あのあと家康さんが帰ってすぐ、不穏な雰囲気を感じ取っていたらしい菊千代さんがつけていたという一人の忍が、徳川が豊臣に対し開戦の意があることを伝えた。
…どうやら三成さんに会いに来ていた時話したことはそれをほのめかすことだったらしい。聞いていた忍が、家康さんが城へ帰ってから証拠を掴んだということだ。
「家康自体は大したことはない。あやつが持つ、本多忠勝には十分に警戒せよ」
そんな秀吉様の言葉に続いて、この件についての対応を菊千代さんが話し始める。
「あちらが本格的なことをしてくるまでは、こちらは手出しをしないこと。軍の約半分を国境近くに観察と情報収集のため設置、他は城の警備。では各分隊の割り当てを発表します」
菊千代さんは焦った様子もなく淡々とそう告げていく。ちらりと視線が合ったと思えば、菊千代さんは私の名を呼んだ。
「姫を隊長とする第一から第五部隊を国境近くに配置。第四部隊には速報伝達のため早馬を貸し出すわ」
「待て菊ゥ!何故私をそこに入れない!?すぐにでも、家康の首を斬り落とす必要があるだろう!」
「第五部隊はそこから少し離れた所で待機すること。何か変化があり次第、第四部隊の情報含めすぐに戻って報告して。残りは太閤と私の指示を基本として待機と城の敬語をすること」
私は目を瞬かせつつ菊さんの指示を聞いていた。命令を出された部隊長さんが返事をしていて、一方口を挟んだ三成さんのことはきっぱりと無視されいる。三成さんは纏う空気を苛つかせ、正座していた足をだんと立たせ刀を構えた。
「無視をするな!私ならば裏切り者の首を今すぐにでも手に出来る、その必要がある!私とこいつの配備を替えろ!」
「…姫の補佐には刑部をつける。あなたは少し黙りなさい。忍の情報を信じないわけじゃないけど、仮にも一国の主を突然殺すわけには行かないのよ。だから一番落ち着きのある姫を隊長にして偵察に向かわせるの」
「家康がこいつを殺したらどうする!裏切りは明確だ!」
「五月蝿いって言ってるでしょう!―とにかく!各自準備を初めて!日の入りと共に行動開始!」
兵士さんたちは大きな返事をしてぞろぞろと会議室を出て行った。未だ菊千代さんを睨みつける三成さんを大谷さんが引っ張って行って、私も同じように部屋を出た。
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「…やれ菊、聡い貴様なら気付いていると思っていたが」
「何の話よ、どいつもこいつも」
頭が痛いとばかりに眉根を寄せる菊千代に話しかけたのは、先ほど三成を連れて会議室を出た大谷だった。どうにか三成を言いくるめて戻ってきたらしい。
なにかいいにくそうにしながら、話を切り出す。
「我があの姫を毛嫌いしていることは、分かっているであろ」
「知ってるわよ」
「あの姫と徳川がそれなりに仲が良いから前線で偵察に置いたとして、何故我をその補助にあてる」
「何故って…」
菊千代は溜息を付いてにらめっこしていた書類から視線を外して大谷を見る。包帯で隠されていて表情の機微はわからないが、その瞳は泳いでいた。
その様子を見てもう一度溜息を付く。
「葵の裏切りは明確だとして、その理由を太閤は聞きたがっている。なら首じゃなくて喋れる状態じゃないといけない、三成では無理だけど姫なら出来る可能性が高い。で、私はここで指示をしなくちゃいけないから補佐には行けない、三成は論外。ならあなたしかいないでしょうそれだけよ」
納得いかなさそうに大谷は沈黙している。一方菊はもういいでしょと大谷と本人以外に誰もいなくなった会議室を出ていった。
「…やれ、これ災いよ…」
ぽつり、零した。
*
雑木林の隙間を駆ける。馬に乗れないという大谷さんには少し驚いたが、遅れることなく付いてきている。
「やれ禍姫。そろそろ警戒地点であろ」
「…ありがとうございます。全軍、停止!」
半兵衛さんや菊千代さん達によって育てられた兵たちは、その一言で間もなく停まった。出発からずっと走りっぱなしだった馬を降り、休息を取らせる。少ししてから組み分けされた馬の担当の小隊に世話を任せ、私は一部の隊を連れ徳川の領地の境へ近づいていった。
「特別、動きがあるようにも見えませんね」
「…そうよな」
「―もしかしたら、この場所ではなく別の陣地にいるのかも…」
そう、小さな声で考えていると。
時代に合わない駆動音がまだ東方に見える日を遮った。驚いて見上げると、見覚えのある黄色い衣服に身を包んだ男が仁王立ちで、人型の大きな鎧の塊に乗って空を駆けていた。
徳川だ!と兵の誰かが叫ぶ。
「…!あの方向は…まさか…?」
「ひとまずは早馬で伝えるがよかろ」
「そう…ですね。伝令をお願いします!」
声を張って伝令班に伝える。即座に早馬に乗り来た道を引き返したのを見送る。
「…。此方は徳川を追います。大谷さん、偵察隊を連れて、先を進んで―」
「それは出来ぬ。不満とは言え我はヌシの補佐を頼まれたのだ。与えられた仕事はこなさねばならぬ」
「……ありがとうございます。 では…、徳川軍が攻めてくるなら、必ずこの道を通るはずです、全隊は戦い易い手前の平地まで下がり、反撃あるいは菊千代さんの指示により本隊が到着する場合を考えて隠れて戦いの準備を進めてください!」
各分隊長たちのしっかりとした返事を聞き届けて、大谷さんと自分の馬を連れて家康さんの後を追った。
しばらく走っていると、大谷さんが呼び止める。何やら背に浮かぶ水晶球になにか見えたらしい。
「徳川はこの先で休んでいるようよな。あまり近づくと攻撃されるやも知れぬ」
「………大谷さんはここで待っていてください。此方一人で様子を見てきます」
「…………」
「お願いします」
大谷さんは頷きもしなければ引き止めもしない。ただ包帯の向こうに表情を隠している。
「行ってきます」
黒い目が、笑ったような気がした。
*+*
「(しまった…普通に馬でこればよかった…)」
本多忠勝という機動力のある家康さんを相手にして、体力も尽きかけの状態で戦えるどころか、まともな話をすることが出来るかも微妙な所だ。
しばらく走ったが、家康さんたちが休憩しているという場所にたどり着けない。方向を間違えたのだろうか。忠勝さんは大きいから、こんな木の生い茂った所でひっそりと休息を取ることは出来ないと思う。つまり、そこそこ開けた場所にいるはずなのだが。
立ち止まって辺りを見渡した。自分の鼓動と、小さな動物たちの声と、風による葉の擦れる音ばかりが耳に入る。
「………」
これはまさか…迷ったのだろうか。
荒い息を落ち着かせながら再び辺りを見回す。自然の音以外は、妙に静かだ。
ゆっくりと、歩き出した。がさりと音がする。驚いて刀を抜き放つ構えをしながら、そちらを見やる。
徳川軍だろうか?それとも大谷さん?警戒しながら音のした方をじっと睨みつけた。
―しかし、待っていても何も現れなかった。どころか、遠くでたくさんの声が聞こえた。
「…そんな」
そして、鉄と鉄が打ち合う音。これは、もしかしなくても、戦いが始まった音だ。整いかけていた息を再び荒くして、大急ぎで音のした方へ向かった。
向かう場所は分隊長たちに指示した、開けた場所。迷いかけていたものの、戦の音を頼りに走る、走る。
どれくらいの時間をかけただろう。途中で疲れて速度を落としながらどうにか目的の場所へたどり着く―そこではやはり、豊臣の軍旗と徳川の軍旗が刃を向け合っていた。
「…秀吉、様…。家康さん…?」
息を整えながら中心へ向かうと、お互いの軍の大将が殺気が立ち込める中で睨みあっていた。私の存在に気付いてか、二人共こちらに視線だけ向ける。
「の姫か…やはりまだ一人前には遠かったな」
「…申し訳ありません。あの…一体、何を…?」
「下がっていてくれ殿。ワシはあなたに危害を加えたくない」
向けられた視線はお互いへと戻り、両者が睨み合いながらこちらに言葉が向く。
「殿。ワシはここで死ぬかもしれない。けれど、もしかしたら生き残るかもしれない。この勝負を見届けてくれ」
家康さんが拳を構える。
「フン、生意気な小僧よ…」
「ま、待ってくださいおふたりとも!なんで、そんな!」
二人の合間に手を広げて入る。秀吉様をかばうように、家康さんに向かい合う。
温厚な家康さんの目付きが、しっかりと殺気を放っている。
「どけの。いくら貴様でもどかねば殺す。我に反旗を翻したこやつには、力の制裁を加えねばならぬ」
「そんな!そんなこと…まだ間に合います、家康さんのお話を聞いてもいいではないですか!」
「殿、どいていてくれ。ワシは負けない」
「そういう問題じゃありません!―ッ、家康さん、あなたが、あなたが力以外の方法でと話していたじゃないですか!」
何度も二人の顔を見比べるように声を張る。二人共、拳を構えて殺気を抑える様子もない。
「それでは駄目なんだ。秀吉殿にはそれが伝わらない。今、散々話した所だ。伝わらなかったんだ」
「それはきっと、状況が悪いだけです!一度落ち着いて、ちゃんとした会談の場を…」
「の。会談の場を用意しても結局は同じ。女にはわからないケジメというものがあるのだ」
「そんな、秀吉さ―っ!」
秀吉様の大きな手で襟を捕まれ遠くに放り投げられる。すぐに起き上がって二人を見れば、既に両者とも拳を振りかぶっていた。
これはいけない。悪い予感がする。何かが壊れてしまう。家康さんかあるいは秀吉様が亡くなる―それだけじゃない。何かが起こる。己の世界を変えるような何かが。
頭の中でうるさく警笛が鳴っている。
「やめッ―!」
雷鳴が、轟いた。