明鏡覆月影

メイキョウオオウツキノカゲ

01



敷きっぱなしの布団の上で、ぼんやりと畳の目を数えていると静かな足音が近づいてきた。それでもそのまま畳に視線を向けていると、ふすまが開けられて女中が顔を出した。

「姫様、豊臣の方が見舞いたいと」
「…会いたくありません」
「しかし―」
「すみません」

それ以上話したくない、と口を噤めば、女中は間を置いて分かりましたと呟き去っていった。
自分自身心の整理がつかない。わざわざ訪ねて来た―となれば、恐らくは菊千代さんだろうが、誰だろうと会う気がしない。
父は逃げ帰ってきた私を見て最初こそ怒っていたが、「だから政略結婚なんて」という母の言葉もあり、そして日々元気だと文を受け取っていたことと比べての変わり様に、それっきりそのことについて言ってくることはなかった。
落ち着いたら、豊臣との縁をつなげるための婚姻を失敗して申し訳ありませんと謝ろう。そう考えてはいるが、なかなか踏ん切りがつかない。
―その後、女中さんは父と母の助勢もあり豊臣の使者とやらにお帰りいただいたそうだ。ただ、その時に言伝と手紙を受け取っている、と。

「島様は、『元気になったら顔だけでも見せて頂戴』と。そしてお手紙がこちらです」
「…ありがとうございます」

素直に受け取り開封する。

 姫へ。
裏切りを目の当たりにし、三成に酷い言葉を受けたと聞きました。心中お察しすると共に、
見舞いには来ましたが恐らくは直接会えないことを予想して手紙でこちらの近況をお伝えします。
太閤秀吉様当人を欠き、現在 豊臣はとても危うい状況です。次代に一番近い三成は、徳川の裏切りに我を忘れ、幹部である私こと島菊千代、大谷吉継も、他国との協定や同盟などの状態保全に手を取られ、中々徳川の討伐に乗り出す事ができません。
徳川は豊臣のやり方に異議を唱えていたようです。つまり此度の反逆、恐らく秀吉様のみでなく彼の思想を信じ付き従う我々を含めた豊臣の没落を目論んでいることでしょう。
しかし豊臣も、天下に近付き太閤の位を頂いたほどです。完全に同意しているかということはさておき、豊臣に味方する国は多くあります。その豊臣を下すには、それに対抗出来るだけの戦力を揃える必要があるでしょう。
つまり、豊臣の今後を決める大戦が起きるのでは、と私は考えています。
甲斐武田、四国長曾我部、中国毛利に小早川、小田原北条、九州立花など、仮定を含めてはいますが姫が戦場から消え行方をつかむまでの間に、どうにかいくつかの戦力を集めてあります。
どこも大きな軍ではありますが、中心となるべき豊臣の戦力が著しく足りておりません。
言い難くはありますが、単刀直入に綴れば、姫のお力をお借りしたいと考えています。
どうかご一考いただければ幸いです。但し、これは勿論強制ではありません。姫のお体とお心を最優先に考えていただければと思います。
徳川との戦について、再び状況が一転すれば、見舞いとともにお話か、手紙にてお伝えします。
ご自愛ください。それでは。』


………家康さんと、豊臣が、戦…。
こうなることは分かっていたかもしれない。書かれていた菊千代さんの考えは、きっとだれでも思いつくものだ。
家康さんは理想の未来のために秀吉様を討ち果たした。石田三成は、きっと秀吉様の仇討ちと、否定された秀吉様の天下を実現するためやがて動くだろう。ならば天下を分ける大戦が起こるのは必然だ。
―かといって、私に何ができようか。手紙を握りしめて強く目蓋を閉じる。愛しいとさえ思った人に憎悪を向けられ、二度と話すことも出来ない状況。秀吉様の言葉も果たせず、その最後の呟きや清々しい顔を伝えることも出来ない。じわりと目頭が熱くなるのがわかった。
任せたぞ、と言われていても、戻る度胸もない。あの時家康さんを、秀吉様を止めることすら出来なかったというのに、今私が豊臣のために何が出来るというのか。



一人また落ち込んで畳の目を数えていると、聞きたくない駆動音が近付いていることに気付く。少しだけ開いた襖の向こうを覗くと、これまた見たくなかった大きな鎧と黄色の衣服が見えた。
私の視線に気づいたのか何なのか、その人―家康さんは、まっすぐに私の部屋の前まで来て声を発する。「殿、いるか?開けても大丈夫か?」そう言ってはいるものの、襖の隙間から視線が交わって家康さんは微笑むように目を細めて戸を開けた。

「やあ、久しいな殿。…元気にしているか、という質問は、少し意地悪だな」
「……」
「まぁ、この際回りくどく言うこともないだろう。近々恐らく三成たちと戦うことになる。その時、ぜひワシ達の力になってほしいんだ」

家康さんは優しい笑顔で手を差し出して来た。傷ついたその手をちらりと見ながらもふいと顔をそらせば、参ったなとまた笑う。

「少しだったが聞こえたよ。随分と酷いことをいわれていた…あそこで、ワシがあなたの肩を掴んでしまったからかもしれない。だがワシは後悔していない。たった一度の思い違いで絆を断ってしまう豊臣の考えが間違っているということだ」
「…ふざけないでください」

やっと声が出たと思ったらそんな言葉だった。家康さんはほんの少しだけ驚いた顔で私を見下ろしている。

「…彼方が、此方を裏切り者と認定したことと、あなたの離反による豊臣の混乱は関係ありません。此方の信用が足りなかっただけの事です」
「そんな…信用が足りないなんて。そんなことはないはずだ、だってあなた達は―」

そこでふと、家康さんは口を噤む。何を言おうとしたのだろうか。

「…あんなにも…仲睦まじくしていたじゃないか…」
「彼方は見せかけとはいえ妻となる相手に、それなりの思想を持つようにと教えてくださっていただけです。仲睦まじくなんてありません」
「…それでもワシには、そう見えた。すまない、少し楽観視し過ぎていたようだ…今日のところはもう帰るよ、一応徳川にくることは、考えていてくれ」

そう言って家康さんは外で待機していたらしい忠勝さんに飛び乗り去って行った。
それを見送ってうな垂れる。本当に仲睦まじいなら、あんな殺気は向けられなかっただろうに。
…きっと、目をかけてもらい優しくしてもらったことに、調子に乗っていたのだろう。






02


予測通りの結果に多少面倒さを感じながらも城に戻ると、まるで我が家のようにくつろぐ男に眉根を寄せた。どうだった、と問われ予想通りだと返せば、瓦版を脇に置きながら背伸びをしてこちらを向く。

「やっぱりな。こっちはいくつか状況が変わったぜ。まず三成が部屋から出てきた。前よりもかなり青白かったが、まぁ叫んでるし大丈夫だろ。飯は甲斐の姫がどうにか食わせてたぜ。いやー肝っ玉な女が多いこと」
「…他は?」
「刑部が一度帰って来た。毛利との同盟継続に不備はないみたいだ。噂によれば元親のとこに徳川が攻め入ったとか何とかで、もしかしたら元親の方から同盟提案がくるかも、だと」

そんな情報に身なりを整えながら菊千代は聞き返す。「葵が海賊の所へ?」確かあの二人は懇意にしていたはず―とは言っても、状況が状況なだけに仕方がないのかもわからない。長曾我部は義理堅い人間だ。この徳川の行動について思うことがあったのかもしれない。

「とにかく、若に姫のことについて話を聞かなきゃね。片方の話を鵜呑みにするわけにもいかないし」
「俺も情報整理と自軍の準備のために一度九州に戻る。何かあったら鳩でも早馬でも飛ばしてくれ、済んだらまた俺だけこっちにくるから」
「…ごめんなさい、ありがとう西優。頼りにしてるわ」
「あんたも気を張りすぎるなよ。なんかあっちもこっちも嫌な予感しかしないぜ」

俺の勘だけど、と多少崩しながらも真剣な表情で告げられた忠告に苦笑して、菊千代はもう一度礼を零した。



「あいつの話はするな。聞きたくもない」

そんな一刀両断に菊千代はこめかみをおさえた。

「そういうわけにもいかないでしょう?何があったのかちゃんと報告してくれないと、―こちらとしても、どう言った対処をするか決められないの。あなたにその気がなかったものでも婚約者だったのだし」
「秀吉様も半兵衛様もいらっしゃらない今、あの裏切り者に義理立てする必要もなくなった。わずかな慈悲で捨て置いてある。如何な理由だろうと次私の前に現れれば残滅するだけのこと。書類ごとは貴様らが勝手に進めた事だ、責任を持って片付ければいい。私はこれ以上関知しない」

言い方を変えて話を聞き出そうとしても、三成は刀を振るうばかりで菊千代に視線を傾けさえしない。
確かに勝手に進めたことで、そこは菊千代も言い逃れ出来ない。だからこそ後片付けに奔走しているのだ。
半兵衛や秀吉の名に泥を塗るから、と立花に言われたから…というのが理由であろうと、計算外だとさじを投げかけるほど、菊千代にさえうまく行っているものと思ったのに。しかし、今それを言えば三成はあり得ないと激昂するだろう。あるいは、気の迷いだったと認めた上で断ずるか。

「…じゃあこれだけ確認しておくわ。あなたは、姫が葵の味方と感じたから裏切り者としたの?
それとも姫が葵の味方であろうとなかろうと太閤が殺されるのを黙って見ていたから?」

菊千代の言葉に三成の手が止まる。ちゃきんと刀身が刹那のうちに鞘に収まりゆっくりと前後鋭い視線が菊千代に向く。

「その両方だ。家康に上手く利用されたか懐柔されたかは関係ない。秀吉様が家康と戦う時に、いくらでも止める方法はあったはずだ。それをしなかった…つまり秀吉様を守ろうとしなかったことは、何にも勝る重罪だ…!」

血の涙でも流しそうな鬼気迫る眼力と言葉に、菊千代は口を噤んだ。
実際なのがあったのかは、当人たちしか知らないということだ。が本当に徳川に味方をしたのか、利用されたのかは問題ではない。―だが、それでは、に不利過ぎる。

「………姫に止められるはずないじゃない…」

菊千代の呆れにも似た悲痛な呟きは、どうやら聞こえていないようだった。