経済力が違うから用意できる素材の品質も違い、それに伴い完成度も変わってくるのだという言い訳も無に帰すほど、ヴィクトルの用意した食事は美味いものだった。自慢気にどうだったと胸を張るエルに素直に負けを認めれば、ヴィクトルは微笑ましげにしながら目を伏せていた。
「君もこれくらいできるようになる。…十年もすれば」
「でもね、ルドガーのスープもすっごく美味しいんだよ。エル用の麻婆カレーも!」
嬉しそうに俺とヴィクトルの自慢をお互いにするエルに、またヴィクトルは笑う。こんなに楽しい食事は十年ぶりだと言う彼の傍ら、興奮と疲れが出たのかエルはうとうとし始めた。エルが何を言うまでもなく、自分で立ち上がるのを放棄したエルを抱き上げて近くの上質なソファに寝かせた。
不自然なほどすぐに眠りについたエルをみて、ミラがヴィクトルの背に言葉を切り出す。
「では、話を聞こうか。ヴィクトル」
「仮面の無礼は許してほしい。ある戦いで、顔に傷を負ってしまってね」
「そうではない」
「では、何を知りたい?」
半歩振り向き問い返す。
「貴方は何者なんだ?の何なんだ!」
感情に任せて強く言えば、ヴィクトルはまたエルを見下ろした。
「…この子の父親だよ。そしてにとっての…いや、私がにとってのなんなのかは、私にはわからないな」
「けど、も貴方も…」
「分史世界の人間、だろ?だが私は正真正銘、"この"エルの父親であり、そこにいるは私の愛しい人に変わりない」
分史世界の名称が出てきたことで全員の眼の色が変わる。それをわかっているということは、きっと―自分たちが何なのかも、理解しているということだ。
「それでは、エルさんも…?」
「この子と…は…クルスニク一族でも選ばれたものだけに受け継がれる力を持っている。………正史世界では失われた、時空を制する鍵なのだ」
――。ヴィクトルの言葉によって、自分の中で目をつむっていた事が明るみに出てしまった。
やはり、俺自身ではなかった。「本人が一番良くわかっているだろう?」ヴィクトルは皮肉に笑う。
「その力で何を企んでいる」
「ただ、鍵の力も万能じゃなくてね。君が邪魔なんだよ、ルドガー」
目で追うことも出来ないほどの速さで、ヴィクトルは手指を銃に見立て俺の背後から指差していた。警戒が強まっていく。そして嫌な予感が募っていく。
銃口代わりの人差し指が唇を塞ぎ、視線がエルへ向けられる。安らかに眠っていた。
「…娘が起きてしまう。外へ出よう」
§
「いい景色だろう。あの時も、これくらい日が沈みかけた夕焼けだったね」
「…ヴィクトル…」
「君は何も心配しなくていい。言っただろう、今度は私が君を守るよ」
泣きそうな顔をしているに、かばおうとする俺を無視して話しかけている。
「…ここでは、源霊匣が完成しているんですか」
「ああ、八年前に君とが完成させた。 ―だが、君は私が殺した」
萌ゆる緑を見ながらこぼしたジュードの言葉にヴィクトルが返す。そしてなんでもないような口調でとんでもないことをさらりと言ってのけていた。
武器を握るまでは行かないものの、全員がヴィクトルを見る。
「ジュードだけではない。この世界の、貴方も殺した。アルヴィンも、レイアも、エリーゼも、私が殺した。…ビズリーを殺す邪魔をされたんだ。ユリウスと一緒になって…。ビズリーは私から、だけでなくエルまで奪おうとしたのに…」
「もう一度聞く。何を企んでいる」
憔悴した様子のの肩を抱きながら、ミラの問いに深呼吸をして間を持たせながらゆっくりと答えた。
仮面の隙間から見える瞳は俺と同じ色をしている。けれどどこか冷たく、何より―生きている心地がしなかった。
「本物のエルと、との暖かな暮らし…だが、お前がいてはそれが出来ない」
「まさかヴィクトルさんは!」
「ルドガー、もうやめて!」
見覚えのある双剣を俺に向かって繰り出してきたヴィクトルの言葉にジュードは事を察したらしい。
しかしそれを口にするより先に。は俺ではない俺の名を叫んだ。
「俺は未来のお前だ!そして今から、本物のお前に―成り代わる!」
「みんな、なにしてるの?」
「…エル、。戻っていなさい。パパたちは大事な話が…―ッ!」
変わらぬ優しい声で受け答えするヴィクトルは突如として苦しみだした。駆け寄るエルに痛みもがいた腕が当たる。その衝撃で、その顔を隠していた仮面が外れた。
同時に時歪の因子特有の歪みがあからさまに見て取れた。悲壮な顔でヴィクトルはエルに言葉を向ける。
「ふ…怖いか?だが、カナンの地へ行けばこの姿もなかったことに出来る。パパとエル、の三人で幸せに暮らせるんだよ」
「…ほん…と、に…?」
「ルドガー、ねえ、話を聞いて…もう、こんなこと…」
「エル、来たら駄目だ!は逃げてくれ!」
必死に叫べばヴィクトルに肩を踏み地面に戻されてしまう。エルやに対する声色と違い、俺に向けられる声は低く怒りと憎しみのこもったものだ。
「カナンの地で精霊オリジンに願い、私は人生をやり直す!―もちろん、二人も一緒にな。私の娘として、妻として…正史世界で生まれ変わるのだ」
「それは別の人間になるってことでしょう!?」
「―"私たち"に変わりはない! エル、。何も心配いらないよ。思い出なんてまた作ればいい。今度こそ、何からも私が守るから。おいで」
「でも…ママは…?」
「今度からはがママだよ。三人で…一緒にいられるようになるんだ」
両手を広げて近付くヴィクトルに、しゃがんで泣きながらエルを抱きしめる。ごめんなさいと呟く彼女の声にまぎれて聞こえなかったエルの言葉は、叫ぶように言い直された。
そんなのやだ、とエルはヴィクトルを突き飛ばす。まさか意に反すとは微塵も思っていなかったのだろう、軽々と尻もちをつく。その隙に俺はすぐさま立ち上がり、エルとをやつから遠ざける。
呆然とするヴィクトルはそれでもこちら側のエルたちを見ると徐々に眉尻を釣り上げて言った。双剣を構え直し、地面を蹴る。
「エルは…は、私のものだ!」
いくつもの銃弾が、剣戟が交差する。激しく擦り合わされた剣同士が火花を散らし、一進一退しながら切り結ぶ。
俺の動きがわかっているかのように易々とこちらの攻撃を防ぐヴィクトルにはそれ以上の隙が見当たらない。
「入れ替わるために、ルドガーをこの世界におびき寄せたのか!」
「エルを利用して!」
「そう!も共に連れてきたのは嬉しい誤算だったが…エルは必ずルドガーと戻ってくる。なぜなら、」
ジュードとミラが交戦に加わる。歴戦の二人の攻撃も難なく交わし鍔迫り合いする。
「―私が最後の道標だからだ!」
「娘の愛情を弄ぶとは!」
「貴様らに何がわかる!?」
馬鹿正直に奴と斬り合う必要はないと脳が判断したのか、俺は骸殻に変身し槍の切っ先をヴィクトルに突き刺す。しかしそれは素の状態である奴の剣に防がれた。
すぐにヴィクトルも骸殻に変化する―素顔ももとの服も見えない、黒と赤の骸殻だ。兄と父を殺して手に入れたと奴は語る。
四人がかりでもヴィクトルは倒れない。本来前衛のジュードとミラの回復とローエンの遠隔援護がある状態でようやく踏ん張れる程度だ。
長くも短くも感じられる戦闘の中で、たった一瞬の気の緩み。奴の骸殻の槍が俺に投げられる。
「―血に染まりし…完全なる骸殻の威力を!マター・デストラクト!」
「しまッ―!」
「万物織りし拒絶の壁―フォースフィールド!」
俺のそれと同じ動きで投げ付けられる槍に咄嗟に防御の体勢を取り、痛みに備えて食いしばるため目をつぶる。しかし目の前で弾かれる音と聞き慣れた声、肌を撫ぜる衝撃に即座に前方を確認すれば、とクレミアがそこにいた。珍しく長めの詠唱による治癒術をクレミアが俺たち全員にかけると、立っているのでやっとだった足に力が戻る。
その傍らでもは攻撃の手を緩めなかった。乱入者に顔をしかめているヴィクトルをの武器が容赦なく襲う。
「心に響く精霊の声―守る力を、私に!」
「…!ぐうッ…体が…」
ヴィクトルから懐中時計が弾き出て、奴の骸殻が解ける。時歪の因子の歪みも強くなっているようで、ダメージもさながら持病のようにヴィクトルを蝕んでいるようだった。
いくらたちの増援あっても、ヴィクトルが本調子であったら勝つことは出来なかっただろう。俺より更に積まれた経験だけではなく―奴はすでに一度俺たちを殺している。その頃よりも過去である俺達の手の内は、考えなくてもわかっただろう。
「くそ…間に合わなかった…!聞け、ルドガー!一族の力を、使える限度は…決まっている」
「…そう…骸殻という強い力の代償こそ時歪の因子化だ」
クレミアが静かに答える。
力には代償がつきまとう。開花させた時点で逃れる方法はない、と憎々しげにヴィクトルは血を吐きながら訴えた。クレミアの正体がわかっているのか、今は俺よりもクレミアに怒りが向いている。
「それでお前は、生まれ変わりを選んだのだな」
そんな言葉に自嘲の笑みをこぼし、ヴィクトルはまた骸殻を纏った。俺もすぐに槍を手にしてヴィクトルの攻撃を受け止めた。
「お前はどう選択する!」
けれど、奴の動きは先程とは比べられないほど―遅く隙だらけだった。
俺の槍がヴィクトルを貫く。エルを頼む、とすぐ近くでこぼされた。
「カナンの地を…開け、オリジンの審判を越え…」
力なく倒れた駆け寄るエルの頬に手をやって、やつれた顔で微笑む。こんな状況で、何故笑えるのだろう。
「…」
「……ルドガー」
「…俺は、やっぱり…が…」
それ以上は、言わなかった。ヴィクトルの目元を手で覆って、は例の歌を口ずさむ。
「…ああ…やっぱり、の唄が…一番…」
泣きついていた質量が消え、エルの啼き声が響き渡る。
―世界が、壊れた。