明鏡覆月影

メイキョウオオウツキノカゲ

01


―竹中半兵衛様が、お亡くなりになられた。
ずっと城で休養なさっていたが、「武士ならばこそ、戦場で死にたい」と秀吉さんに懇願し、一生の願いとして受理されたそうだ。
私も参加させてもらった、初陣に比べれば大したことのない小競り合い。一度だけ采配をふるって、それから菊千代さんに引き継ぎをして、それから陣中にて喀血しながら息を引き取った。
豊臣幹部の者だけでささやかな式に出し、まるきり平穏に日は過ぎていった。
菊千代さんは、元々の業務に加え半兵衛さんが受け持っていた仕事の一部を担う事になり、それまで以上に忙しそうにしていた。私も幾つか仕事を与えてもらったのだが、簡単なものしか任せられていなかったのか不十分なのか、すぐに終わってしまうようなものばかりだった。
…ふと、彼に様々な事を教えてもらっていた時のことを思い出す。

「三成君は、とても純粋で優しい子なんだ」
「優しい、ですか」
「そう。仲良くなるまでが少し問題だけど、敵以外にはとても優しい」

思い込みが激しいところもあるから、敵じゃないと認識させるのも一苦労いるけれどね、と半兵衛さんは笑っていた。私が手入れ用の小刀で勘違いされた、例の事を言っているのだろうかと思って苦笑すると、彼はその時のことを教えてくれた。
酷く落ち込みながら頭を下げて、秀吉様に謝罪する。彼女は敵じゃないよという今更のことを半兵衛さんから説明されて、いくらか考えた後頷いて。

「その後からは、少し見方が変わったみたいだね。君の発言も少しは気にしていたようだし」
「…あの頃の考えなしの発言もお耳に入っていたんですね」
「大体直結だからね。だからこそ、書庫で出会った時は驚いたんだよ。君もそうだけど、三成君の変化に」

彼方の、変化。そこについては詳しく教えてはくれなかった。

「だから君は期待しているんだよ。…僕と菊君は、三成君の今後について少し危惧していることがあったんだ。けれど、君がいれば―その心配も、いらないものになることをね」
「我が君の今後?」
「うん、それは、できれば自分で気づいて彼を支えてほしいな」

この危惧されていることに気付くのは大分後なのだが、私は頷き返した。

「我が君のお力になるために、此方は今こうして学んでいます。全て、彼のためです」
「ふふ、そうだね。…気になることもあるから、そうして三成君に足りないものを補うといい。まったく三成君は幸せものだよね、優秀な友達とお嫁さんをもらって」
「そうですね。大谷さんも、菊千代さんも、家康さんもとても優秀な方たちです」
「うん…本当に」

きっとすべてが変わった後だったなら、この時の半兵衛さんの憂い顔の意味に気付いただろう。
悲しげな表情に首を傾げていれば、逆にどうかしたのかと聞かれ誤魔化されてしまった。何か言う前に休憩していた講義が再開し、それ以上問うことは出来なくなってしまったのだ。





彼が亡くなって、遺物として書籍をいくつか引き取らせてもらった。ひたすら一日の合間合間に読みふけって、読みふけって。

「…?」

何冊もあった書籍のちょうど半分ほど。持った表紙に違和感を感じまじまじとそれを見つめると、考えるまでもなく、それが前に彼に直接贈られたものと同じものであることに気付いた。首をかしげて前に渡された方のものと見比べると、どうにもいくつか頁が欠陥していたことを知る。
なぜこの頁が欠けているのか。半兵衛さんはそういった管理を許す人ではなかった。
―ので。もしかしたらこれはなにか仕掛けがあるのかもしれない、と小さな胸の高なりを元に、ひと通り片付けた後半兵衛さんの部屋へ向かった。

「何をしている」
「!」

半兵衛さんの部屋の前までたどり着き、家探しの如く見回っていた時。突然声をかけられた。この低い声は我が君だ。

「貴様か。この時間読書をしていると思って部屋に行ってもいないと思ったら」
「すみません。ちょっと気になることがあって」
「気になること?半兵衛様の遺言になにかおかしなことでもあったか?」

―そうしてひと通りこの行動のそもそもを告げると、一寸考え込んだ後なにか閃いて、そしてまた俯いた。何かわかったのか問うが、「菊なら何か聞いていただろうが、今は佐和山城にいる」とのことだ。

「…そうですか。ひと通り探しても何もなかったので、此方も菊千代さんなら何かご存知だと思っていたのですが」
「手がかりはあるのか?」
「いえ…一応、欠けた頁が合計で七枚ということくらいしか」

二人でまた考えこむ。我が君の真剣な顔はなかなか凛々しい。
ともかくそんなことをしていると、どすどすと大きな足音が聞こえた。この重々しいものは、秀吉様だ。頭を垂れようとしたとき、すぐに「楽にしろ」と言われてしまった。
それから、私の手元のそれを見て、気づいたように息を漏らして苦笑した。

「その頁は丁度、半兵衛が喀血して汚したところだ。特別何か仕掛けがあるわけではない」
「……」
「…そう、なんですか…」
「残念そうな顔をしてその頁を燃やしていた覚えがある」

呆気ない内容に息を吐く。我が君まで巻き込んで、申し訳ないことをした。
しょんぼりと俯いて我が君に謝罪する。気にするなとは言われたが、難しい顔で言われても気にしない訳にはいかない。
通りかかっただけらしい秀吉様がそのまま去っていって、我が君も用が済んだならと去っていった。
すると。

「ヒヒ、早とちりの禍姫は人に迷惑をかけるのが得意よな」
「大谷さん…」
「賢人が燃やした七枚分、ヌシは持っているのであろ。そもそも探しに来る必要もなかろうに」
「…そうですね。我が君には迷惑をかけました」
「確か賢人は燃やした書物に走り書きをする。それが見れないのは確かに損よなぁ」
「そうですね。それが気になって探しに来たんですけど」
「………禍姫は、イイコイイコされて過ごすだけの姫。そんなもの必要ないであろ」

大谷さんの言葉に少し考えこむ。
イイコイイコされるだけの姫では、もうない。それに…、そうだ、私は半兵衛さんから直接いろいろなことを教えてもらっている。実際に使えるかどうかは置いておいて、基本はきっちり教えてもらったのだ。あとは応用策を考えられるようになるだけ。
確かに私には必要ない。

「そうですね、ありがとうございます」
「―…、」

輿に乗ってふよふよ浮いている彼は包帯の下でどんな表情をとっているのか―は、わからないが、大谷さんは何も答えない。
私はぺこりと頭を下げて、半兵衛様の部屋の前を去った。




02


今日は佐和山城から離れられない菊千代さんに替わって、私が岡崎城へとお使いに行くことになった。豊臣の傘下である徳川軍に、友好の証として情報と兵糧の交換ないし上納させるのだと言う。今日は、と言っても出発したのはもう数日前で、予定では今日到着する所なのだが。
私と私が借りている馬、そして数人の兵士と荷運び用の馬による長い旅路は、私にとっては長すぎるように感じてしまう。道中兵士さんたちと和やかに会話をすることが出来たからいいものの、今の私には無言の空間は少々つらいものになってきた。―そんな変化が、心なしか嬉しく思っていたりする。
やがて日が傾き始めた頃、ようやく家康さんがいるという岡崎城へと到着した。
連絡はすでに届いていたらしく、出迎えの本多忠勝さんに圧倒されながらも城内へと案内される。女中さんにお茶を出され休憩していると、静かではない足音が近づいていて。

「やぁ久しぶりだな殿!おまたせしてすまない!」

さわやかな笑顔で入ってきたのは、城の主・家康さんだった。

「ひとまず今日は休んでくれ。用事を済ませるのは明日にしよう!殿のために、美味い食材を用意したんだ。堪能してくれ!」

そんな言葉により、お使いに来た私含め兵士の皆さんは各々休息に入った。情報交換の一端として、と理由を付けて私は忠勝さんと簡単な手合わせをしてもらったりもしたが、夕食も賑やかに頂き、大層満足して眠りについた。
翌日になって、すぐに厳かな雰囲気に入って用事をこなす。徳川から豊臣へと渡される兵糧と情報を紙に書き記して、出発するのは更に明日という予定を組んで、その日の夜もまた宴会さながらの夕食を取った。
おいしいごはんでお腹いっぱいになって、熱を覚まそうと少しだけ冷える夜空の下へと出てきた。そこには、―城の敷地内であるから当然ではあるのだが、忠勝さんの屈強な鎧を拭いてやっている家康さんが、いた。

「おや殿。もう出てきたのか」
「お料理が多くて少し食べ過ぎてしまって。…いつもやっているんですか?」
「まぁな。忠勝は時々無理な動き方をするから、しっかり磨いて綺麗にしてやらないと、いざって時に戦えなくなってしまうからな」

へぇ、と声を漏らしながら忠勝さんを見上げる。座っていても、彼の顔は見上げる位置にある。顔をも隠す鎧の隙間から、ちらりとこちらを見ていた。ひどく無口な人のようで、出会って間もないのもあって何を伝えたいのかは分からないが、とりあえず薄く笑っておいた。
そんな様子をみて、家康さんはくすりと笑う。

「…殿も、笑えるようになったんだな―いや、すまない。この言い方は失礼か」
「いえ、かまいません。家康さんの言うとおりです」

家康さんは鎧を拭いていた布を桶の水にひたして、手についた水滴を軽く払って己の着物の裾で拭っていた。数歩歩いて私に近づいて、優しい顔つきで私を見る。
何か顔に付いているのだろうか、と思いながら首をひねる。すると家康さんは苦笑して、空を見上げた。

「…三成も、この空を見ているのだろうか」
「さぁ…どうでしょう。こんな時間だと、おそらく我が君は部屋に引きこもって刀の手入れをするか日記を書いていると思います」
「……詳しいんだな」
「隣の部屋ですし、我が君もよく訪れてくれますから」

そうか、と普段の家康さんには似合わないような消え入る声でつぶやく。しばしの沈黙を挟んで、「何かあったんですか」と問
すぐには返答はなかったが、家康さんは少し俯いた後また空を見上げて、忠勝さんをみて、それから私を見てまた悲しげに微笑んだ。

「半兵衛殿が亡くなってから、国の情勢はだいぶ変わったな」
「…そうですね。半兵衛さんの地位を受け継ぐ人がいなかったから…軍師を失った国主など大したことはない、と一部隣国の攻撃を受けたり…牽制し合う状況です」
「…秀吉殿が、直接赴くことは?」
「―幹部である我が君や大谷さん、菊千代さん、僭越ながら此方…が各一揆や小競り合いに出ている時にまた別のことが起きた場合、出陣することはあるようです」
「…その様子はどうなんだ?いつもどうやって鎮圧する?」

答えようとして、言葉に詰まる。
いつも秀吉様は一日で制圧を終わらせる。移動に時間がかかることも考えて、かなりの速さで制圧していることになるだろう。
しかし、家康さんは何故そんなことを聞くのだろう。疑問を向ける目に気付いたのか、家康さんは気まずそうに視線を逸らした後、小さく言った。

「秀吉殿が一揆を制圧した後…数人の者が、わしに助けを求めてきたことがある。敵国からの攻撃から守ってくれず、自衛のために武器を持ったのに…と」
「………」
「実のところはどうかわからない。生き残るために、浅知恵を働かせたという可能性もある。…しかし、わしにはそう思えなかった。震える体で、刀や槍より劣る鋤や鍬を持っていた。泣いていた。それを見てワシは、」
「……」
「ワシは、何を…していたのだろう、と」

私と忠勝さんは微動だにせず家康さんの話を聞いていた。家康さんはまるで泣いているかのように顔を悲痛に歪ませて、震えているように見える両手を眺めていた。

「秀吉殿は、確かに国主たる才覚を持っているだろう。わしよりも遥かに強い、確固としたものを。しかし…しかし、半兵衛殿を失ってからの秀吉殿の所業は見るに耐えない。何故武器を持ったのか、一揆に至ったのか…それすらにも耳を傾けず無情に民を力で押さえつける。…それでは、民の心は離れてしまう」
「……」
「これではかつての信長公による恐怖政治と同じだ。ワシは…ワシは民が苦しむ姿を見たくない」

そこまで言って家康さんは黙りこんだ。遠くで風や虫の音がしているのを聞き取りながら、まぶたを伏せる。

「…たしかに、耳に痛い話です。此方も、一揆の鎮圧に向かった時は、まず刀を抜くのではなくどうして武器を取ったのか問います。けれどそれは…耳を傾けたわけじゃないかもしれません。豊臣の幹部となっていても、此方は強いわけじゃない。相手が刀の取り方を知らない農民だとて、ほとんどが男性で…一瞬気を抜くだけで命を取られてしまうかもしれない。さらにそんな危険が訪れると、我が君は問答無用で相手を斬ってしまう。直接だろうが間接的だろうが、できる限り人を殺したくないだけなんです」
「……、殿」
「けれどそれでも、どうにもならない時があるんです。妻や子供を守るために躍起になっている人もいる。話を聞かずに襲いかかってくる人もいました。此方がそれに対して応戦するのは、自分が傷つきたくないからです。
―此方が進言してどうにかなるかわかりませんが、確かに秀吉様には言葉が足りないのかも知れません」

深く頭を下げれば、家康さんは驚いたようにして「顔を上げてくれ」と返した。

殿が謝るべきことじゃない。話し合いで済まないことが多いのは…わしも武将だ、きっと殿よりよく知っている」

…それからまた、闇夜に沈黙が降りる。どこか気まずくなったのか、家康さんは忠勝さんの方を向いて、私に背を見せた。
なんと返したらいいだろう。…一体、家康さんは今何を考えているのだろうか。

「…どうしたら、いいと思う」
「―え?」
「一揆も、下克上もない平和な世にするには、どうしたらいいと思う」
「………それはまた…難しい話ですね」
「そうだろう。わしにもさっぱりわからん。…ただ」

ぐっと家康さんは俯いた顔を上げて、まっすぐな目で私を見た。

「三成は、殿が来るより前は…失礼な話だが、酷かった。秀吉殿のため…と言っては、話も聞かず敵を斬り捨てていた。しかし今はどうだろう?邪魔をされたから斬った、という無情なものはなくなったように見える」
「はぁ…」
「そんな様子をみて思ったんだ。人と人との愛、つまり絆が強まれば、真に平和な世が生まれるのではないかと」
「…きずな」
「ああ。恐怖ではなく、力ではなく。話し合い言葉を交わし理解し合うことが、平和への第一歩なのではないかと」
「…へいわ…」
「実は、これは前から思っていたことなんだがな。わしは命を奪った実感の持てない武器を捨て、その痛みを知るために拳で戦うことにしたんだ」

家康さんは、何やら、難しい話をしている。
いや、言っていることは理解できるのだが、つい最近武器を握った私には、難しいと言うか、長い道のりになる話だ。

「……すまない。殿に同意を求める内容ではなかったな」
「い、いえ。素敵なことだと…思います」
「………」

再度、沈黙。家康さんの言葉を噛み砕くのも、それから言葉を紡ぐのもすぐに出来ることではない。
まぶたを伏せて考えこむ。きっと、家康さんには何かしら心の変化が訪れたのだ。きっと、力を持つものが、無力な者の命を奪う理由に疑問を持ったのだ。
…しかし、こんな親しげに話していても、私は彼とふたりきりで話すのは二度目だ。

「話を聞いてくれてありがとう、殿。もう寝るといい、明日は大阪に帰る日だ」
「あ、…はい。力になれなくてすみなせん」
「そんなことはない。聞いてもらえただけですっきりしたよ」

送ろうかという提案を丁寧にお断りして、私はあてがわれた客間へともどった。
家康さんの、絆をもってすれば真の平和が訪れる…というのは、とても魅力的で素敵な話だとおもう。…けれど、人間全て同じ考えになることはない。いろんな考えを聞いて、納得してそれでも自分の意見を持つことができる強い人もいれば、人の意見なんて少しも認めたくない人だっているはず。…そういったことがあるから、天下統一とは難しいものなのだろう。
そうすると…。恐怖というものが、人に等しくある感情、考えなのではないだろうか。つまりはそれが一番、簡単な方法だということになるわけで。

「…ふぅ…」

なにやら頭が痛くなってきて、考えるのをやめた。やはり戦いとは難しい。
人の命を奪うことは、こんなにも悩ましいことだったとは。