07
翌日早朝に出発するアリーシャ部隊より先に、まだ暗い中では予定通り単身でグレイブガント盆地へと向かった。憑魔となった人間は導師に任せるしかないとしても、その様々な負の感情から成った憑魔はでも浄化することができる。そうすることで多少は戦争の中断に繋がりやすくなるだろうと計算してのことだ。 アリーシャのことは心配だが、マルトランやスレイ、それに一時味方にしたというセキレイの羽―基風の骨がいるようなのでひとまずは大丈夫だろう。…風の骨、その頭領であるロゼには憑きものもいる。
それに―
「これは…?」
「……」
「お守り、か?お前も心配性だな。ありがたく受け取っておくよ」
とある所以の懐刀を渡した。いざとなればそれを頼りにアリーシャの元へ戻ることができる。
天族として姿を消すことで完全な奇襲も可能だ。それに関しては状況次第だが―今はとにかく戦争を止めることが最優先だ。
戦場の端で姿を消したまま術による浄化を行っていると、スレイ達も到着したようで豪快に神依を駆使しながら憑魔や穢れの浄化を進めていた。その時だ。感じることがないよう願っていた知らせが来てしまった。アリーシャの負傷―預けていた懐刀に彼女の血が触れた。振るっていた剣を止め、アリーシャのいる方向を睨んで目を細める。今すぐに、アレを依代に彼女の元へ―そう考えた時、かつてないほどの悪寒が走る。再び振り返ればそこには、今最も穢れを持つ者―穢れの源泉、災禍の顕主がそこにいた。
「……っ!」
「おや?お前は確か、あの姫騎士と共にいた兵士ではないか。あの攻撃に怯まず立ち向かう阿呆かと思っていたが―まさか天族だったとはな」
いつぞやにアリーシャを襲おうとした天族の少女が、災禍の顕主の傍らで愉しそうに唇を歪めた。導師のいない状況で一人では―さすがのも、油断すれば穢れに飲み込まれドラゴンとなってしまうだろう。…それも今までスレイ達が遭遇したものと比べ物にならないほどの凶悪なものに。
「ほう…あの時のように無闇に向かってくることはしないか」
無闇に立ち向かうことはしなくても、保身のためにも自分を中心とした一定範囲に浄化の炎を浮かべる。剣を握る手に力が入るが、ゼンライやライラの言うとおり”格落ち”している今ではどうあがいてもあれを浄化することは叶わない。
一方戦争が始まっていた盆地ではどうやらアリーシャの願いどおり停戦命令が出たようで、それを見た少女がつまらなさそうに目を細めた。「もっと殺し合って憎しみ合ってもらわないと」そういう顔はどこか恍惚としていた。
「……お前、憑魔にはなっていないな。災禍の顕主と共にいて平気と言うことは、……死神の類か」
「物知りだな!負の加護を持つ天族のことを知っているとは」
「何、知り合いにも死神を自称する天族がいてな。それに災禍の顕主、周りから穢れを集めて大きくなったつもりか?始まりの災禍は、周りの恨みつらみなんてどうでもいいって顔してたがな」
「貴様!」
体調が急激に下降しながらも災禍の顕主を睨みつけ、その正体を探ろうと挑発する。当の本人は涼しい顔で、隣の少女だけが憤慨しているがにとって彼女は大した脅威ではない。「お前、その顔…どこかで」穢れで歪みまともに見えはしないが、時折揺らぐ中で災禍の顕主となった人間を見通す。しかし縁の深い相手ではないのだろう、すぐに思い出すことは出来なかった。
「災禍の顕主!!」
「―導師か」
「…導師としてお前を浄化する!」
戦場から走ってきたのだろう、すでにあれだけの浄化を行い体力も尽きかけだろうに、辿り着いたスレイは儀礼剣を握りしめそう言い放った。またも隣の少女が憤慨していたが、やはり当の本人は気にもしていないらしい。「見せてみろ、お前という器を」構えるでもなく応える災禍の顕主に、スレイは浄化の炎を剣にまとわせ地面を蹴った。上空から勢いをつけて災禍の顕主に叩き込む―しかし剣はいとも簡単に受け止められ、まとった炎もまるで影響がないようだった。
「わしを浄化しようなどと…生意気な!」
祓おうとした穢れの重さもあってか、スレイは抵抗できないまま投げ飛ばされる。咄嗟に受け止めるものの、この強い穢れでそう踏ん張れずも巻き込まれるように地面に倒れた。同時にヘルムが外れて転がり、彼の素顔が露になる。
「新たな導師が現れていたとはな。―恐ろしいか?死の予感…甘美であろう」
にぃ、と口角をつり上げて嗤う顔は、まさに狂気といえるだろう。スレイはすぐに立ち上がり、ライラと神依化して再び災禍の顕主に向かう。だがそれも簡単に打ち払われ、次いでミクリオ、エドナとも神依による攻撃を行うが一切効いていないようだった。元々戦場での浄化に力を使っていたせいもあるとは言え、やつとの力の差は歴然だった。
次に災禍の顕主は、未だ戦場に散らばっていた穢れを集めた。一つ一つの穢れは小さくとも、手繰り寄せれば一度薙ぎ払っただけでは浄化しきれない。スレイが撃ち落とした憑魔をたちも攻撃するが、なかなか終わりは見えなかった。
「耐えられるか?これが人間の穢れ…強さだ!人間のために浄化しているお前を攻撃しているのは人間から生まれた穢れだ。まさに理不尽…愉快よのォ…」
「……俺は、信じる。いつしか…世界を浄化しきれるって。いつか人と天族が、一緒に暮らせる世界が来るって!」
膝をついていたスレイは立ち上がり、一つ大きく雄叫びをあげると再び憑魔に向かった。
×
周りにいた憑魔をけしかけたままながら、興味を失ったのか―あるいは、悪い意味でスレイの今後に興味を持ったのか、いつのまにか災禍の顕主は去っていた。残りの憑魔を浄化しきり夕日が沈みかけた頃、馬に乗ったロゼが焦った様子でここへたどり着いた。
「スレイ、あと…だっけ?―って頭!?」
「……、」
タイミング的にもロゼがここまで来た理由は察しがついた。地面に転がりだいぶ傷ついたヘルムを拾い頭部の装着し直したあと、放り投げていた大剣をしまいロゼの説明を聞かないまま走り出した。
「あ、ちょっと!?」
「ロゼ、何があったの?」
「それが、お姫様が…!」
ロゼの言葉に、スレイ達も慌てて駆け出した。
§
残念ながら、ライラ達は神依化した時導師自身には治癒術をかけることができても、それを他者に行うことは出来なかった。いずれスレイがもう少し能力を上げたら可能ではあるらしいが、少なくとも力が底をついている今では不可能だ。
かと言ってアリーシャが危篤のままというわけではなく、医療部隊のおかげもありしばらくの安静は絶対ながらも一命はとりとめていた。
マルトランやロゼに「何故すぐ来なかったのか」「何故傍にいなかったのか」と八つ当たりに近い叱責を受けながら、は眠るアリーシャの傍で看病するスレイたちを少し離れたところで見ていた。
「は、どうして浄化の炎が使えるんだ?人が憑魔化したものは浄化出来ないとは言っていたけど、穢れが寄り集まったものでもライラたちは浄化は出来ない。天族であるが、どうして…」
「……これは、もっと昔からある俺個人の力だからだ。あれからかなりの時が経ち、名を捨てたことで憑魔化した人を浄化できるほどの力はなくなったが、それでも多少は効力が残っているらしい」
「……と導師契約したら、災禍の顕主も倒せるかな」
天遺見聞録を手にうつむきながらつぶやくスレイに、は肩をすくめた。
「無理だな。今言ったように俺は弱体化している。俺が主神なり陪神なりになったところで変わらないさ」
「……歯が立たなかった。どうしたら世界を…災禍の顕主を…!」
「スレイ。その力は一朝一夕には使いこなせないし、強くもなれない。俺は例外だとしても―基本憑魔を浄化できるのは導師である人間だけだ。ならどうして人間だけが浄化を行うことができるのか?それは穢れを生むのが人間だからだ。―穢れとは何か、浄化とは何か。言葉には出来なくても、スレイ…お前はもう、知っているはずだ」
その言葉に顔を上げる。木陰にいるを見て、まだ疲れの抜けきっていない下手くそな笑顔で笑った。
「はどうしてそんな風にしか助言できないの?」
「そうやってグダグダ悩む導師を今までにも何度か見たことがある。直球で答えを言っても「それは違う」って反抗されるんでな。今までの奴らの考えが間違っているとは言わないが、意固地になって別の考えをすることを拒む奴が多かったんだ。そうして穢れていく…だから俺は、あまり導師を好きになれない」
「……そっか。もなりに、人間に寄り添おうとしてくれてるんだ」
視線を戻したスレイを見て、はのそりと立ち上がる。眠るアリーシャの傍らにしゃがむと、痛ましい顔で傷口に手を当てた。「どうするの?」と不安そうにするスレイにはまぁ見ていろとばかりに肩をすくめて返した。
淡い銀色の光がかざした手から溢れる。一瞬アリーシャが顔を歪めたものの、すぐにおとなしい寝息に戻った。
「…光の天族はいわゆる絶滅危惧種だ。地水火風の天族はそれぞれ自然の力が強いところに生まれるが、光の天族はそうはいかない。俺以外で知っている光の天族は二人だけだ」
「光の天族…をいれてもたった三人だけ?」
「探せば他にもいるかもしれんがな。地の天族なら土を、水の天族なら水、火の天族なら火、風の天族なら風―そして光の天族は本来、浄化の光…白銀の炎を操る」
眉を顰め驚くスレイに構わず、は言葉を続けた。
「光の天族はその性質から、そもそも他の属性より少し上位にある。使おうと思えば全ての術が使えるし、他の天族よりもずっと導師の主神に向いている―その気になれば、他の属性を押さえ込むことさえできるからだ。―…と、これ以上はお前にはまだ早いかな」
「……って、思ってたより結構喋るんだね」
「普段は話す相手がいないからな」
「なんだ、それ」
光が収まると、はドッと膝をついた。ヘルムを外し、苦しそうに頭を抑えている。スレイが傍に寄って心配するものの、すぐに何事もなかったかのようにヘルムを装着し直した。「少し休んでくる」と立ち上がり言うと、多少おぼつかない足つきながらも兵士の休息テントへと向かった。
×
「!」
「―……」
「、…!」
強い穢れに当てられたこと、弱まっている治癒能力を久しぶりに使ったことなどが重なり、は天族を視認できないアリーシャたちでも見えるようにしていた鎧ごと実体化を解いて休んでいた。
自分を呼ぶ声が確かに聞こえるが、それでも情けない姿を晒すわけにもいかない。ここへたどり着くまでは踏ん張っていたが、珍しく死にそうなほど疲れていたのだ。
「、見つけた…!」
「……、」
テントのすぐ側の木を背に座り込んでいたの前に、息を切らして走ってきたらしいアリーシャが立っていた。癖で実体化してしまっていたと思い悩むが―何か、違う。
「。私は、スレイの従士になった。だから天族様たちの姿が―お前の姿が、見えるようになったんだ」
嬉しそうに、それでも何処か泣きそうにしながらアリーシャは語った。座ったままのの傍にしゃがみ、少し迷った後再び視線を向ける。
「それで、だから―お前の声を聞くことは出来なくても、の素顔を…見せてはもらえないだろうか」
「………」
「……―外すぞ。嫌なら、ちゃんと抵抗してくれ」
疲れているときに卑怯かな、とつぶやきながらも、アリーシャはそっとのヘルムに手を伸ばした。
抵抗はしない。自分に触れる細い手を眺めながら、ヘルムが外されるのを大人しく見ていた。
「……やっと、お前の顔を知ることが出来た」
傷ついたヘルムを草むらの上に置き、じっとしているの頬に手を添える。ゆるりとその手に自分の手を重ねて瞼を降ろした。
§
が治癒術をかけたことでアリーシャは無事全快し、翌日には国へ帰ることになった。バルトロに命じられるがまま戦争を蜂起させたランドンが憑魔となり襲われるということはあったものの、スレイが無事浄化したことで国へ連れ帰り司法会議に出すことも決まった。
最前線へいることも重要だが、アリーシャ自身抑止力としてだけでも政治の世界にいることが今できる最善と判断し、スレイたちとは笑顔で別れた。
暗殺集団風の骨でありながらも表では商人グループセキレイの羽であるロゼたちは、何かしらの借りを返させるためと言ってスレイ達と共にローランスへ向かったようだ。
「…」
「……?」
「また二人きりの時に、そのヘルムの下を見せてもらってもいいだろうか」
馬上でぼそりと問われた言葉に首を傾げる。見て楽しいものでもないだろうに―とは思いながらも、顔を見られることに関しては特に問題はないのでうなずき返した。
「……あまり人任せにするのも良くはないとは思うんだが、」
「……」
「いつか、スレイたちが…人と天族が共に暮らす世になったらー」
そこで言葉を止め、アリーシャはちらりと顔を向けて微笑んだ。