―カナンの地にて待つ精霊オリジンは、最初にその地に辿り着いた人間の願いを、どんなものでもひとつ、叶えてくれるという。
太古に人と精霊、原初の三霊がかわした契約。原初の三霊とは、マクスウェル、クロノス、そしてオリジンの三つ。三霊は、この契約を"オリジンの審判"と呼んでいるらしい。
【どんな願いも叶う】オリジンの審判。本当にどんなものも、叶うという。
大精霊オリジンは万物の始まりである"無"を司る。全ての精霊を制する存在。そのオリジンが願いを聞き受けるのだから、万物を作り出してきたように、なんだって叶えられるのだろう。
力、意志、欲望―人間自身を試すためにそんな契約を交わしたらしいが、きっと面白がっているのだろうと、ビズリーは言っていた。
精霊は人と共存してはいるが、かといって人のために身を粉にして働いているわけではないのだ。原初の三霊、力を持つ側の者だからこそ、黒匣や精霊術―そういったもので精霊を扱う人間を、見下しているのかもしれない。
事実として、クルスニク一族はカナンの地の一番乗り、つまりは願いを叶えられる権利を巡って骨肉の争いを繰り返している。父と子。時に兄と弟が。俺は兄さんを見て、気まずくなってすぐに視線を下した。
カナンの道標は全部で五つある。俺達がミラさんのいた分史世界で手に入れた【マクスウェルの次元刀】に始まり、【ロンダウの虚塵】【海瀑幻魔の眼】【方舟守護者の心臓】―最後の一つは不明だという。その道標は正史世界にはすでに存在しないため、分史世界から持ってくる必要がある。
クランスピア社のエージェントの本来の目的は、ただ分史世界の破壊をするのみではなく。そのカナンの道標を道標を持ち帰る事こそが、真の目的であり、指令だった。
そして分史世界から持ち込むには―【クルスニクの鍵】と呼ばれるようになった、特別な力が必要なのだという。
今回、ミラさんが正史世界にいることが、俺にその力が備わっていることの証明となったようだ。しかし俺はそう言われた時、不安そうに見上げるエルを見た。何故と言われれば、分史世界が壊れた時、彼女に抱きついて―つまりは触れていたのが、エルだったからだ。様々なことに気づきかけた時、兄さんの制止で全てに蓋をかぶせ首を振った。
「今は亡きエージェント…ルドガー、君の姉として親しかったこそ、とても優秀なクルスニクの鍵だったよ」
その名前が出て、俺は目を瞠る。兄さんが横で「その話はするな」と強く言って、ビズリーはやれやれとばかりに押し黙ったけれど。
。やっぱり彼女も、分史世界を壊すエージェントだったのか。
「博士は、ステマ・ロードに特殊な力を授かっているようだがね。我々にはそういったバックアップがない」
黙って聞いていたに視線が言って、ビズリーは忌々しげに苦笑した。
カナンの地に願うビズリーの目的は、全ての分史世界の消滅だという。―とてもうそ臭い。何か裏がありそうだった。
そんなことのために、は今まで鍵としてこき使われていたのか?俺には話さないくせに。何も明かさないくせに。俺を庇って死んでいったがいなくなったら、力があるからと俺に目をつける―たしかに今いるエージェントでは、分史世界の破壊やカナンの道標収集が間に合っていないのかもしれない。だが、俺には何の関係もないじゃないか。だと、いうのに―
§
エルの腹の音で話は中断され、俺の手料理を所望したエルのため、ジュードと、ミラさんの三人を(他の面々は各私事のため街中で別れただけなのだが)俺の家へと招待した。
俺がキッチンで調理している間、エルは嫌にごきげんだった。カナンの地への行き方が分かったからのようだ。
そのやり方に問題があるとは思うが―ミラのつぶやきにも、「それはしょうがないよ」と子供ながらの、しかし残酷な答えを返していた。分史世界である以上、確かに―本当は、存在さえしなかったはずの『可能性』でしかなかったのだから。
「ミラさん、。さっきの話だけど…カナンの地は、大精霊オリジンのいる場所。そしてオリジンは、魂を浄化して循環させている―んですよね」
ジュードは確認作業に入っているのか、元マクスウェルで精霊について知っているだろうミラさんと、クレミアと親しい関係で同じくなに問う。
魂の循環―先の分史世界で会った、大精霊アスカの言葉を思い出す。『そろそろ二千年…オリジンが魂を浄化するのも限界だろう』あれは、どういう意味だったのか。
「暴走した源霊匣ヴォルトは、『魂の汚染』が進行したって言ってた」
「…源霊匣?」
「ジュードとのしごと!」
食べながら話すんじゃない。注意するとエルはもごもごと咀嚼しのみ込み始めた。ジュードが源霊匣の未来性について少し話すと、ミラさんは俯いた後部屋を出て行った。ジュードが焦りつつもそれを置い、は何も言わずそれを見送っていた。
いいのか、と二人の出て行った扉とを交互に見ながら言うと、は苦笑した。
「いいの、放っておけば。ミラに関しては、ジュードが成長するにあたって大いにお世話になった相手だしね」
まぁちょっとは妬けちゃうけど、と俺の作ったマーボーカレーを口に運びながら言う。難しいな、男女関係って。いうと、も首を傾げる。私もわかんないよ、全然。と笑った。
「そういえば。って人、だれ?」
「…、それは…」
話題を切り替えるためなのか、はすっぱり唐突に言った。俺は口ごもり視線を泳がせる。しかしごまかされる気はないらしく、真剣な瞳で射抜くに負けて、ボソリボソリと話を始めた。
は、兄さんと俺が暮らすこの部屋の隣に住んでいた人で俺より数歳年上の女性。兄さんと同じエージェントで、―何年か前に、亡くなったこと。それを言うと、なにか言いたげではあったもののは口をつぐんだ。
「…ごめん。聞いたことある名前、だったから」
「えっ!?」
「あ、いや、その、分史世界でね。…そっか、亡くなってるんだ…」
それからは考えこんで、食卓はエルが俺に話しかける声のみになった。
食後、は研究所に戻り、エルと二人になった。いつのまにやら勝手に外に出ていったエルを追って、マンションすぐのブランコでエルと約束事をした。
俺は、エルは。一緒にカナンの地へ行く。の代わりにでも、なんでもいいから。