レモン・マーメイド
一斤染の髪の下には宝玉
この船に乗ったのはいつだったか。
とにかく今の船に乗って海を巡っていると、我々はとある少女を発見した。船の中ではない。陸でもない。海の上、あるいは中。
それほど多くもない食糧を消費しないために魚介でも捕って小腹を満たそうという話になった時だ。透けるほど肌の白い少女が、海を漂っていた。
海の男は漂流者にとことん優しい。軍艦だろうと客船だろうと、荒ぶる海に対してだけは一致団結する。故に、生きているかもわからない少女を、船に乗る我々は救い上げた。
とはいってもどういう経緯で海を漂うことになったのか。海水を飲んで溺れていれば、偉丈夫でも簡単に死ぬ。拾った時点で死んでいても可笑しくないというのに、瀕死のまま少女は息をしていた。
この船が全うな船であればまだしも、少女はきっとそのまま死に絶えた方が幸せだろう。たとえ非道な目に遭って海へ落とされたのだとしても、女に飢えた男ばかりの船で、少女が快復したならばその後どういう扱いを受けることやら。細く折れそうな腕で一刻を争う船の仕事を任せられることはない。であれば、必然と"用途"は決まってくる。
海の男は、漂流者にとことん優しい。だが、当然見返りは要求する。
船長は奴隷を毛嫌いしてはいるが、"仕事"として陸の専門と同じだけの報酬を用意して─という流れはありうる。船長が奴隷を毛嫌いしていても、船員の強い意見があれば一考くらいはするだろう。
一番の新人だからと看病を任されてから一週間経った。顔色は比較的良くなってはいるが、目覚める気配はない。そろそろ見切りをつける頃合いだろう。薬にも食糧にも真水にも限度がある。見返りを得られないならば、面倒を見る価値はない。かといってまた海に放り込むのも良心が痛むので、陸に送るくらいの甲斐性は見せねば男が廃る。
無償で与えられた分の最後の水を飲ませた。こく、と喉が動いたのを見て思わず硬直する。いままでは一滴一滴が重力に従って滑り落ちていくだけだったのだから、驚いて然るべきだ。
顔にかかる前髪が揺れる。白い髪の隙間から、神秘的な魅力を漏出する紅い瞳が覗いた。
§
少女はというらしい。むさくるしい男ばかりに囲まれて怯えていたが、状況を理解すると残念そうにしながらも頭を下げた。助けていただいてありがとうございます、と か細い声で言う割には、全くありがとうという表情ではない。
「あの、わたし、お金ありません」
ざわめいていた甲板が静かになる。
「…病弱で、働けません。学もなくて、何も…お返し出来ません」
ごめんなさい、とは再度頭を下げた。
気にすることはないと言える程船の男たちはお人好しではなく、かといって非人間でもない。僅かに震えている少女に、船長は息をついた。
結果として、少女は適当な陸地に着いた時に別れることとなり、それまでの間は食糧や水を得たいなら己の出来ることで誰かと交渉取引して手にいれること。甘やかしはしないが、生きたいならなんでもやれるだろう、というのは少女とも確認したことだ。
彼女の瞳は白い髪で隠れている。基本的に俯いて、猫背であるためほとんど見えない。
あんな色の瞳は見たことがなかった。どこか背徳的で、神秘的で、不思議な魅力のある紅い瞳。
─あれをまた覗かせてくれるのなら、私はいくらでも食糧と水を分け与えるだろう。
しかしはぼんやりと海を眺めるだけで、日の暮れる頃になっても誰かに交渉を行う様子はなかった。話しかけるのを躊躇っていたり交渉材料を迷っているというのではなく、それらを行う気が見えない。
「やぁ、紅い瞳が素敵なお嬢さん」
声をかければ、は大仰に肩をちぢこませて恐る恐る振り向いた。白の錦糸が揺れ瞳が覗くと、ぞくりと背筋に何かが走る。すぐ伏せられてしまったが、この視線の逢瀬は一瞬だから良い。にこりと微笑んで隣に並び大海と見える。
「お嬢さんは、船長の言ってたように食糧の交渉を行わないのかな」
「いろいろ…迷ってます」
「ほう。何を対価に差し出すか、と?」
頷かない。
「生きるかどうかを」
呟いて、そこからさらに何かを言おうとして。はまたこちらに紅い瞳をちらつかせ、口をつぐんだ。
「君のような素敵なお嬢さんが命を断つなんて悲しいことだ」
みすぼらしかった衣服は今でこそ船員使い古しのものが与えられているが、痩せ細った体を見るに元奴隷だろう。であればここで踏ん張り生き延びても、陸に上がればまた同じ暮らしをしていくしかない。
「…とりあえず。今日の食糧は私が分けてあげるから、おいで」
「でも、返せるものが」
「報酬はもう貰ったよ」
二度も瞳を見せて貰った。踵を返すもは不思議そうにしてその場から動かず、仕方なくお姫様のように抱き上げれば驚いて硬直していた。
それだけ接近してようやく、彼女の白い身なりの理由に気付いた。…これは、奴隷よりも厄介な身分かもしれない。
パンとスープ、僅かな肉と水。目の前に見せてやれば、は困惑しながらそれらに視線を向けていた。
「食べるといい」
「でも、」
「こんな船の上でこんなにも素敵なお嬢さんとお話できたんだ。これ以上ない褒美だろう」
微笑みかけるとは俯いてしまった。
「…あの…本当に…」
「勿論。ああ、看病していた時のように口元に運んで差し上げようか」
肩を揺らして、は今度こそパンに手を伸ばした。嫌だったのなら残念だ。
しばらく沈黙しながらその風景を眺めていれば、僅か数口で手を止めた。お腹に手を当てているあたり、遠慮というより体調の問題だろう。もういいのかと聞けばやはり申し訳なさそうに頷いた。ならばと余りを自身の腹に片付けると、は未だに腹に手をやっていた。船上のヤブ医者診断だから、腹に虫でもいれば対処は出来ない。
ずいと身を寄せ、腹を擦る手に手を重ねる。後ずさろうとするのを抱き込んで、顔を覗く。あの美しいレッドベリルに私の顔が映り、少女の肌が熱を持った。
「もっとよく見せて」
「う…」
離れようとする手を掴んで囁けば、力んでいた体を緩ませてひとつまばたきをした。視線は絡まないが、ちらちらとまたぐ白の絹糸が赤によく映える。
「あなたも…」
「うん?」
「あなたも、この瞳に価値を見出だすんですね」
「…瞳に、というか…いや、まぁ、そうだ」
見たことがない紅い瞳も確かに美しいが、それが白い前髪で隠されているのがいい。ヴェールを被った聖母のように神秘的で、注視しなければ絡まない視線は禁断の逢瀬のような背徳感が駆け巡る。食欲すら湧かせる熟れたチェリーのようで、思わず舌舐めずりしたくなるのだ。
「…確かに、わたしはこれくらいしか払えるものはないです」
「ん?」
「瞳を差し出せば、見逃してくれますか?」
恐怖に染まりながらも少女は意を決したようにそう言い放った。ぱちぱちとまばたきをして、その言葉の意味を考える。そして首を振った。
「いや、それはそこにあるのがいい」
「…?いらないんですか…?」
「いらないというかだね」
差し出すって、抉りとるということだろうか。拷問でもないのにそのような危機にさらされているのか。
「切り花の儚い命も美しいが、花は大地に根付いてこそだろう?」
「……、……そう、ですね」
視線が泳いだ。意味がわからないという目だ。ううん、少し気障ったらしかっただろうか。
しかし一体彼女は何者だろう。その特異な体で、今まで奴隷として働けていたとは思えない。あの瀕死から快復した生命力を思えば不思議ではないのかもしれないが、それにしたって限度がある。
この時の私は、紅い瞳に文字通り魅了されていたのだとは、知るよしもない。
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レモン・マーメイド
きらめきが私を見上げる
二三話をして、瞳を覗いて。そうしてに食糧を分け与えた。瀕死から治ったばかりで胃腸が縮んでいるのか弱っているのか、相変わらず数口しか摂らないせいで、日に日に顔色が悪くなっていた。無理にでも食べろと言っても首を振る。運の悪いことに彼女を拾ってから獲物には遭遇しておらず、食糧や薬の追加もない。壊血病にでもかかってしまえば再びは死の淵に追いやられるだろう。
「バーロソミュー。あの娘、どうなんだ」
「…どう、とは?」
仕事中、船員の一人が話題を提示する。
「お前がそんなに入れ込むなんて意外だろ。そんなに上手いのか?」
期待の眼差しに眉根を寄せる。女っけのない船の男がそういう期待をするのも致し方ないが、商売を始めるよりも幼いと思える少女にその手の期待をするのはどうなんだ。
「生憎飢えてはいない。少し目の保養をしているだけだ」
「目の保養だけで食糧分けてんのか?それこそ飢えてるだろ」
「お前にはわからない美しさがある」
船員は肩を竦めて踵を返していった。
それから少しして、時期のせいもあってかあまり他の船に出くわさないので、食糧と世情を仕入れるため一度陸地に向かうこととなった。現在位置から程近い島だ。そこ出身の船員もいる程度の慣れた場所。
陸地に着けば、ともお別れだ。だがそんなものだろう、美とは儚いものがいい。
予定を伝えると、そうですか、となんとも言えない声色を返された。生死にすら悩んでいたのだから、この反応も当然だ。
日没頃に島へたどり着くと、特に見送りや挨拶があるわけでもなく、船から降りたはぺこりと頭を下げた。珍しくこちらをじっと見つめられ、初めての凝視に思わず照れてしまう。咄嗟に繕い微笑み返すと、はゆっくりと私に近づき背を伸ばし、手のひらを口へ持っていく─内緒話でもしたいのか、私は身を屈めて耳を寄せた。
「多分このあとの航海で、悪いことがおきます」
「悪いこと?……悪天候でも?」
「わかりません。でも…あなたがあの船で偉い人に、なる。そんな何かがあります」
きっと大丈夫ですけど、気を付けて。
はそう言って、また礼をしてから走り去った。呆然と見送り、彼女の不可思議な言葉の意味を考える。
悪いことが起きる。そして私が"偉い人"になる。悪天候があるわけではない。…そんなもの、考えられるのは僅かだ。息をついて髪を掻き上げる。
どうなったとして、それはそれでそういう運命なのだろう。志が似ている今の船長に恨みもなし、わざわざ手助けすることもないが、かといって。
少女の去っていった方向に視線を向ける。
「なぁ兄ちゃん、あんたあの娘放っておいていいのかい?」
「…元々偶然で同船していただけでね。うちは奴隷は扱わないんだ」
「へぇ、大層なこって。でもあの娘は訳がちがうぜ」
小綺麗な服装からして商人だろうか。今の言葉で背後のだれかに目配せしながら、へらへらとした表情で話を続ける。
「アルビノは珍しいだけじゃない。一部の貴族様なら値が途方もなくとも買ってくれる。そういう価値があるんだぜ、あの小娘」
「……」
「あんな大きい綺麗なの、多分どっかで逃げて来たんだろうな」
「………その、一部の貴族は、彼女を何に使うんだ?あんな病弱、奴隷としては使えないだろう」
どこかの地域で、ああいった特異な者は、まじないに使われるという話は知っている。人を人としてすら扱わずまじない道具として、その臓器を切り分け、晴天を祈ったり魔払いをする。だがそれこそこの商人の言うように、見つかって奴隷となってから、成長することなどない。奴隷となった時点で"道具"となる。世に溢れる奴隷のほうが、まだ人間らしい扱いだと思える程の差がある。
商人の男はニヤリと下卑た笑いを浮かべた。
「魔術の道具さ」
「魔…呪術ではなく?」
「そう。あの人間そのものを、生きた魔道具にしようってんだろう。勿論ところによっちゃ、買ってすぐにバラして実験に使うんだろうが…俺にはわからないが、でもあの娘、多分中身ぐちゃぐちゃになってるぜ」
そういうものだと商人は語る。魔術なんてものを扱う貴族様は、その魔術の道具となれば人を生き物とは思わない。まだ奴隷商人の方が情がある、と。
一通り話を聞きつつも、腰のサーベルに手をかけた。
§
それから。数週間後、の言うとおり事は起こった。とある戦いで船長が死んだのだ。そして一番の若輩でありながら、才能を認められた私が新しい船長に擁立された。胸に掲げたダイアモンドと金のロザリオに触れる。これは、戦利品のようなものだ。
騒動が収まったあとに目指したのはの捜索だった。別れ際の言葉については誰にも言っていないが、事が起きてからというもの、どうにも頭から離れない。あの商人は始末したが、価値があるという彼女に目をつける者はたくさんいるだろう。あれから一月以上経ち、別れた島を探しても見つからなかった。奴隷市場にも出回っている様子はない。
の、あの紅い瞳をもう一度拝みたい。あわよくば、別れ際の時のように私自身を覗いて欲しい。
そう思うようになって少し。夕暮れの航海中、物見が声を張り上げた。左方注意、と船に響き渡ったと同時に、足元が揺れる。何事かと船員たちが騒ぎ出すうちに、物見の言うとおり船の左側にはひとつの船が迫っていた。こちらが反撃の手筈を整えているうちに、相手は海賊旗を掲げる。全員がそれを認識すると、顔色を変えて動き出した。
─しかしおかしい。先ほどの衝撃は大砲かなにかによる攻撃のはずだ。だというのに、相手の船は砲台をこちらに向けていない。…そもそも、物見が初めて敵船を発見した距離を、我々の船より小さい船に積めるような砲台で撃ち抜けるだろうか。
辺りを見渡す。所々焦げているが、それだけだ。砲弾の爆発の様子─弾の破片だとかそういったものがない。この場所でただ爆発が起きたかのような。
…何が起きている?ばっと敵船に視線を向けて攻撃方法を探るが、今でこそ砲台を使っているものの、初撃と思えるものはない。
突如、後ろ下方へ腕を引かれた。次の瞬間、自らの頭部があった空間に火花が散る。本能的に目をつむり、受け身だけ取って成されるがまま倒れ込んだ。
「次が来る。動いて」
「…っ!」
か細い声に、直ぐ様立ち上がり、その手を握って走り出す。物陰に隠れると、改めてその手の主を視界に捉えた。
白い前髪に神秘を隠した一人の少女─だ。掴んだ腕は力が強かったのか少し赤らんでいて、慌て放す。そこをさすりながら、は紅い瞳をこちらへ向けた。
「多分、あっちの船に魔術師がいるの。雇ったのか奴隷なのか、そういうのはわからないけど」
「ま…魔術師?」
「そう。本来魔術は秘匿するものだけど、お宝がほしいのか時々いるみたい」
「…………は何故ここに?」
すると少女は途端に慌て始め、視線を泳がせた。気まずそうにしながらも小さく、「島を移動しようと思って」と呟いた。
「認識阻害をかけながら、その、密航…というか」
「それでたまたま、私の船に」
こくりと頷いた。ため息を溢すものの、今は戦闘中のこの状況をなんとかするのが先だ。
「協力してくれれば報酬はもちろん、安否も保証しよう。どうだろう?」
「ん…。わたし一人では、なにも出来ない」
「何か道具でも必要かな?」
「魔力」
また不可思議ワードが出てきた。先ほどから流していたが魔術師とか魔力とか、あまりにも信じがたい空想の単語が当たり前のように出ているが、果たしてなんだというのだろう。とはいっても、あの痕跡のない爆発を魔術と片付けられるならば、その方が頭を悩ませなくて済む。
「どうすればいい」
「…あなたは魔力をたくさん持ってる。あなたが魔力を分けてくれれば、あの船を沈めるくらいは出来るよ」
「これはまた大きく出たな。本当に?」
「うん」
自慢気というわけでもないが、当然のことと言うように頷く少女を信じることにした。何故、と言われれば、その神秘的な瞳に惚れているから、としか言いようがないが。無論それだけで本当に命運を懸けるわけにはいかないので、失敗した時のことも考えはする。
魔力とやらはどうやって分けるのか、と問えば、はその白魚の手を差し出した。
「手袋を取って、直接触れて。あとは血とか、唾液とかだけど」
「お嬢さんとキス出来るなら喜んで?」
「…それはわたしがいや」
この伊達男を前にワンナイトラヴを決めない女性は初めてだ、と呟けば少女は怪訝に眉を潜めていた。
「…あなた、自分の顔に自信があるんだね」
「それはまぁ、それなりに」
「ふぅん…わたし、あなたの顔知らない」
硬直する。こうして眼前で話しているのに知らないとは?
「これくらいの距離だと真っ白にぼやけてなにも見えないの」
「…なるほど…なら何故助けたんだ」
「声は覚えてる」
の出した手に、手袋を外した手を重ねる。
指を絡め、まるで肌の質感を確かめるようにねっとりと、少女の冷たい指が這う。そちらを見つめる紅い瞳も、相変わらずちらちらとしか伺えないが、合間から紅が溢れる度に高揚した。
強く手を握って、はゆっくりと歩き出した。敵の船が見えるところまで行って、それからは早かった。何事か呟いたかと思えば、敵の船だけが大波に飲まれていった。大破し、乗っていた者も土左衛門よろしく浮いている。
我が船員の歓声を耳にしながら、呆然と、海と少女を一瞥した。
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レモン・マーメイド
星のまたたきが色を帯びて
いつ頃からそういう関係になったかは、覚えていない。彼女が私の助手として船に乗るようになってしばらく、船を守る代わりに魔力というものを献上するため密やかなふれあいを始めたあたりからだろうか。
手袋を取って、己の日に焼けた武骨な手と、彼女の白魚のように柔らかな手を合わせる。それだけで魔力というものがどう徴収出来ているのかは知れないが、彼女は手の熱を交わしながら適当な時間ただじっとしていた。元々そういう性質なのだろう。瞑想するように、何も考えず─もしかしたらなにか考え事はしているのかもしれないが─時間を消費することが出来るような。
しかし、私はそうでもない。彼女の見え隠れする神秘の瞳を見つめていれば一日だろうと飽きはしないが、それがこちらを向いて反応を示すわけでないのなら、つまらなさが先立つのだ。
はじめは、重ねて触れていただけだった手指をきゅっと握り締めた。まばたきしただけで、特にそれ以外の反応はなかった。
そっと手指を動かして、所謂恋人繋ぎという形に変えてみた。反応はなかった。
にぎにぎと緩急をつけてみる。こちらを向くでもなく訝しげにすることもなかった。
体を近付けてみた。少しずつ寄せて、反対側の手で彼女を抱き込んだ時、ようやく顔を上げた。
不思議そうにしている少女に微笑みを見せるが、そういえば彼女は至近距離だとほとんど見えないのだったか。
「少々飽きたんだ」
「それは…すみません」
「いえ。は我が船を守る女神だ。船長である私が魔力を捧げることになんの忌憚もない。…ただ、変化ないのはつまらない」
目を伏せる。彼女は僅かに眉値を寄せて、あまり活発に働いていない表情を悩ましげなものにしていた。
「…わたしは、あなたを楽しませるような話は出来ない。相槌なら打てるから、嫌じゃなければなにか話して」
そう提案し、以降は過去の苦労話から未来の夢まで思い付くままなんでも話した。世俗に疎いからなのか、本当に相槌がほとんどではあったものの、つまらないわけではなさそうだったのでよしとする。神秘の瞳が時折細められたりするのが見えるだけで高揚するし、女性を楽しませるために話をするのは嫌いではない。
「そういえば、魔力を献上するのに、血や唾液がどうのと言っていたな」
「ああ…うん。こうして触れあうだけよりも、本当はそっちの方が効率がいい。けど、お互い嫌だろうし」
「私は問題ないが??」
「……変な人、あなた」
本気で答えたというのに身を引かれてしまった。
「わたしみたいな赤い瞳、普通は気味悪いと思う。それに、あまりご飯も食べられなくて、痩せてる」
「確かにそれは目下の問題ではある」
あまりご飯を食べられない、というのは、決して彼女の待遇が悪いということではなく。男女の違いや海の上という特殊な環境もあるだろうが、とかく彼女は少食だ。椀一杯で満腹だというほど。それでも私が献上する魔力が十分であれば問題はないというので今のところそのままだが、海の上という環境においては見てて安心出来るものではない。
…いつだったか奴隷商が、見目は綺麗でも中身はどうのと言っていた。その魔術とやらのせいで、なにか内臓が欠けていたりするのかもしれない。少なくとも、彼女はすでに肩やら腕やらに怪しい傷が多いのだから。
「…ご主人様はいい人だった。こっちの切り傷は奴隷商に捕まった時の古傷だし、こっちの火傷はわたしが自分で魔術に失敗して負ったもの。魔力を上手く扱えなくてそうなったのを、ご主人様は憐れんで魔術を教えてくれた」
「へぇ…そのご主人様というのは今はどうしているのかな?」
「…海賊に船に乗るよう強要されてどこかへ行った。わたしも一緒に行ったけど、すぐに引き離されて売られた」
なるほど、と潜めるような声で頷いた。
「海賊が無体を働いたこと、私が代わりに謝罪しよう」
「…どうして?あなたは関係ない」
「私は海賊だ。だが私は奴隷という存在…正しくいうならその制度を嫌悪している。海賊とはあくまでも、海の上で自由に過ごす者だ。日常を生きる無関係な人間たちに無体を働く者というわけではない」
理解出来ない、という顔では言葉の続きを待っている。
「確かに船を見かければ宝や食糧を奪うが、我々も生きるためだ。少なくとも悪逆非道の海賊でもなければその船を沈ませたりはしない。…未踏の島の探索をして宝を得たりとか、どちらかというとそういうものが本来の海賊だと、私は勝手に思っている」
「……よくわからない」
けど、と少女は目を細め、「やっぱり変な人なんだね」と微笑んだ。思わず息を飲んで目を丸くする。がこのように微笑むのは、初めて見た。
「まぁ、うん。建前であることは認めよう。享楽のためにやっているところもある」
「へぇ」
「だが決して、無辜の人々の尊厳を踏みにじりたいわけではない。…私は、というだけだが」
「ううん。立派。思ってたより、素敵な人ね、あなた」
また微笑んだ。
身体は小さく腕の中にすっぽりと仕舞えそうなほど細く弱々しくて幼さばかりが見えるのに、その微笑みはまさに女神のようだった。神秘的なロードライトガーネットはまぶたに隠され暗色となる。それでも白い髪と肌に囲まれているせいで紅い色がよく映えている。反対側の手を伸ばし、薄い反応しか示さないのすべらかな頬を撫で、その目元に軽く口付けを落とした。きょとんと丸められた瞳は、小さく私を写している。
「食べてしまいたい」
「…食べる?」
「食べない」
苦笑で返す。
「けれどこの瞳が、もっと色々な光を受けるのは見たいな」
「…あなたの言うこと、時々意味がわからない」
困ったように眉を下げるので、肩を竦めて体を離す。
この女神のような少女を、一人の人間へ落として見たい。港町に住むどこにでもいる平和で幸福に覆われた少女のように、くるくると変わる表情を見たい。
これは果たして恋なのか、それとも手を伸ばした罰なのか。
─なんと胸踊る冒険だろう。
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