戦が近付いている。そのせいで大阪城内の空気はとてもピリピリしていた。
私の稽古も、木刀での打ち合いから半兵衛さんが用意してくれた鎧で真剣での稽古となって暫く、次第に慣れ始めた頃だ。
半兵衛さんでさえ、一年もしない内に実用出来るまで成長したのには驚いたらしく、秀吉様に何度も自慢していたらしい。
私も出る事になった次の戦―とは言っても、各地での小競り合いの鎮圧や同盟相手と別国との戦などに三成さんや菊千代さんたちは
参加していたらしいが―は豊臣の今後を決めるかもしれない大きなものらしい。
小田原の北条は今落ち目と言ってもその栄光と、従える忍はかなりの実力で、私が出向く東への牽制は、もし上手に行けばこれから東を統一していく重要な一歩になるという。
これは大層な役目を任されたのだな、と落ち込んでいると、「貴方なら大丈夫だって信じて任せているのだから」と真意はどうあれ軍師二人は笑顔で慰めてくれたのだった。
*
私は一人で稽古をしていた。婆娑羅が発生することを想定した技を考えつつ、ひたすら反復運動。
三成さんの居合の技を元にしているのだが、刀が重くて上手く模倣出来ないことに悩んでいる所だ。どうやればそう素早く攻撃できるのか、と聞いてもやって見せてくれるだけで具体的な解決法は示してくれないので難しい。
「おい左近!これはどういうことだ!」
汗をかいてきたので、休憩するため鍛錬場の隅に用意していたひょうたんの水を飲んで手拭いで汗を拭こうとした時だ。どたどたと荒々しい足音が響いて何事かと視線を巡らせる。
足音の主は私に気づくと、大きな足音のまま近づいてきた。
「あ、ちょうどいいお前だお前!左近は知らないか!?」
「…知らないです」
「何!?数日前にこっちに戻ってきたって聞いてるぞ!?」
左近、という人を私は知らない。それにしても声の大きな人だ、こういう人は少し苦手かもしれない。というのも、普段話す相手が物静かな人が多いからなのだろうが。…三成さんは怒った時大声で怒鳴りつけるので煩いのだが。
男の人は「何故じゃ!」と唸りながら頭を掻いた。動く度にぱらぱらと白い粉が落ちてきて、思わず声を失った。彼はそれに気付いてないのか、ふと気付いたように私を見て首を傾げる。
「そう言えばお前さん見ない顔だな。新入りか?女なのに兵士修行なんて大変だな、まぁ頑張れよ…どうした?青ざめて。体調でも悪いか?」
「……、」
「小生が怖いのか?安心してくれて構わんぞ、小生はおなごに手を出せるほど慣れちゃおらんからな。それにしてもお前さんその大きな刀は似合わんなぁ!」
「あの…、近づかないでください」
意を決して伝えれば、男の人は「えっ」と呟いて硬直した。
彼が騒いでいたために気付いたのか、小走りでこちらに来ていた菊千代さんを見つけると男の人は振り返ってまた騒ぎ始めた。
「左近聞いてくれ!この娘が近づくなと言いやがった!小生まだ何もしていないぞ!」
「まだって…何かする度胸貴方にあるの?と言うか左近って呼ばないでって」
「お前が小生を名前で呼んだら考えてやる」
やれやれと呆れている菊千代さんは私に気付くと、手招きして呼んだ後男の名を告げる。男の名は黒田官兵衛、秀吉さんに仕えるもう一人の軍師、だそうだ。
…それにしては、初めて聞く名だ。
「何?小生を知らないだと?豊臣兵のくせに頭が悪いんだな!」
「黒」
低い声で菊千代さんが呼び止めると、小声で何か黒田さんに告げる。「…何、三成の?ほぉ…まさか」と彼の名を呟いているということは、恐らく私と三成さんの関係性を含めて説明してくれているのだろう。黒田さん、と苗字で呼んで名前を告げると、この人も「堅苦しいのは嫌いじゃ」と名前で呼んでいいと許可をくれた。
それからしばらく二人が何か話していたが、思い出したように官兵衛さんがこちらを振り向く。
「えーと、の!左近は見つかった、邪魔をして悪かったな」
「…いえ。すみません、こちらこそ失礼なことを…」
「いやまぁ言われてみれば、小生一週間以上風呂入ってなかったからな」
「ちょっと、私の部屋来る前に風呂入りなさいよ」
「わかってるよ。 ―そういえば、そうだ、お前さん。小生思うんだが、その刀お前さんにはちと大きいとおもうぞ」
それだけ言うと官兵衛さんは「それじゃあ小生風呂に行く!」と意気揚々と去って行った。菊千代さんも溜息をついていた。気苦労が絶えないなこの人も。
「…姫。もう戦が近いから、暫く養生なさいね」
「あ…はい。わかりました」
それだけ神妙な雰囲気で告げて、彼女も足早に去っていった。
*
官兵衛さん率いる雑賀衆と本隊は、既に小田原に向かって出陣していた。どれぐらいの日数で終わるかは分からないが、基本的には官兵衛さんにかかっているのだという。彼の助言のお陰で、身の丈にあった扱いやすい小さめの刀を用意してもらった私は、強く握り締めながら呼吸を整えていた。多少の恐怖はあるが、どちらかと言うと今では緊張が強い。
東への牽制のため、私が任された一軍が出発する時、いつもの茶化した雰囲気とは違う張り詰めた表情の菊千代さんが、改めて任について新しい情報も含めて説明してくれた。
「奥州伊達軍の忍が紛れていたみたいでね。暫く泳がせていたんだけど案の定、城が無人になる事を知って戻っていったから恐らく伊達軍は攻めてくると思う。彼も婆娑羅者だから、姫が一人で応対するには荷が重いと思う。危険だと思ったらすぐに下がっていいから」
「…分かりました。でも大丈夫です、力の限り尽くします」
「ふふ、心強いわ。この際怪我するのは仕方ないけど、とにかく死んではダメよ。攻めてくるのが伊達のみとは限らないから」
心配そうに言う菊千代さんに、力強く頷いた。
「城に関しては、太閤も大師も葵も蜻蛉も控えてる。蜻蛉には、もし貴方が危険な事になったら貴方だけでも撤退させるよう近くにいさせるから。…変に責任を考える必要はないわ。生きて帰ってくるのよ」
「はい。ありがとうございます」
兵士や刑部、若にもいい含めてあるから。そう言う菊千代さんを安心させるようにまた力強く頷くと、菊千代さんは微笑んで頷き返した。「仮にも私が縁を繋いだ貴女を易々死なせるわけには行かないんだから」だったら戦に出さなければいいのになんて突っ込みは無しよ、とそれまでの雰囲気を払拭するように明るく笑い、振り返って他の兵士に告げた。
「あんた達!仮にも豊臣の兵なら、姫様一人守ってみなさいよ!」
菊千代さんの鼓舞に兵士たちは拳を振り上げる。強い結束を感じる咆哮は、豊臣の力を表しているようだった。
一方大谷さんや三成さんは、殺気というのだろう鋭い雰囲気で沈黙していた。
緊張のあまり一人で馬に乗れないという緊急事態を乗り越えて、無事目的の場所まで辿り着いた。ここを本陣として、少し先に兵を
並べている。分隊長である私はここでおとなしくて置いて、いざとなった時に出ればいいのだと大谷さんは言っていた。
三成さんは自分が行くとずっと言っていたが、大谷さんが本来の役目は私の援護だと一喝すれば思いのほか潔く静かになっていた。
「………」
「恐ろしいか?禍姫よ」
「……はい」
陣の外で、誰のものかはわからないが小さく小さく、うめき声や刃が肉を裂く音が耳に届く。どこかの軍が攻めて来たようだった。緊張状態の上ただ座っている以上その音は皮肉にも鮮明だ。三成さんはおそらく高ぶる気持ちが抑えられないのだろう陣の中で素振りしていた。―私もやろうか。緊張くらいは、解けるかもしれない。
「伝令!伝令!―迎撃部隊第三班、壊滅状態!―姫様、どういたしましょう!」
勢い良く陣中に飛び込んできたのは、多少ながら怪我をしている兵士だった。攻めてきたのはどうやら目論見通り伊達軍で、破竹の勢いで侵攻しているのだという。
陣中の空気が冷め、私に視線が集まる。壊滅状態となった現状の後の指示を求められている。
「、私が出る許可を」
三成さんが目の前まで来て、鋭い眼光で言い放つ。答えに言いよどんで大谷さんに助けに求めると、相変わらず保0謡に書かれて表情が読み取れないものの答えを示してはくれなかった。
「姫よ、決めるのはそなたよ。菊に補助を頼まれているとはいえ、この戦はそなたの実力を見極めるためのもの。ここで我がすべて決めてやっても良いが、それでは賢人たちはヌシに失望するであろうなぁ」
「……此方は…」
「一騎当千の三成を出すか、兵士を投げ捨て本多を喚びヌシだけ逃げ帰るか。ああ、しかしここで三成だけ差し向ければ賢人たちの命令に背くことになるなぁ」
ひひ、と大谷さんは喉をひきつらせて笑う。大谷さんが言っていることは正しいと思うが、幾分言い方が少し優しくない気がする。
「それを回避するには姫も出陣する必要があろうて。だが命を投げ出すのがオソロシイようなら、無限と思っている兵士の命を差し出しこの本陣まで敵をたどり着かせて、ヌシだけ本多に連れられ城に帰るのが一番よな」
優しくない、のだが、彼の言葉は的を射ている。「命令違反でも構わない、私を使え」そういう三成さんの言葉を胸に留めながらも脳内で思考を巡らせる。
壊滅状態。戦闘出来る人材がいなくなってしまった状態だと、半兵衛さんに教えてもらった。そんな時は、たしか―
「―兵を引かせてください。展開している半分ほどまで。敵がそれと共に攻めてくるようだったらそのまま誘い込み、補給班および医療班は、まだ息のある兵士の介抱を」
「は、はい!」
「それで、ええと…あとは…。誘い込んだ敵を、迎撃…、ええと、あ、此方は…」
未だ鋭く睨んでいる三成さんを見上げた。刀を握りしめて、唾を飲み込み息を整えて、立ち上がる。背の高い彼を見上げて、視線を合わせてから頭を下げた。
「共に迎撃をお願いします」
「―…まぁ、いいだろう」
いささか不満気だったが、三成さんは踵を返し、私の震える手を引っ掴んですたすたと歩き出した。
やはり歩幅が大きく小走りになるのだが―強く握られた手は、自然と私の振るえと恐怖を奪ってくれた。