飛ばされてしまっていた。店の人に選んでもらったと彼は言っていたが…、真相はどちらなんだろうか。
あれからアイゼンさんとアイフリードさんの口利きで、バンエルティア号にて食事を作る係を担うことになった。両手を使っても収まらない人数の食事を作るのは大変だが、ベンウィックさんやアイゼンさん、他の船員さんたちも手伝ってくれるのであまりこまって居ないのが実情である。
「…!このスープは何という料理だ?」
「味噌汁です。私の村の特産の味噌で、いろんな出汁をメインにお好みの具を入れて作るんですけど…お気に召しましたか?」
「ああ。食べられるなら俺だけでも毎日食べたいな」
ある日の会話。賑やかな食堂で配膳し終わり席につこうとした私を引き止め、アイゼンさんが手にしていたスープについて問われた。今はもう帰れない、村特産のお味噌は思っていたよりもいろんな町に流通していて、この間の買い出しで買わせてもらったのだ。
しかし答えた私に対し更に返されたアイゼンさんの言葉に、あれだけ騒がしかった食堂が一瞬で静かになった。私も思わず困惑してしまう。
「…?どうした、お前たち」
「今の副長のセリフって…」
「やっぱりそうだよな?これはもっとお膳立てしないと」
「えっと…」
静まり返った一帯はすぐにひそひそとした騒がしさに変わる。私は俯いて、アイゼンさんは眉根を寄せて味噌汁をすすっていた。早く食べないと冷めるぞ、と言われそれれまでの雰囲気をごまかすように慌ててスプーンをとった。
+
「、あの味噌汁、一人分でもいいから毎日作ってくれないか」
「えっ、あ、はい、いいですよ」
食事が終わり片付けをしていると、アイゼンさんが手伝うと言って厨房にやってきた。洗ったお皿を布巾で拭いてもらっている時に思い出したように彼がそう呟く。あの時の周りの視線を思い出し恥ずかしくなって俯きながら、どうにか了承を返すもアイゼンさんは怪訝に目を細めていた。
「なんだ、嫌なら嫌と断ればいいだろう」
「イヤなわけじゃないです、えっと、はい、大丈夫です」
「なんだお前ら揃いも揃って妙な態度とって…」
「えへへ、きっとアイゼンさんは聖隷だからわからないんですよね。気にしてないから大丈夫です」
ごまかすように笑顔をむけ最後のお皿を渡す。アイゼンさんはそれを受け取って丁寧に水分を拭き取りながらも眉根は不満そうに深いシワができていた。
03
何だったんだ、と昼食時から片付けの間のを含めた船員たちの態度に舌打ちする。ベンウィックもアイフリードも微笑ましそうにニヤニヤ笑うだけで聞いても何も答えない。一体なんだと言うのだ。
自身も俺が聖隷ならわからなくても仕方ないと満足しているが、俺は何一つ解せない。
「はい、お味噌汁です。何か入れたい具とかあったら教えて下さいね」
「ああ、ありがとう…ん、やっぱり美味いな。はいいところに嫁入りできる」
「………副長、わかって言ってるんですか?」
驚いたように目を開いたあと、照れくさそうに去っていくを見送ればベンウィックが呆れた顔で俺に言葉を向ける。わかるも何も、思ったことを口にしただけなのだが。そう答えればベンウィックも周りの船員もやれやれと肩をすくめた。
「アイゼン、面白い話をしてやろう。どこぞの村では一風変わったプロポーズの台詞があってな」
「はぁ?」
「定型句なわけではないが…例えば『俺のために毎日味噌汁を作ってください』というのがあるんだ」
「………、そういうことか!!」
アイフリードによって突然もたらされた話題を聞いて、俺は少し遅れて周りの反応の意味を知る。思わず机を両手で叩けば、衝撃のまま机にヒビが入った。しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。
「ちょっと待て、俺はそういう意味で言ったんじゃ…第一人間と聖隷だぞ?」
「種族の違いなんて言葉が一緒なら大した障害にならねぇよ。と言うかお前その机ちゃんと直せよ」
「俺みたいな死神と結婚してどうするっていうんだ、それにはどこか住みやすい町を見つけて…」
「でも副長、今まで行った港や町全部ダメって言ってるじゃないですか」
「それは、そこの人間がを任せるに足らない奴ばかりだから」
言い訳をしていく度に周りの奴らの笑みは深くなっていく。
「それこそは可愛いから、船を降りるときはどこかでいい人見つけた時になるでしょうね」
「なっ、そんなの俺が認めん」
「何言ってんだアイゼン、お前の妹でもないのにそんな風に過保護になる理由はねぇだろう」
ぐっ、と唇を噛み締め押し黙る。いつも子供みたいにあっけらかんとしているアイフリードが、なんとも言えない大人びた真面目な顔で俺の肩に手を置く。俺は俺で顔をしかめて目をつぶりしばらく脳内で情報を整理すると、力なく椅子に座り込んだ。
「…俺の負けだ」
「おっ。じゃあ副長、のことは頼みましたよ!」
「泣かしたら俺がぶん殴るからな」
全員が割れた机の上にうなだれる俺にぽんと手を置きながらわいわいと食堂を出て行く。静かになった室内で、俺は手で顔を覆いながら何度もため息をついた。
「あれ?アイゼンさん、みなさんは?おかわりまだですよね?」
「…知らん」
しゃもじを片手に厨房から顔を出したに視線を向けないままそっけなく答える。は不安そうに首を傾げ「今日のご飯美味しくなかったですか」と表情を暗くした。
「いや、そういうのじゃない。ちょっと…航路に変更ができたから、一旦そっちを処理しにいったんだ。そのうち腹を空かせてまた戻ってくるだろうから、温め直せるようにしておいてやってくれ」
「そうなんですね。わかりました!」
ぱっと表情を明るくして嬉しそうに微笑むに、俺はやはり視線を逸らしたまま手招きした。なんですか、となんの警戒心もなくこちらへ歩み寄る。
立ち上がりの肩を掴むと向きを反転させる。お互い覗きこまなければ顔が見えない状態で、俺は一瞬迷いながらも目の前の少女の耳元に口を寄せる。
「いいか、お前はどこにも嫁にはださん。味噌汁は俺にだけ作れ」
「は、はぁ…」
「それから誰か他のやつに不必要に媚を売ることも許さん」
「えっと…」
「わかったら返事!」
「わ、わかりました!」
良い返事だと頭をなで、振り向かれないうちに踵を返しそそくさと食堂を後にした。