無事三成さんに自室に送り届けてもらって夜を過ごした。
翌日、日が現れるころに起き上がり布団の上で正座する。起きても特にやることがないから、女中さんが着替えの手伝いに来るまでいつもこうしている―の、だが、そこでやっと頭が覚醒して気付く。ここではきっとその女中さんは来ない。一人で着物が着れないわけではないが、昨日めかし込まれた飾りの一部の外し方がわからなくてそのまま寝たのだった。
寝相はいいほうだという自信があるので崩れたりはしていないが、着物に少し皺が寄ってしまっていて申し訳ない。
飾りを置いてひとまず、昨日こっそり用意しておいた桶から水に濡らした布で体を拭いてから着物を着替えた。昨日はやけに煌めかしい柄だったが、やはり薄い模様か無地がいい。
そうして手鏡を見ながら頭の飾りと格闘する。髪に引っかかってるのか、留め具は外れているはずなのに無理に引っ張ると頭皮が痛い。
ある程度頑張って解けたところでそろそろ面倒になって、ちらりと己の荷物に目を向けた。確か、あの中には―。
+
起床して暫く、朝食も済み菊千代は自室で人を待っていた。昨日は予定が変わってしまって出来なかった話をするためだ。
中心人物である家康は既に部屋に来ていて、菊千代と談笑しながら茶を飲んでいる。二杯目を所望しようかという頃、もう一人菊千代の部屋を訪ねてきた。
「すまない、遅くなった」
「若が遅れるなんて珍しいわね、何かあったの?」
「…あの女は食事を摂るのかどうかと女中に引き止められた」
あら、と菊千代は首を傾げる。
「姫ならもう起きてるはずだけど…あ、しまった」
「菊?どうかしたのか?」
「うちは食堂に取りに行くやり方だって伝えてなかったわ…悪いけど三成、姫に膳を持って行ってくれる?多分お腹すかせて待ってるから」
「何故私がそんなことをしなければならない」
「全く三成は…。菊、ワシが行くよ。殿は三成の隣の部屋だったな」
そう言って立ち上がる家康を引き止め、入り口で不機嫌そうに立っている三成に鋭い視線を向けると菊千代はため息を付いた。
「…葵、あなたは客なんだからおとなしくしててほしいんだけど…そうね、私の部屋に姫の膳を運んできてちょうだい。三成は姫をここまで連れてきて。姫にも少し話をしなくちゃいけないから」
「何故…―。わかった」
「ワシも行ってくるよ」
二人を部屋から出してため息をつく。縁談のことを遠征中に伝えると言っていた刑部が嘘か真かど忘れして三成に伝えていなかったこともそうだが、三成がそこまで女に興味が無いとも思わなかった。身内には優しいものだから、妻になるとなればもっと態度が変わるかと想定していたのだが、案外面倒なことになりそうだ。
*
「…あった」
片付けた荷物の中を探って、見つけたのは小さな刀。間違っても人を傷つけることなんて出来そうにない、髪を切ったり剃毛する用のちょっとしたものだ。髪飾りに絡む髪はだいぶ少なくなったが、それだけ格闘した分もう面倒なので潔く切ってしまおう。
そう思って鞘から刀身を引き抜いた時だ。襖の向こうから「入るぞ」と声がして、返事をする間もなく部屋に光が差す。上半身だけ振り向いて相手を確認する―三成さんだ。彼はこちらを見て何を思ったのか、目つきを鋭くして声を低く言った。
「何をしている」
「え…?特に…何も、大したことは…」
そう答えると、まばたきの間に彼は眼前に迫っていた。理解できてないうちに刃が首筋に触れていて、何事かと三成さんの顔を見上げる。
「貴様…まさか私の妻などという立場を利用して秀吉様を暗殺でもしようとているのではあるまいな」
「…?」
「とぼけるな!その凶器はなんだ!」
「凶器なんて持っていませんけど…」
「…私を目の前にして怖気づいたか?証拠を手にしてまだとぼけるとはいい度胸だ。すぐにでも斬首してくれる!」
何やら大層怒っているが状況が理解できない。まさか理由もわからないまま二日目で殺されてしまうのか。
まぁ自室に閉じこもって畳の目を数えているだけの生活なら、特に未練もないが。そう思うとどうでも良くなって潔く死んでしまおうとも考えたが、ここで暗殺者の汚名を被ったまま死ねば実家だけでなく縁談の仲人である菊千代さんにも迷惑がかかるのではないだろうか。それはいけない。…しかしかと言って、なにか言おうにも何に怒っているのか分からないので弁解しようがない。
凶器ってもしやこの小刀のことだろうか。殺傷能力が著しく低いということを見せれば、わかってくれるかもしれない。そう思って抜身の小刀を三成さんに向けた。
…ら。それを眺めた様子もないまま彼の刀で弾き飛ばされた。少し手が痺れる。
「この期に及んで私を殺そうとするか。答えろどこの間者だ!」
「ッ―、」
これはよろしくない事態だ。襲い来る刃に身構えた。
「はいやめ!」
「落ち着け三成!」
衝撃がないまま菊千代さんと家康さんの声がする。恐る恐る目を開けて確認すれば、何か紐で三成さんの刀を絡めとっている菊千代さんと、三成さんを後ろから羽交い締めにしている家康さんの姿。どうやら一難は去ったようだ。
「遅いと思ってきてみれば一体何があったんだ三成!殿に刃を向けるなど!」
「離せ家康!」
「葵、そのまま捕まえててちょうだい。…姫、大丈夫?怪我は―ないみたいね」
菊千代さんがしゃがんでそう確認する。頷けば微笑んで、そして呆れた口調で三成さんに言葉を向ける。
後ろから拘束され動けない三成さんは、こちらを睨みつけながら答えた。
「この女が匕首片手に思案していた。私の立場を利用して秀吉様を傷つけようとしていたのだろう!」
「あのねぇ…。姫、貴方を疑ってはいないけど匕首って?」
あいくち、が何のことかいまいち分からないが、おそらくは先ほど手にしていた小刀のことだろう。吹き飛ばされた方に視線を向ければ、菊千代さんが近づいてそれを手に取る。様々な方向から眺めた後、先程よりも長い溜息をついて、小刀を三成さんに見せた。
「若、これ見なさい。こんな細い刀身で太閤の首を掻けると思う?」
「………秀吉様はこの程度の刃で殺されるはずはない」
「そうよねぇ、毒が塗ってあったとしても難しいわねぇ。それこそ姫みたいなか弱い子の首ならともかく。で、何があったって?」
「………すまない」
「謝るのは私だけじゃないでしょう。というかそもそも彼女を呼んだのは私よ、その姫が間者だったら太閤の暗殺を企てたのは私ってことになるでしょうが」
「すまん」
おとなしくなったからか家康さんは三成さんを離してこちらに視線を投げる。釣られるように三成さんもこちらを見てきて、苦い顔で近づいてきた。
片膝をついて、頭を下げている。
「…勝手な勘違いで失礼な事をした。申し訳ない」
「ごめんなさいね、姫。この子早とちりなところがあるから…このことはちゃんと上にも伝えて叱ってもらうから、今回だけは見逃してくれないかしら」
上にも伝えて…の辺りで三成さんは本当に苦い顔をしたが、仕方ないとばかりにうなだれた。許しの返事を待っているのかその場から動かない。「姫?怒った?」と菊千代さんが少し焦ったの見て、慌てて首を振る。
「…構いません。どうでもいいです」
「………」
「殿…それは…」
「…何か?」
返答に何か問題があったのか首を傾げると、家康さんは悲しそうな顔をして首を振った。三成さんはよくわからない顔をして、菊千代さんは驚いた顔をしていた。
「…そう。ありがとう、姫。助かるわ」
*
その後菊千代さんに絡まった髪と髪飾りを切って外してもらってから、彼女の部屋へ移動し昨日するはずだったという話を始めた。
家康さんが持ってきてくれていたらしいご飯は、冷めてしまったからと改めて作ってもらっているらしい。申し訳ない。
「次の戦のことなんだけど、いろいろ変更があってね。黒がどうしても雑賀を使いたいって言うから、大幅に配置替えをすることにしたのね。葵は東への牽制に赴く部隊の大将、若は城の守り、太閤と大師は小田原征伐の援軍として近くに待機」
「なッ…!何故私を攻めに使わない!?」
「何故って…東への攻撃はまだ牽制よ。甲斐武田とは私や葵の縁もあって仲がいいけど正式に同盟は交わしていないし、手薄な城を狙って来るだろう某軍も、大師の考えがあるから下手に手を出すわけには行かないの。万全に周りを固めるまではね」
何やら難しい話をしているが、何故この場に呼ばれたのだろうか。
「葵、あなたなら、敵を下手に煽らず帰ってもらえるでしょう?」
「絶対とはいえないが…勿論、今回の戦の意図のために力の限りを尽くす」
「で、若はところかまわず斬り捨てちゃうでしょ。でも逆に城まで攻め入った敵なら斬り捨てていい」
「………わかった」
「それに今は、気にしなくちゃいけない命がある。それがあなたの奥さんなんだから、ってこと」
突然話に出てきて全員の視線が集まる。少し驚いて俯くと、菊千代さんの笑う声。
「ふふ、斬るとかさっきの今で物騒な話してごめんなさいね。大丈夫、若だけじゃなく護衛もいくつか付けて守りは万全にするから安心していいわ」
「…はぁ…」
「そろそろご飯も出来たかしらね。お腹空いたでしょ、どうせ食べてない若連れて厨房行って、ご飯食べてきて」
そう促されて、多少空腹があることに気付いて素直に頷く。「私は必要ない」と不機嫌そうな三成さんだったが、菊千代さんに笑顔で返されて黙って立ち上がった。
「ご飯食べたら城の中を案内してあげて」
「だから何故私が―…わかった」
「よろしくね」
軽く手を振る菊千代さんに会釈して、部屋を出た。
+
数歩前を歩く三成さんの背中はいろいろと物語っている―というか、この縁談に対してかこちらに対してかブツブツと文句を垂れているその台詞の通りだ。「何故こんな女に付き合わなくてはならない」「菊が連れてきたのなら菊が面倒を見るべきだろう」「しかし秀吉様の命の内であるというならないがしろにするわけには行かないのか…」等。
いやはや、こちらからは何も選べないので申し訳ない。下級とまで行かないそこそこの武家だといっても主の命令であるならば余程でない限り断ることさえ出来ないのだから。
…少しくらいは胸熱くなる恋というのに憧れてもいたが、こんな人間が相手では三成さんも絆されることはないだろう。
厨房で膳をもらって食堂で食べたあと、菊千代さんが言っていた通りに三成さんは城の中を案内してくれた。これでようやく、一人で厠に行って戻ることも出来そうだ。
「貴様は」
「…はい?」
「大事な人材だと刑部が言っていたが…貴様は一体何ができるんだ?戦えるわけではないのだろう」
「…はぁ…」
あらかた回り終わったのかどうかは分からないが、突然三成さんは立ち止まりそう聞いてきた。
何が出来るのか、と言われても特に何も出来ない。睨みつけながら答えを待つ三成さんに、暫く思案して思ったことを口にした。
「…どういうおつもりで、菊千代さんがお選びくださったのかは知りませんが…思うに、その…失礼ですが、」
「構わん」
「今台頭しているらしい豊臣の重鎮である貴方も、これから縁談話が増えることでしょう…それを逐一相手にするのも面倒で断る理由を作るのも手間がかかる。…と、すれば、一人大人しい姫様を囲って…外には、まぁなんというか…例えば『他の女は愛する気にならない』とかなんとか言っておけば、外面は"妻を愛するいい武将"と評価がつく…のではないでしょうか…」
多少噛みながら告げれば、三成さんは目尻を吊り上げながらこちらを睨みつけている。そんな不機嫌になられても、実際の所どうかなんて知らないというのに。
「…勿論、実際大切にする必要はありませんよ。今朝みたいな事があっても気にしませんし…まぁ、死なない程度に放置してくれれば」
付け加えるようにそういうと盛大な舌打ちが聞こえた。三成さんは不機嫌に拍車をかけたような顔をして、相変わらずこちらを睨みつけている。
「…貴様は、そうするに足る姫だとでも言うのか」
「は、はぁ…?」
「貴様は、豊臣に益を成す存在ではないのだな?」
「…えっと…」
「私一人の面倒事を避けるためだけに妻になるなど…私を馬鹿にするのも大概にしろ!」
突然刀の柄を向けられて怒鳴られる。馬鹿にしたつもりもないし、どんな役に立てるのかと聞かれて答えただけだというのに横暴だ。
「大体『台頭しているらしい』とは何だ!今日ノ本で最も勢いがあるのは秀吉様率いる豊臣以外にありえない!」
「…それは…すみません、世の情勢もよく知らないもので…」
「何ィ…!?貴様、同じ女でも菊は知能を使って豊臣に尽くしているというのに…!まさか貴様、秀吉様がどれだけ偉大なお方かも知らないのではないだろうな!?」
その通りだ。昨日の宴会で乾杯しているところをちらりと見ただけで話したこともないし噂も知らない。
頷けば、三成さんは怒りを通り越したのか同情するような顔で、しみじみと秀吉様の事を語りだした。武器を持たず強い拳で戦う強い方で、上級武士ではなかった三成さんを取り立てて今では左腕にしてくれただとか、右腕の半兵衛さんも大層素晴らしいお方で大変頭がいいとかなんとかかんとか云々。
あまりに熱心に語られているけれど、正直な所自分にとっていい人悪い人すごい人の基準がないので評価のしようがない。
「おい聞いているのか!」
「…はぁ…なんとか…」
「とにかく秀吉様は素晴らしいお方なんだ。貴様もこれだけ話を聞けば、自ら仕えたいと思うだろう!」
いや、特に思わない。答え渋っていると察したのかまた目尻を釣り上げ始める。怖い。
「く…ッそういえば貴様は特別秀吉様の役に立てるような能力がないのだったな…おい、好きなことはなんだ」
「特にありません」
「何ッ…?……そうか、なら………。………そうか………ならば、何かやりたいことはないか」
「…特に…」
そう返すとまた悩みこんだ。彼は一体何をさせるつもりなのだろうか。暫く沈黙して妙な空気が流れる。鳥の鳴き声がして空を見上げる。綺麗な空だ。
「おい女、貴様少し学んだらどうだ」
「………何か失礼なことをしてしまいましたでしょうか」
「そうではない。大方部屋に引きこもっていて今まで空でも見て過ごしていたんだろう、書物でも読んで様々な事を学び、自分の得意を見つけるのはどうだ」
…実際には空よりも畳の目を数えていたことが多いような気はしたが、そんな提案に少しだけ心が踊った。
実家にも書物はあったが余分だからと読ませてはもらえなかったし、何より暇な日中何かをして過ごせるというのなら願ってもないことだ。
「どうだ?返事をしろ」
「…是非、そうさせてください」
決まりだ、と彼は笑んだ。
竹中さんや菊千代さんが作ったという書庫に通うようになって数日。読めない字が出た時に聞きに行っていたら三成さんが時々教えてくれるようになった。大阪城に来て最初の頃の態度と変わって随分気にかけてくれるようになった、…気がする。
だからかこの数日でたくさんの言葉を学んだ。必要がなかったのもあって今まで自分のことをなんと呼べばいいのかも迷っていたのだが、それも学んだ。
そうしているうちに菊千代さんが筆と墨をくれたので日記を書くようになった。ここへ来るまでの生活からめまぐるしい変化であった。
「…此方は…石田三成様と…どうにか、仲を取り持ち…の家の評価と…菊千代さんへのお礼も兼ねて、豊臣へ尽くせるよう…頑張ります…」
口にしながら、返していなかった父からの手紙への返事を書いていた。父からの手紙というのは、三成さんは扱いにくい人だから気をつけろとか、少なくとも家の評価を落とさないよう気をつけて欲しいとか、そういう話だった。
筆を置いて墨が乾くのを待つ。万が一風で飛んで行ったりしないように文鎮を置いて、既にできていた別の紙を持って部屋を出た。
教えてもらったとはいえ少々不安になりながら三成さんを探す。時間的に鍛錬道場の方だろうか。―どうにか辿り着けば、案の定三成さんは数名の兵士さん達と木刀で打ち合いをしていた。木刀だというのに風を切る音がする。
暑くもないが寒くもない、鎧を着てせかせかと動いていれば汗のひとつもかきそうなものだが、当の三成さんは涼しい顔をしている。表情に出ないだけなのか、そういうのを感ずる部分が鈍いのか。
…今日呼んでいた書物に幾つか分からない字があったので教えてもらおうと思ったのだが、考えてみれば今聞きに行くのは邪魔以外の何者でもないだろう。
出直そうと踵を返すと、ふと視線の先に三成さんの刀が置いてあることに気付いた。他にもある誰かの刀より少し長い。恐る恐る少しだけ刀身を抜き出そうとするが固くて抜けない。意地になって太腿に挟んで両手を使ってどうにか引き抜いた。自分の持っていた小刀とは比べ物にならないほどの重さが手にかかり、思わず鞘を置いて両手で持った。
陽の光を反射してきらりと光る刃は、恐怖も覚えるがなんとも綺麗だ。こんな重く固い物を、三成さんはあの木刀を操るように素早く扱うのだろうか。
兵士達の攻撃を紙一重で避けながら次々に打ち込んでいく姿は洗練されていて目を奪われる。刀を操るのには型があるのだろうか。どれほどの鍛錬を積めばあのような動きができるのだろうか。すこし、興味がわいた。
刀を鞘に戻そうとした時、三成さんの怒鳴り声が聞こえた。…数日三成さんと少しだけ親しくなって気付いたのは、彼は思っていたよりすぐに怒る人ではないということだ。敵相手には分からないが、少なくとも豊臣軍の人には。それでも女中さんなんかには多少恐れられているが、長年務めているらしい年配の女中さんだと平気で三成さんに話しかけているから驚きだ。
自分自身も最初は殺されかかったことはあったが、無事仲間であると認識された今では多分普通に対応してくれている。
そんな彼が怒鳴ってまで怒る時というのは、だいたい条件が決まっている。
「貴様ァ…それは秀吉様への裏切りか!」
「ひ、ひぃッ!す、すみませっ」
「懺悔の暇など与えない、一度でもそう口にした事、許しはしない!即刻死に絶えろ!」
秀吉様を始め、半兵衛さんや菊千代さん、大谷さんなどの親しい人や尊敬している人を侮辱されたり、文字通り『裏切り』をされた時である。それを知ってからは、ああだからあの時三成さんはあんなに怒っていたんだな、とのんきに思う。
今の兵士は尻餅をついて青ざめている。農民出で徴兵されたであろうその男は、つい今しがた「こんなに訓練しなきゃいけないなら家康さんの部下になりたかったよ」などと言っていたらしい。女であり実際経験してない奴から見ても、今日の訓練はさほど大変そうに見えないのだが。むしろ、一人木刀で多勢の兵士たちが襲ってくるのを避けて避けてその都度脇が甘いとかお前は刀より槍兵が向いてるとか言われて、彼が避け損ねて攻撃が当たってしまっても、その調子だとかほめていたのに。見ているとやはり噂ほどの人とは思えない。情報操作されているのだろうか。
「…あ」
止めるべきだろうかと刀を握ったままそわそわしていたら、三成さんの木刀が、尻もちをついて怯えている兵士の木刀を弾き飛ばした。手から武器を奪われたその兵士は真っ青になり、ガタガタと震えている。
しかし問題はそこではない。弾き飛んだその木刀が、激しく回転しながらこちらへ向かってきているのだ。あれがあたったら、多分痛いどころじゃ済まない気がする。それを避けるだけの反射能力もない。
小さな声に気付いたのは近くにいた一部の者だけだったようだが、その兵士さん達も気付いてすぐに顔を青くして慌て始めていた。落ち着いて状況を話しているが、これでも焦っている。せっかく最近楽しく過ごせているというのに、こんなところで大怪我して痛い思いするのは嫌だ。
とりあえず盾代わりに、持っていた三成さんの刀を構えた。距離を考えて、えい、と振ってみようとした―が、重くて木刀とぶつかる瞬間に上手に振り下ろせるはずもなく。両腕と刀が勢い良く下まで下ろされた時、まだ前方に木刀が見えた。
「……、……?」
「大丈夫か?」
痛みがないことを確認して恐る恐る目蓋を上げるのは何度目だろう。既視感を感じながら前を見れば、黒い服を着た知らない男性がほっと胸をなでおろしていた。無事そうだなとこちらを確認した後、訓練場の方にいた三成さんの方へ歩いて行った。
「おい三成落ち着けって。戯言ぐらい見逃してやれ」
「貴様には関係ない。秀吉様の兵でありながら家康などと…」
「戯言だろって。武士の俺たちと違って好きで兵になったわけじゃないんだ、夢くらい見させてやれ」
変更は出来ないんだし、と男が言うと三成さんは「秀吉様の力になれるというのに!」とまだ言葉を続けていたが、男は無視して腰をかがめる。肩に手をやり何かを呟いている。
「も、申し訳ございません!秀吉様の下でこれからも誠意尽くします…どうか!」
「ほら、こういってるんだし許してやれよ」
「……立花に免じてだ。次はない」
三成はそう言ってまた構えようとしたが、こちらを指差すあの男性によって私の存在に気付いたらしく、兵士たちに休憩を言い渡していた。
二人で近づいてくるのを見て、慌てて刀を仕舞おうとするが、向きが違うのかなんなのか入らない。苦戦している内に三成さんに取り上げられてしまった。
「…勝手に触ってすみません」
「構わない」
「あ、そうだ三成、お前がさっき弾き飛ばした木刀がこの子に向けて飛んでってたぞ。ちゃんと周り見ろよな」
「…その節は。ええと、助けて頂いてありがとうございます」
そう言って頭を下げれば、「ん?」と男性は首を傾げた。
「いや、俺は別に何もしてないけど…え、だってさっき刀振り下ろしてたじゃん?」
「え…?闇雲に振り回しただけで…」
「……婆娑羅の気配したし…時間差で木刀割った的な技かと…ちょっとまって」
男性は周りを見渡して、確かに真ん中らへんで割られた木刀を見つけて拾い上げた。ほら、といいながら切り口を見せられる。
鋭利なもので斬られてはいるが、私は確かに刀を振り下ろした後も無事な木刀を見たのだが。
「ほら三成も見てみろ。これ、光の婆娑羅じゃないか?」
「………なるほど」
木刀をみて三成さんも驚いたように呟いた。ばさらものだったのか、とわからないことを言って木刀を受け取る。首を傾げている私に気付いたように、男性はこちらを向いて座り込んでいる私に手を差し出してきた。
「自己紹介が遅れたな。俺は立花宗虎、九州の一部の領主だ」
「…九州…西の…」
「そうそう。今は秀吉に用があって滞在してる。そういえばあんたは?見たことない顔だけど」
秀吉様を呼び捨てにするということはかなり高い地位にいる人なのだろうか。差し出された手を取って立ち上がり、自己紹介を求められ戸惑いながらも頭を下げようとすると「かしこまらなくていいよ」と軽く笑われた。
「…、ともうします。此方は…ええと…三成様の…」
「そのうち妻になる女だ」
関係性というか役職に悩んでいると、三成さんがズバリと言ってくださった。立花さんは心底驚いた顔をした後にやにやと笑い出した。
「何、三成が?恋?可愛い子捕まえてきたじゃん」
「そのような下心があるものか。秀吉様の命で菊が連れてきた」
「…なんだ、つまんね。でも菊が選んだんならハズレはないだろうなーあの女好き」
「黙れ立花。ところで女、これは何だ」
菊千代さんは女性なのに女好き…?そういえば宴の時女中さんとやけに絡んでいたなあとか思っていたら、三成さんが木刀を見せながらそう聞いてきた。何だって、何が。
「知らんはずは…」
「三成、説明が悪い」
そう言って立花さんが説明を始めた。
今手にしている木刀は、先ほど私に向かって飛んできていた木刀で、立花さんや他の誰かが助けたわけではないのに両断されて当たらずに済んだらしい。しかしならばどうして両断されたのか?ということで、立花さんが見ていた限りでは、三成さんの刀を適当に振り下ろした直後、その剣筋に沿うように光の婆娑羅が発動して木刀が両断されたのではないか、…と。
ばさら?と首を傾げれば続けて話してくれた。
婆娑羅と言うのは強い武将に現れる特殊な力で、それを操る者を婆娑羅者という。三成さんや半兵衛さん大谷さんは闇の、立花さんは炎(尚最近少しずつ性質が変化しているらしい)、菊千代さんは氷、秀吉様は光の婆娑羅を持っているらしい。婆娑羅者の武将は、各地でも大名だったりとその力を振るっているらしい。
「…此方が、その婆娑羅者…だと?」
「恐らくな。じゃないと説明がつかないし」
「他の誰が手を出したわけでもないと言うのなら、それしかありえないだろう」
「やーでもそれが発覚したところでどうするつもりだ?」
立花さんの言葉に、三成さんは「無論だ」と鼻を鳴らす。
「稽古をして力をつけ秀吉様のため、」
「仮にもお前の奥さんになるんだろ?世継ぎとかいろいろ大変だろうに」
「そんなものいらん私が死ぬまで秀吉様に仕える、それだけだ」
「秀吉が天下取る前にお前がおっちんだらどうすんだよ」
「死なん!!私は必ず秀吉様の天下をこの目に焼き付ける!天下を取ったら斬り殺すしか能のない私などいらん、よって世継ぎも必要ない」
……世継ぎを作るのは嫁いだ女の重要な仕事なのだが、それを奪われては私は一体どうしたらいいのだろうか。いや、その事自体は別にこの際構わないが、実家の立場とか、世間体とか、いろいろ…。
そう思っていたら立花さんも同じことを考えていたのか、呆れた口調で言い返し始めた。
「そうは言ってもなぁ三成、相手は武将で地位のあるお前に嫁いだんだ。お前にその気がなくても世継ぎ作ってやらないと、正室としての地位や風当たりってのが悪くなるんだよ」
「そんなものどうでもいい。こいつは所詮他の縁談よけだ」
「そういうのも分かるしまだ好きでもない女抱けないって思うかもしれないけどさぁ…、そういった外交関係の評価で、秀吉や半兵衛の評価も落ちるんだぜ?」
二人の名前が出た途端うろたえた三成さんに、ここぞとばかりに立花さんが言葉を連ねて説得を始め、三成さんもそれを黙って聞いていた。しばらくして納得したのか折れたのか、二人が私をみてまたいくつか話した後、真面目な顔でこちらを見る。
「…の、貴様は、武術を学ぶ気はないか」
「おい三成…」
「学ぶのが好きなのだろう?どうだ」
突然の提案に目を瞬かせた。立花さんはなんとも言えない呆れ顔だ。
武芸を学ぶ。…三成さんたちの先ほどの稽古を見て、興味がわいたのは本当だ。実家では何もできなかった私が、武芸にまで手を出せるというのは、とても魅力的だ。
朝起きてやることがあるというのは、とても素晴らしい。書庫の本は今三割ほど読み終えた程度だったろうか、一通り分類わけされた背表紙を見て回った時、大分奥の方に兵法書もあったと思う。順番を違える事になるが、読んでみてもいいだろうか。答えるよりも先に考えていたら、顔をしかめた我が君がどうなのだともう一度問いかけてきた。思考を遮られ瞬きをしてうなずくと、我が君はうっすらと口角を上げてふんと息を吐き出し、た。
「…!」
「どうした」
「……いえ、何も」
今日はもう休みだ、と、我が君は踵を返していった。分からない文字を聞くのを忘れたが、日常に武術を学ぶという事柄を組み込んだこれからの過ごし方を考えなくてはならない。文学を疎かにしたら、大変なことになりそうだ。
*
武芸を習うようになって数日、三成さんと一緒に稽古を付けてくれた立花さんが明日九州へ帰るらしい。感覚で学べと言ってくる三成さんと違って論理的に教えてくれるので、この十に満たないほどの日にちだけで随分と体力がついた。…一日目は、筋肉痛で動けなかったのだが。
「初めて見た時と随分変わったなぁ、ちゃん」
「そうでしょうか」
「変わった変わった。言葉に躓かないようになったし、返事が早くなったよ」
「…そうは思いませんけど」
立花さんに稽古をつけてもらえる最終日。突然の言葉に返答すれば、立花さんはまた笑う。
「女なのにこんな二三日で兵士に負けないくらいになったんだ。婆娑羅のこともそうだけど、元々素質あったんだろうな」
「素質…ですか。けれど婆娑羅をはあれ以来発生した様子もないですし、立花さんや菊千代さん、石田殿には遠く及びませんし」
「目標が高いなおい!そんな数日で追いつかれちゃたまったもんじゃないよ…というか、三成のこと石田殿って呼ぶの?」
そう言われて首を傾げる。何かおかしなことがあっただろうかと問うと、「夫に対して苗字は変」と真面目な顔をして言われた。
「……立花さんは、親しくさせて頂いていますので立花さんで、菊千代さんは本人から名前でいいと許可を頂いたので。石田殿は呼び方について何も言われていませんので…」
「ふーん…?夫の呼び方となるとー殿とか、お前様とか、名前とか…あるだろ」
「勝手に呼んでいいものでしょうか」
「この前石田殿って呼ばれて神妙な顔してたけど」
「え…」
以外な情報に少し青ざめる。補足するように立花さんが「別に怒ってはなかったけど」と言ってはくれたが、何か不機嫌にさせてしまっているなら訂正するべきだろう。そう言えば困った顔をして頭を掻き思案する立花さん。…立花さんにも迷惑をかけている気がしてならない。
「…いや、まぁ別になんでもいいと思うよ。『三成様』でも『三成殿』でも」
「許可もなく名前で呼ぶのはちょっと…。そのすみません、何か面倒をかけて」
「大丈夫だって、息抜き息抜き。三成なら別に名前で呼ばれるのに抵抗はないと思うけどな」
「…かもしれません、けど此方はまだ名前で呼ばれたことがないので、少し…」
「あー、それはな…。名前呼ぶのが嫌とかなら『あなた様』とか?恋愛結婚じゃない子とかは、好きじゃないからって名前で呼ぶの遠慮するのも多いって聞いたことあるし」
立花さんは私を置いて一人で思案している。実際口にする呼び方はなんでもいいのだろうが、余計な知恵をつけた今、名前を呼ばれない状況で相手の名前を呼ぶのに抵抗というか、少しふくれっ面になってしまうのだ。それがどうしてなのかは検討もつかないのだけど。
そんな私の心の中を察してくれたのか、思いついたように立花さんはにやりと笑った。
「正直な所、三成がちゃんの名前覚えてるのかどうかは怪しいよな。菊や刑部は『姫』って呼ぶし、あいつ人の名前覚えるの苦手だし。だからな、思ったんだけど」
「…はい」
「三成がちゃんのこと名前で呼ぶようになるまで、三成があんまり快くない呼び方で呼んだらどうだろう」
「快くない…ですか」
「そう。例えば三成は、秀吉以外に対して『王』って使われるのを嫌う。そういう系統で嫌がる言葉があるんだ」
しゃがみこんでひそひそと話している様は少し怪しいだろうが気にしない。
「だから例えばそうだな…。どうせ三成に、「私の妻なら秀吉様に尽くせ」とか言われたろ?」
「言われました」
「なら『我が主』…はやり過ぎか、『我が君』なんてどうだ?」
「我が君?」
「相手に親しみを込めて敬う呼び方だ。『それを言うなら秀吉様にしろ』とか言うだろうけど、『自分の夫は貴方です』って言い返してやれ」
「はぁ…」
「もし本気で怒られたら俺のせいにすればいいから。さ、稽古の続きだ!」
突然立花さんが立ち上がって、得物である大きな薙刀を差し向けてきた。鞘が付いているとはいえ迫力がある。
驚きながらも、先ほど言われたことを思いながら木刀を構えた。
*
稽古を終えてふらふらと厨房へ赴く。用意していた水を飲み干してしまったのでもらめにだ。厨房に顔を出せば、休憩中なのか湯のみ片手に談笑していた。私の顔を見つけて慌てて仕事を再開しようとしていたが、予定に口出しするつもりはないので引き止め用事を伝えると、すぐに水をくれた。
「…何を飲んでいるんですか?」
「ああ、これは八女茶ですよ。立花様がお土産に持ってきてくれたんです。わざわざ女中さんへって」
気遣いの出来るいい人ねぇ、と女中さんたちは笑顔で頷き合っている。お茶のいい香りがするのだが、気になることがひとつ。
「…お茶って、葉っぱなんですね…」
「え?」
八女茶、と書かれたお土産本体を見て出てきた私のつぶやきに、女中さんは首を傾げた。
お茶を入れているところは見たことがなかったので、ずっと抹茶に使うような粉だと思っていたのだが。なんだか恥ずかしい。そういえば、女中さんは優しく説明してくれた。
粉茶というのもあるが、抹茶で使うような粉末ではなく煎茶と言うものを作る過程で出た細かい茶葉の切れ端によるお茶らしく、物によっては味が濃い物が多い上何度も飲むことが出来ないという。一方八女茶が含まれる一般的な緑茶ないし煎茶と言うのは、茶葉を湯で煮出すことで飲めるもので、作り方によってはたくさん作っておくことも、作りおいて冷まして飲むことも出来るとか何とか。
「世の中にはいろいろあるんですね…。とても美味しいです」
「三成様はお茶淹れるの得意って噂がありますから、一度淹れてもらったらいいですよ。とても美味しい物を用意してくれると思います」
「…そうなんですか?」
「噂ですけどね。…と。すみません姫様、あたしたち宴会の準備がありますので…」
話を聞きながらお茶を飲んでいたが、気づけば話していた一人以外は慌ただしく働いていた。どうやらこの方は厨房を取り仕切る女中の中でも偉い人らしく、回りの人を心配そうに見ていた。その人が長く引き止めてすみませんと頭を下げてきて、私も思わず謝り返すと驚いた顔をして少し笑われた。
「…あの」
「いや、すみません、やっぱり姫様も妙なお人ですね。女中に頭を下げるなんて」
「…あ、そう…ですね、上からの態度の方がいいんですよね」
「まぁ下っ端としちゃ、その方が扱いやすいですかねぇ…いや、まぁ姫様が許してくださるんなら、こういう個人的な時間はそれでもいいんですけど」
「…それじゃあ、良かったら、お手伝いさせて頂けませんか?」
え、と女中さんは息を呑んだ。
+
立花さんと秀吉さんが肩を組んで酒を飲み交わす。楽しそうに笑い、他の兵士達も笑い騒いでいる。その中で畏まっているのは三成さんくらいで、大谷さんも菊千代さんと飲み比べしている。
三成さんといえば酒の水面を睨みつけて時折口にするだけで、楽しんではいなさそうだった。一方私は昼に女中さんと騒いだせいか、正直眠い。というよりも、宴が始まって結構な時間が経っており、いつもならもう床についている時間なのだ。船を漕ぎそうになるのをどうにか堪えて、酔い覚ましにと酒を口にするが逆効果だとは気づいていない。
「…眠いのか」
「…は、…い…え」
「どっちだ。眠いのなら寝ろ」
「ん…でも」
「…」
目をこすって正気を保とうとしていると、横から溜息が聞こえた。ああ、これはやばい、眠気が…
「あら…姫寝たの」
「先ほども厨房で何かしていたからな。本を読み学び、…こちらが考えて与えた鍛錬内容よりも多く体力作りしておきながらこの時間まで起きていれば、耐えられなくもなるだろう」
「……………やれ三成、それをどうするつもりだ」
「宴ももう終焉だ、こいつを部屋に連れて寝かせておく」
「やりましょうか?」
「飲兵衛は飲みつぶれていろ。ついでだ、かまわん」
「送り狼にならないのよー?婚前交渉は面倒だからねー」
「なッ…なるものか!下品なことをほざくな飲兵衛が!」
そう言って我が君が私を寝所まで運んでくれていたのだと知るのは、ずっと後だった。