臥薪嘗胆・果たして
あれからさらに翌日。いつもどおりの早朝に起床したは、重い心とは裏腹にテキパキと身支度を整え、しっかりとした足取りで北国銀行へと赴いた。受付にいるエカテリーナと顔を見合わせると、挨拶の後、自身の持つファイルから数枚紙を差し出した。本日中に確認してもらうことと、公子へ頼む案件の詳細について記されたものだ。
「え、あの様…?」
「私は別件があるので、公子がお見えになり次第渡してください」
「いえ、あの…」
エカテリーナの視線がの背後へ向かう。何事かと振り返ろうとした時、の腹に誰かの腕が巻き付いた。全身に悪寒を走らせながらも平静を装い、そっと視線を上げる。妙に機嫌のいいタルタリヤがを抱き込み、身を丸めて頭の上に顎を乗せていた。とっさに振り払い睨みつけると、読めない瞳を隠して人の良い笑みを浮かべた。
「おはよう。仕事については直接聞くから執務室においで」
…ここで断れば不自然だろう。むしろ今までは執務室で報告を行っていたのだ。エカテリーナに渡した書類を戻し、静かに踵を返して執務室へ向かう。扉の前に立ち、お先にどうぞと顎をやった。…先に入って鍵を閉められるような愚行はしない。出口を確保しておく必要がある。
の警戒を察したのか、笑って肩をすくめながらタルタリヤが入室する。続いて部屋に入り、男が椅子に座ったのを確認してから机の上に書類を差し出す。
「正直、君があれからどんな態度を取るか五分五分だった」
「はい…?」
「いくら友人にあの煙緋がいるとしても訴えないことは分かりきってる。君はプライドが高いからね。でも早々にスネージナヤに戻るか、モンドに出向するか…どちらにせよ俺と遭遇する機会を極端に減らす方が確率は高いとも思っていたんだ」
指示を終えて素早く出ようと思っていたのに、タルタリヤは独り言のように言葉を連ねた。
「だから予想外ではあるんだよ。君が馬鹿正直にこうして個室についてくることも、さっさと逃げないことも。言っただろう?強くてクールな女性を目指すなら、そういう抜けたところは直さないとね、って」
「……っ!」
「逃げたところでどんな手を使っても捕まえるけど。なんのために俺が、君が来てからおとなしくしていると思う?」
「……っこの…ため、だと…?」
息を呑む。貼り付けた鉄仮面が、わずかに剥がれた。
「半分はね。もちろん君の仕事ぶりはちゃんと評価しているし、従ったほうが楽だから従っている。今までのようにエージェントたちのところで滞ってどうにもならなくなってから、俺に話が来て俺が処理するより、初期の段階で君が精査してエージェントたちで済む仕事と、俺がやったほうが早い仕事を振り分けてくれるのは手放しに喜ばしいよ。これは心から思ってる」
「……」
「今俺は本当に高揚してるんだ。君が誰かを頼って逃げていたら俺はそこで興味を失っていただろうからね」
奥歯を噛み締めて男を睨みつける。先程エカテリーナに渡した書類を机に叩きつけ、「読めば簡単にご理解頂けると思います」と告げると早々に扉へと体を向けた。
非常に不愉快だ。が逃げようとも逃げずとも、タルタリヤはあの笑みを零すのだろう。それは彼がを弄ぶだけの立場にいるとふんぞり返っているということだ。本当に気に食わない。これまでの努力を踏みにじられたような屈辱に、ただただ惨めさを覚えた。
扉に伸ばした手を重ねられる。即座に振り払おうにも、反対の手が腹にまわり後ろから抱き止められていた。気の抜けたところを直せと言われたばかりなのに─は堰き止めているものが溢れないようにと必死に堪え、背後の男を睨み上げた。
にんまりと目を細めながら、重ねたの手を操って扉の内鍵をかける。用を終えた手を顎にやり持ち上げるそっと唇を合わせた。こらえきれず無意識に浮かんでいた涙を手指で拭い角度を変えて何度も啄んでいる。抵抗を見せないのをいいことにそのまま舌を忍ばせる、と─途端、
絡ませようとした舌を噛まれ、タルタリヤは反射的に顔を離した。ひどいな、と苦笑を見せれば、は軽蔑するように眉を吊り上げてフンとそっぽを向いた。
「もう離してくれますか」
「嫌だけど」
「…。なら犯せばいいでしょう。付き合ってあげますよ、犬みたいに性欲の自制が効かない貴方に。ただし条件があります」
「……へえ?」
一体どんな心変わりがあったのか。それまでは憤りつつも顔を赤らめていたが、冷たい瞳でタルタリヤを見上げている。その様子に多少驚きながら体を離した。
「いい気分でしょうね。金もかからない、訴えられもしない立場の私を辱めて、発散出来て。それほど私のことが嫌いなのは理解しました」
「うん…?」
「それでも私は、どれほど貴方に辱められようと。女皇様に命じられた仕事を放棄するつもりも、逃げるつもりもない。貴方を利用してでも、私は貴方を足蹴にする地位を手に入れて、いつか必ず貴方を殺します」
それはそれは強い、眼光で。怒りと、蔑みを持った言葉で、は告げる。
「私のことは好きにしてください。ただし貴方には、仕事上では私の命令に従ってもらいます。私が命じたのなら書類整理だろうとなんだろうと。
それでも私は、絶対に貴方に屈しません」
タルタリヤの胸ぐらを掴んで放たれた言葉に、男は少しの間を置いて、愉しそうに笑い始めた。扉の外にも聞こえそうな、愉快なのを隠そうともしない笑い声だった。
「いいね…!俺の目に狂いはなかった、最高の女だ!」
「……っ」
「君の提案に乗ろうじゃないか。俺は君の言うことをなんでも聞く。仕事に限定しなくていいよ、買い物の荷物持ちでも高価な贈り物でもなんでもいい。そして君は俺から逃げず、俺の『自制の効かない』欲を管理する。愉しみだね、君が先に音を上げるか、俺が君に殺されるか!本当に本当に愉しみだ!」
狂ったように笑う男に気味の悪さを覚え、若干後悔しかけただったが、男が頷いたのならそれでいい。…この契約の細かいところは、また書面で見せるとして。
「もういいでしょう。あなたのせいで昨日一日無駄にしたんです、処理が終わってない案件がいくつも」
「よくはない。とりあえず一回付き合ってくれる?さっきの書類目を通した限りではそんなに難しい案件じゃなかったよね、エージェントでも数人がかりなら片付くようなものだ」
顔をしかめながらひとつ息をつく。─よくよく観察すればその手は震えているが、タルタリヤはそれを知って愉しそうにするだけだ。
タルタリヤを追い越して執務室の机に歩み寄り、持っていた書類を置いて振り向いた。
「──なら、そうだな。咥えて?」
「………は?」
「受動的になるだけでいいと思った?ほら、早く。仕事が溜まってるんだろう?」
頭を掴んで強制的に跪かせる。眼前に腰をやると、顔を背けるに仕方ないなと息を漏らしてパンツの前を開けた。いきり立ったそれを突然見せられ一瞬怯んだものの、すぐに顔を引き締めてタルタリヤを見上げた。
「ああ、やり方は知らない?手とか口とか、君ならその胸とか使って、精一杯俺を気持ちよくさせてくれればいいよ」
頬に陰茎を滑らせれば、は嫌悪を隠そうともせず眉根を寄せた。…それでも、残念ながら最初に言い出したのは自分だ。手袋を外し、
恐る恐るそれに触れる。赤く充血し震えていて、一度行為をした今でも始めて目にするものだ。
気持ちよくすればいい、などと言われても。これが人体の急所であることくらいは理解している。怒りのままに握りつぶしてやりたいが、そうするよりも勘付いて彼が動く方が早いだろう。
「…こそばゆいな。軽く握って、さすって…ああもう、面倒だな」
「んぁっ、ふぐ…っ?」
「今度ちゃんと勉強してきてくれよ」
顎を掴み口を開かせ、その喉奥へと男根を突き入れる。歯は立てるなよ、と低く告げ、タルタリヤは乱暴にの頭を掴み前後させた。
閉じることが出来ない口から唾液がこぼれ、潤滑剤となって絡まっていく。息ができないほど激しく、ただ口に含むだけでは到底収まらない大きさであることも意に介さず根本まで叩きつけた。羞恥と不快感に顔を紅潮させ、それでも必死に己を睨みあげてくる姿は、タルタリヤをひたすらに高揚させた。
「…っはぁ…!本当に…君は…!」
「っん!んん…!」
「…ふっ…ぐ…っ!」
頭を押し付けた状態で果て、ずるりと引き抜いた。は途端に身を捩り咳こむが、相当深くまで届いていたらしく吐き出された量は少なかった。呼吸が落ち着くと口の端についた白濁を拭い、平然を装って立ち上がった。
「満足ですか」
「…ふ、あはは。うん、そうだね。残りは外で暴れて解消してくるよ」
鋭くタルタリヤを睨むも、当の本人は手早く身なりを整え机上の書類を手に部屋の外へと向かう。その足取りは軽い。
主が去った部屋で、は一人うつむいた。
「…本当に、馬鹿みたい…」
それでも。それでももう、涙は流さない。タルタリヤに対した宣言は本気だ。あの余裕の笑みを崩して、絶対に、絶対に。
口の中に残る奇妙な味にえづきながら、袖で目元を拭った。