明鏡覆月影

メイキョウオオウツキノカゲ

01


前田慶次は似合わない暗い顔をして馬を走らせていた。
嫌な予感というものは当たるもので、かつての友であった男が死んだという噂を聞いて確認しに行こうとしていたのだ。
が。幽鬼かと思ってしまうように白い顔をした人間が、ふらりと目の前を横切った。馬を止めようと手綱を引く前に、思っていたよりも早くそれは道を通り過ぎる。
しかし急制止をかけられた馬は、誰かが横切った地点の直前で停まった。
道を横切り入っていった雑木林に視線を向けると、奥で草花が擦れる音がして―何かが倒れる音がした。
少しの間を置いて、どうにもそう言った心配ごとを放って置けない性分の慶次は、馬を降りて雑木林に踏み込んだ。

「…女?」

幽鬼と見違えた人物は確かに生きている人間だった。失礼、と呟いて仰向けにさせて確認すれば、意識を失った女だ。
それなりに友好関係が広い慶次でも見たことのない人物くらいいる。はて、と首を傾げながら身元が分かるものがないか視線を巡らせる。
その女が持っていたのは、短い刀―脇差だけ。怪我している様子はないが、気を失ったのから考えてもかなり衰弱している。

「えーと…」

呟くが、考えるまでもなかった。





「拐かしてきたわけではないですね?」
「当たり前だろ、まつ姉ちゃん!」

安静に寝かしたものの数日目が覚める様子はない。慶次が衰弱した謎の少女を前田家へ連れ帰って二日目、発熱してさらに数日した今やっと熱が下がった所だ。
しかしうなされているようで、熱が下がった今でも時々眉根を寄せている。

「それにしてもどこの方でしょう…武器を所持していたということは、どこぞの姫武将かもしれませぬ」
「敗残兵かもしれないな。家紋がないから推察も出来ない。慶次、この子を見つけた時なにか気になることはなかったのか?」
「え?うーん…こっちに気付く様子もなく目の前を通りすぎてってぶっ倒れたみたいだから…」

慶次は口ごもる。本当に通りがかった時点で気を失っていたために、何かを聞くことも出来なかったのだ。

「…ひとまずは目が覚めるまで待つしかありませんね。幸い急変することもなく順調に回復していることですし」
「そうだな…すまないまつ、頼んだ」

頷いてからまつは、着替えをさせるからと男二人を外へ出した。用意していた衣服を脇において、額に浮かんでいる汗を布で拭きとってやる。
手慣れた手つきで娘を起こし、汗を拭きながら着物を変える。「…う」もう着替えも終わる頃、まつではない誰かが小さくうめいた。
聞き間違えかとまつが娘の方を見れば、間違いなくうっすらと目蓋をあげていた。

「………ここは」
「目が覚めたのですね!まだ安静にしていてくださいな、落ち着いたらお話しましょう!」

娘はぱちくりと、顔色が悪いながら唖然としていた。
しばらくまつのするがままに食事を取らされ、やがて用事を済ませて来たらしい利家や慶次がやってくると、自己紹介の後ようやく娘の正体について問われた。
当の娘は無表情のまま虚空を見ている。

「…此方は、 といいます。どういう状況だったかは存じませんが、命を助けて頂いてありがとうございました」
って、もしかして豊臣傘下の?」
「そうだと…思います。―…、」

と名乗った娘は何かを言いかけて口を閉ざした。
そこで慶次は気付く。衰弱していたために顔色が悪く表情がないのかと思ったが、なにか違う。

「…あんた、何かあったのか?顔色が悪いだけじゃない、こっちが泣きたくなるくらい―悲しい顔をしている」
「………。慶次、さん。話には聞いたことが有ります、前田の…風来坊。感情の機微に鋭いのですね。 …しかし、特筆して…相談するようなことは、ありません」
「そんな風には見えないよ、ちゃん。会ったばっかだけどさ、心配だよ。女の子がそんな顔していいもんじゃ…」

すっと目を細めたに、慶次は言葉を飲み込んだ。静かになったのを見て、は布団からでて頭を下げた。

「お世話になりました。この御恩は、いつか必ず」
「お気になさらず…。これからどうするおつもりで?」
「……ひとまずは、実家へ。―豊臣には、戻れないので」

豊臣。そう口にする時は眉根を寄せていた。豊臣で何かあったのだろうか―と考えを巡らせて思い立つ。しかし慶次が何かを発する前に、利家が言いにくそうにしながらに問いかけていた。

「つい先日、豊臣秀吉が亡くなられたことは…」
「……存じています。丁度…居合わせた、ので」
「そう、か。……それなら、仕方ないな。詳しく聞くことはやめておこう。―慶次。殿を送って行ってやってくれるか」
「それは勿論構わないけどさ…」

立ち上がりすぐにでも出ようとしているを見て、利家はそう視線を投げる。頷くものの気まずい雰囲気に閉口してしまった。
ご心配ありがとうございます、でも大丈夫ですからと遠慮するに無理やりついていくように腕を引く。まつがすぐにの荷物を持ってきて手渡して、それからすぐに前田家を出た。
道中何か力になれることはないか、とひたすら話しかけたものの、は相槌を打つだけで詳しくはなそうとはしなかった。沈黙が辛い数時間。どうしたものかと頬を掻く。

「…もう、大丈夫です。ありがとうございます」
「え?いやいやまだ全然―」
「大丈夫です。…一人に、なりたいんです」

泣きそうな、悲痛な表情に慶次も黙った。女の子一人にするわけにも…と言うが、どこか恨めしそうな複雑な目で見られ、今度こそ閉口し引きとめようとした手を下げる。

「……じゃあ、俺は…とりあえず戻るよ。この馬は使ってくれて構わない、家についたらこっち側に放してくれれば、勝手に帰って来れるからさ」
「…わかりました。何から何まで…お世話になります」
「いつでも話くらい聞くからさ。もし何かあったら、いつでも来てよ。まつ姉ちゃんも、としも、勿論俺も。歓迎するよ」
「ありがとう、ございます」

弱々しくの口角が上がる。笑顔と言えるほど上がってはいなかったが―むしろ、その無理した笑顔が痛々しくて、慶次は眉根を寄せた。






02


あまりにも予想外で、さすがの菊千代も言葉を失った。
下剋上にも似た徳川家康の今回の騒動で失ったものはあまりにも大きかった。この損失自体は十分に想定内であるのに対して、もう一つの重要な戦力を失うことは歴戦の菊千代も考えていなかったのだ。

「仕事はちゃんと真面目にこなしてくれると信じていたけどね」
「我はしかと忠告した。菊、ヌシにも、あの禍姫にもな」
「…若に何か言ったのは、余計だったと思うけど。まぁいいわ、そうなったことは変えようがないし」

ヒヒ、と刑部は引きつり笑う。菊千代は目を細めて一瞬考えを巡らせて、考えを零す。

「真田は重要な戦力よ。あんたの義娘がいたでしょう、人質としてこっちによこしなさい」
「…まぁ、仕方なかろ」
「それから早馬で立花を呼んで頂戴。私は万が一姫が戻ってきた時のためにここに残るから、あんたには外回りしてもらうわよ」
「病人を働かせるとは強情よなぁ」
「自業自得でしょう。若が回復次第、私があの子と雑賀へ再契約しに行くから、あんたは毛利に同盟関係の続行を確定させて来て」

刑部はもう一度笑って、「心得た」とだけ答えて去っていく。
その後姿を見送って、菊千代は長い溜息を吐き出した。

「…元々慧眼ではなかったけど…」

呟いて頭を抱える。豊臣の頭脳である半兵衛が病死し、落ち着かないまま総大将である秀吉までもが討ち死にとなれば、内外ともに荒れるであろう。しかも仮にも戦場でのこととなれば、様子見にいた忍等がその情報を早速持ち帰って、場合によれば既に豊臣を攻める準備をしているかもしれない。
次代を担うべき豊臣の幹部である三成、菊千代、刑部、のうち総大将として据えられるのは実質三成しかいないだろう。菊千代は軍師として活躍しており、刑部も同じく。も大阪城へやってきてからのめまぐるしい前進に、それだけの地位にいても文句は少ないだろうが、あまりにも経験が少なく何より女性、元々は姫だ。その程度の小さな背中に背負わせるわけにもいかない。―そもそも、当人が三成によって追い出され行方不明の状態では何も出来ないのだが。
菊千代は、もう一度ため息を付いた。

++

それから数日。三成は寝込んだままで、刑部は安芸へと会談に向かった。
寝込んで―とは言ったものの、実際には秀吉を討ち果たした徳川家康の名前をつぶやき続け寝ているのか起きているのかもわからないような状態だ。こんな時姫がいれば、なんとか言って立ち直らせたのだろうが当の本人は三成によって裏切り者と認定されてしまったため、聞く耳どころか現れたら即刻首を狙うだろうが。
相変わらずの様子を確認してから訃報を聞きつけてなのか、当初の予定より大幅に早く、刑部に呼ばせた立花宗虎が到着したという伝達を聞いて出迎えるため城門へと向かう。

「まぁ、とりあえずご愁傷様。刑部がやけに含んだ言い方だったから話半分だったが、秀吉が亡くなったってのは本当みたいだな」
「ええ、残念なことにね。とりあえず案内するわ、ついてきて」

手短に済ませて城内へ案内する。軍議をする大きな部屋に案内して、今の状況を掻い摘んで立花に説明すると、深刻そうな―しかし少し面倒そうな顔で眉間の皺を伸ばした。

「…三成はなぁ…元々上に立つ才がなさそうっていうか…」
「太閤も大師も帝王学を教えなかったからね。私が教えようとしても、『秀吉様がいる限り必要ない』の一点張りだから」
「―で?俺に何をさせたいんだ?」

出されていた冷めかけた茶を飲みながらそう話を切り替える。菊千代も一口お茶を口にして、すっと真顔になる。

「ひとつは、今後若を主軸とした徳川討伐を目的とした戦が起きた場合。出来る限りこちらの味方をしてほしいのよ。私は一応長子だったから総大将としての心かけとか知識としてはあるけど慣れないし、人質を取って味方としている武田は、ついこの間総大将の甲斐の虎が倒れたと聞いたわ」
「運が悪いんだな。―もちろんかまわないぜ、秀吉も三成も大切な友人だからな」
「…ありがとう」

それでふたつめは、とまで口にして、少しだけ言いにくそうに口ごもる。宗虎が言葉を待ちながら茶を飲んで、少しの沈黙が流れた後菊千代はそれまで話してなかった深い事情を話した。―が今行方不明だということ。

「…あの子が?」
「詳しい事情はわからないけど、推測するには偶然か必然か、太閤が葵に倒される現場に居て、葵と何か話をしていたとか懇意にしている様を見て若が勘違いしたか―」
「どちらにせよ秀吉を失ったショックでより確かな判断ができなくなっていたってところか。なるほどな…」
「一応忍にも調べさせてるんだけど―」

菊千代と宗虎が同時に天井を見上げると、数秒の間を置いて影がひとつ降りてきた。茶髪に明るい笑顔―武田の忍、猿飛佐助だ。
しかし明るい笑顔も最初だけで、すぐに真面目な表情を取り静かな声で告げた。

の姫が見つかったよ」
「…!」
「放浪していた所を、お人好しで有名な前田のところに拾われたらしくてね。かなり衰弱してたみたいだけど手厚く介抱してもらって、近江には戻りたくなかったのか遠江の方の実家に無事辿り着いたのを見届けたよ」
「…そう。とりあえず無事なのね。ありがとう、ましら」

猿飛はどうも、と手をひらひらと振りながら答えて、その場に座り込んだ。

「それにしても用意周到だねぇ。西国最強と言われる立花を仲間に引き入れておいて、お嬢を人質にしてまで大将が倒れた武田も当てにするなんて」
「あら、武田がこちらがわにつくという保険で人質にしただけだから、裏切るつもりがないのならあの甲斐の姫様には帰ってもらっても大丈夫なのよ。其れは伝えてあるし…」
「あらら、やっぱりか…まぁいいや、けどあんまり俺様を酷使しないでよねーただでさえ武田の主力が使えなくなってるんだからさ」
「そうね、善処するわ」

言いたいことは言えたのか、猿飛はそれだけ言って影となって姿を消した。
それを見送って数拍、「それで」と菊千代が話題を戻す。

「ひとまずは放っておいたほうがいいとは思うけど、そうも言ってられないのよね。私は一回姫の様子を見に遠江へ行くから、刑部が帰ってくるまでの間少し城を任せてもいいかしら」
「…俺は構わないけど、大丈夫なのか?」
「立花が豊臣の朋友なのは周知のはずよ。その時はその時でしょ」

それじゃあ、と菊千代は立ち上がり足早に部屋を出た。宗虎は浅い息を吐き出しながら冷めたお茶を飲み干した。