「精がでるわね」
聞き慣れた声に体勢を直した。
刀を鞘に仕舞って振り向けば、ほんの少しだけ疲れているようにみえる菊千代さんが軽く手を振っていた。いつも軽装で過ごしていた彼女は、今日は外行きのしっかりとした服装だ。―確か、半兵衛さんの代役として同盟国や隣国との仲を保つために奔走しているだ。勿論三成さんや大谷さんも動いてはいるのだが、半兵衛さんから直接そういった話を聞いているのが彼女だけで―ということらしい。
「疲れている所悪いんだけれど、国境近くの村に野盗が屯しているらしいの。三成も刑部も出ているし、私もまたすぐ烏城に行かなくちゃならないから、姫が大丈夫なら行って欲しいんだけど」
「此方は構いませんが…」
「ならよかった。太閤が今向かってる一揆の鎮圧が済み次第、至急援軍として向かうそうだから、もし危ないようだったら村民の避難を優先させて逃げてちょうだい」
わかりましたと返答をすると菊千代さんはすぐに去ってしまった。
彼女と入れ替わりに私の補助をしてくれる熟練の兵士さんがやってきて、部隊編成について移動しながら話し合いすぐに問題の場所へと向かうことになった。
見た限りでは、その野盗は最近巷を賑わせている…ということでもなく、ただの武士崩れの人達のようだった。
武器は刀。崩れた髷。そんな出で立ちだった。
私は補佐をしてくれる兵士さんを背に、屯している野盗たちの座り位置から考えて彼らの長と思しき人物の前へと押し進み、視線を投げた。なんだぁ、とこちらが女であるためかニヤニヤと下卑た笑いを見せている。
「…豊臣軍の者です。野盗が屯していると聞き、対処に来ました。―去ってくれませんか」
「何言ってるんだこいつ。あの豊臣にお前みたいな若い女武将がいるはずないだろうが」
「証拠を出せと言われても出せるものはありませんが、私は確かに豊臣の者です。忠告と提案を受理いただけないようなら、刃を交えることになります。大事な国民の命を無駄に散らしたくはありません、素直に去るか野盗を辞め健全な生活を探してください」
私の言葉に一拍の間を置いた後、今度は仲間内で目を合わせた後全員が笑い出す。突然のけたたましい笑い声にたじろぎながら、目つきだけは鋭く男たちを見た。
「馬鹿いっちゃいけねぇ。そんな生易しい忠告するようなやつが豊臣のわけねぇだろう、豊臣だったらこっちが言い訳するまでもなく斬り伏せるぜ。俺たちゃそんな豊臣から逃げ出したんだ」
「………再度、忠告を…」
「あーもういいよ、わかったわかった!どうせこの村には奪えるほど食いもんも金もなかったからな、こんな村こっちから出て行ってやる」
野盗達の長の言葉に驚く者もいたようだったが、やがて彼らはぞろぞろと列を成して村を去っていく。
これで今回の任務は終了だ。すぐに大阪城へ帰ろう―そう、思って踵を返した時だった。妙な殺気と小さな揺れに視線を泳がすと足元に何かが転がってきた。ゆっくりとそれを見下ろす、と。
「――ッ!」
先ほど話していた男の血の気の失せた顔がこちらを見上げていた。何事かと彼らが進んでいたはずの方向を見ると、見えたのは豊臣の軍旗と見慣れた武装をした兵士達、そして―
「秀吉様、」
その大きな体躯から伸びる大きな手で、数人の男たちを鷲掴みにしている豊臣秀吉の姿があった。
*
「の。貴様のやり方では生ぬるい」
「……」
「あれらは豊臣から逃げ出した弱者だ。そんなものは淘汰する必要がある」
「………」
駆る馬の上で秀吉様は語る。
「豊臣は強くなくてはならない。強くなくては上に立てぬからだ」
「……」
「この日の本を統べるには誰よりも何よりも強い必要がある」
―秀吉様の言葉には重みがあった。
私は馬の足音を聞きながら、その言葉を心に届けていた。
だが思う。秀吉様の目には、ほんの少しだけ迷いがあったのではないか。
「本当に、そうでしょうか」
大阪城が大きく見え始めた頃、馬の休憩のため川の近くで停まっていた時。私は秀吉様にそう言った。
「力のみの天下はきっと続きません」
「……豊臣の信念を違えるのか」
「そうではありません。しかし"豊臣の天下"ではなく"秀吉様の天下"は、きっとすぐに終わってしまうでしょう」
私の言葉に、秀吉様はじっと視線をこちらへ向けた。憤るでもなくただ真摯に次の言葉を待っている。
「此方には、秀吉様がどういった経験をして来たのか到底想像も出来ません。それでも、此方には、秀吉様が最近お変わりになったように思えます」
「我が?どう変わったと言うのだ」
「……半兵衛さんが亡くなられてから、領地国境の防衛がおろそかになっていると聞きました。半兵衛さんからそう言った細かいことを聞いているのは菊千代さんくらいで、その菊千代さんも忙しくそちらに時間を割けない。そうなってしばらく、今日のように野盗や隣国からの挑発、開戦の噂が増えました」
半兵衛さんがいつだったか懐かしい顔をして話してくれたことがある。秀吉様と出会ったばかりの頃。豊臣は力のみを正義とした軍であったという。―それは今でもさして変わらないが、半兵衛さんが彼を見て思ったことは、「この男なら天下を狙える」ことと、「今のやり方ではそれは叶わないだろう」ことだという。
そこから半兵衛さんが秀吉様の軍師になったにはまたいろんな理由があったそうだが、きっかけはそんなものだったらしい。それからみるみるうちに豊臣は変わっていく。半兵衛さんの采配で、剣術などといった目に見える強さがない兵は淘汰するのではなく、その実力に見合った仕事をやる。
我が君や大谷さんなどのような婆娑羅者と言われる強い武将には戦で役立ってもらう。
そんなやり方を進めていって豊臣は今日に至ったのだ。
しかしその頭脳がなくなり代わりもいない今―。
「…半兵衛のやり方では、半兵衛並の頭脳を持つ者がいなくてはならぬ。それを育てるのは困難だ。結局半兵衛の代わりが見つからなかったせいで豊臣は崩れかけている。
つまり―やはり、物を言うのは力だ。力があれば上に立てる。力がある者で済むなら我の次は三成でいい。あやつは強い。最近は本当に、強くなった―…」
握りしめた手を見ながらそう口にした秀吉様は、ふっと私を見据える。何か一瞬複雑そうな顔をして、それから手を解いて踵を返した。
「我はどこかで選択を違えていたのかも知れぬ。だがそう選んだ事に後悔はせぬ。なんと言われようと、我は我の道を貫くまでよ」
秀吉様が空を仰ぐ。曇天の間に見えた沈みかけの太陽を握りつぶすように、掲げた手を握りしめていた。
私はそれに、言葉を返すことはできなかった。為政者であってもそうでなくとも、選んだ道と言うのを違えること、何より後悔することは、それまでの自分を否定することだ。時と場合によってはそうすることも必要だろうが、それをしてはいけない道、立場というものがあるのだろう。―秀吉様は、そんな道を歩んできてしまったのだ。
「…ならば…秀吉様、」
「なんだ」
「そのお心を、誰かにお話しなければ…、秀吉様が、いつか、きっと―」
「我ならば大丈夫だ。そして…豊臣もな」
大きな大きな掌が、私の頭に被さった。
「の。そう思ってくれる貴様がいるならば、我も、三成も、今後の豊臣も安泰だ。…頼んだぞ」
「秀吉様、」
「半兵衛に言ってくれたそうだな。『他に我を支える腕があるのだから、いなくても平気だろう』と。その腕に、貴様もなってくれるのであろう」
見た目とは裏腹に優しく撫でている掌に、少しだけ心をなでおろしながら、頷いた。