A Song echo Throught The Falls



01


「〜♪ …〜」

 ―物悲しげな鼻歌が、水面に溶けていく。

§

 リドウにイラート海停へよばれ来てみれば、どうやら兄さんの追跡がここでまかれたらしい。街道側とハ・ミルの村側、海路側と手分けして捜索するのだと。リドウとイバル、アーストが海路へ行き、ジュードと、ローエンにアルヴィンたちが街道側、残りの俺達がハ・ミルへ向かった。
 ハ・ミルへついたとたん悲鳴が聞こえ、何事かと思えばミュゼが―どうやら空腹(気分的な)のあまりパレンジを盗み食いしたらしい。連れならばとひったくられたパレンジ代100ガルドのことは、暫く根に持つつもりでいる。
 ミラさんはこちらのミュゼの遭遇に困惑していたものの、途中で来たヴェルからの連絡により、ミュゼも分史世界へと一緒に向かうことになった。おかげで二人のわだかまりはほぐれないままだった。

 侵入した先の分史世界は砂場、キジル海瀑という場所だった。危険な魔物がいるから注意しろ、というミュゼの警告を念頭に置きながら、兄さんを追って砂を踏みしめ進んだ。
 暫く行って突き当り。道がわかれている所の海岸に、エルが貝を見つけ一人走りだした。

「あんな子供を連れ歩く気が知れないわ」
「…人間って、守るものがある方が強いんじゃないかしら」

 ひそひそと、ミラさんとミュゼがしんみり話をしている。耳を傾けようとしたとき、どこからか綺麗な音が響いてきた。
 歌声ではない。さざなみの音や、鳥だとか虫だとか生き物の音でもない。聞いたことがあるような、ないような、そんな女性の鼻歌の音。気付いた瞬間、俺は音の方を探り歩き出した。
 エルは―これだけ開けた場所だ、よほど大丈夫だろう。
 同じ海岸の内ではあったけれど、湾曲していたため最初の位置からは見えなかった場所。大きな岩場のその上に、探していた人が座っていた。片膝を上げて、誰かに背を預けている。近づいていくとこちらに気付いてちらりと視線を向ける。音は止まらない、彼が歌っているのではないようだ。

「余裕ね、追われているのに鼻歌なんか歌って…、」
「…癖なんだよ。我が家に伝わる古い歌でね、俺も歌えるが、やっぱり彼女の歌が一番耳に気持ちいい」

 背中合わせに座っている人物を一瞥して、兄さんは苦笑するように柔らかく顔をほころばせた。

「会いたくて仕方ない相手への思いが込められた、"証の歌"と言うらしいが…、本当に会いたい人に会わせてくれたのは、これで二度目だ」

 しんみりと、言う。
 知っているその髪色に、けれどありえないその音に、どくどくと鼓動が早まるのがわかった。まさか、まさか、と口を開けて、ゆるやかにその人の背から兄さんの目に視線を合わせた。

「…も、その歌好きだったよな」

 肩が、揺れた。初めてその鼻歌が止まった。

「それはお前の方だろ。赤ん坊のころからこれを歌ってやるとすぐ機嫌がなおった」

 揺れたかの肩が、ゆっくりと立ち上がる。

「覚えてるか?子供の頃と三人でキャンプに行った山で、揃って迷子になったこと。雷は鳴るわ、熊は出るわ、大変だったよな。お前も、を守るんだって強がったけど…、すぐに怖くて泣きそうになって。けどがこれを歌うと、お前は泣きたいのを我慢して歩き続けた。俺がおぶってやるって言っても、自分で歩くって、むしろをおぶるって意地張ってな。一晩中歩いて麓の村に戻れた時には、足も喉もぼろぼろだったっけ」

 思い出話にふける兄さんに、「そんな話がしたいわけじゃないんでしょ」とミラさんが釘を差した。俺の視線は、一向に振り向かない兄さんの後ろの人物に行っていて。

「もちろん要件は別にある。もう時計の問題じゃない。あの娘―エルを俺に渡してくれ」
「…ユリウス、そんなんじゃただの変態よ」

 凛とした、透き通った声。もう何年も、どう願っても再び聞くことのできない声音。
 座っていた大岩を降りた兄さんに続いて、ようやく、その人が振り返り顔を見せた。

「…あ、」
「いいんだ。 抵抗すれば力ずくで奪う」

 "その人"の制止も聞かず低い声で真剣に言う兄さんに、俺は思わず武器を構える。

「…ねぇルドガー…どうしてそんなにもあの子にこだわるの?」
「…っ約束したんだ。一緒にカナンの地に行くって…だから、

 は兄さんの隣に立って、悲しい顔をしていた。なんで、どうして彼女が。あの時と変わらない姿でこんなところにいるんだ。まさか、そんな…、いや、けれど。

「兄さん、そんな、ことより…っ今は、がどうして、」
「このは俺が分史世界で出会った人だ。…そこにいるマクスウェルと同じようなもの」
「この、…この分史世界で?この世界で?この世界の俺は…?」
「ルドガー」

 何から聞けばいいのかわからなくなっている俺をとどめたのは、他でもないだった。強い視線で俺を見て、じっと瞳で「それ以上はしゃべるな」と言っている。
 兄さんより一歩だけ前に出て、宥めるように話を始める。

「…エルと一緒にカナンの地に行く。それは、誰にとっても不幸にしかならない。ユリウスにも、エルにも、それにもちろん…あなたにとっても」
「聞きたい事はいっぱいあるけど…何を知っているの、あなたたち」
「オリジンの審判の非情さを。 分かってちょうだい、ルドガー。私は、あなたを―」

 どういうことだろう。目の前の彼女は、まるであの時俺を差し止めた時の彼女をまるきり同じだ。でも彼女は俺のじゃない。俺を守ったじゃないはずなのだ。兄さんは、俺からエルを奪うために、分史世界のを引っ張り出してきて、一芝居打たせているというのか―
 一瞬で巡らせていた考えを打ち破ったのは、幼い悲鳴。こんな場所にいるあの声は、エルしか居ない。とっさに振り返って走り出す、けれど俺を追い抜いてがエル達の元へ行ってしまった。
 そこでは治癒術をかけるエリーゼと、苦しみもがくエル、それをかばうように武器を手にする、じっと奥にいる禍々しい魔物を睨みつけるミュゼがいた。

「時歪の因子!」
「あの魔物が、変な精霊術でエルを!」
「回復が効かないー!」

 大きな大きな、蜘蛛のようないきもの。人間の骸骨のような顔があって、黒い―時歪の因子所以のモヤを発している。

「ルドガー、避けて!」

 が叫ぶのと同時に攻撃が飛んできた。言われたとおり咄嗟に避けるが、直後その魔物は溶けるように姿を消した。逃げたのではなく、本当にすうっと空間に消えていったのだ。

「まさか、呪霊術?」
「呪霊術とはなんだ」
「生き物の命を腐らせる精霊術。解除するには、術者を倒すしかないわ」

 苦しむエルを心配そうに見下げながらミュゼが説明する。
 術者、とは。…先ほどの魔物?

「そう、『海瀑幻魔』を。―正史世界では絶滅した変異種。姿を隠して呪霊術で獲物を遅い、動かなくなった後その血をすする魔物よ」

 海瀑幻魔。海瀑幻魔の眼。時歪の因子。カナンの道標。
 どちらにしても倒さなくてはいけない相手だ。けれど事は一刻を争う。エルが弱って動かなくなってから補食しに出てきたところを倒していたのでは、エルは―。なにか手があるはずだ。何か、何かがあるはず。

!?」

 兄さんの驚く声に顔を上げると、少し離れた所でが腕を掲げ、兄さんの剣で腕を傷つけていた。たくさんの血が砂浜に滴っていく。

「まさか…血の匂いで幻魔をおびき出す気!?」
「なっ、なんで、!そういうのは、俺が!」

 すぐにに走り寄って腕を掴めば、にこり、と見知った笑顔で俺の頭を撫でた。

「ルドガーを守るのは、私の役目。 それならルドガーが守りたいものも、私が守るだけ」
「……、」
「ルドガーの大切な子だって、知ってたのね」

 ミュゼの言葉には笑う。
 少しの間も無く、血の匂いに誘われてやってきたらしい幻魔の雄叫びが聞こえる。エルの具合の進行を遅らせるため回復術をかけ続けているエリーゼを除き全員が武器を構え、幻魔に備えた。
 かといって、まだ奴は姿を表していない。何処からくるのか正確な位置がつかめていない。 ―一瞬の殺気を感じ見上げたそこには空間のブレが見えた。おそらくは透明化した幻魔だろう、しかし俺に反応できないほどに勢い良く近づいてきていた。
 兄さんが剣を飛ばし幻魔の攻撃を防ぐ。怯んだ幻魔がようやく姿を現し、不意をついた攻撃を邪魔され怒っているようだった。
 どん、と俺に拳を突きつけてきた兄さんは、真剣な瞳で言う。大切なら守りぬけ、と。

「何にかえても!」

 呆然としている俺を兄さんがまた幻魔からの一撃を防ぎ―何故だろう、あれぐらいの攻撃はなんともないはずなのに、あっけなく吹き飛ばされてしまった。
 激情するように、一人すでに幻魔に向かっていたに続いて、俺は魔物に攻撃を飛ばした。





 間に合わない、間に合わない。また、守られてしまう。
 一際大きく唸ったエルに、幻魔は好機と思ったのか俺達を飛び越えて近づいていった。がいち早く気付いて―いや、可能性を考えていたのか予めエルの近くにいた彼女が、武器を握り立ち向かおうとする。ある程度弱っていると言え、四人で攻撃しまくってなかなか倒れない魔物にたった一人で、どうにか出来るわけもない。優秀なエージェントだったとしても。骸殻を使う様子もない。
 それはいけない。たとえ彼女が、俺にとっての偽物だったとしても。あの惨劇を、悔しさを、俺は二度と見たくない。

「ルドガーッ、」

 何かが侵食していくような感覚。硬い殻が広がっていく。
 骸殻を纏った時の槍を一刺しすると、今まさにを襲おうとしていた幻魔はまた怒ったようにこちらを向いた。は驚いたように瞠目し、俺を見ている。

「ッはぁぁぁあああァァア!!」

 槍をいくつも飛ばす。飛ばして、飛ばして、きっと力切れだったのだろう。今度はトドメとばかりにいつもの槍を伴って突撃した。

「ッマター・デストラクト!!」


 ―それから倒れた幻魔にとどめを刺すと、槍の切っ先に歯車―カナンの道標が現れる。
 あ、と思った。この世界の彼女だというのなら、これで別れなければならない。
 割れたような視界の端で、悲しげに目を細めるが見えた。