明鏡覆月影

メイキョウオオウツキノカゲ

01


時代は豊臣秀吉が掌握していた。
魔王と恐れられたかの織田信長に謀反し討ち取った明智光秀が行方不明となり、圧倒的な力を持っていた豊臣が時代の先駆けとして台頭して行ったのだ。
…そんな話を、女中がしているのを聞いた。大変なんだな、外の世界というのは。などとのんきに考えていた私は、これでも武家の姫だった。姫と言っても世間が思うようないいものではないと思う。毎日わがまま放題なんてことはないし、むしろ興味が無いのか過保護なのか「姫様は何もなさらないでください」と何もさせてもらえない。
時折城下に降りることはあっても何か買い食い出来るわけでも好きな雑貨が買えるわけでもない。ある程度興味を持っても「今度もっといいものを買ってやる」となるのだ。その後実際に値段の張るらしいものが贈られるが、身に付ける場面がないので箪笥のこやしだ。
そんな暮らしをしているというのに日々食べるものにも困る人がいるというのだから不思議だ。そういう人達には申し訳ないが、出来るならば代わって欲しいくらいに、人生がつまらなかったのだ。

ある日のことだ。そわそわと期待するような目で、父親が久方ぶりに顔を出した。
今私が住んでいるのは遠江にある、父の居城の一つであるが、普段父は仕えている豊臣秀吉の治める地域に近い近江国にある城にいるから、顔を合わせることはめったになかった。母はいたが。
そんな父がここまで顔を出したのは、どうやら嫁き遅れになりかけていた娘にいい縁談を持ってきたかららしい。

「今日は部下の方が来てくれた。このと豊臣の縁を繋いでくれた方だ、粗相のないようにな」

そう言って父は部屋を出る。ぼーっとしたままそれを見送った。粗相のないように、と言われても、今目の前にその豊臣の部下という人はいないのだからどうしようもなく、ひとまず自室に戻り荷物でもまとめるべきかと立ち上がった。
自室に戻る途中、ようやく納得するように胸が落ち着いた。そしてやっとこの家から出られるという気持ちと、次はどんな扱いをされるのだろうかという思いがよぎる。力を至上とするらしい豊臣で、なんの取り柄もない者がまともな扱いを受けるとは思わないのだが。

「あらぁ、そんなことないわよ。あなたにしかできないことをしてもらめに、私は貴方を選んだんだから」

独り言が聞こえていたのか何なのか、自室前の柱に寄りかかっていた女性が煙を吐きながら薄く笑った。目が合うとにこりと笑って手を差し出される。

「私は島 菊千代。豊臣軍特別攻撃部隊石田―…難しいことはいいわね。私が貴方とうちのとの縁談の仲人よ。噂よりよっぽどいい子そうで安心したわ」
「噂…?」

差し出された手に応えながら首をかしげると、島さんは苦笑した。

「ああ、変なものじゃないから安心してちょうだい。…いつこちらに来るかとか、日程はまた追って決めるけど、できるだけ早い事になると思うから、挨拶したい人とかいたらしておいてね。それじゃあ私は一度大阪に戻るから、失礼するわね」

さっと頭を下げて、島さんは去っていく。やれることとは一体なんだろう。勉学もさほどしていないし、何事においても興味が薄い。
強いて言えるなら奥に引っ込んで夫の帰りを待つことくらいだろうか。そんな役本当に必要だろうか。







太閤こと豊臣秀吉とその右腕竹中半兵衛。この二人がいるからこそ成り立つ圧倒的な武力を持った豊臣軍に、もう一人優秀な参謀がいた。実力重視の豊臣軍に一般の兵卒として入軍後、その優秀さ故半年とかからず秀吉や半兵衛、その他古参の豊臣軍兵に一目置かれるほどの重鎮となった―島 菊千代。詳しい経歴は省略するが、その経歴から知っていたと豊臣軍武将の縁談を取り付けたその帰り、地を駆ける馬上で菊千代は口角を上げた。
多くの幹部達が独身の豊臣で、わざわざ縁談を持ちだしたのには理由があった。今回の話の主役―豊臣の忠臣石田三成の事を、主である豊臣秀吉は心配していた。
無論そう直接口にしたわけではないのだが。

「誰かを愛せとは言わぬがな。そう言った存在を作ることは、あやつの成長に繋がろう」

秀吉の過去を知る菊千代にとって、その言葉の裏にどんな思いがあるのかと考えるだけで楽しくなるものだった。太閤と半兵衛と菊千代、三人だけの静かな中で一人笑いを堪えていれば不自然に思われるが、気にせず半兵衛は秀吉に言葉を返した。

「でも秀吉、一体どうするんだい?彼がどこかで女子を引っ掛けてこられるとは思わないけれど」
「、ああ、それなら、私が縁談でも持ってきましょうか」

君と結婚するのでも構わないけれどね、と半兵衛が呆れ顔でいうのに苦笑していれば、秀吉は同意するように短く頷いた。

「冗談でしょう。私があの子と結婚したって、なるのは夫婦じゃなくて親子でしょう」
「否定はしないね。…それに、優秀な子なら三成くんの手綱を握ってもらえるかも知れないし、豊臣の象徴になりえるかもしれないし」
「…そういうのは、あまり快くないぞ半兵衛」
「おや、そうかい?微笑みが褒美になるなら有りだと思ったのだけど、秀吉がそう言うなら仕方ないね。…とにかく、そういう面でもいい子を見つけてきてよ、菊君。言われるまでもないだろうけどね」

笑って頷いて、冷めかけた茶を飲み干した。…そんな"切欠"を思い出しながら目を細める。

「策は臨機応変に、ね」

秀吉の過去を知るからこそ、その言葉の裏を菊千代はこう読んだ。―同じ絶望の上の強さを。
石田三成は脆い男だ。目の前の物を失えばどうなるかは想像に易い。そこが気になったから豊臣に入って地位を手に入れたのも理由の一つであったのだ。今まで様々な方法を考えていたが、秀吉の許可が出たならば気にすることもなくなったようなものだ。
さてどうするか―と長く馬を走らせ見えてきた大阪城を見上げ頭の中でつぶやいた。
顔を知られた門番兵が菊千代を見やると門を開けた。馬から降りて馬小屋へ連れるよう頼んで城の中へ入る。時間はもう遅く、月は雲に隠れている。廊下を静かに歩いていれば、目の前に一人の男がいた。不可思議にも浮いた輿の上に鎮座しているその男は、全身が包帯に覆われている。

「あら刑部」
「やれ菊千代。聞いたぞ、三成に縁談とは突然なんだ」

刑部、は浅くため息を吐く。菊千代は足を止めて刑部を見て、ああ、と思いついたように口角を上げた。

「太閤が言っていたから、豊臣と繋がりを強くしたいって家を呼んだだけよ」
「…何を企んでいる?」
「企むだなんて、そんな」

この刑部という男は、石田三成が信仰する豊臣秀吉以外のほぼすべてにおいて興味がないその欠陥部分を補っているといっていい。何があったか詳しくはないが、この二人にはしっかりとした絆があることは、知っていた。訝しげにこちらを見る視線を流して、菊千代は自室へ入った。






02


そんな話があって暫く、一月もしないうちに豊臣秀吉の居城である大阪城までやってきた。普段ならしない着飾らせ方をされて輿から出て、最初に顔を見せたのは島さんと、豊臣秀吉の右腕こと竹中さんだった。

「これは…内密に進めるから何かと思っていたけど…」
「まァ言わんとすることは分かるわ。さ、姫様、こちらへ」

城の中に案内される。辺りを見ていると、前を歩いているのが豊臣幹部の二人だからか通りかかる兵士や女中は直ぐ様膝をつき頭を下げていた。異様な光景だな、と思いながら眺める。

「それでね姫、大変申し訳ないんだけど」

自室だという所にたどり着いた時島さんはそう切り出した。表情は苦い笑みで、隣の竹中さんも呆れた顔をしている。

「こちらへ到着したらすぐにでも婚儀を始める予定だったんだけど…当の若―三成がね、今遠征に行ってるんだけど、手違いがあったみたいで到着が遅れそうなのよ」
家の大切な姫を受け取っておきながらこの体たらく、到底許されるものではないのだけれど…普通ならこちらの不手際に憤りを覚えるかもしれないのだけど、君は豊臣に必要な人材なんだ、だから」
「…ええと…つまり…?」

相手方の不手際と言っても相手が上司であるなら、むしろ頭を下げて『待ちます』と言う所だろうに、二人は軽くと言えど頭を下げた。その行動の意味がわからない。驚きながら言葉の続きを促す。

「少し待っていてほしいの。若がいつ到着出来るか分からない今下手に準備を進めることも出来ないし、到着したら少しは休ませてあげなくちゃいけない。だからしばらく身の回りが落ち着くまで、この大阪城で過ごしてほしいの」
「…はぁ…」
「書類上はまだ、ただの婚約者だけれど、三成くんと同じ身分として自由に過ごしてくれて構わない。少しでも豊臣の空気に慣れて、豊臣のことを好きになってほしいからね」
「…自由に、とは、例えば?」
「うん?まぁ、そうだね…好きなようにしていいよ」

自由に、好きなこと。そう言われても、特別趣味もないから部屋に引きこもって畳の目を数えるか整理整頓をするくらいしかやることがない。困った。
一言、「分かりました」と答えて頭を下げれば、二人は去っていった。それを見送ってから部屋に入る。机と座布団、軽く見て回れば押入れの中に布団一式が入っている。部屋の隅に、前日先に送っていた少ない手荷物が並べてあった。正座してそれを見つめること暫く、暇を認めて片付けに入った。





適当に少ない手荷物を片付け終わった頃、何か外が騒がしい事に気付く。何かあったのかと外を覗けば、数十名程の人が乗った馬たち。そういえば三成という人は遠征に行っていつ帰るかわからないと言っていた。その人達が帰ってきたのだろうか。
夫となる人が帰還したなら出迎えるべきかとも思ったが、それかどうかもわからないし、考えてみたらこの部屋にどうやって来たかもあまり覚えていない―一人で出歩くのは不安だ。せめて女中さんでも来るのを待ってからにしよう、と決めたのだった。

「今日は三成の戦勝と、奥方の到着を祝う宴だ。無礼講故、好きに飲み騒ぐがよい」

大阪城の主による乾杯で、豊臣の兵士達は歓声と共に騒ぎ始めた。その隣―とは言ってもかなり離れた隅っこで怪訝な目をしながら見ていると、島さんが酒瓶を持って近づいてきた。

「あの…島さん、」
「菊千代でいいわよ、島さんなんてかたっ苦しいし。私にも弟がいてね、あの子が真面目に武将やる気になったら豊臣に来ることになるだろうからその時は島さんが二人になるしね」
「はぁ…あの…ええと」
「ん、あぁ若?若は今多分湯浴みじゃない?大分血まみれだったからさすがにね。一通り洗ったら来ると思うわ、来たら先に他の兵士に紹介するから。それまでは一応、酔った兵士に絡まれないよう私が近くにいるから」

酒瓶を直接ひっくり返しながらすさまじい勢いで飲んでいる菊千代さんはそう言って笑う。「あなたもどう?」と少し赤い顔で勧められたが、一口飲むだけでそれ以上は遠慮しておいた。正直の所匂いだけで酔いそうだ。
やけに絡んでくる菊千代さんに適当な返事をしていると、一瞬だけ静かになった。何事かと視線を向ければ、鋭い視線の男性がまっすぐ秀吉様の前へ来て膝をつく。

「三成、報告は後でよい。今日は宴だ、飲め」
「はっ。ありがとうございます…御前失礼致しました」

三成。三成…あの人がそうらしい。礼儀正しく綺麗な言葉遣いの男の人だ。
酒瓶を一つ空け、もう一つ取りに行っていたらしい菊千代さんが戻ってきて、三成さんに気付いたのか手を振った。それを見てか三成さんは秀吉様に一礼してこちらへ向かう。

「また飲んだくれているのか菊。刑部はどうした?」
「刑部はー大師のところじゃない?さぁさ若も飲んで飲んで」
「…ところで、その女は誰だ?知らん顔だが」

ちらりと視線を向けられ硬直する。すこしびっくりした、こわい。

「ん?刑部が言ってたでしょ、あんたの奥さんになる子よ。可愛いでしょ、私が選んだのよ〜大人しいいい子よ」
「奥さん…?なんのことだ、私はそんな話聞いていない」

その発言にはさすがに菊千代さんも驚いたのか、飲んでいた酒瓶を置いて無言で立ち上がった。全く飲み進めていないお猪口を持ったまま、菊千代さんを視線で追う―秀吉様に話しかけている。
そしてすぐに菊千代さんはこの大部屋を出て行って、苦々しい顔をした秀吉様は言いにくそうに三成さんを見る。それに気付いた三成さんは疑問符を浮かべているものの少しだけ焦りを見せていた。

「おい、どういうことだ女」
「え、さぁ…今日大阪城に来たばかりなので…」

八つ当たりのように鋭い視線を向けられ怯む。着物を濡らしてもいけないから震える手でお猪口を置いて、返事をしながら視線を逸らした。舌打ちして三成さんは秀吉様の元へと戻る。
こちらを気にしながら言いにくそうに秀吉さんは説明を始めた。豊臣傘下の武家との繋がりを強めるために嫁を娶るという話、刑部さん?と秀吉様当人、竹中さんは事情が有り受け入れることが出来ないため、申し訳ないがその役目が三成さんになったということ。
それを聞いた三成さんは呆然とこちらをみて、再び秀吉様に頭を垂れる。

「私にお任せくださるならばお受けいたします。しかし申し訳ありません、知らなかったとはいえ何の準備も…」
「かまわぬ。勝手に話を進めていたのは我らだ。細かい準備は菊に任せておけば良かろう。とりあえず今日は楽しめ、奥方には自己紹介くらいはしておくのだぞ」
「恩赦、深く感謝致します…!心得ました」

そんな会話をして三成さんがこちらへ戻る。不機嫌そうに見下され、冷や汗をかきながら頭を下げる。

「…と申します。第一に挨拶をせず申し訳ありません。の家と豊臣のご縁を―」
「そんなことはどうでもいい。私は石田三成、秀吉様の左腕だ。親に命じられた縁談であろうと、私の妻になるならば秀吉様に尽くせ。それ以外求めることは特にない」
「つ、つくせ…とは?その、具体的には…どうしたら…」
「言葉通りの意味だ。考えるまでもない」

そう言って三成さんは踵を返し去っていく。唖然としてふと周りを見れば、酔いつぶれている者も多い。菊千代さんも戻ってこないし、そろそろ部屋に戻ろう。…酒の匂いで少し気分も悪いし、睨みつけられた多少の恐怖で動悸がする。騒いでいる兵士達を眺めている秀吉様に一礼して、部屋を出た。





部屋に戻る、と言ったものの、考えてみれば自分の部屋にどういけばいいのかわからなかった。宴会をしている大部屋へ来たのも菊千代さんに連れられてだったし、床しか見てないから道順も覚えていない。なんという馬鹿だ。戻ろうにも適当に歩き出した後で、広い大阪城のどこにいるかもわからないからどうしようもない。
仕方なく、誰か女中さんでも遭遇しないかと歩き続けていると、ようやく前方に人影が現れた。

「おや?あなたは…」
「丁度よかった。あの…迷ってしまって…」

そう問いかければ、相手はきょとんとした後苦笑した。月明かりしかないので見難いが、頬を掻いている。

「すまない、ワシもなんだ…三成が帰ってきたと聞いて挨拶ついでに宴会に誘われたんだが、どこで開かれてるか聞き忘れてしまってな。適当に歩いているうちに、ここがどこかもわからない」

思わず無言になってしまった。三成さんの名前が出た以上知り合いなのだろうが、そんな人でも迷うなんて大阪城恐るべし。

「ところで、貴方は?もしかして三成に嫁入りするという殿か?」
「…あ、はい。すみません名も告げず… といいます」
「そうか!ワシは徳川家康。三河の国主だ。殿、三成は扱いに困るだろうが悪い奴じゃないんだ、よろしく頼むよ」

徳川、さん。そうつぶやけば笑顔で「家康と呼んでくれ!」と言われた。やけに馴れ馴れしい、というか明るい人だ。そういった人とは出会ったことが少ないので戸惑ってしまう。
家康さんは立ち止まっていても仕方がないと言ってまた散策しはじめた。分かる場所にたどり着けば、三成さんの部屋に案内してくれるらしい。三成さんが今日出会った女に与えられた部屋の場所を知っているかは分からないが。そうして二人で歩いていると、後ろから足音が近づいてきた。いち早く気付いたらしい家康さんが立ち止まり振り返るのに釣られるように立ち止まった。

「何をしている家康ゥ…」
「三成!ちょうどよかった!少し迷ってしまってな、殿もそうみたいで―」
「おい女、何故勝手に出歩く。家康貴様もだ。宴の後でいいらしいが菊が呼んでいた」
「いやだからな、ここがどこかもわからないんだよ。菊の部屋でもいいから案内してくれないか?その後殿も自室まで送り届けてやってくれ」

三成さんはこちらへ視線を向けた後踵を返す。

「貴様の自室の位置など知らん。菊の部屋までは案内してやる、そこからは勝手にしろ」
「…はぁ、ありがとうございます…」
「おい三成…仮にも奥なんだから、場所がわからないなら菊に聞いてから送ってやればいいじゃないか」
「何故私がそんな面倒を見なければならない。妻だというならば私が一秒でも多く秀吉様のため働けるようそんな手間は無くすべきだ」

そう言って歩き出す。「おいおい…困ったやつだな」と頭を掻きながら、家康さんが手を引いてくれながらも彼らを追った。三成さんの足の進みは速く、飾りを付けた状態でいつもより歩きにくいため時々転びそうになりながら必死についていく。時々家康さんがそのことを伝えてくれたけど、知らんの一言で速さが変わることはなかった。

「あ、あの、すみません、まっ…」
「おい三成、ワシはともかく殿が…。もう少しゆっくり歩いてくれ」
「貴様らが遅いだけだろう」
「あっ、」

何度めかのそんな会話の後。ついに足が足に躓いた。家康さんが手を引いていてくれたと言っても、彼の手を掴んで踏ん張る力はない。床に倒れ込む衝撃に身構える―が、暫く待ってもそれは来なかった。恐る恐る目を開けば、家康さんは目の前でほっとした顔をしているだけで特に助けてくれた様子ではなく、三成さんも然り。けれど床に倒れているわけでも、まっすぐ立っているわけでもない。

「やれ平気か、禍姫よ」
「…ま、が…?あの…」

後ろから聞こえて、体勢を直しながら振り向けば、浮いた輿…に乗った肌の見えない厚着をしている男性。姫とついていても、今言い呼ばれ方をした気がしないのだが。
そうしていると家康さんに怪我はないかと確認される。首を振れば微笑んで頷いて、輿に乗った人に視線を向けた。

「刑部、すまない助かったよ。殿、大丈夫だったか?まったく三成も、こうなっては危険だからゆっくり歩けと言ったのに」
「そうよな三成。姫は大事な人材よ、少しくらい気を使ってやるべきであろ」
「………刑部がそう言うなら善処しよう」
「ああ、そういえば我と姫は初対面であったな。我は大谷。大谷吉継よ…皆からは刑部と呼ばれておる。姫の夫になる三成の部下よ」

大谷さんはそう言って喉をひきつらせて笑った。後ろで三成さんが「私の友だ」と付け加えている。こちらも名を告げて頭を下げれば、また喉を引きつらせて笑っている。

「…あの…」
「おお姫よ、我には近づかぬが吉よ。三成の奥方が周りに忌み嫌われるのは快くない故な」
「…?何故ですか?」
「我は病に呪われておる。ヒヒ、肌を蝕むこれが姫にも移って、その愛らしい尊顔が爛れては困るであろ?」

愉快そうに言われて首を傾げる。別に愛らしいとも思わないし、その"爛れた顔"の大谷さん自身を友としている三成さんはなら、さして気にしないと思うのだが。そう片付けて、右手を大谷さんの着物に伸ばした。

「…いえ、それは正直どうでもいいです。…糸くずがついていたので気になって」
「……………さようか。…菊からヌシらに伝言よ。今日はもう遅い、話は明日にする…とな。どれ、徳川は我が客間に送ってやろ」
「お、おお、そうか。ならすまない刑部、ありがとう」
「姫は三成、ヌシが送ってやれ」
「私はこの女の部屋の場所を知らない」
「心配するまでもなかろ。考えてもみよ、姫はヌシの奥方…今のところは三成、ヌシの部屋のすぐ隣よ」

なんだと、と呟く三成さんをよそに、大谷さんから拾った糸くずを風に流す。月が綺麗だなぁと空を見上げていると、三成さんから声がかかった。既に家康さんは大谷さんとともに廊下を進んでいる。

「行くぞ」
「…はい」

そういってまた三成さんの背を追いかけるのだが、やはり速くて小走りになった。