明鏡覆月影

メイキョウオオウツキノカゲ

01


あのあと家康さんが帰ってすぐ、不穏な雰囲気を感じ取っていたらしい菊千代さんがつけていたという一人の忍が、徳川が豊臣に対し開戦の意があることを伝えた。
…どうやら三成さんに会いに来ていた時話したことはそれをほのめかすことだったらしい。聞いていた忍が、家康さんが城へ帰ってから証拠を掴んだということだ。

「家康自体は大したことはない。あやつが持つ、本多忠勝には十分に警戒せよ」

そんな秀吉様の言葉に続いて、この件についての対応を菊千代さんが話し始める。

「あちらが本格的なことをしてくるまでは、こちらは手出しをしないこと。軍の約半分を国境近くに観察と情報収集のため設置、他は城の警備。では各分隊の割り当てを発表します」

菊千代さんは焦った様子もなく淡々とそう告げていく。ちらりと視線が合ったと思えば、菊千代さんは私の名を呼んだ。

「姫を隊長とする第一から第五部隊を国境近くに配置。第四部隊には速報伝達のため早馬を貸し出すわ」
「待て菊ゥ!何故私をそこに入れない!?すぐにでも、家康の首を斬り落とす必要があるだろう!」
「第五部隊はそこから少し離れた所で待機すること。何か変化があり次第、第四部隊の情報含めすぐに戻って報告して。残りは太閤と私の指示を基本として待機と城の敬語をすること」

私は目を瞬かせつつ菊さんの指示を聞いていた。命令を出された部隊長さんが返事をしていて、一方口を挟んだ三成さんのことはきっぱりと無視されいる。三成さんは纏う空気を苛つかせ、正座していた足をだんと立たせ刀を構えた。

「無視をするな!私ならば裏切り者の首を今すぐにでも手に出来る、その必要がある!私とこいつの配備を替えろ!」
「…姫の補佐には刑部をつける。あなたは少し黙りなさい。忍の情報を信じないわけじゃないけど、仮にも一国の主を突然殺すわけには行かないのよ。だから一番落ち着きのある姫を隊長にして偵察に向かわせるの」
「家康がこいつを殺したらどうする!裏切りは明確だ!」
「五月蝿いって言ってるでしょう!―とにかく!各自準備を初めて!日の入りと共に行動開始!」

兵士さんたちは大きな返事をしてぞろぞろと会議室を出て行った。未だ菊千代さんを睨みつける三成さんを大谷さんが引っ張って行って、私も同じように部屋を出た。



「…やれ菊、聡い貴様なら気付いていると思っていたが」
「何の話よ、どいつもこいつも」

頭が痛いとばかりに眉根を寄せる菊千代に話しかけたのは、先ほど三成を連れて会議室を出た大谷だった。どうにか三成を言いくるめて戻ってきたらしい。
なにかいいにくそうにしながら、話を切り出す。

「我があの姫を毛嫌いしていることは、分かっているであろ」
「知ってるわよ」
「あの姫と徳川がそれなりに仲が良いから前線で偵察に置いたとして、何故我をその補助にあてる」
「何故って…」

菊千代は溜息を付いてにらめっこしていた書類から視線を外して大谷を見る。包帯で隠されていて表情の機微はわからないが、その瞳は泳いでいた。
その様子を見てもう一度溜息を付く。

「葵の裏切りは明確だとして、その理由を太閤は聞きたがっている。なら首じゃなくて喋れる状態じゃないといけない、三成では無理だけど姫なら出来る可能性が高い。で、私はここで指示をしなくちゃいけないから補佐には行けない、三成は論外。ならあなたしかいないでしょうそれだけよ」

納得いかなさそうに大谷は沈黙している。一方菊はもういいでしょと大谷と本人以外に誰もいなくなった会議室を出ていった。

「…やれ、これ災いよ…」

ぽつり、零した。



雑木林の隙間を駆ける。馬に乗れないという大谷さんには少し驚いたが、遅れることなく付いてきている。

「やれ禍姫。そろそろ警戒地点であろ」
「…ありがとうございます。全軍、停止!」

半兵衛さんや菊千代さん達によって育てられた兵たちは、その一言で間もなく停まった。出発からずっと走りっぱなしだった馬を降り、休息を取らせる。少ししてから組み分けされた馬の担当の小隊に世話を任せ、私は一部の隊を連れ徳川の領地の境へ近づいていった。

「特別、動きがあるようにも見えませんね」
「…そうよな」
「―もしかしたら、この場所ではなく別の陣地にいるのかも…」

そう、小さな声で考えていると。
時代に合わない駆動音がまだ東方に見える日を遮った。驚いて見上げると、見覚えのある黄色い衣服に身を包んだ男が仁王立ちで、人型の大きな鎧の塊に乗って空を駆けていた。
徳川だ!と兵の誰かが叫ぶ。

「…!あの方向は…まさか…?」
「ひとまずは早馬で伝えるがよかろ」
「そう…ですね。伝令をお願いします!」

声を張って伝令班に伝える。即座に早馬に乗り来た道を引き返したのを見送る。

「…。此方は徳川を追います。大谷さん、偵察隊を連れて、先を進んで―」
「それは出来ぬ。不満とは言え我はヌシの補佐を頼まれたのだ。与えられた仕事はこなさねばならぬ」
「……ありがとうございます。 では…、徳川軍が攻めてくるなら、必ずこの道を通るはずです、全隊は戦い易い手前の平地まで下がり、反撃あるいは菊千代さんの指示により本隊が到着する場合を考えて隠れて戦いの準備を進めてください!」

各分隊長たちのしっかりとした返事を聞き届けて、大谷さんと自分の馬を連れて家康さんの後を追った。
しばらく走っていると、大谷さんが呼び止める。何やら背に浮かぶ水晶球になにか見えたらしい。

「徳川はこの先で休んでいるようよな。あまり近づくと攻撃されるやも知れぬ」
「………大谷さんはここで待っていてください。此方一人で様子を見てきます」
「…………」
「お願いします」

大谷さんは頷きもしなければ引き止めもしない。ただ包帯の向こうに表情を隠している。

「行ってきます」

黒い目が、笑ったような気がした。


*+*

「(しまった…普通に馬でこればよかった…)」

本多忠勝という機動力のある家康さんを相手にして、体力も尽きかけの状態で戦えるどころか、まともな話をすることが出来るかも微妙な所だ。
しばらく走ったが、家康さんたちが休憩しているという場所にたどり着けない。方向を間違えたのだろうか。忠勝さんは大きいから、こんな木の生い茂った所でひっそりと休息を取ることは出来ないと思う。つまり、そこそこ開けた場所にいるはずなのだが。
立ち止まって辺りを見渡した。自分の鼓動と、小さな動物たちの声と、風による葉の擦れる音ばかりが耳に入る。

「………」

これはまさか…迷ったのだろうか。
荒い息を落ち着かせながら再び辺りを見回す。自然の音以外は、妙に静かだ。
ゆっくりと、歩き出した。がさりと音がする。驚いて刀を抜き放つ構えをしながら、そちらを見やる。
徳川軍だろうか?それとも大谷さん?警戒しながら音のした方をじっと睨みつけた。
―しかし、待っていても何も現れなかった。どころか、遠くでたくさんの声が聞こえた。

「…そんな」

そして、鉄と鉄が打ち合う音。これは、もしかしなくても、戦いが始まった音だ。整いかけていた息を再び荒くして、大急ぎで音のした方へ向かった。
向かう場所は分隊長たちに指示した、開けた場所。迷いかけていたものの、戦の音を頼りに走る、走る。
どれくらいの時間をかけただろう。途中で疲れて速度を落としながらどうにか目的の場所へたどり着く―そこではやはり、豊臣の軍旗と徳川の軍旗が刃を向け合っていた。


「…秀吉、様…。家康さん…?」

息を整えながら中心へ向かうと、お互いの軍の大将が殺気が立ち込める中で睨みあっていた。私の存在に気付いてか、二人共こちらに視線だけ向ける。

の姫か…やはりまだ一人前には遠かったな」
「…申し訳ありません。あの…一体、何を…?」
「下がっていてくれ殿。ワシはあなたに危害を加えたくない」

向けられた視線はお互いへと戻り、両者が睨み合いながらこちらに言葉が向く。

殿。ワシはここで死ぬかもしれない。けれど、もしかしたら生き残るかもしれない。この勝負を見届けてくれ」

家康さんが拳を構える。

「フン、生意気な小僧よ…」
「ま、待ってくださいおふたりとも!なんで、そんな!」

二人の合間に手を広げて入る。秀吉様をかばうように、家康さんに向かい合う。
温厚な家康さんの目付きが、しっかりと殺気を放っている。

「どけの。いくら貴様でもどかねば殺す。我に反旗を翻したこやつには、力の制裁を加えねばならぬ」
「そんな!そんなこと…まだ間に合います、家康さんのお話を聞いてもいいではないですか!」
殿、どいていてくれ。ワシは負けない」
「そういう問題じゃありません!―ッ、家康さん、あなたが、あなたが力以外の方法でと話していたじゃないですか!」

何度も二人の顔を見比べるように声を張る。二人共、拳を構えて殺気を抑える様子もない。

「それでは駄目なんだ。秀吉殿にはそれが伝わらない。今、散々話した所だ。伝わらなかったんだ」
「それはきっと、状況が悪いだけです!一度落ち着いて、ちゃんとした会談の場を…」
の。会談の場を用意しても結局は同じ。女にはわからないケジメというものがあるのだ」
「そんな、秀吉さ―っ!」

秀吉様の大きな手で襟を捕まれ遠くに放り投げられる。すぐに起き上がって二人を見れば、既に両者とも拳を振りかぶっていた。
これはいけない。悪い予感がする。何かが壊れてしまう。家康さんかあるいは秀吉様が亡くなる―それだけじゃない。何かが起こる。己の世界を変えるような何かが。
頭の中でうるさく警笛が鳴っている。

「やめッ―!」

雷鳴が、轟いた。





02


片膝が地面についた。

「半兵衛よ…次は何を、…目指そうか…」

大きな手を、空へ向けて―握りしめた。
どしゃり、と雨が降る中秀吉様が崩れ落ちる。たくさんの雨が、外にいる全てに降りかかっている。

「…そんな…どうして…っ秀吉様!」
殿!」

混乱のあまりふらつく足を叱咤しながら秀吉様に駆け寄ろうとすると、すれ違った瞬間家康さんに腕を掴まれる。強い力で引かれ、無理矢理に彼と向き合わされた。

「共に来てくれ」
「ッ―、え…?」
殿。あなたなら、ワシの理想の未来をわかってくれるだろう」
「そんな、無理です…ッそんな事より、秀吉様をっ!」
「あなたのような人が豊臣にいては駄目になる!平和のために、ワシに力を貸してくれ…!」

わけがわからない。喉につっかえて言葉が吐き出せない。目尻から出る水滴が打ち付ける雨に混ざって肌を滑り落ちていくのがわかった。

殿…!」

遠くで覚えのある駆動音が近づいている。

「―離れろ家康ゥ!!」

そんな声が聞こえた瞬間、風を切る音と共に私は肩を押される。尻もち付いていると、目の前では家康さんが高く跳んで、一瞬で近づいていた忠勝さんに乗って去っていった。

「何が…あ…」

三成さんが私を見下ろしながら刃を仕舞う。しかしそのすぐ側に倒れている秀吉様に気づくと、目を見開いてふらふらと近づいた。
うつ伏せに倒れる秀吉様を抱き起こして仰向けにして、その手を持って顔を見やる。「秀吉様…?」小さく小さく、呟いた。私も這いずるように近づいて顔色を見る―険しい顔をして、しかし顔色はすこぶる悪い。微塵も動き出す気配はなかった。

「…何が…何が…あった、…?」
「え、あ…家康…さんが…」

二人揃って混乱を隠さないまま秀吉様の前で言葉を交わす。三成さんが視線だけこちらに向けた。

「家康さん…が…通りすぎて…」

どこから説明すればいいのか。どこから説明するつもりなのか。自分で何が言いたいのかも理解しないまま、ただ『家康さんが』とだけ唇を滑るように出てくる。

「其奴が徳川を導いたのよ」
「何…?」
「そこで知らぬ顔をしている娘が、我らが包囲していたこの地の陣形の穴を教え、進んでいた太閤の元に導いたのよ。そうして不意をつかせて太閤を殺させた」
「…?大谷さん、何を…」

三成さんの背後にいる大谷さんが、私を見て目を細めた。

「其奴は偵察の途中、徳川を追って勝手に一人で隊を離れた。その時に徳川と合流して、あそこに通ずる場所を伝えたのであろ。まぁ、我の推察に過ぎぬがなァ」

ヒヒ、と大谷さんが喉で笑う。その目は、瞳は、私を軽蔑し見下ろしていた。
そこで明らかに私に向けられた殺気に気付いた。まさか、そんな、と脳内で呟きながらそちらへ向けば、私が見たことのない恐ろしい瞳がこちらを見ていた。

「貴様ァ…ッ!」
「わ、―」
「秀吉様を、裏切ったのか…!家康などと!手を組んで!!」
「そんな、違ッ…」

刹那が私の目の前をかすめる。心臓が凍りついてしまいそうなほどの殺気が、私を睨みつけている。

「疾く去ね。秀吉様の元にいた僅かな慈悲だ今は見逃してやるだが!二度と顔も見たくない次相まみえた時は必ず!家康と共にその首を並べてやる…!」
「あ、わ…」
「私は去れと言った!貴様はまだ言葉も分からん馬鹿か!?」

動かない足を叱咤して少しずつ後ずさる。忘れかけた呼吸を思い出して、どうにか立ち上がってその場を走り去った。
その後のことは、私は知らない。