29:57:27男の悲痛な叫び声。恐れるような、怖気づいたような、いろいろな感情が入り混じった音声に、月明かりのみの暗闇の中で男が笑った。ワイングラスを片手に、階下で泣き叫ぶ男が教会の外へ出て行くのを眺めながら笑みを深くして振り向いた。
「くだらぬ三文劇ではあったが、まぁ初めて書いた台本にしては悪くない。どうだ綺礼?感想は」
「…何故だろうな。前にも呑んだことがあるというのに…このワインが、こんなにも味わい深いとは思わなかった」
壁にもたれかかりながら、綺礼は己の持つワイングラスの中で揺れる赤い液体を眺めながら呟いく。
その返答に、ギルガメッシュはさらに笑みワインを口に含んだ。
「酒の味というやつは、肴によって思いのほか化けるものだ。綺礼よ、どうやら見識を広めることの意味を理解しはじめたようだな」
ギルガメッシュはワインをもう一口飲んで視線をずらし、誰もいないはずのそちらを眺めながら言葉を発した。
「どうだ、綺礼の心は」
「悪趣味だな」
返答と共に姿を現したのは、つい少し前に剣を交えたサーヴァント。小豆色の髪を揺らし、長い大きなマントを払い―プリーストはそこに降り立った。
プリーストは二人を一瞥して、階下で意識をなくした女を眺めふっと息を漏らす。そしてそのまま柵に背を預けたのを見て、綺礼は眉根を寄せた。
「…助けはしないのか」
「別に死んではいないようだからな。下手に手を出して面倒被ることになるのは遠慮する。というより・・・神父でありながらこのようなことに悦を覚えるとは、私的にはそちらの方が面白い」
その言葉に綺礼は唇を噛み締める。
「私はそもそも悦を、快楽を知らなかった。ギルガメッシュが教えてくれたのだ、無益な楽しみというものを。しかし私はまだ納得していない、本当に心の底から楽しんでいると納得したくなかった。・・・だからこうして、試しているだけのこと」
「無益な楽しみ、なぁ…。お前、神父じゃなかったのか?」
「何が言いたい」
ぎっとプリーストを睨む。その瞳を見つめながら、プリーストは困ったように顔をしかめ、ため息をついた後傍観していたアーチャー…ギルガメッシュ、を向いて手を伸ばした。ギルガメッシュは目を細め、小首をかしげる。
「なんだ、招いたのならばその酒が私の分も用意されているものとばかり思ったが」
「酒は綺礼のものだ。杯は出してやってもいいが、酒は綺礼に言え」
「そうか。神父、酒」
ギルガメッシュの、言うとおりにしろといわんばかりの視線を感じて綺礼は傍らにおいてあったワインボトルを突き出した。プリーストは瞠目し苦笑した後、手のひらを上に向けて光を集めた。
何を、そう呟くも無視してプリーストは何かを唱える。手のひらには魔方陣のようなものが浮かび上がり、やがて手の上にワイングラスが現れると、それを綺礼に差し出した。入れろということか、それまでの感情を忘れ綺礼はそのグラスにワインを注いだ。
受け取ってすぐそれを口にするプリースト。しかし一口飲んで、つまらなさそうに嘆息した。
「…ライダーに出されたものよりかは美味いが、金ぴかの出したそれほどではないな、やはり」
「我の宝と比べてやるな。綺礼がやっと酒の味を噛み締められるようになったというのに」
ギルガメッシュは愉しそうに笑う。
「…プリースト。貴様は…何者だ?」
「私は私さ」
「そうではない。ついこの間に命を懸けて戦い劣勢になった相手と酒を酌み交わすなど」
「呼んだのはそこの金ぴかだぞ」
綺礼がまた彼女を睨むと、ギルガメッシュがまた鼻で笑う。そこまで何が愉しいのだ、矛先を向けようとしたときプリーストが言葉を連ねた。
「いくらお前らが私の弱点の塊コンビだとしても、私を殺すことは出来ないからさ。戦って私に負けを認めさせることは出来ても、な」
「何…?」
「特に、私について知っている金ぴかなら特に、私を殺そうとはしない…いや、出来ないだろう」
「フ、我だって宝を塵芥にはしたくないからな」
綺礼の知らないことを知っている二人だけで話が進むようで、綺礼は顔をしかめた。実際、しっかりと不快があらわになっていたか、は別であるが。
知りたい、その欲に気づいたらしいプリーストはくすりと笑う。―その女は好みを射ているわけでも、十人が十人振り返る美人というわけではないはずなのに、綺礼は妖艶だ、と一瞬だけ感じてしまい、ごくりと唾を飲み込んだ。
「私は、夢だ」
「夢?」
「そして、希望である」
理解できない。首をかしげた。
「人の形をしているのは、人間が望んだからだ。人の欲、それが具現化し―…貴様らの知るところならば魔法、魔術か。"出来たらいいな"が集約したようなモノだ」
「人の欲…?どういう…ことだ」
「もっともっと簡単に、かつこの地にいる魔術師に分かりやすく言うならば、ステマ・ロードとは、聖杯のようなものさ」
ギルガメッシュが短くまとめる。その台詞に、プリーストは納得したように頷いて口角を上げた。
「―聖杯、だと」
「端的に分かりやすく言うと、な。聖杯は貴様らの欲が集まり出現させたものだろう?」
「私の場合それが今までのすべての人間の夢と希望が具現化し擬人した存在だ」
「…ややこしい。貴様は黙っていろステマ・ロード」
この説明下手めが、とギルガメッシュは毒づきながら残りのワインを飲み干した。
「そんな神のような存在が、何故人間に召喚できた?」
「私は神でも似た存在でもない。かといって神に逆らえない存在でもない、神が作ったモノに必ずくっつく副産物のようなものだからな。―お前が言っていたのではないか?は"根源にたどり着いた数奇の魔女"だと」
プリーストの言葉に潔く理解する。プリーストのマスターは、いつからその噂があるのかも定かではないが、根源にたどり着いたとされる。
最も彼女の名を綺礼が知っていたのも、代行者であったから。本来その存在はあってはならない、出来るならば即座に消してしまいたいものだと聞いた。
それこそ今彼女が安穏と暮らすことが出来ているのは、根源に至ったという噂が定かでないこと、それが事実ならば行き方なりの情報を入手したいから。
だから教会も協会も手を出せないでいる。この聖杯戦争に姿を見せているのも、サーヴァントがいるためよっぽどでなければ本人に届かないことを分かっているのだろう。攻撃魔術は得意とはしないらしいが、逆に結界や補助、治癒魔術は最高峰だとされる。―すべて、噂の域だが。
「は令呪を得、召喚の際媒体となる聖遺物とやらを用意していない。だからおそらく、似ている私の人格が選ばれたのだろうな」
「………。そんな、根源たる貴様に問いたい。私は…私は一体何なんだ?」
まるで話を摩り替える様に綺礼はそんな言葉をプリーストに向けた。至って真剣に、迷い無く。突然の言動に、ギルガメッシュでさえも瞠目し綺礼を見た。
プリーストは躊躇うように苦笑して、眉尻を下げて綺礼を見る。表情と、行き場のない手、何か言いたげにする口。それらを眺めて、プリーストはやはり困ったようにしてから、一歩綺礼に近づいた。
視線だけ向けて我関せずとワインを注ぎ足し飲んでいるギルガメッシュをよそに、プリーストは恥ずかしげもなく綺礼の背に腕を回した。所謂、抱きしめるという行為だ。
綺礼は何が起きたかわからないという顔でギルガメッシュとプリーストを見比べる。
「…わからないか?」
「わからん」
「……。神父という立場がそうさせるのか、単純にわかっていないのか…」
やれやれと呆れ口調で言いながら綺礼から離れる。答えを求め彼女をずっと見ているその視線に、プリーストはさらに言葉を返した。
「私は貴様を救うことはできない。お前に答えを見つけさせるために何かしら協力してやることはできても、答えを提示することはできない」
「何故だ!貴様は、聖杯と同等なのだろう、聖杯ならばどんな願いも叶え…!」
「簡単に説明すると、そうなるというだけだ。厳密には違う。私は聖杯そのものではなく、中身のほうだ。願いを叶えてやるのは聖杯という外見で、私は願いを叶えるための力に過ぎない。…ややこしいがな」
「…何故、救えない?」
落ち着きを取り戻してきたらしい綺礼は、静かに問う。
「救うのは人間の役目だからだ。"救世主"だとか"救済者"だとか名乗るやつのな。私はそのどちらでもないただの"守護者"―否"傍観者"だ。均衡を保つためにそいつらに力を与えることはあっても、あくまでもそれは公式を用意してやったに過ぎない。『わからないこと』は、突然答えを出されても誰も納得しないんだよ」
本当に知りたいやつは特にな。プリーストは笑う。月が動いたのか、小窓からプリーストを照らす。
「…酒も飲み飽きた。私は帰るよ」
「待て、まだ―」
「公式は与えてやったつもりだ。あとは自分で答えを見つけろ」
言うなりプリーストは姿を消す。手を伸ばしかけ、宙に浮いたその手を握り締めて、手すりを殴った。
34:14:35「……あら。プリーストは?」
「ロードは散歩と言って出て行きました」
訝しげに眉根を寄せながら、しかし眠そうに広間へとやってきたに、ランサーは姿を見せて答えた。散歩、と鸚鵡返しするように呟いてガシガシと頭を掻きながら、ランサーの前を通り過ぎ奥のキッチンにある冷蔵庫へと向かっていく。
キャンティが沸かしたというアイスティーの入ったプラスチックの瓶を片手に広間の椅子に座った。
「ふぅん…ねぇランサー。ちょっとこっちへ来て」
「はい」
はランサーを見上げると手招きした。首をかしげたまま言う通りに近づくと、手を差し出すようさらに命じられる。出された手に乗せるように手を置くと、は瞼を下ろし何かをつぶやいた。
少しの詠唱の後が手を話す。何をしたのか聞けば、は立ち上がり、読んでいた本を置きながら言った。
「令呪を解除したの」
「…えっ、そんなことをして大丈夫なのですか?」
「もともと令呪はサーヴァントを縛るのと現界のための魔力を補うためのものよ。ギアスでパスはつなげてあるから大丈夫よ、それとも何?裏切るつもり?」
その単語を出されランサーはたじろぐ。無論そんなつもりで言ったのではない。魔力面での問題がないのならかまわない、と首を振った。
「それで…どうなさるのですか?これから…主はその先見の力で見たというこの地が災害に見舞われる様を回避なされるのでしょう?」
「あら。そんなつもりはないけど…」
そうねぇ、とは思案する。
瞬きもせずにしばらく沈黙した後、ぱっとランサーを見直した。
「多分、私の役目はそれじゃないのよね。別に思い入れもないし」
「では何故聖杯戦争に参加なされたのです?」
「何でと言われても…サーヴァントを見てみたい、みたいな下心だけど」
素直に理由を言われ、その立場から神妙な顔をしたランサーだったが、続けられたの言葉に表情を変える。
「夢の中で見た…あの人が…」
「どうかしたのですか?」
はランサーの言葉を無視してまた少し考え込んだ後、突如背筋を伸ばして大きく呼吸した。
「考えるのも面倒だわ。それより何か嫌な予感がする…もう、とにかくプリーストが帰ってくるまでまた寝るわ。あなたもしばらく安静にしていて、ケイネスたちに変わりがあったら呼んで頂戴」
「…了解しました」
やれやれとばかりに一リットルほど合ったはずのアイスティーを飲み干して、は広間を出て行った。
--:--:--その男が王と讃えた彼の人は、前しか向いていなかった。
それは決して、失敗を恐れないとか、邁進し続けているという意味ではない。自分の後ろを歩いている者たちを、まったく省みていないという意味だった。
王の光が、影という名の臣たちのおかげであることを理解していなかった。王一人が聖者でも、意味がないことをわかっていなかった。
―しかし決して、彼の王に悪に染まってほしいというわけではなかった、と、目の前の男は語った。
「…セイバーの、こと…だろうな」
「しっかりと言葉で告げられてよかった。私はこの手で始末をつけたいのです。あなたに邪魔をしてほしくはない」
目の前の男は、黒い鎧を身にまとうサーヴァント。プリーストのスキルのひとつである強制命令権により、一時的に狂化を解除され自我と理性を持ち合わせた物腰柔らかな男―バーサーカーだった。
「…そうまで言うセイバーを、貴様は殺したいのか?」
「いいえ。私はその手で殺されたいのです。言わされただけの言葉で断罪されるのではなく、あのお方自身の怒りによって」
「わからんな」
「そうでしょうね。あなたとあのお方はよく似ている。―違うところは、圧倒的な経験の差でしょうか」
くすりと笑う男にプリーストはばつが悪いのか視線をそらす。
「あのお方に剣を授けたのがあなた自身だったなら、なにか変わっていたのでしょうか」
「変わらんさ」
「そう…ですね。誰がどう言おうと」
悲しげに男は視線を伏せる。
ふ、と息を漏らしてから、プリーストに深く礼をした。この場を設けることができたことと、自分の思いを整える機会を与えてくれたことに。
「…サー・ランスロット。貴様は、後悔しているのか?」
「いいえ。しかし己の力不足に、恥と嘆きはあるかもしれません」
その言葉とともに男は闇に溶けた。その残滓を眺めていると、直後闇夜に魔力による信号弾が浮かんだ。詳しい場所はわからないが、込められた思いはいうなれば挑発。すっと目を細める。
己の足と距離で言えば、のろしのあったとされる位置まで遠くはない。さてどうするか―プリーストは空を見上げた。
4:15:53寝る、と言ってもつい先程まで休んでいたのだからまた眠りにつけるほど怠惰ではなかった。
寝過ぎなのか何なのか痛むこめかみに溜息をつきながら少しでも時間を消費しようと強く目を瞑る。
「…―!」
真っ暗闇に浮かんだのは、悪夢でもなんでもなく、音だった。紛れも無く、己のサーヴァントの声。
『外の信号弾には気付いたか?』
「…いいえ」
『そうか。場所はいまいちよく―市民会館?だそうだ。話したいこともある、もうそろそろ聖杯戦争も終結だろう…来るといい』
返事を待つこともなく、ぷつりと魔力による繋がりが途切れる。
ふぅともう何度目かになる溜息をついて、ゆっくりとベッドから降り立ち上がり、家を出るため玄関へと向かった。
「主よ、どこへ?」
「主じゃなくてと名前で呼んで頂戴。…そろそろ聖杯戦争が終わるようよ、今のところの生き残りとして、聖杯の降霊される場所へ行ってくるわ」
「ある…殿。一人では危険です」
「大丈夫よ、すぐにプリーストと合流するわ」
しかし、と渋るランサーを置いて、は屋敷を出た。
4:08:28冬木の大橋を通ろうとしたその時だ。強い魔力の気配と嫌な予感を感じて足を止め、どうにか別の道を通ろうと考えを巡らせたものの、大きな黄金の剣を携えた赤い髪の少女が目の前へと降り立った。
「……魔術師か」
小さく、娘はつぶやく。殺気というほどのものでもないが、敵意のある視線。
「この先、王の戦いがある。その令呪、貴殿もこの聖杯戦争の関係者と見た…、王の舞台に用があろうとなかろうと、近づくことは推奨しない」
「…王の戦い用はないわ。私は、その向こうにある市民会館に用があるの」
赤い髪の娘はなにか言いかけて、すっと振り向いた。目を凝らせば、そこでは二人のサーヴァント―アーチャーとライダーが杯片手に向き合っていた。
「…王の命令だ。王がそれなりに敬意を払うプリーストのマスターたる貴殿に、この戦いの審判を任せよう、と」
「お断りするわ」
「王の決定だ!」
びし、とその黄金の剣の先がこちらに向く。溜息をついてどうしようかと思った頃、アーチャーとライダーは背を向けて杯を投げた。始まる、と赤い髪の娘が呟いてすぐ、ライダーが何かを叫ぶ―彼のその宝具、『王の軍勢』が展開されるらしい。
特殊な固有結界は、その気になれば無視できるが―その後が、少し面倒そうだ。
瞬きの直後、そこは砂漠の大地だった。
+
「審判を、とか言われてもねぇ…」
固有結界は、アーチャーの切り札であったらしい対界宝具によってあっけなく壊された。
恐らくあの大量の兵士と白兵戦をすることができれば、多量の宝具を飛来させる戦い方をするアーチャーであっても危うかったのであろうが、いくらライダーでもアーチャーが対界宝具という固有結界にとって相性が悪い上に稀有な宝具を持つとは思っていなかっただろう。
「…バビロニアの英雄王、ね」
マスターである少年を、共に乗っていた馬から降ろし、ライダーは一言二言言葉を交わしてから、余裕の笑みで仁王立ちして構えるアーチャーに向けて走りだした。
飛来する数多の宝剣宝槍が容赦なくライダーに振りかかる。駆ける馬の足を貫き魔力へと還り、ライダーは受け身をとって再び立ち上がり走り続ける。
やがてアーチャーの目の前へと辿り着き、その剣を振り上げる。
―が。余裕の笑みが崩れることはなかった。王の財宝庫へと繋がる空中に浮いた波間から大層な鎖が伸びて、ライダーの四肢を捕らえていた。
遠くて聞こえない―聞くつもりもないが、何か言葉を交わしている。おおよそ剣とも言えない、しかし大声で『乖離剣』と呼ばれていたそれが、確かにライダーの心臓を貫いた。
「…王の、勝ちか」
「まぁ…答えるまでもなく、一目瞭然よね」
黙して戦いを見ていた、たまにこっちまで飛んできていたアーチャーの剣を弾いていた赤い娘は、ほっと息を漏らしていた。
「…ところで、あなたは?」
「名乗るほどの者ではない」
赤い髪の娘はすっと目をつぶった後、サーヴァントが霊体化するように姿を消した。
…あのアーチャーに対し王と呼称していたことからして、ライダーの固有結界の中にいた兵達のような存在だろうか―かなり制限がある内容だったが、確かにサーヴァントとしての情報が読み取れた。
一方ライダーとアーチャーの決着はついたようで、赤い髪の娘がいなくなったのと一緒にアーチャーは去ったようだ。
「っうああ―うわぁああんッ」
ライダーのマスターであった少年―ウェイバー・ベルベットは、アスファルトの上に崩折れて大声で涙を流していた。
慰めた方がいいのだろうかと悩みながらもウェイバーに歩み寄った。
「…あなた、時計塔の生徒よね」
「うっぅう〜…ッ」
話しかけるのは失敗だっただろうか。
「…私は。時計塔の講師ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは生きているわ。けれど魔術師としての彼は死んだ。故郷の家元にそう伝えて頂戴」
それだけの情報は伝えておかなければならないだろう。…無論"魔術師として死んだ"のであっては、時計塔の講師などという地位には戻れないだろうが。
ようやく己のサーヴァントからの催促があった。時間がない、と。遣いとして来たらしい風の精に運ばれて、私はプリーストの元へと移動した。
3:57:24やあ、とプリーストは明るく振る舞うが、珍しくその瞳は笑っていなかった。そのことに少しだけ驚きを見せつつ彼女の横までたどり着くと、何かを話すでもなく下を見下ろした。
場所は、信号弾のあったという市民会館の上。足がついているそこではなく、きっと更にその下―教会の神父が行っているだろう儀式によって生まれる例の杯を見据えているのだろう。
―『そういったもの』を跳ね除ける瞳で見ても、眉根を寄せてしまうほどに―禍々しかった。じっと見つめていると、視界がぶれて何かが紛れる。
それに気付いたのか、プリーストがの名を呼んだ。
「何が見える」
「…悪いもの、としか言い様がないわね」
そう答えれば、プリーストは苦笑した。
「この下には、ある者が眠っている」
「…あるもの?」
「ああ。一人の―英霊が」
*
片方の船に300人。
もう一方の船に200人。
総勢500人の乗員乗客と、あとは■■■■。
仮にこの501名を、人類最後の生き残りとしよう。
二隻の船艇に、同時に致命的な大穴が空いた。船を修復するスキルを持つのは■■■■だけだ。
さて。君はどちらの船を直すだろう?
片方の船に300人。
もう一方の船に200人。
総勢500人の乗員乗客と、あとは■■■■。
仮にこの501名を、人類最後の生き残りとしよう。
二隻の船艇に、同時に致命的な大穴が空いた。船を修復するスキルを持つのは■■■■だけだ。
さて。君はどちらの船を直すだろう?
「……私なら、全て見捨てるわね」
「ほう。何故だ?」
「その先が見据えているからよ。どちらを助けた所で結果は同じよ」
「―お前は強いな。まさしく英雄になれる力を持っている」
「…ほめられているのかしら、それ」
呆れるようにが目を細めてプリーストを見上げると、当の彼女は口角をあげた。「褒めているとも」くすくすと笑って、すっとを見る。
「この世には、悪と言うものが必要だ。それは人の思いのはけ口としてではない。全ての原因、諸悪の根源として存在する絶対悪」
「…」
「それは人の身では決して担えない。担おうと言うならば、それは英雄と同じだけの力が必要だ。英雄と同じだけの力を持つ、化け物になれる力が」
視線を逸らして、街をみた。数日前に大きな騒動がありはしたものの、今は静かな真夜中の情景が見て取れる。
「人は化け物に勝てない。化け物は英雄になれない。英雄は、人に逆らえない。この中に眠る者は一瞬ながら英雄になったためにその願いに逆らえず、そして人の力によって化け物になった」
まとわりついて浮遊している人ではない魔力の塊が、プリーストの手の動きによって辺りに散った。だがどうやら消えたわけではない。ちょっとずつ、その強い魔力が遠ざかっている。
「たとえ"この世全ての悪"であろうと、それを担う者が英霊であることに変わりはないのだ」
「……それで?私に何をしろって?」
本題を言い出さないプリーストにしびれを切らし、腕を組んでそう促すと、プリーストは苦笑して―しかし妖しく、笑んでいた。
「"この世全ての悪"は、こんな所にいていい者ではない。この地が塗り替えられてしまうのもそうだが、英霊であるならば英霊の座で眠りに着くべきだ。問題の塊でありながら、世界のために存在する必要がある"この世全ての悪"は、誰にも担えないその栄光を讃えて―安らかに、眠りにつかせたいのだ」
「……」
「今の私はそのつもりで召喚に応じたわけではなかった。したがって、"この世全ての悪"を伴って往くことができない。―そこでだ」
プリーストは言葉を区切って目を伏せる。
近く―下の市民会館の中で、恐らく英霊が戦っているようだ。しかし白熱はしていないのか、時折強い魔力の塊がごく程度だったが。
「次の聖杯戦争の時に、彼を天へ送る力がある英霊を呼び出して"こちら"へやって欲しい。アレから"こちら"へ近づいてくれれば、正しい場所へ導くことが出来る」
「…天へ送る力?」
「まぁ、この地での聖杯戦争が続くなら、それに参加してほしいのだ。できるだけ私も手を加える」
「……50年だか60年だか後でしょう?私は―」
「お前なら、可能だろう?」
にやり、と笑う。―勿論間違いではなくて、はぁと溜息をついた。
「私が断ったらどうするの?」
「そうさなぁ…その時は。どうにかしてここに救世主を用意しなければならないな。…ああ、そうだ」
真下で大きな魔力が動く気配がした。
「褒美には、真の聖杯を与えよう」
