明鏡覆月影

メイキョウオオウツキノカゲ

01

宴が終わって立花さんが九州へ帰り、また暫く繰り返しの日々だった。変わったのは、聞いていたよりも早く刀を振る稽古を始まったことか。私は今日の鍛錬を終えて、次のために気合を入れて兵法書と一般的に公開している流派の剣術書を見ていた。

「三成くんに嫁ぐの姫が近く戦に出るって噂は本当だったんだね」

隣の気配に気付いたのは、そう声を出されてからだった。顔を上げれば、居たのは美しい銀髪の、竹中さんだった。目が合うと竹中さんはふわりと笑う。

「…戦に出るかは、わからないですけど」
「おや、そうなのかい。でもまぁ武芸に鍛錬にその格好は動きにくいだろう、今度君の鎧を用意してあげるよ」
「…ありがとうございます……あの、」
「なんだい?」

優しく笑いかけてくる竹中さんに、私は素直に思ったことを口にした。何故ここにいるのか、と。書庫にどうして、ということではない。詳しい内容は知らないが…この人は、たしか病に倒れて安静にと床に引きこもらされていたはずだ、秀吉さんによって。

「ああ、そのことか。今日は少し調子が良くってね、本でも読もうと思って散歩がわりに来たのさ。大丈夫、簡単そうなものを選んですぐに戻るよ。ところで、お薦めはあるかい?」
「…貴方がどういったものがお好みかは分かりませんが…」

最近読んで面白いと感じたものをいくつか伝えれば、竹中さんはふぅんと相槌してそれを探しに行った。場所を把握しているのか、迷いもせずにすぐに戻って来て私に隣に腰掛けた。

「君は何を読んでいるんだい?」
「兵法書です」
「…その本は、基礎を知らない君にはまだ難しいと思うのだけれど」
「…いえ、此方はこれが一番読みやすく感じます」

そう言えば、竹中さんは心底驚いた顔をする。そして何故だい、と興味深そうに訪ねてきた。

「語句が纏めてありますし、言葉が綺麗です。他の兵法書も一通り目を通しましたが…その上で、基本と重要点を抑えたこの書物が一番見やすいです」
「…陣形が古いとは思わないかい?」
「実際に見たことがないので何とも言えません。ただ思うのは、工夫するのは、こうやって教えられたものを破る方法が考えられるようになってからでいいと思うんです」
「…ふ。ふふ、あはは」

突然笑い出した竹中さんに視線を向けると、くすくすと肩を揺らしていた。何事かと聞けば、本を裏返してみろと言われその通りにする。そこにあったのは竹中重治という著者の名前で。首を傾げていると、意外な事実が告げられた。

「それは僕の著書だ。まだ成人したての若い頃に書いたものでね、当時はこんな基本中の基本を書いてどうする、お前は頭が回るのだからもっと人に真似できない軍略を考えていろ、なんて全否定されていたけど…ああ秀吉じゃないよ。秀吉に仕えるもっと前さ」

懐かしいとでも言うように、竹中さんは息を漏らす。それを見る目はまるで子供のように輝いていた。

「…僕はもう、そう長くないんだ。今みたいにある程度安静にしていればいいけど、やっぱり戦に出るとなると身体がもたなくてね。僕の後継を菊君にお願いしようと思ったんだけど、彼女は三成君にしか興味ないらしくてさ」
「…?あなたに、そんな弱音を吐いて欲しくないから、とか」
「そうかもしれないね。でも、もう騙すことが出来ないくらいに侵蝕されているから」
「…秀吉様が心配なんですか?」

また竹中さんは口を閉ざす。本を読み進めているわけでもなさそうだが。

「…どうなのかな。僕がいなくても秀吉は生きていける、豊臣も終わりはしないだろう。でも…やっぱり心配なのかな。それとも死ぬのが怖いのか」
「秀吉様なら大丈夫だと思います。右腕が無くなっても他にいっぱい腕があります。我が君がいます、菊千代さんがいます、大谷さんも、家康さんも、他にもいっぱいいました。なので安心して死んでください」

言い切ると竹中さんはまた盛大に笑い出し、途中むせていたけど息を落ち着かせるとふわりと微笑んで私の頭を撫でる。首を傾げるとなんでもないよとまた笑ってはぐらかし、久しぶりに本へと視線を戻した。

の姫は、学も感情もない人形だと聞いていたんだけどね」
「感情はよく分かりませんが、学はないです」
「でも君は…教えれば化けるね。また部屋に遊びにきてくれ、僕の軍略を聞いて欲しい」
「……それでお力になれるのなら」

なんて、格好つけて見たりして。すると竹中さんは綺麗に笑って、「素晴らしいね」と呟いた。

「竹中さんは、」
「半兵衛でいいよ。堅苦しいのは嫌いでね」
「…半兵衛さんは、秀吉様のどんな所がお好きなんですか?…その、お話したこともないので、どんな方なのかなと」

半兵衛さんは少し驚いた顔をして唸った。どこと言われてもねぇ、と少し困り顔だ。しかしすぐにひらめいたように私を見る。

「強いところかな、やっぱり。武力だけじゃないよ。秀吉はきっと、僕の寿命が少ないことを察してくれているだろうから…、だから僕の夢を叶えてくれようとしている。そんな強くて、ああ見えてとても優しい所に、僕は惹かれたのだろうね」
「強くて、優しい…ですか」
「と言ってもまぁ、より万全な体制にするため切り捨てるものも多いから、外から見れば力に溺れた者にしか見えないんだろうけど。僕がもうちょっと余裕をもてるならできることも多いだろうに、秀吉は僕のために、ある程度の汚名を被ってくれているんだ」

半兵衛さんがしみじみと語る秀吉様像に、ほんの少しだけ意外だなと思う。三成さんも秀吉様のことを大層尊敬していたが…、そんな素晴らしい人に、何故奥さんがいないのだろう。半兵衛さん自身が縁談を断るのはなんとなく分かるのだが、時代の先端を行くのが秀吉様であるなら、そんな彼と繋がりがほしい家はたくさんあるはずだ。忠臣である三成さんに話が行くのもわかるが、三成さんよりも先に秀吉様ではないだろうか。力を至上とするこの豊臣で、力以外何もいらないと言うような偏屈な人だというのならともかく、思慮深い優しい人だというのなら引く手数多な気もする。
そう言うと、半兵衛は心底驚いた顔をした後視線を迷わせた。…何かいけないことを言ったのだろうか。

「…君は鋭いね。ああそうだ、確かに普通なら僕もそう思うだろう…そうじゃなくては、面倒事をすべて部下に押し付けていることになる」
「すみません、何か言いにくいことを言ったみたいで」
「いや、構わないよ。…けど、申し訳ないね。この事を僕が勝手に話す訳にはいかないから。ただ―そうだね、豊臣の強さは、秀吉の心の犠牲の上に成り立っているんだ、と言っておこう」
「え、」

そうして半兵衛さんは立ち上がり、「また暇な時に呼ぶから、是非来てくれ」とだけ告げて書庫から出て行った。





決まった時間に起床して、完全に覚醒するために布団の上で正座する。小さくあくびをして、昨晩のうちに準備して置いた着物を着るため寝間着をゆっくりと脱いだ。一つ伸びをして、脱いだそれを畳みにかかったとき、影ができた。障子の向こうに誰かがいる、女中さんだろうか、いつもならもっと遅い時間に来るのだが。

。起きているか」
「…はい」

返事をすれば間髪いれずに障子が開かれる。冬ではないが、外の空気が入り少し身震いした。

「今日の稽古だがいつー…」

声を聞けば疑うまでもなく相手は三成さんだ。しかし当の本人は言葉を止め、こちらを凝視して息を呑んだ。

「馬鹿か貴様は!着替えているならそうと告げろ!」
「…すみません」

三成さんは小気味いい音を立てて障子を閉めた。着替え終わったら呼べと向こうで呟かれ、私はどうにか素早く着替えを終わらせなければならなくなったのだった。
着替え終えて話を聞けば、あんなに早い時間に訪ねて来られたのは、どうやら私が与えられた分の鍛錬のお品書きよりも多くしていると知り、窘めついでに今後のそれについて話すためにきたのだそうだ。つまり私のここ最近の日課となりつつあった早起き自主練厨房手伝いのうち、朝の自主練が出来なくなってしまったわけだ。三成さんに与えられた鍛錬及び稽古の時間が基本午後で、午前中は途方も無く暇になってしまった。
読書の時間を増やしてもいいが、あまり本の虫になるのはよくない、と先ほどの説教でも言われてしまった。おまけに今日は今まで頑張った分の褒美だとか言われて稽古がなしになった。実際の理由は鎧だとかを用意しているからみたいなことを言っていたけど、つまりは今日に限っては午前中どころか一日中暇なのだ。

「…城下に行ってみたい」

仲良くなった女中さんの話では、城下町にはいろいろなものがあってとても楽しいそうだ。しかし一人で行くわけにはいかず、お供してくれそうな人は全員忙しい。城下町へ出かけるという暇つぶしの案は、先ほど大谷さんに棄却されたばかりだ。少しくらい甘く見てくれたっていいのに。
甘く見てくれそうな菊千代さんは、最近忙しいみたいでこの大阪城にすらいない。暇だと呟きながら久方振りに、しまっていない布団の上でごろごろしていた。ここへ来る前私は普段何をして生活していたのだろう、と思った。
すると、障子の向こうから控えめな声色が聞こえた。この声は三成さんだ。

「…暇か」
「はい、とても」
「…城下にでも行くか?」

え、と声を漏らせば障子を開けてもいいかと聞かれた。是と答え三成さんは部屋に入ってくると説明を始めた。
今日は私の分の鎧や戦時用の着物を揃える予定だったのが、半兵衛さんが用意させていたらしく予定が取り消しになったのだという。鍛錬を無しにした以上やはりやるというわけにもいかず、半兵衛さんに相談しつつ悩んだ結果、出掛けるのは如何か、となったそうな。

「!本当ですか?」
「嘘は好かん。そう遠出は出来んが、城下をうろつく程度ならと秀吉様の許しも得た」
「行きたい、です!」
「そうか。では女中に言って半刻後までに準備をしろ。時間になったらまた来る、…着替え中鉢合わせになることはするなよ」

頷くと、ちょうどよく女中さんが数人、めかし道具を持って入ってきた。
可愛らしい着物やかんざしを手にしている。髪を梳かれている傍らで別の女中さんがこの着物が似合うだとかこっちがいいだとか、私そっちのけで話している。どんな着物が好みですか、と聞かれて、疎い私は何でもいいと答えたら、こうなったのだ。困っているのを感じたのか、私の頭をいじる女中さんが苦笑して言う。

「ふふ、姫様はお出かけにならない上に、最近は武芸の稽古で軽装ばかりでしたから、私たちも姫様の面倒を見ることが出来てうれしいんですよ。厨房のほうも手伝いに来てくださって、本来私たちがすることも、ご自分で身の回りのこと済ませてしまいますでしょう?」
「…すみません」
「いえいえ、謝ることではないんですよ。気に障ることがあったら、すぐに叱ってやってくださいね」

なんだか気恥ずかしくなって、押し黙る。目の前で話していた女中さんは、いくつか用意していた中二つを候補として並べ私に見せた。どちらがいいか、と。
並べられたのは普通の着物…と、短い袴のようなものだった。足を出すのは恥ずかしい気がする、と着物を指差せば、女中さんは笑顔になって着物のほうを、しまった。えっ、と動きを止めていると、にこにことしながら私を立たせ、その丈の短い袴を着させられることとなった。





「………、行くぞ」
「はい………」

奇妙としか思えない服装をした私を、三成さんはじろじろと見てから何も無かったように背を向け、進み始めた。何だか恥ずかしい。三成さんはといえば、普通に普通の着物で、どちらかといえば地味なものだった。もしかしたら、この歩く微妙な間は、近くを歩きたくない様だったのかもしれない。
城下へ辿り着いたころにはもやもや考えていたことも忘れ賑やかなあたりを嬉々と見た。見たことのない活気に胸が躍る。

「…これが秀吉様の作る国だ。素晴らしいだろう」
「はい、とても。感動しました!」

言うと、私を見た三成さんは瞠目した後不機嫌そう視線を逸らしてしまった。

「とにかく、今日は私も暇をもらいやることがない。帰りの時間も考慮してもいくらか自由に行動できる。見たいものはあるか?生憎祭り事はないが」

見たいもの、と言われても、世にはどんなものがあるのかは知らない。身につけている装飾品などや着物もろもろを並べているところはあるだろうが…そう悩んでいたら、三成さんは息を吐いて進み始めた。慌ててそれを追うと彼は前を向いたまま、立っているだけは時間の無駄だ、と結局あてもなく見て回ることになったのだった。
三成さんの歩行速度は速い。武芸を習い始めて体力と筋力がついたとはいえ何分歩幅が大きい。私も今着崩れを気にしなくてもいい袴だが、それでも…、足の長さが、そもそも違うのだ。三成さんの背の丈は、私より頭ひとつと少し分ほどある。そのうえで、腰が私よりもうんと高い。
そんなことを考えていると大分差が開いてしまった。速過ぎる。

「わ、わがきみ、」

散々『その呼び方はやめろ』と言われ最近になって諦めたらしい呼び方をしながら走り始める。そこでするりと手に持っていた巾着が地面に落ちてしまった。この中には、大阪城へ来る前にもたされた小金といくつかの小物が入っている。立ち止まって拾い、顔を上げる。

「……あれ」

いない。立ち上がってあたりを見るが、見えるところにはいない。そんなばかな。
後ろを振り返っても、そこそこの人ごみでどれくらい進んできたのかわからない。進んだほうがいいのか、このまま立ち止まっていたほうがいいのか。
その場に突っ立った状態で緊張しながらぐるぐる考えていると、突然肩をつかまれた。一拍遅れて恐る恐る見上げれば、そこには前を歩いていたはずの三成さんが不機嫌そうにこちらを見ていた。

「逸れるな、阿呆が」
「…すみません。しかし我が君の歩行速度が、此方にとっては走らなくてはならないほど早く追いつけませんでした」
「それは、……。気をつける」

行くぞ、と三成さんは踵を返す。肩からこちらをのぞきながら進んでいて、私もそれに続いた。
しばらく歩いていると、三成さんは私を一瞥した後足を止めた。何事かと問えば、立ち止まった眼の前の店を顎で指す。
そこには、様々な種類の髪飾りがならんでいた。首をかしげる、と、「好きなものを選べ」と淡々と告げられた。
困惑するが、店先まで店主がやってきて、引っ張られるように中へと招かれた。

「…選んだとして、いつ着ければいいのでしょう…?」
「好きなときにつけろ。いらないのならば無理に購入する必要はない」

そういって三成さんは他の品に目を向けていた。
私は私で店内を見回して好みのものを探しはじめた。
だが。

「………、」

自分って何が好きなんだろうか?
たとえば、花を思わせるこの簪は綺麗だ。散りばめられた飾りも、その造形も美しい。だが特にほしいと思わない。
別のところにあった蝶を模したものも、葉を模したものも、七宝焼きの美しいものも、心に響かない。

「……」
「どうした。好みのものはなかったか? …なんだ、その顔は」
「え、あ…その」

無理に選ぶ必要はないと言われていても、店主の手前そう言うのは気が引ける。なので適当に花の飾りを指すものの三成さんは眉根を寄せ踵を返した。

「行くぞ」
「あの、我が君、買わなくても…?」
「無理に購入する必要はないといっただろう。思い入れが芽生えないものを買うほうが失礼だ」

言葉が詰まる。店主はそれなら仕方がない、またどうぞと苦笑した。すばやく歩く三成さんの後を追いながら、再び城下を歩き出す。不機嫌そうな三成さんに少しだけ怯えていると、気づいたのかため息を付きながら三成さんは言葉を綴る。

「先ほどの店は懇意にしている店だ。気にいる品がなかっただけで気を悪くする人間ではない、貴様が気に病む点はなにもない」
「…はぁ」
「懇意にしているのは菊だがな」

三成さんはそうつぶやくように言って、それから黙った。
慰めている、のだろうか。なんだか申し訳ないなと思いながら黙って後ろをついていくと、突然三成さんは立ち止まった。前をしっかり見ていなかったためぶつかってしまうが、何か咎められるでもなく目の前の店に視線を促された。そこは和菓子屋さんで、「半兵衛様と刑部に土産を頼まれている」と入っていった。
ついでに少し休むことになって、二人の分とは別にお団子を頼んだ。作りたてのみたらし団子はとても美味しそうだ。

「…そういえば」
「はい?」
「その…。 ―最近半兵衛様のところを訪ねるようになったようだが何があった?」

言いにくそうにしていたのから一転、意を決したようにして繰り出された話題はそんなものだった。驚きつつも書庫で出会い色々あって兵法を教えてもらうようになったのだと告げれば、「そうか」と興味なさそうに短く返された。

「…剣術も中々見どころがある。半兵衛様に直々に兵法を学ぶのなら、貴様もそれなりに成長するだろう…その調子で、秀吉様のため力をつけるといい」
「…ありがとう、ございます…?でもお言葉ですけど」
「なんだ」
「此方が武芸や兵法を習うのは、秀吉様のためではないですよ」

団子を頬に入れた状態で三成さんは硬直する。「何、」と呟いたあと思い出したように団子を飲み込もうとしている間に、怒られる前にと言葉を続けた。

「あくまでも、此方が嫁ぐのは貴方様ですから。我が君のお力になるなら、と趣味興味の範疇を超えて力をつけているのであって、直接秀吉様のためというわけではありません」
「つ…つまり、私の一部として力をつけているということか」

頷けば三成さんは神妙な顔をして残りの団子を口にした。

「…我が君?耳が赤いですけどどうかしましたか?」
「気のせいだ!貴様は…いつもそう…平然と…」

ぶつぶつと呟く三成さんに首を傾げながら、私も団子を食べ進める。おいしい。出されたお茶に一息つきながら、日々の幸せを噛み締めた。

02



土産を受け取ってそろそろ帰るころかと思えば、次に三成さんが懇意にしているという刀鍛冶屋に立ち寄った。様々な刀を持たされたが、大体が重いと答えれば憐れなものを見る目で見下げられてしまった。
その間ほとんど言葉はなく、口数の少ないもの同士が集まるとこうなるんだな、と微妙な気分になった。
問題は、その後だった。
そろそろ帰ろうと今まで通ったのとは別の道を歩いていると、男同士の喧嘩が起こっていた。正義感の強い家康さんのような人だったら、割り入って止めに入るのだろうが、三成さんは私の手を引いてその脇を抜けようとしていた。
だが喧嘩していた数人の男の一人が私達の進行方向に飛んできた。私を片手で庇いながら、三成さんは男を投げた人達がいる方を睨みつけた。その視線に男たちは怯みながらも三成さんを怒鳴りつける。

「…邪魔だ。喧嘩するなら他所でやれ、低俗な」
「んだとォ!」

激情した男たちが三成さんに拳を投げるが、簡単に片手で受け止め押し返した。その事に男たちはさらに血を上らせて三成さんに襲いかかる。
舌打ちしてから手を腰にやる―恐らく刀を取るいつもの居合の動作なのだろうが、豊臣領内であるこの城下で刀が必要になること等想定していなかったらしく、武器の類は持ってきていない。あるとすれば私の巾着の中に手入れ用の小刀が入っているくらいだ。
隙を見せた三成さんに容赦なく拳が叩きこまれた。普段拳を武器にしている人を知っているからか大した衝撃は受けていないようだが、それでも加減がなかったのか、三成さんは血を吐き出すと殺気を感じる鋭い目つきで男を睨む。

「相手にするだけ無駄だ。行くぞ」
「え、あ、は、はい…」

睨むだけ睨んで男が怯むと、着物の汚れを払いながら進みだした。私もそれを追う―が、進めなかった。
目の前で起きたちょっとした乱闘のせいで、背後にいた気配に気付かなかったのだ。後ろから腕を回され捕まってしまう。それに気付いた三成さんが険しい顔をして立ち止まると、喧嘩していた男たちが、血走った目で三成さんを囲った。…喧嘩ではなく、ただの一方的な暴力行為のようだ。向こうで一人、ぼこぼこにされ気を失った男が倒れている。

「お前の女か?大人しいいい女じゃねぇか」
「…離してください」
「後でなァ!おいお前、この女傷物にされたくなけりゃおとなしく殴られててくれよ」

三成さんは目を細めて、ため息を付きながら構えていた拳を解いた。それを見て回りの男たちが一斉に三成さんに攻撃を始める。

「…!な、何でやり返さないんですか?此方のことはいいですから、貴方ならこれくらいの人達…!」
「おいおいお嬢ちゃん、お前を守るために大人しくしてる兄ちゃんの心を無碍にしてやるなよ」
「守る…?何故その必要があるんですか?」
「守られなくていいってんなら、お嬢ちゃんも俺たちの相手してくれよ」

ぐいと髪を引っ張られ近くの家屋の壁に押し付けられる。にやにやと笑う男たちが気持ち悪くて、しかし攻撃されるままの三成さんが心配で視線を向けていればするりと足を触られた。短い袴の裾を持ち上げられて、回りで見ているだけの男たちが口笛を吹く。
いったい何が楽しいのかわからないが、そこでふと気がついた。

「…お?なんだ、お嬢ちゃんもその気になったか?」

男の顔を見上げながら観察する。三成さんが今おとなしく殴られているのは、どうやら私がこの男に捕まっているかららしい。男は視線を合わせたからかにやりと笑って顔を近づけてきた。これは好機、と衿を掴んで下から顎を掌で勢い良く持ち上げた。がちんと歯がぶつかる音がして、舌を噛んだのか口を抑えて私に触れていた手を離したので直後手刀をこめかみに叩きこむと、男はふらふらとしたあと後ろに倒れた。
白目をむいて気絶しているのを確認すると、丁度離れたところでも悲鳴が上がった。驚いて振り返るも三成さんのものではなく、そこには残りの男たちを倒している三成さんの姿が。
呆然としていると全員を倒し終えたらしい三成さんが、私の足元に倒れている男を一瞥しながら褒め称える声や拍手を無視して私の手を引いて歩き出した。

「…すまなかった。怪我はしていないか」
「平気です。謝るのはこちらです…此方が足を引っ張ってしまってすみません」

いや、と三成さんは視線をそらす。巾着の中に入っていた手拭で彼の顔についた汚れを拭き取る。…しかし乾いた布で取れるものではないらしく、傷を撫でられたことで三成さんが顔をしかめるだけだった。
黙って殴られていたと言ってもしっかり受け身をとっていたらしく幸い大きな怪我はないようだ。もう一度謝ると「しつこい」と逆に怒られてしまった。

「しかし、此方がいなければこのような怪我をせずに済みました」
「貴様がいようがいまいがああいった連中は絡んでくる。…特に私は目付きが悪いからな、空を見ていただけでも睨むなと怒鳴られたことは何度もある」
「…けど、此方が相手に捕まってしまったので…」

目付きが悪い自覚はあったんだな、と少し意外に思いながらもまだいうと、三成さんはため息を付いた。

「半兵衛様に、直々に貴様を守るよう仰せつかっている。最終的に怪我をしない対応の仕方はあっただろうにそれを成せられなかったのは私の不手際だ。…それに、貴様は自分であの男の拘束から抜けだした。十分過ぎるほどだ。よくやった」

すっと手を伸ばされる。何事かと思って身構えると、三成さんは目を細めてその手を引っ込めた。「すまん」と短く謝罪され、首を傾げながらも城下まで来た馬の元へたどり着いたので、黙って帰ることにした。





城下でそんなことがあって数日後。あの後三成さんは半兵衛さんに少し叱られたらしいが、私のせいだと伝えると半兵衛さんも三成さんも困った顔をしていた。「うん、まぁ、そうなんだけどね、」「…貴様の言は今ややこしくなるから黙っておけ」と言われしょんぼりしながらもおとなしく引き下がった。

「聞いたわよ、姫」
「…何をですか?」

ここ暫く佐和山という場所にある城に赴いていたという菊千代さんが久々に帰ってきて初めて会った時、菊千代さんはいやに笑顔だった。

「城下へ行って乱闘してた男に捕まったけど、一人倒したんだって?」
「ああ…そう、なりますね」
「前々から思ったんだけど、次の戦に出てみない?」

は?と間抜けな声を出すと菊千代さんが薄く笑う。

「この前、次の戦では三成は城警護って言った後から、三成が文句言ってきててね。葵―家康ね。が重要な東への牽制を任されたってのも気に食わないみたいだけど、とりあえず前線に立ちたいみたいなの。あんまりにもうるさいからどうしようかとおもってたんだけど、姫が稽古するようになってから、そこそこ使えそうって何度も言うもんだから、また少し配置換えをしようと思って。
最前線には出せないけど、姫を分隊長、若と刑部を補助にまわした一部隊をまわそうと思ってね。大師も自慢してくるくらいだから、いけるとおもうんだけど」
「…城の警護は大丈夫なんですか?」
「ああそれは平気平気」

どうかしらと答えを待っている菊千代さんを前に少し悩む。書庫で半兵衛さんと遭遇してからちょっとずつ兵法も習っているとはいえ自分で決めて兵を動かすほどの自信はない。自慢されていると言っても、だ。自分が刀を振るって敵に打ち勝つ自信もない。
そう言うも、菊千代さんは頷きながら、しかし納得してはくれなかった。

「大丈夫よ、最前線ではないから直接敵と戦う事になる可能性は低いし、もし敵と遭遇しても貴方は分隊長として命令を下すだけでいい。策に関しては刑部に聞けばいいし、戦うのが怖くなったら三成盾にすればいいから」
「…しかし…此方は誰かの命を背負う覚悟はありません」

つぶやけば、菊千代さんは目を見開いて驚いた顔をした。そしてすぐ苦笑する。

「…そりゃそうよね。人を殺すのも殺させるのも、覚悟がいるわよねぇ…」

その単語を聞いて俯くと、微かながら手が震えていることに気付いた。怖い、のだろうか。
城下での出来事のように、いざ自分たちの身に危機が及べば敵を攻撃することは出来るだろう―が、その覚悟を決めるまでの間に被害が増えるのは良くない。
それだけじゃない。殺され命を落とすかもしれない事が―違う。人の命を奪うこと―少し違う。そんなもやもやとした思いが頭の中をめぐり、ぐるぐる考えていると菊千代さんの手が私の震える手を握った。

「ねぇ姫。戦に出るのは怖いことだと思うわ。だからもし、嫌だって言うなら、私はこの話をなかったことにする。それで鍛錬を続けることもかまわないわ、護身ができるというだけで、いざ城が攻められたとき安心だもの」
「…菊千代さんは…どうだったんですか?その…初めて…」
「私?―大分昔でおぼろげだけれど、眼の前で家臣が死んでいくのを見てたらふっきれたかしらね。だから今この場で覚悟を決める必要はないと思うわ…けど、姫?あなたの"怖い"は、どのことについてかしら」

優しく言っていた菊千代さんが真面目な顔をして、どきりとした。私が無意識のうちに脳内で避けていたことを、彼女は口にしたのだ。

「死ぬかもしれないこと?家臣の誰かが殺されるかもしれないこと?名も知れない誰かの未来を奪ってしまうかもしれないこと?」
「…此方は…」
「どれも違うわね。もしかして、それに何も感じないかもしれないこと?」
「―ッ!」

反論しようとして、できなかった。…きっと、それが答えなのだろう。
先日自分を捕まえてきた男を気絶させた時、その後も罪悪感を感じなかった。きっと死に至っていない自信があったからだろう。しかし―。
今まで何度か見合いはしたことがある。だがそのとき毎度、人形だとかなんとかののしられてきた覚えがある。いわれても何も感じなかった。仕方がない、自分はさして物事に興味を覚えないのだから、そういわれることは。
だけど、人の生き死ににまで何も感じない人間なのだと、思いたくなかった。それらを告げたかったのに、言葉が出ない。喉につっかえたように、息だけが通り抜ける。

「…つらいと思うけど、言うわね。きっと姫は、豊臣に来る前のあなただったら、多分『そんなことどうでもいいです』って片付けていたと思うわ。正直ね、若に殺されかけてた時そんな風に言ってて驚いたのよ。普通は有りもしない汚名で殺されそうになったのに怒らないなら、怯えに怯えて引きこもるものよ」
「……。そう、いうもの…ですか」
「あの時の若は少し困ってたわよ。あの子はあんな性格だから、他人―特に女の子に怯えられて嫌われることが多いんだけど、自分に怯えない女の子の扱い方がわからないみたいでねぇ」

空気を和ませるように菊千代さんはくすくす笑った。

「豊臣に奉公して長い女中とかは、あんなでも三成に慣れて普通に接するけど、…ああ、でもそういう子は昔に三成にお茶ぶっかけたりした子が多いわね。『意外と怒らないから』って、今は笑い話みたいだけど」
「……その話は、聞いたことがあります」
「あらそう?じゃあそうねぇ…あの後、姫の髪に引っかかってた髪飾りあったじゃない?あれ、よく見たら壊れてたのよね、普通なら開かない所に髪が引っかかってたから。その話を若にしたら、私に簪屋で何か買ってこいって言うのよ。贈り物にするからって。自分で買えって言って断ったけど」
「…この間、簪屋さん、行きました」
「あら!何か買ってもらった?」

首を振ると菊千代さんは残念そうな顔をする。意気地なしねぇ、と溜息をついていた。しかし私が『選べと言われたが好みがなく選べなかった』のだと告げると、菊千代さんはまた少し憤る。

「だから若が選んで買えって言ったのに」
「いえ、此方が…」
「んーちょっと勘違いしてるとおもうわ、私。そういうの選ぶ時って自分に似合うかどうかと単純に作品として気に入るかどうかだと思うのよね。姫は自己主張が薄いし着物も地味なの好むみたいだから、あそこの店だと少し派手って思うかも。つまり自分に似合わない、たまたま作品としてピンとくるものもなかった、ってだけだと思うの」
「…………そ、そうでしょうか」
「だから姫みたいなおとなしい子はね、相手に選んで贈ってもらうのが一番なのよ。だから若が買うのよって言っておいたのに…」

戦がどうとかいう話だったはずなのだが、何やら方向性が変わってきた。熱心に話をしている菊千代さんの言葉に頷いていると、にこりと笑って私の肩に手を置いた。

「姫は考え過ぎなのよ。戦に出る覚悟だって、むしろ今の段階で出来てたらちょっと怖いわ」
「……、」
「菊。何をいじめている?」

返す言葉に悩んでいたら、ふよふよと浮いた輿が近づいてきた―大谷さんだ。壁にもたれながら「ちょっとねぇ」とぼかすが、どうやら話を聞いていたらしくこちらを見ると大谷さんは喉をひきつらせて笑った。

「ヒヒ、悩め悩め。そんなことで悩んでいるようなら、戦に出るなど問題外であろ。菊、やはり三成を部隊長にする策でよかろうて」
「…あのね刑部…」
「今まで仲良くしてきた相手がおらぬ孤独な姫。誰にも愛されず上辺だけイイコイイコされて来たのだ、人を慈しむ心などできるはずもなかろうて。そんな姫が三成に嫁ぐなど、これ禍としか言いようがない。さっさと家に帰ったらどうだ、禍姫。居場所のない城に戻って、不幸を招け」

そんな大谷さんの言葉に呆然とする。相変わらず喉を引きつらせて笑っていて、菊千代さんは呆れた顔をしていた。

「姫、気にしなくていいのよ。刑部のこれは病気みたいなものだから」
「いえ。…大谷さんの言う通りですね」
「え、」

私が言うと、大谷さんは笑うのをやめて、菊千代さんも瞠目していた。

の家での暮らしは、本当につまらないものでした。比べるものがないのに、嬉しいも悲しいもあるはずがなかった。今は日々がとても楽しくて、料理や掃除、武芸に勉学も積んで」
「…姫?」
「本で読みました。殺すために戦うのではなく、守るために戦うのだと。日ノ本のどこかには、道楽で人を殺している人もいるかもしれませんが、それでも豊臣の皆さんは、家族や、仲間や、秀吉様を守るために戦っている。
それに半兵衛さんも言っていました…人の命を奪っていることは、全て秀吉様の命令であるから、その覚悟と責任は全て秀吉様に任せればいい、と。此方はこの大阪城で此方を良くしてくれた人達を守りたい。何より彼方を―…そのために、戦いたい。
大谷さん、ありがとうございます。決心がつきました」

そう頭を下げれば、間を空けて「さようか」と大谷さんの抑揚のない声が聞こえて、見てみれば菊千代さんがお腹を抱えて笑っていた。

「何かおかしなこと言っていましたか?」
「いや?欠片もおかしなことなど言っておらなんだ…そこで笑っている奴はな、ヌシではなく我を笑っておるのよ」
「大谷さんを…ですか?」

包帯に隠れて見えないが、大谷さんは拗ねたように視線を逸らした。

「偉いわね、姫!刑部相手にそれだけ言えれば心強いってもんよ…あー笑った。それじゃあ姫、次の戦、出てもらえるかしら?」
「はい。是非、お役に立たせてください」

ばしばしと私の肩を叩きながらいう菊千代さんに、そう返した。