Destruction instruction



06


 ミラさんの家をどうにか探し当ててお邪魔すれば、二人はすでに食事にありつき、エルは正座しておとなしく俺達を待っていたようだった。
 みんな遅い、と唇をとがらせるエルに、―もともと他人であった俺達の関係を棚に上げつつも、勝手に知らない人についていくなとか、色々叱りたいこともあったがひとまず安堵の息を漏らして呆れた態度を取ってやった。
 エルは素直に謝ったのでよしとしよう。

「ミラの料理ちょーおいしーの!ミラは料理好きなのに、村の人はミラの作ったもの食べてくれないんだって」

 にこにこと話すエルは、幼いからか突然現れた村外の人間だというのにすでにミラさんから色んな話を聞いているようだ。
 玄関扉が開いて、入ってきたのはミラさんだった。俺達を見て少し焦ったように「勝手に入るんじゃない」とばかりに怒っていたが、エルが笑顔でスープのお礼をいうと照れるように視線を逸らした。

「こんなので喜ぶなんて、ろくなものを食べてないのね」
「食べてなくない!エルのパパのご飯は、も〜っとおいしいし! スープとか、なん時間も煮こむし、パパのご飯はすごいんだから…」

 "パパ"と離れ離れになってしまったことを潔く思い出したのか、語尾をしぼませて俯いていく。
 ミラさんは苦笑しながら、「そんなに美味しいなら教えて欲しいかも」とエルを慰めるように言う。

「…頼んであげてもいいよ。スープもらったお礼に」
「考えとくわ。―、おかえりなさい、姉さん」

 ミラさんの真後ろ、玄関からまた誰かが入ってきたようだ。姉さん、と呼ばれたその人は、いつだったかレイアがミュゼと呼んでいた精霊の人だった。瞼を下ろし、眉尻をつんと釣り上げている。
 おっとりした性格のはずだが、―ここは分史世界だ。ミラさんは少し焦ったように声がひきつっている。

「臭い。 お前、また人間の食べ物を作ったのね」
「ごめんなさい、この子たちお腹すいてたから―」

 謝罪の言葉を汲みとるでもなく、ミュゼはミラさんに黒い玉を飛ばした。小さな悲鳴とともにミラさんが地面に尻餅をつく。

「臭いと私が動けないって、わかってるでしょ!」
「このミュゼ、目が…!」

 どうやらアルヴィンの言葉通り、ミュゼは目が見えていないらしい。だから、匂いだとかそういったもので動きまわり人を認識しているようだ。

「ごめんなさい、姉さん…」
「なにするの!ッ―!?」

 ミラさんをかばおうとしたのか飛び出すエルの腕を咄嗟に掴むと、その瞬間何故か俺の骸殻が発動する。エルと互いに困惑の視線を交差させ合う。
 突然変わった俺の外装に、ミラさんも驚き困惑する。それと同時に。ミュゼに、時空の歪みが見えてしまった。

「姉さん、それは…」
「わけのわからないことを…。それより、あそこに行く時間よ」

 平手を見舞って黙らせた後、それだけ言ってミュゼは背を向ける。ミラさんは彼女の方を向いたまま、小さく「もう出て行って」と告げるとミュゼと一緒に家を出て行った。
 足音が遠ざかっていくのを聞きながら、ボソリとローエンが呟く。

「アレが、時歪の因子の反応でしょうか?」
「…そう。つまりミュゼが―」
「時歪の因子、ってことですか?」

 言いにくそうに頷くの言葉を補足するようにエリーゼが確認する。

「ミュゼを倒せば、この世界が…消える」

 無表情にジュードが呟いた。誰もが言いにくそうな視線を泳がせていて。
 ともかく彼女らはどこへ行ったのか―追うためにも、村の住民に聞いて回りある程度の情報を集めることとなった。再び別行動を取るため、ローエンを主導に、ジュード、エリーゼの4人と、残りのメンバーと俺、で分かれ、村へ情報収集に出発した。















§◆ルルの飼い主
「ねぇ、ルルの飼い主って、ルドガー?それともメガネのおじさん?」
「…ユリウスだよ」
「ああ。三年前、産まれたばかりのルルを拾ったんだ。思い出すなぁ…告白を断られたルドガーが、やさぐれて街に飛び出していったあの夜を」
「ルドガー、フラれたんだ!?」
「残念ながらな。で、捜しまわった末、裏路地にうずくまってるルドガーとルルを見つけたんだよ」
「ナァ〜♪」
「あの日は、アイツの命日でな。ルドガーも大きくなったとは言え、やさぐれて家出なんてまだまだ子供だろ?俺はアイツが守ってくれたんだと思ってるよ。なぁ、ルドガー?
「ッ、うるさい、兄さん!」
「はは。けど結局お前、あのノヴァって子とは友達付き合いを続けてたよな?」
「なっ!」
「メガネのおじさんの話、面白い!」
「面白いのはいいが…おじさんはやめてくれないか。俺はまだ二十代なんだ」
「そーゆうの気にするのが、おじさんのショーコかも」
「うっ…」
「ところでメガネのおじさん、アイツって?」
「…アイツは、アイツさ」











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07


 俺たちがリーゼ・マクシアまで飛ばされ、最初に目覚めた時にいた場所まで戻ってきた。そこにミラさんはいて、彼女を見つけたエルが少しだけ上機嫌になる。
 彼女は俺達に気づくと、面倒そうに溜息をつきながら振り返った。

「出て行けって言ったでしょ」

 レイアが何かを言おうとした時、途端にレイアのGHSが鳴り響く。会社に連絡しないまま俺たちと行動していたらしく―大丈夫なのか、それは。
 しかし一方ミラさんは、GHSを見た瞬間に術を発動しレイアに―正しくはレイアのGHSに向け、火の玉を飛ばした。兄さんがそれを庇ってくれたが、ミラさんの行動に警戒を強めた。

「それは黒匣でしょう!?黒匣と、それにまつわる存在を消去するのが、私と姉さんの使命!」

 威嚇でもするように剣を構えたまま強く言うミラさんは、まともに事情を話したとしても聞いてくれそうに無くなってしまった。―力ずくで抑えてから話すしかないのだろうか?

「か、勝てるの?違うミラだけど、ミラなんだよ…?」
「…そもそも、戦えるのかい?仲間なんだろ?」

 兄さんの言葉にレイアはハッとして、武器を構えた俺や兄さんに制止の声をかける。賛同するようにアルヴィンも頷いた。そしてその責任を取るとでも言うかのように数歩前へでてミラさんに視線を向けた。

「話を聞いてくれ。お前の姉さんは、普通の状態じゃないんだ」
「なにそれ…でたらめ言わないで!」
「ミュゼは、元々あんな奴なのか?」

 一つずつ、確認しながら説明していくしかないだろう。俺がフォローするように問えば、ミラさんは更に激昂する。

「姉さんのことを悪く言わないで!…アレは、私のせいなのよ」
「何かがミュゼを操ってる、と思わないか?」
「姉さんは大精霊!操るなんて無理よ!」
「そうかな?ミュゼは時々、見えない何かに話しかけてないか?―まるで操られてるように。それにあんたも見ただろ、ミュゼの体に取り憑いているアレを」

 アルヴィンは淡々とミラさんの不安を煽っている。

「あれは…なんなの?」
「あれは時歪の因子。人に取り憑いて世界を歪めてるの」
「壊さなきゃいけない、悪いものなんだって」

 俯きながらミラさんは考えこむ。「世界を歪める…?」「黒匣と同じ…」どんどん彼女の表情も暗くなっていく。

「昔は仲の良い姉妹だったんだろ? あいつは、妹にあんな憎しみをぶつけるやつなのか」
「違う!」

 首を振って否定する。ミュゼは、姉さんは優しかった。目が見えなくなったのも、ミラさんを庇ったから。

「昔の姉さんは―」

 そこまで言って、ミラさんは諦めたように、しかし決意して顔をあげる。あんなじゃなかった、と彼女が変わったことを認めたのだ。

「ルドガーなら、時歪の因子をあぶりだして破壊できる」

 証明するように俺は一歩前へ出て骸殻をまとった。ミラさんはそれに"精霊の力"を感じ驚いてみせた。それで俺達のことを信じてくれたのか、間を置いてから確認を問う。

「時歪の因子を壊せば、昔の姉さんに戻るのね?」
「…信じる信じないは、自由だ」
「……。姉さんも、私のスープを…美味しいって言ってくれるかしら…。いいわ、時歪の因子を壊すまでは協力する」

 姉さんは音と匂いで周りを見てるから、そこを突けば動きを抑えられる―ミラさんの説明に、兄さんが一番早くに気づき言う。「火をかけるのか」ミラさんは頷くでもなく俯いて踵を返す。
 ミュゼは『誰かに話しかけるため』ニ・アケリア霊山の山頂にいるらしい。進んでいくミラさんに駆け寄るエルを見送りながら、俺はモヤモヤした心に顔を歪めた。

「これでいいのか」
「…ッ」
「若者をいじめるなよ。仕事には、こういうこともあるだろ」

 答え倦ねる俺達に、アルヴィンが肩をたたいてフォローしてくれた。兄さんは悲しげに、忌々しげに俺達の横を通り抜けながら何かを呟いている―「わかっているさ。だからこそ会わせられないんじゃないか、」その続きは、なかったのかもしれないし、聞こえなかっただけかもしれない。

























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08


 ニ・アケリア霊山の山頂は、切り立った崖のような危険な場所だった。その先で、ミュゼは空に手を伸ばし喋りかけていた。

「――様。私は見事目的は果たしました。どうか精霊界への帰還をお許しください…」


「姉さんは、ああして毎晩誰かに語りかけているの」
「ミラ達のパパかも…?」
「分からない。絶対に教えてくれないから。…私達のもとにステマ・ロードは現れていないから、精霊界なんてのに行き来できるかもわからないのよ」

 俯いて悲しげに言うミラさんは、ミュゼのことを本当に慕っているのだろう。だからこそ、自身を虐げるようにまでなった変化に耐えられなくなっている。
 ステマ・ロードは―たしかクレミアのことだったか。「正史世界にしか私は存在しないのだ」と、誰かが言っていたような気もする。
 ミラさんが俺に小声で話しかけてきた。彼女が隙を作るから、と。その間に―ということだろう。ミラさんは数歩ミュゼに歩み寄り、姉さん、と声をかけた。ミュゼは振り返ると、眉間にしわを寄せ強い語気でミラさんを叱りつける。

「社から先には来るなといったはずよ!」
「でも、気になって…姉さんが何をしてるのか…」
「関係ない」
「なんで?昔は、何でも話してくれたのに!?」
「お前なんかに話すことはない!とっとと帰りなさい!」

 まるで意見を変えないミュゼに、ミラさんは拳を握りしめた。どうして、と震える声でつぶやく。

「どうして姉さんは!」

 火の玉を飛ばし、ミュゼのごく近くの周りを炎上させた。「今よルドガー!」声に、俺達はミュゼを槍で貫くため走りだす。
 しかし辿り着くよりも先冷静になったのか、すぐに炎の壁を消してしまった。

「お前…私を裏切ったな!」

 叫び声と一緒にミュゼの肌が黒く染まる。―分史世界で時歪の因子だった時の兄さんやローエンのようになっていたのだ。

「姉さんッ―本当に…ッ  化物!」
「もう一度言ってみろ、人間が!」

 ミュゼも戦闘態勢となり、呆然とするミラさんをかばうためにも俺は骸殻を纏い地面を蹴った。

§

 腐っても相手は大精霊。多勢相手とは言え一つ一つの術が強力で、俺達は押されていた―それ以前の気持ちの問題というのも、あるとは思うが。
 兄さんは少し離れたところで見ているだけで、参戦してくれる気はないようだった。
 ジリ貧でどうにかミュゼの膝をつかせるも」、彼女を心配そうに駆け寄ったミラさんの首を絞めて殺そうとしている。ミラさんを助けるため、骸殻をまとって再度地を翔ける。
 彼女の攻撃手段であろう黒い玉を幾度と飛ばされ、それを弾いていくもついには槍を弾き飛ばされてしまった。次の攻撃をどうかわしたものかと構えた時、飛んでいった槍をいつの間に拾っていたのか、俺の槍でミュゼを背後から攻撃するミラさんがいた。

「姉さんが…悪いのよ」
「お…前、なんか…に……」
「お前じゃないッ!ミラよ!」

 ミラさんの名を断末魔に叫びながら、ミュゼはまた攻撃を加えようと手を振りかざす。
 すると、何処からか飛んできた小さな剣―まるで俺の槍を小さくしたようなものが一直線にミュゼを貫き地面に刺さった。小さな嗚咽とともにミュゼは塵となり、空間に溶けるようにして消えていった。ねえさん、と小さな声が聞こえて、俺が困惑しながらも地面に刺さっている時歪の因子を拾うと、同時に世界が壊れていく音がする。
 呆然としているミラにエルが抱きつく。世界が壊れ尽くした後、一瞬の暗転があった。

























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09


「戻った…」
「…これで分史世界が消えたのか?」

 二人の言葉を聞きながら、俺は手の中にある時歪の因子に似た謎の物体を見下げた。これがカナンの道標というやつなのだろうか?レイアにも問われ答えられないでいると、ミラさんがゆっくりと立ち上がった。なんなの今の、と不機嫌そうな声を上げている。
 …分史世界の人間であるミラさんが、何故今ここにいるのだろう…?アルヴィンも同じことを思ったらしく、まさにそうミラさんに問いかけた。

「…やはり…」

 兄さんが悲しげに零す。ミラさんは辺りを見回しながらミュゼのことを、事態についての説明を求めていた。
 俺は視線を下げて、言葉を考えようとするも―彼女を傷つけないように説明出来る言葉なんて、思いつかなかった。

「お前の世界は、俺が壊した」

 あの時ミュゼを―時歪の因子を貫いたのは、おそらくは兄さんが飛ばしたんだろう小さな剣みたいなものだったけど、ミラさんを巻き込んだのは間違いなく俺だ。

「は?じゃ、ここは何?」
「あなたのとは違う世界なんだよ」
「…意味分かんない…姉さんは!?元の姉さんに戻るのよね?」

 詰め寄られて、俺は首を振る。

「あんたの知ってるミュゼは消えたんだ」
「あなたの世界と一緒に」

 俯きながらつらそうに補足してくれるレイアとアルヴィンを一瞥して、苛立ち紛れにミラさんは溜息をついた。

「…ひとつだけわかった」

 勢い良く俺の頬に拳が叩きこまれた。

「私を騙したのね!」

 俺は頬を抑えながら何も答えられずに俯いていた。エルが両手を広げて今にも掴みかかりそうなミラさんから庇ってくれている。

「やめて、ミラ!ルドガーの仕事なんだよ」
「ふざけないで!世界を壊す仕事なんてあるわけ―」
「あるんだよ、それが」

 今度は兄さんが俺の間に立ちはだかってくれた。
 俺のGHSが鳴り響く。ミラさんの"使命"を思い、着信を取るか迷ったのだが、こちらを見ないまま考えこんでいるミラさんを見て、俺は通話ボタンを押す。
 相手はジュードで、どうやら別行動をとっていても無事彼らも分史世界から帰還していたようで、時歪の因子を破壊できたのかと確認の言葉が第一声だった。

「こっちは平気。エリーゼもローエンも、も一緒だよ」
「任務達成だな。合流しようぜ」

§

 別行動していたローエン達は、今ニ・アケリアの村にいるようだ。再び参道を通り村までたどり着くと、ローエンたちが固まって待っていた。
 彼らにとっては前触れ無く正史世界に戻ったことが多少驚きを感じることだったようで、苦笑しながら迎えてくれた。そして、俺達についてきたミラさんを見て、ジュードたちは瞠目したあと、落ち着いて聞いてきた。「なにがあったの?」事の成り行きを―と言っても、ミラさんが正史世界にやってこれた原因や理由自体は不明ながらわかることを説明する。あの分史世界の時歪の因子がミュゼだったこと。ミュゼはミラさんの姉で姉妹らしく過ごしていた事。そして、それを破壊する際―…。
 時歪の因子基カナンの道標をポケットから出し眺めるように見る。すると、何の警戒をする間もなく、兄さんがそれをかっさらっていった。

「ユリウスさん、何を!」
「わかったはずだ、ルドガー。こんな思いはしたくないだろう」

 言い返す言葉を探していると、後方の離れたところから誰かが近づいてくる。この声は、確か。

「なるほど、そういうわけで連れが増えたのか。かなり興味深いな」
「ちっ…、もう手を回したか」
「リドウさんが、なんで?」

 突然現れたのはリドウ。何故今、多額の借金の原因であるコイツと顔を合わせなくてはいけないのか―複雑な心境に薄らと眉根を寄せていると、「だって俺、分史対策室室長だから」とジュードの問いに答えてみせた。
 ニヤニヤとからかうように笑いながら、兄さんに視線を向けている。

「お疲れ、ユリウス元室長。道標の回収、ご苦労」
「お前と話す方が疲れる」

 皮肉の言葉にも動じずユリウスは顔をそむける。
 リドウの横にいつのまにやら立っていたイバルは、ミラさんを見てその名を呟く。彼もまた、正史世界のミラと親しい間柄の人間らしい。しかし彼女は同じミラでも分史世界の存在だ。「ニセ物だぜ、アレ」リドウは平然と告げる。
 その言い方にジュードもイバルも食って掛かろうとするが、しかし間違いではない。悔しそうに視線をそらし、背を向けていた。

「ああ、ユリウス元室長は、こういう若者の邪魔が趣味だったな。例えば…ルドガーくんが入社試験で不合格になるよう仕組んだりさ。
さて…。室長として命令するぞ、ルドガーくん。ユリウスを倒して、カナンの道標を回収しろ」

リドウの命令に俺は兄さんを見る。俺を信じてくれ、悲壮に言う兄さんの言葉は、俺に武器を握らせなかった。首をふると、しょうがない奴とばかりにリドウが武器を構え襲いかかってきた。離れた所にいたジュード達はイバルが足止めし、ちょうど近くにいたエリーゼやアルヴィンを背に戦闘を開始する。
 ―エージェントなだけあってリドウは強敵だった。どうにか一対多数という数で押すことでリドウに一歩引かせることは出来たが…。俺を庇って出てきてくれた兄さんは調子が悪いのか、リドウの勢いづいた一撃でふっとばされてしまう。

「最終通告だ。カナンの道標を持って本社に帰還しろ」

 怒りも何も感じられないリドウの瞳は、逆に兄さんを人質にしてでも構わないような、そんな凄味があった。
 医療用メスのようなナイフを首にあてがわれ、俺は仕方なく頷いた。

























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10


 ―カナンの地にて待つ精霊オリジンは、最初にその地に辿り着いた人間の願いを、どんなものでもひとつ、叶えてくれるという。
 太古に人と精霊、原初の三霊がかわした契約。原初の三霊とは、マクスウェル、クロノス、そしてオリジンの三つ。三霊は、この契約を"オリジンの審判"と呼んでいるらしい。
 【どんな願いも叶う】オリジンの審判。本当にどんなものも、叶うという。
 大精霊オリジンは万物の始まりである"無"を司る。全ての精霊を制する存在。そのオリジンが願いを聞き受けるのだから、万物を作り出してきたように、なんだって叶えられるのだろう。
 力、意志、欲望―人間自身を試すためにそんな契約を交わしたらしいが、きっと面白がっているのだろうと、ビズリーは言っていた。
 精霊は人と共存してはいるが、かといって人のために身を粉にして働いているわけではないのだ。原初の三霊、力を持つ側の者だからこそ、黒匣や精霊術―そういったもので精霊を扱う人間を、見下しているのかもしれない。
 事実として、クルスニク一族はカナンの地の一番乗り、つまりは願いを叶えられる権利を巡って骨肉の争いを繰り返している。父と子。時に兄と弟が。俺は兄さんを見て、気まずくなってすぐに視線を下した。
 カナンの道標は全部で五つある。俺達がミラさんのいた分史世界で手に入れた【マクスウェルの次元刀】に始まり、【ロンダウの虚塵】【海瀑幻魔の眼】【方舟守護者の心臓】―最後の一つは不明だという。その道標は正史世界にはすでに存在しないため、分史世界から持ってくる必要がある。
 クランスピア社のエージェントの本来の目的は、ただ分史世界の破壊をするのみではなく。そのカナンの道標を道標を持ち帰る事こそが、真の目的であり、指令だった。
 そして分史世界から持ち込むには―【クルスニクの鍵】と呼ばれるようになった、特別な力が必要なのだという。
 今回、ミラさんが正史世界にいることが、俺にその力が備わっていることの証明となったようだ。しかし俺はそう言われた時、不安そうに見上げるエルを見た。何故と言われれば、分史世界が壊れた時、彼女に抱きついて―つまりは触れていたのが、エルだったからだ。様々なことに気づきかけた時、兄さんの制止で全てに蓋をかぶせ首を振った。

「今は亡きエージェント…ルドガー、君の姉として親しかったこそ、とても優秀なクルスニクの鍵だったよ」

 その名前が出て、俺は目を瞠る。兄さんが横で「その話はするな」と強く言って、ビズリーはやれやれとばかりに押し黙ったけれど。
 。やっぱり彼女も、分史世界を壊すエージェントだったのか。

博士は、ステマ・ロードに特殊な力を授かっているようだがね。我々にはそういったバックアップがない」

 黙って聞いていたに視線が言って、ビズリーは忌々しげに苦笑した。
 カナンの地に願うビズリーの目的は、全ての分史世界の消滅だという。―とてもうそ臭い。何か裏がありそうだった。
 そんなことのために、は今まで鍵としてこき使われていたのか?俺には話さないくせに。何も明かさないくせに。俺を庇って死んでいったがいなくなったら、力があるからと俺に目をつける―たしかに今いるエージェントでは、分史世界の破壊やカナンの道標収集が間に合っていないのかもしれない。だが、俺には何の関係もないじゃないか。だと、いうのに―

§


 エルの腹の音で話は中断され、俺の手料理を所望したエルのため、ジュードと、ミラさんの三人を(他の面々は各私事のため街中で別れただけなのだが)俺の家へと招待した。
 俺がキッチンで調理している間、エルは嫌にごきげんだった。カナンの地への行き方が分かったからのようだ。
 そのやり方に問題があるとは思うが―ミラのつぶやきにも、「それはしょうがないよ」と子供ながらの、しかし残酷な答えを返していた。分史世界である以上、確かに―本当は、存在さえしなかったはずの『可能性』でしかなかったのだから。

「ミラさん、。さっきの話だけど…カナンの地は、大精霊オリジンのいる場所。そしてオリジンは、魂を浄化して循環させている―んですよね」

 ジュードは確認作業に入っているのか、元マクスウェルで精霊について知っているだろうミラさんと、クレミアと親しい関係で同じくなに問う。
 魂の循環―先の分史世界で会った、大精霊アスカの言葉を思い出す。『そろそろ二千年…オリジンが魂を浄化するのも限界だろう』あれは、どういう意味だったのか。

「暴走した源霊匣ヴォルトは、『魂の汚染』が進行したって言ってた」
「…源霊匣?」
「ジュードとのしごと!」

 食べながら話すんじゃない。注意するとエルはもごもごと咀嚼しのみ込み始めた。ジュードが源霊匣の未来性について少し話すと、ミラさんは俯いた後部屋を出て行った。ジュードが焦りつつもそれを置い、は何も言わずそれを見送っていた。
 いいのか、と二人の出て行った扉とを交互に見ながら言うと、は苦笑した。

「いいの、放っておけば。ミラに関しては、ジュードが成長するにあたって大いにお世話になった相手だしね」

 まぁちょっとは妬けちゃうけど、と俺の作ったマーボーカレーを口に運びながら言う。難しいな、男女関係って。いうと、も首を傾げる。私もわかんないよ、全然。と笑った。

「そういえば。って人、だれ?」
「…、それは…」

 話題を切り替えるためなのか、はすっぱり唐突に言った。俺は口ごもり視線を泳がせる。しかしごまかされる気はないらしく、真剣な瞳で射抜くに負けて、ボソリボソリと話を始めた。
 は、兄さんと俺が暮らすこの部屋の隣に住んでいた人で俺より数歳年上の女性。兄さんと同じエージェントで、―何年か前に、亡くなったこと。それを言うと、なにか言いたげではあったもののは口をつぐんだ。

「…ごめん。聞いたことある名前、だったから」
「えっ!?」
「あ、いや、その、分史世界でね。…そっか、亡くなってるんだ…」

 それからは考えこんで、食卓はエルが俺に話しかける声のみになった。

 食後、は研究所に戻り、エルと二人になった。いつのまにやら勝手に外に出ていったエルを追って、マンションすぐのブランコでエルと約束事をした。

 俺は、エルは。一緒にカナンの地へ行く。の代わりにでも、なんでもいいから。