86:35:56喫茶店から出て今度こそ屋敷に帰ろうと道を歩く。
冬木の中心地の大きな橋へ足を向けると、人気の少ないそこでなにか叫んでいる―見覚えのある青年。
すっと目を細めて判別しようと見つめると、青年もこちらに気づいたのか同じように目を細めてを見た。
すると。
であることが分かったからか、ぱぁっと笑顔になって手を振りだした。その様子に思わず呆気に取られる。
知り合いだろうかと脳裏によぎるが、あんな親しげな笑顔をこぼす青年の知り合いは覚えがない。
橋の上にいる青年は笑顔で手を振りながらこちらへと駆け寄ってくる。じり、とは一歩足を後退させた。
「………」
「ねぇ!やっぱり!綺麗な瞳のお姉さん!」
「――…!」
この男は。
ああ、そうだ、数日前この聖杯戦争が始まる直前、の特異な瞳に目をつけて、よりにもよって抉り出そうとした―基、キャスターのマスター。
決してそのことにトラウマに覚えているわけでもないし、また別の時にこちらは姿を補足しているのだが、あんなにもキラキラとした笑顔で負われること気味が悪いし、何より未遠川から感じる妙な気配に油断する訳にはいかない状況だ。
現在こちらの手元にあるのは風の力だけ。本来の主人であるプリーストによれば、ただ自衛するには一番優秀だが、比例するように一番攻撃的なのだという。
人を殺させるな、と至極真面目な顔で忠告されている。自分にそんな趣味はないから大丈夫だと思ったのだが―さて、自身に命の危険が迫っていた場合はどうするべきか。
冷や汗をながしながら一歩ずつ後退していき、深く息を吸い込んだ時―踵を返し走りだした。
85:58:24ぜぃぜぃと息を切らしながら路地裏へと逃げ込んだ。思わず必死になってしまったようだが、あの青年こと雨生龍之介はなにか用事でもあったのか途中で引き返していった。
少しして乱れた呼吸が整った頃、強く念じてプリーストへと繋ぐ。―しかし、パスは切られたままらしく念話には応じなかった。
どうしようかと深い溜息をついた時、先程から感じていた未遠川からの異常な魔力が、どんどん大きくなっている事に気付く。どうしたものかと頭痛を感じ始める。
「…まさか、あれを両断したらあの泥が…ってことはないでしょうね」
この聖杯戦争に加わる理由ともなったあの夢のことを思い出す。
異常な魔力の雰囲気が規模からして、類似している気はするが―の中では、すっきりしない。
「場所は水場ではなかった…けどキャスターの召喚物なら移動するわよね…」
はぁーと再度深い溜息をつく。
寄り添ってくれている風の精が思い出したようにを風で包み周りから隠してくれたが、それでもの状況が変わるわけではない。
「!」
すると。上から誰かが目の前に着地する。疲れた顔で見上げれば、焦った表情の自分のサーヴァントが立っていた。
「すまない、油断してパスを切ったままにしていた」
「………」
「疲れているな…本当にすまない。 とにかく、川の方で異常な魔力が集まっているのは気づいているか?」
プリーストの言葉に頷きながらゆっくり立ち上がった。
なにか魔術を行使されたのか優しく手をかざされることで走った時の疲労が溶けるように消えていくのを感じながらプリーストを見上げ視線を合わせる。
「キャスターでしょう。さっきそのマスターが橋の上で叫んでるのに遭遇したところよ」
「…―ああ、なるほど。しかし…そうか、キャスターがこの規模の魔力を展開しているとなると倒すにはかなりの労力が必要だな」
ふむふむと思案して、それから思いついたように空を見上げてに手を差し伸べる。
未遠川へと移動するぞと告げられ、頷いて返せばプリーストは目を細め苦笑したあと、高く跳んだ。
84:35:24ちょっと目をつむって少しすると、ふわりと足が地面に降り立つ。
先ほど逃げた未遠川にかかった橋だ。一応周りを見渡して、キャスターのマスターを探し近くにいないことを確認したあとじっとキャスターを見た。
すでにその川の中には、つい先日みたあの触手がうごめいて水辺にいるキャスターの足場になってそこにいた。
「…あいかわらず見ていて気持ち悪いわね」
「魔物とはそういったものだ。 ―お?」
川の岸、見覚えのある姿がキャスターに向いた。金髪のスーツ―セイバーだ。何やらマスターと偽って共に行動している女性と話している。
セイバーを視認したからか、キャスターはなにか高々謳いながら―触手に取り囲まれるように埋まっていった。
触手のその本体が召喚されでもさせたのか、
「…これは―」
禍々しい触手をそのまま巨大化させたような赤黒い姿。思わずひくりと頬をひきつらせた。
「いやはや凄まじいな」
驚嘆の声を上げながらプリーストは見とれるようにほうほうと頷いた。
その様子につくづく美的感覚がどうなっているのかと悩みながらも、目を細めながらキャスターが召喚したそれを見据える。
「今はキャスターの魔力から現界しているようだけど、もしかしたらあれそのうち動いて陸に上がるかも」
「なんと」
「…その結果があの惨状なのか…どうかしら」
「なんにせよ被害が出るなら急がねばなるまい」
すっと手を動かし剣を現すと軽く握り構えた。倒せるのか、と問うと微妙な顔をして唸り首を捻った。
「あれを倒すには、前に戦った時の情報も併せ見るに一撃のもと殺し尽くすだけの威力が必要だと思うわ」
「そうさな、出来ないことはないが…川の水が大半蒸発するような事になりかねないなぁ」
ううむと首をひねりながらキャスターの召喚物を見据える。
「たとえば昼であるならば、大量の光を集めて放出することでも行けるだろうが…ふむ。やはり辺りの水と風を手繰って巨大な剣にして両断するしかあるまい」
「…―他のサーヴァントに、それくらいの威力の宝具を持った人はいないの?」
「む。…セイバーかアーチャーなら持っているだろうが。彼らを説得するには時間がないのではないか?」
そう話し合っていると。
アラララライ―と聞き覚えのある大きな声が届く。同時にうわぁああという悲痛な叫び声。―ライダーだ。
84:31:25ライダーからの共闘願いをそのまま受け入れて、連なるようにセイバーのいる川岸へやってきた。
正面から斬り行ってキャスターが一瞬でも捕捉できさえすれば、あとはランサーの破魔の槍を投げつければこの怪魔を消滅させることができる。
こちらの攻撃を阻むそれさえ敗れれば、キャスター単体にライダー達を蹴散らす力は持たないため後は簡単に倒せる…というのが結論だ。
セイバーとライダーを先鋒にして、ランサーはキャスターが覗けるまで待機、プリーストは―
「では、私は付近に結界を張ろう。さして強力なものではないが、辺りの市民たちへの認識阻害でも」
「そうね、頼んだわ、ええと…プリースト」
セイバーのマスターのふりをしている―アイリスフィールは、そう言って軽くまばたきした。
うなずき返してプリーストがその場を移動するのに合わせてもそれに続く。
ちらり、とはランサーの姿を覗き見る。視線に気づいたらしいかれは首をかしげ不思議そうを眺めるが、当の本人は既にサーヴァントと共に遠くへ行っていたため、その視線の意味には気づかずにいた。
+
川、上空。
主はいませり!と声高らかに叫んでいる青年をよそに、すぐにプリーストの結界とやらは展開し終わった。
遠く上の方に金色の飛行艇のようなものが漂っている―アーチャーだろうが、あんな位置で高みの見物かと思っていれば、数艇の槍剣が怪魔を貫いた。
しかしやはり、そんな攻撃もなかったかのように素早く再生してしまう。
アーチャーのものと思われる金色の飛行艇から言い合いのようなものが聞こえるが―この際無視しよう。
「おや?」
間抜けなプリーストの声。しまったとばかりに声を漏らしている。
何事かと聞くよりも前に彼女が何を見たのか気付く。おそらく囲うようにして展開させた結界の上空という合間を塗って小型戦闘機―恐らくこの惨状を見られて誰か市民による通報を受けた、この国の自衛隊だとかいう系統のものと思しきそれが怪魔に近づいていた。
「―すぐに外へ向かうよう仕向ける。陸に下ろすから、しばし待て!」
やはり放ってはおけないらしいプリーストにそう言われ、頷く間もなく陸へと着地しプリーストはその場を急いで去る。
やれやれと思いながらぐるりと辺りを見渡すと、結界の外、認識阻害の魔術がかけられているはずだが、この状況を一瞬でも見た者の話を聞いて見に来たか確認しに来ているといったところだろうか。
サーヴァントという最強の守りが離れた今、いろいろ危険視することもあるためひとまずはランサーたちのいるところに戻ったほうが良いだろうと川岸を歩く。まだそこまでは触手は侵食してきていないが、それも時間の問題だろう。
二艇の戦闘機のうち、より怪魔に近くいた方はどうやらプリーストの奮闘によって救われたようだ。しかしもう一機は―いつの間にやらバーサーカーに乗っ取られている。そのバーサーカーに乗っ取られた戦闘機は、バーサーカーの宝具と思われる能力によって赤い筋が走る黒い塊になっていた。
アーチャーの飛行艇を追い飛行戦をしているのを視界の隅に入れながら、はぁっと溜息を付いていると。
再び目の前に、例の青年が笑顔でを見ていた。
何度目かの邂逅。思わず息を呑んで呆けた顔をしてしまった。この触手的趣味もそうだが、基本的にこの男とは合わない。今まで幾度か死線をくぐり抜けては来たが、人を殺すのが快楽という一種の破綻者には、何を言っても無駄だからだ。
救いも出来ないし、断罪しても反省しない。
数歩下がって、走りだした。
84:30:14前よりも本気で追いかけられている。
後から落ち着いて考えれば、魔術で追い払うことも可能なのだが人間必死になると簡単なことを忘れてしまうのは致し方ない。
「待ってよお姉さん!こんなところにいるってことは、見たんでしょ!あれ!」
どこともわからない路地を適当に走り抜ける、と―運の悪いことに行き止まりへと入ってしまった。
肩で息をしながら、仕方なく振り返って青年を見た。男だからかほどではなかったが、数分の鬼ごっこはそれなりに疲れたようだ。
「すごいよね、青髭の旦那がさ、最ッ高にCOOLなのを見せてくれるって、それでさぁ!」
睨みによる牽制が効いたのかわからないが、一定の距離のまま青年…龍之介は笑顔で語っている。
拠点としていた場所に飾っていたアートを誰かに破壊され燃やし尽くされ落胆していたところを、キャスターがあの巨大な怪魔を召喚し、やがて陸に上がって人を捕食する。ちまちま人殺しをする必要もなくなり、素敵な絶叫を、断末魔を聞くことができる…とかなんとか。
悪いとは思わないが、今のにそんなものはさっぱり理解も共感も出来ない。イライラしながら龍之介の話を聞き流していると、じりじりと龍之介はに近づいてきていた。
「これで自分の手による人殺しはやめる。だからさ―ね?お姉さん、最後にその瞳、俺にくれないかなぁ?」
綺麗に瞳を繰り出す方法は知ってるんだよ、と笑顔で龍之介は告げる。
綺麗だろうがなんだろうがそんなことはお断りだ。しかし、どうやってこの状況を切り抜けようか。
「ねぇいいでしょ?お姉さん、俺のやること嫌いみたいだし。お姉さんで最後になるんなら、ね?」
「………お断りさせてもらうわ」
何度説かれようと嫌なものは嫌だ。自分が最後になるんならと許可するような英雄性は持っていない。
しかし龍之介はつまらなさそうに唇を尖らせている。
―これはもう、どうにかして気を紛らわせてこの場から脱するしかない。そう思って言葉を紡いだ。
「あなたがどうして殺人をしているのかさっぱりわからないけど、殺人によって何をしようとしているのかはなんとなくわかるわ」
この言葉は適当だ。本当はわかりもしないしわかりたくもない。
―龍之介は、唖然とするように少し目を開いた。
「わかってくれたの?ならさぁ!ほら!」
しかしの言葉は逆効果だったようで、龍之介は更に目をきらめかせた。
しまったとばかりに苦い顔をして、咄嗟に次の言葉を吐き出す。
「あなたは死を見たい。それはつまり、貴方自身がそれに迫りたいということでしょう?」
「―…?」
「死というのが何から来るものなのか知りたい、そういうことじゃないの?」
口八丁に適当なことを述べる。
すると龍之介は眉根を寄せて手を顎に当てて、うーんと考えだした。
それだけの隙ができればいい。はその場から走り出す、が。
「分かった!お姉さん、それを俺に教えてくれるんだね?」
「―は、」
何度も語るようだが、にこういった攻撃を避ける身体能力はない。
ちょうど真横を通り抜ける時龍之介に腕を捕まれ、反動で転んでしまう。その僅かな油断に、は首にナイフで切りつけられた。
間一髪薄皮一枚程度だったから良かったものの、こんな的確に急所を狙ってくるとは―は冷や汗をかいた。
「ねぇ、死って何?」
「―…知らないわよ。死んだことなんてないもの」
死んだことはない。―しかし、その記憶はある。かといってそれを伝えるわけにも行かないし、そもそも伝える方法なんてない。
かぶさるようにしてを拘束して、片手でナイフをくるくると器用に回している。
こんなしょうもないことで無用な怪我をするわけにはいかない。
言葉でどんなに何を言おうと、きっとこの男を諦めさせることは出来ないだろう。
仕方ない、と手元に魔力を集める。簡単な魔術でめくらましくらいになれば、ここから離れ姿を隠すことくらいはできるだろう。正直あまり魔術は使いたくないのだが。
その時だ。暗い中ビルの上で何かが光る。一瞬そちらに気を取られた直後―雨生龍之介の腹が、赤く染まった。
鋭い痛みも過ぎると感じなくなるのだろう、龍之介は呆然としたままを見下ろしていた。首をかしげた後、腹を触るとその血が手を汚す。
「―うわぁ…すっげぇ、綺麗…」
「………」
「そっか…そりゃ気づかねえよな…」
龍之介は血で汚れた手で頭を抱えながら、笑う。
こんなにきれいなものが、じぶんのなかにあったなんて、と。
当たり前だ。人は大体同じ作りをしている。人を殺していた時にこの赤い血やいわゆる臓物を見ていたのなら、自分の中にもあるはずなのだから。
―おそらくこの青年は、ただ愉しさを求めていたのだろう。美的感覚が人と違うせいで愉しむ方法も人と違った。
人の絶叫が、断末魔が、青年にとって何故か、これ前にないくらい心躍るものだっただけのこと。
「あのお姉さんの言ってた通りだったなぁ…ニュースで騒がれて、花が添えられてると…断末魔を聞いても死んでるように思えなかったんだもんなぁ…」
龍之介の脳天に風穴が開く。既に力なき拘束から抜けだして影に隠れたため自身にそれ以上の怪我はない。
死体となった龍之介を見据える。最後に探していたものとやらが見つかって、嬉しかったのだろうか。
