時間つぶしに借金を一部返し、呼び出しを受けてクランスピア社へ出向いた。
部外者は来てほしくないというリドウがヴェルのとなりで言っていたが、ジュードと、ミラは強気に「嫌だって言ってもついていくよ」と言ってくれた。
するとヴェルは驚くことを口にした。副社長の意向なら、と。今日付けで降りているというその辞令は俺には微塵も知らされていなかったことだ。
『ルドガー、私はカナンの地で行われるオリジンの審判に決着を着けるつもりだ。お前には真相を伝えよう、分史世界とカナンの地をめぐる一連の事件は、クロノス、マクスウェル、オリジン―原初の三霊が仕組んだゲームなのだ』
社長室にて見せられたのはビズリーのビデオデータだ。早々に告げられた内容は、さっきの今であまりにも俺の理解を越えていく。
「そう。ことは、人間が黒匣を生み出した二千年前に遡る」
『人が黒匣を制御できるかどうかをめぐって対立した三霊たちは、ステマ・ロードの提案と仲介によって、人間にその本質を問う試練を課したのだ。人間が、己が魂の業―欲望を制せるか否かをかけて、な』
「まだマクスウェルが人を信じていた頃。断界殻を作る前の話さ」
『骸殻とは、欲望制御のバロメーターとして、クロノスがクルスニク一族に与えた力だった。時歪の因子が百万に達する前に大精霊オリジンの前にたどり着ければよし。失敗すれば、精霊は人間を見限るという契約でな』
「だが、この審判には罠が仕掛けられていた。ステマ・ロードも日和見だからな、陪審員でありながら、フェアな契約内容じゃないんだ、これが」
『…”オリジンの元に最初にたどり着いた人間は、願いを一つ叶えることが出来る”。この条件が人の欲望を増大させ、一族は醜い対立と競争を繰り返すことになった』
「その結果、時歪の因子と分史世界は、ねずみ算式に増え続けたのです」
『正史、分史含め、これまでどれほどの人間が時歪の因子と化し、破壊されたことか…。全時空では、すでに百万にせまっているだろう』
「クランスピア社は、この悲劇を終わらせるために結成された組織なのさ」
「約束通り報酬を用意した。借金の取り立てももうなくなるだろう…あとは私に任せろ。お前の世代に伝える世界は、私が整える」
それがビデオの内容全てだった。画面が真っ黒になり何も移さなくなると、同時にGHSが鳴る。ノヴァが大慌てで、俺の借金の取り立てがなくなったと教えてくれた。
ノヴァにも後で説明が必要だろうが今はそれどころじゃない。騒いでいるノヴァには悪いがGHSの通信を切るとそのまま電源を落とした。
「ビズリーはカナンの地へ向かったのか?」
「はい」
「入る方法を教えると約束したはずだが」
「承っておりません」
「質問を変えます。ビズリー社長はクロノスの妨害をどうかわすつもりなんですか?」
「クロノスから与えられた力である以上、骸殻では奴に勝てまい」
顔色を変えることなく、ヴェルは冷静に首を振る。
「エルはどうなったんですか?」
「そろそろ会議が有りますので、これで」
そう言って話を終わらせようとする脇で、リドウがさも思いついたていで視線を泳がせながら言葉を吐き出した。
「社長、エルを利用してクロノスを殺すつもりなんじゃないかな〜?」
「リドウ室長…!」
「それとも、本来使う予定だった方の鍵かなぁ、使うのは。どうだろうねえ…。さぁて、お客様はお帰りでーす」
リドウの合図で隅に控えていたエージェントたちが俺とルル以外を部屋の外へ押し出していた。ジュードたちならなんでもない相手だろうが、ここで暴れる訳にはいかないとわかっているのだろう。俺に心配そうな目を向けながらもそのまま追いやられていった。
§
社長室の外でリドウを見つけた。窓の外を眺めて、気付いているだろうに俺が声をかけるまで振り向かない。
先ほどの言葉はどういうことだと問う。何が、といつものいやみったらしい顔で返されるが、俺が無言で睨みつければやれやれと肩をすくめた。「エルがクルスニクの鍵だとは?」知っている。頷くと、リドウは説明を続けた。
「クルスニクの鍵ってのは、審判を超えるために大精霊オリジンの力を与えられた切り札。数代に一人しか生まれず、それ故一族間で争奪の対象となってきた。社長の殺された奥さんがソレだったんだけど…ああ、副社長のじゃない方ね」
「俺のじゃない方…?」
「そのままの意味ですよ。―自分の家庭の事情も知らないんですか?副社長なのに」
兄であるユリウスからもからも、俺の両親についてなど何も聞かされていないのは事実であった。生活のための金がどこから来るかなんて考えたこともなかった幼少の頃からすでに二人しかいなかったし、生きるには金が必要とわかる頃には兄さんがクランスピアエージェントとして地位を確立していた。
歯噛みすればまたリドウはやれやれと首を振る。
「ようするに、オリジンのもとにたどり着くにはクロノスを倒さねばならないが。時空を操るクロノスに対抗できるのは、クルスニクの鍵の”無”の力だけってこと。ま、クロノスを倒すほど力を使えば、鍵は間違いなく時歪の因子化するけどね。
…俺に怒られても。副社長だって、さんざんあの娘の力を利用してきたくせに」
ぐうの音も出ない。ことこんな状況まで来て、エルを介しての契約だったなど知らなかった―なんて言い訳は笑いのタネにもならない。
怒りのあまりビズリーにGHSで通信をつなげる。俺が連絡を入れることを予想していたのか、リドウあたりが煽ったのだろうと苦笑気味だ。
「騙したのは悪かった。だが、分かってくれ。これは人間だけの世界を作るために必要な犠牲なのだ」
「…人間だけの世界をつくる…?」
「そう。私はオリジンの審判を超え、その願いで精霊から意志を奪い去る。奴らを人間に従う道具にするのだ。…心配はいらん、分史世界も、奴らを利用して消滅させる」
「かして!」
ミラやミュゼたちの顔が脳裏によぎって言葉を編み出せずにいると、心配し続けていた少女の声が聞こえた。
もうあんなことしなくてよくなるから、と明るさをにじませた必死なエルの声。
「もう誰も消えたりしないようにエルがお願いするから!エルの力があれば、それができるんだって!大丈夫だから、ルドガーは来ちゃダメだよ! エル、がんばるから…だから、約束やぶっちゃったけど…ゆるしてね」
GHSの通信が途切れる。すぐにかけ直すが応答不能の固定音声が流れるのみだった。
一体エルは何を、どんな覚悟を決めたというのだ。
誰も彼も、俺を蚊帳の外にして決心する。俺ばかりが、―無力だ。
「こうなったら社長に任せるしかないでしょ。下手に手を出せば…次はせっかく帰ってきた大好きなお姉さんが利用されるだけだぜ」
「ッ―!」
どういう意味だ、と怒鳴りつけようと振り向くも、すでにリドウは背を向けて歩き去り始めていた。唇を噛んで、仕方なくジュードたちと合流すべく階下を目指した。