明鏡覆月影

メイキョウオオウツキノカゲ

01



徳川が正式に、戦を起こすこと布告しました。
若では話にならないので、私が矢面に立ったところ、なにやら悲しげにされましたが太閤と葵の戦う場に居た貴女の事は聞き出せませんでした。
葵は若が貴女を切り捨てたことを知っているようです。私は徳川軍基東軍が貴女という戦力を確保するため、故意に黙っているものと判断しました。つまり、姫は今両軍から誘いを受けた上で答えを保留している。如何でしょうか。
最近、若は部屋から出て打倒家康と稽古をしています。事情を知るため貴女の事を問うと、全て任せると言われてしまいました。その集中力はある意味感嘆ものですが、あまり笑えません。
…一応両方から話を聞いた上で、婚約破棄等含め処遇を決めたいのですが、そちらは回復されましたでしょうか。辛い思いをさせてしまうことは承知の上ですが、出来れば一度直接お話を聞かせていただければと思います。私に話しにくいようでしたら、代わりの者を遣わせます。どうかお考えください。

「………」

菊千代さんからの何度目かの手紙に目を通し、ぎゅっと唇を噛んだ。一度も返事を出せていないが、正確に事情を察している菊千代さんは本当に慧眼だ。
どちらの味方になるつもりもない、とだけ返事を出しておこうか。そう考え筆をとろうとして、気付く。この部屋には、そう言った類のものは置いてなかった。大阪城にいた頃こそ、読書の感想や実家への手紙のため専用の文通一揃えを貰ったが、戦場からそのまま帰ったため全て大阪城だ。ぐ、と手を握りしめる。
溜息を零しながらすっと襖を開けて空を眺める。なんだか悲しくなってくるほどいい天気で、あの日の雨が嘘のようにからりとしていた。
浄化されるようにじわじわと心の奥で何かが溶けていくのを感じていると、屋敷の門の辺りが騒がしいことに気付く。身を乗り出して除いてみれば、

「…葵の紋?」

徳川の御旗が顔をのぞかせていた。何故、この状況で旗を上げてこの場へ来ているのだろうか。正式に私を―あるいはの軍を引き入れに来たのだろうか。
しかしこの騒がしさは、家康さんが話をしにきたようには思えない。私は乗り出していた身を戻して、ごくりと喉を鳴らした。



「姫様!お逃げください、徳川軍が…!」
「―本当に、徳川が?」

命からがらと言った表情の女中さんが廊下を走って来た。嫌な予感は当たるもので、先ほどみた葵の紋は、紛れも無く徳川の旗だという。

「姫様を出せと。武装して…出さないようなら城を攻めると言っています。父君方は今、西と東の大戦に関して確認のため近江へ行軍しているため、小隊とはいえ今あれらを追い返せる戦力が…徳川の意図がつかめないのです。姫様、すぐに近江の父君方のもとへ―姫様?」
「先方の目的は此方なんですね。なら、此方が出ます」
「姫様、なぜ武装してーッそ、そんなわけには参りません!」

相手は何を目的としているかわからない、血の気も多く見える、そう言って部屋を出ようとする私を、女中さんが押しとどめる。

「何をされるかわからないのなら、なおさら要求に答えるべきです。家康さんの指示で来ているなら、話し合うことで解決します」

渋る彼女をなだめて、廊下を走った。
早くしろと絡まれている門番兵は、向けられた刀に冷や汗を流している。とっさにその間に割り入って鈍く光るそれをはじき返した。

。参りました。武器を下げてください」
「やっときたか…!あまりに遅いもので突撃命令を出すところだったぞ」
「…その御旗、徳川方と判断します。此方に何の用でしょう」
「分かっておろう。殿は此度の東西の戦にて、あなたを貴重な戦力として迎え入れよとのお達しだ」

小隊長と思しき男が刀をしまいながらいう。
私は思わず眉根を寄せた。気のいい徳川軍にこんな物言いのする人がいたとは知らなかったが、それ以外にも何か違和感がある。

「お誘いに正式にお返事をしていなかった此方にも非はありますが、此度の大戦ー父上率いるの軍勢がどうするかはわかりません。が、此方個人は本来城に籠るが役目。どちらの軍にも所属するつもりはありません。
家康様にはそうお伝えください」

頭を下げてそういえば、先ほどまで絡まれていた門番が心配そうに名をつぶやいた。
しかし当の相手は不機嫌そうに目を細めるだけだった。

「そう申されても。あなたを連れ帰るのが今回の任務。手薄となったこの小さな城、我が小隊でも容易く落とせる」
「一度戻り報告を。此方が知る家康さんは、このようなことで叱責はしないでしょう」
「なるほど確かに叱責しないだろう。しかし今は西との戦いに向けて気が立っておられる故なぁ…どの様に連れて来たかを報告しなければ、家康様はその武功を認めてくれるだろう」

―話が纏まらない。家康さんが、そんな荒々しいことを許すとは思えないが―たしかに、逐一方法を伝えなければ、「主の希望通り」となるのだろう。
しかし本当に無理強いすれば家康さんは黙っていないはずだ。それ位の信念は小隊長程ならば強く根付いているはずなのだが。

「…お断りします。徳川の兵が主の信念を無視してまでするべきではないと思います」
「それではこの城を攻めても構わないと?」
「断じてそのようなことは認めません。尚攻められるようなら、此方がお相手致します」

持ってきていた刀を構えれば、男は肩を震わせ笑い始めた。女一人何ができる。そう呟いてすっと刀を鞘から引き抜いた。

「ひ、姫様!」
「…大丈夫です。貴方は、申し訳ありませんが城に残る兵を集めてきてください」

門番はためらうものの、すぐに意を決して踵を返し走り出した。徳川の男は刀を構え、後ろに並ぶ兵士達も各々武器を握りしめた。

「攻めぇい!」

その号令に、兵士たちは一斉に―私を通り過ぎて、走り去った門番へ斬りかかった。

「…え、」
「一応、あなたを下手に傷つけるわけには行かぬからな。観念しないならこのまま奥へ進むぞ」
「そん―ッ!」

がつり、と嫌な音と感触がした。
背を向けて無防備になっていた門番が斬られた。視界の端で苦しそうに倒れている。唖然としているうちに、背後に回った兵士に頭を強く殴られたようだ。
ふらりと足を彷徨わせたあと膝を付く。ジンジンと痛む頭を抑えると少し粘り気のある水分が手についた。混乱しているうちに持っていた刀を奪われ、目の前で笑う男に蹴られ地面に横たわる。

「ふん、の人形など、戦わせるより褒美と称した慰みものにすれば士気もあがろうに…」

面倒そうに男がいう。痛みに意識が遠のいていく。ああ、私は、

「全く何をお考えなのか、大谷様と毛利は…」

私は、もう一度、――。






02


に葵の御旗が攻め入ったぁ?」
「小隊だったけどいかつい装備で、遅れて本多と徳川本人も合流したらしい。姫さんも婆娑羅者だしね、徳川も戦力が欲しいのかも。凶王さんとわだかまりがあるのも知ってるんだろうし、これを狙ってたのかもねぇ」
「………」

猿飛からの情報に菊千代はこめかみを抑えた。絆を説いて豊臣をでたあの家康が、実力行使でを誘いいれるなどあり得ないはずだ。そう考え猿飛に確かな情報かを聞いたが、一応見張りにつけて置いた猿飛の部下が見聞きしたことであるため、そういう意味では保証はしない、と返された。

「俺様の部下だからね、信用して欲しいけど…確かに徳川にしてはおかしい面もあるかな。っつーか部下も徳川がきた時点で報告のために引き返したらしいから…けど四国も責められたんだろ?徳川が離反したいために、絆だのなんだの適当なことを言い出したとも考えられる」
「…そう、ね。起きた事実なら仕方ないわ…それで、姫は?」
「徳川の兵が連れ出してたらしい。城に連れてかれたかは―次の報告待ちだね」

苦い顔をする猿飛に、菊千代は礼を言うと、簡易な日本の地図を前に碁の駒を転がした。

「―刑部は再度安芸、立花は自軍準備に九州。若はおいといて―毛利は長曽我部と一時同盟の兆候。甲斐は休息中、は近江の居城へ移動中で。小早川は毛利に任せて―未確認は小田原ね…ここもまた厄介だわ」
「ああー風魔?たしかに伝説の実力は侮れないねぇ。傭兵くずれのくせして、何で落ち目の北条に付くんだろ」
「…それはアンタにも跳ね返る言葉よ覚えておきなさい。とにかく、そろそろ若にも動いてもらわないと―」
「でもさぁ、本当にこの城空けておくのもどうなの?狙ってるとこありそうでしょー」

猿飛の素朴な疑問に菊千代は最近増えた何度目かの溜息を付く。「人手が足りないのが致命的よね」呟きながら地図を眺めた。
刑部は外交、三成は鍛錬の後外交、菊千代がそれについていくとなると、主要人物が出払うことになり、今までそれなりに外から反感を買っていた豊臣の落ち目を狙う国は多い。狙う者達は、秀吉を始めとしたこの主要人物たちと同じ、いわゆる『婆娑羅者』が多い。いくら豊臣で鍛えた兵といっても、一騎当千かそれ以上の婆娑羅者を相手に、部隊がいくつかあった所で城が守れる見込みは薄い。

「……だから姫がいないのは刑部の想像以上の痛手なのよ…!」
「え、なに姫さんがいないのってあの人のせいなの?」
「…詳しくはまだわからないわ。察しはついてるし私の采配間違いもあった。もう、そんなことはいいのよ。とにかくそろそろ若を連れ出して、雑賀と北条に様子見に行かないと」
「まぁ、大変そうだけど…頑張ってよ。とりあえずお嬢はそっちに置いててもらってかまわないからさ。…じゃ」

猿飛は影となって消えた。それを見送って、菊千代は仕舞ってある煙管を取り出した。
煙を吸い込みながら思考を落ち着かせる。どうすれば―どうすれば状況は好転するか?三成があの状態なのは想定通りではあるものの、準備が整っていない上にがいなくなったのは完全に予想が外れている。
元々は彼のために、自分の命を使うつもりでさえあったとはいえ―円満にまとめるには、の立場の存在が必要不可欠なのだ。当初の目的のための役割より大幅に状況を好転させる環境にしたのは紛れもない自身だ。だからこそ、三成がを裏切り者とするとは考えていなかった。
こうなったのは―そうだ、こうなったのは、全て―

「…徳川、家康―」

かの男の拳によるものだ。ただ離反するだけではこうはならなかったろう。三成にとって全てと言ってもいい秀吉を、おそらくは目の前で討ち果たされれば―己の武功を、行動を全て秀吉のためであるとしていた三成が、それを献上する相手がいなくなってしまえば、三成は―。

「だから、それに変わる人間を用意しようと思ってたってのに…余計なことをしてくれるわ」

先ほど呟いた男の名を呼ぶ叫び声が、日が落ちかけた大阪城に響いた。



少々荒々しい足音が部屋に近づいてくる。明るい外から差す光に目をしかめながら、廊下の気配にもぞもぞと菊千代は布団を捲った。

「菊!家康を討つぞ!」
「…朝っから何。こっちも準備してるんだから少し待ちなさい」
「菊、貴様の采配を信じた結果がこの有様だ。今すぐに家康を討ちその首を秀吉様に捧げる、これは貴様にもその義務がある」

頭を抑えながら起き上がって息を吐く。朝っぱらから元気な子、と呆れながら横目で三成を見ると、その目は前よりはいくらかマシにはなっているものの、憎悪の火が燃えていた。

「義務でも何でもいいけど、準備をしてるって言ったでしょ。葵をやるには必ず蜻蛉が立ち塞がる、徳川兵も出てくる。勝負どころだからと葵に味方をする国もいくつかあるのよ、あんたがいくら自信があってもそんな大軍に一人で突っ込むのは無理。馬鹿のすること。わかる?」
「だから素早くことを済ませろと言っている!私と、刑部と、貴様がいればそれくらい―」
「無理、と言ったのよ私は。あんたと、刑部と、私と、西優と、天照、海賊、甲斐。確定でこれだけいると言っても葵につく軍勢は不確か。蜻蛉だって舐めて掛かれる相手じゃないし全員が出払ったらこの城はどうなるの?共倒れを狙っているのは敵だけじゃない。それに、」

眠気という不機嫌を当てながら、そこで言葉を止めた。黙って不満そうな顔をしている三成が続きを促すと、菊千代は言いにくそうにしながらも言葉を零す。

「…葵は姫を東軍に迎え入れたそうよ。姫は大師から直々に兵法を学んでいる上に豊臣のやり方を知っている。いくら軍師が三人いると言っても、手の内を知られているならそれさえ欺く策を編み出す必要もある。今は待ちなさい、三成」

菊千代の言葉に、三成は視線を一瞬だけ迷わせた。しかしすぐさま怒りの色を露わにし、持っていた刀の鞘がぎりぎりと音を出すほど強く握り締めた。

「…あの小娘は…!秀吉様を裏切るだけでは飽き足らず!家康に与しあまつさえ半兵衛様からご教授を受けたその知識を利用するのか…!」
「………」

あいつの話をするな、とでも両断されるかと思えば、素直に怒りを口にしたのを見て、おや、と口の中で呟く。―好意の逆は嫌悪ではなく無関心。その体制を取るものだと思っていたのだか違ったらしい。そうなれば、が返り咲く希望はあるやも―否、あるかも知れないが、望みは薄いだろう。自分だって勿論万全を期して力を尽くすが―そこで、思考を中断した。

「と、言っても。随分無理強いされて連れてかれたみたいだけどね。こちらの情報を流される前に取り返しておきたいのだけど…どうかしら」
「………。好きにしろ。私は、関知しない…うっかり首を撥ねられないよう、私から隠しておくことだ」

ひとしきり騒いで落ち着いたのか、なにか思うことがあるのか。三成は苦虫を噛み潰したような顔をして菊千代の部屋を出て行った。
見えなくなった後ろ姿を眺めながら、片腕を付いてため息をつき「まったく」と疲れ気味に呟いた。