明鏡覆月影
メイキョウオオウツキノカゲ
01
「すまない」
え、と惚けた声をもらした。
「…女が、知らん男に無用に体を触られ不快だったろう。…半兵衛様に、守るようにと…言われていたというのに。私の不注意だった、すまない」
「…あ、ええと…気にしなくて大丈夫です。此方が捕まってしまったから我が君も抵抗出来なかったのだと思いますし…むしろ足を引っ張って申し訳ありません」
三成さんは押し黙って不機嫌そうな顔で私を見下ろしていた。まったくだ、とでも思っているのだろうか。すると視線をずらして半歩踵を返した。
「貴様は、私の妻になるのだったな」
「………そう、ですね」
「なら、いい。これは考えても仕方のない事象だ」
一人納得している様子に首を傾げていると、三成さんはすっと手を延ばし私の肩を引き寄せた。突然のことに踏ん張ることもなく彼の胸の中に飛び込む形となる。
「一応言っておく。私のものとなるからには裏切りは許さない。他者に無用に体を見せたり触れさせるな、それから―それから、危険が及んだ時は私を呼べ。私を頼れ。他者に守られる事は許可しない」
「…は、い」
顔が熱くなるのが分かった。三成さんの顔を覗こうと動くも、見られたくないのか強く抱きしめられて見ることは叶わなかった。
+
何人もの兵士に囲まれている。意識が朦朧として視界が歪む。悲鳴が聞こえる。なぜ、こんなことになったのだったか。確か、そう、徳川軍が、東軍に私を招くために。家康さんの命なのに、何故怪我をする羽目に。ぐいと腕をひかれて立ち上がる。「表情はないがそこそこ整っているな。このまま気絶させて先に楽しむのはどうだ?」卑しさをはらんだ男の声がして、その手が私の羽織を脱がせた。ひどく不快だ。いつだったか知らない男に触れられていた時は何も感じなかったのに。無用に触れさせるなと言われているのに…ああ、これはきっと危機的状況なのだ。ならば、三成様。我が君。たす、け―
「目が覚めたか、殿」
「…………………」
明るさが視界を覆う。眩しくて真っ白になり何も見えなかったが、次第に慣れて行く。心配そうにこちらを覗く家康さんが見えた。
「…意識はしっかりしているか?頭を殴られてしまったみたいだが、記憶とかに異常はないか?」
「……はい。恐らくは、大丈夫かと」
つぶやくように答えれば、家康さんはよかったと胸をなでおろした。首を動かして辺りを見た。ここはどこだろうか?
「ここはワシの城だ。……ワシの部下が、殿に失礼をした。方法を一任したワシに責任がある。本当にすまなかった」
家康さんは突然床に頭を付けてそう謝罪した。何のことだろう、とまばたきをした後潔く思い出す。確か葵の軍旗を掲げた小隊が、東軍に私を引き入れるため―。
私が何も答えないからなのか、家康さんも頭を下げたままで一言も喋らず動きもしなかった。
「…なぜ、家康さんが謝るんですか?」
「それは…ワシが貴方を東軍に引き入れたいと日頃から零していたせいだろう、それでワシの部下が―」
じっと彼の顔を見つめると、家康さんは苦い顔で目を伏せる。
「此方は、気を失う直前のことを覚えています。あの兵士が呟いた言葉を。…それに、家康さんの兵士が、こんな事をするはずはありません」
「………しかし、彼らは徳川の軍旗を掲げていたんだ」
未だ少し痛む体を鞭打って起き上がる。まだ寝ていたほうが、という家康さんを押し切って布団の上で正座し彼を向いた。
「彼らは、大谷さんと毛利さんの名を口にしました。…彼らは軍師です。状況を見て、やるだろうことは想像できます。此方も半兵衛さんに直接師事を受け学んでいますから、同盟を受けているとはいえ、毛利さんや大谷さん、菊千代さんがどんな手を使うだろうかというのを、一通り教わり考えたこともあります」
「……………だが、殿」
「しばらくはそのようなことを考える余裕がありませんでしたが、理に適っています。…此方も女ですから、戦に出さずとも利用する方法はあるでしょうし」
苦々しい顔をした家康さんは目を伏せたままもう一度謝罪の言葉を口にした。これからどうするのか、と話を続けられ思案する。
どうすると言っても、再び城に戻って被害を確認する必要がある。
「違う、その後、だ。…西と東の大戦に、殿はどういった姿勢を取るつもりでいる?一人でいては、また…刑部達が何か殿に酷いことをするかもしれない。だから殿、ワシの軍に来ないか?戦に出る必要はない、このまま―心身共に休んで欲しいんだ」
「………家康さん。此方には、貴方が何をしたいのかがわかりません。此方の中で、どんな言葉を貴方に聞かせられるかもわからない。それに此方は、」
ぐ、と口を噤んだ。
自分にとっての僅かな幸せだった世界を壊したのは確かに彼だ。だが私は彼の人のように豊臣の力を盲信していなかったから、家康さんの主張も理解出来る。だからこそ、どちらの味方になることも出来ないのだ。その二つの理由では。
…ただ。ただ、さっきまで見ていた夢の事を思い浮かべると、どうにも静観を決め込むことが出来なかった。まだ、思いがこの胸のうちに留まっていることだけは、認めないと行けないのだろう。
その思いをのどの奥に封じ込めて、悪いが体調が整いさえすればすぐに帰る、と告げれば家康さんは悲しげにしたあと頷いた。
「刑部が殿を招こうというのなら…三成とは、和解したのか?」
「………いえ…菊千代さんからは手紙を頂きますが、こちらからは何も聞いたりしていないので、詳しくはわかりませんが和解というのは」
「そう、か…。本当に、すまなかった。帰れるほどに傷が癒えたら教えてくれ、忠勝に送らせる」
それだけ言って、家康さんは部屋を出て行った。
その背中に漂う暗い何かに顔をしかめながら、私はまた思案にふける。
いつだったかに三成さんに言われた言葉。それを脳裏に浮かべながら顔を伏せた。―確かに私はあの人に好意を持った。あの人の腕に包まれた時確かに胸が高鳴ったのだ。だがあの日殺気を向けられ憎悪を向けられて、私の心はきっと凍ってしまった。好意を持ったことは分かる。覚えている。だが今はどうかわからない―今もそうなのだと認めてしまうと、私はこの現状に打ちひしがれてしまうだろう。でなかったら私はもしかしたらもっと落ち込んでいたかもしれない、と今になって落ち着いて理解した。
なら、私は何をするべきだろうか。何をしたいのだろうか。三成さんにお会いして、真実を話す?―すでに信用を失っているから、私の言葉は信じてもらえないだろう。あの時の大谷さんの言葉を否定させることになる。先の事を考えずに、大谷さんの言葉を無視して一人で家康さんを追ったのは本当のことだ。
秀吉様と、家康さんのことで慌ただしいだろうこの状態では、大谷さんの言葉の真偽を確かめたりしている余裕もないだろう。―だが菊千代さんが私に今でも文で豊臣ないし西軍に誘ってくれているということは、彼女だけは私を信じてくれているのかあるいは大谷さんの考え事を見抜いているかのどちらかだ。
「………」
なら、きっと菊千代さんなら、私の話を聞いてくれるかもしれない。菊千代さんの言葉ならば、三成さんも耳を貸してくれるかもしれない。
そう思い至った私は、視線を上げて部屋を出た。
+
「そうか…やはり三成のところへ」
「それはまだわかりません。ひとまず文で菊千代さんに連絡を取ろうかというくらいです。…助けて頂いてありがとうございました、家康さん。…それで…その…」
今後の行動を決めたとして、気がかりなことがひとつだけあった。
三成さんには、裏切り秀吉様を討ち果たした家康さんを討つことを目的としているだろうが、家康さんは、理想の天下のため豊臣を完全に黙らせることが目的のはず。…しかし、"黙らせる"という曖昧なことでは勝負はつかないだろう。いくら理想が絆の天下とはいえ、相手が殺す気で着ているのだから。
「…お願いが、あるのです。我が君と相見えた時…その時はどうか、我が君の命を見逃して欲しいのです」
そう言えば、家康さんは驚いた顔をした。頭を下げると「やめてくれ」と顔を合わせる。
「もちろんワシもそうしたい。だが三成は強い。殺さないつもりで行けばきっとワシが殺されるだろう…ワシは死ぬわけにはいかないんだ。話し合いで済むならとうにこんな諍いは終わっているはずだ」
「………家康さん、」
「すまない。絆を謳っておきながら、こんな答えしかできなくて」
「いいんです。ありがとうございます」
「それで、殿はこの後すぐ―?」
詳しくどうするのか。家康さんはすこし心配そうにすると、私はすっと目を伏せて、思いを告げた。
「此方がまだ彼方に明確な想いがあるのかは、わかりません。けれど此方は、その想いを知るために―我が君を死なせないために、これから各地を回ろうと思います。詳しくどこへ行くかは、まだ決まっていませんが」
「殿…」
「我が君には会いません。きっと睨まれるだけでしょうから。…―ですので、次あった時は、おそらく敵同士です。家康さん、本当に、ありがとうございました」
悩むように眉根を寄せて、それから少し情けない顔で笑った。どこか泣きそうな、悲しい顔。何故そんな顔をするのかわからなかったが、家康さんはこちらに右手を差し出すと、それまでの表情を消して口角を上げた。
「わかった。―ワシは三成と絆を作ることは出来なかったが、きっと殿なら、より深い絆を作れるだろう。ワシが三成から秀吉殿を奪ってしまった手前言えることではないが…三成のことは、よろしく頼んだぞ」
「…はい。此方なりに、力を尽くします」
…それから。
私はその脚で行動を始めた。家康さんに、紙と筆を借りて菊千代さんに手紙を送った。「長らく返事をせずすみません。此方はどちらの軍にも所属は出来ませんが、ただ彼方の存在を守るために、動こうと思います」と言うようなことを、短く。
綺麗に保管してもらえていた、半兵衛さんに用意してもらった装具を一通り返してもらって、頭を下げてから家康さんの城を出た。馬を貸すと言われたが、そこまで頼っては意味が無いだろう。丁重にお断りして、私は地を踏みしめた。
ふと、背に流れた長い髪を見やる。意味もなく伸ばしていたものだが、―…いっそ。
己の武器である脇差を鞘から引き抜いて、髪束に押し当てた。
***
「…………」
「…………やっぱ、女って肝っ玉が座ってるなぁ…」
夜半、徳川の忍によって速達で届いた手紙。三成の眠りが深く刑部もいなくてよかった。あの二人のどちらかでもいたら、忍一人に大騒ぎになっていただろう。
そもそもこの状況で堂々と忍を使う家康の度胸も感心ものだが。
「ようやく返事が来たと思ったら…」
「まぁあの半兵衛にかなりの教育を施されれば、軽く見ただけで状況を判断する力は付くだろうなぁ。半兵衛、かなり教えるの上手だし、そもそも見込みがなけりゃわざわざ教えるなんてことも無いだろうし」
「いちいち状況を説明しなくてもいいのよ、西優。こちらに戻ってくれないのなら、結局こちらでも動かなくちゃいけないのよ…直接話を聞かない限り、姫の真意だってそれなりに疑わないといけない」
「だったらあの子の動きを予想して、乗り込むしか無いんじゃないか?」
そんな立花の提案に、菊千代は深くため息を付いた。
「それは簡単よ。ええ大師直伝のあの子の考えでも、予想して動くことは可能よ。でもあの子は元々軍師じゃないしこの状況でも葵と落ち着いて話ができるくらい変わった視点の持ち主なの。時間も人員もいないのに、総大将である三成が切り捨てようとしている一人のために余計なこと出来ないのよ」
「え、あー、そ、そっか…。」
「刑部と大谷が何をしでかすかもまだ確信が持てないから監視して牽制しなくちゃいけないし」
「いや、うん、大変だな…」
本当に!と珍しく苛立っている様子の菊千代をなだめながら、立花は投げ出された手紙に目をやって、この先を考えて小さく身震いした。
*